Loading…

BABYMETAL の 絆 ~ THE ONE の意味するもの

Posted by 高見鈴虫 on 23.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
友よ、心配はいらない。
ベビーメタルはもう、大丈夫だ。

実はあのLAでのライブの後、
俺はなんとなく、
もうベビーメタルは大丈夫だな、
と思っていた。

つまりはなんというか、
すでに評価は確定した、
というか、
彼女たちは既に確かな軌道に乗ったのだ、
そう思ったのだ。

もう心配はいらない。
この先、たとえ一つ二つのライブで滑ろうが、
なにか突発的なミスや或いは不慮のトラブルに見舞われてちょっとした不満がでたにしても、
それはただ、見た奴がたまた運が悪かった、それだけ。
つまり一般的な常識として、
ベビーメタルは凄いもの、
その評価がまさに世界のスタンダード。
そんな刷り込みが、既に成された、
その評価は揺るぎ無く確定した、
そう思ったのである。

あとはそう、
つまりは、ロックなど、音楽など、べつにどうでも良い人々。
つまりは一般大衆と、言う奴ら。
あるいは、
ステレオタイプのアフォども
世間がわかりやすく白黒を決めてくれるまでは、
自分ではモノの良し悪しの判断がつかない人たちが、
そんな定番化した評価に安心しては、
背中を押されてどどどっと流れ込み、
そこに刷り込みされたキャッチフレーズをいちいち確認しながら、
嬉しいそうにそれを吹聴し、繰り返し、
時としてヒステリックなまでに騒ぎたて、
そして爆発的な流行、と言う奴がやって来る。

その為の最後の堰がいま押し流された。
あとは流れる水圧に任せるままに、
ダムの決壊を待つばかり。

なのでそう、
例のAPアワードなど後の祭り。
そこで例えなにがあろうが、
すでに世界のBABYMETALである。
ベビーメタルの良さが判らないのはお前がアフォだからだろ?
世間的には既にベビーメタルは凄いもの、と決まってるんだぜ。

そう思えれば、どこのアフォがなにをディスろうが、すべてが負け犬の遠吠え

今やベビーメタルは完全に勝利を手中に収めた。
あとはダムの決壊を待つばかり。

こうなれば観る方にも余裕ができる。

ついこの間までの、ライブの度にペリスコの動画にかじりつきながら、
一喜一憂していた、あの冷や冷やドキドキいったい何だったのか
そんな風にも思える程に、
俺はすっかりベビーメタルと言う存在を、
偶像という神棚の上に放り上げては、
何となく俺の役目も終わったかな、なんて気さえしていたのだ。

のだが、

そんな俺の油断を見透かしたように、
最近、見失ってませんか?
と妙なコメントがひとつ。

だったらこれでも、と送られて来た動画ファイル、その束。

まあそう、多分、またWEBに氾濫しているファンカム映像の、
お気に入りの寄せ集めかなにか
と思ってもいたのだが、
その一枚目、開いた途端に、

えっ?

思わず、冷水どころか、
脊髄に電流が走った。





その映像、

なんと、どこぞの野外フェスでの、バックステージからの映像である。

つまり、ベビーメタルの、あのよく見慣れた正面からの、
揉みくちゃの舞台袖から見上げた
あるいは安全な二階席から見下ろした、
そんな一種無難なコンサート映像ではない。

ベビーメタルはカメラに背中を向け、
そしてその向こうには、
まさしくいま、ベビーメタルが目にしているであろう、
その光景が広がっているのである。

いったい誰がどんな状況でこんな映像を録画し得たのだろう。
スタッフのどなたかが何かの参考の為に撮ったのであろう、
それはまさに、流出物、という奴なのだろうか。

その映像の凄まじさに、
思わず、絶句。
そう、俺は、絶句をした。

それはまさに、ステージの上、
神バンドのメンバーたち、そして、ベビーメタル、
その同一目線上の、
つまりは紛れもなく、その疑似体験であったからだ。



多分携帯で撮ったであろう、その細切れの映像。
一つのファイルが長くても一分そこそこである。

ただ、その映像、まさに、ステージの上。
つまりは、ベビーメタル、そして神バンドと、
同一視線上の映像、まったくのパラレル、
実物大のベビーメタルなのである。

そこはステージであった。

客席から見ると、あれほど光り輝いてみえるステージ。
しかしひとたび裏方に回ってみれば、
そのステージは、しかし当然の事ながら、
ありふれた三次元世界の、ただの延長上に過ぎない。

燃えるようなライトに照らされて輝くばかりの舞台、
ただ、実際にそこに立って見れば、
あの黄金色の空間が、実は埃の浮いた古い床板であったり、
ささくれたカーペットがめくれ上がり、
つぎはぎだらけの隙間に古い釘が頭を覗かせ、
貼りついたままのガムや、タバコの吸い殻や、妙な落書きや、
そしてそこら中に、カラーテープやらガムテープがべたべた貼らている。
幕間のカーテン、その一枚めくった裏側には、
機材ケースが山となり、ケーブルが蜷局を巻き、
飲み残しのペットボトルや、マクドナルドの空き袋や、
食い残しのドーナツや、脱ぎ捨てたままのパーカーや、
蠅や蚊や、訳の判らない羽虫や、
あるいは誰かの書き殴った怪しいメモ、
なんてのが散らばっている、
そんなあっけらかん三次元の延長。

そしてその空気。
まさに、会場の熱気と、夏の暑気と、
焚かれたスモークと、ハコの体臭とも言える、一種独特な匂い。

そして客席、
まさに見渡すかぎりにひしめき合った人々が、
興奮しきった、あるいは、恍惚とした表情で、
まさにくいいいるように、一心不乱にステージを見つめている。
その顔 顔 顔・・・
そしてその視線、視線、視線。
その声援、嬌声、そして、怒声。
それはまさに地鳴りのように世界を震わせては波み打ち、
モニターの音さえも搔き消してしまう。

そんな壮絶な人の海の上には、
あっけらかんと広がる青空と、千切れた雲と、
そして間の抜けたテントの屋根や、
あるいは、空に舞う風船。

それはまさに野外ステージであった。

俺も何度か経験したことのある、
あの夏の午後の、妙に間延びした野外コンサート
その雰囲気、そのもの。

そしてステージ
この地上にあって、しかし、現実ではない場所。
まさに、異境、果ては聖域、あるいは、そう、戦場、または、まな板。



そんなステージの上に、三人の少女が立っている。

鳴り響く大音響。
まさに怒涛のように押し寄せる壮絶なメタルサウンド。
神バンドの奏でる、まさに化物のような錐揉みビートである。
上手いな、と思う。
そんなどこにでもありそうな等身大のステージ。
そんな等身大だからこそ、
携帯電話で片手撮りしただけの、その劣悪な音だからこそ、その上手さが際立つ。
この人たちは上手い。
その岩のような安定感。一音一音の確実さ。揺るぎの無さ。
上手いな、ぶれていない。
この野外ステージという最悪の音響システムの中にあってもなお、
その演奏は一分の狂いもなく、まったく揺れていない。ぶれていない。

これこそがまさしくプロの音である。
プロに徹しきった人々だけが出すことの出来る、
ぎりぎりまで研ぎ澄まされた鉄壁の音。
しかしながら、とその映像を見ながら改めて思う。
その奇跡的な音を操っているのは、
まさに、全身に汗を浮かべてた、生身の人間達である。
一心不乱に、とは言いながら、
そこに万に一つの気の緩み、
あるいは、くしゃみの一つでも起これば、
たちどころに夢からさめてしまう、
そんなギリギリの綱渡り。
そのあまりの危うさに、思わず目を見張るばかり。

熱気の中で、もうもうと白い湯気を立ち上らせる観客たち。
うねるように弾けるように、まさにビートの中でもみくちゃになりながら、
その群衆のパワーが、とてつもない勢いを以って、ステージ目掛けて押し寄せてくる。

正直、その圧迫に息が詰まった。

それは恐怖ではない。あるいはプレッシャーでもない。
ただそう、圧巻なのだ。
俺はその映像、つまりはベビーメタルたちの見ているその光景に、圧倒されたのだ。

凄いな。もの凄く生々しい映像だ。
まさに流出映像。そしてそこに映しだされているのは、
DVDとして加工処理される以前の、
まさに、生身の人間として、そんな聖域に立つ、
三人の少女、そのあまりにもリアルな姿だった。



音がうねっている。
もう後戻りはできない。
このまま、どこまでも、行けるところまで突っ走る、
まさにジェットコースターのような音のうねりである。

そんな音の洪水に巻き込まれた観客たち。
地平線までぎっしりと押し詰められた幾万という人人人の海。
興奮の坩堝と化した観客たちから発せられる、
まさに津波のようなエネルギー。
それは物理的な壁、を思わせるほどの、
強烈な圧迫感となってステージに押し寄せてくる。

そんな怒涛に対峙した三人の少女。

客席から見るベビーメタルは、
まさに押しも押されもせぬ、輝けるスターである。

ステージという聖域の上ではまさにカリスマ。
商品として切り取られた製品であると同時に、
神格化さえされた、偶像である。

見るからにお人形さんのように可憐で、
そして、例えようもなく可愛らしい、
そんな夢のような少女たちが、
奇跡のように切れのよいダンスを繰り広げては、
目の眩むような笑顔を振りまいていく。
そんなBABYMETALのステージ。

ともするとお決まりのようになったその超絶的なパフォーマンスの中で、
観客たちは、ステップを合わせ、手を振り、足を鳴らし、
思わず絶叫を上げ、そして、興奮し熱狂し、
巻き起こったモッシュの中に飲み込まれては我を忘れて行く。

そんな観客たちの姿が、ステージの上からは、
まさにそう、地平線まで広がった群衆からの、
エネルギーの津波、あるいは鉄砲水のように押し寄せ、
ステージ、その上に立つ、痩せこけた三人の少女の身体に、
凝縮されては怒涛の勢を以ってぶち当たってくる。

そんな映像を、バックステージから、
つまりは、同一目線、
つまりはそう、身内の一人、として、
固唾を呑んで見守りながら、
その少女たちの姿が、
健気に見えれば見えるほど、
その華奢な身体から、迸る汗が、頬に貼りついた後れ毛が、
そして筋肉の軋みが見えれば見えるほどに、
その存在が、実は、
客席から観ているほどに、頼もしくもなく、
絶対的な偶像でも、輝かしきスターでも、
ましてやカリスマ、なんてものでもなく、
むしろその姿は、どこにでもいる、
18歳、そして17歳の少女たち、そのもの。

そんな少女たちが、いきなり鬼のような群衆の前にほっぽり出され、
その当惑と、その慄きと、
もしかすると、一抹の恐怖心、あるいは、好奇心、
その狭間の中で、
力いっぱい、あるいは、精一杯、
まさに、ギリギリのところでのパフォーマンスを繰り広げている、
その現実が、身を切るような切実さで迫って来るのである。

思わず息がつまり、思わず少女たちの表情を追う。

いったいなにが、そんな彼女たちを支えているのだろう、と思う。

この群衆の中に全てを曝け出されたステージという土壇場の中で、
いったいなにを、彼女たちは見ているのだろうか。

つくづくこのショービジネスの中に生きる少女たちの存在が不思議なものに思えた。

数万人の異邦人たちを前にして、
日本語で歌を歌い、日本のダンスを披露する少女たち。

ステージにおける孤独が、そのギリギリの切迫性、
追い詰められて最早どこにも逃げようのない、
そんな修羅場の真ん中で、果たして少女たちは、
いったいなにを感じているのであろう。



そんな少女たちの表情を追いながら、
ふと、その目線、に気がついた。

観客に向けての表顔から一転、
ふと後ろを振り向いた少女たちは、
少女たちと、互いに、見つめ合っていた。

その細い手足を限界まで振り回し、駆けまわりながら、飛び回りながら、
絶え間なく繰り返される超絶的なアクションの連続の中で、
少女たちは、互いが互いに目線を飛ばし合い、呼吸を計り、
時として、互いに支え合うように、
あるいは励まし合いように、
もしかすると、縋り合うような、
そんな土壇場の中にある、
あまりにも健気な少女たちの生々しい息吹が、
そこで一瞬交わされる、その視線のあまりの切実さの中に、
まさにこの少女たちの思いの全てを物語っていることに、
改めて気づかされたのである。

その姿に、思わず涙が零れた。

涙?
なにに対してだろう。
なにに対して俺はこれほど心を動かされているのだろう。

そう、つまりはそれは、感動であった。

感動?いったいなにに?
たかだか一分足らずの、バックステージからの携帯動画、
そんな細切れの光景の中に、俺はいったいなにを見て、
そして涙など流しているのだろう。

だが不思議なことに、涙が止まらなかった。
なぜなんだ、なぜ涙が流れてくるのだろう。

そこに観たのは、紛れも無い、
三人の少女たち、その姿、
そのまさに、ギリギリの瀬戸際まで追い詰められた少女たち、
その三人の少女たちの間に通う唯一の命綱、
その視線。まさに、一瞬のうちに交わされるその視線。

そこにあったものは、まさに、絆、であったのだ。



そう、
改めて言う。

そこに観たしたものは、ステージにおける三人の少女たちの、
そのあまりにも赤裸々な姿だった。

互いの目線、それだけを頼りに、
数万の群衆を前にした戦いに挑み続けるその姿。

そこに通う、あまりにも健気な、そして、あまりにも無邪気な、
そのあまりにも、切なげな、視線。

改めて気づかされた。

そうなのだ。
ベビーメタルは三人のユニットなのである。
そう、この三人だからベビーメタルなのだ。

スーメタル、ユイメタル、モアメタル、
そんなおかしな名前がつけられているが、
そう、あのさくら学院のクラスメートであった、
中元すず香と、水野由結と、菊地最愛、

そうだったのだ。
ベビーメタルは三人であった。
つまりはそう、この三人であったからこそ、
このあまりにも無謀な、このあまりにも驚異的な、奇跡的な、
時としてあまにも絶望的に見えた戦いに、
生き延びて来れたのである。

そう、なぜそんなことに気づかなかったのだろう。

ベビーメタルは三人のユニットだったのだ。

三人、そう、この三人なのだ。



俺はいままで、スーメタルこと、中元すず香という前代未聞の天才歌手、
そのあまりに絶対的な存在を中心に、
それを支えるふたりのダンサー、
ともすると、予備的な、ともすると、飾り的な存在。
そんな程度にしか、この三人のユニット、
という意味を、理解していなかったのかもしれない。

事実、俺はスーメタルばかりを目で追っていた。
スーメタルの姿から目が離せなかった。

ただそんなスーメタルの姿を、
そしてその視線を追えば追うほどに、
彼女の視線の先にあるものは、
観客でも、バックバンドでも、
あるいは、幕間に控えている関係者一同でもなく、
その視線の先には、
ゆいめたる、そして、最愛めたる、
その二人、その二人の姿。
その事実に気付かされたのである。

ベビーメタルは、スーメタルという天才的な巨人と、
それを支える飾り物的ダンサーの二人、ゆい、と、最愛、

そんな認識の決定的な間違え。

そう、ベビーメタルは、最初から三人なのだ。

す~だ、ゆいだ、最愛だ、という概念、
それからしてなにもかもが間違えなのだ。

三人で一人、とは言わない。

ただ、この三人があって、初めてのベビーメタルなのだ。

天才歌手としてこれだけの注目を集めるスーメタルこと中元すず香。

がしかし、彼女にとって、そんな名声は、
もしかすると、大した意味をなさないのかもしれない。

スーメタルのその絶賛に満たされたその歌声は、
実は、ゆい、そして、もあ、
この二人に囲まれて初めてなし得る、
まさに、三人の総合力、
その絆によって初めて創造することの可能な、
ベビーメタルとしての力、
その結実、なのである。

そんなスーメタルにとって、まずいちばん大切なこととは、
そこにユイが、そして最愛が、居ること。

つまりスーメタルのあの歌声には、まずはユイの、そして、最愛の、
その存在が、まさに必要不可欠なのだ。

スーメタルの歌は、歌手としての中元すず香、であるその前に、
ダンスユニット・ベイビーメタル、その沿線上にあるだけ、なのではないだろうか?

中元すず香のあのくそ度胸、やら、あの化物のような、やら、怪物だ、女王だ、
と言われながら、実はそんな幾多の名声は、彼女自身にとっては、
割りとどうでもよいものなのではないだろうか。

ねえねえ、ゆいモア、私たち、なんか凄い有名になったね!

これはそう、ベイビーメタルという三人のユニットなのである。
彼女にとって一番大切なのは、わたしでも、スーメタルでもなく、
ワタシタチ、なのである。

改めて思う。

このベイビーメタルの成功の、その本当の秘密とは、
この三人だから、なのだ。

この三人だからこそ、ここまでやってこれたのである。



月並みな言い方だが、俺はこの映像の中に、
この三人の中にある、なにをどうしても、
決して表現することのできない、
その、絆、を見たのだ。

そう、絆。

この三人の生い立ちの中で、
ともに育ち、学び、ともに泣き、
ともに怯え、ともに驚き、ともに支え合い、
縋り合い、慰め合い、讃え合い、喜び合い、
そして、ともに全ての山を超えてきた、
そんな三人。

その、絆。

この少女たちは、
いったいこれまで、
どれだけの旅をし、
そして、どれだけの修羅場を、
乗り越えて来たのだろう。

まさに、姉妹、というよりも、友達、というよりも、
幼名馴染み、というよりも、家族というよりも、
仲良し、というよりも、あるいは、戦友というよりも、
そんなものでは表しきれない、
まさに、そう、三位一体、ならぬ、三身一体の、切っても切り離せない絆。

三人の少女たちの過ごしてきた、
その旅の、そのあまりにも壮絶な過程を思えば思うほどに、

ベビーメタル、あるいは、すー、ゆい、そして、最愛、
その三人の絆のあまりのドラマに、
思わず感極まっては、涙が止まらなくなる、
それこそが、ベビーメタルの魅力の真髄なのだ。

ベビーメタルの三人、その絆の硬さ、あるいは、重み。
そんな彼女たちにとって、
三人が一心同体になって越えてきた旅の中で、
唯一絶対の力の源が、まさに、THE ONE。

この三人でいれること、この三人が三人であるということ、
それこそが、彼女たちにとって一番大切なこと、であったのだ

す~にとって、そして、ゆいにとっても、最愛にとっても、それは同じこと。

彼女たちはただ、一緒にいたい、のである。

ただ一緒にいたい。だって私達ずっと一緒だったから。

その思いの強さ、その絆こそが、ベイビーメタルの最大の武器なのである。



ただ一緒にいたい。離れたくない、それだけ。

そんな感情は、その観客席、
スーメタルの才能の、ユイ最愛の、踊りの可愛さの、
あるいは、お互いのライバル意識の、やらやら、
川向うから勝手な想像を膨らませては、そんなことを揶揄する観客たち、
あるいは、多分、彼女たちの周囲の、誰ひとりとして理解できないのかもしれない。

どこに行っても何をしてても、三人並んでピーチクパーチク、
まるで春の小鳥たちのように飽きることなくさえずり続ける少女たち。

側からでは、その繰り返される鈴の転がるような大爆笑の、
その意味もさっぱり理解できず、

あの子たちって、本当に仲いいよな。
ああ、いつも一緒にいるよな。
どこに行っても一緒、食べるものも一緒、寝る時も一緒、
もしかして、お風呂も一緒に入っているんじゃないのか?

だって、と少女たちは言うだろう。
だって、一緒にいたいから。
ずっとおしゃべりしてたいんだもん。

そんな少女たちの思いなど、大人なんて奴らには、絶対に理解できないかもしれない。

スーメタルの歌唱力がどうの、ゆいの、最愛の、腕の振り方がどうの、
挙句の果てに、す~がソロ歌手として独立したら、
なんてことは、と、今になって思う。

そんな彼女たちの前で、一切合切全てが、まるでナンセンスなのだ。

そう、改めて、これまでの彼女たちが共に乗り越えてきた、
長い長い旅のことを思う。

彼女たちが、なぜこのあまりにも絶望的な戦いを勝ち抜いて来たのか?

三人が一緒にいるため、なのである。

それ以外になにがある?

それはつまりは、絆、であったのだ。

思わず目からウロコ、どころか、涙がぼろぼろである。

いままで俺の羅列してきた、全ての仮設は、すべてが大いなる検討違い、
大間違いである。

すーメタルがやくざの親分
すーめたるは怪物だ超人だきつね憑きだ

違う!すべて違う。大間違いも甚だしい。

彼女たちにとって、スーメタルなんて存在しないんだよ。
ゆい、も、もあも、実は存在しない。

彼女たちは、三人でひとつ。わたしたち、それ以外のなにものでもないんだよ。

ステージにおける、この彼女たちの視線を追ってみろ。

その息をつく間もない、あまりにも激しいアクションの綴織の中で、
彼女たちは、互いの姿の中に、自分の姿を確認しているのである。

す~はその歌のタイミングを、神バンドの音、というよりはむしろ、
ゆい、そして、最愛の、ステップの中に見出している。

自分の立ち位置を、自分の声の調子を、
自分のステップを、身体のキレを、自身の表情を、
その姿、その存在そのものを、
すべて、他の二人からの反応で、それを測っているのではないか?

え?

それって、まさに、YOU ARE MY MIRROR ?

ああ、と思わず声が漏れてしまった。

そう、YOU ARE MY MIRROR。

もう何十年も前に、インドの乞食から言われたその言葉が、
どうして、BABYMETALを聞いて突然に蘇って来たのか。

すー、ゆい、最愛の三人にとって、この三人は、
お互いが、実は自分自身の投影、あるいはそう、自分自身であったのだ。

つまりそう、彼女たちのその至上的な目的とは、三人が一緒にいれること。

つまりは、ベビーメタルの名声も、す~の歌唱力の飛躍的な向上も、
そして、ゆい、最愛のダンスのあの超人的な切れ味も、
すべては、名声、というよりはむしろ、
三人が一緒にいるための手段にすぎないのである。

という訳で、ベビーメタルの三人が、神バンドをさして、バンドさん、という理由。

それはつまり、自分たちが、ベビーメタルさん、の三人でひとつ、であるように、
神バンドも、4人でひとつの、バンドさん、というくくりでしか見ていないのではないだろうか。

つまりそこまで、彼女たちは三身一体。
三身一体すぎるほどに、まさに人格が融け合うほどに、
一緒になりきっていしまっている、ということなのではないか?

つまりそれこそが、YOU ARE MY MIRROR そういうことなのか?



いや、俺はまだ判っていない。

まだ判ってはいないのだが、とんでもないことに気づいてしまった、ということは判っている。

それがなんなのか、俺はそれを理解することができるのだろうか?

あるいは、誰か、あなたの考えを聞かせてくれないか?

そう、この三人、まさに、三人でひとつなんだよ。
これって実は、凄いことなんだよ。

この怒涛のような観衆を前に、
そのいまにも押しつぶされそうな、そんな大観衆を前に、
逃げ場のない土壇場の刹那の崖っぷちの上で、
地鳴りのような歓声と、狂気に憑かれたようなモッシュを前に、
それに対峙し、受け止め、そして弾き返す、そのパワーの源は、

三人であること、それ以上でも以下でもないんだよ。

その三人の絆こそが、ベビーメタルの奇跡の、その唯一の答えなんだよ。

ベビーメタルの三人は、踊りをシンクロさせている訳じゃない。

ただシンクロしてしまっている、それだけなんだよ。

そしてあの、す~めたる、あの神懸かり的なまでの歌を導き出すためには、
三人がシンクロすること、その力を結集することが必要だったんだよ。

え、ってことは、

観客席から観て、ベビーメタルの三人の、
あのトライアングルが結界で結ばれた聖域であったように、
神バンドから観ても、この三人のトライアングルは、
結界であり聖域だったんじゃないのか?

それが、神バンドがバンドさんとして、
ベビーメタルと交じり合わなかった、その理由だったのではないか?



そしてまた、くだらない仮説である。

幼き頃から、さくら学院として、共に育ってきたこの三人は、
まだ、脳みそがお豆腐のようにぐにゃぐにゃで、
外と内の区別もよく認識できていなかったその時代から、
お互いの存在をこれでもか、と自身の中に吸い込み、抱え込み、
自己の確立を待つ前に、すでに同一化してしまった、
そんな状態ではないのだろうか?

そんな三人が、鹿鳴館から、武道館から、そしてし、海外公演から、
怒涛のような戦いを繰り広げて来これたのは、
少女たちの個人の強さ、あるいは、才能、とか、そういう問題でもなく、
そう、わたしたち三人だったら大丈夫だよ、
ぜったいに負けないよ。だって三人なんだもの。
なにがあってもずっとずっと一緒だよ。

つまり、そんな感じであったのではないのかな?

そんな絆で結ばれた三人の中で、
いったいどんなコミュニケーションが行われているのか。

そこにあるのはまさしく、脳波のシンクロした、
超絶的なオーラの交信であるのかもしれない。

そんな超自然的な状態が、果たして起こりえるのか。

起こりえているからこそ、ベビーメタルなのではないのか?

それこそが、この三人を支える、秘密なのではないのか?



ちょっと疲れて来た。
このテーマは俺にはかなり荷が重すぎたようだ。

と言うわけで、
ちょっと息抜きに、
ごく身近にある、些細な神懸かり的な事象を思い返してみる。

俺が子供の頃に飼っていた犬は、
俺の帰宅時間の予告どことか、
外で俺の身になにかがあると、
すぐに一大事だ、と騒ぎ始めたらしい。
お袋はそれを、さも当然のこと、犬なんてそんなものなのだろう、と思っていた。



旅の途中、深夜の峠道で幽霊に憑り殺されそうになった事があった。
これはもうアウト、一貫の終わりと思ったその時に、
いきなり、かみさんの姿が目に浮かんだ。
おい、助けてくれ!と思わず叫んだその時に、
かみさんが、ふと、顔を向け、
その瞬間に魔が落ちた。

かみさんもその時のことを覚えていたらしい。

なんか変なの、と思ったらしいのだが、
まあ大丈夫だったみたいだし、でスルーしたらしい。



出張中のフライトで、隣で寝ていた同僚がふと目を覚ました。
いま婆ちゃんが死んだ。
到着地の空港で電話をかけさせると、やはりその通りだった。



虫の知らせ、とはよく言う。

あるいは、テレパシー。

あるいはオーラ。

ただ、そんな超常現象のようなことが、
実に、ただ日常のひとつの断面として、普通に起こっては、
すぐに忘れられているのも確かである。

ただ俺は、言える。

人間にはそういう能力はある。
確実にある。

つまりはそう、他人と言語、あるいは、五感以外のことを使って、
コミュニケーションを取ることができる、ということである。

つまりそう、よく言う、脳波がシンクロしている、という、あの状態である。

このベビーメタルの三人は、この脳波がシンクロしている状態を、
ごく普通に、当然のこととして育ってきて、それを今なお、
なんの疑問ももたずに続けている、
そういうことなんじゃないのか?



いやはや、また妙な話になってきた。

そう、理由をつけようとするから間違いなのである。

それが大人のバカなところなのだ。

理由なんているか?そんなもの必要ないだろう。

ベビーメタルは三人でひとつ、なのだ。

それだけ。それだけなんだよ。

すーもゆいももあもない。

いや、あるけどね、でも、そんなもの、大した意味を持たないだろう。

彼女たちはそんな状態をごく自然に受け入れた。

あるいは、そんな状態を当然なものとして育ってきた。

つまり、仲良しの友達と、あんまりべったり一緒にいたから、
なんとなく、わたしたち混ざって来ちゃったよね、とか、
そんな状態なんだろう。

ただそう、その絆が感動を呼ぶのだ。

その絆こそが、俺達が失ってしまったもの、そのものなのだから。

それってなんだろう。

子供心?友達?仲間?

いや、そう、それを一言で表すなら、親和感、であろう。

ベビーメタルの魅力は、実は、その絶対的な、親和性、なのではないのか?

そう思った時、この三人の少女の姿に、
この俺自身が、あまりにも遠くに置き忘れてきてしまった、
なにか本当に大切なもの、その損失のあまりの大きさを思っては、
改めて絶望にもちかい溜息を漏らすのである。



最後にひとつ、多いなら野暮用でありながら、

ちょうウルトラ大心配なことである。

知り合いに一卵性双子の姉妹がいて、
見た目も声も髪型もやることなすこと全てが同じ。
服に番号でもつけてくれないと親も見間違うほどの、
それほどの双子の中の双子、まったくのクローン姉妹のような奴らがいて、
聞いてみると、お互いがお互いのことを、判る、のだそうだ。

互いに別々の場所にいても、なにを考えているか、判る。
そしてどちらかになにかがあると、判る、らしい。

判るよ、普通、と彼女たちはさも当然のように答える。

だったら、と思わずいじわるを言う。
だったら男の好みも一緒ってこと?
だったら同じ人を好きになっちゃったらどうするの?

とたんに互いが顔を見合わせる。そして、いきなり、ちょっと微妙な空気が流れる。

え?地雷踏んだ?
どうも踏んだらしいのだ。

それこそがまさに、彼女たち、一心同体であり続けてきたこの一卵性双生児が、
産まれて初めて、それぞれの人格を自覚した、瞬間であったらしいのである。



という訳で、なんだよ、なんともお粗末な結末だな。

ただそう、俺のスーメタルへの偏愛が、実は、彼女たちにとっては、

なんかさ、ファンのひとたちの考えてることってさ、
うふふふふ、へへへへ、ははははは~
という冗談のネタにされている、という事実に、
いきなり気付かされた想いがする。

ねえねえ、すーの歌ってそんなに凄いのかな?
と笑いながら、しかしそう、彼女たちの間には、
見栄も、嫉妬も、虚栄も、優越感も、
ましてや、差別的な意識、なんてものはまるでない筈である。

だってこの三人、まさに、三身一体なのだから。

すーちゃんが褒められると、私達が褒められているみたいで凄く嬉しいよね、
まあそんな感じだろう。

そして三人の全てが気がついている。

す~の歌が凄ければ凄いほどに、ユイ、そして、最愛の、ダンスも凄いのである。

三人は一緒、まさに、三身一体なのだ。

す~の歌も、そして、その相乗効果となるユイ最愛のダンスも、
ひとつのベビーメタルとしてのパフォーマンス、
それに過ぎないのだ。

そのまさに、人格の融合的な、まさに三身一体のベビーメタル。

個人主義とミーニズムとエゴばかりを押し付け合う、このアメリカのプラグマティズムの中では、
絶対に絶対に理解できないでありう、この三人を一体と成す、
あまりにも曖昧で、しかし誰にも立ち入ることのできないこの集合体。

ただ、端から見ても決して、誰にも理解できないであろう人格融合した三身一体性こそが、
ベビーメタルの秘密であり、その魅力の源泉であり、
そのあまりにもアンタッチャブルな存在の、その真相なのである。

そう、す~の歌が凄いのではない。ベビーメタルが凄いのだ。それ以外にはないのである。



という訳で、この舞台裏映像。

なにを驚いたかと言って、その三人、その三人の踊るダンスである。

ダンスのことなどなにも判らない俺が、凄い! と思わず目をみはる、
息が合った、なんてレベルではない。
まさに超絶的なシンクロニゼーション、その永遠の綴織、である。

その動きは、ロボット、というよりは、まさに細胞分裂。

つまりは、三位一体、ならぬ、三身一体。
これが、絶え間なく付かず離れずを繰り返しながら、
その摩擦の熱と、吸引の力を倍増に倍増を重ねる、すさまじいまでの相乗効果。

そこで生まれたエネルギーが、
溜まりに溜まったマグマのように赤く煮えたぎり、
ついにはスーメタルの歌声を通して、
爆発的なロケット噴射として放出されるのである。

上手いだけでは、ただ、上手い、で終わりである。
譜面をなぞっただけでは、音にはなるが、音楽にはならない
そこに必要なのは、魂:タマシイ、なのだ。

す~の歌声に、魂を吹き込むもの、それこそが、
ユイと最愛を合わせた、ベビーメタルという三身一体の集合体、
その魂の結合なのである。

つまりはそういうこと。

なんだ、そんな結論、前回の狐火の時にも言っていたよな。

ただ、それに確信が持てた。

あるいはそう、これでますます、ベビーメタルというユニット、
その絆の凄まじさを実感することができた。

改めて言う。

人々はなぜ、ベビーメタルを前に涙をするのか。

まさにその、絆。その三人の絆にこそ、感動するのだろう。

そのあまりの超絶的な絆で結ばれた三姫の姿、
ただそれは、理屈では絶対に理解することができない、

ただ、そう、魂、はそれに呼応しているのである。

それを、愛、と言うべきなのだろうか。あるいは、そう、このベビーメタルを包む、
その一種、摩訶不思議な程の、ハッピー・オーラ、
その秘密も、まさにこの、有無を言わせぬ絆なのだ。

THE ONE WE ARE THE ONE TOGETHER.

これは、なにも、世界平和を促すメッセージでさえないのではないか?

いや、そんなことの前に、まずは、
すー、ゆい、もあ、は、いつも一緒だよ、ぜったい離れないからね、
そんな、三身一体 讃歌、であった、ある筈、なのではないだろか?

まあいい、なんでも良いけど、ベビーメタルは凄い。

す~も凄いけど、ユイも、最愛も、凄い。なんといっても三身一体の絆なのだ。

こんなもの、誰にも真似できない。出来るわけがない。

だって、この子たち、一緒なんだぜ。

そんなベビーメタル。まさに、唯一絶対の THE ONE なのである。



ということで、改めてこの、絆 である。

こんな俺にだって、絆、で結ばれた友がいた。

その何人かは、すでにこの世にはない。

そんな、絆、を思って、改めて、友に会いたい、そう思う。

それはまさに、狂おしい程に、友に、あの友達に、会いたい・・・

あらためて見上げる摩天楼の渓谷、

俺はなにを失ってしまったのか、

その空虚を、BABYMETALが満たしていく・・





  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム