Loading…

目覚めよ、人類 ~ ベビーメタル・ルネッサンス

Posted by 高見鈴虫 on 17.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
「敢えていま、おさんパワーの復活を祈る」

ベビーメタルに熱中する俺たち。
そう、俺たち、紛れも無い、おさんである。

おさんというのがなにかと言えば、
つまりは、齢を取ったひと、である。

だが、ただ齢ばかりをとってきた、というのではない。

おさんの本質とは、まさに経験、
つまりは、本物を知る者、なのである。

おさんたちのこれまでの軌跡、
人生の山越え谷越え何を越え、
それを言ってみれば、海千山千、ともいったりもする、
つまりは、海を千、山を千、渡ってきた越えてきた、
言うなれば歴戦の勇士、知恵ある者、なのである。

そんな海千山千。
当然のことながら、疑り深く、
皮肉屋な笑いの元に、
新しいものを評価することを、
頑ななまでに拒み続ける。

それもこれも、つまりはその辛く長い、
経験の故、である。

が、しかしながら、
何故にそんな海千山千の輩、歴戦の勇士たち、
世の中の辛酸の縁を這いずり回っては辛くも生き延びてきた、
そんなゴキブリのようなしぶとい戦士の中の戦士、
そんなしぶといおさんたちが、

この齢になって、いきなり、
こんな小娘たち、
つまりは、そう、
ベビーメタルちゃん、なんてのに、
まんまとはまり込んでしまったのか。。。

あるいは、何故にそんなおさんたちが、

これほどまでに、ベビーメタルを熱く支持するのか、

それについて、考えたことはあるか?




「ベビーメタルを支えるおさんパワー」

改めて、ベビーメタルの特異性とは、そのファン層の広さである。

通常のアイドルファン、に加えて、一種特殊、
如いては、異様、とも思われるこのファン層、

つまりは、おさん。

これまでのアイドル界とは、もっとも程遠い存在であった筈の、
世の辛辣さの全て、であったはずの、そんなおさんたち。

ベビーメタルは、この、おさんたち、
自称・本物を知る男たち、であった筈のおさんたちを、
こうまでに完膚なきまでにノックアウトした、し尽した、
その結果が、そう、今回の東京ドーム、

テレビ、あるいは新聞、つまりは、B層向けの喧伝、
そんな広告屋の策略とはいっさい関係なしに、
なんのメディアの協賛もないままに、
いきなり、11万枚のチケットを完売、

そんな、奇跡のような出来事を現出した、
その、特異性とは、つまりは、

おさん、

この、世の中で一番口うるさいはずの、
本物志向の、海千山千、
そんなおさんたちから、

ベビーメタル、この子達は、本物だ、と、太鼓判を押された、

その堅実性にある、と断言できる。



「おさんは本物の知る」

世のおさんたちの中にあって、

その最も許せない嫌悪の対象とは、まさに、紛い物、ではなかろうか。

見た目ばかりちゃらちゃらした、
茶髪だ、生足だ、睫毛エクステンションだ、
そんな、同世代の少年たちには瞼が焼け付きそうな、
そんな刺激的な女の子の装いが、
実は、
化粧、あるいは、整形、なんてもので、いくらでも誤魔化せる、
あるいは、そんな表層の魅力に騙されては、
これでもかと煮え湯を飲まされた、
おさんはそんな経験を忘れてはいない、
つまりは、そんなものに、おめおめと騙されたりはしない、のである。

あのなあ、んなもの、ちょっと銭払えばいくらでも手に入る、
そう、表層とはまさに、そんなもの、なのである。

偽物のローレックスでまんまと騙されるような安いホステス、のような少女が、
偽物の化粧で騙されるようなおめでたいカモを待ち構えては、
互いに互いで嘘のうえに嘘を重ねては一夜限りのワンナイトスタンド。
らっきー、100円拾っちゃった、のような儚い恋を、恋と勘違いしては、
恋の駆け引きと言うにはあまりにもチンケな打算の上に打算を積み重ね、
恋の鞘当というにはあまりにも無様な安い嫉妬と安い優越感と安い自意識の暴走、ばかり。
そんな月並なチープ・ラブ、
おさんたちはこれまで、いったいどれほどの、その無様な結末を見知ってきたことであろうか。

そう、おさんたちは騙されない。

騙されるぐらいなら孤高の偏屈者を選んでこそおさん。
そのストイシズム:禁欲性こそが、おさんの美学、であった筈である。

つまりはそう、矢沢永吉先生の金言:「渋いね」を体現する、おさんの美学。

その「渋い」の美学から、最も遠いところに在るはずの、アイドル・・・・

そう、いま、このベビーメタル現象。

その最も特異性とは、この、「渋み」を追求してきた筈のおさんたちが、
ベビーメタル、という、いかにもいかにも、な、アイドルユニットに、
「本物を見た」と狂騒する、その姿、なのである。



「おさんの見たベビーメタルの本質とは」

そう、おさんたちは言う。

ベビーメタルは、本物である、と。

あのなあ、おさん。

アイドルのアイドル性とは、つまりは、虚実性、全てが紛い物、それこそがアイドルの本質。
紛い物であってこそ、アイドル、なんだよ、と、アイドル・オタクたちは言うであろう。
そう、虚像を虚像として狂喜する、この虚実性にこそ、アイドルの美学があった筈なのだ。

そこにどうした訳か、ベビーメタル、
なにゆえに、こんな、本物を、看板とするアイドルが現れてしまったのか。

そう、それがどういった理由であったにしろ、ベビーメタルは、本物なのである。
その本物性を、おさんたちは、絶賛している、のである。

苦節云十年、人生のほとんど全てを、売れないバンドマン、として過ごしてきた、
そんな正真正銘のロックの残骸、であるところの敗れ去った者たち、
その者たちが、口を揃えて、ベビーメタルは本物である、と太鼓判を押す。

あるいはそう、これまでの人生、一度たりとも、アイドル、あるいは、芸能界、
なんてものに、鼻も引っ掛けなかった、自称勝ち組のスーパーエリートな方々が、
サングラスにマスク、というけちな探偵のような変装の上で、ベビーメタルのライブに潜入を図る。

それに加えて、いまや、一廉、どころか、
その業界では、聞きしに勝る「大先生」の地位を築いた、
まさに、ホンマ者の本物の大巨匠、さえもが、
このベビーメタルにだけは、身も心も、メロメロなぐらいに、
惚れに惚れきっている、のである。

いままで、そんなアイドルが存在したであろうか。

そしてそう、なにを隠そう、この俺。
そんな、たちの悪いおさんたちの中でも、飛び抜けてタチの悪いであろう、
この史上最悪、最凶の、おさんの中のおさん。

これまで、アイドルどころか、テレビさえもほんとど見なかった、
人生を通じて、その虚実的大衆喧伝性の全てに「否」を唱え続けてきた、
この偏屈者の権化のような俺である。
アイドルに一番夢中になるであろうその年齢時に、
旧友たちが放課後の教室で群れながら、
やれ、中森明菜だ、工藤静香だ、中山美穂だ、
と狂騒していたそんな時に、
リハの合間の新宿ロフトのバーの片隅で、
マイルス・デイヴィスのビッチーズ・ブリューを聴きながら、
薄明かりの中で、ブルガーコフを読み耽っていた、
そんなどうしよもない鼻持ちならない糞野郎。

挙句の果てに、世界の中心・ニューヨークなんてところに巣食っては、
世界各国からの、一流という一流のアーティスト、
その殆どの、土壇場とも言えるステージをこれでもか、と見つめ続けてきた、
そんな、うるさ型もうるさ型、その、究極を自認していた筈のこの俺が、

いまになって、よりによって、
こんなジャパンなんていう東洋のガラパゴス島から転がり出た、
めたると、アイドルの融合、なんていう、まさに、とんでもなくも外しまくった、
ちんどん屋楽団、なんてものに、
史上最強、最高にして、究極、との、手放しの絶賛を繰り返している、
この異常性、その意外性。

その理由というのもまさに、ベビーメタルが、まさに、正真正銘の本物、だから。

世のおさんたちは、そう繰り返すのである。



「泡玉フィーバーの本質」


という訳で、虚実性の独壇場であったアイドル界に、
突如として出現した、この、本物の中の本物たる、アイドル・ユニット:ベビーメタル。

ベビーメタルのこの掟破りの本物性とは、まさに、技の美、であり、
歌手として、歌唱力の限界を目指しては磨きに磨き抜かれたそのすぅめたるの歌声、
ダンサーとしては、その究極的極限たる、奇跡的なシンクロダンスを披露するユイ最愛の最強コンビ。
そして、日本はおろか、世界最強のアンサンブルを誇る超絶プロフェッショナルな神バンド。
その全てが、まさに、究極の技、つまりは、真の本物、を追求し続けた、
ベビーメタルは、まさに、修験者、たちの集まり、なのである。

ベビーメタルのその極道性とも言える、ストイシズムの塊のような姿に、
本物を知るおさんたちは、まさに、真髄、を見たのである。

そう、おさんたちの目に間違いはない。

確かにおさんたちは、AKBも良く知らなければ、
SKEやら、NMBやらと言われても、なにがなんだかわけが判らないに違いない。

ただ、おさんたちは知っているのである。

そんな、アワダマ・フィーバーのような小粒のジャリタレたちが、
淀みに浮かぶ泡沫のごとく、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることもなく、
時の盛者が春の夢のように潰えさり、
ブイブイ言わせていたお調子者が、
俄な醜聞に足元を救われては無様な醜態の坂を転げ落ち、
それらすべてが、時と共に、まるで風の中の塵のように、
消え去ってしまうことわり:理を、である。

そう、人の世、とはまさに、そのようなもの、なのである。

おさんたちはその苦虫を潰したその渋面の中に、
且つ消えかつ結んでは塵のごとく消えていった、
数々の盛者たちの行く末を、その末路さえをも、
手に取るように、予見してしまったりもするのである。

そしてそんなおさんたちは、そんな数々のアワダマ:泡沫が、
何故に塵と化しては消え去っていったのか、
その理由さえも気付いている。

それこそがまさに、虚実と、そして、本物、との差、なのである。

そんなおさんたちが、ベビーメタルの中に、遂に、本物を見出した。

時代の隆盛を越え、世に残り得る、本物の技、その真理に到達した、
本物の修験者、そして、それを若干15歳で成し得た、
本物の中の本物の、「才能」という奇跡。

そう、ベビーメタルこそは、まさに、その奇跡。

類まれな才能を持った逸材たちが、互いに互いを磨き合い、
その凄まじいばかりの相乗効果の中で、遂にはすべての常識を打ち破る、
その奇跡が奇跡の中で増幅を続けた結実。

世界中のおさん、ならぬ、本物を見る目、を持ち得た、
プロフェッショナルの中のプロフェッショナルが、

このベビーメタルの中に、その並外れた才能と、それを絶え間なく磨き続けた、まさに技の美、
その、鍛え抜かれた、ひとつの芸術品、の姿を、絶賛した、というのも、
まさにそう、このベビーメタルが、正真正銘の「本物」であるから、なのである。



「ベビーメタル・リボリューション、とは」

改めていう。

このベビーメタルの本物性とはなにか。

そして何故に、ベビーメタルは本物に成り得たのか。

同時に、何故に、そんなベビーメタルの本物性が、
世界中の泡玉業界たちのプロフェッショナルに、
これほどまでの絶賛を勝ち得たのか。

言ってしまえば、このベビーメタルでさえも、
時流の中に浮かぶひとつの泡沫に過ぎない。

つまりはそう、この高度資本主義社会のひとつの事象。
この時流という轍からは抜け出ることのできない、
同時性的な現象のひとつに過ぎない筈なのである。

その同時性的な事象として改めてベビーメタルという存在を見つめてみれば、
そこにある、大いなる皮肉、
つまりは、この時流の本筋たるもの、
そのメインストリームに対する、見事なまでのアンチテーゼ性にある。

