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ホワホワゆらゆら春樹ワールド

Posted by 高見鈴虫 on 03.2015 読書・映画ねた
どういうわけか、
かみさんの里帰りの間、ずっと村上春樹を読んでいる。

普段であれば、かみさんのいなくなったとたんにストーンズ。
あの荒々しくもハチャメチャな、まさに男の子的世界にどっぷりとなる筈が、
おいおい、いまさら男が一人寝をしながら村上春樹?

俺もヤキが回ったものだ、とは思いながら、
なかなかどうしてこれがとても気持ちが良い。

という訳で、改めてこの村上春樹。

まるでそう、平日の昼間からバスタブにお湯をためて、
窓から誰もいない中庭の芝生を見ている、
という気分であるのだが、
そのホワホワゆらゆらした春樹ワールド、
改めてこの気持ち良さとはいったいなんなのかね、
とうつらうつら思いを巡らせてみる。


で、あらためて、
村上春樹を読むたびに、そこに感じるのは、
まさしく「憧れ」ではなかろうか。

その独特の乾いた感性。
当時ほとんどの人が体験したこともなかった筈のフェンスの向こう側の世界。

アメリカの西海岸、あるいは、ロングアイランドなんてところに行くと、
本当にそういう世界があるらしい、とイメージをかきたてられた、
あの翻訳的な世界な訳である。

精神的に極端にフラットな主人公が、
まるでアルバムのページをめくるように現在を眺め、
そして、ふっと肩をつぼめては、
ほとんど大抵のことを、やれやれ、とやり過ごしてしまう。

自意識の欠如、やら、アイデンティティの喪失、やら、
自閉症的世界感やら、ミーニズムの、とまあ、
口の減らない批評家達からは色々と揶揄されて来たのだろうが、
まあ、ぶっちゃけそれは、経済的な余裕であろう、と。

つまりは、
戦後からの焼け跡的長屋世界の中で、
醤油の貸し借りから、家賃の据え置きから、
子守の当番から火の用心まで、と、
良い意味でも悪い意味でも、
互いに依存しなくては生きて行けなかった長屋的世界から、
個を守り切ったままで存続できる、
つまりは、他人に関わらなくても生きていける、
この経済的な余裕、
如いては、じいちゃんばあちゃんから親からの、
あの糞面倒な血縁からさえも決別し、
すべてのシガラミから開放された、心地良い隔絶の中にある遊離世界。

主人公は必ず!金持ちで、
そして良い大学を卒業し、
手になんらかの技術を持ち、
他人にそれほど依存する必要もなく生きていける、
つまり、己の自意識の殻の中に他人に踏み込まれなくても済む。

そこにはプライバシーがあり、理性があり、知性があり、ホメオスタシスがある。

ああ、あたしもこんな脳天気な世界で、
時代遅れの長い長い小説でも読みながらうつらうつらと暮らしてみたいものだ、
などとは、誰もが思わず憧れてしまうのも判るというもの。

なぜかと言えば、そう、ほとんど大抵の人間の暮らすこの実社会とは、
暗闇に訳の分からない邪悪な生き物がうじゃうじゃと群れる、
まさにヤミクロたちの世界に他ならないのだから。

では邪悪なヤミクロとはいったいなにか。

それはまさに、アジア的な、情念の世界。

良い意味でも悪い意味でも、日本の文化はアジアであり、
アジア文化の特徴は、と言えば、
確かに、菜食主義的な平和主義であったり、
農耕民族的な協調思考であったりもする訳だが、
その弊害として、一皮むいたその奥に必ずうじゃうじゃとしているのが、
この「情念」である。

そしてこの社会を生きる上に置いて、
良い意味でも悪い意味でも、
その大半を占めるのは、能率でも結果でもなく、
ましては理性でも知性でもなく、
まぎれもなく、人間関係。

妬み嫉み嫉妬、イジメ意地悪時として暴力。
悪口陰口ワガママ欲張り利己主義無責任事なかれ主義。
だから銭、結局銭、絶対に銭、つまりは金、如いては金、つまるところは必ず金。
俺が偉いいつも偉いどこでも偉いなんでも偉い
それにひきかえあいつはダメだこいつもダメだ、
なんであたしが、どうしてあいつが、
態度が気に入らない口の利き方が生意気だ、
いいこぶってる可愛い子ぶってるいきがってるだらしない

そう、日常世界に溢れかえるそれらの決め台詞、
それはまさに「業」とも言うべきもので、
こう並べてみればくだらない、くだらな過ぎる、とは誰もが知りながら、
しかし人間はそんな「業」とも言える好きだ嫌いだの感情論と、
根拠の無い感覚論と、そして直感的揶揄の中で、
互いの足を引っ張り頭を叩きあい、
時として引っ掻き会い噛み付きあいながら暮らしている生き物な訳である。

そんな、人芸関係のドロドロ、がまったく存在しない世界、
という奴があったら見てみたい、と誰もが思っていた時、

ぼくはあの頃、で始まる、その乾いた、というよりも、
すべての世界を水槽越しに、あるいは、穴の底から眺めているような、
どこにも当事者意識のない世界。

ああ、こんな世界に暮らせたらどんなに素敵だろうに、と誰もが思いながら、
やれ、あいつが影でどういった、あのこは実はそういう子で、
とくだらない噂話とそして悪口、

誰もがそういうのが嫌で嫌で嫌で嫌でたまらない、と思っていながら、
しかし誰もが口を開けば、そう言えばさあ、で始まってしまうそのドロドロ。

つまりはそんな情念的世界からの逃避的な文学であった訳で、
ほとんど大抵の人が、実はそんな情念世界からの駆け込み寺として
村上春樹を愛しているのではないのかな、というのが俺の見解。

という訳で、今日も明日も明後日も、
邪悪な情念の渦巻くこの蟹バケツの底で、
ああ、あの頃のぼくは、と乾いたフラットな現実感のない、
夢の西海岸の風景を夢見ては、頭を抱えて生きている訳である。

という訳で、
そんな村上的な世界。
がしかし、そんな夢の世界が早々と上手くいくはずがない、とは作者ご自身が当の昔にご承知。
自意識の欠如、やら、アイデンティティの喪失、やら、
自閉症的世界感やら、ミーニズムの、とまあ、やらとあるが、
その曖昧な余裕の中に暮らしていた人々の中に、
まるで魔が差すように、強烈な情念の一撃にすべてが倒壊する様を見ることになる。

村上春樹作品によく登場する浮気妻やらはまさにこの青天の霹靂な訳で、
そしてすべてを失った主人公は、つまるところぼくには女(人間)というものがなにも判っていなかったのだ、
と肩をすくめてビールでも飲んで終わってしまう訳だが、
まったくもって、やれやれ、である。

そう、つまり、ほとんど大抵の実社会に生きる人々が、
本当の本当に知りたいのは、
どうすれば、すべての人々がそんな春樹ワールドに暮らすことができるのか、
その自閉的鬱病的平穏の中で、どうやって精神の均衡を保っていられるのか、
その方法論な訳なのだが、それについては、なにひとつとして答えを見つけることができない。

という訳で、全てを失ったとっちゃん小僧の行き着く先は、
そしてぼくは、こうしてコンビニの店員をして暮らしている、あの頃のぼくを思いながら、
なんて結末が、実はお似合いなのでは、という気もするのだがどうだろうか。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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