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劣化する人類

Posted by 高見鈴虫 on 07.2016 音楽ねた
最近、とみに音楽への関心が失せている。

生涯の殆どを「バンドマン」として過ごしてきた自負のある俺にとって、
これはまさに忌忌しき状況である。

しかしながら、ふとなにかの機会に、
TOP40系なんてものを聴いたが最後、
いかりや長介ではないが、
だめだこりゃ、
まさにそんな感じ。

全てがサンプリングとリミックス、
つまりは、切り貼りによって作られている音楽。
まあ切り貼りは良いにしてもだ、
そこに徹底的に、オリジナリティというか、
創造性というか、まあぶっちゃけ想像力が微塵も感じられない、
というのはいったいどういうことなのだろう。

すべてがどこかで聞いたようなフレーズ、
つまりは切り貼り。
あるいは、ただのパクリ。
そのパッチワーク。

これ作っている奴、まったくのど素人なんじゃないのか?
と首を傾げることしきり。

同じパッチワークをするにしてももう少しなにかやりようがあるだろうに、
とは思うのだが、
でもね、だってさ、所詮はサンプリングの切り貼りだろ?

つまりは、ド素人、あるいは子供が悪戯に切り貼りを続けて、
その浅知恵のなかで勝手に自己満足した音楽。

つまりそこには、ポテンシャルが皆無なのである。

ポテンシャルのない音楽?

こりゃもう、徹底的にこいつらダメなんだよな、
と思わざるを得ない。

あるいは、そう、
それはもう、故意に、つまりはありったけの悪意を込めて、
音楽というものの陳腐化を図るためのまさにテロ行為。

これはまさに、劣化だな、と思う。

しかしながら、
なぜ音楽がここまでダメだこりゃ、になってしまったのか、
とは思いながら、まあでも、もうどうでも良いけどね、
と思っていること自体が、この時代の正しい音楽とのつきあい方なのかな、
とも思っている訳だが、

端的に言って、人類はもう音楽に飽きてしまった、ということなのだろう。








でまあ、そう、
世はまさにIPHONEの時代である。

人類の歴史上、音楽これほどまでに大衆化した時代、
というのは無かったのも確か。

どいつもこいつも耳にイヤパッドを突っ込んでいる。
辺りで起こっていることなど馬耳東風。
他人のことなど知った事か、という風情で、
イアパッドからの音楽に顎の先を揺すってたりするのだが、
果たしてそんな人達がいったいどんな音楽を聴いているのだろう、
とふと興味を覚える度に、
そこで流されている最近の流行、つまりはTOP40,

その音の陳腐さに思わず、げげげげ、と脱力を覚えるのである。

という訳でそう、最近の音楽に興味がない、どころか、
俺は既にそれを憎んでいる。あるいは生理的な嫌悪、
つまり、思わず吐き気を催す程の殺人超音波のように感じる訳である。

という訳で、かつてあれ程までに魂を傾けた音楽という奴。

果たして音楽というものに熱狂を感じたのはどれほど前のことだっただろう。
果たして音楽というものに涙を流したのはいったいどれぐらい前のことだっただろう。
俺自身の感受性が衰えたせいか?
あるいは、俺自身が恋をしていないからであろうか。

いや、それだけとは限らない。

俺は今でも、どこかに新しい音はないか、と探し続けている。
あるいは、飢えている。

誰かお願いだ、こんな可哀想な俺を驚かせ、狂喜させる音、紹介してくれ!

とは常々思っているのだが。。

という訳で、俺にとって見れば、
音楽の劣化、とはつまりは、人類の劣化である。

なぜここに来て人類は劣化を初めてしまったのか。
それに歯止めをかけることはできないのか。

TOP40を聴く度にいつもそんな下らないことを考え始めるのだが、
おいおいおい、と今更自分で自分に苦笑い。

そんなことは俺が生まれる前から討議されてきた話題だろう。

つまりそう、そういうことを言いたがる奴がいつの時代にもいる、というだけの話。

人類が劣化したなど、誰も思ってはいない。

世界はIPHONEの時代である。
常時、インターネットという無限大の人類の知恵の集大成に直結しているのである。

ユビキタス、と誰かが言う。
ユビキタス?
すぐにIPHONEに向けて、ユ・ビ・キ・タ・スと入力、あるいは言ってみる。
ああ、どこでもコンピューターのこと?つまりこれ、IPHONEじゃない。

つい十年ほど前まで、まるで未来世界のように思えていたこのどこでもコンピューターが、
いまやあったりまえのこととして手の中にある訳だろう。

この状態を見て、劣化、などというやつはアホである。

劣化したのはそれを使う、あるいは使わされる人間の方、あるいは人間だけ。

ワープロが進化して人類は書、つまりは字を書く能力を劣化させ、
漢字を忘れ、地図を忘れ、単語を忘れ、文節を忘れ、文章を忘れ、
つまり必要なのは、キーワード、あるいはタグ、だけ。

だって、ほら、このIPHONEでキーワード、
ちょちょっと入力すればすぐに判るし。

そう、世の中は便利になった。素晴らしく便利になった。
便利でなかった時代を知る者にしか、
新しいデバイスの出現により。それがどんな変化をもたらしたのか、
なにが便利になってそしてなにが起こったのか、
それを理解することはできない。

そしていまなにが起こっているのか。

IPHONEによって世の中が便利になった分、
必要としなくなった能力を人類は切り捨てた、つまりは劣化させた。

がしかし、切り捨てるだけ切り捨てながら、
しかし、その分、なにかを学んだのか、習得したのか?

そこにギャップが生まれてきているのである。

つまりは、人類はまだ、IPHONEにぶっちぎられたままなのだ。

そしてそのギャップは、この先、まだまだ、あるいはどんどんと広がることになる。

世の中が便利になった分、そうやって楽になった分、
その埋め合わせとして、人は何か新しい能力を身につけなくてはいけない筈なのだ。

それを判っている人々は、時代の進歩についていけない、と嘆き、焦り、
そしてテクノロジーに盲従しては、弄ばれるばかり。

そして、それを判っていない人々は、ただひたすらに劣化の一途を続ける訳である。

人類の劣化、とは、つまりはそういうことなのだ。

音楽が、文学が、映画が、演劇が、
社会が、政治が、ウヨクが、サヨクが、民主主義が、
若者が、中年が、老人が、男が、女が、

劣化した?

笑わせる。

そういうことを言いたがる奴はいつの時代にもいた。

あるいは、もしそれが事実なのだとすれば、
劣化を始めたものになど今更拘っているべきではない。
劣化した人々などにわざわざ関わりあっている暇などないのだ。

つまりはそう、自分自身の先を見据えて、それに向かって進めば良い、それだけの話。

ぶっちゃけ、好きなこと、面白そうなことだけやっていれば良いのだよ。
いつもいつも、面白うそうなものを探し続けること、大切なのはそれだけ。

そのためには、劣化を始めたもの、つまりは飽きたものに、
思い入れなど残すべきではない、のだ。

やめてしまえそんなもの!
もう飽きた、とほっぽり投げてしまえばそれで済むことなのだ。



プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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