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ニューヨークで観る「アメリカン・スナイパー」 その雑感

Posted by 高見鈴虫 on 17.2015 読書・映画ねた
遅ればせながらアメリカン・スナイパーを観て来た。

言わずとしれた大ヒット映画である。
この映画を挟んでここアメリカでもツイッター合戦、
馬鹿なウヨクと嫌味なサヨクとの間で確執が再燃している、
曰くつきの映画である。

という訳で、アメリカン・スナイパー、

見ないほうがいいよ、きっと後悔するから、と誰もが言ったように、
予想通り重い映画であった。

WAR HERO~戦争の英雄、
かのイラク戦争で、イラク人を160人撃ち殺した伝説のスナイパーのお話である。

まあぶっちゃけ、日本風で言えば、
シナ人100人斬り、とか、ちょーせんじんの鼻を三千、耳を六千、とかと同じ、
まあよく言う、戦争の英雄話。
本来であれば、そんな戦争の英雄を、
それこそ満塁ホームラン160本の大ヒーロー、
みたいな描き方をしてしまえば簡単なのだろうが、
この時代、そうそうと能天気に戦争ごっこを手放しで喜ぶわけにもいかない、
というのがアメリカの、そして21世紀の現状なのである。

血湧き肉踊る戦争アクションの筈が、
観終わった後に、真っ暗なテロップを眺めながら、
誰もがすぐには立ち上がれない程に、
これ以上なく鬱々とした気分にさせられる、
そんな戦争映画であった。

この感じは、まさにあのゼロ・ダーク・サーティを観終わった後の
あの虚脱感と同種のものでもあったのだが、
今回のアメリカン・スナイパーは、それに加えて、
なんとも言えぬやるせなさ、そして怒りが残された。

この重さはこそはまさにあの時代、
ジョージ・W・ブッシュが投票機の誤魔化しという、
なんとも如何わしい方法で大統領の座を掠め取ったことから始まった、
あの茶番とも言える惨劇の連鎖。
青天の霹靂であった911のテロから、俄かに巻き起こったU-S-Aの怒号の中、
怒涛のような勢いの中で、アフガン、そしてイラクへの戦争へと押し流され、
至った先は、にっちもさっちも行かなくなった末期的戦況と、
そして、カトリーヌ台風の大災害を為すすべも無く見殺しにし、
挙句に起こったウォール街の大暴走とそのあまりにあっけない倒壊、
それに端を発した世界大恐慌。
つまりはあのジョージ・W・ブッシュという史上例を見ない無能な大統領の下、
戦争マフィア、石油マフィアに金融マフィア、そんな世界の汚濁のようなやくざ連中に、
アメリカという国が寄って集って騙されかもられ食い物にされつくされたあの時代。
そこに鬱々と流れ続けていたあの重々しくも鬱々とした空気そのものなのである。

あの時代を重く包んでいた疑心暗鬼、
そして、自らの国に欺かれ続けることへの嫌悪感と、
スパイ狩りを煽り立てるあのヒステリックなキリスト教右派の亡者たち。
突如の砂嵐に目鼻を潰されて青色吐息の中で、
ただひたすらに悪夢の過ぎ去るのを待つばかりであったあの悲痛な日々。

そんな時代を思い返す度に、誰の胸にも押し寄せてくるであろう、
あの胃の底が捻られるような不安感、そして不信感。

ゼロ・ダーク・サーティは言うに及ばず、
そしてこのアメリカン・スナイパーにも、
そんな時代を生きた者たちが当時感じていた、
あの鬱屈したどす黒い空気、
まさに、邪悪な霧がアメリカ中を押し包んでしまったかのような、
窒息寸前の末期的な嫌世感が満ち満ちているように感じられた。

改めて言う。

あの時代は、そして、あの戦争は、いったいなんだったのだ。
言ってみろ、誰か答えられる奴がいたら言ってみろ。

この映画を観た者たち、誰もがそう叫びたかったに違いない。

そのやりどころの無い怒り。そのジレンマ。そしてこの虚脱感。

祭りの後というにはあまりにもおぞましいあの忘れようにも忘れられない恥辱と憤怒と、
そして、虚無感に苛まれた八年間の記憶。

まさにそれこそが、アメリカ人の全てが被ったPSTDであったのだと改めて思う。

そしてこのアメリカン・スナイパー。
いやいや、まだまだ悪夢は終わってはいない。
アメリカはいまだにその後遺症に悩まされ続けているのだ、
という現実を目の当たりにさせられることになった。

という訳で、
映画を観終わった後、誰もがその重い重い身体をなんとか座席から引き剥がし、
がしかし、誰もが無言。むっつりと押し黙ったまま、そして深い深いため息をつく。

まるで葬式の後のような気分で歩く冬枯れの街。
身体中の力が抜けきって凍えた風が身体の芯を吹き抜けてゆくような、
そんな午後であった。

そして新たに始まった、当事件を扱ったアメリカン・スナイパー裁判。
そして、いままさに新たに幕が切って落とされようとする愛死す攻撃の地上軍の投入。
ここに来て再び、あの暗い時代、
つまりはジョージ・W・ブッシュのしでかした大失態の尻拭いがまたまた廻ってきている訳だ。

そんな中、やはり、ふと日本のことを思い出さないわけにはいかない。

葬列の重苦しさからようやく一息ついたカフェのテーブルで、

いや、実は、日本がいままさに、あの時代のアメリカを再現しようとしている訳でさ。

それを聞いた誰もが、声を揃えて、オーマイガー、な訳である。

なにが悲しくて、いったいどんなアホがそんな馬鹿げたことをやらかそうとしているのか。

そいつは悪魔だ、と誰もがそう断言する。。

あの八年間の中でアメリカがどれほどの痛みを被ってきたのか、知っているのか?

いや、お金が儲かるならいいかと思ってさ、という、そのまるで悪魔のような無知さ。
あるいは、いずれは訪れる奈落の底、それを知っていながら、
目先のあぶく銭に踊らされてはその業火で国中を巻き添えにしようとするまさに地獄のような邪悪さ。

そんな浅知恵の指導者の利己主義と保身と強欲の中に、
翻弄されては自らが嬉々として飛び込んでいってしまう馬鹿な人々。

それこそがあの時代、アメリカを狂わせた、
そして、悲しいかな、それが現日本の現実なのである。

そして、戦争である。
改めて言う。
戦争は善悪や、正義や悪者や、そういうものでは決して無い。
それはビジネス。ただたんに、一部の人間たちの金儲け、それだけ、である。
正義を隠れ蓑にして、怒りや恨みや悲しみが、そんな戦争の亡者たちの糧、
あるいはダシとなるのだ。
そんな戦争ビジネスを操る悪徳マフィアたち、
この世界の裏社会に蠢く妖怪たちが血で血で洗う壮絶な共食いを繰り返す世界。
無邪気に戦機を煽る日本の人々が気付いているいないに関わらず、
いま日本がまさに足を踏み入れてしまったのは、まさにそういう世界なのだ。

これまで、なにがあっても、例えどれほどまでに攻め立てられては、恥の上に恥を塗り重ねられ、
馬鹿だ、阿呆だ、と罵られながらも守り続けてきた戦後日本の最後の砦。

戦争の放棄。平和尊守、人命第一の信念。

たとえ国際社会の中でどんな恥辱を受けようとも、
日本人の命を他国の戦争で失うことは、なんとしても避けたい。
その信念を貫き通してきたこの戦後の歴史が、いまなんのすべもなく、脆くも崩れ去ろうとしている。

改めて言わせてもらう。
日本が平和憲法の砦を自ら放棄し、世界の戦争に参入することを望んでいる人間は、
この全世界においてひとりもいない筈である。

それこそまさに、飛んでに火いるなんとか、そのものである。

それを炊きつけているのは、つまりは、あのアメリカの地獄の八年間を演出した悪魔、
つまりは戦争商売、つまりは、人間の生き血を金に換える地獄の錬金術師たち、
そんな人間以下のマフィアたち、だけである。

そんなどうしようもないマフィアたちの口車に乗せられてしまったおめでたい偽政者たち。
まさにあの能天気なとっちゃん小僧であったジョージ・W・ブッシュを彷彿とさせるおぼっちゃま首相と、
その取り巻きにはまさに、金の為なら手段をいとわない原発マフィア、および、
人間の業欲を煽り立てては、心の暗黒のどぶの底を掬うようなえげつないメディア戦略を続けるゲッペルス気取りの変態喧伝師たち。

そう、それはまさにあのジョージ・W・ブッシュの演出した地獄の八年間のまさに焼きなおし、そのもの。
今後、日本人がこれでもか、と食らいこむことになる疑心暗鬼とジレンマと鬱病と、
そしてやがて叩き込まれる大破滅、という事態に、
いまや一億総オカマ公家と化してしまった日本という国が果たしてその試練にどうやって立ち向かって行くのか。

改めて言う。

人を殺し殺される戦場。
そう言ったことで身を太らせて来た戦争マフィアの人々は、
これまで日本がお上品にビジネス・トークをしていたような人種とはまったく違う。

そして、建国以来アメリカが守り抜いてきたタフネスさ、
つまりは、度胸があって喧嘩に強い、男気一徹のような豪快さは、
いまの日本にはまるで、ひとかけらさえも存在していない。

子供じみたアニメの世界、あるいは女の子のお遊戯にお調子を合わせてしまったような国において、
いったいどんな輩が、あの地獄の鍋の底で血肉が煮えたぎるような戦場を生き抜けるというのか。

これまでただの一度も実戦の経験もなく、
誰一人として誰も、現実問題として人間が人間を殺す、という状況に直面したこともない兵隊たち、
例え相手が女子供であろうが、殺さなければ殺されるというその修羅のおぞましさ、
あるいは、世界のストリートで日常的に行われている本気の喧嘩、
ナイフ、あるいは、石を掴んで、相手をぶっ殺すことを目的とした戦いさえ、誰も経験したことのない、
まさにお上品なおぼっちゃま公家のような人々が、
まさか、そんな暴力の極限ともなるあの戦場という状況下で、
果たして正気を保っていられるとは、俺にはどうしても思えない。

悪いことは言わない、やめときなさい、似合わないことはやるべきじゃない。できるはずが無い。

これまでどおり、平和憲法を隠れ蓑に、金だけ出すから後はどぶさらいでも土嚢積みでもやらせてくらはい、
と逃げ回るに越したことはない。

それで良いのだ。

何時いかなるときにも、どんな戦いにおいても平和を貫く。
それこそが日本の誇りなのだ、と改めて言わせて貰う。

という訳で話がそれた。

アメリカン・スナイパー。
誰もが、見なければ良かった、と思いながら、
見ないわけにはいかないアメリカの傷、
それを抉り取った、まさに怪作。

狂和党の戦争屋たちはまたこの作品を新たな戦争詐欺のダシにしようとしているようだが、
どんな馬鹿がこの映画をみて、

いやあ、戦争って本当に良いものですね、もう一度やってみましょう、と思うものか。

あるいはそう、

だから、やめろって言ったのに。騙された奴が間抜けなのだ。勝手に犬死にしていろ、
と、銀縁めがねをずり上げる嫌味なサヨク馬鹿。

いや、違う。
ほとんどのアメリカ人は、ネットの書き込みをしているそんな知恵足らずどもとはまったく違う。

アメリカ人の誰もが、つくづく戦争はもうたくさん、と思い起こしている筈だ。

そんなものに金を使うのなら、帰還兵たちの補償問題をもっと真剣に検討すべきだ、
とまっとうなことを考えていてくれる筈である。

筋金入りの反戦主義者である筈のクリント・イーストウッドの言いたかったのは、
まさにそれなのだ。

馬鹿な指導者に翻弄された兵士たちの悲劇を、これ以上、見殺しにするわけにはいかない。

アメリカン・スナイパーを観たひとりでも多くの人が、そう思ってくれることを望むばかりである。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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