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ハレ~ハレ~、の春なのである。

Posted by 高見鈴虫 on 12.2015 ニューヨーク徒然
ニューヨークは春である。

まだ道端には汚れた残雪が積り、
ふとするとすぐに泥濘みに足を突っ込むことになるが、
しかし、とりあえずは春である。

いちいち邪魔臭い観光客の行列、
踊り狂うハレ・クリシュナ、
雑踏の真ん中で立ち止まってIPHONEを弄る間抜け。

まあ良い。春である。









そう、春。
交差点の信号で、思わず目を見張ってしまう春。
冬の間にしたためたそのたぷんたぷんの脂肪を、
これでもかと身体中でぶよんぶよん言わせたおねえさん方。
ああ、おねえさん、おねえさん、
あなたのだぶんだぶんに揺れるそのお尻こそが、
いわるゆひとつの春の訪れなのである。

そう言えば、セントラルパークの犬仲間に、
いやあ、なんか最近、ニューヨーカーもさすがにウエイト・ウォッチの成果か、
デブが減ってきたみたいだね、と言ったとたん、
お前なあ、それは地下鉄乗ってないからだろ、と一笑に附された。

地下鉄か、そうだよな、仕事辞めてからあんまり乗ってないよな。
という訳で、今日の俺は久々に地下鉄の人である。
冬の間、おざなりになっていた身体のメンテナンス、
つまりはブルックリンは奇跡のマッサージ師・レイモンド先生のところに向かうのである。

陽射しさんさんの大通りから、
まるで秘密の地下の洞窟へと向かうような地下鉄の階段を降りると、
まずはドブの匂いである。
そして強烈なアンモニア臭。
この下水道の匂いも、
そしてホームレスさんたちの芳しき体臭も、
つまりは復活の春なのである。

そして改めてニューヨークのこの地下鉄。

地下鉄に乗らないニューヨークはまさに天国、というわけであり、
つまりは、ニューヨークの不幸のそのほとんどがこの地下鉄に集約されている、
という事実を久々に痛感させられることになる。

むっとする臭気の立ち込めるホームに降り立った途端、
どうでもよいが、改めて、相変わらず、
どういつもこいつも、本当にまったく好き勝手な格好。

ファッションセンスというよりは、もう、
ただたんに、サルベーションアーミーの古着の棚から、
ど・れ・に・しよ~か・な、で選んだ服をそのまま着ているだけ、
にしか思えないこのあまりにもてんでんばらばらな人々。

まあ良い、そう、このどいつもこいつも思い切り好き勝手にやっている、
それこそがこの街の魅力のひとつ、なんて言われていたことさえもあったではないか。

ふと、日本からの駐在さんの言葉を思い出す。

ニューヨークって、ブスばっかりだよね。

まあ彼の言うニューヨークってのはぶっちゃけ、ニューヨークの日本人の女の子、
という意味なのだろうが、
果たして、そう、そのと~り! と相槌を打ってしまう訳だが、
それを聞いて、キャハハハと笑う女。

そうなんですよ~、あたしももうニューヨークに来てから、
もうぜんぜん身なりに気を使わない人になっちゃって、だそうである。

だって、これだけいろんなひとがいるんだからさあ、
もう、どうでもなんでもいいじゃんって気になっちゃって、
化粧もしない、どころか、ジャージーから半尻出したままどこにでも行っちゃようになちゃって、
いやあ、良くない良くない。

そう、それもニューヨーク。これもニューヨーク。

そういう俺だって、ドッグランで犬どもにもみくちゃにされたそのままの格好で地下鉄に乗っている訳で、
まあそう、人の事など言えた義理でもなく、だいたいこの街でヒトのことなど気にしているような辛勝な奴がいるのか、と。

がしかし、あらためて見れば、うーん、と唸ってしまう。
まったくなあ、である。
相変わらずの地下鉄である。
いつ来るのかも判らず、来たら来たですぐに停まり、いつ走り出すかも判らず、
そしてなにより、汚い、臭い、うるさい。
でその乗客たち。
思わず、な、な、なんだ、この貧乏臭い奴らは、な訳で、
その乗客のほとんどが、まるで見事に「デブ」である。

