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西72丁目のあたりには本当にろくなレストランがない

Posted by 高見鈴虫 on 16.2011 ニューヨーク徒然
去年からここ72丁目に引っ越してからと言うもの、
正直言って近所でろくなレストランに入ったためしがない。

まあ確かに犬を連れているというのがある。

犬の嫌いな人にとっては、
せっかくの外食の機会を隣の犬に邪魔されたくは無いだろう。

という訳で、DOG FRIENDLYのレストランに限られるのだが、
不思議なことに、これだけDOG LOVERが多い地域でありながら、
そう考えると不思議なぐらいにDOG FRIENDLYのレストランが少ない。
あっても、必ずまずい。
jまさに、
犬を呼び餌にしなかったらだれもやって来なかったからか、とさえも思わせるような代物ばかり。

がしかし、

ならば、と、犬を連れずに外食に出たらうまいものがあるのか、
と言えば、それもそうともいえない。

とくにアジア系は壊滅的にやばい。

日本食などはなからあきらめているが、
名前からして、これはぜったいに日本人の命名ではない看板が、
堂々と日本食を歌っているところがまたいんちき臭く、
足を踏み入れないどころか、
そんな店には顔さえも向けたくないし、
そんな店は、きまって、
本当の日本人が通りかかると後ろめたそうに顔を背けるのですぐにわかる。


だったら中国系はどうか、というとやはりこれもやばい。

やばすぎて、まじめに食べたら身体を壊しそうな気もするのだが、
果たして、食べ終わると必ず身体を壊す。
つまり、
超ド級にとんでもない量のMSGが叩き込まれているのか、
あるいは、NO MSGと歌ったからには味付けの必要は無い、
とばかりに、なんの味もしない、ただ焼いただけ、煮ただけ、のような代物、ばかり。

まあ確かに、リンカーンセンター近くの、
それこそ、座っただけで1万円が飛びそうなレストランはそれなりに美味しいのだろうが、
日本からお客が来たわけでもなにかの記念日であるわけでもなく、
ただ近所で普通にてんやもんで済ませたいってなときに、
このすさまじいばかりのまずさはほとほと悲しくなるばかりだ。

このコックは、と思う。

まず自分で作ったものを、人に食べさせる、どころか、
自分で食ったらどうなるか、ということさえ、まったくなにも考えていない。

このコックは、
自分で作っているものを、たった一口でさえ、味見をしていない。

ただ、なにも考えないままに、泥だらけの床に転がった野菜を荒いもせずに引きちぎり、
火をかけたままのコンロにゆだった手鼻まじりの油に放りこみ、
フケをこそげ落としがてら手づかみの塩のかたまりを、
それがなんかも知らずに脇目を振りながら放り込むか、
あるいはそれすらも忘れてしまって、と。
で、
これじゃあまりにまずいだろうと気をつかったウエイトレスが、
コーヒー用の砂糖やらなんやらを気持ちばかり振りかけてみました、
とか、
たぶんそういった状況でこの大作ができあがってる筈だ。

かみさんはもちろん不機嫌である。

料理などまずくても楽しい時間をすごすことは可能な筈なのに、
という言い分なのだが、
かみさんには悪いが、ここはやはりひけない。

金を払って食べる、食べさせる以上、金を取れるものを作るのが義務、と思っている。
そこを譲るわけにはいかない。

というわけで、店のオーナーを呼んで、
これは日本食どころか、人間の食べるものとは思えない。
そちらで確認してほしい、と下げてもらったら、

次に出てきた
焼きうどんにやまほど海老とイカとカニかまを入れてくれた。

なのだが、
これもサービスのつもりか、白身魚もフライに酢蛸やらわかめ、なんてのも入っていて、
まさに残飯の一歩手前。

で、止せばいいのに、
誰に聴いたのか、ごま油をかけた上から、
しょうゆをぶちまけ、で、そこになぜか山のようなサッカリンをぶちまけてしまっている。

正直言って、皿が届いた途端、匂いをかんだだけでうっとこみ上げてきた。

だろ?
あんたが変な文句言うからだよ。
そうとも見えないぜ、ほら、自信作ですってな顔してるし。
この人たち、人間の食べ物食べたことないんじゃない?
だから言ってるだろ、そうなんだって。

が、しかし、事実がどうあれ、こんなものに金を払わされるのは堪らない。

たしかに、このごみ以下のものに金を払ったら生きていけない、
訳ではないが、
笑ってはすまないぐらいの金額は取っているはずだ。

つまり、ぶっちゃけ、この吐き気をもよわせる生ごみ予備軍は、19ドル、なのだ。

と言うわけで、ここまできたら仕方が無い、とばかりに、

目の前の寿司シェフに、食ってみろ、と食わせてみた。

最初は拒否したが、俺の笑いが、うれしいのでも楽しいのでもなく、
ただたんに、思い切り辟易して苦笑いだ、と気づいてさすがに一本だけ箸をつけた。

うまいか?
と聞かれて首を傾げる。
うまいのか?まずいのか?YESかNOだ。
YES,と答える。うまいよ、と。
なら全部食え。

いや、それは、と苦笑い。

と言うわけで、床に落としてやる。

あ、悪い、と笑ってやる。

ついでにテーブルも椅子も転がしてやってもよいと思うがそこまでやると警察を呼ばれたときに言い訳ができない。

ので、皿だけだ。

悪かったな。作り直してくれ、と言ってやる。
せめてものおなさけだ、と俺は思っている。

ちなみに、
がきはしらないだろうが、俺がまだがきだった時代はそういう奴がたくさんいた。

場末の安食堂でさえ、まずい、食えねえ、なんて日常茶飯事だった。

つまり、
少なくとも日本の料理屋はこれで鍛えられたということだ。

ちょっとおしゃれになってからでさえ、

看板といかさまチラシとうんちくばかりでまったく身が伴わない店には、
やはりそれなりの報復がまっていたように思う。

女は一口食っただけで箸をおき、ビールもう一本、とタバコに火をつけ。
男はタバコを吸殻を料理の上からおしつけて、これ下げてくれる?気持ち悪くなるから、
と、さらりと言ったものだ。
それに文句を言われたら、そのときはテーブルを転がした。

こんなまずいものに金は払えない。やるならやる、かかってこい。
あるいは、
作り直すというなら、もしかしてそれがうまかったら、2食分の金は払ってやる。

作るほうも本気なら食うほうも本気だ、日本はそうやって鍛えあがってきた国だ。

が、しかし、悲しいことにいんちき日本食屋はやはりいんちきでしかない。
彼らはぜったいに作り直しはしない。
作り直さないところがまたいんちきたるゆえんだ。

なきそうな愛想笑いでたちの悪い客を送り出した後、
手鼻でもかんで残飯に叩き込むだけだろう。

それぐらいのものしか作っていないのを彼らも重々ご承知なのだ。
つまりははなからそれぐらいのもの。

日本食がいったいどういうものなのかを知らないばかりでなく、
一皿19ドルを出したら、ほかの店ではなにが食べれるか、それさえもなにも学んでいない、
つまり、徹底的になにもしらないだけの話なのだ。

ああ、まずいものばかりだ。
どいつもこいつもみんな早くつぶれてくれないか、と本気で思う。

100ドルだせばまともなものがあるって?
そもそも19ドルでまともなものをくわせろというのから無理な話だと?

ばかばかしい。
家賃が上がりすぎるから、と、ただそれだけの理由、なんだろ?
こんなキチガイ家賃では、どんなみせも、まっとうに商売などできるわけが無い。
というつもりか?
いっちゃなんだが

料理人も1年でもたてば、生ごみからだって、塩かげんと油かげんだけでそれなりに食べれるものを作ることは十分可能だ。
そのぐらい、だれでも知っている。
昭和の日本の主婦なら、だれでもやっていたのだ。

つまり、
ニューヨークで飯がまずくなったのは、それすらもできないことに対するただのいいわけだ。

100ドル出さなくてはまともなものが食えない町が世界中のどこに存在する?
100ドルだしてもこんな投げやりなごみのようなものしか出せない国がどこに存在する?

72丁目で外食に出るたびに、
俺はNYCという街の終わりを痛感するようになっている。
もうこの街は飽き飽きだ、と本気で思っている。

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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