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眠れぬ夜を貴方にも ~ サウルの息子 を観てしまった。

Posted by 高見鈴虫 on 02.2016 読書・映画ねた   0 comments
という訳で、
妙に気色の悪い文章を書いた>ニューヨークの完璧な春の朝の風景
が、前回に書いた奴は、実は、これから書くことの前フリである。

週末、そう、あの完璧な春の朝の散歩から帰り、
やれ買物に出たり、軽く食事をしたり、部屋の掃除、というかゴミを捨てたり、
なんてことをして土曜日もすっかりと過ぎ去った後、
夜の散歩から帰った後に、妙に満たされた気分のまま、
ちょっと寝るまでの間に、映画でも観ようか、とNETFLIXから届いたままになっていたDVD。

なにこれ?と聞かれて、
ああ、なんかこないだのアカデミー賞で外国語映画賞を取った奴なんだけど。
なんの映画?
さあ、なんにも知らねえ。

という訳で、まあいいや、とりあえず観てみようか、なんて感じで始まった
この「サウルの息子」って映画。

はあい、この映画、観た方ならここでもう大爆笑って奴ですね。
はい、そうです、考えうる限り最悪の状態で、地雷を踏んでしまった訳です。







という訳で、はい、
世に、見なけりゃ良かった映画ってのも多々あれど、
例えば、The Girl Next Door 邦題:隣の家の少女、やら、
或いは、凶悪、やら(笑

がしかしこの「サウルの息子」
そんな見てはいけない、なかにあっても、まさに横綱クラス。
あるいはダントツで筆頭!

まさに、そう、観てしまったことを心の底から後悔するタイプの映画、
であることを、まずはお断り。

映画はいきなりピンぼけのシーンから始まる。

なんだこれ、ずっとこんな調子?
と思いきや、いきなり画面大写しになったのは、
これ以上なく陰鬱な表情をしたこ汚い親父、その顔。

なんとなくこいつ、ちょっと危なくねえか?
街で出会ったら、あっと、こいつはちょっとブチ切れたジャンキーのホームレス、
と一瞬でスルーするタイプではあるのだが、
よりによってこの映画、そんな危ねえ面した汚え親父のその陰鬱な顔、
それ以外にはなんにも写ってねえんだよ、これが。

なんかこの親父、苛々おどおどと妙な仕事でこき使われているらしく、
でまあその仕事ってのが、はいはい、ここで種明かし。

ゾンダーコマンドって言うの?
つまりは、アウシュビッツの墓掘り人、というか、作業員。
実際にその虐殺作業の現場仕事を押し付けられていた方々。

つまりそうか、このピンぼけってのは、
見ない、見ない、俺はなんにも見ない、という例のやつ、
いやな野郎、まっぽやらやーこーやらあるいは会社の馬鹿な上司なんかから、
要らぬ説教を食らう時とかに、
わざと視点の焦点をずらして寄り目にしてたり、
見ない見ない、俺はなんにも見ないぞ、という、例のあれ。

このアウシュビッツの墓掘り人は、つまりはずっとあの、見ない見ない、をやっていた、と。

かみさんはもうここまで来た時には、すでにふっと姿をくらましていて、
そうこうするうちに、居眠りをしていた犬までが、うーん、と伸びをしては、
じゃな、先寝るぞ、と、のそのそ寝室に消えていってしまった訳で、
なんだよ、見ないの?せっかく借りたのに、とは言いながら、
実は俺も、さっさと消して、あーあ、変なの借りて損した、じゃな、
と寝てしまえるのなら寝てしまうに越したことはなかった訳だ。

でそう、映画はと言えば、この陰気な墓堀人のオヤジの顔が、
際限なくずっとずっと映っているだけ。

で、解剖室から子供の死体をかっぱらっては、
これは俺の息子だ、とかなんとか。
で、葬式をやらねば、ならば次は坊主だ、と。
で、これからガス室に送られる奴らの間を、
おい、お前坊主知らないか? お前がそうか?
と、ナチスの看守の目を盗みながら、おろおろコソコソじたばたと走り回る訳で、
馬鹿野郎、なにやってんだよ、お前こんなことがバレたら俺たちみんなお陀仏じゃねかよ、
と仲間内からいちいちブチ切れられながら、
この陰気な親父はまさに狂気に憑かれたように、
坊主居ねえか?坊主はどこだ?とやり続ける訳で、
その辺の意味が判らないとこの映画、
ただこの陰気な親父の不可解且つしち迷惑なすったもんだが、
ムカついてムカついて仕方がない、となってしまう訳なのだが、
そのあたりのところにどれだけ早く気づくかってところが、
この映画を理解する上でのポイント、となる。

幸か不幸か、たぶん、不幸なんだろうが、俺は実はそのあたりのところ、
つまりはユダヤ教の奴らの持つ、ある意味での輪廻思想というか、
イースターのキリスト復活じゃねえが、
つまりは再生誕なんてところも聞きかじっていた関係で、
そんな具合から、ああ、この話、まじちょっとやるせなさ過ぎる、
あるいは、ああ、見てらんねえ、と奥歯を噛み潰し続けて一時間半。

つまりはこれ、IPHONEで間違えてよくやってしまう自画撮り、
あの用法を使って、
ナチスにこき使われる虐殺作業員:ゾンダーコマンダーの、
疑似体験ができるバーチャルリアリティ、と。

そんなもの、バーチャル体験したい奴がどこにいるんだ馬鹿野郎、とも思う訳で、
こんな映画にまさか金を払ってしまって、
映画館のあの暗闇の中でどっぷりと、あるいは3Dで(笑
こんなの見せられた日には、普通の人間ならまじ、気が狂う、と思う。

のだが、そう、実はこの映画、先に言ったように、
画面の大半はこの陰気なおっさんの汚え顔の大写しばかり。

で、日々のルーティーン仕事、
はーい、団体さん着きましたよ、おつかれー、まずは一風呂浴びてちょんまげ、
と、シャワー室、ならぬガス室にぶち込み、
金目の物をかき集めて、3分でチーンじゃねえが、
すっかり出来上がった死体の山をせっせと積み込み積み下ろし。
で、後始末に綺麗にお掃除させられては、
はーい、次の団体さんが着きましたよ、
とそれが永遠と繰り返される訳なのだが、
その作業中の風景、あるいはディテールは、
見ない見ない、俺はなんにも見ないの、寄り目視点ずらし作戦によって、
映画を見ている俺達にも実はなんにも見えなかったりもする。
つまりは、想像力を駆使しなくてはなにもストーリーが追えない、
ちゅうことなのではあるが、
いつしかシンクロしたこの主人公、その危ねえ陰気なおっさん、
そいつのおかれた状況やら境遇やらを、追えば追うほどに、
それに深入りすればするほど、
その映像に垣間見える、あるいは、映し出されない光景が、
いったいなにを意味しているのかってのが、
みるみると膨らみ始めては・・・・・ 
おいおいおい!いまの、いまちょっと映ったやつ、あれいったい何だよ!!
なんだよ、なんだよ、なんだよ、この映画わよ、、おいおい、かんべんしてくれよ!
とかとなる訳で、
そう、まさに、悪夢。
この世で最低最悪の悪夢の、その疑似体験映画。

見終わった後になって、これほどまでに後味の悪い映画、
救いの無さ過ぎる映画ってのも、早々とねえなあ、とまさにぐったり。
とまあそんな具合で、見てはいけない映画、そのチャンピオン決定、と相成る。

この映画を観た人、あるいは、よりによって金を払って観てしまった人は、
そのあまりの喪失感と、あまりの絶望が、怒りにかわり、
くっそお、金返せ、とは言わないが、
誰だこんなもの作りやがった野郎は、いい加減にさらせ、
とブチ切れたくもなるのは重々承知の上で、
でそう、ここで改めて強烈なバーチャルリアリティのおまけが付くわけだ。

この監督が撮った前作。

With A Little Patience ~ ちょっとのご辛抱。




つまりはそう、この監督の言いたかったのは、実はこの短編の方で、
今回のこのゾンダーものは、その続編に過ぎなかった、と、
なあんだ、そういうことか、とようやくここで作者の意図するものが見えてくる、と。

という訳で、そう、まあいわゆるひとつのファシズム、な訳だろう。

でそのファシズムの意味するところを、ざっくりと掘り下げて観ました、という奴なんだけどね。

まあそう、で、この短編ではないが、
ただ、そう、しかし、俺は知らない訳でさ、と言ってしまう(笑

つまり、ナチスがあんなことをやっていたのも、ほとんどの人たちは、知らなかった、筈。

ではすまねえだろう、とこの監督さんは言ってる訳で、
その知らぬ存ぜぬ、こそがファシズムなんだよ、と。

他人の不幸は蜜の味、ではないが、俺の知らなかったことに関してうだうだ言われても、
俺には責任のとりようもなにもねえ訳で、つまりは、見ない見ない、嫌なものは見ない、
とやってれば、たいていの責任からは逃れられる、だって俺知らなかったんだもの。

身近なところではイジメの黙殺から始まり、
そして、そのイジメのアップグレイド版、つまりは国家規模でのイジメ、
安倍なんたらのメディア操作から、そして、いまこの瞬間にも起こっているであろう、
シリア、あるいは、イラク、あるいは、パレスティナ、あるいはアフガン、あるいはアフリカ全域(笑
そんな世界のほとんどの国々での、まさに血で血を洗う、と言えばちょっと格好良いが、
つまりはそう、この世で一番陰惨な「イジメ」

がしかし、そう、そんなことも、ただただ、知らなければ良いわけでさ。

嫌なものにわざわざ首を突っ込まなければ良い、ってのは、
君子危うきに近寄らずの、奴隷の処世術、その筆頭。

見ない見ない、俺はなんにも見ないよ、と言いながら、
世の不正から、イジメから、
あるいは、今こうしてるときにも頭の上から降り注いでいるかもしれない放射能、
そんなこんなのこの世の不幸の全てには、見猿聞か猿言わ猿を決め込んで、
いやあ、いい天気だねえ、その辺のカフェでお茶でも飲もうか、なんて風に、
臭いものにはさっさと蓋をして全てを忘れ去ってしまうのが、
幸せになる最も安上がりな方法でもある訳だ。

で、そう、この映画は、それじゃいかん! と言っている訳だろう。
他人の不幸を、これでもかとバーチャルリアリティして、世界中の人々がその責務を負え、と。

でもさあ、もう云十年前の話、死んだおじいちゃんの時代の話を今更に蒸し返されてもなあ、
と思いながら、待てよ待てよ、と。

で、思い当たるのが、つまりはまあ、そう、いわるゆる一つの難民問題だろう。

地獄の沙汰から命からがら逃げてきた難民たちを、
銃を並べて、あるいは棍棒で叩きだし、
あるいは、そう例のナチスではないが、
一軒一軒虱潰しに探しだしては、収容所に送り込み、国境線の向こう側に追い返しては、
はーい、僕はもう知りませんよ、さよならですよ~、と。

そういう姿勢って、もしかして、
あのナチスに加担しては密告の奨励金目当てに、
云十万人のユダヤ人を駆り集め、そしてその後に起こったことには、
いっさい知らぬ存ぜぬを決め込んだハンガリー、あるいは、ヨーロッパ諸国の方々に対して、

えええ、どうなんだよ、こんなことになっちまったってのも、俺達にはなんの関わりもねえ、と、
そう言いたいわけかよ、から始まって、

あのなあ、移民を追い返して知らぬ存ぜぬってのっては、
つまりはそう、この映画と同じ事態を招いているってことで、
その元凶になるのが、あんたらのその、事なかれ主義の奴隷の処世術の、
つまりは、見ない見ない、なんにも見ない、俺は知らないなんにも知らない、
その、臆病な善良市民の奴らの、見猿聞か猿言わ猿、なのだよ。

実はその、事なかれ主義が、無知が、あるいは、想像力の欠如が、
実はこういう悲劇の元々の元凶であるのだよ、と、
そう言いたい訳なのだろうが、
うーん、それを言ったらねえ、と思わず終わりのない袋小路に陥ってしまうわけでさ。

で、そう、お後はご自身で勝手に考えてちょんまげ、はい、THE END お話は終わりです、
となってしまうところが映画というおとぎ話の良い所でも悪いところでもあって、
まあ一言で言って、嫌な映画、さっさと忘れちまうに越したことはねえ、と。

と、ここで終わっては身も蓋もねえはな、はいはい。

実はこの映画を観た後、さっさと忘れるどころか、すっかりと眠れなくなった。
まじ、ちょっと怖くなったのだ。

今更ファシズムが良いの悪いの言うつもりはないが、
ちょっとまじで洒落にならない事態、
その滝壺、あるいは奈落の底に向けて、ずるずると世界が引きずられているという予感が、
最早確信を込めて感じられる今日このごろ。

そう、人間など所詮その程度のものなのだ、とさえ思っているが、
その安易なニヒリズムこそがファシズムの原動力であることも当然気付いている。

ただ、例の911からのU-S-Aではないが、
一度勢いのついた馬鹿を止めるのは、至難の業であることも承知しているつもりだ。
で、そう、なんとなく、またまた面倒くさいことになりそうな気配がムンムンとしている。

で、そう言えば、と思い出したこと。

蛇足ながら付け加えることにする。

かつて俺にはシリア人の友人がいた。

で、いざこんなことになってしまってから、まさに、地団駄どころか、泣きじゃくりながら、
だから言ったじゃねえか、を繰り返していた。

だから俺は、早く逃げろって、あれだけ、あれだけ、あれだけ、言い続けてきたんだ。
それを、なあに、大丈夫大丈夫、まさかそんなことにはならないよ。
あんた考え過ぎだよ。臆病なんだよ。
そうやって世の中を悪く悪く考えたがるから、いつまでたっても幸せになれないんだよ。
そう言って笑って相手にしなかった人々。
そう、そうやって笑っていた人々にも、逃げるチャンスはいくらでもあったのだ。
その逃げる機会を失ったがために、この悲劇の中に巻き込まれてしまった、と。

という訳で、今も俺のまわりには、ちょっと腕をまくればまさかナンバーの刺青のありそうな爺さん婆さん、
あるいは、ひょろっとシャツを脱いだら全身がやけどのケロイドだらけ、なんて輩が何人もいる訳だが、
果たして、そんな地獄の底から生還を遂げた、その運命を分けた理由がどこにあったのか。
改めて、生き残った者達に共通する要因とはなにか?

逃げ足が早かったこと、それに尽きる。

信じられるのは自分だけ。その徹底した個人主義。
修羅を生き抜くにはそれ以外にない。
そして、やばそうだな、と思ったらその時点で、恥も外聞も無く一目散にバックレること。

という訳で、
改めて言う。
この監督さんには悪いが、ファシズムが良いの悪いの、など俺の知ったことではない。
或いは、民族の、伝統の、などともまじでまったくどうでも良い。

こんなことになった、こんなことをされた、と後になって恨み言を並べる前に、
まずは自分がいの一番にバックレること。
理屈や言い訳や負け惜しみは、その後でなんとでも言える。

ファズムも民主主義も、民族も人間の尊厳も知ったことか。
プライドくそくらえだ。

まずは、どんな方法を使っても、生き延びることだ。

俺はそう思って生きてきた。そしてこれからもそうだろうし、それを日夜自分に言い聞かせて行くつもりだ。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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