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テヘラン ~ Shifting Ground

Posted by 高見鈴虫 on 09.2015 旅の言葉
最近、暇にしているせいなのか、
妙に「旅」のことばかりを思い出してしまう。

それは例えば、よく言うフラバ、
ふとしたことに襲ってくるフラッシュバックの一瞬の情景というのでもなく、
あるいは、紅茶の香りに導き出される甘い追憶でも、
ましてや、もう一度旅に出てみたい、という郷愁でさえない。

なんというか、そう、
旅の間に断片として悪戯に蓄積されていた光景が、
待てよ、そうか、あの時のあれは、
もしかして、実はそういう事だったのか、
とみるみると糸を紡いでは像を結び初め、
がしかし、そうやって紡ぎ得た物語は、
しかしその輪郭が浮かび上がった途端、
ふとすると再び視界をすり抜けては、
曖昧な記憶の海の底へと沈んで行ってしまう。



今まで色々な土地を訪れてきて、
まあ良い思いもさせて貰ったと同時に、
見なくても良いものを見てしまった、と思ったことも多く、
そして幾十年の時を経て、
実はそう、この見なくても良いもの、
あるいは、見たくもないものを見させれてしまった、
という苦い思いを残す土地に限って、
その後も長く糸を引いてしまったりもするのだ。

それがつまりは、トラウマ、というものなのかもしれないが、
そう、そんなトラウマを植え付けられた土地のことは、
それ以降もなんだかんだと気になってしまう。

例えばそれは開放直後の中国。
あの怒涛の中でただただ翻弄されるばかりであった経験が、
いったいなんであったのか、
その混沌の原因は、要因は、と考え続けては、
毛沢東と、そして文化大革命の意味したものとそして残した傷跡、
そして鄧小平が牽引した自由化への長い道のりとそして天安門。

香港の返還を挟んでいまだに激動の歴史の中をのたうつ
全身を腫瘍に侵されたクジラのような、人民中国という国。

最初に訪れた国が中国であったという因果から、
その後も、良い意味でも悪い意味でも、
中国の激動を時を同じくしては付き合わされて来た、
という気持ちがあった。

がしかし、そんな中国が俺の唯一のトラウマであったのか、
というと実はそうでもない。

もっともっと凄い土地、というのは実はたくさんあって、
例えば、ベルリンの壁が崩れる直前の旧東側諸国の悶絶の姿、
或いは、サパティスタの内戦時代のメキシコ各都市から、
戦争景気に沸き返るペシャワール、
バブルの徒花から破滅へ向かう狂騒を続けていたトウキョウから、
そして、ブッシュの暗黒時代、911からのニューヨーク、強いてはアメリカという国の衰退の様。

くそったれ、見なけりゃよかった、ものばかりを見せられた気もするのだが、

そう言った意味で、俺にとって最低最悪のトラウマとなったのは、実はイランなのである。

イラン。

相も変わらず世界で最も嫌われる国の筆頭にあげられる国である。

中東がザワザワときな臭くなる時、
それはぶっちゃけ、アメリカの大統領選挙が近づくと必ず、な訳なのだが、
それもそう、
アメリカの大統領選挙と中東情勢が密接にリンクしている、ということさえも、
実はこのイランから始まっていたということを記憶するアメリカ人は意外に少ない。
(*興味のある人は GOOGLEの小窓に、イラン・コントラ とタイプすれば・・あら不思議、
その後の、そして現在の、中東情勢の頓着の全てがすでにそこに凝縮されていたりする)

そしてかの、最低最悪の馬鹿ハリウッド映画「アルゴ」
こんな糞愚作がなんとアカデミー賞を取ってしまったからには、
もうハリウッド作品など死んでも見るかという気にさせられる訳で、
確か、あの映画を見た時には、思わず壁をぶん殴っては、
道行く人々を片っ端から叩きのめしたくなりさえして、
結果、かみさんを大喧嘩、と散々な目に合わせてもらった。

この「アルゴ」
映画の陳腐さも去ることながら、
そしてあの映画をあんな風に撮ってしまったアメリカという国の、
あまりにどうしようもないほどの知的レベルの低さ。
と同時に、
あの時代のイラン、そしてテヘラン、
そこにあったあの身を引きちぎられんばかりの鬱屈を、
まざまざと思い出させられてしまうことにもなった。

