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サイコパスは遺伝? そんな訳ねえだろう。母親だよ、母親、と敢えて断言させてもらう。

Posted by 高見鈴虫 on 11.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)
嘗て世間を騒がせたあのサイコパス、
言わずと知れた榊原郁恵、じゃなくて、聖子か、聖斗か、
とかいう人がちょっと気になって、
この妙なブームに煽られて出版されたらしい、
色々な本を読んでみたいのは山々なのだが、
なにぶん外地住まいの不便さ、というよりは、
わざわざ大枚叩いて新刊を買うこともねえか、
と思っているだけではあるので、実はまったく読めていない。

という訳で、実在が明らかされないままに、
いつしか憶測と噂だけですっかりと闇のヒーローに祭り上げられてしまった、
このなんともアニメちっくな殺人鬼。

このところの最ブームとやらでにわかに脚光を浴びているとは言うものの、
俺的には未だに謎は謎を呼び、の状態な訳で、
その残虐さが、想像力の欠如にあるのか、妄想の爆走によるものなのか、
あるいはサイコパスは遺伝である、なんて記事まで出てくる手前、
果たしてこの人、実際には何者?とは思っている訳だが、

がしかし、何が嫌いと言って、公家嫌いの極まったこの落ち武者男としては、
なにからなにまで家柄の、という理屈には正直ヘドが出そうな訳で、
なので、遺伝、とかなんとか言われる度に、カチン、と来るところがある。

なので、ゲイは遺伝か?そんな訳ねえだろう、と一蹴するように、
サイコパスも遺伝か、といえば絶対にそんなことはない、と断言する。

で敢えてその遺伝説に反論するにあたり、
ではその後天的な要因とはなにか、と言われれば、
一言で言えば親。

しかも、原因の殆どは、ぶっちゃけ、母親であったりする、というのが俺の説。

そう言えば、と辺りを見回してみてふと、こいつももしかして、
そんなサイコパス的な素養があったりなかったり、と思ったりした人々、
その特徴的なことは、と言えば、母親、な訳である。






つまりそう、そういうちょっとずれた奴ら。
その理由は、と言えば、押しなべて、
厳しい母親に徹底的に躾けられて育った、という輩である。

子供は本来、父からは強さを、母からは愛を学ぶべきもので、
などとは、まさに家の光的なステレオタイプな訳だが、
確かに、甘えられる筈の母親が、教師である看守であり、
となると、まさに心の拠り所がなくなってしまう、というのも判る。

のだが、それが理由で、猫の舌を切り取ったり、
あるいは、子供の生首を校庭の前にお祀りしたり、
というのとは訳がちがうだろう、と。

という訳で、うーん、と考えた末に、
それってつまりは怒り、であろう、と。
で、その怒りの根源とは、
ぶっちゃけ体罰ではなかったのかな、と勝手に妄想してみる。

男が男、つまりは男子が父親から体罰を受けた場合、
それはもろに、同姓への暴力、或いは破壊衝動につながる訳で、
嘗てのあのやたらと元気の良かった暴力少年たちは、
押しなべてそんな、父親的な暴力がまかり通っていた時代の申し子。

それとは逆に、異性、つまりは、母親から息子による体罰、となった場合、
それは、暴力というよりは虐め。
ねちねちとして陰惨で気分次第で理屈のきかない衝動的且つ感情的な、
つまりはそう、あの女特有の底意地の悪い、意地悪的な体罰であったことが予想される訳で、
つまりはそれは虐め。

何度も言うように、ガキも犬も、受けた体罰のその恨みは決して忘れない。

理由はなんであれ、暴力を振るわれた、という記憶は何年たっても消えるものではない。

そしてそうやって受けた暴力の記憶は、必ず別の形を持って、落とし前がつけられることになる。

暴力親父に殴られ蹴られして来たやつは、その後は徹底的に暴力肯定の体育会的馬鹿になるか、
あるいは、なにをやられてもなにをされてもへらへら笑っているような徹底的なヘタレになる。

がしかし、そんな暴力少年、あるいはヘタレの中にあっても、母親の存在はやはり別格である。

なにがどうあろうが、お袋にだけは悲しい思いはさせたくない、
その最後に残った良心こそが不良少年更生の最後の最後の切り札の筈であったのは、
今から思えば随分とおめでたい時代にも思える。

そして今、時代の主流となっているのはまさに母親から虐待を受けて育ったガキどもである。

母親に象徴される愛、という拠り所を失ってしまった子供たち。

つまりは、世界に身を寄せる場所を見いだせないままに、
求めた愛の代償が、虐め、とそして体罰に成り代わってしまった訳で、
そうやって受けた体罰の落とし前こそは、
愛を求めてやって来た者に、徹底的な虐めと体罰を持って報いる、
つまりはそう、そういうことなのである。

という訳で、躾、という名の体罰、それは押しなべて、ただの暴力、あるいは虐め。

俺も殴られて育ったガキであった手前、
そんな体罰教育を良いの悪いの言うつもりもない、筈であったが、
こと、それが父親からの暴力であった場合、
その怒りをスポーツ、つまりは武道に転化させる、という逃げ道も手伝ってか、
その後、空手やら柔道やら剣道やら、ボクシングやらマーシャルアーツなんていう、
まさに徹底的に暴力的なスポーツばかりを好むようなガキが昔は多かったよな、
確かに俺のまわりはそんなのばかりだったな、と思いうかぶ。

がしかし、母親からの暴力はそういう展開は思いつかない。

一種、祝祭的な暴力事件が減った分、
変態から、殺人狂から、麻薬中毒から、ヘタレに至るまで、
その殆どが、つまりは、愛の枯渇、強いては、父権の消滅、と同時に起こった、
つまりは、母親の体罰による弊害、と推理しても宜しいのでは、と思うがどうだ。

という訳で、そう、そんな話、昔どこかで読んだよな、と思ってみたら、
そうか、藤原新也の「乳の海」であったか。

そう言えば、動物を可愛がらないタイプの女を見るたびに、
お前、母親に虐められて育っただろのだろう、と予想するがそれが外れたことはない。
そういう女は、ちょっと毒々しくてあそびセックスだったら面白そうな気もするが、
どうせろくなガキを育てられないのだろうからあまり深入りするべきではない、
というのは本当だったようだ。

と思ったら、最近の日本の女の子、実はそういうタイプが凄く多くて驚かされる。
遊ぶには良いが、という例のまあ、甘えん坊の変態娘たちである。
あの不安定さというか、なんというか、あの微妙なブレというものの根源を思い浮かべるに、
つまりは、シリアル・キラー予備軍、であった訳なんだね、彼女たちも、
と思うとちょっとぞっとしたりもするのだがな。

という訳で、改めて家族である。
それが演技であろうがやせ我慢であろうが、
父親はしっかりと父親らしく頑固親父を気取り、
母親はそれを、はいはい、と上手く操る闘牛士、
という役割分担が必要であったのでは、と思うのだが、どうだろうか。

とそういう俺も、実にまあそんないびつな家庭環境の弊害の良い一例である訳で、
この歳になっても、こと、弱い者虐め、特に犬を苛めている、ような輩を見ると、
一瞬のうちに頭が跳ねてしまうのは、
つまりはそう、頑固親父から犬を守らねば、とばかり思っていた少年時代の、
あの苦くも切ない記憶の中で培われた衝動なのであろうか、
と思ったりもしている。


プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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