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レイバー・デイの「夏の闇」 ~ 日本の男の最高峰・開高健

Posted by 高見鈴虫 on 13.2016 読書・映画ねた   0 comments
いやぁ、悪い悪い。
寝てた訳じゃねえんだよ。
忘れてた訳でもねえし。

ただちょっと、やることがあってよ。
ていうか、実は、違う世界、に行っていた。

え?いや、違う違う、そんなんじゃねえって。
やってねえよ、んなもの、餓鬼じゃあるめえし。
いや、だから、違う世界って言っても、
ぶっ飛んでたわけでも女のところにしけこんでいた訳でも、
旅をしてたわけでもなく、
まあそれ全部をひっくるめたもの、

ぶっちゃけ、本を、読んでいた。






事の起こりは先週末のレイバー・デイの三連休。

また例によってなんの予定もなく。

実は、その前の週から、かみさんがまた日本に里帰りしててよ。
でそんな関係から、またしてもぼっちモードのニューヨーク。

でまあ、このひとりっては良いとしても、
犬の面倒をひとりで見ねばばらず。
このシングル・ファーザーぐらし。
これがもう、大変過ぎ、な訳だ。
で、そういう時に限って、狙いすましたように、
突然の糞仕事が襲いかかって来たりするわけでよ。

という訳で、普段ならなんてことはねえ、
そんな日常生活の糞のような躓きのひとつひとつが、
かみさんがいなくなった途端、
いきなりの雪だるま、あるいは、鉄砲水。
一つ狂った歯車が、次から次へとドミノ・エフェクト、
俗に言う、ドツボに嵌まる、という奴で、
まさに、LIFE SUCKS と、そんなかんじ。

改めて、まわりにシングル・マザーの方が居たら、
助けてあげましょうね。
いやあ、これ、本当の本当に大変なんだよ。
なにが大変って、その心理的なプレッシャー。
自分の身になにかあったら、
その被害をまともに被るのが、実は一番弱い 「子供」 なんだよな。
これ、まじで、もう、ひとりで支えきれるものじゃないよ。
助けがなかったら、本当に追い込まれる。徹底的に。

苦労もなにも知らねえ野郎が、外から正論面晒しては、
自己責任だなんだって聞いたような御託並べるのは勝手だが、
シングル・マザーの人たち、
もう他人になにを言われてももう気にならないぐらい、
あるいは、助けを求める余裕もないぐらいに、
ただただ、てんぱってる、筈。

頭が良いの悪いの、意志が強いの弱いのとかは別として、
ひとには他人の助けが必要なときも、あるんだよ。
そういう時、ちょっとしたつまづきや、
あるいは他愛もない意地悪、
ましてや、無責任な正論、なんてのを持ちだされた日には、
まさに、そんな日々追い立てられるようなプレッシャーを前に、
ポキリ、と折れてしまったりも、するものなんだよ。

それは、憐憫やら、偽善、やら、そんなものではなく、
いや、憐憫であろうが偽善であろうが、そんなことさえもどうでも良い。
人間は助け合わなくてはいけない。
そういう時も、ある。絶対にある。
そして、あなたのその気まぐれ且つ興味本位の善行が、
もしかしたら、誰かの命を、救うかもしれない。

信じてくれ。
あなたのそんなおちゃらけた善意でさえ、
しかし、きっときっと、神様が見ている。
その理由はどうあれ、そうやってバラ撒かれた善行が、
いつか必ず、あなた自身の身を助ける。

それを信じなかったら、社会になど、神にも仏にも、
なんの意味もないんだぜ、と。

という訳で、
てめえがテンパッた途端に、助けあおう、などと、
まあ、相変わらず調子の良いことこの上ないのだが、
まあそういう疑似体験こそが、想像力を培う訳でさ。

そう、思いやりとはつまりは、想像力、なんだよ。

これが無かったら、人間はサル以下、虫並、と。

繰り返すぜ。
気まぐれであろうが、偽善であろうが、憐憫であろうが、
情け容赦ない正論よりは、なんぼかマシだ。

助けてやってくれ。手を差し伸べるだけで良い、
電車の席をかわってやるだけでも良いのだ。
理由なんかいらない。
もし助けられるのであれば、助けが必要なひとを助ける。
それだけ、だ。



という訳で、かみさんが消えた途端の、
このいきなりのシングル・ダディ暮らし。

思う存分、羽を伸ばして、どころか、
想像力なんてのを働かせる余裕もないぐらいに、
思い切りテンパッた日々が続いている。

朝6時に起きて散歩に出てうんち拾ってゴミ箱探して、
歩いて走って、ボール投げて、ボール拾って、
おい、バカ、お前ら、喧嘩やめろ!と。
で、やばい、時間だ!と駆け戻って、
水飲ませて、足洗って、身体拭いて、ブラシかけて、ご飯食べさせて。
その間に俺がシャワー入りながら歯を磨きながら飯食って。
とりあえず着るもの着て外に飛び出してから、やばい、火の元、電気、そして・・