そう、俺にとってあのテヘランでの日々は、封印しようにもしきれない、
数十年の時を経てもいまだに血が煮えたぎる、あるいは凍りつくような記憶と共に蘇ってくる、
まさにトラウマの中のトラウマ。

当時、イランは戦時中であった。
毎夜毎夜の灯火管制と、それを待ち構えるようにやってくるイラク空軍による爆撃。
鳴り響く空襲警報と固唾を呑んで見上げる空、そしてズーンと腹の底にまで響く地響きと、ビリビリと泣き叫ぶ窓ガラス。
物質統制の末に食べるものさえないレストラン。
街角のそこかしこにボロ布のように転がる見捨てられた帰還兵達の姿。
音楽という音楽、芸術という芸術が徹底的に叩き壊されては荒れるに任せた商店街。
身を飾ることを禁じられ、眉毛ぼーぼー、髭ボーボーの、まるで亡霊のような女たち。
決して笑わない子どもたち。オリーブ色のアーミーコートに身を沈めた沈鬱な男たち。
舌打ちと、溜息と、そしてそして・・そこかしこに光る治安部隊の目。。

いや、そう、そんなことじゃないんだ。
俺が見たのはそんなものじゃない。
今だから言おう。
あの街の裏の姿。
あの時俺はいったいなにを見てしまったのか。

治安維持を理由とする革命防衛隊の暴虐の数々。
大通りの真ん中で袋叩きにあった老人、あるいは女。
流れる血と、それを見てみぬふりをして通り過ぎる人々。

金曜のたびに行われる公開処刑。
黒い目隠しをされて並ばされた兵士たちに、爪を立て歯を剥きだしては、
あらん限りの呪いの全てを叫びながら、
ついにはヒステリーの発作の中、泡を吹いては倒れて行く未亡人達。

音楽も映画も見てはいけない筈なのに、
ブラックマーケットにうず高く積まれた日本製の電化製品の山々山と、
そこに乱れ飛ぶ世界各国の通貨。

そして灯火管制が始まると同時に街中を暗躍する狼たち。
強盗、強殺と、治安部隊に名を借りた押し入りとレイプ、そして惨殺。
そして、暗がりで客を引く食い詰めものの未亡人、あるいは孤児。
その空に高らかに響き渡る空襲警報のサイレン。

長距離バス・ターミナルに降り立ったまま行き場を失くした疎開家族の群れ。
マスタードガスに全身を焼け爛れさせた難民たち。
顔を伏せたまま陰鬱に出兵していく兵士たちと、
そして道端で朽ち果てたまま放置された負傷帰還兵たちの姿。
灯りが消え、ガラスを割られ、瓦礫の山と貸した街中。
薄汚れた兵隊、浮浪児、娼婦、盗賊、チンピラ、そしてどこから漂うヘロインの香り。

そこはまさに、焼け跡というにはあまりにも精彩を欠いた、
ドサクサというにはあまりにも陰惨な、
憎悪と狂気が凝縮された光景。
誰もが憎みあい、誰もが殺し合い、
誰もが狂気にすがるしか正気を持ち得なかったあの街。

アラーは偉大なり、アラーは偉大なり、アラーは偉大なり、

繰り返されるアザーンと、それに密閉されるように押し黙って行く人々。

死に物狂いでバスの切符売り場に齧りついては、
異教徒に席はない、と跳ね返される日々。

俺はあの街に閉じ込められた。
逃げ道を塞がれ、そしあの街の狂気の中に密殺されようとしていた。

そんな最低最悪のトラウマ世界の中から、
このひとりの異教徒である俺を救出せんが為に、
命をかけてくれた恩人たち。

日本人、お前に罪はない。
もしももしも、生きて帰れて、
そして、いつかいつか、この土地に帰ってくるようなことがあれば、
その時には、この地の本当の素晴らしさ、
美しい女たち、美味しい料理と、そしてこの麗しきテヘランという街、
その本当の素晴らしさをもう一度、見つめなおしてくれ。

