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秋のサンマ狂騒曲 ~ サンマの小骨に日本人の精神風土の源泉を見る

Posted by 高見鈴虫 on 18.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
ニューヨークも秋である。
犬の散歩のセントラルパークが、日に日に色づいて行く。
という訳で、食欲の秋である。
せっかくの秋なんだからなんか美味いものでも食いたい訳である。
最近、歳のせいかなんなのか、無性に焼き魚が食いたくて仕方がない。
と思っていたところ、
大戸屋で、期間限定で秋のサンマ定食ってのやってるよ、との話。
なに?秋のサンマ?あの嫁に食わすなという、秋のサンマという奴か。

確かにここニューヨークにおいても別に魚が食べられない訳ではないのだが、
ここマンハッタンにおいてはほとんどのアパートに換気扇がなかったりする事情から、
家で魚を焼いたりすると、部屋中どころかアパート中が魚の臭いでむんむん。
下手をすれば「異臭がする」と警察を呼ばれた、なんて笑えない話もあって、
まあそれがマンハッタン暮らしの不便さ、と言ったら不便さでもある。
がしかし、食えないとなると無性にそれが食いたくなる、というのも人情。

たかがサンマ、されどサンマ。

とそんな事情から、
このニューヨークで、わざわざ地下鉄に乗って秋のサンマを食べに行く、
なんてなかなか粋じゃねえか、とも思った訳である。








という訳で向かったのは18丁目の大戸屋である。

日本ではつと有名である筈の大戸屋。
それがニューヨークにも登場して、一頃はまさにセンセーショナルであった。

寿司屋やラーメン屋はなんちゃって系も合わせればそれこそ星の数ほどあるのだが、
こと、日本の普通の飯屋、ってのがなかったりもする訳だ。

で、たまには、くっそお、普通の日本の定食が食いたい、と思うこともしばしばであった訳で、
この大戸屋の出現はまさにそんなコアな日本食マニアにとっては衝撃を与えた訳なのだが、
この大戸屋。
日本の大戸屋の扱いというのを俺は知らない訳だが、
ここニューヨークにおいて大戸屋はこれでも一応高級風なレストランのひとつである。
黒を基調にしたシックな内装に吹き抜けの高い天井。
BGMでは馬鹿のひとつ覚えのようにビル・エヴァンスやらチェット・ベイカーやらがかかっていて、
定食屋というよりはなんとなくカフェバー風。
つまりは、日本風のおしゃれ、の具現化、というイメージな訳であろう。

とそんなおしゃれでシックな定食屋。
オープンしたばかりのころは、その妙な高級感の中にいきなり焼き魚やら焼き鳥の煙がむーん、とする、
そのアンバランスさがなんとも心地よくて、ちょくちょくと通っては、
シマホッケ定食やら、チキンのお母さん煮なんてものに涙が滲むほどありがたがってもいた訳だが、
そう、やはり、というか所詮は日本に行けばどこにでもあったあの駅前の定食屋、である。
そのうちそんなありがたみにも飽きて、いつしか足が遠のいていた。

とそんな大戸屋である。

久々に行ってみればまさに、ウエイトレスからお客から、見渡す限り中国人ばかりである。
何故に中国の人々が、それほど安くもない日本の定食なんてものをこれほどありがたがっているのだろうか。
まあ良い、なんでも良い。
俺は秋のサンマを食いに来たわけであって、別に大戸屋そのものを見物に来た訳ではない。
としたところ、みるからに中国系のフロアレディから、はいどうぞ、と連れてこられたのがよりによってトイレの目の前の席である。
べつにそれほど混んでいる訳でもないのだろうが、つまりは、徹底的に気がまわらないのであろう。
まあ気の回る中国人などそうそうといるものではない、というのは骨身に染みているつもりであったが、ここは大戸屋だろ?日本のレストランに働きながら気配りを学ばなくてなにをしようというのか。

という訳で、余計なこととは知りながら、お前は馬鹿か、と言ってしまった。

誰が好き好んでトイレの前で飯を食いたがる?お前が客だったらどう思う?わざわざトイレの前で飯を食いたいか?

え?私は気にしないわよ、とでも言い返しでもしたら、だったら中国人、お前らは例の糞まみれのトイレの中ででも喰ってればいい。無理をして日本食屋でなど働くな。とっとと出て行け、と言い捨ててやるつもりだったが、まあ良い。俺は秋のサンマを食いに来たわけであって大戸屋のウエイトレスの品定めを来た訳ではまるでないし、これほどまでに中国人に溢れかえった大戸屋がどうなろうが俺の知ったことでもない訳だ。
いまさら定食屋でどこに座ろうなどつべこべ言われる筋合いもねえ、とばかりに、
勝手に空いている席に座ってしまって、メニューも見ずにサンマ定食、と一言。

だったら私も、とかみさんに後を取られて、むむむ、おぬしもか?とちょっと不安が過る俺。
たまにはいいんじゃない?ふたりで同じもの頼んでも、という訳で、そっか二人でサンマか。

で、改めてこの秋のサンマである。

サンマなんて食べるのはいったい何年ぶりになるのだろうか。

たかがサンマ、されどサンマ。
つまり日本においてはどこにでもある安い魚の代表格であるこのサンマという魚。
確かに日本にいた時にはちょくちょく食べる機会もあったと思うのだが、
いや待てよ、家を出てからわざわざ焼き魚定食なんて喰った覚えもないから、
つまりそれは俺の生家で、ということにもなる、
ということは、もしかして俺は中学を出てからというもの、
このサンマという魚を食べたことがないんじゃないのか?

そう、日本にいた頃の俺はまさに肉食系男子であった。

高校の途中から家をおん出てはボンビー系を極めたパンクロッカーなんてことをやっていた俺にとって、
肉どころか、まともな飯が食えるという機会からして極端に稀であったこともあって、
飯が食える金があるのなら何を差し置いても「肉」であった訳である。

とそんな俺が、初めてまともな社会人としてでびゅーした新卒の春。
昼食時に会社の上司たちに連れられて向かった定食屋で、
なにを食べる?と聞かれて、そりゃもちろん肉でしょう、と。
豚肉生姜焼きでも、焼き肉定食でも、すき焼き定食でもなんでもいい。
取り敢えず肉、肉、肉、と頭の中はそればかり。
どれが肉の量が一番多いかな、などと考えていたところ、
いきなりそんな俺の前で、あ、僕は焼き魚定食、という上司。
だったら、私も、ああ、僕も、私も、と、俺以外の人間はすべて焼き魚である。
思わず、あのなあ、と目を真ん丸にさせる俺。
だって、豚肉生姜焼き定食と焼き魚定食、どちらも550円でしょ?
同じ値段で、肉を食わずにわざわざ魚を食うなんて、
まるで金をドブに捨ててるようなものじゃないか。
こいつらいったいなにを考えているんだ。
まったく判らない、ぜんぜん判らない。
それこそがまさに、初めてぶちあった社会人の謎という奴であった訳だが、
そう、そんな訳で、俺はつい最近まで、焼き魚など一生食うものか、と思っていた程の、
まさに絵に描いたような肉食系男子であった訳だ。

と、そんな俺が、サンマ定食ねえ、と思わず苦笑い。

つまりこれも、歳を取ったってことなのかもな、とちょっと大人の雰囲気である。

とかなんとか言う中に、はい、お待ちどう様、と出てきたサンマ定食。

おお、そうそう、これこれ。サンマサンマ。確かにこんな感じの形をしてたよな、と。

で、一番懸念していた大根おろし。

そう、ここニューヨークである。しかもこの中国人ばかりの客層である。
サンマ定食に大根おろしがついてない、なんてことが、あったりなかったりする訳かもな、
とは懸念していたのだが、そこは大戸屋。なにもかもが日本直輸入、というだけ会って、
しっかりついています大根おろし。
それを見たただけでもわざわざ臭い地下鉄に乗ってやって来た甲斐があった、というもの。

という訳で、さっそく頂きましたサンマ定食。

うーん、たかがサンマ、されどサンマ。

がしかし、いきなりの小骨である。んだこれ、掘っても掘っても小骨ばかりじゃねえか。

そう、焼き魚には小骨がつきものなのである。

俺はそれをすっかりと忘れていた訳で、ではそんな俺がこれまでどうやって魚を食べていたかと言えば、

それはつまり、かみさんに取って貰っていたのである。

という訳で、ふとかみさんの御膳を見れば、みるみるうちに皮を剥がれ小骨を取り除かれた美味しそうな魚肉。

で思わず手を伸ばせば、なによ、とかみさん。
自分の食べればいいじゃない。おんなじもの頼んだんだから、と冷たい言葉。

そう、普段は、俺が肉、かみさんが魚。
俺が切った肉とかみさんの魚を半分こっ子する時には、かみさんが既に選り分けた魚をそのまま飯の上に乗せてがっつ食いしていた訳で、そう、つまりは俺はかみさん無しで魚を喰ったことが無かった訳であったのである。

がしかし、そう、今日の俺はまさにサンマ定食を食べに来た訳である。
いまさら、自力で魚が食えない、などと言うことは許されない訳である。

くっそう、やられたなあ、と気づいたのも後の祭り。

という訳で、改めてこのサンマである。

なんだってこんな小骨ばかりなんだよ、である。

箸の先でちまちまと小骨を選り分けながら、しかしそれだけ苦労しながらも、
しかし食うところなんてほとんどねえじゃねえか、なのである。

で、そうやってちまちまと魚肉をより分けては、ようやくご飯に乗せて大根おろしたっぷり乗せて、と食べる訳だが、
なんだか、これよお、みみっちくねえか、と。

という訳で、はたと気がついた。

日本人の精神風土、あのイジイジといつもみみっちく重箱の隅をつつくようなねっちこさ、というか、
そういう国民性ってのは、つまりはこのサンマの小骨。
ちまちまちまちまと箸の先でほじくっては小骨を取り除き、
とそんなことを毎日毎日やり続けた上でのことであったのではないか、と。

そんなことを愚痴愚痴と言いながらサンマを突く俺に、まったくねえ、とかみさん。

こんな小骨ばかりの魚をなんでよりによってこんなにありがたがって食べてきたんだろうね、と、珍しく賛同モードである。

本当にそう。こんな小骨ばかりの魚、アメリカ人には絶対に食べれないわよね。

そう、見渡して見ればまわりの客達の中で、この期間限定日本直輸入のサンマ定食、食べている人間など俺たちしかいない。
つまりはそう、サンマを食するのは世界広しといえども日本人だけなのかもしれないな、と今更になってそんなことに気づいた訳だ。

つまりはそう、日本人のあの妙なみみっちさ、ってのはつまりはこのサンマの小骨に根ざしていたという訳か。

とそんな俺でさえ、思わず面倒くさくなって、骨も皮も一緒くたに、頭からがりがりと齧りたくもなりながら、
いつの間にかかみさんとふたり、ちまちまねちねちと箸の先で小骨をより分けては、と熱中モード。
挙句の果てに皮も小骨もそして苦い腸も、余った大根おろしをぶっかけてはがっと一息に喰ってしまったりした訳で、
いつの間にかきれいさっぱり頭と尻尾と骨だけになった皿の上。

おお喰った食った、と思いながらも、なんとなく、ぜんぜん満腹感というものがない。

そんな俺の心中を見透かしては、どう満足した?とニヤニヤ笑いのかみさん。
まあね、サンマだから、とかみさん。
そっか、サンマってのはつまりはそういうものか。
くっそ、やっぱりお母さん煮にしておけば良かった、と。

という訳でこのサンマ定食のお値段。

なんと、20ドルである。

二千円のサンマ定食?ありえねえな。

そうよね、とかみさん。サンマに二千円なんてありえないよね。

20ドルあったら、天ぷらでも寿司でもステーキでも食えたのにな。

だからそう言ったじゃない、とかみさん。

でもたまにはいいんじゃない?こういうことでもなかったらわざわざサンマなんか食べることも無いわけだしさ。

という訳で、秋のサンマの狂騒曲。苦笑いのうちにこれにてごめんと相成った。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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