そう、この狂乱暑夏のニューヨーク。
朝のうちは良いとしても、昼の日中に気温が跳ね上がる。
ヘタすれば、閉めきった部屋の中、40度、とかにもなっちゃうわけで、
一年中、毛皮を纏った犬族にはこれはまさに、必殺パンチ。
という訳で、ああ、危ない危ない、と部屋に戻って、クーラーをセット。
元気にしてろよ。
部屋を汚そうが、ぶっ壊そうが、かまわないからな。
ベッドの上でおしっこしようが、玄関の前にうんちしようが、
ソファーの上にゲロ吐いていようが、
俺はぜんぜん気にしない、ただただ、元気でいろよ、いてくれよ、と。

そう、まさに、それだけが望みのシングル・ダディ。
とりあえず、細かいことは一切合切全てふっ飛ばしても、
ただただ元気でいてくれること、それ以外に、なにを望むだろう。

ってことで、
会社に辿りついたところですでに脱力状態。
で、改めて見渡せば、なんか、静かだね、と。
もぬけの殻のオフィス。
なんで?みんなどこ行っちゃったの?
と、首を傾げる間もなく、メールどっさり、電話じゃんじゃか、
カレンダーの予定が、みるみると埋められていく訳で、
おいおい、なんだよこれ。

ってのがつまりは、
このレイバー・デイの三連休にひっかけて、
皆様、先を争うようにご休暇を取られている訳で、
結果、残された連中はそのしわ寄せを食らっていきなりのアップアップ。
だからますます、みんないっぺんに休暇を取りやがるのか、と。

とそんな訳で、朝から晩までてんてこ舞いの日々であったのだが、
だがしかし、なにがあったとしても、犬の面倒だけは怠る訳には行かず。

あのなあ、俺はもう他人になにを言われようが気にしないぜ。
言わせて貰えば、俺はな、犬のために生きてるんだよ。
この仕事だって、なんだって、うちの犬を幸せにする為の、
その一つの手段にすぎないんだよ。
いくら銭を稼ごうが、てめえらなんざになにを言われようが、
俺の犬が死んじまったら、なんの意味もねえって訳でよ。

という訳で、俺は帰るぜ、ばかやろう、
と思い切り電話会議を途中でぶっち、
なんてこともやらかしながら、

そんなこんなで、

え?ってことは、もしかして、俺も、三連休、なわけ?
なんてことに、いまさら気づいたのが、実は木曜日の夜。

で、金曜日は金曜日で、もうこれはさすがに打ち止めだろう、
と思っていたらまたまた妙な案件に引きずり込まれ、
仕事が終わったのが例によって深夜12時近く。

ああやばい、犬が待っている。
おしっこ我慢して待ってる、お腹減らして待ってる。
と思えば思うほどに焦りまくる訳で、
そう思えば思うほど、人の気もしらない極楽とんぼどもの戯言三昧、
仕事は仕事、なんで、黙って聞いてはいたが、
こいつらみんな、金属バットどころか、ツルハシで壁に串刺しにしてやりてえ、
なんてことを、俺が思っていた、なんて、誰にも気取られてはいないであらう。

という訳で、かみさんのいない日々。
まさに、やってられまへんなあ、の一言に尽きる。

という訳で、金曜の夜、思わずシスコIP電話を瓦割り、
したい気分でありながら、そんなことしている場合か、これ高いんだぞ、
と気を取り直し。
深夜を過ぎて、普段から輪をかけてちゃらんぽらんになった、
糞地下鉄のダイヤにいちいち苛立ちながら、
ようやく家に飛び込んだのは1時をかなり回ってから。

やあ着いた、ああ待ってたね、ごめんなごめんな、わかったわかった、
ちょっとまってまって、これを着替えたらすぐに散歩に行くから。

という訳で、へいへいの体で辿り着いたハドソン川の埠頭。

川に長くせり出した埠頭の先っぽで深夜の風にあたりながら、、
ああ、これで三日間、もうなにもしなくていいのか、
と思った途端に、
どしーんと、まるで、背後から鉄砲水に襲われたように、
あるいは、いきなり砂と化した身体が風に飛ばされていくように、
全てのことが、徹底的にどうでも良くなってしまった、のである。




という訳で、このいきなり降って湧いたような三連休。
日々の殺伐の海であっぷあっぷしていたところ、
目の前におあつらえ向きの板切れが漂ってきた、
そのなんとも信じられないほどの幸運、
そんなちょっと得しちゃった気分。、

翌朝、遅く起きてでかけたご近所の公園。

まるで街中がもぬけのカラ。
まさに現実感が失われるような静寂。

そう、このニューヨーク、
ほとんど大抵のまともな人は、
この三連休、またどこかにバケーションにでかけている訳で、
その代わりにどっと押し寄せてくるのが観光客。
このニューヨーク、連休と同時に街の住人が入れ替わる、
ってな現象が起きるのだが、
まあそう、俺の住むエリアの一番良いところは、
観光客がいないこと。

車の影さえ見えない6車線の交差点。
手持ち無沙汰の信号がただ風に揺れるばかり。
なんかもう、これ、もぬけの殻っていうか、
時間の死んだ街っていうか、
つまりは、異次元感覚。

で、犬の綱もつけないまま、
大通りの交差点を斜めに横切って辿り着いた公園のベンチ。

そんな俺の気苦労も知ってか知らずか、
犬の笑顔がもう弾けるようで、幸せ一杯。

そんな犬の笑顔を眺めながら、
ああ、終わったなあ、一週間、と溜息をついた途端に、
また、どどっと、眠くなってきてしまった。

で、なんか、こんな気分、誰かが文章にしてたよな、
と思いついて、誰だったっけか?

