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犬を飼って、生まれて初めて幸せを知った

Posted by 高見鈴虫 on 14.2015 犬の事情
アッパーウエスト73丁目の3ベッドルームに住む辣腕弁護士のピーターさん。
一見して、弁護士、というよりはまさに、ヤクザそのもの、な訳だが、
そんなピーターさん、今日も今日とて、
ラブラドードゥルの子犬を連れてのお散歩である。

朝いちばん、会社に出かける前と、
そして、残業もそぞろに飛んで帰っては、
シワだらけの仕事用のワイシャツからネクタイを毟り取ると、
革靴はそのままに、ズボンだけは短パンに履き替えて、というスタイルで、
夕暮れの広がるリバーサイドパークへの階段を駆け降りてゆく。

そんなピーターさんは実に幸せそうである。

身体中からこれでもかというぐらいにまで、
現代社会の汚濁やら苦渋やらがどろどろと染みだして来そうなその風体からすると、
白い子犬を連れて走るピーターさんの姿は、
ちょっと見、グロテスクなぐらいに似合わないのではあるが、
だがしかし、
そんなピーターさんは、実に実に、幸せそうなのである。


すでに60を前にしたピーターさん。
お決まり通りのハーバード・ロー・スクールから、
ウォール街の巨大金融会社の顧問弁護士を歴任してきた。
がしかし、2008年からのサブプライム危機に始まって、
その輝かしいキャリアはあっさりと瓦礫の下敷き。
その後は会社を転々。
なんとか職にありついては解雇されてを繰り返す受難続きの日々。

失業中に鬱々として部屋に篭ってばかりいるピーターさんを見るに見かねて、
奥さんのジャクリーヌさんから、
ねえ、犬でも飼ってみれば?と勧められたのが犬を飼ったきっかけらしい。

それまで、ピーターさんは犬を飼ったことがなかったと言う。

犬なんてものを飼っている奴の気もしれないし、
そもそも犬なんてものに、それほど沢山の種類があることさえ知らなかった、という具合。

で、どんな犬がいいかしら?
どんな犬って、犬なんてなんでも同じだろう。

そんな風だから、最初にやって来た白いラブラドードゥルの子犬。

猫かわいがりするのは良いのだが、躾などしたこともないどころか、
犬に教育が必要などと考えたこともなく、と言った風で、
案の上、その子犬。
問答無用に元気が良いのはいいのだが、
いつまでたってもお座りもお手もできずに、
ドッグランに放した途端に呼んでも叫んでも怒鳴っても振り返りさえしない。

吠える噛み付く逃げまわるとやり放題で、
挙句にフェンスの上を飛び越えて走りだした途端に夜の野原をまっしぐら。
憐れ高速道路のフェンスさえも飛び越えて。。。

やって来たばかりの子犬が僅か3ヶ月を待たずに急逝してからと言うもの、
ピーターさんは泣きながら過ごしていたらしい。

あの鬼のような顔をした辣腕弁護士の目に涙?・・・

夜も眠れず食も進まず、そんなピーターさんのあまりの悲嘆ぶりに、業を煮やした奥さん。
こんなことではせっかくありついた仕事さえも失いかねない、とばかりに、
悲しみに暮れるピーターさんの静止も聞かずに、
えいやあ、とまた別の子犬を買ってきてしまったのだ、ということ。

という訳で、泣きはらしていた鬼のピーターさんに再び笑顔が戻った。

今度という今度は失敗はしない。
あの子の悲劇を繰り返してはいけない、とばかりに、
ドッグ・トレーニングの本を買い漁り、
その腰にはどんな時でもトリート袋。
待て、お座り、お手、から始まって、
ニューヨークで一番と評判のドッグトレーナーを雇っては、
朝な夕なに散歩散歩散歩の毎日。

という訳で、夜更けのドッグランで、
再びそんなピーターさんと顔を合わせる。

この人、仕事に行っている時以外は、
もう徹底的に犬の散歩ばかりしているようじゃないか。
いやあ、関心関心。

で、そんなピーターさんをベンチで見守る奥さんのジャクリーヌさん。

実は4番目の奥さん、とのことで、既に初老に近いピーターさんの、
まさに、娘か、あるいは、孫にしか見えないという、罰当たりなまでにピッチピチの美女。

そのジャクリーヌさんが、砂だらけになって子犬にボールを投げるピーターさんの姿を眺めながら、
顔の周りをふわふわと舞い始めたやぶ蚊を払うのも忘れてニコニコと笑っているばかり。

あのね、とジャクリーヌさん。

ピーターがね、犬を飼って、生まれて初めて幸せだって、思ったんだって。

まあ犬を飼うのは幸せなことだけどね、と返す俺に、

違うのよ、とジャクリーヌさん。

僕は犬を飼うまで、自分が幸せだなんて、思ったことがなかったんだ、って。
ねえ、それを私の前で言っちゃうって、すごく失礼なことだと思わない?

あの子とボール投げをしている時にね、本当の本当に僕は幸せだ、って思えるんだって。

まあでも、確かにピーターさんは幸せそうだよな。

そうなの。それまで犬なんて飼ったことどころか、そんなこと考えもしなかった筈なのにね。

前の子はそれでも、顔は舐めさせない、とか、毛が落ちるから部屋の中ではケージに入れる、とか言ってたんだけど、
今のあの子はね、もう、それどころか、ベッドの上にあげて毎日添い寝してるのよ、信じられる?

まあでも、と確かに、そういうのってあるかも知れない。

まさか、あなたもそうなの?

ああ、確かに、俺もこの犬と初めて公園を一緒に走った時、ああ、幸せだな、と思ったな。

口を広げて赤い舌を踊らせながら、目をキラキラ輝やかせて、
踊るように飛ぶようにぴょこぴょこ走ってくる姿を見てるとさ、
もう、本当に、心の底から、幸せだな、って。
ああ、俺はこれがやりたくてこれまで生きていたんだなってさ。

ああ、やっぱりね、とジャクリーヌさん。やっぱりあんたたちそういう人種なのよね。

ジャクリーヌさんは犬は可愛くないの?

可愛いわよ、もちろん。でもね、とふと遠くを見ながら深い溜息。

とそんな中、泥だらけのボールを咥えたままいきなりジャクリーヌさんの膝の上に飛び込んで来た子犬。

きゃあ、と悲鳴を上げながら、こいつめ、やったなやったな、と身体中を撫でまわしては顔中を舐められて、
いつの間にかジャクリーヌさんも砂だらけ。

可愛いわよ、もちろん。こんなに可愛い生き物が世の中にいるなんて知らなかったってぐらいに、可愛くて可愛くて可愛くて。

私もそうかも知れない。犬を飼うまで、これほどの幸せを手放しに実感できたことなんてなかったかもしれない。

幸せか、と思わず、隣りに座る我が犬の肩を抱く。

お前は幸せか?

もちろん、とばかりに鼻先を舐める犬。
振り返れば、にかっと大口を開けては、はっはっはっは、と笑ってばかりいる。

確かにな、これほどまでに手放しに幸せな顔をした生き物ってのも他に見たこともない訳で、
そしてそんな幸せな犬達の笑顔に包まれた人間たち。

犬を飼って初めて、ああ、幸せだな、なんてそんなことが、
平気で口に出せてしまえるようになった、という訳なのである。

犬を飼って、初めて幸せだなって思えた、か。
確かにな、俺も実にそのとおりかも知れない。

つまりそれが犬を飼う理由なんだよね。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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