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パリという街に流れていたもの

Posted by 高見鈴虫 on 22.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)


誰に聞いても、フランス人ほど嫌な奴はいない、というのは、
今やこのグローバル社会では常識にまでなっているのだが、

どういう訳か、ここニューヨークで付き合っているフランス人にはやたらといい奴が多い。

なんでなんだ?と聞くたびに、
パリに帰れば話は別さ、と苦笑いで返される。

つまり悪いのはフランス人じゃない。
パリという街が人間を腐らせるのさ、ということなのだろう。

そんなニューヨークのフランス人からパリの話を聴く度に、
露骨な程に表情を曇らせては、あんなところにはもう二度と帰りたくない、
と吐き捨てるように言う。








そういう俺も嘗てパリには何度か行ったことがある。

その殆どが仕事絡みだっただが、ことビジネスをする限り、
やはりこのパリジャンという連中は、
どう贔屓目に見てもあまりご機嫌なパートナーとは言いがたかった。

パリにはパリの事情があるのさ、としたり顔で言われるたびに、
それを言うなら東京には東京の事情だってあるさ、
と言い返すしかなく、つまり話はいつも平行線で、
そしてあの厭味ったらしい鼻声で嫌味の一つも言われては、
せいぜいがんばんなよ、ジャパニーズ・ビジネスマン、
とせせら笑いとともに追い返されることになった。

ったく嫌な奴らだぜ、と舌打ちしながら、改めて見渡すパリの街。

そのいかにも絵葉書然とした表面ばかりは取り澄ました風情に、
確かにこんな所に長居したら、いつか神経症にでもなっちまうだろうな、
と肩をすくめること二度三度では足りず。

がしかし、仕事の後、そんなパリの街を夜な夜な探索して回っていたのだが、
不思議なことに真夜中を過ぎるとパリの顔は一変する。

つまり夜の生きるパリジャンは別の人格を持っていたのだ。

そして改めて、
初めて訪れた際、夜更けに迷い出た裏通りの舗道で出くわした、
ラオス人のチンピラの言葉を思い出す。

いかにも迷子の観光客風情であった俺に、
いっちょうカツアゲでもしようかと近づいてきたであろうパンクファッションのその東洋人。
俺はそんなチンピラを物陰に引きずり込んで、
兄弟、ちょうど良いところで会ったぜ、この街でどこに行ったらヤクが手に入るんだ?
と聞いたのだ。

俺たちはモンマルトルの裏手にある見るからに如何わしいキャッチバーのバーテンから、
見るからにまがい物然としたアシッド入りのガンジャを仕入れ、
そして観光客の失せたサクレクールの階段に座ってそしてその中途半端はハッパを回した。

パリは糞だな、という俺に、ああ、確かに、とラオス人は言った。

確かに、移民として受け入れてくれたフランスには感謝すべきかもしれない。
この通り、生きさらばえているし、学校にだって行かせてくれたお陰でちょっとは知恵もついた。
こうしてフランス語も、そして英語だって少しは喋るようになれたしな。

ただな、というラオス人。

だからと言ってフランスに恩義を感じているか、と言えばそんな気持ちは微塵もねえな、と答える。
フランスはクソだ。
フランスという国家も、その歴史も、この社会も、フランス人って奴らも、全て全て、糞くそクソ。
こんなところ核爆弾でも落としてひと思いに灰にしてやればいいんだってずっとずっと思ってきたさ。


とそんなラオス人との思い出話を、あらん限りの侮蔑の表情で聞き流すニューヨークのフランス人たち。

まあな、ただ一つ言えることは、パリの奴らはどいつもこいつも糞ったれだってことだろ?違うか?

アイボリーコースト、モロッコ、マリ、セネガル、そしてアルジェリア。

その全てのフランス系の移民たちが、口を揃えて生まれ育った母国である筈のフランスを罵倒する。

クソったれ、ファックの、ブラディの、ボルデデュメルだ、

なぜだ、と改めて聞く。
お前らだって、本国に居たらどうなってたか判らない。
フランスに救われて、命拾いしたんじゃないのか。

まあな、と、そんな話は聞き飽きたと舌打ち。そしてお得意のフランス訛りで、フォック、と一言。

あのなあ、お前だって、パリに行ったことがあるなら判るだろ?

俺たちはここニューヨークに来てようやく人間に戻れたんだ。これ以上嫌なことを思い出させないでくれ、フィデュピュ!

とそんな会話の後、俺は再びあのパリでの光景を思い出す。

確かにパリの人々は冷たかった。
あれは、差別、というよりは区別、そこには明らかに、憎しみというよりも悪意を感じたものだ。


英語は話せますか?
あ?お前は話せんのかよ。

お店はやってますか?
いま閉めたよ。さっさと失せな。

これおいくらですか?
てめえには売らねえよ、チャイニーズ。

あのなあ、チップって知ってるか?プルボア。それがねえとなにひとつとしてなにも始まらねえんだよ、この街では。



がしかし、夜更けを過ぎると、そんなパリの人々がようやく人間の顔を取り戻す。
あるいは、昼のパリ人と、夜更けのパリ人は、その人種からしてなにもかもが違った人種であったのか。



またも空振りに終わった商談の帰り、混みあった地下鉄の中、
パリ人のあの氷というよりは仮面のように不愉快な仏頂面の犇めくその中に、
ふと懐かしい匂いを感じた。

ショコラか。

この混雑した地下鉄の中で、人目もはばからずにハッシシをふかしている奴らがいる。
ふと見れば、見るからにろくでなし風情の長髪に革ジャンのバイカー・ヒッピーたちの一団。
それはつまり旅の間に寝起きを共にしたバックパッカー達のあの雰囲気。
つまりはそう、夜に生きる夜の人々。

思わず笑いかけると、こっちに来いと誘われた。

ショコラか?良い匂いだ、と言えば、片言の英語で、モロッカンだ、最高だぜ、と吸いさしを差し出された。

いまはこんなになっちまったが、昔インドに長く居たことがある。
ダークスーツに緩んだネクタイを恥じるように言った俺に、
お前、インドに居たのか?いつごろだ?こいつ、このミッシェルもインドから帰ってきたばかりなんだ、
と、そのそのミッシェルと呼ばれたシャイそうなヒッピーの隣りに席を空けてくれた。

インドはどこに?

ああ、デリーからバラナシからボンベイからゴアからカルカッタから。
でもやっぱりカトマンズが一番良かったな。実はずっとカトマンズに居たんだよ。
インドはただ通り過ぎただけって感じでさ。

カトマンズではどこに居た?俺はGCロッジってところにいたんだ。あのダルバール広場からちょっと入った。

ああ、そうそう。俺も最初はGCに居たよ。その後に誘われてニューロードに移ったんだけどな。

そんな話をしながら、いきなりまわりの乗客になにかを怒鳴る。

何見てやがるんだ。見世物じゃねえんだぞ、くそったれが。
フランス語はよく判らないが、まさにそんな感じだろう。

俺もパンカーだった当時、まわりのいけ好かないリーマン連中によく吐き捨てた言葉。
そっくりそのままの雰囲気で発している奴らに思わず心からの親近感を感じていた。

そんなこんなで危うく降りる駅を乗り過ごしそうになり、
じゃな、またカトマンズで逢おうぜ、なんて話をして、別れ際にいきなりハッシシの欠片を渡された。

シャトールージュ近くのザンジバって店に溜まってるんだ。そのみっとねえスーツを脱いだらいつでも来てくれ。
今晩は二時過ぎからご機嫌なライブがあるぜ。じゃまたな。ジャパニーズ・ビジネスマン。

そして再び転がり出たパリの街。
甘いハッシシの酔いの中で、まわりに蠢く人々を間を、
くそったれ、ファック、メルドゥとあらん限りの悪態をつきながら、
俺は初めてこのパリという街を理解することが出来た気がした。

ここにあるのは差別ではない、区別なのだ。
孤立ではなく隔絶なのだ。
誰もがこの街では、区別され、隔離され、
そしてその個人という名の壁を、誰も埋めようとは思ってはいない。

そしてふと、あのラオス人のチンピラのことを思った。

故郷を追われてこのこの街に辿り着いた移民達が、
助かったと思ったのもつかの間、
移民区と言われる特別地区に住まわされ、
つまりそれは幽閉され密封され、
そしてそうやって隔離されたままに、
フランスの威厳やら伝統やら格式やらばかりを押し付けられては、
しかし当のフランス人達は、彼らとの溝を埋めることはなにひとつとしてせずに、
壁の向こうから残飯を放り込んでは、偉大なるフランスに感謝しなさい、とやり続けたのだろう。

それはまさに、ほらよ、くれてやるぜ、な訳だったんだろうな。

惜しくもあのヒッピーたちに教わったシャトールージュには行くことは無かったが、
後にその地域がアフリカ系移民達の特別区であったと聞いた。

駅を降りた途端にむんと麻薬の匂いがして、街中が落書きだらけ。黒人だらけ。
夜になったらそれこそ、何があったって警察なんて滅多に来ないという、まあご機嫌な場所であったらしい。

おまえ、そんな所に行ったらそれこそ生きては帰って来れなかったぞ。

出張から帰った後に、パリ通を自称する上司にそう言われた。
そうですか、危ないところでしたね、これからは気をつけます、などと歯の浮くような営業笑いで受け流しながら、
言ってろよボケカス、俺はあんたらとは違うんだよ、一生な、と心の底でせせら笑ってはいたのだが。

という訳で、移民たちを特別街区に幽閉し、
そうして構成された移民街がことごとく無法化したこのパリという街と、
そこに暮らさざるを得なかった故郷を失った移民たち。

そしていま、改めてその街に育った世界一の大悪人たちの気持ちを推し量ってみる。

そんな冷酷な区別がまかり通るパリと言う街で、
互いが互いに知ったことか、と顔を背け合う現実の中で、
そこになにか社会との取っ掛かりを見出そうとした途端に、
彼らはその巧妙且つ凡庸な罠に落ちてしまったのかもしれない。

馬鹿だな、一生嘘をつき続けて生きれば良かったのに。
俺だって、そして殆ど全ての人々がそうして暮らしているのに。
だがしかし、そんなことを続けることにいったいなんの意味があるのか、
という気持ちも忘れた訳ではないのだが。

そして再びあたかも虫けらのように人々の命が失われた。
襲った方も襲われた方も、一皮向けばみんな同じ穴のムジナであったにも関わらず。

ただただ痛ましい限りだ。

そしていま、もしかしたら嘗ては盟友にさえ成り得たかもしれない世界一の大悪人たちを思うとき、
古い歌の歌詞が脳裏を過る。

独り暮しのアパートで
薄い毛布にくるまって
ふと思い出す故郷の
一つ違いの弟を

暗い暗い眼をしてすねていた
弟よ弟よ
悪くなるのはもうやめて
あなたを捨てたわけじゃない

内藤やす子 「弟よ」


改めて、世界が一つの大きな輪であるかぎり、
情けの本質とは、人の為にあらず。
己の身を助くる為に他人を助ける「自助行為」なのだ。

高級料理の食い残しの詰まったドギーバッグを、
ほらよ、くれてやるぜ、と投げ渡すのでは、
屈辱を押し付けるだけで、いつまで立っても溝は埋まらない。
それが冷めたスープであれ、固くなったベーグルであれ、
膝を付きあわせて、ほら、俺の半分食えよ、と分かち合うことにこそ意味があるのだ。

アンパンマンの教えではないが、己の身を千切ってわけあってこそ、初めて人間の心が通じ合う。
心の通じあい無くして、差別を、区別を、そしてそこに生じる憎しみ合いを、消し去ることはできない筈だ。

世界はひとつの大きな輪だ。
自分自身を映す鏡は、他者の瞳の中にこそあるのだ。
老いも若きも、富豪も貧者も、その轍から逃れることはできない。
人間とはそんなもの。その程度のものであるべきなのだ。
それを忘れてはいけない。


プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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