確か、そう、

その頃も旅をしていた、

だったっけか。。

と思った途端、
なんかもう、それは熱情に焼きつくされるように、
いまにも涙がにじむぐらいの切実さを持って、

本が、本が、本が読みたい!と、思った訳だ。

でそう、なんの本が読みたいのか、と思えば、
それはまさに、日本語。日本の本。

それはもう、思いっきり女々しくて、思いっきりドロドロしてて、
思い切りニヒルで、ダンディで、センチメンタルで。

ただ実は、そう、ご存知のようにこんな俺、である。
知、食、女、音楽、すべてにおいて徹底的に雑食系でありながら、
しかし、許せないことはなにがあっても許せない、
そんな偏屈者の極み、のような孤陋の輩である。

しかもこの三連休、
ようやくここまで辿り着いたのだ。
こんな貴重な三連休を、まさか、
好きでも嫌いでもないけど読んでも読まなくてもいい本、
なんてものに、掠め取られてなるものか。

そう、俺は偏狭の人である。
昔、エリーちゃんから言われたこと、
俺は、好きから嫌い、までの間のグラデーションが、
極端に乏しいひと、な訳で、まさに、ハイコントラスト的な人格。
つまり、心の許容値が極端過ぎる人なのである。

そんな偏狭な輩が、己の三日間、
付き合いたい、と思わせてくれる作家、
誰であろうか、と考え続けていた。

という訳で、

その頃も旅をしていた、

その一文こそが、天命であった。

これ書いたの、いったい誰だったっけ、
などと、そんなもの、言うだけ野暮、である。

言わずと知れた、開高健、「夏の闇」の冒頭からのメガトン・パンチ。

開高健・・・、そう、俺が求めているのは、開高健、以外にありえない。

そう思った途端、もう矢も盾もたまらず、
虚に包まれた慌てて追い縋る犬を引き連れたまま家に飛んで帰り、
そのままの格好で駆け込んだ本棚の前。

開高健、かいこうけん、カイコーケン、書いた書けん、
えっと、どこだったけかな、と探して探して、
本棚の本のほとんど全てを、床の上にならべて積み上げて、
ああ、こんな糞本の山、読みたい本が見つからねえ、なんて状態なのに、
わざわざこんな本を自分で所有している必要があるのか、と。

こんな苦労して探せねばならないのなら、
読みたい本があったら、その都度、
ブッコフで、あるいは、WEBでダウンロード、
しちまった方が良くねえか?と。

なんてことを考えながらも、いやいやいや、
そう、捨てるに捨てられない本・その山、山、山。

なぜ?と改めて問う。

当然だよ、愛着があるから。
つまり、愛しているから。
あるいは、嘗てあれほど愛していた、
そんな思いがあるからなんだよ。

この一冊、一冊の本には、まさに、作家の、
その、魂の、人生の、その、結晶、なんだぜ。

ただまあ、とちょっと思う。

そう嘗ての、あの愛して止まなかったあのひと。
日本史上、最高にして最麗の美女であった、あの人の言葉、

棺桶に持っていく本、十冊を選びなさい。
その十冊以外は、所有してはダメ。
水は流れてこそ水。流れを止めた途端に腐り始めるもの。
旅を続けなさい。
その十冊だけ持って、あとの余計なものは全て捨てて、流れ続けなさい。

そう、持つべき本は十冊で十分である。
新しい本と出会うたびに、総当り戦をやって、
それでも残った十冊だけを持って、
旅を続けるのである。

という訳で、改めて、棺桶に持っていく十冊。
たとえ、何年もの間、手に取ることもページを開くこともなかったとしても、
いついかなる時にも、手元においておきたい本。
その十冊。

俺の場合、
ぶっちゃけそれは、金子光晴。
ドクロ杯からの海外放浪三部作+マレー蘭印紀行。

そしてそう、もうひとり、開高健。
言わずとしれた、「輝ける闇」、そして、「夏の闇」

この御二方に関しては、もう、絶対に、棺桶までもっていくことになる、
俺の人生の、そのほとんどの瞬間にお付き合い戴いた、
まさに、バイブルに近い、珠玉の文庫本たち。



という訳で、改めて、開高健である。

オーパから、フィッシュオンから、
釣り文学、あるいは、美食家、としても名高い、
日本随一のエッセイストである。

がしかし、俺的には、開高健とは、まさに、小説家。
それも、日本随一の小説家、なのである。

その作品、言わずと知れた、輝ける闇、そして、この、夏の闇。

そもそも、この二冊、を知ってから、
開高健を読んでもいない人間を信じない、というか、
人間とは認めない、というか、まあそう、
開高健読んでないような奴とは、まともに話す気になれない、
などと思い始めてしまった訳で。

俺の生来のこの偏狭さが、
実は、そんな偏愛に根ざしたものであり、
という訳でこの開高健、
嘗ての俺にとっては、ローリング・ストーンズやルー・リードと並んで、
まさに、踏み絵的なもの、であったのかもしれない。

