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ベビーメタルの原風景 ~ 秋の午後 喪失日和 

Posted by 高見鈴虫 on 30.2016 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
金曜の夜11時、
この一年あまりを費やした徒労に次ぐ徒労、
その醜悪極まりないプロジェクトの完遂を見た時、
いきなり頭の中に、THE ONE が鳴り響いた。

THE ONE は祝祭の曲なのだな、
と改めて思い知る。

そう言えばこのところ、
疲れた時にはいつも、KARATE が流れていた。

作業に没頭している時には、どういう訳か、ギミチョコ、
厄介な案件と立ち向かううときには、思わず、YAVA であったり、
ロード・オブ・レジスタンスであったり、
あるいはそう、アカツキこそは最高の戦意高揚歌。
そして帰り道は、IINE であったり、
ドキモ、あるいは、ウキミ、
そして時として、シス・アンガー、
あるいは、NRNR であったり・笑

ベビーメタル、まさにこの日常生活において切っても切れないBGM、
その大切なパートナーとして二人三脚が続いていたのだが、
そしてようやくこのプロジェクトも終局を見る運びとなった。

いやはやこの一年、この夜討ち朝駆けの電話ラッシュ会議ラッシュ。
その狭間における膨大な待ち時間。
まあそんなアイドリングの時間の暇つぶしで、
こんな糞ブログに思わず糞長文を書き綴る、
その原因ともなったのだが。

改めて、ベビーメタルなくしてはこの一年を乗り切れなかったと思う。
あるいはここまで続いてしまったのも、ベビーメタルの弊害という奴なのだろうか。

そして俺は、これからもベビーメタルの与えてくれるこのパワー、
それを前提として生きていくことにもなるだろう。
そう、ベビーメタルはまさに、
アイドルでも憧れでも偶像でもピンナップ・スターでもない。
まさに、人生のパートナー。
ベビーメタルなくしては生きていけない、そういう日常がこれからも続く筈だ。。

なにがあってもベビーメタルが居てくれれば大丈夫だ、
そう思わせてくれるなにかが、ベビーメタルにはある。

そしてその効果、まさに、絶大、である。





というわけで、このサイトもこれでおさらばだ。

山のようなドキュメントを一挙に処分、
機密書類専用ゴミ箱に叩き込み、
そしてサンダルから、冷房避けのダウンジャケットから、
お茶の急須からマイカップからウォーター・ボトルから、
俺のこの生活を支えてきたそんな様々なものをバックパックに詰め込んで、
まさに立派なホームレス、あるいは、夜逃げ状態。

来週からなにをするのかまだなにも決まっていないのだが、
まあそう、ちょっと、と言っても、
経済的には早々と余裕をぶっこいているわけにもいかない。
ただ、とりあえずは、生きる気力そのものを蘇らせるための、
ちょっとした息抜きが必要なのは確かなような。

なによりも眠りたい。そう、思い切り、なんの躊躇もなく、
ただただ眠りたい。眠り尽くしたい、
望みと言えば、まさに、それだけ、のような気がする。

そして目が覚めた時、
改めてレッスン・ラーン、
この一年の、この喪失と苦渋と悔恨に満ちた日々、
その中で学んだことをしっかりと記録せねば。
それこそが、この一年に渡る葛藤の中で、
唯一獲得しえた財産であるのだから。



で、改めて冒頭の THE ONE である。

最近の俺は、ベビーメタルと言えばほとんど毎日、
あの東京ドームの演奏ばかり聞いているのだが、

あの東京ドームにおける THE ONE である。

東京ドームでのあの二日間に渡る壮絶なドラマ。
そのクライマックスのひとつは、
一日目中盤部の、シンコペーション、
とそして、後半にいきなり登場した、
Tales of the Destinies 
及び、 THE ONE の 壮大な組曲であろう。

CDにおける Tales of the Destinies 
正直言って、なにがなんだか判らなかった。
なにこれ、いきなりベビーメタルのオムニバス?
あるいは、自己パロディ?とまで思ったのだが、
そう、この東京ドームにおける、
Talesと、そして、THE ONE この組曲化によって、
初めて、この二曲に秘められた真意が明らかになった訳で、
いや、これ、なんど聞き返しても凄い。
まさに、まぎれもせぬ、BABYMETAL、
あるいは日本の、そして世界の、頂点:クライマックス、
その瞬間であろう。



実はこの東京ドームにおけるTALES、
その導入部分の紙芝居、
その、ナレーションに被せられた旋律。

実はあのオルガンの旋律を聞いた時、
俺は一種の、原風景、なんてものを垣間見てしまった気がする。

あのなんとも牧歌的で、まるで春の木漏れ日の中のような、
しかしそこには、確実な終末感が潜んでいて、
まさに、嵐の前の静けさ、その刹那的な安息。

俺が幼少の時代を過ごしたヨコハマという街。
高度成長の激動の中での軋轢と、
フーテンやら、ヒッピーやらが闊歩する中、
両手両足を失ってよつんばになった白装束の傷痍兵の物乞い、
学生運動の争乱と酔っぱらいと、そしてあの凄まじいばかりの人混み。
俺はあのヨコハマという街で、
実はこんなメロディを聞いていたのだ。

その記憶はあとになってネパールを旅行した際、
ヒマラヤ山溪のチベット人たちの村々の、
あの黄金色の光に満ちたひだまりの中で、
あるいは、ハシシの陶酔の夢幻を彷徨いながら、
俺は明らかに、あの時代のヨコハマという街を思い出していた。

それはもしかしたら、
この人生において唯一感じることの出来た、
幸せ、という瞬間の、その追憶であったのかもしれない。

そしてそう、これはまさにスワンの恋、
俺はこの東京ドームにおけるTALES、
その序説、この30秒にも満たない旋律の中に、
あの60年代の末のヨコハマ、
動乱と終末感にあふれた、あの時代の匂いそのものを、
ありありと思い出していたのである。

というわけで、このTALES まったくもって凄い。

この複雑怪奇な、プログレというよりは、
現代音楽の巨匠ジョン・ケージもぶっ飛ぶような、
まさに、無茶苦茶な切り貼り音楽、
まさに、ケイオス:混沌世界。
これをどうやって演奏しえたのか。
ぶっちゃけ、その、イヤモニからのモニター、
それそれのメンバーにどんな音が返っていたのか、
それを凄く知りたい訳なのだが、
まあそんなテクニカルなことに無駄な気を回さなてくても、
まさにその緊張感たるや、凄まじいものがある。

こんなとんでもないチャレンジを、よりによってその天王山である、
あの東京ドームの一日目、
そのクライマックスに持ってきてしまうというのからして、
下手すれば完全な自爆行為にも思える暴挙。

まったくもってこのチーム・ベビーメタル、
そのあまりの暴虐に改めて唖然とする訳だが、
いやまさに、この、無手勝流とも思えるほどのチャレンジャー精神こそが、
このベビーメタルの奇跡を巻き起こした、その真髄なのだ、と思い知る訳だ。



で、さあ、改めて、すぅちゃんの声って、やっぱり、少女の声、なんだよね。

ロリっていうんじゃないけどさ、そう、少女、その象徴するものの全て。

で、この少女ってのがなにの象徴か、と言えば、

まさに、純真、であり、無垢であり、
つまりは、汚れのない、人間の良心の全て。

その天使性というか、ホーリー・スピリッツというか、
その一途さ、から、その危うさから、まさにそう、スゥメタルのその声に象徴されるのは、

そんな人間としての原風景、なんじゃないかな、と。

ベビーメタルを聞いた人々が、一様に感じる、一種の先祖返り、というか、
そこに見るのはまさに、原風景なんじゃないか、と。

俺があの、ヨコハマの街、をありありと思い出したように、
ベビーメタルはその潜在意識の中に封印されていた原風景、
そのひとつひとつに強烈に働きかける作用を持っていて、
それが一種の、ビタミン剤、というよりは、まさに精神高揚、あるいは、恒常性維持、
そんな精神的作用を導き出す、そんな効果があるんだよな、と。

あの、ソニスフィアにおける熱狂を思い出すもなく、
このベビーメタル、
そして、ぶっちゃけ、すぅちゃんの声における、あの凄まじいばかりの少女パワー。

それこそが、誰にも真似出来ないベビーメタル、その真髄、と思い知っている。



というわけで、目が覚めた時にはすでに土曜日の午後遅く。

犬にせかされるままにパークに赴き、
ニューヨーク・シティー・マラソンの準備がたけなわな遊歩道を辿りながら、
どうしたのだろうこの妙な寂寥感。
せっかく仕事が終わったというのに、この達成感のなさはいったいなんなんだろう。
そしてふと思いつく。
そう、それを一緒に喜び合う何者も存在していないのである。
そうか、そういうことなんだな。

嘗てフィリピン人の友人がいっていいたものだ。

幸せになりたければ、ひと欠片のケーキでも、みんなで分けなさい。
お金持ちになりたければ、どうせ腐ってしまうほどのご馳走の山もたったひとりで食べなさい。

俺には幸せを分かち合える人間がいない。

それこそが、この世における最もな不幸であろう。

次の仕事では、とふと、思う。
金など安くても良い。誰が上だろうが下だろうが知った事か。
ただ、そう、きちんと結果の見える、そしてそれをともに喜び合える、
そんな仕事につきたいものだ、と考えている。

俺はどこで道を間違えたのだろう。。。
そう思いながら改めて見上げる、秋の空、なのである。

そんな時、ふと、天啓が閃いた。

ああ、中華丼が食べたい!




というわけで、なんの脈絡もない最低最悪の散文。

なんかこの一週間で、思考回路が完全にバーストしてしまっていて、
死んだ、生き返った、死んだ、生き返った、
その壮絶なアップダウンの繰り返し。

果たして先週までの俺が、いったいどんな人間であったのか、
それさえも良く思い出せない、まさに、いま浦島状態。

正直ここ数日の間、味覚と嗅覚が完全に麻痺をしていて、
いったい自分が何を食っていたのか、果たしてなにも覚えていない。

確か会議室に残された冷えたピザ、あるいは、乾いたサンドイッチ、
ふと見れば、せっかく炊いた発芽玄米が、醤油ご飯、というほどに、
まっ茶っ茶に変色をしている。

いったいこの飯を炊いてから、どれだけの時間が経っていたのだろう。
それさえも思い出せない、まさに、記憶喪失状態の秋たけなわ。

吹き抜ける風に枯れ葉の海がさざめく様、
そんな不穏な静寂が、妙にこの燃え尽きとマッチしていたりする。

いまも頭の中には、ギミチョコがリフレインを繰り返している。
ただその音は遠く、虚ろで、まるで非常階段に置き忘れられた、
壊れたラジオから響いているようだ。

冷蔵庫の奥の萎びた野菜をごま油で炒め、
醤油を一と味醂を一と、酒を一。
その上から水溶き片栗粉をぶちまけ、
黄ばんだ発芽玄米にぶっかけてはひとり掻き込みながら、

誰からもかかってこない沈黙のIPHONEを前に、
さあ、これからなにをしようか、と考えながら、
そんなズボラな中華丼、食べ終わったとたんに眠くなってきた、
秋の土曜日の午後なのであった。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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