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ねじまき鳥再読 ~ かみさんの里帰りした時に読むにはうってつけの本

Posted by 高見鈴虫 on 28.2015 読書・映画ねた
失業中でかみさんが里帰り。
空虚な部屋に犬と共に残されて、というこの状況、
なんかどっかで見たことがあるぞ、と思ったら、
あ、そっか、そのシチュエーションって、ねじまき鳥クロニクルじゃないか、
と思い当たって、そう思うとなぜか無性に読みたくなって、
結果、
かみさんが帰るまでのその空虚な時間をまさにまるまる、
思い切り持って行かれていた(笑






このねじまき鳥クロニクル、
すべての春樹本は、実は発売とほぼ同時に読んでいて、
で、その軽い熱狂の中で一挙に読み終えては、
実はそのまますっかり忘れてしまって、というパターンが多かったのだが、
例外的にこのねじまき鳥クロニクル、
実は、三部目を読み終えていないままであったな、と思い返した訳だ。
どういう訳で、ねじまき鳥クロニクルの三部目を読まなかったのだろうか。
まあ長いのはあるにしても、つまりは読まないでも済んでしまったということなのだろう。
どうせ、あの1Q84の三部目、読まないほうが良かった、と思わされることになるのだろうな、
とは思いながら、なんとなく気になって、で面接の帰りにミッドタウンのブックオフに立ち寄った際、
古本で一冊7ドルというぼったくりながら、えいやあ、と購入してしまった訳だ。

という訳で、相変わらずの村上ワールドである。
そこには、男の子的世界、
休み時間のプロレスごっこで鼻血を出し、
雑巾とはたきを持って廊下で野球をし、
あるいは、通販で買ったヌンチャクを振り回しては青たんをつくり、
ヒトの迷惑を顧みず、壊れたラジカセで大音響でロックンロールをかけまくっては、
文句を言う奴に片っ端から、おい、てめえ、と喧嘩をふっかける、
という、まあ良い意味でも悪い意味でも、俺達が普通に過ごしていたあの男の子的世界、
その視点がまさに皆無である、という点にまずは驚かされる。

改めて、この村上春樹という人はまったくどういう人であったのだろう、と思うわけなのだが、
まあそう、そういう主人公の、まさに金魚鉢の中から世界を眺めている的な視点こそがこのひとの持ち味な訳で、
その妙な現実感の無さってのが、まあ、一種の憩いでもある訳だ。

が、しかし、ついに三部目までを読みきって改めて驚愕した。

主人公が戦っている。そして、なんらかの決着、つまりは、答えを見出そうとしている。

へええ、と笑ってしまった。

まあその決着の付け方、は、多分、村上氏自身も、いやあ、まいったなあ、若気の至りか、とちょっと悔いているのであろうが、
まあ、そう、どんな形であれ、ぼくにだって戦ったことはあったのだ、というところで、座布団三枚、ぐらいはあげても良さそうな気がする。

がその後の村上氏の迷走の、その発端がこの作品にあったのだな、という言う意味でちょっと目からウロコだった。

風、ピンボール、羊、までチャンドラー三部作が、
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドという形で完成を見て、
ノルウェイの森で心情を吐露し、ダンスダンスで外して国境で旅に出て、
そして、至ったのこのねじまき鳥。

ヒットは飛ばしながら、今ひとつ、??? の残るその後の作品のそのふんぎれの悪さも、
つまりは、このねじまき鳥において似合わぬ戦いを挑み、
そして、アフターダークにおいて、完璧なまでの敗北を見た、そのトラウマ。

そして村上氏は、思わず転がり込んできた商業的な成功の中で、
すべてを失ってビールを飲んでいる、という訳なのだろう。

凄いな、まさに自分の描いた小説そのものじゃないか。

という訳で、良い意味でも悪い意味でも、
例えどんな作品を書こうが、どこに行ってしまおうが、
この人が、私達の時代の代表的な作家、
つまりその変遷をずっとずっと追い続けながら、
共に育ってきた幼なじみのお兄さん、という愛着だけは、
やはりなにがあっても変わることがないだろうな、と思った次第。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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