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秋の夜長の残業中に「インド夜想曲」を観る

Posted by 高見鈴虫 on 13.2015 読書・映画ねた
嘗てからインド好きの友人から、これいいよ~と聞いていた、
タブッコの「インド夜想曲」

ひょんなことがから映画版を見つけてしまって、
秋の夜長、明日の会議用の資料作成の合間、
これぞ逃避力、思わず最後まで見ることになった。


インド夜想曲1989年フランス








失われた友を求めてインドを彷徨う幻想的散文、とかなんとか言うやつで、
実際見始めたところ、
嘗てから聞いていたように「難解」なんてことはなんにもなくて、
作中に引用されたフェルナンド・ペソアの詩に全てが集約されている訳だろう、と。

We all have two lives
The true, the one we dreamed of in childhood
And go on dreaming of as adults in a substratum of mist
The false, the one we love when we live with others,
the practical, the useful,
the one we end up by being put in a coffin.


誰もがみんな、ガキの頃夢見た人生とは別の人生を生きてる、という訳で、
まあ仕事を始めたらみんなそうなんだろうが、残業中のこの身には、
おいおい、まさにそれなんだよ、というところ(笑

という訳でこの理想と現実、日本風で言えばぶっちゃけ夜空ノムコウ、と言ってしまうと身も蓋もない。




で、そう、つまりはこのインドなんたらのテーマとなったペソアの詩である訳なのだが、
その愚痴愚痴が、なんとも大時代的におめでたいというか、
理想と現実が二つで済んだらまだまだマシな方で、
この現代社会、
理想が霧の底に沈んでさっぱり見失ってしまった分、
目の前の現実ばかりが細胞分裂でもするかのように十重二十重、
というのが正直なところだろう、と鼻で笑ってしまった。

まあ映画のストーリーとしては、もう一人の自分、
退屈な仕事に嫌気がさしたのかなんなのか、
本来だったら歩むはずだった失われた理想の友=つまりは自分を探してインドを旅する男の話な訳だが、

で、そう、そう言えば俺もインドを歩いていた時はそんな感じだったよな、と。

やれ、神の実在やら、地球意志やら、深層心理やらアルトマン=魂やら、
チャラスの酩酊の中でとそんなことを飽きもせずにうつらうつらとやっていた訳だが、
いまになって思えばまさにおめでたい時代もあったものである。

そんな自分探しの旅を、おめでたい、と言い捨ててしまえるってのがまあ、年の功、というか、
それだけ擦り切れきりました、ということなのだろうが、
こうしてみれば本当の自分、なんてものをまだ信じていた頃ってのがまったくなんともこそばゆくもなる。

ちゅうわけで、作中、もしかしてこれは、フィリップ・マーロウの「長いお別れ」、
つまりは現代日本風で言うところの村上春樹の羊をめぐるなんとか(笑
あるいは、
多重人格者の人格離反のドッペルゲンガーの、という感じの話なのか、と思ったら、
なんてことはない、あっそう、という終わり方。

なんともその薄さが、乙女チック、というか、まあつまりはメルヘンなのだろうな。

改めてこの腐れ現実をメルヘンなんてのにしちゃえる感覚ってのも、凄いなあとは思いながら、
ただ作中に登場するナタラジャ=ダンシング・シヴァの像を拝みに来たユダヤ人の逸話、
つまりは、人生を復讐という目的と同一化して生きてきた人との対比な訳で、
そう、インド旅行の真髄とは、つまりは、やることねえなあ、というか、
目的のない旅=人生を送ることへの居座りの悪さであったのか、とも思えば、
言い得て妙なり。この作品はそんなインド旅行の真髄を言い当てていた、という訳か。

で、そう言えばそう、こんなテーマの作品を前にも見た覚えがあった、と思ったら、
そっか、それはANGEL HEARTであった。





かつて悪魔に魂を売り渡した男が、
その契約を反故にするために別の人格を手に入れては悪魔と追いかけっこ、
という半端なオカルト物であった訳だが、
ここに描かれた離反した人格、
つまりは、いつのまにか別の人生にすり替わってしまった困惑、
それこそが、旅から帰って後、髪を切り髭を剃って、
吊るしのスーツを来て俄サラリーマンに変身したつもりであった俺が食らったあの実社会という現実。

見るも無残なちんけなみじんこ野郎にしか見えない会社員なんてやつらから、
そんな立派なみじんこになるためのそのいちにっさん、
日々あーだこーだといちいち難癖をつけられては説教ばかり食らっていたあの時代、
つまりはそんな社会人教育を「不条理な物」と感じては、
ストレスというよりは怒りばかり募らせていた頃、
久々に待ち合わせた女と観ることになったこのANGEL HEART、
いつの間にか知らないうちに別の人格にすり替わっては、
こいつらみんなボタクソの細切れにしていた、
なんてことに、まさかならないよな、俺、大丈夫だよな、ってのがまさに洒落にならず、
とまさに映画の中とシンクロしてしまった訳で、
あの若かりし頃のミッキー・ローク、まさにヤバさといやらしさ満載のあのスケベ顔で、
おっと知らないうちに(笑 次から次へと女を食いまくり、
いやあ、無意識化の自分が憑離して別の人格の俺がやっちまったことで~
と、まあその後の俺の社会人生活を予言してさえもいたのだが、
そうつまり、なんだ、そうそう、TWO LIVES。

みんなそうやって暮らしているんだよ、
だからまあ、夜長の残業だって、そうそうとくさくさすんなよ、という訳なのかい、
と勝手に解釈。

このクソ資料もクソ会議も、全てあの野郎にまんまと押し付けられたという訳で、
なんであいつがKNICKSのゲームを見たいがために、
俺がサー残を押し付けられるなんとことが在るわけかい、
とそんな恨み辛みを考えると切りがない訳で、
まあ良い、なんとなくそう、おめでたい、というか、まあ、そう、メルヘンか、
この間延びした映像が、残業中の夜長にはちょっと良い雰囲気だったかもしれない。

という訳で、本当の人生、生きていますか?

ロックスターじゃあるまいし、そんな奴はいるわけねえだろう、と、と一言で吐き捨ててしまう俺。

そうやってジタバタしながら棺桶に入ることになるのだろうが、
死ぬまでに、もう一度インドに行ってみたい、なんて気持ちは、もう無い、どころか、
ヘタすれば出張で飛ばされる、なんてことが起こらないことを願うばかりだ。

おしまい

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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