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世にピットブルという猛獣がいる

Posted by 高見鈴虫 on 01.2015 犬の事情
世にピットブルという猛獣がいる

猛犬、狂犬、マッドドッグ
そして、狂気の殺人マシーン。

その気になったら女子供の腕ぐらいは平気で食いちぎるこの猛獣。

いつもの甘えん坊の顔が、いきなりなにかの拍子に豹変をすれば、
まさに、人喰い鮫。
目に見えるものはなんでも食い千切る恐怖の殺人マシーンと化してしまう。

そんなピットブルがひとりでも顔を出した途端、
まともなオーナーはそそくさと犬を呼び寄せてはドッグランから消え失せていく。
正直俺も、そんなピットブルと我が家の犬をあまり関わらせたくはない。

そんな訳で、懸命の諸氏はできるだけピットブルには関わらない方が無難である、
というのがドッグランでの常識、となるのだが・・・


改めてこのピットブルという猛獣。

ピットブルだけは信用するべきではない。
いつ、どんなきっかけで豹変するか判らない。
そしてひとたび豹変すれば、それは誰も止められない。

が果たしてそんなピットブル。

いったいどんなバカがそんな猛獣と判りきった危険な犬種を、
わざわざ飼う必要があるのか、とは常々思っているのだが、
そんなピットブルが、
よりによって、そんなピットブル。

どうもそんなピットブルが、
それも一番凶暴そうな輩に限って、
ひとたび俺の姿を見るといきなりの豹変、
問答無用に襲いかかって来る訳である。

目があった途端、しまった、と思った時にはもう遅い。

いきなりその瞳を見開いたその野獣、
やめろ、という静止の声を聞こえないほどに、
いきなり胸の中めがけて体当たり。

た途端、顔から首から顎から耳から、
まさによだれで窒息しそうなぐらいに、
気が触れたように舐めて舐めて舐めまくる。

どうも俺はピットブルに好かれてしまうようなのである。

果たして、なぜ俺はそんなピットブルに好かれてしまうのか。
あるいはなぜ、ピットブルは俺が好きなのか。

迷惑、というのではないが、
確かに可愛いのだが、
いや、正直に言えば、
そんなピットブルたちが、
もう、可愛くて可愛くてしょうがなくて、
そんなピットブルたちの、
そのがま口のような顔でベロベロベロベロ舐められながら、
思わず身体中を抱きしめて撫で回して、
などとしてしまうから、
なおさら俺はそんなピットブルに好かれてしまう訳だが、
正直、うちの犬がいつそんなピットブルと喧嘩を始めるかと思うと、
やはり気が気ではない。

がそう、不思議なことに我が家の猛犬。
どこに行ってもトラブルばかり起こす、
時として狂犬、とさえ言われるこの生まれながらの無法者が、

どうもこのピットブル、とは、無性に気が合うところがあるらしい。

或いは、お互い猛犬同士で、
なんらかの紳士協定のような取り決めがなされているのか、

なんとなく、のほほーんとしてはまさにお友達。
上手くやっている訳だ。

という訳でいまもピットブル、
しかもよりによって三匹のピットブルが揃いも揃って、
ドッグランのベンチの上、
俺の膝の上から下から肩の上から、
でれでれと甘えて来てはでろーんと裏がってお腹を出して、
ねえねえ、撫でて撫でて、とやっている訳で、
この糞寒い中、今日もまだまだ帰れそうにない。


改めて言う。
ピットブルほどに可愛い犬はそうそうと見つかるものではない。

これほどまでに人懐っこく、そしてこれほどまでに人間に大して手放しに愛情を注ぐ、
つまりは、心の底から人間という種を信頼しきっている犬種を、俺は他に知らない。

その一種、バカというか、お人好し過ぎるぐらいな純真さ、
それこそがこのピットブルのピットブルたる所以なのである。

と同時に、ピットブルの豹変のその根っこにあるのものは、
そんな絶対的な信頼、それを裏切られたことによるトラウマなのである。

その濃すぎるほどの愛情がひとたび裏切られた、と知った時のその傷の深さ、
それこそがピットブルの豹変の引き金になる恐慌の源泉。

愛すべき飼い主からアビューズに会ったピットブル。
或いは、面白半分に甘やかされ続けた挙句に、
ふと、ちょっと大きくなり過ぎたから、なんて理由でお払い箱。

そんな愛すべき家族から、見捨てられたピットブル。
その純真な愛に裏切られた絶望感、そして底知れぬ恐怖。

その心の傷こそが、ピットブルの豹変のその原因なのである。

それが証拠に、ちゃんとした飼い主から、
溢れる程の愛情を注がれ、そしてしっかりと躾を施されて来たピットブル。

まさに、天使のように可愛く、そして、夢のように律儀で礼儀正しい、
まさにドリーム・ドッグ。
そんなピットブルを育てることは、十分に可能なのだ。

犬種だ、血筋だ、そんなことは、大した問題ではない。

育てられた環境、そんな環境で一番大切なのは、愛。

気分次第で身体中を撫でまわして、美味しいものをいくらでも与えて、
というのも愛ならば、
それと同時に、悪いものは悪い、としっかりと叱るのも愛。

その均等が崩れた時、ピットブルは善悪の区別の付かない甘えた猛獣、
つまりはスポイルド・ドッグ、というバケモノにも変化してしまう。

という訳で、この三匹のピットブル。

いまや猫にまたたび状態で、節操無く身体をくねらせ続けているこの猛獣たち。

がひとたび、はい、おしまい、と手を叩いた途端に跳ね起きて俺の前に一列に集合。

はい、お座り、はい、伏せ、はい俺の顔をじっと見て、とアイコンタクトも忘れずに。

そしてキス。三匹ともに分け隔てなく、鼻先から頭からその唇からにキスキスキス。

はい、よく出来ました、ありがとうな、とお礼の一言とともに、一欠片のトリート。

世の中でお前らがどれだけ鼻つまみにされても、俺だけはお前たちを愛している。

そう思えば思うほどに、猛獣と言われるピットブルは驚くほど素直にその心を開く。

そしてそんな俺にもっともっと好かれたい、あるいはそんな俺に嫌われたくない、
その思いから、彼らはその閉じられた心を、少しずつ少しずつ溶かし始める。

そうこいつらもかつてはそうだった。

誰からも疎まれ恐れられては、誰もいなくなったドッグランでぽつり、と座っては途方にくれていた。

飼い主はそんな気も知らずにベンチに座ってIPHONEばかり。

あるいは、そう、飼い主ではなく金で雇われたドッグウォーカーなのかもしれない。

お友達のいないピットブル。
白い目に囲まれたピットブル。

そんなピットブルがひとたび遊び相手を見つけた途端、ついついハッスルし過ぎてしまい、
あるいは、加減を忘れて暴走を繰り返しては、すっかり世を儚んではますます鼻つまみ。

今となっては、目ぼしい相手に襲いかかっては大騒ぎを巻き起こす、
それ以外に社会との接触の機会を見失ってしまっている、そんな悪循環。

そんなピットブルを見かけるたびに、おい、ちょっと来い、と声をかける。

その溜まった目やに。身体中の汚れ。よだれだらけの顔。

そこに色濃く見られるネグレクトの痕跡。

俺はタオルを出してそんなピットブルの顔を拭く。

痛いところはないか?と身体中の傷を調べ、そして胸から顔からお尻からを撫でまわし、
お座りは出来るか?俺の顔をよく見ろ、さあ、ちょっとボールで遊んで見ないか?
と社会への糸口を探し始める。

ああ、良くできたなあ。お前、見かけによらず頭良いじゃねえか。
さあ、もう一度、はい持ってきて、はい、よく出来ました。
そしてボールを手放してくれたら、はい、ありがとな、とトリートを与える。

まあ世の中、上手く行かねえことも多いが、だからと言って早々と捨てたもんでもないぜ。

また会ったら一緒に遊ぼうな、と頭を撫でて。

これを一度でもやると、まさにそんなピットブル。

ドッグランの柵の向こうに首を伸ばして、俺の姿を待ち望んで過ごすことになるのだ。

という訳でピットブルである。

ひとたび俺がドッグランに姿を見せた途端、そんなピットブルたちがまさに襲い掛かるような勢いで馳せ参じては、

ねえねえ、またボールで遊んで、とじゃれ始めるのである。

そんな様子を見て安心した他の犬の飼い主たち。

恐る恐るゲートを開けてはドッグランに姿を見せる訳なのだが、

おっ、新たなカモのお出まし、といきり立つピットブルを、すかさず、おい!、呼び寄せる。

バカ、お前、せっかく俺と遊んでるんだろう。そんな俺をないがしろにするなよな。

とそうこうするうちに集まってきた犬達。

いまや、ピットブルと合わせて五頭六頭七頭八頭。

大小織り交ぜたそんな犬達が、一つのボールを追って夢中になって走り回る。

さあ、次はお前、さあ、その次はお前。待て待て、順番だよ。次は君の番だからね。

そうやって均等にボールを投げ分けているうちに、犬の方でもそのルールが判って来ると、

自然にボールを競い合い、そして譲り合っては、
互いに顔を見合わせて、いやあ、やったな、やられたなあ、と満面に大笑いを始める訳だ。

さあ、おいで、全員揃って、はい、お座り。はい、お手、と繰り返しながら、
さあ、次はお前だ、さあ、行くよ。

目を輝かせた犬達の喜びに溢れた顔。

そしてピットブルたち。その獰猛な顔つきがいまやとろけるような笑顔に満ち満ちて、
周りを囲んだ犬達から、その口元を舐められてはすっかりお兄さん気分。

そんな様子を微笑ましげに、あるいは、目を見開いている飼い主たち。

まさか・・まさかうちの子が・・あの猛犬が・・あるいは自閉症の甘えん坊が、
今や息を弾ませてボールを追いかけている。

とそんなボール遊びも一段落。

やあやあ、と挨拶にやって来た飼い主たち。

いやはや、うちの犬はね、実は実は、とそんな相談事を聞くとも無く聞いているうちに。。。


とそんな犬達から、ちょっと目を放した途端に、響き渡る怒声と、そして絶叫。

あっちゃあ、またやった、と駆けつけては、寸手のところで間に入って、
猛り狂うピットブルを抱きかかえて抑えつけて。

あのなあ。。と改めて。

お前らってやつは本当の本当に。。。

思わずへなへなと腰が抜けてしまうほどに脱力してしまう訳なのだが、
そんな俺の顔を、ごめんなさい、ごめんなさい、と舐めまわすピットブル。

やれやれ。。心底、やれやれ。

見るも無残なほどにしょげ返ったピットブル。

上目遣いに人の表情を伺っては、ダメ!と叱りつけるたびに、これ以上なく悲しい顔で頭を垂れる。

あのなあ、お前らなあ、本当に、まったく。

しかしながら、そう、それを根気よく続けていく以外には方法はない訳なのだ。

気の長い綱引き。お互いの根気比べ。がしかし、そんな根気比べを支えるのはまさに愛。

そう、愛なのだ。

そんなピットブルを、悪さをするたびに痛めつけて、
あるいは、一匹残らず殺処分にするべき、とかなんとか宣う奴を見るたびに、

俺は心の底から、そんな無責任な輩に憎しみを感じる。

俺がピットブルならひと思いに噛み殺してやりたいぐらいだ。

改めていう。

犬は人の心のバロメーターである。

飼い主の慢心を、怯えを恐怖を、そしてエゴを、犬は見抜く。そしてそれの真似をする。

自身の犬を愛すれば、つまりは良い犬になって欲しければ、
まずは飼い主自身の、その人間としての姿勢を正すことが必要になるのだ。

と言う訳でこのピットブルである。

俺にとってはこれはひとつの挑戦、そして、修行なのである。

こいつらが救われる時に、俺自身もまた救われる。

俺はそう信じている。そして絶対に諦めない。

世の猛犬たちの蛮行、あるいは、不良少年たちのご乱行、

その源泉にあるものは、まったく同じ。

つまりは、親のエゴと、そして無責任、そこから受けたトラウマ、なのである

そんな彼らの心を開くには、根気と、そして愛。

飼い主、あるいは大人自らが学び続ける、その姿勢において他にない。

俺はそう信じている。信じ続けなくてはいけない、と思っている。


という訳で、なんだ、

THE WHO の面々を見るたびに、こいつらの顔はピットブルに似ている、と思うのは俺だけであろうか。。




プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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