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妻子を捨てて旅に出よ

Posted by 高見鈴虫 on 21.2015 日々之戯言(ヒビノタワゴト)

古き悪友から手紙が届いた。

クリスマス・カードのつもりなのだろうが、
相変わらず口が悪い。

こうして古き友人からの手紙を見るたびに、
果たし俺はその昔、それほどまでに悪行の限りを尽くしていたのか、
とつくづくあの若き日々の、「業」について考えてしまうことになる。



という訳でその古き悪友からの手紙。

てめえ、いつまでも女なんかにウツツを抜かしてるんじゃねえ、とある。

そう、確かに、その昔、そんなことを語り合っていた時期も確かにあった。

女を金づるとして道具として、
あんなものはハンドバッグと同じ、入るものが入って、金があって、
ぶら下げて歩いた時にちょっと見栄えが良ければそれで良い、とかいう、
まあ例の奴である。

その時代の空気をそのまま引きずった悪友の手紙。
確かにこいつは、そのままあのまま、あの頃のままでそのまま人生を爆進した訳で、
今でさすがにこそ太ったの剥げたのとはやっていは居るが、
未だに大型の単車を乗り回し、定職も持たず底宿も定まらず、
気ままに世界各国を放浪しては、とそんな暮らしを続けている。

果たしてそんな輩が一体なにを生業にしているのか、
甚だ疑問ではあるのだが、おかしなことに昔から、
そういう打算的なことについては一切語り合ったことがない。

そう、あの頃の俺達は、不思議と金の話、あるいは家柄の話、
そして、女の話さえもしなかった。
そんなものは俺達がわざわざ話すことも無かろうが。

まさにバンド極道の極み。
音楽と芸術と時として宗教学、あるいは哲学、とか言う、
徹底的に非生産的な事以外はなにも語らなかったまさに芸術至上主義の権化。

会うたびに女が変わっていたり、あるいは車が或いは住所が、
なんてことさえも、そんなことは大した問題じゃねえんだよ、
とばかりに軽くかっ飛ばして、
で、そう、そんな俺達は開けても暮れても、
端にも棒にも引っかからないような、
限りなく非生産的なことばかりについて、
夜も徹して話続けていたように思う。

とそんな時代の悪友からの手紙である。

という訳で、とある。
旅に出てみないか、とある。

つまりは、俗世の垢をこそぎ落とす為に、
再び自分探しの修行の旅に出ろ、とまあ、そういうことを言っている訳だ。

で改めて、なぜ旅に出なくてはならないのか、という命題と同時に、
なぜ旅に出れないのか、という事情についても考えてみる。

だって、犬がいるしさ、が第一のその理由である。
だって、仕事もあるしさ、ってのもまあ理由と言えば理由。
つまり、先立つものがねえ訳で、ってのはまあ言い訳。
そう、金などなくても旅はできる。

ではなぜ旅に出ないのか、出れないのか。

という訳で、なんとなく、なんでかな?と考えていたのだが、

つまり、そう、衝撃的なことに気づいた。

そう、自分探し、とか、言う、自分なんてことに、もうあまり興味がないのである。

そっか、俺ってもう自分に対してそれほど興味がないんだな。つまり自分で自分を見限ったってことなのか?

これはまさに忌忌しき状況ではある。

そっか、そういうわけなのか。最近まわりの女に目が行かなくなくなったのも、金にも出世にも、
そして音楽にさえあまり興味がなくなったのもの、元はといえばそう、
自分自身に興味がなくなったからなのだな。

で、そう、改めて、ではなぜ自分自身に興味がなくなったのか、と改めて考えてみる。

あるいはそう、かの悪友の手紙の中に、まさに匂い立つように垣間見える、
その青臭いほどの自意識。

そう、この自意識なのだ。俺はついに、というか、その自意識というものから徹底的に開放されてしまっているのだ。

若い頃、あれ程までに持て余した自意識である。

それがそう、ここに来てようやくあの轍から毒から、逃れることができた、という訳なのだ。

それをつまりは、枯れる、というのだろうが、そして枯れて観て、やはり楽だな、と思ったりもする。

つまり、その自意識という轍を敢えて抱え込んだまま中年期を飛び越えていまや老年にまで差し掛かろうというこの悪友。

まさにあっぱれ、というところなのだが、だがしかし、俺にはできねえ、というかやる気もねえというか。

なぜかな、と改めて考える。そして彼の手紙の中にあるその徹底的な違和感、すれ違いとはなにか、と改めて考えてみる。

つまりはそう、女なんだろうな、と行き当たってしまった。

そう、俺は女、つまりは妻と知り合ってから、そんな自意識を捨て去るに至った。

何故か、と言われてみれば、そう、俺は妻と知り合って、自意識、というよりも、俺自身よりも大切な存在、というものを手に入れた、
という幻想に至ったのである。

それを奴は、ちんけな幻想、とばっさりと斬り捨てる。

そんなちんけな幻想、とっとと捨て去れ、相手だって迷惑だろう、と、つまりはそういうことなのだ。

そっか、迷惑なのかな、やっぱりそうかな、と改めてかみさんの寝顔をしげしげと観てみる。

確かに昔のような華も艶もなくなったが、やはりそう、ここ数十年連れ添ってきた唯一絶対の相方である。

がそう、定年離婚を例に出すまでもなく、女の方がずっと現実的。
男を見限った日にはさっさと姿を晦ます事例は後を立たない。

そっか、やっぱり俺たちもそんなものなのかな、と思ってみたりもするのだが、
だがしかし、なのである。

悲しいかな、俺はもうすでにこの暮らしがあまりにも身体に染み付きすぎている。

つまりは、自分のことなど徹底的にどうでもよい。つまりは、この女を、この犬を、守るためなら自分の身などどうなろうと知ったことか、
そう思って生きてきた、そのスタンスを、どうにもこうにも変えることができんなくなってきているのだろう。

そう言えば、とふと考える。
例の乳がんの検査、再検査、となったようだ。
もしもここに来て乳癌なんてものが発見されたら。

そう思うと、果たしてこの最高の相方を失うという幻想が、俄に現実味を帯びて来る気もする。

もしも、この女を失うようなことがあったら。

その時は俺はいったいどうするのだろうか。

一思いに死んでしまった方が楽かもしれない。
が、わざわざ死ぬ元気も出ないほどに、徹底的になにもかもがどうでも良くなってしまうかもしれない。

そして俺は、犬が寿命を全うするのを見届けた後、そして多分、再び旅にでることになる。

まるで抜け殻となって、まるで空っぽとなって、なにもかもがどうでも良い儘に、
ただただ、さすらうことだけを目的にさすらう、孤独な旅に出ることになるだろう。

そう言えば若いころ、あいつとこうして旅をしたよな。
そう言えばあいつとこんなものを食べたよな。

そんな思い出を反芻しながら、ついにはミイラのように干からびきって腐り果てて、
そしてどこかの荒れ地の砂塵に巻かれるタンブル・ウィードのように、その無益な一生を終えるのかもしれない。

そっか、俺って結局、その程度の人間だったのだな。
という訳で、そう、そんな日が来るまでは、俺は旅には出ない。出る必要もない。

限りなく凡庸且つ無意味であった俺の人生。がしかし、悔いがなかったと言えば嘘にはなるだろうが、
それなりに楽しかった、或いはそう、あんなふうだった俺が果たして幸せなんてものを実感するようなことになるとは、
到底思いもよらなかったぜ、とは思っていたのは確かだ。

という訳で、そっか、俺はこうしているのが幸せなんだな、と思い知った。

そしてそんな悪友からの手紙に、彼の底知れぬ不幸、あるいは葛藤の凄まじさを気付かされる訳だ。

悪い、俺は日和った。がしかし、もしかしたらちょっとは幸せなのかもしれない。

そんなことを思ったりもしていたここ数日だった。





プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
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