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BABYMETAL武道館ライブ ~ 神々の狂気の祭典  副題:スーメタルのその真相に迫る

Posted by 高見鈴虫 on 15.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments

「 序章 」

金曜の夜、例によってなんだかんだで11時近く。

ようやくやってきた地下鉄を乗り継ぎ、
酔っぱらいとホームレスの狭間で、
しかしなぜか俺はホクホクとしている。

例の似非バイカー気取りのプログラマーから届いた、
思いもよらぬプレゼント。
BABYMETAL武道館のライブの二枚組DVD!

ニューヨークでのライブを観た夜に、EBAYで買ったらしい。

この武道館のDVD。
言わずとしれた2014年3月1日、そして2日の二日間に渡って行われた
BABYMETAL武道館公演の模様のLIVE映像である。

聴くところによれば、伝説として語り継がれる名作、とのことで、
YOUTUBEで海賊版をばかり漁りながら、
やはりどうしても、これだけはじっくりと腰を据えて見てみたい、
と思っていたその武道館公演LIVE。

この掲示板にコメントをお寄せ下さる気まぐれな大先輩たちも、
まずは武道館のDVDを見ないことにはなにも始まらない、
と言った論調である。

そっか、つまりはベビメタファンの最初の登竜門って奴か。

最近になって、予想通りというかなんというか、
BABYMETALのメイン・ヴォーカリストであるスーメタルこと中元すず香。
この人のことが、妙に、どうしても気になってしまう訳で、
果たしてこの人がなに者であるのか、その魅力の源泉とはなにか、
なんてことを、よく調べもしないうちから仮説に仮説を積み上げては、
とまたいつもの妄想的水掛け論争。

がしかし、確かに先のライブにおいて、
やはりあの姿、強烈な印象を脳裏に焼き付けた訳で、
BABYMETALを聴けば聴き込む程に、
つまるところはこのスーメタルこと
中元すず香というアーティストの持つ魅力の迷宮の森に
引きずり込まれていくことになる。

嘗てまだBABYMETALを知って間もないころ、
YUIとMOAどころか、フロントの三姫共に見分けがつかない、
なんて状態であった頃は、
出会いの衝撃に狼狽えた混乱の中から、
よりによってこのスーメタルを指しては、

アイドル下克上の芸能界で、星の数ほどいるアイドル予備軍の大部屋に埋もれ埋もれては、
泣かず飛ばずのままに旬を過ぎて卒業、つまりはお払い箱。このままグラビアから・・・


まったく、酷い話である。あまりに酷過ぎて目も当てられない。
あるいはこんなことを書く奴とは、一生でもまともに話をする気もなれないだろう。

つまりこいつはスーメタルの魅力に気づけもしない脳みそ節穴のアホ。
愚かな軽率からそんなステレオタイプ的シナリオをでっち上げては、
勝手に納得を図ろうとしていただけ。

ただ懺悔を込めて告白させて頂ければ、
その後の紆余曲折の後に、遂にはあのステージでの姿、
そのスポットライトの中、ダイヤモンド色のオーラに包まれた途端、
まるで熱病に犯られるように、脳裏に焼き付けられたその視線が、
そしてその歌声が、時とともに忘れさられるどころか、
日を追うごとに毒を孕んでは全身に回り初め・・

既に神経中枢そのものを侵された今となって、
ささやかな解毒を試みるべく、詭弁とこじつけを繰り返しては、
よりによって、スーメタルの美学とは、ヤクザの親分と見つけたり
なんていう珍説をでっち上げては見たものの、
また新たなる仮説と逆説の中、いつしかそんなこじつけも陳腐化するばかり。

そんな俺の葛藤に幾ばくかの憐憫を覚えたのか、
あるいは嘗ての自身の葛藤を追想しての老婆心か、
あるいはこれはまた新たなる罠か、
そんな賢明な諸氏からの謎めいた言葉。

汝、BABYMETAL~武道館LIVEを見るべし。答えはその中に在り。

そのご忠告を真理を探りながらも、
この無様な七転八倒に終止符を打つべく、
あるいは、まさに縋るような気持ちで、
この伝説の武道館LIVEの映像に一抹の望みをかけていたのである。

という訳で、改めてこの武道館LIVE。

2014年3月1日、そして2日。
二日連日によって行われたBABYMETALの武道館公演。

赤レーベルが、その第一日目の3月1日。
黒レーベルが、第二日目3月2日とある。

武道館を二日連日か。

つまり、一日だけの公演では客が入りきらず、
追加公演、というかたちに二日間の連日公演となったのだろうか。
或いは、一日二日、別の構成で行うため、
二日とものチケット購入を促した、ということなのか。

そのようなやり方がいま日本で主流になっているか判らないのだが、
なんとも豪勢なものだな、とは正直思う。

当時の日本に於いてBABYMETALの存在がどのようなものであったのか
その人気の程、強いてはいったいどんな過程を経て
その人気を手中にすることになったのか。
その詳しい経緯をまったく知らぬ俺は、
よってはこの武道館公演のその背景のストーリーそのものを掴めぬまま、
また例によって、なんの予備知識もないまま、
結果的には、その赤く焼けた鋼鉄の塊を、
この迂闊な脳髄にこれでもかと叩き込まれることになったのだが。。。