ニューヨークのデブ、相変わらずだよな。

今となっては、誰がなんといっても、肥満度は経済格差の顕著な表れで、
つまりは、貧乏人、
ぶっちゃけ、仕事もせずに生活保護で配給の食券の缶フードばかり食ってるゲットーな人々が、
もはや、豚、どころか、牛、どころか、まるで妖怪。
いまにも身体中がどろどろと溶け出しそうなぐらいに脂肪の塊りであったりもする訳で、

その隣には、仕事の途中にちょっとジョギング帰りのお姉さんが、
冬を通して鍛え上げたその見事なキュートなお尻を、
IPHONEの音楽に合わせてプリプリやっている訳で、
うーん、この残酷なまでの肥満格差、つまりはニューヨーク。つまりは地下鉄な訳である。

まあ良い。見たくないものは見なければ良い訳で、
いまさら他人がどうだなど俺の知ったことではない。

とかなんとか思っている内に、列車はイーストリバーを渡ってブルックリンに入る。

としたところ、ピン、とメッセージである。

去年の春に退職した会社の仲間のひとり。
あれから、まるで俺のツムジの髪が抜けるように、
そここそぞろぞろと人が辞めていった訳だが、
なんだかんだと、LINKEDINやら、FACEBOOKやらを通じては、
日々メッセージが飛び交っている訳で、

で、そんなひとりから、おい、UDEMY のセール、今日中だぞ、ってな話。

UDEMY?なんだそれ、と貼られたLINKを見てみれば、

UDEMY


ああ、WEBINARサイトである訳だが、そっか、その手が合ったよな。

橋を渡りきった地下鉄が再びトンネルに入り、またまたインターネットがダウン。

あのなあ、この時代、世界のどこに地下鉄でインターネットが繋がらないなんて馬鹿なことがそのまま続いている、
なんて都市があるんだよ、と。

でフリーズしたままのそのUDEMYのページをつらつら見ながら、

そっか、オンラインの教育システムかあ、これやってみようかな、と。

どうやら、このオンライン講座、今日中にエンロールすればなんと$10であるらしい。

このコースを取りまくっては、レジメの穴埋めに書き連ねれば、
なんとなくそう、なんとなくすっごくそれっぽくならねえかな、どうかな。

であらためてこのオンライン講座。

そう、アメリカは生涯教育社会なのである。
この胡散臭い上昇マンセー主義。
いくつになろうが、こりこりと自己学習、自己啓蒙を続けていない人間は、振り落とされる。
これを過当競争、やら、弱肉強食やら、と表現してしまえば確かにそうなのだが、
もはや暴走を続けるこの末期的資本主義社会の中にあって、
もう頼れるものと言えば、資格以外にはなにもない訳だ。

ちゅうわけで、わぁったわぁった、また資格取れってことなんだろ、と。

という訳で、冬をまたいで再会した奇跡のマッサージ師・レイモンド先生。

いやあどうもどうもとシャツを脱いだとたんに、おまえなあ、と苦笑い。

あっそう、その通り。

雪に缶詰にされていたこの二ヶ月間、俺は犬の散歩以外、なんの運動もしていない訳で、
体重もすでに15LB増。

腹にぼってりとついたこの脂肪。いやはや、これでは腰が痛くなるのも当然という奴か。

ちゅわけで例によって、その超人ハルクから身体中ミシミシと軋むぐらいに揉みしだかれた訳なのだが、

普段、マッサージの最中に流れている、ブライアン・イーノのアンビエント・シリーズ。

MUSIC FOR AIRPORT






これが、ふっと、切り替わって、いきなり、むむむ。。。




これ、尺八、じゃねえか。

どうだ? とウィンクするレイモンド師。 気に入ったろ? このサムライ・ミュージック。

サムライかあ。

で身体中揉みしだかれては、厳かに蘇りつつリンパ腺の流れに身を任せながら、

うーん、この尺八。まさに、竹の音楽。つまりは、山、そう、山の音楽なんだよな、と。

日本って山の文化なんだよね、実に、と思わずその日本文化の源泉に触れてしまった思いで、

そう、つまり、日本には平原がなかったんだよな、と。

とした途端、俺が日本を出て初めてみた地平線。

あの地平線の風景はまさに衝撃的だったよな、
まるで身体の真ん中に風が吹き込んで、そして身体が溶け出してしまそうな程に開放感があったよな、

とかと思って、
だったら、その平原性を体現化する音楽ってなんだろう、と思ってみたら、やっぱりそれはクラッシック。

例えばドボルザークとか、マーラーとか、ラフマニノフとか、あるいはワグナーとかになるのかな、とかと思いながら、






だったら、海、そう、俺の大好きな「海」を最も具現化した音楽ってなんだろう、と思ってみて、

ふと思いついたのが、おっと、それは ENYAだったりもする訳で、
ENYA? エンヤって海の人だったけ?と確かアイルランドとかそっちの人だった筈。

がしかし、まあ、良い、そう、海、海と言えばENYAだろ、と。





いやあ、カリブ良かったよなあ、またスキューバ行きたいなあ、で、犬をどうするかなんだが、と考えながら、

でもENYAの海って、やっぱりカリブ海であって、ヨーロッパではないよな、と。

で、ヨーロッパの海ってなんだろう、と思ってみて、ふと思いついたのが、SADE。





ああ懐かしいな、かみさんと出会った頃、この曲ばかり聴いていたよな、とか思い出して、
そう、なんの接点もないように見える俺とかみさん、
その共通点は、といえば、ふたりともに見事なほどの「海派」であったりもする訳だ。

そう、俺は山派の女が嫌いだった。
あるいは、湘南をちらちらしているような、なまっちょろい肌をしたシチーサーファーも嫌いだった。
そう、海、である。
海を体現する女を探していたんだ。
そう、なんだよ、うちのかみさん、まさに地黒の人。つまりはそう、海なんだよな、そうそう。

という訳で、改めて俺が日本を出てもぜんぜん寂しくもなんてもない理由ってのが、この文化的な趣向の違い。
つくづく俺は、このバンブー・フルートに象徴される日本の山文化が嫌いだったんだな、と思い至った訳だ。

とそうこうするうちに、いつの間にかうつらうつら。

で、ほい、と肩を叩かれて、終わったぞい、と。

じゃあまた、来週、と言われて、ええ、来週?

お前の身体、もうガビガビに固まっててまるで岩というよりは、材木みたいだぞ、と笑われて、
はーい、お金ないんで仕事探しまーす、と寝ぼけたままで歩くブルックリンのゲットー通り。

で、ふと取り出したIPHONEを見れば、おっと山のようなメッセージ。

そうそう、UDEMYだった。

という訳でこの$10コース。

地下鉄に揺られながら暇つぶしに目につくコースを眺めているうちに、
あれもこれもと思わずがっついて、山のように受講申請をしてしまったのであった。

これ全部マスターしちゃったら、それこそ俺ってまるで天才。

でもさあ、あらためて、
IPHONE片手に、地下鉄の中でも、交差点の信号待ちでもお勉強できるなんて、
まったく妙な時代になったもんだよな。
それってつまり、そんな四六時中を徹底的にお勉強に追い立てられねばならない、と。

世の中が便利になるってのは、つまりはそういうことなんだよな、はいはい。

ああ、こんな時にも、セントトーマスやら、イビサやらには、
まだ、ENYAやら、SADEとかがばちっと決まる、涼やかな風が吹いているんだよな。

俺、こんなところでいったいなにしてるんだろう、とふと考えこんでしまっては、

あれほど待ち焦がれていた春の風景に、心の底からうんざりこいていた訳である。



プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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