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なんでバンド辞めたの?

Posted by 高見鈴虫 on 02.2016 音楽ねた   0 comments
なんでバンド辞めたの?
と聞かれる度に、
ああ、はっはっは、そうですねえ、と笑いながら、
しかし内心では、
馬鹿かこいつわ、と正直思っている。

食えねえからに決まってるだろ

というのがそのあまりにもぶっちゃけたご回答な訳で、
そんなことはまあ当然のことだろ、わざわざ言わせるな、と。

という訳で、そういう失礼な質問をする奴ってのは、
結局は、なにかで食おう、とした経験がない人、な訳で、
あるいは、他人から命じられたこと以外のことに、
熱意を注いだことがない、つまりは、なんていうか、
基本的に自意識の希薄な人、
強いては、一度も自分の人生を生きたことのない人、生きようとしたこともない人、
であったりもするんだろう、つまりはまあ、人間もどき、
だったら、まともに相手をすることもねえか、
という勝手な判断から、
いやあ、貴族の家庭に産まれなかったからですよ、
なんていう、そのものズバリ!なんてことは露も漏らさず、
ああ、はっはっは、俺に才能がなかったからですよね、
などと思ってもない慣れ合いの言葉でお茶を濁す、ぐらいが、
ちょうどいいか、とも思っている訳だ。





がそう、この、なんで辞めたのだろうか、という質問、
実は、何度となく、あるいは、そう、まさしくありとあらゆる曲面において、
その問いを繰り返していたりもする訳で、
ぶっちゃけ、
バンドを辞めた後に、苦労をさせられる、なんてことがあるたびに、
くっそお、せっかくバンド辞めて楽になったと思ったのに、
こんなことで(無駄な!)苦労させられるぐらいなら、
わざわざバンド辞めた意味がねえじゃねえか、
なんてため息をつきながら、
ああ、こんなことならバンド辞めんじゃなかったな、
なんて、救いようもない愚痴をつぶやき続けて幾十年。

で、
改めて、なんでバンドで食えなかったのか、
というとまあ色々あるのだろうが、
ぶっちゃけ、本気で食おうとはしていなかった、
つまりは、プロ根性、というよりも、それを労働として割り切れなかった、
ってところに、敗因がある、とは思っている。

それが職業、あるいは、労働となれば、
仕事が好きだから、やら、楽しいから、
なんてところだけではやっていけないのは当然のこと。

仕事である以上、辛くて当然、つまらなくても当然、
よって、愚痴も言えば、欠伸も出るし、
嫌なやつにもペコペコ頭をさげなくてはいけないし、
おべんちゃらも言えば嘘も言う。あるいはそればかり。
営業は勿論、マーケッティングから顧客データベースの構築からアフターケアの充実、
つまりは、ビジネス、ともすると、
やりたくもないこと、あるいは、時として、やってはいけないことさえも、
嫌々とやらされることにも成りうる訳で、
まあ、そうなるのが怖かった、というよりも、
多分そうなってしまったらつくづく逃げ場がなくなって、
それに耐えられる自信がなかったのでは、
つまりはビビって逃げてしまった、というのが真相なのだろうがな。

そう、その気になれば、ハコバンでもカラオケの伴奏でも、
下手すれば、音楽学校の講師、の助手、やら、
あるいは、サンプルの切り売り、なんて方法やら、
つまりは、なんとしてもそれで金を作る、
結果として、方々から小銭をかき集める、
下手をすれば、音楽仲間、その盟友から金を毟り取る、
ってな方法も無きにしもあらず、であったのだろうが、
それが果たして、俺が音楽に求めていたものなのだろうか、
と思えば思うほど、その表看板の裏側の世界にどっぷりと浸りきることになるのを、
躊躇していた訳で。

と同時に、そう、
実際にハコバンになった奴やら、
あるいは、三角ステージの奥底でで、
てめえ、それ以上に音を上げるな、と散々文句を言われながら、
おとなしくおとなしく、地味にブラシこすってる奴、
なんてのもいるには居るわけで、
そしてそんな奴ら、
とても失礼ではあるのだが、あまり幸せには見えない、というか、
そこに、薬やら、オンナやら、ガキやら、なんてのが絡めば絡むほどに、
ぶっちゃけ、ちょっと哀れ、にも思えてきてしまったりもして、
がしかし、たまに飛び込んでくるおいしい仕事、
あるいは、胸は膨らむシャボン玉のような夢の様なお話、
そんな箸にも棒にもかからないぬか喜びにすがりながら、
果たして、月々の家賃から食費から光熱費からを、
定期的にきっちりきっちりと払い続けるってのはまさに至難の業、
というよりもほぼ不可能、ほとんど悪い冗談、な訳で、
くっそお、この仕事、給料が安くてやってらんねえなあ、
やっぱり、なにをやっても食っていくのは大変だぜ、
とか、そんな辛気臭くも社畜的な愚痴に、
音楽が汚染されていく状態 はあまりにも辛い、とは思う。

とは言いながら、誰に頼まれたわけでもないのに、
夜も寝ずに飯も食わずに身体ボロボロ、
まさに命を削りながら「音楽」をやり続ける、ってのが、
まあまさに俺的なバンドマンとしての宿命でもある訳なのだが、
それをコスパで判断してしまうとあまりにも効率が悪すぎてお話にもならない、ってのがあって、
つまり、金が目的では到底なりゆかず、しかし、金ももらえないのにこんなことをやる、
ってことがあまりにもバカバカしくなるぐらいの労力が必要となるのは自明の理。

という訳で、なんでバンド辞めたの?と言われるたびに、
ああ、ははは、と、そんなことこっちが聞きてえよ、と笑っている訳だが、
ほんと、ああ、くそ、バイト辞めてええなあ、ではないが、
仕事しなくても食っていけるなら、24時間ずっと音楽をやっていたかった、
というのは紛れも無い本心であったりもするわけで、
そうできなかった、音楽で飯が食えるところまで至れなかった、
というのはつまりは、
ああ、金持ちのガキに産まれたかったぜ、ではないが、
そう、つまりは、そういうのも全部ひっくるめて、
強いては、才能がなかったってのが敗因、
つまりは俺、負け組ってやつなんだろうな、
という気がしないでもない、
というかぶっちゃけ、実はいつもそう思って生きている。

とそんな時、こいつはもう、いかにもどうしようもねえ極楽とんぼのアホ、
と思っていた輩、
自称サーファーなんていうあんちゃん野郎から、

え?なんでそんなこと思う訳?とマジ顔で聞かれた。

俺、人生=サーファー、と思ってるけど、でもそれで食おう、なんて思ったこと無いから、
でも、何の仕事をしてようが、俺がサーファーであることに違いはないし、
だから俺は、それを一生続けていくと思う。

うーん、立派な意見である。

たしかにな、そう、最初からそれで食うということを完全に切り離してしまえば、
まさに趣味、あるいは、禅修行のつもりでもそれを続けることは可能であった訳で、
そうするべきであるのだな、という気がしないわけでもない。

あるいは、そう、かつてダイバーの奴らとつるんでカリブの島々を廻ったりもしたものだが、
だからと言って奴らがダイブで食えるか、それが目的か、というと全然そんなことはなくて、
まあ確かに、インストラクターのライセンスを取ってダイブ・ガイドで食おう、やら、
あるいは、コマーシャル・ダイバーなんてのになってしまうと
もうほとんど特殊技能師あるいは危険物取扱士やらと変わらない世界にはいってしまう訳で、
それはなんとなく、ダイバーってイメージとは違うような気もする訳で、

そう思うと、そっか、ハコバン、やら、カラオケの伴奏やらって、言ってみればコマーシャル、
つまり、コマーシャル・音楽家、な訳で、
つまりはそう、バンドマンってのは、、コマーシャル・ダイバーと似たところがある、
と思ってしまうとなんとなく納得が行く。

そうだよ、食える食えない、とか、
命刻んでは、ソレ以外なにもないところにまで自分を追い込んで、
なんていう、一種の極道性というか、切羽詰まったプロ志向、なんてのを捨ててしまえば、
つまりはそう、禅修行のつもりの音楽家、あるいは、サーファーの連中と同じ尺度で、
生涯一ミュージシャン、ってのを貫く、というもの悪くはないのだな、という気もしてくる。

だがそう、いや、音楽が趣味で、やら、下手でも好きならいいじゃないか、やら、
週に一回、スタジオはいってストレス発散するのが愉しみです、
なんてのとは、あんまり一緒にされたくねえなあ、という妙な拘りから、
どうせ死ぬ気でできねえなら、きっぱりと辞めてしまおう、という、
その自虐性にも近い二極性こそが、
俺の中で音楽の占める位置、であったりもするわけで、なかなか難しい。

という訳で、そんなこんなで音楽から離れて既に三年になる。

その間、うへえ、凄いや、こんなことさえもできなくなってるぞ、凄いや凄いや、と、
自身の劣化に素直に驚いている、なんていうことを繰り返していた訳だが、
ここに来て、待てよ、本当にそれで良いのか?とは思い始めている。

いまさらアイドル・バンドで、ロックスターとして一大ブレイク、
なんて冗談にもならないことは判っていながら、
それでもやり続ける、つまりは、打算から完全に切り離された状態で、しかし、それをやり続ける、
まさに、ライフ・ミュージック、というか、ぶっちゃけ禅修行的なミュージシャン。

それはそれで良いのかな、とは思いながら、

くそ、でもどうせやるんだったら録音ぐらい撮りたいぜ、
だったら、ギグぐらいやりたいぜ、
どうせギグをやるなら客を集めたい、
どうせ客が集まったんなら、もっとでかいハコでやりたいぜ、
だったらCDぐらい出したいし、どうせ出すなら売りたい、

とまあ、そういう轍、というか、業、というか、罠に巻き込まれていくのは必至な訳で、

と、うだうだやりながら、
へっへっへ、実は俺、犬の散歩の間に、スティックコントロールの練習を再開していたりするのである(笑

であらためて、この空白の間の劣化の凄まじさよ、とは思いながら、
つくづく、もういたずらに自分を苛めるのはやめにしよう、とは思っている。

という訳で、ちょっくらスタジオにでも入って久々に叩き込んでみるか、
なんてのが、まあ運の尽き、つまりは罠であったりもするのだな。

ここに来て、辛辣に、
ライフ・ミュージックの意義を問われている気がする今日このごろ、なのである。




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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