「 赤い夜 」


という訳で、会社の同僚に借りたこの武道館DVD。
さっそく、その一枚目、赤レーベル、つまりは公演第一日の模様である。

既にほとんどの人たちがこのDVDを経験済みである以上、
その内容をただなぞるような愚は避けるつもりではあるが、

まず目に飛び込んで来たのは、まさしくスーメタルの、その表情である。

凛として、とは良く聞く彼女を形容する言葉ではあるのだが、
まさに、この凛として冴え渡った表情。
若干16歳である筈のこの可憐な美少女が、
しかし、キッと見据えたその一途な眼差しの、そのあまりの揺るぎの無さに、
思わず驚愕を覚えざるを得ない。

彼女のその華奢な体型と表裏して、
まさに堂々とした、ともするとふてぶてしくも思えるほどの、
その揺るぎの無い趣きである。

その視線にも、その表情にも、そしてその指先にも、
初めて数万の大観衆を間近にした、その怯えは、緊張は、
片鱗さえも伺うことができない。

この子、睫毛が震えていない。
声が震えていない。膝が、指が、震えていない。

ともすると、良い大人が、仲間とのカラオケで、
会議の挨拶で、顧客へのプレゼンの席で、
そんな些細な日常の局面に於いてさえ、
思わぬ緊張に声が裏返った、顔が赤らんで、冷や汗が滲んで、
息が上がって、なんだか胸がどきどき、
そんな経験は誰もがある筈だろう。

だが、よりによってこの少女、
一六歳の過ぎたばかりの黒髪をポニーテールに束ねたその少女は、
怯えは愚か、動揺は愚か、そこには緊張の片鱗さえも見えないのである。

賭けても良い。
バックを務める神バンド。
これまでのキャリアの中で幾万のステージを経てきたこの歴戦の猛者達でさえ、
この武道館を埋め尽くした大観衆を前に、
いまにも膝の笑い出しそうな、
そんな緊張を覚えていなかった筈はない。

ともすれば、その心の中は、まさに葛藤に次ぐ葛藤。
うまくできるだろうか。
妙なトラブルが起きないだろうか。
起きた時にはどうしたら良いのか。
ありとあらゆる状況に対して、仮説と対策を練りながら、
しかし共すると不安に押しつぶされそうになる心を、
いや、俺は大丈夫だ。
このぐらいのヤマならいくらでもこなしてきたはずだ。
自信を持て!
この俺が、まさかこの俺が、
この程度のことにぶるっている、
なんて、そんなことがあるものか。
そんな土壇場の葛藤の中で、ふと見れば、少女である。
その16歳のポニーテールの少女。
普段のあの、いまにも溶けてしまいそうな甘い微笑みや、
或いは、時として、寝ぼけているのではないのか、
とさえ思うほどの、その大らかすぎる物腰が、
いざ本番を前にするやいなや、
戦の先陣を飾る若武者宜しく、キリリと結び上げた黒髪の下、
その瞳にはまさに刺すような煌めきが宿っている。

いやはや、とその歴戦の勇士であるところの神バンド、その誰もが、
その可憐な一六歳の少女の、あまりにも冴え渡った眼差しに、
思わず目を見張ったに違いない。

この子、このすず香という女の子。
見た目とはあまりにも裏腹に、
まさに、ライオンさえも視線で射殺すような、
とてつもない精神力を持って生まれついているらしい。

そう、武道館を埋め尽くした大観衆を前に、
スーメタルこと中元すず香は、
たったこれっぽっちの緊張も動揺の影すら見せること無く、
気迫をみなぎらせた視線で周囲を睨めつけては、
時として薄笑いを浮かべながら、その状況を冷徹に受け止めている。

嘗ての自身のそのささやかな経験から、
ステージは喧嘩だ、あるいはナンパだ、
などと聞いたような軽口を叩いていたこの俺が、
しかし、この武道館という未知の空間に初めて叩きこまれた筈の少女の、
その度胸のあまりの見事さに、思わず、
これはそんな、喧嘩だナンパだ、などと言える次元の人ではまったくない、
その桁違いのスケールに思わず絶句を繰り返すばかり。

この娘、まさにバケモノだな。

もしも、意地の悪い科学者が、そんな彼女の心拍数を図ったとしても、
多分そこに見られる数値は平常のままであったに違いない。

それが証拠に、これだけの大舞台でこれだけの大観衆を前に、
喉を開いては、天に届けとばかりにその美声を響かせながら、
と同時に、始終、片時も休むこと無く激しいステップを踏み、
腰を振り、腕を回し、がしかし、
マイクを通して響き渡るその声には、荒れた呼吸の気配は一切見られない。

いったいどんな心臓をしているのだろう。

あるいはそう、多分これが真相なのだろうが、
普段から、こんなことなど屁でもないぐらいにまで、
徹底的に厳しい特訓を繰り返してきたのだろう。

そのあまりにもなにもかもが型破りな様が、
このバンドに始終向けられる、お皿、つまりは録音を回しているだけ、
というあの使い古された中傷の、その根拠に利用されるところなのだろうが。
あるいは、もしかして変な薬でもやっているんではないのか?
そんなとんでもない噂が出るのも、
そんな大間違えの中傷の数々も、
強いてはこの中元すず香の、その並外れた才能の証明に過ぎない。

まさか、まさか、一六歳の少女が、
初めての武道館で、この大観衆を前にして、
顔が引きつることもなく、膝が笑うこともなく、
声が揺れるどころか、時として薄笑いさえ浮かべながら、
その黒い瞳の真ん中に、
まるでレーザービームのように光るダイヤモンドの輝きを秘めては、
この一世一代の大舞台の中で、実にのびのびと、
そしてまさにはしゃぐように、戯れるように、
その土壇場の大勝負の修羅場を跳ねまわっているのである。

これは普通では考えられない。
どれだけこの業界での経験の長い、その誰の経験を探っても、
こんな少女、こんな糞度胸の少女は、見たことも聞いたこともないに違いない。

これはヤクザの親分でも、
ジャンヌ・ダルクでも、あるいはそう、
そんなありふれた、つまりは生身の人間などでは、ない。

つまりはバケモノ。 まさに、モンスター、そのもの。

そしてその声。
時として切なく、時として、
まさに天空を覆う武道館の屋根そのものを震わせるようなその美声。
たとえ彼女がマイクを床に置いたとしても、
生声一発で、会場全体にその声を響き渡らせることは十分に可能な筈。
つまりは恐ろしいほどの声量をもっている、ということだ。

そしてまた笑顔である。天真爛漫な笑顔を当たり一杯に振りまきながら、
ステップ、スキップ、ジャンプ、ジャンプ。まるで春の野の子鹿、
あるいは、しなやかな野生を滾らせた若い黒豹のようである。

斯くしてそして13曲の熱唱の後、
舞台そのものを揺るがす大喝采の中で、
BABYMETAL始まって以来の一世一代の大勝負が、
まさに、スーメタルのぶっち切りの完勝!のうちに幕を閉じたのである。

うへえ、凄かったなあ、と思わず深い深い溜息。

まさか、あの武道館の大舞台であのくそ度胸。まったくもって怪物。
いやはや、これまでやれなんやかんやと、
聞いた風な御託を並べていた自分が心底恥ずかしくなるほどに、
このスーメタル、中元すず香という少女のスケールはまさに、型破り。
日本芸能史上、どころか、
世界にも類を見ないほどの、そんなスケールなのではあるまいか。

そして無事に終わった一日目。

張り切りすぎたユイのステージからの滑落というアクシデントはあったものの、
初めての武道館にしては上出来どころか大成功。
明日の新聞には再び、この怪物バンドに対する手放しの絶賛の嵐が吹き荒れる筈である。

神バンドもさすがプロフェッショナル。
この大舞台にあってしかしまさにそつなく、
プロとして完璧な仕事をやってのけた、まさに鉄人。

いやはや、このバンド、本当に凄いな、
とうっすらと滲んだ涙を拭いながら、
ああ、終わった終わった、と思わず。
ったくなあ、と長い溜息、そして苦笑い。

やれやれ、
ヤクザの親分だ、なんてこじつけをやってみたが、
この人はそんなチンケなスケールでさえないよ。
まさにゴジラ。
天才というよりは、大怪獣クラス。




「赤と黒は続けて観るべき ~ FOLLOW THE WHITE RABBIT」


という訳で、時間は既に午前3時過ぎ。
さあ、明日も朝早くから犬の散歩だ、寝よ寝よ、
とばかりにトレイから滑りだしたDVDをケースに閉まったところ、

どうでした? とコメントのメッセージ。

はい、堪能しました、と即答。すーちゃん、凄いですね。改めて驚きました。

で、黒ディスクは?との短い質問。

はい、今夜はもう遅いので、明日に改めて、と答えれば、

今日見たほうがいいですよ、と帰ってくる。

今日?これから?こんな時間から見始めたら、終わるのは明け方じゃないか。

そんな俺の困惑を見透かしたように、再びメッセージが届く。

今日、見るべきだと思う。赤と、黒は、続けて、みるべきだと、思う。見なくちゃいけない。

赤と黒は続けてみるべき?

改めて、この一日目と、二日目、その内容に違いがあるのだろうか?
まさか神バンドのメンバーが変わっている訳でもなかろうに。
曲順ぐらいは多少変えるにしても、その内容自体には大した違いは無いはず。

そんな怪訝の裏をかくように、再び、別の方からのメッセージ。

もしすーのことが本当に好きなら、赤と黒は、続けて見たほうが良いですよ。
でもそしたら、まじで・・・もう帰って来れなくなるかも・・フフフ。

帰ってこれなくなる?

このBABYMETALの自爆を踏んでから、ちょくちょくと並び始めたコメントに、
時として腹を抱えて笑い、時として、とんでもない貴重な情報やトリビアが、
あっけらかんと転がり出てくる、まさに宝石箱状態。
つまりは、同じようにBABYMETALに打ちのめされてきた、
先輩方の貴重な体験的情報の数々。

俺は長い旅の中で、
自身の経験でものを言う人々の言葉以外は信じてはいけない、
というポリシーを持っていて、
そしてそのポリシーは、これまでのところ、間違ったことはない。

自分の経験からものを言う、そんな人々のメッセージは、
いつもこれ以上無くシンプルで、時として辛辣で、しかし必ず、的を得ている。

赤と黒は、一緒にか。そういうものなのか。

時計を見れば既に4時前。これから寝ても、犬に起こされるのは7時前。
寝たにしても寝なかったにしても、もう大した違いはあるまい。

それにしても、赤と黒は続けて見るべし。なんとも謎めいたメッセージ。
まるであのMATRIX。 FOLLOW THE WHITE RABBIT ~ 白い野うさぎの後を。。 
あの謎のメッセージによって転がり込む、
あの未来の童話のストーリー、そのものじゃないか。

面白い。見てみよう、黒ディスク。

では、これから黒ディスク、見ます。

そうこなくっちゃ、と途端に並ぶ激励の声。

終わったら、感想、ください。

まさにそう、WAKE UP ・・・ FOLLOW THE WHITE RABBIT

うっしゃあ、と、黒ディスク。不思議な国の扉、いざ開かん。



「 黒い夜 」

赤と黒は続けて見ろ!
その謎かけの答えは、DVDがスタートするやいなや、簡単に解けてしまった。

!!?? なんじゃ、これは!?

違うバンドがそこにはあった。

メンバーは勿論、スー・ユイ・モアの三姫、そして、神バンド。

舞台設定も、そして、楽器も音響システムも、
前日の赤盤、それとまったく変わりがない筈。

だというのに、
一曲目のBABYMETAL DEATH、そのイントロが鳴り響いた、その瞬間には、
まったく同じ人間たちが同じ舞台で、
しかしまったくの別人としてそこに存在する、という、
なんともまったく摩訶不思議な光景を目の当たりにすることになった。

もしかして、バンドのメンバー、変わったのか?
ドラムが変わったとか?まさか・・・

暗い天空からの階段を一歩一歩、踏みしめるように歩くスー・ユイ・モアの姿。
その表情、その眼差し、その身体中からのオーラそのものが、まさに、まったくの、別人。

メイン・ステージに向かうシンガーと言うよりは、
まさに、決戦のリングに向かうボクサー、
あるいは、そう、まさに、
死ぬに佳き日と最期の喧嘩に向かう、殴り込みのヤクザ、
そのものではないか。

なんだこりゃ・・ 

思わず絶句して見つめるうちに、
地鳴りのような歓声が響き渡る大武道館。

一曲目のイントロさえ終わらぬうちから、まさに床の抜けそうな大騒ぎ。
いまにも暴動寸前。暴発寸前である。

いったいなにが起こったというのか。
いったい、これはなんなのか?

ステージに立った三姫。
それは歌姫というよりは、まさに命は捨てた、と白刃を抜いた決死隊そのもの。

これは、これは、いったいなんだ!

そんな疑問になんの躊躇も見せず、
怒涛のように鳴り響くBABYMETAL DEATHのテーマ。
B!A! B! Y!M!E!T!A !L!!
その天を揺るがすシュプレヒコール。
これじゃ、まるで、ナチスの決起集会ではないか!

格好良い、格好良いにも程がある。。。

思わずボリュームを最大限まで上げる。上げ続ける。限界まで上げ切る。
フルボリュームで音楽を聴くなんて、いったい何十年ぶりなんだろう。

しかもこの二日連チャンのスケジュール、
昨日もあのとんでもないステージをやってのけたばかりのメンバーが、
疲れが見えるどころか、そのパワーが、
あるいは、その身体自体、存在そのものが、
二倍三倍に増幅して見えている。
ステージの全員が全員、まさにパワーの塊である。

正直な所、
俺はいままで、こんなとんでもない映像を見たことがなかった。

どんな戦争映画よりも、どんな恐怖映画よりも、
どんな衝撃的なニュース映像なんかよりも、
この映像、黒い夜に映しだされたBABYMETALの姿は壮絶だった。

血の色に満ちた紅いスポットライトに照らされたその光景は、
修羅の光景を遥かに越えて、まさに一面に鮮血を塗り込めたような刹那。

バンドの音が違う。まったく違う。なにもかもがまったく違う。
そのボリュームが、その張りが、重さが、なにもかもがまったく違う。

すげえ、すげえ、これは、凄すぎる。
思わず全身に鳥肌が走る。涙が滲んでくる。
思わず、絶句どころか、嗚咽どころか、ギエエエ、と叫んでしまう。

とんでもねえ、とんでもなさすぎる・・・
この緊迫、この音の締まり、このドライブ、このスピード、
げええ、こんなもの見たことねえぞ。

うわあ、ヘッドバンどころじゃねえ。
肩が揺れる、腰が揺れる、身体が揺れる。椅子から転げ落ちる。

なんだよ、と思わず。昨日の、あのとんでもねえステージは、まさか、リハ、かよ・・・

すっげええ、すげええ、すげええ、思いっきりぶっ飛ばしてる。

そう、あの時もそうだった。
あのニューヨークでのライブの夜。
こうして、とんでもないドライブ感の中に錐揉み状態で頭をスパークさせながら、
ふと目の前を見れば、いきなりその目と鼻の先にユイメタルの天使の笑顔。

世界最高を遥かに凌駕する、
まさに神懸ったとしか思えないとんでもないバンドと、
そんなことにはなんの頓着もしないような、無邪気な天使たちが、
天真爛漫に笑顔を振りまき、そしてステージ狭しと踊り狂う。

そうあのライブがまさにこれ、この驚愕と至福、
そのグロテスクな程のギャップ、その連続。
カマイタチのような見えないパンチに、
ボディーブローから左フックから右ストレート、テンプルからアッパーカット。
好き放題にサンドバックにされてぶん殴られている、そんな気がしていたのだ。

そしてスーメタル。
まさに女神の降臨の光景である。
その切なくも血が滲むような赤裸々な声が、
武道館という空間そのものを感電させるかのようにビリビリと震わせていく。
その声にベースが絡み、ギターが絡み、
ドラムが乗り、そして音という音の全てが、
スーメタルのその声の中に絡め取られ包まれていく。
これは天才少女、なんてものではない。
正真正銘の天才。まさに天下一の天才のその発露だ。

そして、アカツキだああああ!

