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R U MSLIM? YES? YES? YES?

Posted by 高見鈴虫 on 07.2015 旅の言葉
イスラム圏を歩いて、何度と無く繰り返される質問。

R U MUSLIM? YES? YES? YES?

この YES? YES? YES? の中には、
そうじゃないわけないんだろうな?え?どうなんだよ、
という、こぶしが篭められる訳で、
この独善性と偏狭、
これはまさに、質問というよりは詰問、あるいは、尋問に近い。



で、この、
R U MUSLIM? YES? YES? YES?
をやられるたびに、

うん、そう、俺、モスリム、と割りと平気に答えてしまっていた俺(笑

いや、実は俺は違う、とちゃんと話すこともある。

相手がまともな人の場合は、うっしゃ、チャイでも飲みながらまじめに話そうや、
となるわけで、イスラムとはなにか、仏陀イズムとはなにか、神とはなにか、地球とはなにか、
なんていう堂々巡りはまあ、バスの待ち時間つぶしにはちょうど良い。

しかしながら、犬にも劣る人間というのはまあどこにでも居るもので、
気に入らない奴と見ると反射で噛んじゃう、という躾の入っていない輩も多い。

でそう、このイスラム圏。

まあ俺の歩いてきたところ、あるいは、俺ごときの周りに居た連中ってのは、
まあつまりは俺程度の奴な訳で、よって、かなり社会的地位が低い、
というか、ぶっちゃけ犬に限りなく近いか、下手するとそれ以下となってしまう訳で、
つまり、世の中、理屈よりは拳が物を言う、と妙な勘違いをしている方々、が実に多い。

で、そう、あの髭面を歪ませ、拳を突き出されながら、
時としてナイフ、あるいは、下手をすればそれがAKとなるわけだが、
銃口を向けられて、
Are You Muslim? Yes? Yes? Yes?
とやられては、くそったれ、面倒臭え奴に引っかかっちまったな、
とまさに野良犬に吠え付かれている心境そのもの。

でそう、猛る犬をなだめるように、はいはい、トリートですよ、の代わりに、
まあチャイでも飲まんかい、あるいは、小銭やるからさっさと消えうせろ、
で済めば良いが、
済まない時、ってのが具体的にどういう時なのか、と言えば、
そう、
そんな犬にも劣る奴に、
異教徒にはなんでもしていい、という免罪符を与えてしまうことを意味している訳で、
つまりはまあそういうこと。

でまあ、時と場合によっては嘘も方便、とあちらの宗教さんも謳っていること、であるわけで、
まあそういった時と場合によっては、

うん、そう、ぼく、モスリム、とちゃっかりと言ってしまうこともあった、というか多かった(笑

で、次に来るのが、だったらお前、コホラン知ってるか?知ってたら言ってみろ、と来るので、
ああ、だが、俺はコホランを日本語で学んだから日本語しか知らない、
日本語のコホランってのはこれだ、とばかりに、

♪ 人生二十年、耐え難きを耐え、偲び難きを偲び、
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず
ちょっと一杯のつもりで飲んでいつの間にやら ハシゴ酒 ♪

とかなんとか、適当にやっていたのだが、
そういうことをしゃあしゃあと言ってしまっていたことに、
ちょっとした罪悪感が無かったわけではない。

その証拠に、そう、この宗教ってものを弄ぶと実はしっかりきっちりと落とし前がまわってくる、
ってのも世の末、じゃなく、世の常。

俺の場合、絶体絶命のイラン脱出の際、
ようやく潜り込んだ難民トラックの中から、

こいつは異教徒だ!と騒ぎ立てられては小突き回され、
モスリムの奴以外に席はない、と引き摺り下ろされることになった。

あの時ほどに、宗教が人を殺す、という現実を実感させられたこともなく、
つくづく、この世のいざこざのほとんどが、つまりは宗教が原因なんだよね、
つまりは、宗教が人を殺す、宗教こそが悪徳なのであろうか、
ってなことを考え始めてしまった訳で、まあそれは後に、
いやいや、そうではなくて、宗教そのもの、ではなく、宗派、なのであって、
とまあ、よくある思考の堂々巡り。

そんなこんなから、イスラム教、あるいは、宗教そのものに対するアレルギーがしっかりと出来上がってしまった、
というのも事実。

なので、当時から巷に溢れていたえせ宗教の数々、
寂しさを信仰で満たしましょー、やら、お友達つくりに最適のしゅうきょーの、
やら、下手をすればごーこん、お見合い目的のしゅーきょー勧誘なんていう、
一種軽さを前面に押し出した宗教の勧誘などに対しては、
かなりきつい態度で当たってしまう、ってなことにもなって、
そんなときにはRU Muslim? Yes?Yes?Yes? の向こうを張って、
ついつい拳を突き出して、そうじゃなかったらどうしようってんだこの野郎、
と思わず喧嘩越しになってしまったりもしたわけで、
そういう人間は危ない奴、としていつの間にか誰にも相手にされなくなっていた。

その後、アメリカのテキサス、いわゆるディープ・サウスのバイブルベルト、
と言われる、がちがちキリスト教の地域に住むことになった際には、
こんな身寄りのないとーよーじんに声をかけてくるのは、
決まって、保険の勧誘か、あるいは、そう、教会の誘い。