という訳で、
相変わらずの見当違いの大暴走であるのは重々承知、
本読みでない人間は、ここから先はまったく訳判らないと思われるのだが、

ただそう、
俺のこの支離滅裂な糞ブログに付き合わされている物好きの諸氏であれば、
当然のことながら、開高健ぐらいは読んでいるであろうし、
あるいはそう、この糞駄文など読んでいるのであれば、
ひとたび、開高健の文章に触れたが途端、まるで、電流に痺れるように、

こ、こ、この、文章・・ 美しい・・・美しすぎる・・

と、気の遠くなるような感銘を受けてくれる、その筈、である。

という訳で、ようやく見つけ出したぞ。
本棚の下の、靴箱の底の底の底。

という訳で、ボールを咥えたままの犬を隣りに待たせながら、
思わずそのシミだらけのページをめくり始める。


  「夏の闇」 ~ 開高健 
 
  その頃も旅をしていた。
  ある国をでて、べつの国に入り、
  そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして、
  私はその日その日をすごしていた。

  季節はちょうど夏の入り口で、
  大半の住民がすでに休暇の為に南へいき、
  都は広大な墓地か空谷にそっくりのからっぽさだった。
  毎日、朝から雨が降り、
  古綿のような空がひくくたれさがり、
  熱や輝きはどこにもない。

  夏はひどい下痢を起し、
  どこもかしこもただ冷たくて、じとじとし、
  薄暗かった。

  膿んだり、分泌したり、発酵したりするものは何もなかった。
  それが私には好ましかった。


どうだ!
って俺が威張ってどうするんだ。

ただもう、これ、ここまで読んだだけで、もう、これ以上ないでしょ、ってぐらいに、
まさに、独断と偏見から勝手に言い切るが、これ以上の日本語の文章は、存在しない!



改めて、「夏の闇」である。

その前編として発表された、「輝ける闇」
つまりは、雑誌社の臨時特派員としてベトナム戦争に赴いた開高が、
そこで、本ちゃんの大戦争に巻き込まれて、九死に一生を得て奇跡の生還を果たす、
その壮絶な戦場での実経験を元にして書かれた、まさにルポルタージュ的傑作。

俺的には、フレデリック・フォーサイスの「ビアフラ物語」
あるいは、リシャルト・カプシチンスキの「黒檀」
と並んで、この「輝ける闇」こそは、戦争文学の最高峰、と思っていた。

そして、この「夏の闇」は、その続編。

ヴェトナム戦争でのあの強烈過ぎるトラウマの中、
自己の喪失感の中で七転八倒を続けてきた作家が、
嘗て、自分を捨ててヨーロッパに旅だった愛人と再会を果たし、
フランスとドイツを舞台に、愛欲と退廃にまみれ切った日々を送る、と、
そんな内容である。

開高健の最高傑作、との誉れの高い名作の中の名作、
と同時に、多分、日本の戦後文学史上、金字塔に値する、
まさに、珠玉の一品であることに間違いはない。

ただそう、正直な話、俺はこの「夏の闇」、
こうして改めて読み返してみると、
どうも俺はその文章が曖昧、というか、
割りと覚えていないものだな、と思い知った。

輝ける闇を読んだあの衝撃、
まさに、身体中の血が沸き立っては、
このまま単車をぶっ飛ばしては、
江ノ島どころか、海を渡ってベトナム、あるいはアフガンまで、
そんな気にさせる、まさに、男の男による男の為の冒険活劇、
であった訳なのだが、
その熱情のそのままに手にとった、この夏の闇。

寝てばかり居る主人公が、
女と再会しては、そこから先はおまんこばかり。
で、その後は食ってばかり、となる訳で、
なんだこれ、と、思わず肩透かし、の拍子抜け。
なんとなく裏切られた、ような気にもなっていたのだが、

その落胆からか、正直、その内容、割りとうろ覚えであったりもするのか、と。

ただそう、この「夏の闇」

つまりはそう言った意味でも、男の価値、を図る意味でも、
バロメーター的な作品である。

まさに、男の中に秘める少年性の全てであった「輝ける闇」に対し、
この、「夏の闇」は、そんな少年が、男、つまりは大人へと脱皮する、
その孵化、の様が書き込まれている訳で、
つまりは、そう、夏の闇こそは、大人の話、であった訳だ。

開高の描いた「戦場」に憧れては血を沸き立たせる少年にとって、
愛欲を貪り合う中年カップルの不倫の話は、
ちょっとあまりにも、大人、過ぎたのである。

ただそう、幸か不幸か、俺もついに齢を取った。
輝ける闇はすでに、指南書、あるいは、手引書、ならぬ、
もう決して手の届かない、若き日の追想、
あるいは、苦い記憶となり果てている
そんな俺にとって、ついに、この「夏の闇」が、
理解できる歳になったのだな、そう思うと、ちょっとした感無量、という気がしないでもない。