ステージに神が降りていた。
明らかに空気そのものの密度が変わっている。
キース・リチャーズは嘗て、この状態を、エアポケット、と表現した。

まるでブラックホールのように、
そのビートの中にありとあらゆるものを巻き込み吸い込み、
そしてその怒涛の中になにからなにまでを、
すべて絡みとってはウネリ続ける、
まさに音が、空気が、そのビートが、グルーヴが、
有機体として姿を現してて空間すべてを包み、
別の次元に落とし込んでしまう、
あの悪魔の瞬間。
神降ろしの瞬間。

これだったのか、と思わず。
これだ、これだったのだ。BABYMETALの秘密とは、
まさに、このアカツキの、この瞬間だったのだ。

世界をその強烈なグルーブの中に巻き込んだまま
有無を言わせずにうねり続ける、
その波頭の上に君臨するのは、まさに女王たるスーメタル。

そう、彼女が女王と言われるのは、まさにこの姿。
エアポケットのその中心、台風の目と化したそのコアに君臨し、
この凄まじい嵐の全てを操る、女王、そのもの。

スーメタルのオーラの中に、メンバーの全員が、
そして会場を埋めた観客の全てが完全に飲み込まれている。

嵐を操る女。神々の使者。まさにそう、魔の女王、である。

このとんでもない、このとてつもないグルーブ。
とんでもなく巨大なエア・ポケット。
こうなってはもはや音楽でさえない。
それはまさに神降ろし。集団憑依そのものだ。

そして最も恐ろしいのは、このメンバーたち、その一人ひとりが、
この瞬間こそは、人生の中で最高の時、と、
それを確信した絶対的な至福の中に浸りきり、
もうこの瞬間に死んでも良い、どころか、
死そのものを体験している筈だ。

まさに己の実力どころか、テクニックどころか、
誰がなにをやっているのか判らない程にまで、
まるで無意識の中で楽器が勝手に鳴り響いているような
そんな幻覚の中に包み込まれていることだ。

すでにそのグルーヴはメロディは、
降り立った神々たちに完全に乗っ取られたまま、
ああ、三姫の姿が宙に浮いてみえる。
まさに天使。天に召されしもの。

やばい。このバンドはまじで、本当にヤバイ。

スーメタルという強烈な巫女に下ろされた神々が、
正気を失って踊り狂う、まさに神々の狂気のその瞬間。

そしてチョコレート。

最高だ。もうこれ以上はありえない。
とてつもないうねり。
人生最高の瞬間を、ステージの、そして観客席の、
その全ての人間達が同時に共有している。
ここ迄来れば最早なんでもありだ。
誰が何をやろうがどんな音が出ようがなにがあっても、
グルーブの津波の中から逃れることはできない。

ふと、死人は出なかったのだろうか、と思う。
このライブの中で死人はでなかったのだろうか。
俺だったらまじで、気を失っていたかもしれない。

そのステージには、その空間には、確実に神が降りている。
会場全体を異境そのものが包み、空間がよじれ、それが裏返る。
そして再び女王が姿を現す。
最早誰も音など聞いていないだろう。
スーメタルの声はまさに呪文だ。魔物の叫びそのものだ。
しかし完全に狂気に憑かれたこの空間の中で、
しかし唯一正気でいるのはこのスーメタルだけだろう。
なぜならば彼女こそがこの狂気、そのものなのだから。
そしてその女神、既に意識を喪失し、
完全に魔物と同化していた彼女の顔に、唐突に笑顔が満ちる。
スーメタルが笑っている。
このとてつもない嵐の中で、
この世のもの到底思えない程に美しい顔で笑っている。

この必殺の微笑。これに耐えられる者は一人もいないだろう。
このスーメタルの笑顔の刻印を脳裏に刻み込まれたまま、
この生涯最高の呪縛の中で一生をこの瞬間とのギャップ、
欠落感の中で生きることになる。
そしてそのギャップを埋めるためには、
再びスーメタルの力にすがらざるを得ないのだ。

恍惚!全員が恍惚!まさに全員が幽体離脱状態。

おい、これは洗脳だぞ。これはトラウマ以外のなにものでもない。
この会場の全ての人間が、強烈なPTSDを背負い込むことになっただろう。
このライブで暴動は起きなかったのだろうか。
BABYMETALで由緒ある武道館が倒壊したなんてことがあったら、まさしくBABYMETALだな。
日本で良かったな。アメリカなら確実に死人が出ていただろう。




