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実写版・ジャングルブック を観る

Posted by 高見鈴虫 on 25.2016 読書・映画ねた
長く映画狂を自称していた俺が、映画館に足を運ぶことがなくなって久しい。
大抵の映画は自宅でDVDで観てしまうことが多く、
或いはそう、YOUTUBEではないが、なんらかの方法を使えば、
ほとんど大抵の映画はタダで観れてしまったりもする。

でつくづくわざわざ映画館に足を運び、早送りも巻き戻しもできない映画館、
前の奴の頭の角度や後ろに座ったカップルの下らない会話や、
あるいは隣りに座った親父の肘がじゃまだ、ポップコーンがバター臭くて、
やらと色々と不快な思いを差し引いてさえも、
映画館で観なくてはならないその必然性は、と考えれば考える程、
映画館に出向きそこで金を払うことの意義が曖昧になってしまう訳だ。

とそんな俺が、これだけはどうしても、と大枚を叩く気にさせられる、
そんな稀有な作品、そうざらにあるものではないのだが、
こいつだけは、この作品だけはなにがあっても、と思い込んだ、
この「ジャングル・ブック」はまさにそんな作品であった。






言うまでもなく、このジャングル・ブックこそは俺の原点であった。

嘗てのジャングル大帝から始まり、俺はその成長期を、
まさに動物に始まり動物に終わる、類まれな動物ファンのガキ、として育った。

ジャック・ロンドンから椋鳩十から、
動物作家こそが俺の読書への最初の扉であったあったし、
名犬ラッシーから、驚異の世界から、フリッパーまで、
まさに幼少の俺の興味は動物物に限られている感があった。

そんな幼き俺は、想像上と現実の区別が付かず、
動物は友達であり、動物たちとの会話は当然のように可能である、と信じこんでいた感があり、
ドリトル先生ではないが、俺はまさに当然のこととして近所の犬や猫たちと、
会話をしている、と思い込んでいたところがある。

そんな俺の動物妄想の原点となった作品がこのジャングル・ブックであり、
狼に育てられ、ジャングルのアイドルと成長するこのモーグル少年の物語は、
寓話どころかまさに人生の教科書にも勝るものであり、
そしてその後の世界冒険旅行から、究極のビーチを探し求める珍道中から、
その中にあった、手付かずのジャングルへの強烈な憧憬も含め、
その後の俺の人生の、その美意識の殆どを決定づけてしまった、
と言っても言い過ぎではない、まさにトラウマ的な作品である。

がしかし、どういう訳か、
幼き頃に見たはずであるディズニーのアニメーション版の印象が殊に薄い。
そのストーリーは古典的名作に対する一般的常識の範疇を出ず、
そのシーンのひとつひとつは、というとどういうわけだか記憶がないのである。

この実写版、そして3D版であるところのジャングル・ブック、
まさに先祖返りではないが、我が人格形成の原点への回帰という意味もあり、
できる限りの大画面の3Dと最強の音響システム、
俗世間から完全に隔絶された中、その世界にどっぷりと浸り込んで鑑賞すべき作品として、
宿命さえも感じるほどに思い入れていた感がある。

というわけで、朝も早くから早々に犬の散歩を切り上げて、
早朝割引のリンカーン・スクエア、
ガキ連れの家族やら、徹夜明けのナードたちに、
あるいは、ドラッグ・トリップの新たな次元を模索する酔狂なジャンキーたちも何のその、
特大IMAXに3Dのメガネをかけ、地を震わす大音響の中、
思わずどっぷりとジャングルの臨場感に浸り込む、
というよりはまさ疑似体験にも近い凄まじい経験をさせて貰った。

で、すべてをかっ飛ばしてこの「ジャングル・ブック」。
結論から言わせて貰えば、まさに絶対の五つ星の大傑作。

とても言葉には言い尽くせないほどに、超絶的に素晴らしい作品であった。

狼に育てられたジャングルで唯一の人間であるモーグル少年が、
ジャングルの動物たち社会の中、まさにあふれるほどの愛に包まれ、
がしかし、人間であるところの宿命からジャングルを追われ、
そして人間であるところの特性を駆使してジャングルを救う、
ってなストーリーである訳なのだが、
いやはや、まさに、その実写技術、素晴らしいの一言である。

そこに登場する動物たち。
まさに、生き、そして当然なことこのように会話をしている。

その特徴から動作から表情から視線から、そしてその語り口から、
飼いならされていない野生動物の刻印であるところの汚さ、まで、
まさにリアルリアル、リアルの一言。

狼やらクマやら黒豹達と、鼻と鼻を付きあわせては、
溢れるほどの愛に満ち溢れたその情感をこれでもかと注ぎ込まれる訳で、
いやはや、これはまさに、寓話というよりはむしろ現実。
それも、信じれば信じるほどにヤバイ、まさに危険な寓話そのもの。

鑑賞後、ふとREVIEWを観てみれば、軒並み大絶賛に祝されたこの作品に、
がしかし、と否を唱える論調があった。

子供にはショックが大きすぎる。とても危険な作品である、という趣旨である。

ショックが大きい?危ない?まさか、とかみさんが首をひねる。
だって、残酷なシーンなんてなんにも無かったし、
弱肉強食で狩り狩られる動物たちの、なんてことも全然無かったし。

そう、がしかし、俺には判る。そう、俺だから判るのだ。
この作品は危ない。
ある種の子供、それも俺のような現実逃避癖のある少年には、
本当に危険な作品であると断言できる。

嘗ては、テレビ、あるいはアニメーションであったにしても、
あれほどまでに寓話と現実の堺を逸してしまった俺である。
こんな作品を幼少の頃、あるいは、ラリって見せられたりしたものなら、
まさに、動物という動物が、家族であり兄弟であり、そして唯一絶対の仲間であり、
なんて世界を、心の底から信じこんでしまった筈で、
下手をすれば、クマは友達、なんて勝手な思い入れから、
アラスカで本当にクマに食われたかのグリーズリーマンの愚行を繰り返す、
そんなどうしようもない人間に育ってしまった違いない、
そんなトラウマ的悲劇を十分に予測できる、
それほどまでに、まさに危険なほどの出来栄えにして仕上がっていた、という訳なのである。

そしてこの実写版ジャングル・ブック。
その監督はと言えば、ジョン・ファヴロー氏。

見かけはまさにブルックリンのチンピラヤクザと見まごうほどの、
無骨を絵に描いたような見るからに猛々しい大男である訳なのだが、
かの名作であるCHEFにも観られたように、
その原点とするのはまさに愛。
それも子供たち、特に父親とその息子に対する熱き愛の塊である。

このジャングル・ブックにおいても少年を囲む動物たちの、その溢れるばかりの愛情、
それこそが、種族・人種のすべてを越えた、まさに生物としての宿命としての愛。
その素晴らしさが余すところ無く描かれている。

その種がなんであれ子供は地球の宝。
愛に育まれ愛に包まれ、そんな無常の愛に守られてすくすくと育つことが子供の特権であり、
それを守ることこそが、大人の、あるいは社会の、唯一絶対の使命なのだ。

その社会性の原点に立ち返る意味からも、
また、作品中に示唆された人間の独りよがりな文明のその弊害を凝視する必要も含め、
大人が観ても、いや、大人だからこそ観なくてはいけない名作と仕上がっている感がある。

という訳で、映画を見終わった途端、思わずもう一度見たい、
あるいは、
この作品に描かれた愛に満ちたジャングルから離れたくない、と心底思いながら、
と同時に、家でお留守番をしている筈の我が親友と、
鼻先をくっつけあいながら、悪い悪い、遅くなったね。
実はジャングル・ブックって映画を見てきてね。そう、ジャングルで狼に育てらた子供も話でさ、
なんて話を、したくてしたくて堪らなくなったのも事実。

という訳で改めて、幼き頃の憧憬に立ち返りながら、
人間と動物はなぜその会話を失ってしまったのか。
あるいは、人間、あるいは動物、この地球上に生きとして生ける生物たちは、
何故にここまで調和を失ってしまったのか。

物語で語られた人間の権力を象徴する赤い花、つまり「火」。
そこから連想される、人類の獲得した新たなる火、つまりは原子力の氾濫への警笛を含め、
改めて、地球としての共存の可能性を探るべき時に来ている、と考えないわけにはいかない、
そんな気にさえさせてくれた子供映画であった。

動物ファンは言わずもがな、まさに現代人必見の作品、と言わせてもらう、といきりたって、
思わず、ニューヨーク中の犬仲間に、大絶賛のメールをさし上げたところである。

いまだに大人になりきれないままに中年は愚か老年期を迎えつつある永遠のピーターパン達。
騙されたと思って見に行ってみるべきだ。忘れていたなにかをきっと思い出すはずである。


プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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