嘗て、いろいろな人々が、この俺に、「夏の闇」について語ったと思う。

曰く、夏の闇、こそが、開高健の最高傑作。
輝ける闇は、夏の闇のための、序章に過ぎない。

まあ、子供には判らないだろうが。

そしていま、大人、どころか、すでに、老年を前にして、
改めて読み返す、この「夏の闇」。
思わず、にんまり、そして、生唾ごっくん、である。

改めて、凄いな、これ、と。

十年ぶりの再会を果たした中年の男女が、
若き日の熱情を滾らせながら、
まさに、肉も骨も、内蔵さえをも貪り合うが如き、
まさに、赤裸々も赤裸々、
徹底的に血なまぐさいまでの情交の記録なのである。

いまにも、匂い立つようなその濃密な、濃密過ぎる、
生々しい描写がこれでもか、と続く訳で、
改めて、これ、

奥さんを前にして、「創作」で、済ますことが、できたのだろうか?と。

自他共認める恐妻家である俺は、
口ではなんだかんだと大口を叩きながら、
実はなにがあっても奥さん第一の人、であったりもする。

事実、こうしているいまも、かみさんがいなくなった途端に、
飯を食うのがひたすら面倒臭くなって、
代わりに、会社の倉庫からかっぱらってきた非常食用のスニッカーズ、
そればかりをかじって暮らしていたら、なんと、10パウンド近く太ってしまった。

前にかみさんが帰った時には、
スニッカーズさえも食わずに、5パウンドの減量となったのだが、
つまりはそう、俺から言わせれば、
男は、女がいないともう、徹底的に自分自身というものにさえ、
興味を失ってしまう、そういう生き物、なのである。

そんな俺から言わせると、
これ、この「夏の闇」、
良く書けたよな、と。

今更ながら、そんな糠味噌臭いところで、妙な感心をしてしまうわけで、
いやはや、その、くそ度胸というよりも、この開高健の奥さん、って人も、
余程、心の広いお方であったのか、と。



という訳で、改めて大人になって読み返した「夏の闇」、
一言、面白かった。

中年不倫のその醍醐味、思い切り堪能させてもらった。
その芳醇なる名文に次ぐ名文の綴織り。
そのあまりにも赤裸々な魂の叫び。
さすが、さすがに、開高健だ。
恐れいった。参りました、と思わず、
このシミだらけの文庫本の前に土下座をしては拝みたくなる。

思えばそう、これほどまでに鮮烈、という訳にもいかなかったが、
俺にも、確か、そういうことが、あったか、なかったか。
そんな遠い思い出を辿りながら、
が、しかし、俺がここまで嵌り込むことができなかったのは、
かみさんの立場を考えて、というよりは、
ただたんに、度胸がなかっただけ、あるいは、俺がそこまで、女に惚れられていなかった、
あるいはそう、女というものを、理解していなかった、だけの話なのだろう、と、
そんなことさえも思ってしまって。

思わず省みる俺の人生の履歴。
そして改めて思い出すのは、
いままで、いったい何人の女たちから、
この「夏の闇」について語られていただろう、と。
それを俺は、割りと、どうでもよい事として、
素通りしていた、のではないのだろうか、と。
などと、そんな「嘗てのおんな」たちの、一つ一つの言葉が、
なんとなく、気がかりにもなりだしたり、
そんなことさえも思い出してしまった、この一人寝の夜。

とそんな具合から、連休中、どうも尻の座りが悪かった。
ぶっちゃけ、興奮していた、のである。

で、その解毒の意味も含めて、この「夏の闇」、
その気に入った部分だけでも、書き留めておこう、などと、
いかにも昭和の人のやりそうなことを考えついたわけだ。

がそう、俺も、実は、そこまで、バカではない。
ってか、そう、俺はバカ。
だから、まわりの人は俺よりも頭よくて然るべきもの、
と思っているから、
俺よりもバカなことをやる奴がいると、ついつい、
バカヤロウ、バカは俺だろ、お前が頭よくなくてどうするよ、このバカが、
という妙な論法で、いきなり荒れ狂っては暴力をふるう、
なんていう厄介な性癖がある。

でそう、そんなバカな俺も、いまやすっかり21世紀の申し子、ならぬ申しおさん。

俺の考えることぐらい、すでに頭の良いひとが実践しているに違いない。

という訳で、この「夏の闇」の珠玉の名文、その抜粋を、誰かがしてないかな、

などということを考えて、さっそくグーグル、してみれば・・・

え?なんだよ、この、佐々木千世子 って人は・・・

とそんな事情から、連休も最終日、それも夜中を過ぎた頃になって、
いきなり、
俺はまたしも、21世紀の罠にまんまと嵌りこむことになったのでああある。



断っておくが、ここからは、もう、激しいネタバレになる。
なので、改めて、もしも、この「夏の闇」、読んでいない人がいたとすれば、
まずは、紀伊国屋でもブッコフでもなんでも良い。
まずはご一読をおすすめしたい。

が、その際、もしも、「輝ける闇」さえも読んでいなければ、
もちろん、「輝ける闇」が最初、である。

この「夏の闇」にとって、「輝ける闇」は、序章ではないが、まさに、第一章にあたる。
そして、最初に言ってしまえば、
開高健はこの「闇」シリーズを、三部作、と捉え、
この輝ける、そして、夏のに、続く、もう一つの闇、を執筆しながら、
しかし、その短い生涯において、その最終章を、完成させることは、できなかった。

その理由について、さまざまな人が様々なことを語って来たのだが、
そう、これからのこのクソ駄文は、つまりはそう、そのこと、について、
その核心をも示唆することにもなる、そんな所謂一つの21世紀の罠である。