そんな数々のドラマの、その主役がすべてイラン人であったのだ。

そんなやるせなさが行き所もないままに、
ただただ虚しく空回りを続けていたのだ。

そしてあれからどれだけの日々が流れたのだろう。

ホメイニの革命から既に35年。
ラフサンジャニから、イランイラク戦争、そして核疑惑。
ついには、アフマディーネジャードなんていうバケモノ的にチンケな大馬鹿に翻弄される中、
悪の中枢の名指しされては西側諸国から隔絶されたまま、
この幾十年にも及ぶ迷走の果てに、
いまようやく、改革の光が見え始めているイラン。

果たしてあの、まさに非業と阿鼻地獄にのたうっていたあの中東のパリが、
あれからいったいどんな時を経てきたのだろうか・・・

それはまさに、忘れようにも忘れられず、
忘れられないからにますます辛くなる、まさにトラウマ。

と、そんな中、いきなり、かのCNNに、
なんと、その悪の中枢たるイランはテヘランのいまを伝える映像が飛び込んできた。

Anthony Bourdain の Parts Unknown という番組。






このパーツ・アンノウン、
アメリカの有名シェフ氏が世界各国の街々を歩いては、
そこで地元民たちと「美味いもの」を食らう、
というただそれだけの志向なのだが、

CNNで連想するような、政治がらみのやらせや思惑はいっさい無し(多分。

いなせなカーボーイ野郎風の板前さんが、
サンダル一丁で下町を散歩しながら、
通りすがりの街行く人々に、
おお、にいちゃん、この辺りに美味いものを食わせる店はないのかい、
なんて風に、訪ね歩いては、
そんな下町の定食屋の店先で、
ご当地料理に舌鼓を打ちながら、
そこに集う人々と世間話に興じる。

ただそれだけの番組である訳なのだが、

そう、そこにCNNの趣向が覗く。

つまりは、そんな何気ない一コマの中に、
そこに暮らす人々の素顔、つまりは本音が見え隠れする訳だ。

という訳で、テヘランである。

まさにそれは衝撃であった。
それがイランでなければ、なんてことはない、ただの旅行料理番組、
の筈であったのだが、

よりによってアメリカを代表するニュース局が、
なんと、米国の敵・ナンバーワンであるイランを訪れては、
そこで地元民たちと肩を並べて地元飯を喰らい、
へえ、そうなんだ、あんたらもてーへんなんだな、判る判る、
なんて世間話をしてしまっている訳だ。

まったくあり得ない、としか言いようがないのだが、
そのまったく信じがたい光景が、
まったくありふれた情景としてあっけらかんと映しだされている。

そこはまさにテヘランであった。
悪の中枢であるはずの、イランの首都・テヘランであった。

俺が垣間見てきたあのイスラム革命、そして、イランイラク戦争の泥沼の中、
闇と怒轟に沈んだテヘランとはまったく想像もつかないぐらいに、
まさに変わりつつあるイランが目に眩しいぐらいに飛び込んできた。

綺麗にお化粧をしたまさにめんたまが飛び出そうな程の美女達。
色鮮やかなドレス。咲き乱れる花、あるいは広告。
ファルシーのラップをがなるいなせな若者たち。
流暢な英語で世界経済の展望を述べる人々。
チャイハナで水パイプを燻らせては声高に時勢を論議する人々。

そこはまさに俺が見ることのできなかったテヘランの素顔。
人々が、まさに目を輝かせながら、
語り合い、笑いあい、歌い合い、愛しあい、
そして、目の前のご当地料理に、ハフハフと舌を焼きながら、
どうだ、アメリカ人、これ美味いだろう?なあ、美味いんだよ、
そう、美味しいんだよねえ、イラン料理、と満面の笑み。

俺の知り得なかった明るいイラン。
俺の見ることのできなかったテヘラン子たちのその溌剌とした笑顔。

これまで、鬼畜、悪魔、悪の枢軸 と蔑まれ忌み嫌われていた筈のこのイランの人々の、
この屈託のない様を前に、なあんだ、こいつらだってただただ普通に普通の人間じゃねえか、
思わず目からウロコ、
この番組を見た全てのアメリカ人が、そう思った筈だ。

そう、人間どこに行ったってまったく変わりないのだ。

どこに行ったって、どんな絵柄のお金を持っていたって、なんの神様を信じていたって、
男は女ばかり見ているし、女が集まれば男のうわさ話ばかり。
そしてなにより美味しいものが好きで、そして家族を愛し、歌を歌い、夜が更ければ安らかな眠りにつく。

アメリカ人だって日本人だって、中国人だって、そしてイラン人も、
そして、たぶん、ついこの間までのシリア人もクルド人も、まったく同じであった筈だ。

がしかし、ひとたびなにかの間違えで爆弾が炸裂してしまった途端、
あるいはまさに、悪の中枢たる悪魔の大王が降臨せしめたが最後、
そんな、まさにあっけらかんとして普通であった筈の風景が一瞬の内にどんでん返し。
そしてついさっきまで、街角のチャイハナで女の尻を目で追っていた男たちが、
とたんに狂気に目を血走らせて狂騒をはじめることになる。

いったいなにが、と思う。
いったいなにがどうしてそんなことになってしまうのだ。

そしていま、30年前のあの狂気の縁からようやくこの春の陽を迎えようとするイラン。
その人々の陽気な笑顔が、しかし、一瞬のうちに豹変してしまうことがもしあったとすれば、
その姿こそが、まさに、戦争の狂気、そのものなのだ。

世界中、どの国のどんな人々であっても、幸せに生きていて欲しい。

転がったボールを追いかけてははしゃぎまわる子どもたち。
瞳を輝かせた少女たち。いなせなあんちゃん。
下町のレストランでうんちくに花を咲かせる男たちと、
ぷりぷりと太ったやる手おばちゃんたちの嬌声が響く町。

それは世界のどの町でも見れる、
あるいは、そうであらねばならないあたりまえの平和の情景。

男の子は女の子に夢中で、
女の子たちはそんな男の子たちのうわさ話でくすくす笑い、
隣の奥さんが気になってしかたがない浮気男と、
そんな旦那の尻をつねりながらも、
ふと感じた視線にあれまあ私もまんざらではないのねとほくそ笑む人妻。

まあ良い。なんでも良い。とりあえず飯だ。
恋する少年もはにかみなお嬢さんも、浮気なとっつあんも間抜けな間男も、
とりあえずは美味しいもの食べようぜ。
さあ、かあちゃん、うまいものじゃんじゃん持ってきてくれ!

そんな姿は、ニューヨークでも、エルサレムでも、
テヘランでも、ベイルートでも、変わらない筈なのだ。

それ以上、なにが必要なのだ、と改めて思う。

イランに平和を、と改めて思った。

いや、そんな曖昧な、文切り調のとってつけたようなことばかりを並べててても鼻で笑われるだけだ。

おんな、と俺は敢えて言う。
女、オンナだ。

世界中どこに行っても、おんなは綺麗だ。

おんな、オンナ、女。

白くても黒くても黄色くても茶色くても、
そこにはそこの美人が居て、そんな美人はやはり、
どこの土地の美人も同じように一種の魔力を持って男たちを魅了する。

あの、素晴らしく綺麗な女の子たちの姿をずっとずっと観ていたい、
ただそれだけなのだが、ただそれだけのことを、心の底から願うばかり。

綺麗な女達が悲しむ様は見たくない。
少女たちを、笑っていてくれ。お願いだからその笑顔を絶やさないでくれ。

そう望むことになんの間違いがある?

まさか小浜さん、クーバについで、もしや、そんなイランとも国交再開か?
なんて噂を聞いては、まさか・・ あの伊豆が黙っていないだろう、とは思ってはいるものの、
こんな幸せそうなテヘランの人々の姿を見てしまった以上は、
その幸せに水を挿そうとする自称正義の味方さんこそが、
大間違えの悪の大魔王そのものではないのか、
と穿った考えが首をもたげてくるというもの。

そう、俺はただ、世界中の綺麗な女の子が、ただたんに綺麗にいて欲しい、それだけなのだ。

平和なんて簡単だ。

それを望めさえすれば良いのだ、というジョン・レノンの言葉をいま再び思い出してみる。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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