こういう地域においては、生まれたときから、なんの疑問も持たずに
ジーザスこそが唯一の神様、な訳で、それ以外の選択、について考えたことのある奴、
ってのが極端に少ない。
なので、俺がジーザス・フリークではない、とわかったとたん、
まさに、宇宙人を見るような目で、ええええええっ!??と驚かれたりした。

キリスト教徒でない奴がこの世に存在するのか?というところな訳で、
その無邪気な独善性にこそ心底驚愕したものではあったが、
そんな無邪気な独善性の中になんの疑問もなく入れてしまうか、
あるいはそれをちゃっかり「利用」してしまえるか、
というと、実はそれもできない拘りがなかった訳ではない。

と言う訳でこのキリスト狂のガーターベルト、じゃなくてバイブルベルト。
俺的にはひじょぉおおおにあんかんふぁたぶるであった。

とゆう訳で逃げ出してきたこのニューヨーク。

この街が一番過ごしやすいのは、そーゆーくくりがないこと、なのだと思ってる。
つまり、宗教の勧誘がなく、宗教の縛りもない。

が、ニューヨークに宗教がないか、というとぜんぜんそんなことはなく、
俺の周りのほとんどのニューヨーカーが実はそれなりになんらかの神様を信じてるのであるが、
この人種の坩堝のニューヨークにおいてはつまり信じる神様もまさに坩堝。
いろんな宗教宗派があまりにも入り乱れてしまったがために、
いまさらあんたの神様だれ?なんてこともさして気にならなくなるわけで、
下手をすればゾロアスター教?うへえ、珍しいね、かっちー、とか、
あるいはなんでもありってことでよくねえ?というそのいい加減さ、
強いて言えば包容力があるわけだ。

で、強いて言わせて貰えば、俺的には宗教はなにか、という問いには、
「自分」と答えることにしている。

つまりは、「自分」こそは地球の細胞のひとつでありつまりは神は内在する。
神様は俺自身でもあり、そして俺もあなたも神様の一部、という、俗に言うところのまざーあーす(笑

なぜかと言えば、それはまさに旅の中での稀有な体験に基づくもの。

タイの孤島でマジックマッシュルームを食いすぎてかんぺきにらりぱっぱ、
とその時に、ふと気がつけば大気圏を脱出してしまった俺の魂が、
再び青き地球に吸い込まれてこの俺の身体と御再会をした際に、
おお、魂って結局そういうこと?という実体験。

および、砂漠の真ん中に置き忘れられて完全に孤立無援。
ああ、俺はこのまま砂塵のひとつとなって死に果てる訳か、と思った矢先、
月と砂漠とそして俺以外になにもない、ってな場所において、
この俺と、そして月、あるいは宇宙、強いては地球そのもの、
との間の、限りない相関関係、つまりはその繋がりについてこれでもか、と思い知らされた訳で、
あの時、俺はこの自分自身の身体を、あるいは世界そのもののなりたちを完璧に把握した、
気持ちになっていた。

これはまあ、俗に言うところの超覚醒という奴らしいのだが、
己の魂がこの身体の呪縛から開放されて地球そのものの意思に同化した結果、
地球上において唯一無二の、この自分自身というやつが、
どれほど愛おしいものであるのか、あまりのありがたさに自分自身をひっしと抱きしめてしまった訳で、
俺はその時、神は内在する。つまりは、俺は確実に神に愛され、そしてそんな俺はつまりは神様の一部、
強いて言えば俺自身こそが神である、ってな確信を得てしまった訳だ。

よって、神は外に求めず、が基本体系となった訳で、神に偶像を求めようという手合いに対して、
自己覚醒の得られなかったかわいそうな奴、と思うようにもなっていたのだが、
逆に言えば、ジーザスも仏陀も、クリシュナもシバも、そしてマホメットも地球の一部、つまりは俺の一部、
という拡大解釈もできるわけで、
俺のよく言う、たかが人間じゃねえか、はつまりは、俺たちみんな地球の一部、
つまりは、地球と言う大きな意思の中にまじりあったひとつの細胞に過ぎない、ということにもつながるのだが、

とそういう話を始めるとほとんどたいていの宗教勧誘の人は、目をぱちくりさせて、
こいつ・・・きちげーだ、とドン引きしてくれるわけで、
ダメ押しに、
あんたもそんなくだらないことやってないで、死ぬほどドラッグに浸ってみるやら、
砂漠でたったひとりになる経験でもして修行でも積んでみたらどうだいね、
などと言うとさっさと消えてくれるからありがたかったのだが、
のちに、Ωなんてやつらが出てきてからちょっとそのあたりが面倒くさくもなったのも事実。

という訳で、完全に勝手に宗教ふりーになった俺。
改めて、Are You Muslim?と聞かれれば、ああ、そうでもある、と答えることにしていた。
つまり、イスラムもキリストも仏陀もシバもクリシュナも、八百万の神様、みんな信じる、と(笑

つまりそう、そんなアバウトな俺こそが典型的な日本人、と勝手に解釈している。








プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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