そう、ベビーメタルは、
現代というこの虚実性の本流に対して、
その全てにおいて「逆」を打ち続けた、
言ってみれば、時代の反逆児、なのである。

改めてこのベビーメタルと、
そして、そのベビーメタルを取り巻く時流、
これを比較することにより、
反面教師的に、現代の時流の本質が浮かび上がる。

つまりは、そう、現代のキーワードとは、まさにその「虚実性」なのである。

例えば「美」である。

現代における「美」とは何か。
その表層のみを追い続けた結果、待ち受けていたものは、
まさに、虚実の上に虚実を重ねる、
つまりは、整形と、フォトショップ、とにまみれにまみれ切った、
まるでバケモノのような、虚実性、である。

例えば「芸」である。

現代における「芸」とは何か。
技は、術は、その極限たる、「生」の美は、
いつしか全てが全て、プロツールと、デジ音、あるいは、カラオケ的なお皿回し、の中で、
いまや、そんな、「芸」は、ギターヒーローと、ドラムマニアと、ダンスダンスレボリューション、
つまりは、ゲームとシンセとヴァーチャルと、そんな遊び半分の紛い物の中にすっかり絡め取られ、
今更、生身の人間が楽器を操る、なんてことが、奇跡にも思えるほどの、零落ぶりである。

例えば「益」である。

コスパばかりを追求した結果、コスト安の結果オーライ、
如いては、必要のないところは極力安上がりのでっち上げ、
サンプリングとコピペのパッチワークの中で、茶番とも言えるほどの醜悪な紛い物ばかりを、
宣伝と喧伝の中でこねくり回しては虚像の上に虚像を重ねる詐欺ビジネス。

その全てに共通するものは、まさに、愛の枯渇、
そして、人間性への軽視、如いては、芸術への侮蔑である。

この一種、冒涜とも言える事象、虚像を虚像として享受させる虚実性、
その詐欺の巧みさばかりに狂騒させるその大衆喧伝という名のマジック。

この時流の本質とは、まさに、
人間による人間の冒涜、そのプライドを自ら蔑む、マゾヒズムの中にある。

浮世の世知辛さの中で揉まれ揉まれては、消費文明の中で、美も芸も才能も情熱も、
すべてがすべて、茶番的な大衆権での中で、消費され浪費され、しつくされては塵と化す、
その残酷な構図の中で、図らずも生き伸びてきた海千山千たちが、
まさに、最後の希望を見出したのが、ベビーメタル。

ベビーメタルの美は、まさに、生身の人間の美、である。

すぅメタルの姿を見よ。
すぅは整形をしているか。
すぅめたるの美は、整形を必要とする美ではない。

ほくろは取ったかもしれないが、歯の矯正は必要がない。

すぅめたるの美とは、まさに、人間の魂の美。
その存在自体が光り輝く、まさに、オーラの美、に他ならない。

すぅめたるの歌声は、まさに地声の芸。
魂の迸るが如く、歌を歌として、噛み砕き、味わって、味わい尽くしては、
歌い込みに歌い込みを重ねた上で初めて表現できる、まさに、魂の叫び、である。

ゆい最愛のダンスとは、まさに、人間の限界を遥かに越えた、
脳波がシンクロしているとしか思えない、まさに奇跡のよう一体感である。

そして、神バンド。言わずと知れた、プロフェッショナルのプロ。職人の中の職人。
技術者としての最高の「技」を披露する、まさに、曲芸にも近いほどの、名人芸、である。

そして「益」
ベビーメタルは、その「益」に置いて、現代社会の虚実性の元凶である、
大衆喧伝力、つまりは、広告宣伝費の一切をカットアウトしたまま、
その技の美、その、真理性のみだけで、戦いを挑み、
そのあまりのクオリティの高さから、感動が感動を呼び、噂が噂を呼び、
そして、ついには、世界中のプロフェッショナルの人々から、
そして、おさんたち、海千山千のうるさ型の粋人たちからの、絶賛の嵐を巻き起こした、
その、紛いもない、本物の実力によって、遂には、日本のエンターテイメントの頂点たる、
東京ドーム、そのエベレスト的な大会場を、あろうことか、二日連日を完全完売、
そんな奇跡を呼び起こした、まさに、真実の人、つまりは、本物の美、の集大成である。

そう、ベビーメタルの本物性とは、まさに、誠意、なのである。



「ベビーメタル・ルネッサンス、とは」

改めていう。

現代の時流に共通する、愛の枯渇、を、
ベビーメタルは、その溢れ出るような魂の叫びによって、見事に潤わせては、
それに触れた人々に、人種を問わず、感動の涙を流させる。

そのあまりにも潔く、そして、目に眩しいほどの神々しい姿は、
ともすれば、人間性への軽視、如いては、芸術への侮蔑に満ち溢れた人々に、
人間の尊厳、つまりは、プライドの大切さを、改めて思い起こさせる。

ベビーメタルのそのあまりにも赤裸々な姿。
凄みさえ感じる、芸に対する辛辣さ、それこそが、
虚実に虚実を重ねた紛い物文化の中に、
本物の尊さ、を突きつける、まさに、魔性の刃。

現代というこの曖昧且つ執拗に人間性のすべてを摩滅させるマゾヒズムな変態社会において、
ベビーメタルが示したもの、その最も大きな功績とは、

人間性の復興であり、魂の再構築であり、愛の再認識であり、

つまりはそう、人間の、その生命力の、復活、なのである。

ベビーメタルの、すぅメタルの歌には、あの、愛に満ち満ちた、
時として、切なく、時として、洗われるように清廉で、
時として、熱く燃え上がり、時として、身悶えるほどに赤裸々な、
その、魂の渾身とも言える歌声。

あの一種、潔癖さえも感じさせる、頑ななほどの聖女性には、

この消費文明の中で摩滅に摩滅を繰り返した果てに、
人間の資源化のどん詰まりの中で至った、
性の商品化、つまりは、エロティシズムを商品として切り売りする、
それはつまりは、人間の美、あるいは、尊厳、あるいは、恥、そのもの、
つまりは、恋、あるいは、愛、それまでをも、小銭に換算する、
そんな人間としての、最低のどん底のような、マゾヒズム、
そうまでしなくては、資本を循環させることのできなくなってしまった、
この資本主義のどん詰まりの姿、

そう、すぅめたるのあの頑ななまでの聖女性は、
性の解放の暴走の果にたどり着いた、性の商品化、
それに対する、大いなるアンチテーゼ、
如いては、人間性復帰のための反逆なのである。

そう、世のおさんは、
浮世の酸いも甘いも噛み分けてきた、そんなおさんたちが、
性の商品化にあるときは踊らされ、あるときは溺れ、あるときは辛酸を舐めさせられた、
そんなどうしようもない人生の藻屑と化してきた、
消費され浪費され資源としてすり潰されてを繰り返しておさんたちが、
その徒労の果に見た、ひとつの偶像。

おさんたちが、すぅめたる、そのあまりに禁欲的な姿に魅了されたその理由。

そんなおさんたちにとって、ベビーメタルとの出会いとは
まさに「スワンの恋」だったのではないだろうか。



「スワンの恋」

言わずと知れた、マルセル・プルーストの名作「失われた時を求めて」の一節である。

初老を迎えた紳士が、ふと、午後の紅茶のその香りの中に、
突如として、過ぎ去りし日の、初恋の思い出、
数十年間に渡って、胸のうちに封印されたまま、決して思い起こすことのなかった、
あの甘く切ない「初恋」の思い出、
それが、紅茶の香りの中に、いきなり、まざまざと、全てをありありと、思い出してしまった、
その、魔の午後、その瞬間。

世界最長と言われる、この長い長い小説は、まさにそうやって始まるのである。

そう、おさんたちは思い出したのである。
まさに、稲妻に打たれるように、
ベビーメタルのそのサウンドの中に、
そして、すぅメタルの歌声と、
そして、すぅ、ゆい、最愛の、あの、美少女の美学、
その全ての結晶であるかのような姿に、

遠い日の、長きに渡って封印され続けてきた、あの甘く不穏な日々の、
あの熱情を、あの切実を、あの甘美な、しかし、湧き上がる不安と迸る欲望と、
静と動、正と悪、性と聖が入り乱れる、あの、七転八倒の日々。

つまりは、青春という名の、あの残酷かつ、刹那的なほどに躍動をしていた、
あの、遠い遠い日々の、記憶である。

それはまさに、甘い幻想である。

当時を生きていた少年は、まさに、夢を見るほどに、
現実の姿を達観する余裕など無かった。

受験勉強と、親との軋轢と、友達付き合いと、
部活と、街のゴロツキとの追っかけっこ。
そして何より、この持て余すだけ持て余した性欲。
それと同時に、汚すことなど絶対に許されない、
あの輝くばかり眩しさを湛えた高嶺の花の美少女たちの姿。

け、なんだよ、あんなクソ生意気な、ブスのバカのおてんばの、
と、口先ではそんな罵倒を繰り返しながら、
あの美少女たち、
その、あまりにも神々しく、しかし、手で振れるどころか、声さえもかけれなかった、
あの、あまりにも犯し難い、清廉さにあふれた少女たち。

後になっては、え?あっそう、あの時代にもうオナニーしてたんだ、へえ、
やら、
女の子は女の子で、当然のように性欲があって、
という、当然といえば当然なその真相など露にも知らなかったあの頃。

女の子って、おならとかうんちとかしない生物なんだろうな、
とまじめに思い込んでいた時、
女の子は女の子で、そんな男とのたちに、摩訶不思議なカワイイ野獣を見ては、
身も心も燃やし尽くすほどに恋い焦がれてては、枕を抱きしめては身悶えていた、
その大いなるすれ違い、ちゃばんとも言える誤解の上に誤解を重ねていた、
その、甘く酸っぱい幻想の中での葛藤。
その真相を知るよしもなかったあの頃。

そう、それはまさに、初恋であり、幻想であり、
あまりにも残酷な虚像でもあった訳なのだが、
そう、多分、俺たちおさんは、あの頃の美少女たち、
あの、妖しほどに神々しく、不埒なほどに輝きながら、
指一本触れた途端に全てが砕け散ってしまいそうな、
あの、残酷なまでの清純性、
その幻想に身悶えていた頃の、あの熱情。

それをそっくりそのまま、ベビーメタルの三姫の、
あの禁欲的な清廉さの中に見出しているのではないだろうか。

すぅめたるのあの神々しさは、あの近寄りがたいほどの潔癖さは、
まさに、性の商品化が、ドツボに至ってしまったこの時代にあっては、
まさに、大時代的。

ともすれば、戦前の白黒映画に見る、古式ゆかしい日本女性の気品、
あるいはそう、姫、と称されるほどの、その、時代劇じみてさえある高貴さ。

つまりは、日本女性の理想とも言える、ひとつの偶像を見出しているのではないだろうか。

それこそはまさに、性の商品化の中で、今となっては生々しくも恥辱にまみれてしまった、
あの、うんちもおならもしない筈の高嶺の花の美少女たち、その本来の姿。
アンタッチャブルな程に潔癖でありえた、あの、清廉とした姿への渇望なのではないだろうか。

