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最終兵器BABYMETAL ~ ロード・オブ・レジスタンス の意味するもの

Posted by 高見鈴虫 on 13.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments

言いたくても言うべきじゃないことを言わないのが友人ならば、
言いたくはないが、言うべきことを言うのも友人であらう。

という訳で、余計なお世話は承知の上、
言いたくはないが言うべきことを
そろそろ言わせてもらうべきなのかもしれない、と思っていた。

つまりはそう、前回のARE YOU FU*KIN' AROUNDに書いた、
あの、すぐに消します、のその理由である。

図らずもちょっと話題になった、糞犬ベンジーのディスり事件の炎上も、
いまやすっかり収束したころと思う。
なので、改めてその辺りのところに触れさせせて頂ければ、と思う。

という訳で、前回のあの記事、例の FU*KIN' AROUND。
またいつものやつで、
後半に行くに連れてついついついと筆の滑る悪い癖なのだが、
ベンジーの事件にかこつけて、普段から思っている、
つまりは、言いたくはないが言っておかねばならないこと、
その片鱗を伺わせていただいた、そのつもりである。

つまりはそう、この一文。

>日本人同士、あるいは、中国だ、韓国だ、なんてせこいところで憎み合ってる場合じゃないんですよ。
>敵は、別に、います。
>そして、私達アジア人を反目させようというのも、その敵の策略です。


このドサクサに紛れて滑りこませたこの一文を、
目ざとく探し当てては、過剰反応をされた方々、
及び、
よくいる骨髄反射系の方々とは一風変わった、
理性も知性もそして多分財力も、遥かに俺を凌駕する、
そんな聡明な諸氏からの、暖かく、そして、ぞっとする程に冷徹なお声の数々。

つまりはそう、俺の書いた、
ゴッドファーザーからの抜き書きである、
KEEP FRIENDS CLOSE,ENEMIES CLOSERを、
俺に対して実践に移そうとする、賢明かつ強靭な理論家の方々である。

その方々の冷徹なる分析には思わず心慄えるものを感じ、
嘗て、旅の間に読み耽った最終戦争論に触れた時の、
あの不穏な興奮を思い出さない訳にはいかないのではあるが、
と同時に、果たしてこの時期、こんな時節、
皆様の言われるその対外強硬論こそが、
本当の回答なのか、ということである。

そんなことを思いながら、書き綴ったのが前回のあのブラック・シープ

喧嘩は、憎しみは、暴力は、絶対にペイしない。

その暴力に潜む茶番性をこれでもか、とストリート・レベルに落とし込んだ、
まさに、元パンカーとしてパンカー冥利につきる大暴言であったつもりなのだが、
そう、お察し頂けたのならそれで結構、
あのハナ肇野郎が、あるいは、あの柔道野郎が、
そして、薄汚れた痩せっぽっちのバンドマンの俺、が、
果たしてなにを揶揄しているのか、
判る方には判って貰えたであろう。

という訳で、ここからは大人編である。



という訳で、ここからは大人編である。

つまりはそう、世の中は早々と判りやすくはできていない。

少なくとも、街の喧嘩レベルで揶揄できるような、
そんな赤勝て白勝ての運動会のような、
そんなレベルにはもはやまったくない、と断言できる。

だがそう、俺はそれを、どこかで聞きかじったような、
雲の上からのどこぞの大評論家先生のような妙な口をきく気はまったくない。

俺は、現実にその人の体験によるものしか、
その意見をまじめに拝聴することができないのだ。

メディアのヨタ記事の受け売りを真に受けては、
いざという窮地にあってその命運が分かれる。
それを、かつての長い旅の中で骨身にしみている。

メディアというメディアが、記者の目と足と口を離れ、
そんなWEB上の、誰のものともわからない雲の上からの寸評を鵜呑みにしている限り、
そこから本当の情報は得ることはできない。

がそう、この俺のブログに訪れたいきなりのベビーメタル・ラッシュの中で、
胸のうちにたまった全てを、凝縮しては一挙に吐き出すような、
そんな貴重な、貴重過ぎる、辛辣且つ素晴らしいコメントを多々頂くに辺り、
つまりはそう、本当の情報とは、つまりはこういう形でしか得られないのだな、
と実感するに至った。

その感謝の気持ちを込めて、そろそろ駄文の霧の中でごまかし続けてきた、
俺自身の胸に溜まり続けたこの澱りを、少しづつでも、吐き出させて頂ければと思う。

♪ ♪ ♪

嘗て俺は、米系の超一流を自称する、
歴史と伝統のアメリカ大帝国の偉業のなんたらの、
とかいう、社員十万人以上、なんて会社に所属していたことがあった。

その仕事の中に、日本支店との交渉役、なんていう面倒くさい仕事が持ち込まれ、
実際に俺の業務の評価の対象にはならない、とは聞いていながら、
次から次へと厄介な案件が持ち込まれては、
無駄な苦労を重ねさせらる、そんな日々を過ごしていた。

つまりはそう、買収した日本企業に、米国型のスタンダードを施行するための、
折衝役、という奴である。

普段から世界でただひとりの日本人であることを自称しては、
勝手気ままにやってきた筈の俺が、
まさか、米国側の一員として、吸収合併、つまりは、占領統治を余儀無くされた日本支社に対しての、
占領国側のお手伝いさん、あるいは窓口、いや裏口、という役柄を押し付けられた、ということだ。

当然のことながら、米国流、そして日本流のやり方、そのどちらにも一長一短はある。

その一長一短を正しく理解して、良い所取りをすればよい訳なのだが、
なかなかどうして、そう簡単には行かないのが、このカルチャー・ギャップという奴である。

言葉の壁、はまあ良いとしても、俺が一番悩まされたのが、
日米間の、その思考回路の違いである。

よく言うことに、
米国人と日本人の思考方法を端的に表現するものとして、

米国人は矢、そして日本人は渦巻き、という図式がある。

アメリカ人は、己の論法を一本の矢のように、単刀直入に相手にぶっ刺す。
結論はこう。理由はこう。なぜならば、1になになに、2になになに。

このアメリカ人のやり方、結論が先にわかっている分、
終わりの方はまあ読まなくても良い訳で、
そう、時間の短縮になる。

片や、日本流の渦巻き方式。

まあそう、色々な見方があるのですが、で、どんな見方ががあるかというと、
で、何故に私めがそんなことを思ったかというと、で、まあいろいろありまして、
でまあ、はい、長くなりましたが、結論としてはですね・・

最後まで行かないと、その結論どころか、
本人がなにを言いたいのかさっぱり判らない。
つまり、効率が悪いのである。

がしかし、そう、俺だって判っている。
なによりこの俺の糞長文の糞駄文こそが、その典型的な悪例だろう。

(そう俺はそれを判ってやっているのである。
つまりそう、ニホンゴの美学、という奴だ・笑)

日本人はそれを説明するときに、事情から背景から、その気持から、
つまりは共感をもとにしてストリーを仕立てる訳で、
最後まで読み終えて、ほおほおほお、ということを思わないでもないのだが、
今更そんなことに付き合ってくれる暇な人も早々とはいない。

そう世は情報化社会、強いてはツイッター社会である。
全てのことを、端的に、一文で表現し拡散し、
そしてすぐに忘れ去ってしまう。

そんな時代にあって、この日本人の渦巻き的思考回路。
ましてやそんなことをダラダラと電話会議でやられた日には、
ただでさえ時差があって、こっちは真夜中、あるいは早朝、
であったりするこのグローバル社会、

おいおい、結局こいつはなにが言いたいんだよ、
と呆れ返る米国人達を前に、
思わず、
あの、結論だけ先に言ってもらえないですかね、
という、
日本社会においてはまさに天が裂けるような、
もっとも言ってはいけない言葉を挟まざるを得ない、
そんな状況にも立たされる訳で、
つくづくこの日本の文化、そのまだらっこしさに悶絶をこく、
なんてことが一度や二度ではなかった。

おまけにその日本から届くメール。
主語がなんだかが明確にならない、
つまりはわざと責任の所在を曖昧にしたその文章、
まあ、そう、この行間から、こちらの事情を察して、
そう、言いづらいのは山々ながら、この気持ちをわかって下さいな、
などという、米国流ビジネスの常識からは完全に逸脱した、
この情状酌量、という心情論という奴。

居酒屋での酔っぱらいの戯れ言じゃあるまいし、
仕事に気持ちも情状もあったものか、
と舌打ちしたくなるのも二度三度では済まず。

少なくともそう、
人に物を伝える時には、
5W1Hぐらいは則って欲しいものだ、と愚痴りながらも、
がしかし、そこに綴られた文章の本意とは、

まさしくアメリカ型スタンダード、
そのあまりに整然とした、し過ぎる縦割り思考から、
これまで一から築き上げてきた、
現場重視の職人気質、その美学の集積、
人と人が紡ぎ上げたその濃厚な真心のネットワーク、
それをなんとか死守しようとする、
断末魔の叫びであったのだ。

そう、この間お会いしたあの方が、
あの本当の本当に素晴らしい、
現場の叩き上げそのもの、
実直かつ辛辣かつ迸るばかりの侠気に溢れた、
古き好き日本の男像、その見本のような、
惚れ惚れとする鬼軍曹タイプの地方支店長さんが、
果たしてどんなお気持ちでこれを綴ってらっしゃるのか、
それが判れば判るほどに、
そんな真心を無碍にする訳にも行かず・・・

いやはやそう、たかがカルチャー・ギャップ、されでもカルチャー・ギャップ。
そのあまりにも深い溝に、思わず絶望のため息をつく、なんてことを繰り返してもいた。

と同時に、
そんな俺の勤務する米系の自称一流企業が、
実は俺の個人的な倫理観とは、ちょっと志を異にする、
そんな一面もあった訳で、
ぶっちゃけ、それをやったらおしまいっしょー的な、
つまりはそう、悪徳ロビーストを買収しては、
1%の大金持ちと、99%の貧民、この格差を助長することだけが目的の、
その格差の中に世界を、そして日本そのものを巻き込む為、
その為だけの米国流スタンダード化、
その悪意とも取れる独善の裏心が、やはり手に取るように判ったりもする訳で、
心情的には思わず、
ガンバレ日本、負けるな、
日本のやり方を曲げるな、
と切に願っていたのは事実なのである。

がしかし、そう思いながらも、
立場的には俺はアメリカの人である。
占領軍のあのマッカーサーの姿を髣髴とさせる、
アメリカ流ビジネスマンのあのマッチョな美学のもとに、
その周りでヒラヒラする、裏切り者の日系人通訳、
なんて役柄に自分自身を卑下しては、
俺、こんなところでいったいなにをしてるんだろう、と、
つくづく黄昏れて窓からの夜景を眺めてしまう、
なんてことがあったかなかったか。

あのなあ、何を甘えたこと言ってるんだ。
誰もそんなこと、お前に期待なんてしてないって。
そう、個人的な心情と、そしてお金を稼ぐ、という公的な自分は、
切り離さなくてはいけない。

こちらでよく言うところの、DON'T TAKE IT PERSONAL、
意訳すれば、たかが仕事じゃねえか、な訳なのだが、

だがそう、たかが仕事、されど仕事。

それを仕事と知りながらも、
いやしかし、少なくともこれによって我が母国の人々が、
ご挨拶をさせていただいたあの方々が、
いったいどんな厄介な状況に追い込まれるのか、
それを想像すればするほどに、
仕事に打ち込めが打ち込む程に逆に打ちのめされる、
なんていう柔な問答を繰り返していたのである。

そんな中で、俺という日本人を、初めて部下に持ったデイブ、
あのまるで大仏を思わせる穏やかな微笑を浮かべた男。

日米間のランゲージ・バリアとカルチャー・ギャップに四苦八苦する俺を慰めながら、
実は日本語学習のクラスを始めたんだ、やら、日本のテレビ番組を観ているやら、
ジャパニメの大ファンになったよ、やら、日本文化の解説書を山のように読み漁っているやら、
挙句の果てにどこで探してきたのかピカチューのネクタイなんかを締めて来たり、
まあそう、そういう人であったりもして、
つまり俺にとっては、まさに地獄に仏、夢の様な上司であった。

つくづく、異文化を理解するということは大変なことだが、
大変であればある分、とても面白いじゃないか。
HANG ON! がんばれ!

時として的を外した妙なニホンゴを織り交ぜながら、
おいおいそんな単語どこから拾ってきたの?
なんて会話に笑い合いながら、
つくづくこの人は本当に良い人だな、
とその深い理知に関心することもしきりだった訳だが、
だがしかし、いざビジネスとなるとそんなことも言っていられない。

つまりは日本文化を深く深く研究しながら、
しかしここぞという時には、
日本人のその最も弱いところを突いては、
ああ、これをやってしまっては、日本側はもうグウの音も出ないだろうな、
という最も効果的、つまりは残酷なやり方で、
すんなりと本社側の意向を通してしまう、
そんな狡猾かつ冷徹なところがあったのも確かである。

そう、俺はつまりはそんな立場にあった。

そして、米国の企業で日本を相手にビジネスをする、ということは、
つまりはそう、米国の利益と日本側の利益が反目した場合、
米国の利益を優先せざるを得ない、という現実が立ちはだかる訳で、
WIN WIN の状況を創作することがいかに難しいことであるのか、
そのアメリカで働くというその辛さを、これでもか、と思い知らされる羽目になった。

そう、二つの国家、あるいは、二つの文化、
あるいは対立する概念の狭間に生きる、
ということはそういうことであり、
それによって他人様よりもちょっとはましな金を稼いでいるつもりなってはいても、
その苦悩たるや、おいおいおい・・
センチメンタルだ、ノスタルジーだ、女々しい感傷だ、と自分を笑いながらも、
思わず、頼むから辞めさせて欲しい、とは悶絶こきながら、
いやしかし、俺がここでケツをまくったら、
あの人たちは、あの昭和の忘れな草たちは、
いったいこの先どうなってしまうのだ、と妙な使命感に縛られては、
が、しかし、当然なことながら、感傷で仕事はできない。
そうこうするうちに、あれよあれよといなせな現場主義の職人気質は席を終われ、
結局はなにひとつとしてなにもできぬままに、事情があって職を辞することになったのだが。



という訳で、そう、
このグローバル社会、
DON'T TAKE IT PERSONAL 
たかが仕事じゃねえか、と思いながらも、
内心ではまさに断腸の思いで日々を送る人々。

この社会、一皮むけば実はそんな人ばかりなのでは、
と思わない訳には行かないわけで、
しかしながら、誰もが仕事を選んでいられる立場にもなく、
家族にひもじい思いをさせないためには、
多少の辛さ、しかもそう、そんな内心の葛藤、などという形には見えないものに、
いちいち関わりあっている暇など誰にもない。

あるいは、そう、よく言われることだが、
馬鹿野郎、それによってうまい汁を吸ってるのはテメエの方じゃねえか、笑わせるぜ、
という罵声も、下手をすれば自分の中から聞こえてくる訳で、

あれ以来、ありとあらゆる局面において、
この人、言ってることは全てウソ。
そしてその心の中では、実は凄く凄く辛いんだろうな、
と思ってしまう、
そんな鬱な状態が続いていたのは確かである。

♪ ♪ ♪

という訳で、断腸の思いで日々を暮らす人々。

朝からずっと嘘ばかり付いている俺ってなに?やら、
俺がやっていることは、人の不幸で金を稼ぐだけじゃないのか、
あるいはそう、戦争はヤバイ、とは判っていながら、
それによって稼ぎ出されるであろう莫大な金額を前に、
そうすること以外に方法はないのだ、
あるいは、多分、行く行くは全ての人々の為にもなるのだ、
と自分自身を納得させる、それ以外にもう逃げ場がない、
そんなジレンマの中に追い込まれている人々が、
実に沢山いる、と感じられる。

そんな人々にとって、一つの格好の言い訳となるのが、
そう、この人種問題、であったりもする訳だ。

なあに、あいつらは肌の色が違うのだからなにをしても良いのだ。

あるいはそう、あいつらは俺達とは違う。
言葉も違えば、文化も違う。
だったらそんな面倒なことは考える必要もない。

実に明確かつ、判りやすく、
強いては罰当たりなぐらいに安易な、安易過ぎる回答である。

しかしながら、
ちょっと海外に旅行する機会があれば、
あるいはそう、
この情報化社会、ちょっとでも見慣れぬページを開いてみれば、そんな毛色の違う人々が、
実は自分たちとまったく同じようなことに悩み、
笑い、悲しみ、そして怒りを感じる、
そう、つまりは同じ人間なのだ、という事例が、
山のように見つかるこの時代。

がしかし、水が低いところに流れるように、
人々の意識も、より、簡単に理解できるスローガンに流されやすい。

そんな中で降って湧いたように広がるエスノセントリズム。

中国に中華思想があるように、日本にだって大和魂がある。
アメリカ人にはアメリカ人の、ドイツ人にはドイツ人の、
ユダヤ人にはユダヤ人の、アラブ人にはアラブ人の、
ともすれば世界の民族という民族ひとつひとつに、
そんな自画自賛のエスノセントリズムが存在する。

本当であれば、
その良い所だけを取って、みんなで和気藹々やっていけばよいのだが、
どうも人間早々と簡単にはできていないようなのである。

という訳で、そんな簡単過ぎるエスノセントリズム、
その声が広がれば広がる程に、俺のようなコウモリ人間、
つまりは、ニューヨークと言う人種のるつぼのような街に暮らす、この流民の身にとっては、
そんな安易なエスノセントリズムに侵されていく母国の人々が、
日に日に遠く遠く、
海のずっと向うにまで流されていってしまう、
そんな思いを抱かざるを得ない、
その寂しさが、ここ5年、あるいは10年、
そして近年は特に、
俺の胸を締め付けて続けていたのである。



改めて言えば、俺はニューヨークという場所に暮らしている。
人種のるつぼ、人類のサラダボールと称されるこの街。
世界中のありとあらゆる人々が犇めき合う大都市である。

そしてそんな俺の周りの、世界中からの人々。

チャイナタウンの裏通りで無国籍料理に舌鼓をうち、
あるいは、初夏の陽射しに照らされたカフェのテーブルで、
コリアンとタイとマレーとフィリピンと、インドにパキスタンに、
フランスにドイツにブリティッシュにアイタリアーノ、
チャイナにロシアにイスラエルにジャマイカにナイジェリアに。

アジア、中南米、ヨーロッパ、アフリカ、
まさに世界の津々浦々、
あるいはこいつ、いったいどこから来たのか、
こいつのアクセントさっぱり判らない、
という徹底的なまでに無国籍な流民たちと、
やれテニスの話から、お気に入りのレストランから、
今回の大統領選の話から、犬猫の話から、
IPHONEの裏ワザからそしてベビーメタルの話まで、
あーでもねえ、こーでもねえ、とやって過ごしている訳だ。

あるいはそう、あの長い旅の間に
隣に座っただけの人々から飯を奢られたり、
ふと知りあった人々から、だったらうちに泊まればいい、
とどう考えても裕福とは思えない自宅に招かれたり、
あるいはそう、絶体絶命のピンチに陥った時に、
それこそ自分の体を盾にしてまで、
この愚かなヒッピー旅行者の身を案じてくれた、
そんな人々の情けにすがって生き延びてきた、
そんな想いを長く持ち続けて来た。

しかしながら、そんな旅の中、
かの地球のなんたら方の見出しの言葉ではないが、

人々の優しさに触れました、やら、
世界中の旅の仲間と友達になりました、
やら、
そんな甘いことばかりでは済まないのも事実。

こと俺のように、そんなガイドブックには名前さえも載っていない、
つまりはこれまで、まともな人間が一度も足を踏み入れなかったであろう、
そんな場所にさえ首を突っ込んでしまった身としては、

そんな経験の中から、
人々の間の争いごとが、
実は実に簡単に創作されてしまう、
そしてその争いが、一度始まったが途端、
それが引くに引けないのっぴきならないところまで、
実に簡単に転がり落ちてしまう、という状況も、
嫌というほどまで思い知らされてきた。

愛や平和を作り出すことは、
それこそ気の遠くなるほどの時間を要するのに対し、
怒りや憎しみ、そしてその結果である争いごとは、
本当に、まるで魔法のように簡単にでっち上げられてしまう。

そしてそんな、血で血を洗うような壮絶な現状さえもが、
俺のような旅行者にとっては、
まったくもって、訳の判らない、
取るに足らない他愛もないところから始まっている、
そんな出来レースじみた、茶番というのはあまりにも悲惨過ぎる、
血に濡れた修羅の巷で右往左往する人々、
と同時に、
実はそれを画策しては、一番美味しい汁を吸おうとする人々の、
そんな高笑いの声さえも聞こえてきてしまうのである。

がそう、人間、早々と馬鹿ではない。
つまりは、日々そのような壮絶な戦いの中に身を投じながらも、
しかし、そんな黒幕の存在、その正体から、
そしてこの争いごとが、そんな黒幕の罠であり、
そして、人が死ねば死ぬほどにそんな黒幕が漁夫の利を得る、
そんな図式だって、とっくの昔にわかりきっているのである。

わかりきっていながら、戦いは終わらない。
終わらせることができない。

悪のスパイラルは、そうやって人々を巻き込んでいくのであり、
一度その罠に嵌った以上、そこからぬけ出すのは、
それこそ、億に一つの奇跡の力に期待する以外に方法はないのだが、
ご存知のように、神様は、それほどお人好しではない。
あるいは、そう、
この人間という種の幸せばかりを考えている訳ではない、ということだ。


♪ ♪ ♪

画策された貧困。
貶められた争いごと。
全てが露骨な必然の罠の中に嵌り込み、
そして、抜けるに抜け出せない憎悪の連鎖の中、
自暴自棄になっては闇雲に昨日と同じ無益な戦いを続けるだけ、
そんな人々。

そんな現実につくづく嫌になり、
そして俺は、そんな旅の果てに、
このニューヨークという、国籍の無い街に流れ着いたのである。

そしてニューヨークである。
世界中の人種が、まるで魔法のように、
のほほんと暮らす街。

ここには一つのルールしかない。

金、である。

金のあるものが全てにおいて正しい。

まさか、そんな筈ないだろう、と笑い合いながら、
しかしそれが現実なのだ、という皮肉な現状にも
これでもか、と思い知っている、
そんな人々である。

そう、この街の人々は世界中で起こる全てのことを知っていながら、
しかしそんな世界中の苦悩が、苦痛の叫びが、
すべてどこか、馬耳東風のところがある。

判った判った、そんな話はもう聞き飽きたよ。

そう苦く笑う老人の腕に、実はそう、すっかり消えかけた、
しかし一生に渡って消えることのなかった、
人類史上稀に見る狂気の烙印が、
しっかりと刻まれていたりもするのである。

という訳でニューヨークである。

この緊迫した世界情勢の中で、
しかし俺の暮らすこの現実。

皆様がこれだけ、心の限りに罵倒を尽くすあの迷惑な隣人、
その隣人の方から、ねえ、美味しい餃子を作ったんだけど食べに来ない?
と誘われては、互いの部屋を行き来し、

あるいは、

世界の悪徳の全てのような言い方をされるかの湯田屋人の方々、
幸か不幸か、俺の暮らすこの地域は古くからその湯田屋の人々のゲトーであったエリア。
そんなご近所さんの湯田屋人たちと、
互いの犬の世話から始まり、日々の食事から、冠婚葬祭から夫婦喧嘩の仲裁まで、
まさにライフラインの全てを共有するような、そんな長屋じみた暮らしを続けている。

そんな個人的なことと、国家的な関係を混同するべきではない、
というご意見もよく聞かれる。

それはお前の事情、俺の事情はまた違うんだよ、知ったことじゃねえ、
という骨髄反射的なご意見も予想する。

だがしかし、俺は改めて、声を大にして言う。

そんな国家を形成する、その一人ひとり、
この世が人の世である限り、
それを構成するその分子、そのひとつひとつ、
つまり、俺たちは、同じ人間なのだ。

色が違おうが、話す言葉が違おうが、何の神様を信じていようが、
所詮は人間なのだ。

確かにそう、先に上げた前職での七転八倒のように、
異なる文化の間のそのギャップを埋めることはとてもとても難しい。
時としてそれは、不可能なんじゃいのか、と思わされることも度々だ。
そのあまりの面倒臭さに、思わず全てを放り投げ、
そのなげやりの理由に、
もっとも幼稚かつ簡単な答え、
つまりは、肌の色、やら、言葉やら、宗教やら、
そんなものを持ち出してきて、勝手に納得してしまう。
それの繰り返し。

改めて言う。
異文化を理解することは本当に難しい。うっちゃるのはとても簡単だ。
だがしかし、
難しいのは重々承知している、
それは時としてもう無理~!でもあるのだが、
それを埋めようと努力すること、
その不毛な戦いを続けること、それこそに意味がある訳で、
俺達という人類の歴史が、長く続いてきたその理由が、
実はそう、安易な強硬論に走りたがった跳ね返りの歴史的偉人の裏で、
名前も知らぬ人々が、誰にも知られぬままに、
そんな異文化の人たちと愛を紡ぎ続けた、
その結果ではなかったのか?

