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誰でもなれるドリトル先生

Posted by 高見鈴虫 on 30.2015 犬の事情
このところ冗談半分とは言え「72丁目のドッグ・ウィスパラー」の呼び名が定着しつつあるのだが、
このドッグ・ウィスパラー。
犬に囁くもの、つまりは、ドリトル先生よろしく、犬と会話のできる人、という意味なのだろうが、
この犬との会話する能力というのが、実はあながち冗談とも言えなかったりもする、という事実を、
俺をドッグ・ウィスパラーと呼ぶ人々は知らなかったりもする訳だ。

そう、冗談ではなく、実は俺は犬と会話ができたりもする。

わくわく動物ランドのなんとかさんではないが、真面目な話、犬と会話をすることは実は十分に可能なのである。

と、そんなことを言うと、またまた~、と頭を小突かれるか、
あるいは、こいつまじで頭大丈夫か?とドン引きされたりもするのだが、
そんな凡庸な自称文明人たちにちょっとした戯言をご披露したい。





その昔、まだタイの孤島がリゾート開発によって荒らされるそのずっとずっと昔、
俺は、そんな無人島の様な島のビーチで日がな一日マリファナとそしてマジックマッシュルームでらりぱっぱの日々を送っていたのだが、そう、このマリファナとそしてマジックマッシュルーム。
この自然界の齎す魔法によって、俺は自然、つまりは神=地球意思との対話、とまではいかなくても、
その実存を確信するような稀有な体験を日常的に続けていた訳で、
そんな生活を続けること2ヶ月三ヶ月、
そんなこんなするうちにいしか、犬、あるいは、猫、あるいは、鳥、そして椰子の木たちの会話が、ありありと聞こえてくるようになっていた。

まあ、会話が出来る、というと、じゃあなにか、お前は鳥と、原発の是非、或いはTPPの社会的影響について討議を交わすわけかい、と言われるともちろんそんなこともないのだが、
そう、マリファナを吸ってビーチに寝転び、何一つとしてなにも不安もやることもないような、脳みそからんからんの状態で、そして目の前にいる鳥達をじっと見つめていると、
それはまるで、ステレオグラムの中から3Dの映像が浮かび上がってくるように、
その鳥同士の社会性、とそして鳥一羽一羽の個性というかパーソナリティが手に取るように判ってくる。

仲良しさん同士がちゅっちゅくちゅっちゅくと乳繰り合っているところにやってきたおじゃま虫。

ねえ、なにやってんの?とちょっかいを出しては、
なあなあ、姉ちゃん、そんなやつほっといて、俺と遊ばんけえ、と絡み始めては、
やあねえ、こいつ、がらワル、と眉を潜める可愛い子ちゃん、と、
おい、君、やめろよ、失礼じゃないか、と岩清水するハンサムボーイ。
っせえ、このやろう、なんだよ、やるのかよ、となおもちょっかいを出し続ける輩に、
ふん、行きましょう、といきなり飛び立つ可愛い子ちゃん。
おーい、待ってくれよ、と後を追いながら、
なんだよ、ばーか、おじゃま虫が、と捨て台詞を残して飛び去るハンサム君。

そして一人残されたおじゃま虫。
けっ、なんだよ、くそったれ、とふてくされて頭の上をコリコリと掻いていたりする訳で、
とそんな時、鳥と、そしてその見物人である俺とふと目が会う。

やーい、嫌われてやんの、と笑えば、そんな俺を鳥が見ている。

なんだ?お前、見てたのか?ときょとんとして首を傾げるのだが、
そんなおじゃま虫の鳥。
なんとも可愛らしくも思わず似たものを感じてしまったりする訳で、
なあ、兄弟、まあそういうこともあるぜ。まあそんなところで腐ってないでこっちに来て一緒に涼まねえか、
とやれば、
まあそうだな、と溜息を一つ、そして首のあたりをこりこりと掻いてから、
あら不思議。
ちょんちょんちょん、と砂浜をやって来ては、俺の目の前までやって来ては、こんにちわ、とやったりする訳だ。