つまりはそれは、まさに、プライドに溢れた女性の姿、なのである。

そう、俺達は、女性にプライドを欲しているのである。

それは、おツン、でも、タカビーでも、ビッチでも、なく、
思わず尊敬を感じてしまうほどの、あの近寄りがたいまでの清廉さを湛えた美少女たち。

その理想の姿を、ベビーメタルの三姫たちに投影しているのである。

そう、俺たちおさんは、商品下された性に飽いたのである。

茶髪だ、生足だ、睫毛エクステンションだ、
化粧だ、整形だ、フォトショップだ、
援交だ、おギャルだ、AVだ、ロリコンだ、

そんな、まさに、消費され、摩滅され、資源として徹底的に汚されきってしまった、
そんな、悲しいほどに打算的な、没個性の、無思考の、夢も希望も失ってしまった、
そんな、場末の娼婦さえも連想させる、性の商品化の中にまみれにまみれてしまった、
そんな少女の残骸の姿に、心の底から幻滅をしていたのである。

ただ、しかし、そんな世の中にしてしまったのも、このおさんたちの悪行の弊害であり、
このあまりにも救いのない社会を作り上げてしまったのも、まさにこのおさんたちの業によるもの。
その後ろめたさ、その悔恨の思いが、ベビーメタルのそのプライドに溢れた晴れ姿の中に、
浄化され、許容され、
そして、このどうしよもなく出口を失った迷走の果てに、
ようやく見出した希望の光り、

人間が人間として、ついに、そのプライドを取り戻すことのできる、
新たな脱出口としての、救いをみたのではないだろうか。



「改めて、ベビーメタル・ルネッサンス」

そう、俺達は、愛を取り戻したいのである。
俺達は、人間としてのプライドを取り戻したいのである。
俺達は、心の、そして、魂の、存在を確認したいのである。

その希望を、このどん詰まりの中のどん詰まりに陥った現代社会の、
その、唯一の脱出口として、ベビーメタルに、救済を見ているのである。

という訳で、長い長い戯言であった。

ベビーメタルの美学とは、今となっては、シーラカンス的ともなってしまった、
そんなイニシエの美学による、現代社会への大いなる反逆である。

その一種、復古的とも思える禁欲的美学が、
いまこの現代にあっては、目が眩むほどの眩しさを持って、
このドツボの底にある世を見事に照らし出しているのである。

ベビーメタルの体現するもの、
ベビーメタルがそのレジスタンスとして戦おうとしているもの。
取り戻そうとしているもの。

それはまさに、ベビーメタル・ルネッサンスである。

ベビーメタルのあの凛として冴え渡る神々しいまでの清廉さの中に、

人々は、人間としてのプライドと、魂の存在と、
そして、愛の大切さ、を知るのである。

ベビーメタルの目指すものとは、まさに、
人間の、その生命力の、復活、なのである。

9月19日20日、東京ドーム。

ベビーメタルの戦いが一つの頂点を迎えるその時、

ベビーメタルの戦いのその意義が、その成果が、

いま、改めて、世界に示されるのである。

それはまさに、革命である。

人間が人間を取り戻すための、ベビーメタル・レジスタンス。
そのひとつの結実の祭典なのである。

その意義を、その、正当性を、世界が改めて認識する時、
世界は変る。

救済者としてのベビーメタル・ルネッサンス、

その意味するものが、世界を席捲していくのである。

人類よ、プライドを取り戻せ、愛を、魂を、取り戻せ。

ベビーメタルがいま、世界に新たな潮流を巻き起こそうとしている。

ベビーメタル・リボリューション、その意義が、世界を震撼させる。

全てはここから始まるのだ。

そしてこのムーブメントは、もう誰にも止めることはできない。

目覚めよ、人類。

ベビーメタルの戦いは、いま始まったばかりなのである。

そしてこの戦いは、負けるわけにはいかないのである。




  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

高見鈴虫

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム