Loading…

伽藍の虚城 そのに

Posted by 高見鈴虫 on 27.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
最近、知人宅を訪ねるにあたって、
まるでモデルルームのように整然とした部屋が増えたな、と思っていたのだが、
果たしてそんな小綺麗な部屋と我が家の差というがなにか、と言えば、
ぶっちゃけ、本、な訳である。

日頃から常々、我が愚妻がぶりぶりと文句ばかりを垂れているこの古本の山。

あんたねえ、こんな古本、いつ読むかも知れないでさ。
なにが悲しくてわざわざ高い家賃払いながらこんな古本に埋もれて暮らさなくっちゃいけないわけ?
つまり、この古本の占める面積にいくら家賃を払ってるかってことなのよ。
ねえ、判ってるの?

というわけで、
改めて、本、こそが21世紀的な表層生活の大敵。
まさに、前世紀、昭和の時代の悪しき遺産、という訳なのであらう。

というわけでこの21世紀、
改めて、訪ねる家々にも、本のない部屋が増えたな、と思う。

本のない部屋は、見栄えはまるでモデルルームのように整然として整理整頓されて、
な訳なのだが、そこにやはり、血の通ったものを感じられない訳で、
そんな本がない部屋、
俺的にはそれはまさに、愛のない場所。
そんなきれいさっぱり整然としたモデルルームに暮らしながら、
その家主の胸の内の殺伐さを、思わず見せつけられたような気にもなってしまう。

というわけで、
あらためて、その一見して美術館のような美しい部屋を見渡しながら、
がしかし、果たしてこの家に住みたいか、と言うと、えへへへ、と首を傾げてしまうわけで、
で、改めて、
俺自身に取って、幸せな場所とはなにか、と考えるに、
それは、やはり見栄えの美しさ、やら、所持品のコレクションやらではなく、
つまりは、そんな様々なものに、どれだけ愛が宿っているか、ってことなんじゃないのか、と。

で、そんな様々なものに対する愛、
その愛の根幹をなすものとはなにか、と言えば、
それは、まさしく、知性。

で、その知性、とはなにか
あるいは、俺がよく言う、頭が良いの悪いの、ってのが、
いったい何に根ざしているか、と言えば、
ぶっちゃけそれって、本を読んでいるか読んでいないか、と、
ただそれだけなんだなっていう事実にはたと気がついてしまった訳だ。

そっか、俺って、人の価値を、本を読むか読まないか、だけで判断してたのか、
と改めて苦笑い。

でそう、最近、なんか面白い奴との出会いがないよな、と思っていたその理由は、
ぶっちゃけ、そう、本を読む奴がいなくなってしまったから、にほかならぬ、と。

で今更ながらこの活字離れのご時世。

本を読むどころか、近頃では、映画はおろかテレビさえも見ないゲーマーばかりになってしまった訳で、
つまりは、インターネットにばらまかれた情報の細切れ、
美味しいところだけ切り貼りした寄せ集めばかりが氾濫する中、
ますます知性に欠ける方々ばかりが蔓延してしまっている訳でさ。

なんとなく、最近の奴らってみんな動物霊に憑依されたような奴が多いな、
とは常々思っていたのだが、それもつまりはそういう理由だろう、と勝手に判断。

で、改めて、
本を読んでない人の瞳はすぐに判るな、とは常々思っていた。

本を読んでいない人間。
それは、人間というよりは動物に近い。
つまり思考よりも直感を信じ、
感性よりも感情が行動原理となるタイプの人々ということ。

犬だって猿だって、言語は使わないまでも立派にコミュニケーションはとっている以上、
人間と野獣との差、と言えば、まさにこの活字媒体から情報を得ることができる、
その伝達能力にある訳で、
本を読まない人はやはり人間足らずってのが俺の持論であった訳なのだが、
最近富みに、生まれてこの方、本を一冊も読んだことがない
ってな人間もどきに周囲に氾濫する事実を目の当たりにするに、
そんな本を一冊も読んだことがないタイプに共通するのは、
ぶっちゃけ、人間もどき、というか、野獣半分。
何事も直感だけで物事を判断しては、
感情論だけで突っ走ってしまうタイプということなわけで、
論理性に欠け、構築的な思考がまったくできないまさに狐火思考の方々。
その根源にあるのは、つまりは読書、
活字から情報を読み取る読解力という能力を身につけることができなかった方々が、
感覚論ばかりを大口叩いては大手を振るってしまっているからに他ならないのではないのかな。

そういえば、永遠のマルとかを描いた某ベストセラー作家先生の物言いが、
どうもこう、なんとも品位に欠けるのも、
つまりあの大先生、ベストセラー作家でありながら、
本なんかろくに読んでいなかった、
あるいは、文章を飯の種としてコピーペーストを繰り返しているだけで、
しっかりと文学を愛したことさえもなかったからなんじゃないのかな、と。

愛を知ることのできなかった可哀想な輩が、
その空虚さの穴埋めに目先の権威やら利権に狂走しては、
虎の威を借りた高笑いを響かせる姿ほどにえげつないものはないわけで、
つまりあの大先生がここまで忌み嫌われるのもつまりはそういうことなんだろう。

つまり、人間半分。直感と感情論だけでひた走るえげつなーい品位が丸見えの、
あの動物霊に憑依されたような無様な醜態も、実はその辺りに原因がある、と思われ。

というわけで、夜の静寂にカーテンを開け放ってみろ。
百鬼夜行の呪われた島国の至る所を、狐火の飛び回る様が目に浮かぶようだ。

活字を失った人間たち。
それはつまりは、動物への退行である、ということを思い知るべし。

と同時に、本を一冊も読んだことのないような人間の言うことを、信じてはいけない。
そいつは人間もどきの動物半分。
多分その脳みそ隙間に動物霊に入り込まれた狐憑きに他ならないのだから。

ちゅうわけで、
21世紀の表層生活など糞食らえだ。
俺はなんと言われてもこの糞古本は捨てねえぞ、と心に誓うわけである。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム