Loading…

諸行無常のガルシア・マルケス

Posted by 高見鈴虫 on 28.2016 読書・映画ねた   0 comments
ご多分に漏れず、
俺もいままで、幾多の大切な人を失している。

死別であったり、
永遠の別離であったり、
あるいは裏切りであったり。

忘れられない人
思い出したくもないこと、
死んでも口に出してはいけない事、

そんなものをまだまだ抱えながら生きている。

俺がこんな駄文を綴り続けるのも、
実はそんな、
最も言いたい事、
そして言ったらそれまでよ、
の事を、
言わずに済ます為の、
一つの手段。
詭弁というスモークに他ならないのかも知れない。

ただそう、
そんな諸々の事を、
すべて水に流そう、
そんな気持ちにさせてくれたのは、
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」があったからだ。

人間の愛と憎しみを巡る悲喜劇。
欲望も、罪悪も、絶望も希望も、
そして死さえもが、
渾然一体となって、無秩序にばら撒かれた、
この現実という可笑しな空間。

その全てを、ラテン流の絶妙なペーソスの中に包み込んだこの逸品。

目の前の現実に打ちひしがれ、翻弄されながら、
思わず神を恨みたくなった時、
この本のページの中に、忘れていた何か、
つまりはそんな貴方自身が、ラテン流の解釈ではどう映るのか、その達観。
思わず胸の内に潮の香りに満ちた風が吹き込むような、そんな気持ちを、
きっと思い出すはずだ。



その人生というステージにおいて、最も大切な筈の主役、
つまり自分自身の姿は、視覚的には、決して光を浴びることはない。

何故ならば、そのステージそのものが自分自身であって、
そのドラマの実際の主人公は、まさに、自分をとりまく隣人達。

貴方の人生というステージを彩る多彩な登場人物たち。
貴方のドラマを最高の演出で飾るには、そんな登場人物達に、
最高の名演をお願いする、それ以外にはない。
そんな主人公達にいったいどんな役を演じて欲しいのか、
それを決めるのも、実は演出家たる貴方自身。

或いは、そんな人々にいちいち演技指導などしなくても、
演出家がいったいそのドラマにどんな世界を見ているのか、
それを明確に伝える事ができれば、
ステージを彩る名優たちは、自由奔放に、思い切り、
時として、全てが想定外なほどに、
力一杯に生き生きと、その役柄を演じきってくれる筈である。

しかしながら、善玉ばかり、あるいは悪者ばかりのドラマも、
なんとなく退屈に思える筈。

ドラマの醍醐味は、善と悪の渾然一体。

善玉あり悪役あり、美貌のヒロインから、絶妙のボケ役から、
そんな魅力に溢れる個性豊かな人々の名演、
あるいは鬼演、迷演、怪演の中で、
その物語に深みを与えるのは、
実は貴方自身の洞察力。

そんな名優たちに、どこまで深みを与えることができるかこそが、
貴方のドラマをより豊かなものにすることにもなる。

貴方はそんな登場人達、その名優たち、
つまりは貴方のその隣人達にについて、
何を知っていますか?

その一人一人の心の奥の奥を、
どれだけ理解していますか?

そんな隣人達を笑顔で満たすのも、
あるいは悲しみや憎しみや、
或いは愚痴と嫉妬と恨み辛みと、意地悪といじめ、
そんなダークサイドな世界にするのも、
実は演出家たる貴方自身。

そう、YOU ARE MY MIRROR 〜 あなたはわたしの鏡。

そしてそんな貴方自身が、
貴方の隣人、あなたのステージの名優たちの中にあっては、
実は主役の一人に早変わり。
その逆説を忘れてはいけない。

ただ互いに、臭い演技になる事を避ける為に、
勤めて自然体を装っている、そんな現実というドラマ。

そう思えた時、全ての事が、
愛しく、微笑ましく、かけがいのない、ただちょっと儚い、
そんな夢、あるいはドラマにも、思えてくる筈。



ガルシア・マルケス 百年の孤独が、俺にそれを、
つまりは 愛 、或いは、慈しみを、教えてくれた。

あの本に触れた時、
初めて、
これまで胸に滞って来た、
忘れられない人
思い出したくもないこと、
言ってはいけない事、
その全てが、甘く香り始め、
洗われた、そんな気がしてきたのだ。

そして最後のページを読み終えた時、
まさに大地震が襲ったように、
視界が揺らぎ、
そして俺は自意識という檻から、
解放されたことを知った。
それはまさに、爽快なほどの、無常観、であった。



幸か不幸か、
この世の全て、生きとし生けるもののすべてには、
始まりがあり、そして終りがある。

だからこそ、人は世界に優しくなれるのだ。

無常をいろはに定義して初めて、
人は無情の無間地獄を抜け出すことができる。

マルケスの中に、そんな日本の無常観を読み取ったのは、
俺が日本人であったから、という理由だけでもあるまい。



俺は神を信じない。
神は内在し、俺はその一部でもあるから。

俺は死者を忌まない。
死者も生者も、現実の中の一部だから。

時として無情の中に打ち拉がれた時、
俺は改めて無常に立ち返り、
そのやるせなさとの同化を試みる。

だから俺は悲しまないぞ。
そう思う以外には、どうする事もできないものを、
これまで抱えて生きて来た。

そしてその唯一の救いは、
無常の中の親和なのだ。



そして今、改めて言おう。
俺は幸せだ。
このしょうもない名優、迷優、怪優、そして冥友たち。
善玉、悪役、美貌のヒロインから絶妙のボケ役たち。
笑いあり涙あり、グロもホラーもサスペンスも、
ちょっとしたアクションシーンも無かった訳ではない。
この人生という、やるせなく、儚く、不条理で、荒唐無稽の、
なんともどうしようもないぐらいにとっちらかったドタバタ劇。

ただそんな中に、あんたという人が居てくれるから、
このステージますますひっちゃかめっちゃかに、
そして息もつけないぐらいに面白いのだ。

♪ あなたがいたから僕がいた ♪

全ての人類に、生者に、そして死者に、その言葉を送ろう。

そして友よ、
今日出会い、そして二度と会う事のないだろう友よ。
あなたが生者だか死者だかも知らないまま、
俺たちはこうしてすれ違い、そして互いのドラマを生きる。

さよならとは言わない。
また逢おう。
次のステージはまた一体、お互いどんな役どころで、
どんなドラマを演じることになるんだろうな。

終末を疾うに過ぎて、
なおも俺たちは生き続ける。
その、茶番にこそ、人生の面白みがあるのだ。

俺はそう思いながら、この現世を生きていく。
どこまでも、生きさらばえてやるつもりだ。

それが人生というもの、
マルケスを知ってから、
俺はそうやって生きている。
ずっとずっとマルケスを読み続けながら
なんとかこうして生きている。

そして改めて、
俺が嘗て、旅の友から聞かされたこの言葉を、
再び俺から伝えたい。

死にたくなったこれを読め。
ガルシア・マルケス 「百年の孤独」







  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム