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右手が攣る、という奇病に苛まれる21世紀

Posted by 高見鈴虫 on 04.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
実はこのところ、執筆活動に支障をきたしている。

ベビーメタルのツアーが一段落して、あとは東京ドームを待つばかり。
その後の活動も、レッチリとのコラボなんて話が持ち上がって、
まさに順風満帆、で、気が抜けてしまったのか、
というとまさしくその通りなのだが、

だからと言ってネタに詰まったという訳ではない。
ネタならいくらでもある。
おかげ様で普段からの英語生活、
そのストレスから、日本語で好きなように言いたいことを言う、
という鬱憤ならぬ欲求だけは溜まりに溜まっているのである。

では何故の支障か、と言えば、
実はここのところ、「奇病」を患っているのである。

どうも最近、日常生活の節々で、指、それも、右手の中指と薬指が攣る、のである。

かつて、テニスのやり過ぎによって、似たような症状を患ったことがあるのだが、
過去の糞壺: チャーリー・ホースは真夜中に疾る の中に詳しく吐き出してあるように、
その後、ブルックリンの奇跡のマッサージ師のお陰で劇的な回復を見、
師の勧めに従って、一日、大さじ三杯のリンゴ酢、の服用によって、
今はまさに全快に近いほどの進捗を見るに至った筈なのに、なのである。

いったいなんなのだ、この右手のつっぱりは?

ちなみに左手はなんでもないのである。
起こるのは右手だけ。
がまあ、痙攣と言っても、
なんだこれ、と指を引っ張ったり、プルプルと振っていればすぐ治る訳で、
テニス中の全身緊縛、
あるいは、真夜中のチャーリー・ホース、つまりはこむら返りなんかに比べれば、
痛くも痒くもないのではあるが、
こう度々に右手のつっぱりに見舞われると、
さすがにこれはちょっと気味が悪い。

もしかしてこれ、まさか、パーキンソン病の前兆ではあるまいか、
などと不穏なことさえも思ってしまっていたのだが、
ふとした折に、その原因が特定されるに至った。

問題はつまりは、IPHONE である。




俺はこの糞ブログの記事を、
移動途中の地下鉄の中で書いていることが多い。

なぜかと言えば、ニューヨークの地下鉄では、
いまだにWIFIにつながらないからである。
ほとんど全ての現代人にとって、
インターネットは既に基本インフラ、
インターネットなしにはほとんどなにも、で・き・な・い、のである。

電車の中、いつものようにベビメタに合わせてのエアドラムに勤しんで居るうちに、
知らぬ間に届いていた抜き打ち糞メール。
うわっと、んじゃこりゃ!
一刻を争う緊急な案件で焦りまくっている、そんな時に、
あっと、また回線がキレちまった、
この苛立ちはまったくハンパではない。

この高度情報化社会、
ほとんど全ての現代人は、日々一分二分が勝負の、
過酷な時間との戦いを強いられている、その筈なのだが、
ここニューヨーク、ひとたび地下鉄に乗った途端、
まさかインターネットに繋がらない、なんていう、
まるで中世の闇の中の如きに突き落とされてしまう訳で、
このギャップがまさに、堪らない、訳である。

で、改めてこのニューヨークの地下鉄。
今更ながら前世紀の代物というかなんというか、
臭い汚いうるさいに加えて、
この時代になってもいまだにWIFIの設備さえ整ってはいない。
理由はといえば、そう、
ニューヨークの地下鉄はいまだに、ユニオン、なんてものが牛耳っている訳で、
ニューヨークにおいてユニオンってのがなにを意味するかと言えば、
ぶっちゃけ、この世で一番使えない屑どもの集まりである。
みんなでさぼれば仕事などする必要がない、とばかりに、
いかにも日和見的な集団争議的思考が支配している訳で、
よって、仕事をすればするだけ損、
乗客の迷惑などどこ吹く風で、時間通りに動かない、どころか、
いつになっても故障ばかり。勝手に停まってまったく動かず、
駅は勝手に通り過ぎ、いつの間にか路線が変更され、
と、好き放題。
ほとんどあみだくじ、あるいは、宝くじ状態である。
そんな状態の中で、まさか、WIFI、など、とてもとても、
なのだが、でもさあ、ユニオンの奴らと言えども、
人間である限り、IPHONEぐらい持っているだろう。
電車運転しながら自分だってIPHONE使いたくねえのか?
とも思うが、おいおい、運転している奴がキャンクラやってるうちに、
路線を間違えました、となってしまうとますます怖い訳なのだが、
そう思うと、ああ、そうか、だからか、とこのニューヨークの地下鉄の謎が解けてしまう。
なんだそうか、運転しながらIPHONEでゲームやってる訳だね、君たちは、と。
とまあそんな状態が判れば判るほどに、
この地下鉄に乗っている時間というは、人生の無駄、そのもの。
この無力感の中で、なんとか自分失わない為には、
このやるせなさ、この怒り、この無常観を、
せっせとIPHONEのMEMO に打ち込む、というが、
唯一の自浄行為、となっていた訳である。

がしかし、最近になってこの自浄行為であるところの、
執筆活動に支障をきたし始めたのである。

こう言っちゃなんだが、俺は、IPHONEにおいて、人差し指タイプ、の人である。

ローマ字変換にしている関係から、打たねばならぬKEYがやたらと多く、
しかも、打ち損じが多いことから、消しては打ち直しまた間違えて、を繰り返す訳で、
そのストレスと言ったら、まさに、ハンパではない。

と、そんな状況下において、自分でも知らない内に、この人差し指、
ならぬ、使用していない中指、そして薬指に、尋常ではない力を加えていた、ようなのである。

お前、馬鹿だな、なんで、今時人差し指で。
いやはや、おっさんはこれだから、
と、苦笑いを浮かべられることも承知の上である。

そう、簡単な話、IPHONEを横、つまりは、ランドスケープにして持てば、
親指両手打ち、という必殺技が使える筈なのである。

がしかし、ここにIPHONEの罠がある。

この親指領手打ちを使うと、何故か、打ったばかりテキストが、
知らぬうちに、次から次へと、消えていってしまう、という怪奇現象が頻発するのである。

なんだこれ、いま打ったばかりの文章がいつの間にか消え失せて・・
これはなんとも気味が悪い。

もしやこれ、呪いのIPHONE、なのであろうか?
とまた、中世的な発想が鎌首をもたげる訳なのだが、
そう、俺はそうそうと簡単に迷信の中に逃げ込むタイプの人間ではない。

理由はと言えば、IPHONEのKEYBOARDにおいて、
実に実に、間違いやすいところに、UNDO KEY が置かれているのである。
これを間違って押すたびに、あり、いま打ったばかりの文章が、
あっというまに跡形もなく消え去ってしまうのである。

なんだよ、この、糞UNDOキーはよ。
なんでそんなものがこんなところになくっちゃいけねえんだよ。

一度やったことを二度繰り返す、という作業程、現代人を無力感に苛ませる行為もない。

がしかし、それで諦めてしまってはいけない。
そう、天下のIPHONEには、当然のことながら、REDO、という対応策も用意されているのである。

この REDO。
つまりは、振る。
そう、IPHONEをシェイクするのである。

が、このIPHONEを振る、という行為。
そのものが、混みあった電車の中で行うには、ちょっとあまりにも、猿臭すぎる、
と妙なところにこだわりを持ってしまう訳で、
という訳で、打ったばかりの文章が次々と消えていくこの呪いのIPHONE。
つくづく、あのなあ、と、長い長い溜息をついて、
ああ、面倒くせえ、もうやめた、となってしまう。

がしかし、いつになっても電車は走り出さず。
車内に広がり始めた不穏な鬱的空気に飲まれないためには、
自浄だ、自浄行為だ、こんな糞ユニオンなんかのために、
俺の人生を一分たりとも無駄にするなどあってはならない、
と無駄な抵抗を繰り返しながら、
しかし、人差し指タイプに変えた途端に指が攣り始める、と、まさに四面楚歌。

という訳で、いきなり、馬鹿だね、あんたは、とまたまた怖いお姉さんの鼻笑いである。

今時タイプなんて打ってる人、いないんじゃないの?
喋れば良いのよ、ほらこうやって。

という訳でそう、音声認識、如いては、音声入力、という必殺技である。

がしかし、メンヘラのホームレスじゃあるまいに、
電車の中で、こんな糞ブログに書いてあるようなことをそのまま、
言葉でしゃべる、つまりは不気味なひとりごとを続ける、など、猿臭い、どころか、
本チャンの基地外、である。
ニューヨークと言えども、最近は日本人だって沢山いるし、
下手をすれば日本語を解する外人も増えているこのご時世である。

んだよお前、ぶつぶつうるせえ戯言ぬかしやがって、と、思えば、
その糞くどい語り口、
あああ!あれ!もしかして、あなたが、すぅちゃん狂いの長文さん?
なんかまた奥さんに逃げられたそうだけど、ちゃんと生きてるの?きゃはは。
などと、
妙なことで歓心を煽るようなことだけは避けねばならない。

そっか、でも、音声入力機能を駆使すれば地下鉄の中じゃなくても、
例えば犬の散歩中に糞ブログを執筆、なんてことができれば、
まさにこれは一石二鳥、となる訳なのだが、
問題はこの糞ブログ、この長文である。

この長文に耐えうる、音声認識ソフト、というのがなかなか見つからず、
あり、いつのまにか、キャッシュのデータがオーバーフローしてて、
せっかく語ったばかりの美文、名文の綴織がすべて、
保存されていなかったり、となるわけで、
あり、さっき俺、なにを喋ってたっけな、
と犬に聞いてもヘラヘラと笑っているばかりでまったく役に立たない。

いやはや21世紀、なんだかんだいって難儀な世の中である。

そう言えば、密かに愛読する浅田次郎大先生は、
なんと未だに、万年筆、でご執筆されているそうなのである。

ええ、この時代に、万年筆?

まあ確かにあの名文。
暁の中で硯で墨の磨りながら構想を練り、
なんてまさにそんな感じなのだが、
そうか、いまだに万年筆か。

ってことは、今時そんな万年筆で執筆された原稿用紙の束を、
どさっと渡された編集者は、ありがとうございました、とばかりに、
それをタイプで打ちなおしている、ということな訳で、
あるいは、OCR機能付きのスキャナーで、ガーッとデータ化しながら、
そんな手抜きをすればするほどに、
後になって思わぬところでとんでもない誤変換を見逃しては、
大先生の逆鱗に触れ、なんてことがあったりしたら、
それこそクビがいくらあっても足りないであろうし、

そう言えば俺も昔、ガリ版、なんてものがあった時代、
学級新聞、なんてものの委員を押し付けられては、
放課後の教室で一人、
ロウ紙の上を鉄筆でコリコリと書きながら、おっとまた破いちまったこのやろう、
と舌打ちを繰り返しながら、
顔中がインクだらけになって、ああ、できたできた、と束の間の達成感、
が途端、おっとおお、なんだこの、誤字脱字の山わ!
といきなり膝が砕けるほどの脱力感に見まわれては、
気を取り直して、一から書き直し、となる訳で、
考えれば考えるほど、昭和の時代はこのやり直しによる忍耐力の鍛錬、
ってな機会が異様に多かったことを思い出す。

ただ、その繰り返し繰り返しの中で熟考に熟考を重ね、
つまりは、なるべく無駄な文章を削りに削り、
本当に必要なことだけを、練に練りながら、
選びに選んだ言葉、その一言に全てを凝縮し、
と、書く、という労力を惜しむが為に、
そんな無駄な気苦労を繰り返しながら、
この遅れたディヴァイス力というそのあまりにも過酷な縛り、
それに知恵と忍耐力を持って立ち向かうこととの軋轢こそが、
日本の文化を支えてきた、その真髄なのであらう、
などと、と今更ながらに切腹、ならぬ、感服してしまうわけで、
と同時に、この時代に溢れる、その軽さ、というよりも、
反知性 というよりは、脱知性、
すべてがすべて、反射的な無思考状態に陥っている
その根源にあるのが、つまりはタイプの普及、
あまりにも簡単に文章が打てすぎる、
ということにも、原因があるのでは、と思っている訳である。

という訳で、硯で墨を磨り、どころか、
痙攣を起こしてろくに動かぬ人差し指一本で、
まさに、舞踏病のように無意識に緊縛を繰り返す指先を駆使しては、
珠玉の言葉の一つ一つを、打ち込んでは間違え、消しては打ち込んでまた誤変換を繰り返し、
思わずブチ切れそうになる軟な精神にカツを入れつつ、
この難儀さ、この難儀さこそが、美文名文の秘訣、と思いながら、
そうまでしてまで書きたいこと、ってのも実はそうそうとあまりないという事実に
我ながら呆れ返りながらも、
つまりはそう、この糞地下鉄、
停まったままぴくりとも動かぬこの中世の監獄への苛立ち半分に、
こなくそ、こなくそ、と打ち込み続けるこの怨念の蓄積、こそが、
この糞ブロクの無用に熱いパワーを生み出す、その根源となっている、
という事実をここに改めてご理解頂ければ、と思う次第である。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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