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伽藍の虚城

Posted by 高見鈴虫 on 27.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
ふとしたことで、アップステートの、
すっげえお金持ちとやらの大邸宅に招かれたのだが、

これがフェラーリ、あっちがポルシェ、
その壁にあるのがピカソでウォーホールで、もちろん原画。
で、この壁にあるのが、じゃじゃーん!
キース・リチャーズのフェンダー・テレキャスター。
もちろん本物サイン入り。
どうだ、うやらましいか!

と散々やられた末に、ふと迷い込んだ書斎。

マホガニーだか大理石だかの超立派は本棚に、
置かれていたのはなんと、永遠のマル、のみ。

なんでよりによってこんな糞みたいな本を、、と思わず聞いてみれば、
あっそれ?貰ったんだよ、とのこと。
どこぞのなんとかパーティとかで顔を合わせた際に、
暇つぶしに話し込んでみたら作家先生とのことで、
サイン入り、とかで贈呈されたそうなのだが
まだ読んでないんだよね、で、どんな本なの?
とあっけらかんと聞かれて思わず大苦笑。

読むな読むな、馬鹿になるぞと笑いながら、
お前、こんな立派な本棚作って、実は本なんか一冊も読んだことねえんだろう、
ってのが見え見え。

この大金持ち、実はインターネットビジネス界の巨人として、
ビジネス書やら経営指南書やら経済なんたら書、なんてのを
いくつもご執筆もされているはずなのだが、
つまりは、もしかしてこの人の本ってのは、
こうして酔っ払って適当に大口叩いているのをありがたく口述筆記、
あるいは、名前貸しているだけで、
中身はすべて編集者のゴーストのでっちあげ、なんだろうな、
と確信してしまったわけで、
まったくお金持ちってやつは、すべてが銭づくしのそろばんずくなんだよな、と心底苦笑い。

ちゅうわけで、どういうわけか俺がこのこの大金持ち先生に、
何故かついついタメ口をきいてしまう理由ってのがわかった気がする。

つまり、いくらお金を持っていても幸せそうに見えない、というか、
まあ幸せの志向が俺とまったく異なっているからなのだろうな、
と思い至った訳だ。

確かに大邸宅に住んでいたり、別荘をいくつも持っていたり、
ポルシェだフェラーリだ、ビトンだシャネルだピカソの原画だ、
ってのは目を惹くには惹くのだが、
だからと言ってそれがうやらましいか、と言われれば、
は?と思ってしまうのは、
つまりはそのコレクションに一貫性がない、というか、
ぶっちゃけ、そのブランド名をかき集めているだけなのだろうな、
と底が開けてしまう訳で、
つまり、そのコレクションに知性の裏付けがない、というか、
金で買い叩いた、という以外には、
なんのストーリー性さえも見つけられないものには、
ロマンもへったくれもあったものではなく、
つまりはそれは、宝物にもコレクションさえにもなりえない、と。

というわけで、その幸せ指向のすれ違いとは端的に言ってなにか、と言えば、
つまりは知性なのではないかな、と思った次第。

知性ってなんだよ。
幸せが知性だって?笑わせるなよ。
そんなもの金もって初めてだろうが。
おととい言ってろよ、
と言われる気持ちも判らないでもないのだが、
だがしかし、
知性のないところにいくらなにを積み上げても
そこはしかし伽藍の山という気がついついしてしまうというのも事実じゃねえのか?

それに見ろよ、
超豪華音響システムがあっても、聞いている音楽がAKB48だけ、
だってそれしか知らないから、ではなんの意味もなく、
名前も知らない名画や名書を飾ってみたところで、
その絵そのものが好きでもないのであれば意味などないではないか。
つまりそういうこと。
知識の裏付けがない限り、なにを見てもなにをやってもなにを所有しても、
ありがたみがなさすぎる、と。

というわけで、
そんな大金持ちの、オレサマ節の大口面を眺めながら、
改めて俺自身にとって幸せとはなにか、
あるいは、その幸せの根幹となるべき、
知性とはなにか、と考えて観る上に、
ぶっちゃけ、それって、本を読んでいるか、どうか、なのだな、
と端的に気がついた。

そっか、この大金持ちが、
これだけ大口叩きながらちっとも幸せそうに見えないのは、
つまりは、本を読んでいないからなんだよな。

ちゅうわけで、
なんだよお前、失礼なやつだな、俺の話、聞いてんのかよ、とおかんむりのお金持ち。
これだけ見せびらかしてるのに、ちっとも羨ましそうな顔しやがらねえでさ。
そんなことじゃ、一生金持ちになんかなれねえぞ、というきついお言葉。

金持ちになるにはな、まずは、金を愛することだよ。
金かねカネ、マネマネマネマネ~
寝ても覚めても金のことしか考えられないぐらいに、
お金お金お金を愛し、それを心の底から欲すること。

ああ分かった分かった、と。

ただな、と俺も一言。

俺は幸か不幸か、それほど金持ちでもなく貧乏でもないちゅうと半端は家庭に育ったもので、
それほど金かねカネを愛する気持ちにはどうしてもなれなくてよ。
それだったら、金で買えないもの、にこそ価値を見出そうとするような、
ちょっとひねくれたところがあったりもするわけっでさ。

なんだよその、金で買えないものってのはさ。
言ってみろよ、俺が買ってやるぜ、とまた憎まれ口。

例えば、俺の雑種の犬。

ああ、あの、やたらとこまっしゃくれた面した狂犬か。

そう、そのやたらとこまっしゃくれた面した狂犬のブチ犬。
あんな犬、どこにでもいるだろうが、しかしあいつだけは世界に一匹しかいない、俺だけの大親友。

ああ、分かった分かった。でもな、もし俺が犬を飼うなら、
ちゃんと血統証付きの、それこそコンテストで優勝できるようなやつを飼うががね。

どんなちゃんと血統証付きの犬でも、性格が合わなかったらどうしようもねえじゃねえか。

わかったわかった。お前はしょせんそれぐらいの奴だよ。雑種の野良犬をかわいがって一生を終えるんだ。

あるいはテニス。

テニス?

そう、テニス。
お前、テニスやったことあるか?

ああ、リゾートホテルで何度かレッスンを取ったけどな。

こんど試合やろうか?

試合?

そう、どうせなら金かけてやろう。
1ドルでも5ドルでもいい。
テニスボール一缶でも、ガムボールでもいい。
その試合にお前が勝ったら、俺はお前のこの瓦礫の山のコレクションを心の底からうやらましがってやってもいいよ。

で、お前が勝ったら?

そのときには、たぶん、お前は俺の言うことが理解できるまで、テニスにのめり込むことになる、と思うね。

つまり?

つまり、そう、テニスだよ、テニス。
フラットのサーブがTの字に突き刺さるあの爽快感と、
サイドにトップスピンで振られたボールをジャック・ザ・ナイフでダウンザラインに弾き返すあの快感。
テニスだよ、テニス。お前、そんなくだらない銭もうけなんかやってねえで、テニスやれよ。
不眠症も不安神経症も、バイアグラも抗鬱剤も、すべてテニスをやればすぐに夢のように忘れちまうぜ。

テニス?お前がフェラーリにもピカソにもビビらないのはつまりはそれか?

お前がその財力で、フェデラーとワンセットマッチを買ったってんなら死ぬほどうやらましだろうがな。
フェデラーのトップスピンがどれだけ凄まじかったか、フェデラーのサーブがどれだけ早かったのか、
それを身をもって経験したってんなら話を聞かないわけでもないけどな。

おお、そこまで言うならフェデラぐらい買い取ってやろうじゃねえか。

それを言う前に、お前自身がどれだけテニスを理解できるかってのが必要なわけでさ。
その本質を見極めるためには、自分自身がその本質を見極められるところまで至らなくっちゃいけないわけで、
あるいは、自分自身のそのレベルこそが、どこまでそれを理解することがができるか、の限界でもあるわけでさ。
自分自身がある程度のレベルに達しないとそれを正しく理解することさえもできないはずだろ?

そっか、テニスか・・・

というわけで、8時を過ぎて、見渡す限り夕暮れの中、
暮れなずむ大邸宅にひとり残ったその大金持ちに別れを告げて、
俺はちょっとしてやったり、といい気になって帰りのフリーウエイ、
ストーンズなんぞを口ずさんで居たわけではあるが、
このポンコツのアコード、ちっとも走りやがらねえ、
くっそ、やっぱフェラーリ羨ましいな、と思ってしまったのであった。


プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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