恥を承知で断言しよう。
俺は女が好きである。
俺はこの長い旅の中で、
世界中の女と接してきたという自負がある。
アジアは言うに及ばず、白から黒から、
その間の子から、その間の子の間の子の間の子から。
それがひとつの旅の目的でもあったりもしたわけで、
その下世話な欲望の辿り着いた先は、
女は、たとえそれがどこのどんな人種の女であっても、
どんな色をしていても、どんな言葉を喋っても、どんな神様を信じていても、
一度、そのベールを脱ぎ去った時、
その姿は、この地球上で最も美しい、まさに美の化身である。

麗しく優しく、そして、例えようもないぐらいにまで滑らかで柔らかく、
そして言葉には言い尽くせないぐらいに良い香りに包まれては、
どうしようもなく胸を高鳴らせる、
男の夢の、幸せの、そして時として恐れの、
その具現化である。

そう、人間なのだ。
俺たちはみんな人間。所詮は人間なのだ。
そして人間というのは、特に女という生物は
本当の本当に美しい生き物なのである。

互いの文化のギャップ、
それを最も端的に理解するのは、
そう、恋に落ちること。
恋に落ちて初めて、そのギャップにあるもの、
それを埋めることがどれだけ大変なことであるのか、
がしかし、それを埋めなくてはならない、
その必要性を、尊さを、
これでもか、と思い知らされることになる。

戦いを叫ぶ人たち。

まずは隣人の友を探してくれ。まずは隣人と恋に落ちてくれ。
まずはそう、互いに所詮は同じ人間なのだ、という、
その最も下世話なところから、世界観を見なおしてみてくれ。


♪ ♪ ♪

改めて言う、先に上げた、俺がデイブから聞いたこの言葉。

KEEP YOUR FRIENDS CLOSE, ENEMIES CLOSER
友達は身近に、そして敵はより身近に。

この言葉、
こちらのアメリカ人からは、特に、軍事関係者、
あるいは、国際間のビジネスの戦場に生きる者たちからは、
実に頻繁に耳にする。

先の駄文に置いて、おれはこれを、ゴッドファーザー、
あのイタリア系マフィアたちの実録映画の大名作からの引用とご紹介したが、
これは実は、アメリカ、ましてや、イタリア系ヤクザの訓辞でもなんでもない。

実はこの言葉、中国の孫武、
兵法書『孫子』の作者とされている、この孫武によるもの、とされている。

この孫武、

釈迦に説法で誠に恐縮ではあるのだが、以下、WIKIPEDIAからの抜粋である。

戦わずして勝つ、という戦略思想、
戦闘の防勢主義と短期決戦主義、またスパイの重要視など、
軍事研究において戦略や戦術、情報戦など幅広い領域で業績を顕し、
リデル・ハート、毛沢東など、現代の軍事研究者、
軍事指導者にも重要な思想的影響を与えた。

その軍事思想は航空技術や核兵器など、
古代に想定できなかった軍事技術の発展した数千年後の現代においても有効性を失わず、
今なお研究対象とされている。


この孫武という人のその歴史的軍事経典、そのバイブル。
こちらアメリカでは、Sun Tzu と言うのだが、
この人の名前を俺は日本では聞いたことがなかった。

この人の名前を聞いたのは、
実はアフガンの紛争時、その最前線にあったペシャワールの安宿で見知った傭兵たち
そして、アメリカに来て後、ひょんなことから知りあった
元海兵隊の特殊工作兵のジャンキー隣人の口からであった。

そうこの孫子の思想こそが、アメリカ軍人、すべての必読書であり、
そして中国の人々の間でも言わずもがな。

恥ずかしながら俺はその原書を読んだことがなく、
いまだに、知り合うアメリカ人ビジネスマンのその全てから、
それこそ耳からタコがぞろぞろと出るぐらいに、
読め読め読め!と勧められているのだが、
あるいはそう、
そう言われれば言われるほどに、
戦争、というもの倦んでいる自身に思い当たってしまうのである。

♪ ♪ ♪

そう、俺はまさにそういう人である。
喧嘩も戦争もなにもかも、面倒くさいことはもううんざりである。

不愉快なことはできれば、見て見ぬふりをして通りすぎてしまいたいし、
そんな争いにわざわざ首を突っ込むなどまっぴらごめんである。

がしかし、現実にはそうそうと甘えたことばかりは言ってられない。

世の中の富が無尽蔵でない限り、誰かが得をする分、誰かがその割を食う。

そして俺自身が、わざわざ貧乏くじを引かなくてはいけない理由も必然もない、
といまだにあがき続けている。

ただそう、俺はもう戦いに倦んでいる。

街の喧嘩も、あるいは、国家紛争も、金儲けも出世もなにもかもが、もう食傷気味。

勝手にやってくれよ、と思いながらも、
しかし、今なお、世界中のあちこちで、
もしかしたら俺と大親友になるべきはずだった幻の兄弟分たちが、
今日も今日とて、やめるにやめられない悪のスパイラルの中で、
無益な血を流し続けては、非業の叫びを上げ続けていることも知っている。

なぜ争いを始める前に、互いに歩み寄る、
あるいはそう、戦わずして勝つ、
その方法に全力を尽くさなかったのだろうか。

敵を知らねば戦には勝てない。

孫子の言葉を上げるでもなく、そんなことは街のチンピラでさえも分かりきっている。

まずは近づく。そして抱き込む。
できれば手打ち。それが無理ならばバーター取引。

バーターの為には相手の一番欲しい物がなにか、
一番弱いところがなんのなのか、それを徹底的に調べあげる必要が出てくるだろう。

そう、つまり、俺達が日々、ビジネスの戦場で繰り広げている、
例のあれ、である。

という訳で、現代版孫子ではないが、

敵を知るために最も有効な方法とはなにか。

まずは友となることである。
友となり、互いに腹のうちを晒し合い、
かみさんの愚痴から子供の自慢から、
育った環境から好きだった音楽から、
好きな食べものからやっていたスポーツから、、
初恋の女から、初めて抱いた女から、
好きな女のタイプから、
ついには、そう、最も気になっていたこと、
つまりは、いま気になっている女のこと。
そしていつしか、
上司の悪口から会社への不満から、
そして、そう、国の抱える問題まで。

そのぶっちゃけたところを、
徹底的に、時として互いの顔を見るのがうんざりするまでに話しあい、
分かり合っては分かり合い尽くす。

そしてそう、
この敵を知る上で最も効果的なのは、
言わずとしれたハニー・トラップ、
今気に入っている女、そのひと、である。

つまりはそう、敵をより身近に感じるるためには、
まずは敵の女と恋に落ちることだ。

恋をして初めて、相手の立場にたってものを考える、
その難しさ、そして大切さを学ぶのだ。

その女に恋をした途端に、
その恋人の置かれた状況、そのなにからなにまでが、
まったく違ったものに見えてくる筈だ。
そしてそう、そんな恋がまさかの成熟を見た時、
あれほどまでに異質に見えていた遠い国の事情が、
いつしか自分自身の現状そのものとなって、
重く重くのしかかってくるだろう。

その時になって初めて、
いったい俺たちに、なにができるのか、
その本当の本当の所に、
つまりはひとりの人間の持つあまりに微笑な力、
その限界と、
しかし敢えてその限界を越えることを余儀なくされる、
そんなのっぴきならない境地にたどり着ける、
辿り着いては辿り着く程に、ますます悩みに悩み続ける。
それがそう、生きる、ということなのだ。

そう、
あんたも男なら、敵地に独りで飛び込んでみてくれ。
そこで、一番良い女を見つけて、それを口説き落としてみてくれ。

それをして初めて、戦いというちゃぶ台返しが、
いかに幼稚でバカバカしい手段であるのか、
そしてそれが、どれだけ美しい女達を悲しませることになるのか、
それを理解できる筈だ。

なあ? そんな女など、腕ずくでものにしてしまえばいいじゃないかって?

あのな・・
いかにも、そのあたりの安いAV以外でしか女を知らない奴の言いそうなことだ。
馬鹿か、と言ってやる。
女は魔物だ。そんな甘い根性で近づけば近づくほどに、
あんたはその罠にはまっては手球に取られ、
金どころか、人生そのものをまるごと乗っ取られる中、
これでもかと悶絶をこかされることになる。
なあ、兄弟、
いい年こいて、そんなことも学んでこなかったのか?

つまりは、生まれて一度も、
ひとりの女を愛し、愛されたことが、ないんじゃないのか?

そんな童貞どもの戯言、その性的欲求不満のはけ口のような理由で、
戦争なんてものを炊きつけているとすれば、
俺はそんな童貞のイカ臭い戯言に、
巻き込まれるのは絶対にお断りだ、
と鼻で笑させて頂く。

戦争なんて言う前に、
自分の目で実際に戦争を観てみろ。
そして世界中の女という女をくどき落としてみろ。
その時になって初めて、
あんたは、戦争、なんてことを口するのが、一生できないほど、
自分自身の小ささに、気がつくはずなのだから。


♪ ♪ ♪

という訳で、勇ましい方々

その怒りの矛先を、壁を殴りつけるどころか、
キーボードに叩きつけるばかりの、
指先ばかりが勇ましい方々。

戦争だ、戦争だ、とサルのように騒ぎながら、
夜な夜なウエブの雲の中をさまよい歩いては、
箸にも棒にもかからない雲の上、
自分の不満のはけ口のその言い訳を探し続ける人々。

もしかしたら貴方が正しいのかもしれない。
あるいはそう、貴方のような人が増え続けて、
誰も現実をその目でみることもなしに、
そんなあなたの言う正しさのという幻想の中に、
誰もが引きずり込まれてしまう、
そんな状況が起こりうるかもしれない。

そしてそう、そんな貴方の言う理想郷という奴が、
もしかしたら、貴方のさまようこのインターネットいう雲の中に、
ぽっかり浮いているのかもしれない。

そしてそう、俺のこの糞壺のような戯言も、
その中の一つでもあるわけなんだろう?

ただ、そう、俺はリア充の人である。
つまりはそう、痩せても枯れてもパンカーなのだ。

宗教にも妄想にも、偶像崇拝にも虚像にも、ファンタジーにも幻想にも、
実はなんの興味もない。
俺が信じるのはストリートの上での真実だけだ。

俺が自身をパンカー、あるいは、ヒッピーというのは、つまりはそういうことだ。

それが例えどんなに、殺伐として、時として茶番じみた、退屈な、修羅であったとしても、
俺はパンカーである。グロをグロとして受け止める、リアリストなのである。

という訳で、そんなパンカーから、
夢見がちな妄想主義者的なキーボードの猛者ににお伝えしたい。

前回のあの抱腹絶倒の暴力茶番にも描いたように、
これまでしこたま、骨の髄まで恥の限りを尽くしてきた経験から、
俺は、喧嘩が嫌いである、と断言させて頂く。

喧嘩の嫌いな俺は、戦争は、したくない。
俺は、自分の母国が、戦争などという馬鹿げた出来レースに関わりあう姿を、見たくはない。
俺はかつてこの目で、ほんちゃんのストリート・ビューという奴で、戦争を体験した。
その縮図を、ストリートレベルからではあるが、そのあまりの馬鹿馬鹿しさを、骨身にしみて感じてきた。

戦争という、そんなあまりにも血なまぐさい茶番劇から逃れるためには、
それこそありとあらゆる手段を講じて、考えに考え抜き、
出来る限りの姑息な手段のその全てを尽くしてまで、徹底的に回避すべきである。

そう人間には狂気があると同時に理性がある。
拳があると同時に、口もある。
嘘もつけば真心だってある。

少なくとも、口で喧嘩をしている限り、よほどのことが無い限り、人は死なない。

つまりはそう、そのレベルで抑えておくためには、いったいなにをどうすれば良いのか、
徹底的に考え抜く、それこそが、今一番必要なことではないのか?

ということで、ふとあの迷惑な隣人の、
あの手のひらを返したかのような狂言のその理由、
在庫に溜まりすぎた弾薬の湿気った火薬にため息をつきながら、
数十年前から負の遺産に苦虫を噛み潰す人々が、
その、田舎サムライの独壇場である泥仕合、
そのペンペン草の生え茂るしけた土俵に誰が顔をだすか、
と手ぐすねを引いて待ち構えているその時に、

優秀な頭脳と交渉能力だけが頼りでここまで生き抜いてきた、
この極度に洗練され続けた笑顔のサムライたちが、
わざわざ同じ臭い土俵に出ては、そんな田舎臭い泥仕合を戦わなくてはいけない、
そんな理由はどこにもない。

思い出してくれ、日本人
俺たちは、世界でも類を見ない、
テレパシーとまで言われた、高度なコミュニケーション能力を誇った、
日本民族なのだ。
その世界でも類をみない民度の高さ。そのあまりにも明晰過ぎる頭脳を持った、
世界有数の頭脳型・感性型の人間たちなのだ。
渦巻き型思考、笑わせる。
俺たちはもう、そんな渦巻き型どころか、言語そのものが必要のないぐらいに、
互いが互いを、一瞬でその気配を、胸の内を感じ取ったその時点で、
全てを読み取るこの日本人という人々。
彼の国の人たちにとっては、
まるで宇宙人のような人たちなのだ。
そんな卓越した人間たちが、なぜわざわざ、
街のチンピラではあるまいに、売られた喧嘩だ、買ってやるとばかりに、
そんな田舎侍の土俵で同じレベルの戦いに首を突っ込まなくてはいけないのだ。

先の戦争ではちょっとしくじったが、
そう、俺達はサムライの子孫だ。
あの織田信長が、あの豊臣秀吉が、あの徳川家康が、
武田信玄が、上杉謙信が、
そしてああ、俺の大好きな真田一族が、
その知恵の全てを尽くしきっては戦に次ぐ戦を繰り広げてきた、
そんな国の人々の子孫であったのではなかったのか。

そんな戦上手な筈の俺達が、
むざむざと敵の罠にはまって、その宣伝攻略に嵌り込んでは、
自らが泥試合の中にのろのこと迷い込んでしまうなど、
まったく訳が判らない。本当の本当に訳が判らないんだよ。

頼む。お願いする。
自分で戦争をする気がないのであれば、
自分自身が鉄砲を担いで、あの狂気の沙汰に身を晒すきがなのであれば、
WEBで下らない名無しさんの戯言を漁っては、
無責任に幼稚な論法を振り回さないでくれ。

あるいはそう、貴方をそうやって炊きつけている人々の、
そのスポンサーがいったい誰であるのか、
ちょっと頭を冷やして考えてみて欲しい。

わかりやすいプロパガンダと撒き散らす、
一見して威勢の良い景気の良い、
時として冷徹、清明にも思える、
そんな甘い言葉の数々の、その出処が、
その細い糸を手繰ればたぐるほどに、
例えば、そう、その出処の財務データ、
つまりは銭金の動き、なんてのに
ちょっとでも真剣に目を通してみれば、
敵の敵は味方で、味方の敵はその味方で、
そんな馬鹿げたでっち上げの種明かしに、
すぐにでも気づくはずなのだ。

俺達が戦って、いったい誰が漁夫の利を得るのか?

喧嘩を始めるのがいかに簡単なことであるのか、
そしてそれをやめることが、いかに難しいことであるのか、
ガキの頃の悶着の数々でそれを思い知っていないのか?

ついついもののはずみで親友に手をあげてしまって、
ああ、しまった、本当に悪いことをした、
一晩中悩み続けて、
そして次の朝、どうやって謝ろう、一思いに殴ってくれと言おう、
と決心を固めた時、
その親友が、よりによって、他の仲間を集って、落とし前を付けに来たら、
その時の悲しみを、貴方はどう表現するのだ?

そんな馬鹿なことはしてはいけない、
そんなこと、ガキでも分かっていることだぞ。

まずは相手の懐に飛び込むことだ。
敵を知ることだ。
敵を知ること無くして、戦いに勝つことはできない。
敵を知るためには、腹を割って話す。
とことん話して話して話続ける。
あるいは良い女を見つけて恋に落ちることだ。
そうすれば全てのことがすぐに判る。

人間はそうやって暮らしてきたのだ。
俺たちはそう、人種を問わず宗教を問わず、
結局はその程度の存在なのだ。

改めて言う。

愛や信頼を築くのはとてもとても大変なことだ。
そして、
そんな長い長い年月を経て作り上げてきた愛も信頼も、
不用意な一言によって、一瞬のうちに崩れ去ってしまう。

と同時に、
憎しみや争いを創作、つまりはでっち上げるのは凄く簡単だ。
そして一度始まってしまった争いをやめることは、
それこそ気の遠くなるほどの試練が必要なのだ。

戦いはペイしない。

それがいったいどんな状況であっても、
戦いはペイしない。
一時的に浮かれ騒ぐことがあっても、
それは最終的には、もっとも不愉快な結末を持って自らの背後を襲うことになる。

俺たち人生の中で、そんな経験を、
自分でもうんざりするぐらいにまで繰り返してきた筈じゃなかったのか?

敵の懐に飛び込め。腹を割って話せ。

KEEP YOUR FRIENDS CLOSE, ENEMIES CLOSER

と同時に、
あんたの言うその敵と言う奴は、すでにそれを実践に移して来た。
そして今の現状は、その結果なのだ、ということも忘れてはいけない。

改めて言う。

人間は愛し合える。いや、憎みあいながらも共存はできる。
嘘だというのなら、一度でいいから、このニューヨークという街に来てくれ。

ここニューヨークという街で、
白人、黒人、あるいは、外人、としてしか思えなかった人々が、
よくよく聞いてみれば、実に千差万別の違いを持ちながら、
しかしまるで水槽の中にぐちゃぐちゃに魚が入り乱れるように、
不思議なほどの共存をなしていることに気づくはずだ。

え?あなたはイタリア系?そしてあなたがアイリッシュ系?
そしてあんたは南米から、で、なんとあなたはユダヤ人?
全部白人かと思ってたけど。
あるいはそう、俺たちアジア人が、実は中国から韓国からタイからフィリピンから、
実に千差万別である事実も、白人あるいは黒人にとっては取るに足らない微々たる違い、
にしか過ぎないのだ。

安易な近親憎悪の罠にはまってはいけない。
それこそが、兄弟喧嘩、チキンファイト以外の何者でもない。

そんな人々を、俺達は、
そしてそう、いまや世界中に存在するジャパン・マニアの同胞たちが、
この世界人類が犇めき合った街のカフェテリアのテーブルで、
あーあ、見てらんねえなあ、すっかり騙されちゃって、
こいつら、まったくなにしてやがんだよ、
と寂しい苦笑いを浮かべては肩を竦め合う、
それ以外にはなくなってしまうだろう。

もうちょっと広い視点で世界を見てくれ。

今世界でなにが起こっているのか、
そして世界の人々がいったい何に目を向けているのか、
なにを愛し、そしてジャパンになにを望んでいるのか、
それを自分の目で確かめてくれ。

人それぞれに正義、あるいは、正論がある。人の数だけそれがある。
それをいちいち振り回しても、拉致があかない、それが共存ということだ。

生意気なことを書いたが、それが俺が学んできたことだ。

いちいち違いを挙げ連ねるな。
俺たちは所詮は人間なのだ。それ以上でも以下でもない。
それ以上でも以下でもない以上、一緒にやっていく以外に方法はないのだ。
一緒にやっていくためには、
たとえそれがどれだけ苦しいこじつけであっても、
まずは共通点を探すのだ、

それを判って欲しい。


♪ ♪ ♪

長くなった。
そろそろ自分で書きながら、自分で退屈してきた。
こんなことは、いままで、山のようにこの糞ブログの中に綴ってきた。
同じことを二度も三度も書かねばいかけないのは本当に疲れる。

いったい誰のために書いているんだ、という気がしてくる。
そう、俺のため。俺自身のため。その為のブログだろ?

