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911のことはできることなら思い出したくはない

Posted by 高見鈴虫 on 08.2011 ニューヨーク徒然

>そろそろ9.11から10年になるのか~?

最近、というよりも、まあ、例の911以降、
テレビはほとんど見ねえんだが、
なんかテレビを点けるたびに、
911の10周年のことをやっているようだな。

が、

こないだの日本の地震もそうだが、
実際の当事者は、部外者から「そのこと」に触れられることを嫌がる。




俺にとっても、911のことはできることなら思い出したくはない。

あの時は悲しかった。

これ以上なく途方にくれて、
無力でやるせなくて、
じっとしているだけでも涙がこぼれて来た。

へいへいの体で出張先から戻た夜、
それまで軟禁状態だったかみさんと気晴らしの散歩に出て、
同じように部屋で軟禁状態にあった友達たちを、
ひとりひとり呼び出し誘い出し救い出しながら、
宛てもなく夜のミッドタウンの街を彷徨っていた訳なのだが、
ふと足の向いたユニオンスクエアに辿り着くと、
同じように、
ひとりで部屋にいることがいてもたってもいられなくなった人々が、
誰に言われたわけでもなく自然に集まって来ていた。

花壇に並んだろうそくの灯りを前に、
身を振り絞るようにして泣き崩れる消防士たちの姿を見た。
呆然と空を見詰めたまま動かない父を失った家族や、
唇を噛み締めながらただ歩き続ける人々が、
互いに物も言わずに抱擁を繰り返し、
そして何も言わずにすれ違った。

そこには、ブッシュも、オサマも、テロも、憎しみも、なく、
ただただ深い深い悲しみと、心にぽっかりと空いた風穴があるばかり。

そんな中、ふとどこかで声が聞こえた。

生ギターを持ち込んだ誰かが、ふと爪弾き始めたメロディーが、
いつのまにか、誰ともなく、ボブマーレーのNO WOMAN NO CRYを歌い始めていた。

それが、見る見ると、まるで潮が満ちるように、ユニオンスクエア中に広がりはじめた。

ある者は泣きながら、ある者は見つめあいながら、
ある者は抱きしめ合い、支え合い、
この先、どうなるか判らない絶望の淵にぶら下がりながら、
EVERYTHINGS GONNA BE ALRIGHT と繰り返していた。

それは一種、壮絶な光景だった。

音楽なんてものに携わりながら、
音楽なんてものが、どうしてこの世に必要なのか、
と常々思っていたのだが、

このときばかりは、音楽の持つその力に、まさに叩きのめされ、
包み込まれ、そして、洗い流された気がしたものだ。

音楽は必要なんだ、とつくづく思った。

音楽は、まさに、このためにあったんだ、とようやく気がついた。

金やら名声やら才能の発揮やら、
俺はうまいだ下手だとか、
音楽に対してそんなことばかり考えていた俺は
そんな俺がつくづく嫌になった。

音楽なんてやめよう、と思った。
ここにこうして「音楽」が存在する以上、
俺なんかがわざわざ音楽をやる必要などねえな、思った。

と言うわけで、
俺はあのジョージブッシュの8年間、
テレビも見ず、音楽も聴かず、
ただひたすらにテニスばかりをしていた。

今から考えると、まるで馬鹿のように、まさに物に憑かれたように、
朝起きてから仕事中から家に帰ってから、
朝から晩までテニスばかりやっていた。

世界を包み込んだあの人間の澱の全てを吐き出したようなEVEILの霧の中で、
黄色いボールを引っぱたきながら、
世の中でなにがあろうと知ったことか、
俺はどこにいっても誰とでも、テニスコートと黄色いボールと、
そして、「相手」がいれば、なにがどうあろうと知ったことではない、
と思っていた。思い込もうとしていた。

911からのその後の10年は俺はそのように過ごしてきた。
なので、その後の10年、と言われても、
不思議なことに何の記憶もない。

今行われているUSOPENの会場で、
その頃、共にテニスをしていた奴等と久々に顔を合わせた。

もうみんなテニスはあまりやっていない、そうだ。

まさにブッシュが去って、魔が落ちたように、
俺たちはいつのまにかテニスをやめてしまっていたようだ。
おかしな話だ。

と言うわけで、911とブッシュが去った今、
俺はなにをしているかと言うと、
犬の散歩と、そして、なんとROCKだ。

普段からROCKなんて音楽はほとんどまったく聴かない癖に、
LIVEが決まるとなると必ずROCKだ。

昔は、やれCLICKに合わせろ、やら、裏だ表だ、キメだ、
などとやっていたのだが、
近頃、端的に言ってしまえば、311、つまり日本の地震以降、
そういったことさえもが、うざったくなった。

とりあえず、最初と最後とアクセントさえ合わせておけば、
後は何でも言い訳でよ、できるならもう、それだけに徹しちまおうぜ、とかなんとか。

全ての予定調和、つまり練習の成果を、LIVEのステージの上でわざとぶち壊し、
いきなり滅茶苦茶な中から、アクセントに向けての気合だけでなんとか持ち直し、
なんてことをやっている訳だ。

これまで、
どうも世の中が俺とあわねえ、俺がおかしいのか、
と思い続けていたさまざまなものが、もう本当にどうでも良くなった。

俺は俺で俺が正しいと思ったことを勝手にやろう、と思っている。

つまりは、気合と真心だ。

昭和回帰だ、時代遅れだ、と言われるが、

いろはの意味が、色は匂えど、にあるように、
無常を理解して初めての世界だ。

911と311の後に、ここに来てようやくすっきりして来た気がする。

週末のGIGの熱が残っているのか、幼稚な文になったね。

ご拝読グラシアス。




            ~遠方の友に宛てたメールより


プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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