で、鳥ドン、お近づきのしるしになにか差し上げたいが、あんたはなにが好きだね、
と指の先にパイナップルの欠片、やら、食いかけのクッキーなどを出せば、
おお、ご馳走ご馳走、とそれを啄み始め、とそんなこんなでこのおじゃま虫の鳥は俺のことをまさに覚える。

で、事あるごとに俺の姿を見つけては、よお、兄弟、友達連れてきたぜ、と遊びに来るわけで、
そうこうするうちに、あの可愛い子ちゃんもハンサムボーイも一緒になって、
ちーっす、このおじゃま虫から聞いたんですけど、あんた俺達の言葉が判るんだって?
とやって来ては、いつの間にか肩やら頭の上やら背中の上に乗ってはちゅっちゅくちゅっちゅく。
そのうちにうんちのおみやげなんてものまで残すようになって、いつしか俺はすっかり鳥のおにいさんと化している。

とそんな中で、鳥の中にもパーソナリティがあって、気の合う奴、気の合わない奴ってのがいるのだが、
いつの間にか、俺の相方の肩にはいつもかの可愛い子ちゃんが止まるようになっていて、
そんな可愛い子ちゃんの前で、かのハンサムボーイが愛の歌を奏でては、ちゅっちゅくちゅっちゅくと飛び回る。
で、そんなハンサムボーイに知ってか知らずか、焦らせながらも悪い気はしない可愛い子ちゃんも、
控えめながらも、ちゅっちゅくちゅっちゅくと、愛の歌を返し始める訳で、
俺の相方はそんなラブラブな恋の歌を一日中聞かされてはまさにウキウキ気分。

で、そんな二人を俺の頭の上に乗ったおじゃま虫が、けっ、いけ好かねえなあ、と舌打ちがてらウンチなどしていく訳で、バカタレ、お前、と追い払えば、はは、悪い悪い、と肩から腕からと飛び跳ねてははしゃいでいる。

とまあ、そんな夢の様な、というよりも、戯言のようなことが実際に普通に起きていた訳で、
誰に言っても信じてもらえないが、そう、これはまさに、紛れもない事実なのだ。

とそんな時、足元から顔を出す犬。
ああ、暑いなあ、退屈だあ、とまさにだれ切った表情で、にいちゃんなんかくれや、腹減った、といかにもガラの悪そうな、しかし見るからに意思の弱そうなチンピラ風。
人間と言わず犬と言わず鳥と言わず、俺の周りにはやはりどうしてもこういう輩が集まってきてしまうところがあって、がしかし確かに俺もそういうところがあったりなかったりする手前、同類同士で邪険に追い払うわけにも行かず、
おお、犬ドン、久しぶりだな、水でも飲むか?とやれば、
おお、悪い悪い、喉乾いてたんだ、助かるなあ、と俺の手から水を飲み始め、
なあ、兄弟、どうせならそのテーブルにあるそのなんだ、なんか食い物みたいなの、ちょっとくれたりしねえかな、
とたちまちくだを巻き始める訳で、うっせえこら、これは俺のだ、とやれば、なんだよ、けち臭い、ちょっとぐらいくれても良いじゃねえかよ、とすぐにへそを曲げるところなどもまさに俺そっくり。
とそんなところを通りかかったこの辺りのボス犬。
そんなボスには一応俺の方からも仁義を切る訳で、やあ、ボスの旦那、元気かい、と声をかければ、
おお、日本人の旦那、お元気ですか?とボスはやはり人間との付き合いでもそれなりに礼儀がきちっとしている。
で、頭を撫でて胸を撫でて、身体についた砂などを叩いてやれば、おおきにおおきに、としっぽを振ってはそんな俺の腕から顔からをぺろぺろと舐めて仁義の交換。
とそんな風景を、さっきまでのチンピラはちょっと肩を狭くしては隅っこに引っ込んでいる訳で、
なんだよお前、さっきまでの図々しい態度がボス犬を前にしたらいちころじゃないか、と笑えば、
けっくらだねえ、とそっぽを向いた途端、おい、とボス犬に睨まれるチンピラ犬。
おめえも犬の端くれなら、ちゃんと礼儀を弁えねえか、と諭されて、
へいへい、といやいやながら頭を差し出しては、さあ撫でておくんなさい。
そんなチンピラ犬をなでなでとやれば、いやいやながらも手のひらを舐めては、悪い気はしないよう。
で、テーブルに残った朝食のパンケーキの欠片を、ボスに、そしてチンピラ犬に差し出せば、二人揃って満面に笑み。
おおきに、おおきに、と千切れんばかりにしっぽを振っては、
な、犬同士でも人間同士でも、礼儀が大切なんだ。判ったか?と諭されるチンピラ犬。
へいへい、判った判った、とやりながら、やはりボスには頭が上がらず、さあ行くぞ、と促されてはその後ろをしぶしぶと着いて行く。
じゃな、またな、と声をかけると椰子の木陰から振り返った犬。
まさに人間が、じゃあ、と手をふるのとまったく同じように、小さく顎をしゃくっては、ではまた、とご挨拶。
そうなんだよねえ、人間も犬もそして鳥も、やってることは人間と変わらない、ってことがまさに目に見えて判ってくる。

という訳で、この日々ハッパらりらりの無人島体験の中、いつの間にかすっかりと犬、あるいは鳥達との親交を深めてしまった訳で、いつしかそんな動物たちの気持ちがまさに手に取るように判るようになってしまうようになった、とい次第。

という訳で、犬にしろ鳥にしろ、そして人間にしろ、その根本にあるものはまさに思いやり、なのである。
相手の気持ちを汲んでやること。
相手を敬い、そして、相手の気持ちを思いやる、この思いやりこそが、まさに生きとし生けるもののその根本な訳だ。

動物たちにその思いやりの心を開いた途端、動物たちの会話がまさに不思議なくらいに鮮明に聞こえてくることになる。

という訳で、ドッグランと言わず、セントラルパークと言わず、俺の姿を見かけた途端に一斉に走ってくる犬達。

やあやあ、元気だったかい、と挨拶をかわせば、なになに、足が痛い?どれどれ見せてご覧、ああ、ちょっとパウにひびが入っているな。よし待ってろ、飼い主に言ってやる、と、飼い主さん、あなたの犬のパウがちょっと割れてきて痛いと言ってるので、薬を塗った後にローションをつけてあげて貰えますか?
とそんな会話を、犬がまさに嬉しそうに見ている訳で、ああ、はいはい、これですね、判りました、ありがとう、という人間同士の会話を犬もしっかりと理解している。
わーい、ありがとう、ありがとう、と盛んにお礼を言う犬に、なあに、また困ったことがあったらいつでもおいで、と身体を擦ってやるわけなのだが、そんな俺達を他の犬もじっと見ていたりする。
で、あのぉ、すみません、実は僕も、とやって来たブラック・ラブラドル。なに、君はどうしたの、ああ、歯が痛いのか、どれどれ、とやれば、まさに自分から口を開ける犬。ああ、これかあ、これはちょっと厄介だな、えっと、この子の飼い主はどちらですか?

という訳でそう、あの無人島らりぱっぱ生活以来、そんな動物たちが引きも切らなかったりもする訳で、
かくして俺が、72丁目のドッグ・ウィスパラー、と呼ばれるのは実にそういう理由があってのことなのである。

とまあ、言わせて貰えば、そんなことができるからと言って人間生活の上ではクソの役にも立たない訳なのだが、もしもそんなドリトル先生のような能力を身につけたい、と切望する物好きな御人がいるのであれば、俺なりの方法論としては、まずは自然に包み込まれてしまうこと。

例えば、誰もいないビーチですっぽんぽんになり、心の底から身体のひだというひだからすっかりと自然の中に包み込まれた状態で思い切りハッパを吸ってからんからんのラリラリ状態。
自分とそして地球との関係を宇宙からの視野の中で再確認をすることが出来た時、
自身がまさに地球という巨大な意思のその細胞の一つであり、そしてこの犬も鳥も椰子の木も、
海も風も全てがその巨大な地球という意思の一つとしてつながっているのだ、という事実を体験的に感じとることができれば、まさに呆気ないぐらいに自然と対話する能力が身について来る、ということだけは確かなのだが、改めて言わせて貰えば、そんなことが出来たからと言って別になんの役に立つ、ということでもないですよ。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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