そうだ、そう、その通り。

という訳で、以下は俺が俺自身の為に書かせてもらう。

これまで、そう、この出口のない思考の袋小路の中で彷徨い続けた中、
ここに来て、ようやく俺は一つの希望を見つけたのだ。

言うまでもない、最終兵器・ベビーメタルである。

可笑しいか、そう笑ってくれ。でも俺はまじだ。

世界で戦争を止められるのは、この人達しかいない、そう信じている。

ベビーメタルをそんなところに引きずり出すなって?
たかがロックにそんなことが出来るわけがないって?

ならばもう一度聞く。

貴方達はベビーメタルのステージを経験したことがあるだろう。

そしてあのステージの上の、あのスーメタル、あのすず香嬢の、
あの、闇夜に輝けるダイヤモンドのような、あの煌めきに満ちた姿を、
その目でしっかりと見たはずだ。

そしてここアメリカで、そしてヨーロッパで、世界中の人々が、
そこにある種の奇跡を観ている筈だ。

そう、中元すず香にはなにかがあるのだ。

本人がそれを自覚しているかしていないか、それを望んでいるか望んでいないか、
それを別としても、

そんなすず香嬢の姿を見たものは、世界中の全ての人々が、そこにある種の希望の光をみている筈だ。

それがなんなのか?

それが一体なんなのか、貴方だって知っているだろう。

という訳で、ベビーメタルだ。

世界を愛で満たせる、その唯一の可能性と俺は信じている。

そしてその愛で、その輝きの中で、世界中の憎悪を、悲しみを、洗い流してくれる、
そんなことができるバンドは、あるいは、音楽が、いやそう、
いままで地球上に存在したなにも、そんなことができた、とは思えない。

だが、ベビーメタルならできる。
そう、あなただってステージを見ただろう。

そう、ベビーメタルにはできるのである。ベビーメタルはその奇跡を起こせる、唯一の可能性なのだ。

世界の人々よ、俺のくだらない妄想を聴いてくれ。

広島の原爆ドームの前で、世界中に向けて、ベビーメタルのライブを中継してくれ。
天安門広場の目の前に、数十万の人々を集めて、世界中にベビーメタルのライブを中継してくれ。
ワールドトレードセンター、911のメモリアルの前で、世界中の人々に、ベビーメタルのライブを中継してくれ。

ロンドンで、パリで、ローマで、イスタンブールで、イスラエルで、エジプトで、
アフリカで、南米で、そしてここアメリカで、

世界中の人々が、ベビーメタルのその愛のメッセージを聴く。

それは不可能なことではない。そんな夢が、いままさに現実に起ころうとしているのだ。

その可能性に賭けてくれ。その可能性のために、貴方の力を貸してくれ。

そして貴方、そこで、キーボードを前に、
愛する女を探し出せないそのジレンマの中で、
世界に汚濁のような憎しみをばら撒き続ける名もない戦争扇動者たち。

頼む、目を開いてくれ。その悪夢から目覚めてくれ。
そしてできることなら、
貴方の言う、もっとも不愉快な敵とベビーメタルを共に聴いてくれ。

いつの日にか、俺達はそんな敵達と、
肩を並べて、ロード・オブ・レジスタンスを唄うことができる筈だ。

そう、例えば、
ベビーメタルの世界ツアーに向けて、海を飛び越えてくれ。

そこには一種の奇跡を見るはずだ。
世界中の人たちが、人種を越え、言語を越え、宗教を越え、
スーメタル、中元すず香の歌声にともに声を合わせては、
押し合いへし合い、そして思い切りのの笑顔で笑い合い、

BABYMETAL!
WE WANT MORE!
アンコール!

と声の限りに叫んでは、肩を組んで手拍子をして・・
そんな夢の様な光景が、当たり前のように現実に繰り広げられているのである。

そう簡単だ、BABYMETALと共に世界に飛びだってくれ。

そこにはまさに、人類の目指してきたひとつの理想郷の姿が垣間見える筈だ。

そんなことができるのは、俺は、ベビーメタルを置いて他にはない、と思っている。

改めて言おう。
そう、敵は他にいる。

俺たちを反目させて、人の憎しみを炊きつけては銭を稼ごうと言う、
そんな姑息な人の全てが、その敵なのだ。
そしてそう、そう言う俺たち自身が、その片棒を担ぐ一員であったりもする。
その複雑怪奇なジレンマを、その断腸の思いを、
どうして良いか判らずに持て余しては、ヒステリーを起こす、
そんな霧の中をさまよい続けるこの現代という時代。

がしかし、
そう、そんな敵と言われた人々が、
しかし実は、その蓋を明けてみれば、
実は俺達とまったく同じように、その自己矛盾の中、断腸の思いで日々を過ごしている、
そんな当たり前といえば当たり前過ぎる真実に、はったりと行き当たってしまったりもするだろう。

そう、もう敵も味方もないのだ。
そう、もうやめてしまおう。もう忘れてしまおう。
こんな馬鹿馬鹿しいこと。
喧嘩は、戦いは、憎しみは、絶対にペイしない。
誰も幸せにすることなどできない。

もしも、そうでもしなくてはハンドルのできないジレンマを抱えているというのなら、
その思いを、ベビーメタルに込めてくれ。

それを込められるのは、ベビーメタルしかいない。
それを受け止めてくれるのは、ベビーメタルしかいない。

ベビーメタルを信じてくれ。

そして俺達のスーを、憎しみの対象になどしないでくれ。

俺が望むのはそれだけだ。

♪ ♪ ♪

まったくどうしようもないクソ駄文だな。
言葉にするだけでも胸糞の悪い、断腸の思いでこれを綴った。

笑うなら笑ってくれ。

ただ、そう、忘れないでくれ、ベビーメタルの意味するものを。

愛は簡単ではない。簡単ではないからこそそれに挑む。

ベビーメタルの終わりなき戦いが続く。

ベビーメタルはすべての山を越える。俺達の夢を乗せて。

俺は信じている。信じられるのはベビーメタルだけだ。

そしてベビーメタルは、それを裏切らないだろう。

BABYMETAL ROAD OF RESISTANCE



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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