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もしも、1995年11月4日のあの時

Posted by 高見鈴虫 on 11.2015 アメリカ爺時事

この時代、世界最大のブータと言えば、
まさにそれ、伊豆および、十一種のこと、と言って反論のあるひとはいない筈。

自由と言われたインターネットにしたって、
こと、伊豆、あるいは、十一種についてひとことでも無駄口を叩けば、
うっぷす、なことが次から次へと、となるわけで、
つまりは、そう、そこにだけは触れてはいけない、という訳なのか。



事実、これまでにも、
これだけざっくばらんのおーぷんはあとなニューヨーカー、
その人々前で、
ひとたび伊豆の話題を出した途端、それまでの友好ムードは一瞬のうちにちゃぶ台返し。

いきなり指を差されて歯を剥き出され、
ヒステリックな応酬をうけることになるってのは、
あの永遠と続く宇多屋論法の迷宮に叩き込まれるわけで、
まあ、経験上、重々すぎるぐらいに承知していた筈なのだが。

がしかし、それを承知で、いま敢えて言いたい、

あんたらは、なぜそれほどまでに、伊豆に拘るのか、
あるいは、伊豆の話題を避けたがるのか。

つまりそう、十一種の方々にとって、この伊豆こそが、目の上のタンコブ、
まさに、ガンの中のガンでありながら、見捨てるに見捨てられないまさに極道不良息子そのもの、なのだろう。

がしかし、である。
あまりにもあまりにも、ここまで来てもなお、そうまでして伊豆をかばうことに良心の呵責はないのか?

つまりそう、十一種の方々のあの論調の実はそのすべてが、
例の伊豆における大間違い、それを肯定するためには、という苦しい湾曲に湾曲を重ねた上での詭弁、そのもの。

あのなあ、そこまでして伊豆をかばってどうするのよ、とほとほと呆れてしまうわけなのだが。

という訳で、俺はもうついに言ってしまう。

俺はなにも、伊豆がどうのこうの、あるいは十一種がどうのこうのというつもりはサラサラない。

ただ、ただ、ただ、

もしも時計を戻すことができるならば、なんて議題はまったくちゃんちゃらおかしいわけだが、

そう、1995年11月4日、
伊賀瑠・網瑠の放った弾丸が、何時箔・羅瓶の急所を外れていてくれたら、と、
そんな夢を見てしまったりもするものだ、と。

そう、俺は別に伊豆が悪いの、十一種がどうなどと、そんなことではまるでなく、

ただ、そう、俺は、ただただ、羅瓶にだけは生きていて欲しかったんだ。それだけ、それだけなんだ。

それに言い返せる十一種を、俺は知らない。

そう、つまりはそういうこと。つまりは、羅瓶が自国民である伊豆の青年に暗殺され、
そしてその後を引き継いだ陸宇土の奴ら、ぶっちゃけその陸宇土の連中が問題なわけでさ、と。

という訳で、
この新たな憎しみの連鎖が取り巻く虫頭情勢。
そのすべてが実は、伊豆、とは言わない、つまりはぶっちゃけ、陸宇土の方々の悪巧み、
にすべてが端を発しているのではないか、とか。

なのでもし、伊豆の人々が正気を取り戻し、そして恨汰蓋屋が選挙で落選、

たとたん、まるで催眠術師が、パン、と手を叩いたかのように、

淫乱が、パレパレが、尻穴が江痔プトが、
小浜と不珍と安部と朴と金と習、そして愛死すが伊豆が、

はーい、ゲームはこれまで、といきなり銃をすててみんなで輪になってジェンカを踊る、

なんて世界が、もしかしたら起こるかもしれない、と思ってみない訳でもない。

と言ったとたん、それまで不機嫌に歯をむき出していた十一種たちが、
目に涙を浮かべて抱擁を求めてきた。

世界に平和を。

その鍵は、実は、そんなところに隠されているのかな、と勝手に思っているわけだが、
甘いかな(笑 甘いだろうな(泣

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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