「 アフターマス 」

という訳で、

ディスクを乗せたスロットがするすると滑り出しても、
俺の脳裏は白くスパークしたまま回路がつながる気配も見せず。


目の前のキーボードから、
ただ、
唖然・・・超然・・・恍惚・・・呆然・・・・
と書き込んだ。

それを見透かしたように、どうだ、判ったか、とでも言うように、

WELCOME の文字が浮かんだ。

この無限地獄にようこそ。

くそったれ、このことだったのか。

そして俺はパニックに陥った。

正直、ミュージック・ビデオなんてもので、これ以上のものを見たことはない。
あるいは、これ以上のものがあるなど、信じられない。

これは神降ろし。これはまさに憑依状態。ああ、狐憑きとはよく言ったものだ。

このオンナは人間じゃない。魔物だ。魔女だ。悪魔だ。

俺はちょっと気が触れていたのかもしれない。あるいは完全なパニックだった。

これはブードゥーだ。あるいは音楽でさえ無い。

俺はいつの間にか、アフガンの砂漠における超覚醒体験から、
これまでに出会ったありとあらゆる生きる怪物、
或いは臨死体験の中で生きる魔人たちのことを書き連ねていた上に、
危うく、このオンナ、コークからエックスからスピードからLからマジックからスペKから
ありとあらゆるアッパーをぶち込んでステージに上ってるんじゃねえのか?
なんてことまで書きつらねそうになっていた。

いや、それ以外に考えつかなかった。
こんな存在がこの世に存在する理由は、それ以外には思いつかなかった。

いつの間にか朝になっていた。
まるで冗談のように無邪気な顔をした犬が、
膝の間から顔を覗かせ、赤い舌で鼻先をぺろりと舐めた。
それでようやく目が醒めた。我に帰った。

春の光に満ちたセントラルパークを回り、ああ、腹が減った、と部屋に戻ると、
モニターの上に虚ろな文字が並んでいた。

このキチガイ、地獄に失せろ、ではないが、まあ、そう、そんな意味だろう。

改めて読み返すこともなく、俺はその二時間前までの狂気の痕跡の全てを、隠滅した。



「 神憑りの真意 」


思えばここ一ヶ月。BABYMETAL、というか、ぶっちゃけ、このスーメタル 中元すず香、
という人物を知ってから、俺の人生のタガが微妙にずれてしまったようだ。

そして改めて、この中元すず香という人が、いったいどういう人であるのか、知りたいと思った。

コメントを頂いた方の中で、かつて中元すず香が、インタビューに答えた記事をお送り頂いた方がいた。

内容、かなりやばい。妙な噂もたった、とのことだったが、そこに書かれていたものは、
まさに憑依状態で神懸ったライブをこなす狐憑き少女の幽体離脱体験、その赤裸々な告白だった。

夢のなかで過去を、あるいはパラレルな未来を、全て経験してしまった。
音が身体に刺さる。
別の誰かが手を引くようにステージを導く。
五秒先のことが手に取るように判る。

寝不足の朦朧とした頭で一日中、仮説と逆説の堂々巡りを繰り返しながら、
ふと、紀伊国屋にいこう、と思いついたのはその時だった。
汝、紀伊国屋にいくべし。答えはそこにある。
それは予感というよりは、既に確信であった。

日本においては既にプレミアがついているというその本が、
あっけらかん、と本棚の真ん中で俺を待っていた。

ロッキンオン 6月号 BABYMETAL完全読本。
貴重な中元すず香の生の声に触れられるロング・インタビューを掲載した号である。

俺は喜ぶ、というよりは、その予感、あるいは確信の不気味さに、思わずため息をついた。
悪い冗談のように全てが全て運命の紅い糸に手繰り寄せられるような事ばかり。
なんか、中元すず香を知ってから、俺のまわりそういうことばかりだな、と改めて思った。

俺は霊感やら、狐憑きやら、異次元やら、超常現象やら、そんなものは一切信じない。
一切信じない、とそれを頑なに貫きながら、宗教屋ならよだれを垂らして飛びついて来そうな、
俗にいう霊的体験、なんてものに会う度に、ああだこうだと勝手な理屈をこね回しては、
えーい、面倒くさいと地面に叩きつけては靴の底で踏みにじってきた。

がしかし、嘗ては音楽家の端くれとして暮らすことを目指していた者の一人として言わせて頂ければ、
音楽にはやはり、神、あるいは、悪魔、ではないにしても、
ちょっと理屈では説明できない、魔、のような瞬間が存在することは確かだ。

そして、稀に見る才能に恵まれた者が、常識を逸脱するような厳しい修行を続けた末に、
一種、神懸ったとしか言いようのない、
つまりは、音によって別次元を現出せしめる、という、魔法のようなことを、
現実にやってみせる、そんな光景をこれまで幾度と無く見てきた。

その経験のいくつかはこのブログの中でも、
時として面白おかしく、居酒屋の片隅のくだらない冗談のような、
そんな無駄話のネタとして書き残されているかとも思う。

聡明な方々の一人から、
中元すず香のその生い立ちから現在への軌跡について、
克明なレポートをお送り頂いた。

そこに見るのは、まさに、前述した、
類まれな才能に恵まれた者が、厳しい修行の後に、
まさに奇跡をも思わせる神業を得るに至った、その軌跡。

優れたミュージシャンが、奏でる演奏、あるいはそのオーラの中に、
他のメンバー全てをそのオーラの中に包み込み、
そして当人たちの力量を遥かに凌駕する域にまで引き上げてしまう、という状態は、
ミュージシャンであれば誰もが体験しているだろう。

或いは、目を閉じた数千の人々が、なんの合図も無しに、
いっぺんに、はっ! の第一声を発する、あの奇跡のような瞬間。

そしてステージに並んだ人々が、
その劣悪なモニターシステムであるにも関わらず、
水も漏らさぬ、どころか、0.00000、と、0がいつく並んでも追いつかないほどの、
まさ、全てが全て、ぴったりと合致した、見事な演奏を繰り広げる時。

そこにあるのは、目配せ、や、デシベルや、掛け声や、そんなものでは決して無い。

まさに、互いのオーラ、あるいは、テレパシー、あるいは、脳波そのものがシンクロするその瞬間。

キース・リチャーズの言った、まさにポケット。
つまりは、エア・ポケットに落ちた時のように、
うねりすぎたビートがそのまま演奏家そのものをすっぽりと包み込み、
その恍惚感の中で、演奏そのものさえも忘れてしまうような、あの魔の降り立った瞬間。




「 エア・ポケット 」

嘗て、日々メトロノームだけを相棒に、二時間三時間、あるいは、四時間五時間、
時としてそれ以上も、まるで呆けたように単調なリズム練習を繰り返していたのだが、
その練習中、ふとするとそこに、いきなり訪れるエア・ポケットの瞬間がある。

一度エア・ポケットに入り込むと、例えどこでどの音をどう入れようが、
ドシンと腰を据えてしまったビートの中で、なにもかもがきれいに絡めとられてしまう。
つまりなにもかもが完全に自由になり、音そのもの、空気そのものが、ビートの中に溶け込んでしまうその瞬間。

或いは、インド音楽の巨匠たちが現出せしめる、
世界中の音という音が、全て奏でられる音楽の効果音のひとつとして
絡め取られてしまう、まさに音が空気と完全にまじりあっては別の次元に吸い込まれていくあの不思議な瞬間。

そう、BABYMETALがあの武道館のステージの上で繰り広げたあの演奏。
あのとてつもないうねりの中に、会場全体の全てがエア・ポケットに入り込んでしまったおうなあの壮絶な状態は、
まさに、そう、この音楽における エア・ポケット、すまりは「魔の刻」 。
音楽をやっているものなら誰もが知る、しかし決して言葉では説明することの出来ない、極ありふれた奇跡。
その奇跡の瞬間を壮絶に現出せしめた、ということで、
あの会場にいた人々、そして、いま、こうしてその瞬間をDVDで疑似体験できる人々も、
その魔の刻、奇跡の穴の中に叩きこまれてしまっている、ということなのだ。

嘗て、この強烈なグルーヴによるエア・ポケット。
ともすると神降ろしにも似た至福的瞬間を、ライブのステージにおいて現出せしめた魔神たちを思い出してみる。

ガンズ・アンド・ローゼズ、ロス・バンバン、アース・ウィンド・アンド・ファイアー。そして言うまでもなくローリング・ストーンズ。

音楽にとって一番大切なのは、テクニックでもファッションでもなんでもない。
音楽にとって一番大切なのは、そのグルーヴ、
つまりは、このエア・ポケットの状態を、どのようにして創りだすか、という、ただそれだけなのだ。
テクニックやファッションは、それを作り出すための手段の一つに過ぎない。

そのエア・ポケット。
それは在るときはまさに、偶発的に、唐突に、訪れ、
そして、ふと、例えばメンバーのひとりがライターを落とした、なんてだけで、
はっと我に帰る間もなく、気まぐれに去って行ったりもするものなのだ。

あるいは、そう、類まれな才能に恵まれた者が、厳しい修行の末に、
そのエア・ポケットの状態を、自由自在に操れるようになる、
そんな鉄人、あるいはまさに、神業の域に達したものも、何人か見たことがある。

例えば、パコ・デ・ルシア。
ジプシー・フラメンコ・ギターの巨匠として、
そのジャンルを問わず、ギター奏者の中で、これ以上の人物は出現しないであろうと、
全ての人々に確信せしめた、天才の中の天才。

パコ・デ・ルシアは、このエア・ポケットを、まさに、魔法のように現出せしめ、
それを自由自在に操り、そしてそれを、なんの躊躇もなく、無慈悲にも奪い去ってしまう。
そんなことができる唯一無ニの天才であった。



「 結論 あるいはまた新たなる仮説 」

そして改めて、この中元すず香という類まれな天才。

彼女がインタビューで答えた、その摩訶不思議な言葉の意味するものとは、
まさにこの音楽における奇跡、エア・ポケットの状態を、
ただたんに言葉少なに正直に語ったに過ぎない、
という事実に気がついた。

そして、彼女の言葉にあるものとは、
まさに、中元すず香は、この音楽の目的そのものであるところのエア・ポケット、
つまりは神降ろしを、自由自在に操れるようになってきた、
と、正直にそう語っているのだ。

これまで、カラオケで歌の練習を続けてきた彼女が、
初めて、生の楽器の演奏、
その空気そのものを震わせる体感的音楽のコアに包まれた時、
音が刺す、と素直にそう感じたのだろう。
まったく素晴らしい、これ以上にない、素晴らしい表現である。

もしもそれが、クラッシックであったら、音に熔ける、と表現したであろうし、
ジャズであれば、音が転がる、あるいは、
彼女がもしロス・バンバンのステージを経験すれば、
音が岩のようにぶつかって来て、中にはいったら身体が(錐揉み状態で)バラバラになった、
と言ったかもしれない。

そう、彼女にとって音は、体感できるもの、つまりは、物体なのである。
もしかすると、彼女は音、あるいは、グルーヴそのものを、
物体あるいは、なんらかの三次元的な層として、その目に見ることができるのかもしれない。

が、それは中元すず香が、偶発的に出現した狐憑きであるとか、
神降ろしの巫女であるとか、そういったことではなにもない。

彼女はただ単に、常人が想像もできないほどの厳しい猛練習の末に、それを極めた、のである。
そういった意味で、彼女はまさに修験者、なのである。
その壮絶な修行の末に、そのエア・ポケットの状態を、自由自在に操れるようになった、
つまりは、かのパコ・デ・ルシア、あるいは、ラヴィ・シャンカールのように、それを自身の意志によって、
自由自在に現出し、あるいは、消し去り、増幅し、縮小し、そんな操作を自由自在に操れる、
その神業の域に達することができた、類まれなミュージシャン、その極意の域に達した、ということなのだ。

そして、スーメタルの持つ、ステージ上でのあの、一種輝かしいまでの自信に満ちた態度は、
ステージ度胸や、ましてや、ヤクザの親分を気取って、などそんなちゃちなものではない!

彼女はそのキャリアにおいて、そして普段からの弛まない猛特訓と、
そして、寝ても覚めても、決してやめることのない弛まないイメージ・トレーニング。
その練習というよりは、まさに修行の結果から、
自身の音楽的能力に揺るぎない自信を勝ち取り、
そして彼女の獲得した技術的能力、
まさに神業としてエア・ポケットを自由自在に操れる能力に対する絶対的な信頼なのだ。

彼女が戦っているのは、観客とではない。
彼女が操っているのは、観客そのものではないのだ。
彼女は、その神業たる、エア・ポケットを用いて、観客を操る。
エア・ポケットを通じて、観客と対話し、その反応を素直に目を輝かせて喜んでいるのである。

ね?これ、凄いでしょ? ねえ、ねえ、そう思わない?

そしてそんな彼女の能力。

彼女がそのグルーヴ、つまりはエア・ポケットの存在に気づき、
そして、その実態をまさに、目の当たりにし、
そして、それを、操れる、可能性に気づいた、
その歴史的な瞬間こそが、
あの武道館LIVEの黒い夜、であったのではないだろうか。

そう、我々はあの黒い夜のとてつもない映像の中で、
一人の天才が、その能力を開花させ、
そして新たな能力、新たな次元、つまりは、神業にも達する、
その能力を習得する過程を、あの映像の中に目の当たりにし、
そしてそれを疑似体験する、というとんでもない経験をしている、
ということなのではないだろうか。

いや、実は、LONDON のライブのほうが凄いんだよ、というご意見を頂いた。

俺の予想では、LONDONのライブにおいては、
その、グルーブ=エア・ポケットを、
自由自在に操る術を身につけたスーメタルが、
まさに、その能力を最大限に発揮する、
そんな超絶的な光景にうめつくされているのでは、
と予想しているのだが、どうだろうか。

という訳で、スーメタル、中元すず香の魅力の真相、
いままでのところ、こんな感じに考えている。

一種、キワモノ、と言われる、そのようなグルーヴ至上主義者、
あるいはそう、つまりは、エア・ポケット至上主義の、ミュージシャン:
キース・リチャーズが、ガンズのスラッシュが、
そしてロブ・ゾンビのような、彼女のその能力を素直に尊敬する数々のミュージシャンたちが、
両手を上げて、BABYMETALを、そして中元すず香を絶賛し、
あるいは、究極の敬意を現すのも、実にそんな理由なのだ。

そしてそう、この俺もその一人。
音楽の持つあの魔力。つまりは、エア・ポケットに入り込んだ、あの究極の至福的瞬間。
その経験を刻み込みこまれたこの身体が、それを欲する、のである。

ステージに置いて大切なのは、テクニックでも、ファッションでもなく、
強いては、度胸でも、時として真面目さでさえないかもしれない。
取り敢えずは、あの、エア・ポケットを現出せしめればよいのだ。
それが音楽の究極の目的なのだ。

だからジャンルなんてのはまったく関係ない。
それが例え、ロックであろうと、ジャズであろうと、クラッシックであろうと、
果ては、メタルであろうと、パンクであろうと、アヴァンギャルドであろうと、
あるいは、そう、サンテリアであろうと、ガムランであろうと、ブードゥーであろうと、
とりあえず、エア・ポケットを作り出せば、それで良いのだ。

マイルス・デイヴィスの言った、全ての音楽はブードゥーに通じる、とはまさにこのこと。

賭けても良い。
あの偏屈者のマイルス・デイヴィスでさえ、
あるいは、ジミ・ヘンドリックスでさえ、
カラヤンでさえ、レーナード・バーンステインでさえ、
もしBABYMETALを観ることがあれば、
そのステージを絶賛する筈だ。

なぜならばBABYMETALのステージ、
そこには、ジャンルを越えて、存在する音楽の神、
つまりは、グルーヴ、そう、エア・ポケットが、
確実に、それもとてつもないほどのスケールを持って存在している、からなのである。

そしてそれを自由にあやっているのが、我らがスーメタル。
女王であり、依子であり、巫女であり、そして天才少女 中元すず香であるところの、
スーメタルなのである。

という訳で、種明かしになっただろうか?

これも一つの、真実に至る中での、仮説の一つにすぎないのだろうか。

まだまだ解析をすすめる必要がありそうではある。

あ、で、そう、昨日買ったメビメタ完全読本。まだ読んでない。

読んでまたなにか学んだら、また考えてみようと思う。





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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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