改めて、この開高健、その最高傑作と言われる、「輝ける闇」そして、
この「夏の闇」は、まさに、日本語による文章の、その一つの最高峰、である。

日本人として生まれては、字が読める、という能力を持っているのであれば、
この作品を読まずしておくのはまさに、宝の持ち腐れ、である。
この本は、この本だけは、激しく、ご一読をおすすめする次第である。

ただ、そう、今や、インターネット時代。
つまり、横書き、の時代である。

そのあまりにも純文学した、つまりは、ページぎっしりの漢字だらけ、
ってのに、拒絶反応を起こすようであえば、
そう、上記に例に挙げた、勝手に改行、方式を持って、

その一文、一文を、点・丸、ごとに、改行して行って頂ければ、と思う。

この開高健の文章、改めて、その一文、一文が、まさに、独立した「詩」
あるいは、良質な「コピー」にさえなるほどの、まさに、名文に次ぐ名文のタペストリーである。

口に含んだ最高級のスカッチを、
舌の上で転がしては、良く噛んで、鼻に抜いて、
とやるように、読んで読んで、読み潰して頂ければ、と思う。


♪、

という訳で、改めてこの「夏の闇」

中年の不倫話である。

それをまたまた俺語に翻訳すれば、

どういう塩梅でか、パリの安宿でグダグダ寝てばかりいるおさんが、
若いころに浮気した女、それが隣の(西)ドイツに住んでて、
で、その女と再会しては、おもっきりぐちゃぐちゃ、
ぶっちゃけ、おまんこばっかりやって過ごす、というまあそういう話。

んだよそれ、馬鹿馬鹿しい、と思うなかれ。

そう、読み進めれば読み進める程に、二人の抱えた「傷」があきらかになる訳で、
その鮮烈な展開が、まさに、おー・ドラマティック。

でそう、まあこれ、発表された当時から、
前作の「輝ける」の続編ってことになっていたので、

つまりは、ベトナム戦争で死にかけた海外特派員が、
生死の狭間体験の、そのPTSDからどうやって立ち直るか、ってな話な訳で、
ただそのPTSDってのは、
実は、戦後の焼け跡を、戦災孤児に近いかたちで過ごしてきた人々の、
その傷に直結する、と、いう、まあ同時代的な共通認識ってのがあっただろな、
と思うわけで、なのだが、

で、まあそう、この夏の闇、その全編のうち、半分どころか三分の二が、
まさに、昼メロってか、まさにもう、ぐっちゃぐちゃのおまんこおまんこおまんこばかりの話でさ。

まあそこが開高健なので、エロティックというよりは、もうその先の先の先、
その奥の奥の奥まで、突いて突いて突きまくった、真珠入りの文章に貫かれている訳で、

すげええなあ、とは思いながらも、しかし、
ほら、この作品を最初に読んだ頃、俺はほら、やっぱ若かったしさ。

輝ける読んで、戦争、行ってみてえ、とはまじ、切実に憧れてた俺が、
この、夏の闇。
おまんこ?中年の不倫?いいよそんなもの、と、割りとなんというか、拒絶反応
でもあった訳で、
男には、おまんこよりも、ずっとずっと面白いものがある。
それを探して、なんぼでしょ?と。

まあそう、それこそが、この夏の闇の主題でもある、ってなおちが着くわけなのだが、

そう、立ち返って、21世紀の罠である。

そんなこんなで、この、夏の闇、のその書評、あるいは、抜き書き、
なんてのを探してみようか、と思った矢先、

いきなり、この、佐々木千世子 という方の名前が、転がりでてしまった、という訳だ。



実はこれ、
開高本の書評ではなく、細川布久子著による、「わたしの開高健」
という本の紹介の記事だったのだが、

その内容の中に、

この夏の闇のヒロインは、実は実在した人で、

そして、この夏の闇に書かれていることは、小説、というよりはほとんど、事実、
つまりは、実際にあったことの、その、忠実な描写である、と。

つまりこれ、まさに、「私小説」?

そう思った途端、え?

つまり、開高健、まさか、自分の不倫話を、ルポルタージュ、しちゃったって訳?

げげげげ・・

実はさ、この「夏の闇」、今更ながら、ちょっとしたトラウマ的な記憶があってさ。

嘗て俺に、好きから嫌いへのグラデーション、について語ったエリーちゃん。
これは不倫ではなくてかみさんと出会う前の話なんで、とまた小賢しい言い訳が先に立つが、
まあそう俺がまだ思い切り青臭いというかチンカス臭かったであろう頃のお話なのだが、
例によって年上の人。で、改めていまから思っても、なんで別れてしまったのでしょうってぐらい、
実に実に素敵で綺麗で格好良くてしかも物凄いナイスバデーのお方で、
知り合ってから口説き落としてホテルに連れ込んでベッドに押し倒して、
やたーとそのおぱいとご対面したその瞬間から
もう徹底的におまんこおまんこおまんこばっかりやって過ごしていたって記憶があるんだが、
この「夏の闇」そのエリーちゃんとの出来事が、見事にオーバーラップしてしまう訳で、
で実はそう、このエリーちゃんからも、
開高健は、輝ける闇が最高傑作だよな、という俺に、
やっぱり、男の子だよね。まあそういうところが好きなんだけどさ、と薄く笑いながら、
でもね、もうちょと大人になったら、「夏の闇」、読んで見て。きっとなにかに気づくから、
とかなんとか、言われてしまった年上のひと、ってな覚えがあって。
でそう、このエリーちゃん、ほんともう好きで好きで好きで好きでまさに溺れて溺れて溺れまくり。
遠距離交際であった関係上、もう、会いたくて会いたくて頭のなかそればっかり。
給料のほんど使って金曜の夜の最終便の新幹線に飛び乗っては、
会った途端にもう別れなくっちゃいけないその寸前までつまりは月曜日の朝まで、、
徹底的におまんこおまんこおまんこばっかり。
寝てやって立ってやって座ってやってベッドでやって床でやってトイレでやってバスタブでやってキッチンでやって、
前から後ろから縦から横から斜めから成り行き任せにありとあらゆることの体位という体位の全てを、
入れられるところは臍から鼻の穴から耳から毛穴まで徹底的にやってやってやりまくっては、
その帰り、始発の新幹線の中で、この「夏の闇」、読み返していた覚えとかあったりもして。
でそう、この「夏の闇」のその風景。
ばかやろう、こんな女より、エリーちゃんのほうがずっとずっと良い女だぜ、
なんて、ちょっとした興ざめ、というよりは、対抗心、なんてのもあったりしたんだけど、
あのほのかに残ったニナリッチの香り、と同時に、
たぶん、俺の身体中から立ち上っていただろう胡乱な情交の香り、
新幹線を降りてそのまま出社、なんてしてたんだが、
周りの人々は果たして、そんなあまりにも生臭い新入社員に対して、
いったいなにを思っていたのか、とちょっと考えればまさに言わずもがな。
ああそうか、だから、俺は仕事が長続きしなかったのか、
なんて今更ながらことの真相に気づいては俄な自省を繰り返しながら、
あのおっぱい凄かったなあ、と、若き日の熱情を思いながらも、
そう、あれも実は、いわゆるひとつの「夏の闇」であった訳で、
ただ俺には、開高健のような文才も、度胸も、頭脳も、コネも才能も魅力もなかったから、
結局は、甘酸っぱい恋の思いで、ぐらいにしかならないわけなのだが、
そっか、この「夏の闇」、まさに、私小説、つまりは、実在する人であったのか、と。

としたところ・・・ えっ?



実はこの、夏の闇のヒロインであるところの、佐々木千世子。

当然のことながら、この作品が書かれた当時、開高健はご結婚されていたわけで、
で、妻子、というものがありながら、いきなり、海外出張中に、別れた愛人との再会しては、
そこでもう、徹底的におまんこばかり、身体中どろどろにまみれきった、そんな赤裸々な体験を、
綴る、というよりは、ルポルタージュしてしまった訳で、
これ、かみさん、大丈夫だったの?とは思いながらも、

そう、つまりは、書かずにはおけない、なんらかの事情があった、
とは安易に想像がつく訳で、

で、改めて、前述の、細川布久子著による、「わたしの開高健」、

そこにある、実際に起こった、開高健、と、そして、この 佐々木千世子という人。

実は、この夏の闇に書かれていたことが実際に行われていたその翌年、
(多分)、やはり、開高が忘れられずに日本に一時帰国した、このヒロイン。

で、再度のベトナム訪問から、なんとか帰国を果たした開高健と、
東京のホテルで再会を遂げた、その翌日、

なんと、このヒロイン、不慮の事故によって、亡くなられていた、と。

え?

死んじゃったの?このひと・・・

で、その後、開高はすべての仕事をぶっちして山奥に失踪。
で、その失意のどん底のなかで書き綴ったのが、まさに、この、「夏の闇」という作品であった、と。

えええええっ!

つまりこれ、鎮魂歌、であった、訳なの?

これはこれは、もう、目からウロコ、どころか、
まさに、開いた口が、塞がるどころか、顎が床に落下。

思わず、後ろ頭を金属バットで殴られたような、衝撃を受けてしまった。



という訳で、噂に聞いた、開高健と、そして、妻:牧羊子夫人との確執、とか、
まさに、鬼気迫るものがある訳で、その理由も、つまりはこれ、

この、全てを赤裸々に綴った亡き愛人との情交の作品が、まさに、開高健の最高傑作、
如いては、日本文学の金字塔、ともなってしまった訳で、
この皮肉、といったら皮肉。
これもう、凄まじいものが在るわけでさ。

ある時期の日本の青少年は、おしなべて、
この開高健という人の生きざまに、少なからぬ憧れ、を抱いてきた訳で、

改めて読み返すこの「夏の闇」、

俺もいろいろやってきたけど、これほどまでに濃厚な恋って、したことなかったよな、とか思い知って、
いやあ、先生、まいりました、とひれ伏したくもなるというものだが、

おいおい、このヒロイン、死んでしまっていた訳で、
そしてそう、その死んだ愛人の骨を拾った開高健が、
その、熱情の全てを、その愛惜のすべてを叩き込んだのが、
この「夏の闇」であった、と。

つまりそうか、そういうことか、と、色々なことが、するすると、糸をむつぎ始める訳で、
つまり・・ この佐々木千世子という愛する人、まさに、孤哀子同士、最後まで添い遂げる、
そう、覚悟は決めていた、という訳か、と。

つまりフィッシュオンも、そして、オーパも、そこから始まっていたんだな、と。

そして忌の際のあの牧羊子夫人との愛憎劇も、全てはそれが理由、と。

改めてこの開高健という人の一生。
小説どころか、まさに、壮絶の極み。
事実は小説より壮絶なり。

それをひとことも語らずに逝ったこの開高健という人。

改めてその、炎立つような男気、まさに、男の鏡。

そう、今になって思うのだが、あれだけの修羅しゅしゅしゅ、があったからこそ、
この作品が残せたのだろうが、
文学というものために、それほどまでの修羅の道を歩み続けたこの開高健、というひと。

いい男だったんだろうな、と今にも、その慰影にむしゃぶりつきたくなる程の愛着を覚えるわけである。

という訳で、改めて、開高健、って人がまだ生きていたとしたら、
こんなことにはならなかっただろう、と、思わず・・

と同時に、日本人、この開高健という人を忘れてはいけない。
風化させてはいけない、と切に切に思い知りながら、
連休の三日間、どころか、いまだに、そう、いまだに、
俺はずっと、この「夏の闇」の中を彷徨っている、と。

という訳で〆のことば。

エリーちゃん、判った。
この歳になってようやく、俺は「夏の闇」を読み込んだ、読み解きました。
あの後、あなたが幸せな人生を歩んで頂いているであろうことを、
心のそこから祈っています、と。

ただ、改めて言いたい。

俺はやっぱり、輝ける闇の方が、好きだ。
だって、男の子なんだもん。

お後がよろしいようで。



追伸:

なんと実は、この夏の闇、読み終わって、感慨に耽った後、
だったら、と輝ける闇をもう一度読み返して、とやり始めたところで、
いきなり、佐々木千世子 という人の写真、やら、
その、悲劇的な最後、やらが、発覚してしまった訳で、
で再び、読みおわったばかりの「夏の闇」を再読、

なんてしてたんだけど、ふと、外れたカバーのその裏側に、
小さなポスト・イットが一枚・・

逢えて良かったです

え?

これ、もしかして・・・ エリーちゃんの直筆?

とか思ったら、なんか思わず、泣き崩れそうなほどの衝撃を受けたんだが、

むむむ、待てよ待てよ、と。
あの時代、つまり俺がエリーちゃんとちょめちょめしていた時代、
ポストイットは、なかった・・・

だったらこれ・・だれ?

なんて思い始めた途端・・・

ああ・・・

かみさんが消えたとたんに、もう、俺のまわり、そんなのばっかり。

つくづく、これ、業だよな、業。 つまりは、罰:ばち、ってやつ。

ただ、まあ、開高健御大のその壮絶な生きざまに比べれば、
まだまだ、ケツが青い、ってことなんだろうけどさ。

まあその分、俺のまわりは、平々凡々にして、退屈至極。
ただ、そう、細やかな幸せ、と言ったらなんだが、
割りといまだに、かみさんのことを恋しく思っている、ってのは確かなようで、
悪い、ガールズ、色々あったが、俺は結局、そういうところに落ち着いたのだが、
果たしてこれが良かったのか悪かったのか、
あるいはそう、
もしかして、この先まだまだ、二転三転?
おいおい・・・

とまあ、そんな訳で、イニシエの恋の、思い出は、遠すぎて、となるわけで、
俺は相変わらず、犬の散歩をして過ごしています、と。

ベイビー、幸せになろうな。



い・に・し・え /日暮らし by fight1960




しつこくも、追伸の追伸だ。

通常のベビーメタル・メイトは、
おいおい、テニスの話かと思ったら、次は、純文学かよ、
いい加減にしてくれよ、と、誰もここまでは読んでいない、に違いない。

とそう確信して最後の最後の最後っ屁。

俺は別に、外人の不良にあこがれて、セックス・ドラッグスやった訳でも、
ましてや、普通のひとにはできない、なんてことをやていたつもりも更々ねえよ。

俺はただ、開高健が好きだった、それだけ。

で、俺は、開高健が好きなような、そんな男が好きな、そんな女が好きだった、と。
つまりは、相乗効果、というよりは、悪のスパイラル。

ただ、この開高健、という人、まさに、なにからなにまで、徹底的に、格好良い、
これほど格好良く生きた日本人を、俺は他に知らない。

事情があって、「釣り」はできないのであるが、
それはまあ、ゆくゆく、白状する機会もあるかもしれないが、

ああ、また、開高健の全作品、全て、読み返してみたくもなってきた。

つまりはそう、これはひとつの天命だろう。

そんな意味も込めて、以下の、生前の開高健の肉声を、添付させて頂く。

改めて、先祖帰りさせて頂いた気分だ。

開高健、この、日本はおろか、世界で一番格好良かった男に、
心の底からの尊敬を込めて、改めて合掌させて頂く。

繰り返す。

開高健を、この人を、忘れてはいけない。風化させてはいけない。

この人こそが、日本の男の、最高峰だ。








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プロフィール

高見鈴虫

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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