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LESSON LEARNED ~ ただの人の人生

Posted by 高見鈴虫 on 11.2015 音楽ねた

俺にとってYOUTUBEには鬼門がある。

80年台のロックシーンの映像。
あれを観ると、いつ誰がそこに登場するかと思うと気が気ではない。

そして、あの時代の映像を観るたびに、
まるで嘗ての古傷に塩を塗られるように、
胸の内がじくじくと痛み始めることになる。

そしてどれだけの水が流れたのか。




確かにまだやっている奴もいる。
信じられないことだが、いまだにバリバリの現役の連中もいる。
がしかし、その殆どは、
嘗ての姿がどうであれ、
今となってはすっかりとただの人である。

そんな、嘗ての盟友たち、とそして死んでいった者達の姿を観るたびに、
懐かしいどころか、腰が砕けそうな程の失意の念に打ちのめされることにもなる。

いまとなってはすっかりと犬のおじさん風情の俺である。

ニューヨークなんていうところで、
訳の分からない東洋人として米系企業で働くただの人である。

仕事は相変わらずぱっとしないが、取り敢えずは食ってはいる。
そう、食って行ければそれでいいじゃねえか、所詮はバイトだ、
という気持ちがまだまだ抜け切れないのである。

それはつまりは、嘗て、夢を追っていた時代の残り香、
バンド以外のことはすべてがおまけだ、と思い込んでいた、
あの時代の意気込みをそのまま引きずってしまっているからである。

そして今、俺はバンドを上がり、過去を忘れ去った上で、
ニューヨークという世界中の人々が入り乱れるこの街で、
どこにでもいる一人の異邦人としての人生を送っている。

たまにひょっこりと顔を出す、80年台ロックのファンなんてガキから、
ねえねえ、誰々さんって知ってますか?
などと言われるたびに、胃の奥がきゅんと迫り上がり、
そして背筋にじっとりと冷や汗がにじむ。

知っているもいないも、
その名を聞いた途端に、
あの風呂に入ってもいない据えた体臭と革ジャンに染みこんだヤニの匂いまでがありありと蘇ってくる。

ああ、あいつは本当に餃子ばっかり食っていたよな、やら、
どういう訳かセブンスターを吸ってやがったんだよな、やら、
あああいつの連れていた女がさ、本当にどうしようもない奴でさ、
なんてことをふと思い出して、
そしてあの時代に生きていた頃に感じていた、
あの殺伐として切羽詰まった投げやりな気分をありありと思い出すのである。

ゆきゆきて神軍ではないが、
そんなあの時代の仲間のひとりがふらりと俺を訪ねて、

なんだよてめえ、こんなところでぬくぬくと暮らしやがって。
ロックに一生を捧げるんじゃなかったのかよ。
あいつもあいつもあいつも、そうやって死んでいった奴らに、
どの面さげて言い訳ができるってんだよ。
ふざけやがって。
おめえに狂わされた俺の人生を返してくれ。

そう言いながらいきなりドクロの指輪の拳で殴られ、
鋼鉄入りのブーツで蹴り上げられても、
俺はなんの申し開きもできないに違いない。

そう、YOUTUBEはそんな時代のそんな空気を、
まさにありのままに鼻先につきつけては、
この嘘つき野郎、この半端者のペテン野郎、と迫ってくるのである。

言い訳にも糞にもならないだろうが、

ただひとつ言えることは、

やめるべきじゃなかった、ってことだ。

辞めたからと言って、どうせろくなことは待ち受けていないことは重々承知のうえではあったが、
その重々承知したうえでのろくでもない人生は、
しかし、ロックをあのまま続けていたとしても味わったであろう、苦労の連続であり、

ああ、こんなことならロックをやめるべきではなかった、と思い知ることになった。

あのまま続けていたにしても、やめてカタギになったとしても、
味わう辛酸にはそれほどの違いがあったとは思えないし、
今まで続けていたとしたら、少なくとも日本のチャーリー・ワッツとかなんとか、
勘違いしたガキに拍手の一つもしてもらえていたかも知れない。

が、そう、俺はやめた。

やめた理由にはいろいろある。

あの地下室のスタジオと、ライブハウスとを行ったり来たり。

寝ても覚めてもメトロノームとスティックコントロールに追い回され、
ネジを緩め、ネジを締め、機材を運んで組み上げて、
そしてしばし、ステージの上で修羅しゅしゅしゅ。
終わった後には勝った負けた、と自己採点をしては、
そして汗の冷め切った身体で夜更けの街をふらふらと安アパートに帰り着く。

たまにやってくる夢の様な話に踊らされては、
なんかいいバイトねえかな、と話はそればかり。
ボンビー系の夢追い人としてバイト先でお悔やみを言われながら過ごすあの日々。

そう、バンドだけやっていられるのであればそれはそれで何十年でもスタジオに篭っていただろう。
つまりはそう、生活苦。
疲労と寝不足と空腹とに身体を引きずりながら、
ありとあらゆるバイトを流離い続ける、ロッカーとしてのもう一つの性につくづく嫌気が刺したのかもしれない。

バンドによっては、きちんとカタギの仕事を続けながら、
しっかりと練習も来なしてギグをまわり、
有給休暇を貯めてはツアーに出る、という暮らしを続けている奴らもいる。

カタギとバンドが両立できるなんて、と思わずその発想に唖然としてしまったりもしたが、
そう、それを割りきってできるかできないか、が、俺の中の大きな矛盾でもあったのだ。

なぜか俺にはそれができなかった。

カタギはカタギ。
バンドはバンド。

カタギになるならバンドはやめる。
それが、俺の中での筋であり、そして俺は、バンドをやめ、カタギになり、そして幾多の職を転々と流離った後、
今もその途上にあるに過ぎない。

あるいは、昼に仕事をしながら、ライブとデモのレコーディング、なんてことを続けたりもしたが、
結果としては、メンバーの全員が昼の職を失うことになった。

聞いたよ、バンドがんばってるんだってね。偉い人気があるそうじゃないか。
こんどうちの会社の忘年会ででもライブをやってくれよ。
できが良ければ、TVCMのコマソンぐらいならお願いしてもいいんだから。

会社の上司からそんなことをヘラヘラ言われた日には、

はい、誠にありがとうございます、光栄の極みでございます、などと営業ヅラしてお辞儀のひとつでもすれば良いものの、

思わず、それはまさに反射的なぐらいに、

んだ、てめえ、余計なこと言ってやがったらぶっ殺すぞ、と蹴りのひとつもぶち込んでやりたくもなってしまう。

という訳で、そう、俺にとって、カタギとバンドは絶対に共存できないものなのである。

つまりはつくづくバランスの悪い男なのだろう、と思い知らされることにもなるが、

それはつまり、バンドというのは、

ギタリストがGチューニングでがーっと音を出して、ベースがボンボン、ドラムが一拍三拍で、ドンカンやって、
それに合わせてボーカルが適当に訳の分からない言葉を叫ぶ、

というだけのことでは、勿論無い。

ロックは生き方とはよく聴くことばだが、
それはつまり、そう、
やはりそこにあるのは、カタギの世界に対するアンチテーゼ、である必要がある、と思い込んでいたのかもしれない。


という訳で、俺はバンドをやめた。

もう日々の練習は愚か、音楽さえも聴くことは稀になった。

そしてこの変装人生。

髪を切りそろえ、頼まれても居ないのにスーツを着てネクタイを締め、
俺の中にある、カタギはこうあるべき、というそれなりのイメージに則った自分を続けている。

そんな俺は、まわりの人々に俺自身について語ることはない。

なんですって?本当の私ですか?私が本当はどんな人であるか、ということですか、
ああ、はいはい、ではいまお見せしますね、と腹に蹴りをぶち込んで、
本当の俺は、てめえみてえな珍カスをまともに相手なんざしねえんだよ、バカタレ、と痰でも吐いてばっくれる、というのが関の山。

がそう、あるいは、である。

このカタギの仕事の辛辣さをそのままに、
つまりは、PLAN DO CHECK ACT、コストとスケジュールとクオリティの狭間を行ったり来たりしながら、
段取りと根回しで四苦八苦しながら、エクセルのマクロを駆使して効率化アップ。無駄を省き反復を避け簡略化、
とまあそんな感じで、
つまりは、仕事として、バンドができたのか、できたとしたらどうだったのだろうか、と改めて考えてみると、
それはしかし、あまり味力的な生き方とも思えない。

そう、俺がこうしてカタギの仕事を続けていられるのは、つまりは、それは仮の人生だから、なのであり、
変装した自分で、偽物の人生を生きているから、だからなにがあってもヘラヘラ笑っていられるのだ、
とまあ、つまりはそういう訳なのである。

ひとつの仕事に全てを注ぎ込んで、なんて話を聴く度に、ちょっと羨ましい気もする分、
そんな潰しの無い、逃げ場の無いところで生き方に、殺伐としたものを感じてしまったりもするのは、
つまりはそう、あの時代、ゴミを食いながらスタジオとライブハウスを行ったり来たりして過ごしていた、
あの時代のことを生々しく思い出してしまうからに違いない。


いまでも、元ハコバンをやっていた輩やら、
あるいは、それなりの人気バンドで、テレビ出演から全国ツアーからを経験した元スーパースターなんてのもいて、
がしかし、その過去がどうであれ、取り敢えずいま現在の暮らしという意味では、ただの人。

ラーメン屋のおやじであったり、タトゥーアーティストであったり、ジャパレスのウエイターであったり、
そしてそう、米系企業の謎の東洋人であったりもする訳である。

いまでもふと思う。

もしも金に困らないとしたら、あの時代にもう一度戻りたいか?

つまり、あのタコ部屋のような倉庫街の地下室で、日がな一日メトロノームを相手にドラムを叩いて暮らしたいか、
ということなのだが。

その答えは・・ 俺的にはいまだ保留である。

ああ、もちろん、と答えた男を、俺はいまでも心の底から尊敬している。

奴こそはほんま者の極道、つまり、道を極める男、なのだ。

まわりにいる連中で、俺が尊敬をしているのは、つまりはその男、だけである。
仕事上でなにがあろうが、俺の知ったことではない、というのはつまりはそういうことなのだ。

半端者の俺はしかしいまでもバンド極道に憧れているのはつまりそういうことなのだ。

そしてたぶん、いつか俺も、あの地下室に再び戻ることになるだろう、とは思っている。
いまはその準備期間。
中休み、というよりは、つまりはLESSON LEARN。
これまでの失敗の原因を究明し、ではどうしたら良いのか、のその方法論を考え続けているのだ。

それがつまりは、80年台を共に過ごした奴ら、そして、死んでいった盟友たちへのせめてもの申し開きである訳だ。

あるいは、
そう、こんな時代錯誤な倒錯に拘っているのも、
こうして日本を離れて四半世紀が経ってしまった、
浦島現象、と言えないこともないのかな。

友よ、俺達は間違えた。
四の五の言わずに安らかに眠ってくれ。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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