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すぅメタルがニューヨークのアイコンとなる時

Posted by 高見鈴虫 on 09.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
秋の夜更け、
改めてすぅのことを考えている。
どうしてなんだろう、ここ数日、突如にベビメタ・ロスが大悪化。
自分でもおかしなぐらいに、すぅのことばかりが思い浮かぶのだが・・

これ、もしかしてもしかして、
すぅちゃん、俺の近くにいたりするの?
えっ!?ってことは、
もしかして、すぅちゃん、
いまニューヨークにいたりするって、
もしかしてもしかして、本当の話?

で、俺のベビメタ・ロスとすぅのオーラが、
このニューヨークの空気を通して、感応してるのか、と。

そう言えば嘗てのインタビューにおいて、
これまでに訪れた街で一番好きな街は?との質問に、
すぅちゃんが真っ先に、
ニューヨーク!の名前を上げてくれた時、
まあ、台本通り、なのかもしれないが、
まじ、ちょっと、本気で嬉しかった。

そう、今更ながら、ベビーメタル、
ニューヨークの街角に不思議なぐらいにフィットする。

そして、すぅメタル、
中元すず香、というその人が、
実はこのニューヨークという街に、
実に実に似合っている、
そう断言して憚らないのである。




で、あらためてこのニューヨーク。

世界人種のサラダボールであり、
世界金融の中心地であり、
世界の文化の中心であり、
そして世界一のパーティ・タウン。

そこはまさに、24時間眠らない摩天楼の虚城。
街中の全てが宝箱。
まるで、カレイドスコープの中、そのもの。

今をときめくセレブ達が世界一のシャンパンのグラスを傾けている、
その窓の下を、
靴さえも失ったホームレスが、
タクシーのクラクションに、くそったれ、と悪態を叫ぶ、
まさにそんな街。

美と醜が、善と悪が、富と貧が、
なんの不思議もなく、そのまますれ違う街角。

通りのひとつひとつに個性があり、世界があり、匂いがあり、
そのストリートを越えた途端にまた別の世界の街角が転がり出る、

そのドアの一つ一つ、その窓灯りのひとつひとつに、
いったいどんなドラマが展開されているのか、
そんな想像が限りなく湧き出てくる、まさに、夢の玉手箱。

このニューヨーク、
ある人々にとっては、まさに富と名声に溢れた夢の都。
ある人々にとっては、コンクリートの城壁に囲まれた監獄。
ある人々にとっては、悪徳と邪悪の渦巻くお化け屋敷。
ある人々にとっては、誰一人として他人を省みることのない、冷酷な氷の牙城。
このニューヨーク、人により、あるいはその日の気分により、
まったく別の顔に七変化を繰り返す、、
まさに気まぐれな性悪女そのもの。
熱しやすく冷めやすく、
嘘つきで意地悪な浮気女。
移り気で不埒で、近づけば近づくほどに遠のき、
しかし一度その元を離れた途端に寂しくていられなくなる。
ある時は思い切り妖しく危なっかしく、
しかし時として、
いきなり天使のように悪戯な微笑みを浮かべては、
信じられないぐらいの幸運を、ほい、と無造作に投げ寄越す、
そんな不条理な気まぐれの中で、
人々の運命をこれでもかと弄ぶ、
そう、ニューヨークはそんな街。

この世で一番性悪で、この世で一番愛しい、まさに悪女、そのもの。
都市という空間の持つ魅力を凝縮させたような、
ニューヨークとはまさに、そんな街なのである。

よく言われることだが、この街に着いて、人々は一度生まれ変わる。

世界津々浦々の人々の犇めき合う、
この末期的な雑踏の中で、
誰一人として知るもののいない、
そんな絶望的な孤独の中で、
しかし人間は、まるで砂漠の真ん中にたった一人取り残されたかのように、
自分、というもの、その存在を、改めて噛みしめるのである。

その救いようもないぐらいの徹底的な孤独。
それに恐怖を感じる人間もいる。
その襲いかかるような人の群れの中で、
思わずパニックを起こして泣き叫びたくなる、
そんな人もいる。

と同時に、

その徹底的な孤独の中に、生まれて初めての、手放しの自由、
ああ、この街では、なにをやっても自由なのだ。
そう思っては、人々の行き交う交差点の真ん中で、
思わず両手を広げて、ディヴァイン!と叫んでしまう、
そんなつむじ曲がりのお調子者も、いるにはいる。

そう、この街ではなにもかもが自由。
過去という轍から抜け出して、
他人の目、という拘束から逃れたいま、
この街においては、徹底的に自分の好きなことを、好きなように押し通すことも可能なのだ。

この街は、一年中がハロウィン・パーティのようね。

なりたい自分になれるのよ。
なににでもなれる。誰にでもなれる。
なにをどうしようが、なにからなにまで私の自由。

そして果たして、と人々は改めて思う。

私のなりたい自分って、いったい、なんだったのだろうか・・

そうやって、己の願望の、あるいは欲望の、その想像の限界を掘り下げながら、
そうやって人々は、この街において、本物の自分、
その虚像の果てを、見極めようとするのである。

そしてこの街には、齢六十を過ぎても尚、
ギンギラギンのボディコンのピッタピタのスパッツで、
これ見よがしに尻を振りながら闊歩する還暦ダンサーが、

世の悪徳の全てを嘗め尽くして来た在日朝鮮人の株屋が、

金のためなら糞も喰らえば人だって殺める、と虫も殺さぬ顔をして笑う大富豪から、

デッサンひとつしたこともない癖に格好ばかりはアーティストを気取るパフォーマーや、
ハサミの使えないヘアーデザイナーから、本一冊読み切れたことのない詩人もいる代わりに、

四十を過ぎても尚、見果てぬ夢を追い続ける、筋金入りの元パンクロッカーが、
七三の横分けに黒縁のメガネをかけては、ジャパニーズ・ビジネスマンを装っていたりするのである。

そんな人々に共通する言葉、なあに、ここはニューヨーク、なんでもありさ。

そう、ここニューヨークでは、まさしく、なんでもあり、なのだ。

こんななんでもありのニューヨークであるからこそ、
嘘もはったりも、詐欺もペテンもやり放題、
でありながら、
そんな街だからこそ、本物を見抜く眼力が、と同時に、
嘘を嘘と知って許容する、その寛容が、尊ばれたりもするのである。

そう、ニューヨークはそんな街である。
虚像と虚栄の交錯する、心の底から乾ききるような殺伐を抱えながら、
心の底のその一滴だけのこされた情という名の愛の欠片、
時として知らない者同士が手に手をとって縋り合う、
まさにそんな街。

この見渡す限り、アスファルトとガラスの塔ばかりの立ち並ぶコンクリート・ジャングル。
現代文明の辿り着いた砂漠の果ての、
都市という空間に吹き溜まっては閉じ込められた籠の鳥たちの、
憩いのオアシス、であったりもするのだ。

そしてこのニューヨークという特異な空間の中、
他人のことには一切干渉しない、というその冷酷な投げやりの恩恵か、
世界中のどんなセレブであっても、決して振り返えられることがない、
その、徹底的な無関心、と同時に、
メディアやパパラッチたちから解放される、唯一の駆け込み寺であったりもする。

そう、ここニューヨーク、犬も歩けばセレブに当たる、というぐらいに、
犬の散歩の途中でも、次から次へとどこか「知った顔」とやらとすれ違う。

いや、俺が知らない、気づかないだけで、
それこそ、四六時中、次から次へと、そんなセレブたちとすれ違っているのであろう。

ふと座ったカフェのテーブル、あるいは、公園のベンチ、なんてところで、
ふと見れば、あれ、この人・・・ なんてことは、まさに日常茶飯事。

さすがにミック・ジャガーだ、ドナルド・トランプだ、なんてのはないにしても、
その辺りのハリウッド女優、あるいは、スーパーモデル、
それこそ、ありとあらゆる有名人たちが、まるで素知らぬ顔をしては、
目があった途端になにげなくも会釈を返され。

ただニューヨーカー達は、そんな出来事に、しかし決して表には出すようなヘマはしない。

そう、この街の連中は、セレブを振り返らない。

そんな街の連中にしたって、嘗ては、あるいは、これから、
ちょっと人に騒がれたこともあるんだぜ、
そんな妙なプライドを持っている輩ばかりなのである。

実は俺の犬の散歩仲間が、
実はアメリカ人であれば誰でも知っている、
往年の大大女優であったり、
あるいは、テレビをつければいつでも登場する、
大人気のニュース・キャスターであったり、
あるいはマフィアが腰を抜かすような辣腕弁護士、
あるいはそう、嘗ての日本ではちょっと有名であった、
芸能記者が聞いたら座り小便を漏らしそうな、
そんな伝説のなんちゃら、なんてのが、実は、掃いて捨てるほどいたりもする。

そんな街に暮らしていながら、
セレブのひとりやふたり、いちいち驚いていられるかっていうんだよ、
そんな妙なこだわりが、このニューヨークと街の、一種の流儀でもあるわけだ。

そう、このニューヨーク・シティ、
世界に名だたるゴータム・シティ。
邪悪な悪徳の都、世界の汚濁の吹き溜まり、
そんな街でありながら、しかし今なお、
世界中からの人々を魅了して止まないのは、
まさにこの、自由。
都市という、この末期的な人の洪水の中で、
初めて手にすることのできる、開放感、であったりもするのである。

という訳で、この街に迷い込んできた人々、
有名、無名を問わず、
金持ち、貧乏人を問わず、
全ての人々が一様に突きつけられる一つの問い。

さあ、あなたは、この街で、いったいなにになりたいのですか?

この徹底的な開放感を、孤独、と感じるのか、あるいは自由、と感じるのか。

そして、その徹底的な疎外感の中で、向き合った自分自身と、いったいどんな対話を繰り広げるのか。

そう、この街はある意味、鏡、であったりもするのである。

YOU ARE MY MIRROR。

そしてあなたが、自分自身というもの、その願望と、欲望と、その虚栄と虚像のすべてをはぎっ取った時、
いったい、なにが見えるのか、そしてその、裸一貫の状態から、いったいあなたはなにを始めるつもりなのか、
ニューヨーク・シティは、その時を、自分自身の真価に気づく、その時を、待っているのである。

改めて、すぅめたるという人は、
このニューヨークという街で、ひとりの中元すず香、という自分に立ち返った時、
いったいなにを見るのだろう。

そして、改めて、すぅめたる、という鎧を脱ぎ捨てて、
一人の人間としての中元すず香に向かい合った時、
いったい、どんな自分に気がつくのだろうか。

いつの日か、ベビーメタルがまさに世界のアイコンとして頂点を極めた後、
その人気の絶頂において突如の失踪を遂げたすぅめたるが、
いつの間にかコロンビア大学の中庭のベンチで、
カート・ボネガットの短編を読み耽っていたり、

あるいは、

場末の居酒屋のカウンターの隅にちょこんと座って、
あの、この、広島風お好み焼き、プリーズ、と不器用な英語でメニューを指差す、
そんな姿が、ちょっと目に浮かんだりもするのである。

すぅちゃん、いつでもニューヨークに来たらいい。

この街は、ある種の人々にとっては、限りなく優しい、まるで、命の泉のような場所でもあったりする。

そして賭けても良い、あなたもきっと、そのある種の人間の、そのひとり。

一度あなたが、この街に足を踏み入れた途端、
街中の人々が、ベビーメタルとしてではなく、
ひとりの、中元すず香という人間として、
あるいは、その名前さえ知らなくても、
不格好なニットキャップに、どでかいトンボメガネをかけたおかしな女の子として、
そのままの姿のあなたを、心からの愛で包んでくれる筈である。

そう、俺がそうだったのだ。
そして、俺の周りで暮らす、このニューヨーカーという人々、
その全ての人々が、
そうやってふと迷い込んだこの街に、いきなり受け入れられ、抱かれ、癒され、
そしてこれ以上なく、愛されて来たのだ。

この街に25年住んで、この街ほど優しい街は、
世界中どこを探しても見つけることはできない、と断言できる。

そしてそう思えば思うほど、この街を離れることができなくなるのである。

秋の夜更け、寝静まった公園で見上げる空に摩天楼の窓明り。

この徹底的なまでの孤独の中に、身体中が溶けてしまいそうなほどの、安息を感じながら、
改めて、ああ、俺はこの街に愛されている、としみじみと感じ入るのである。

ふと、歌を口ずさむ。

幾千もの夜をこえて 生き続ける愛があるから。

改めて、すぅのセンチメンタルな歌声は、
この街の殺伐に実に良く似合う。

そして、すぅめたる、というアイコンは、
この街に凄まじいぐらいにフィットする、
あるいはそう、ニューヨーカーが、
そんなニューヨーカーだからこそ、
すぅの歌声に癒やされることを切望している、
それだけは確かだ、と断言できる。

そしてそんなすぅめたる、こと、中元すず香さんが、
いつしかこの街を代表するアイコンになる、
そんな気がしているのである。

すぅちゃん、ニューヨークは君を待っている。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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