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初心を忘れずのベビーメタル ~ 改めて新年のご挨拶にかえて

Posted by 高見鈴虫 on 31.2016 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
最近もう、猫もし杓子も、
その名声ばかりが世界に轟いているベビーメタル、

ではあるのだが、
そんな人間国宝としてのベビーメタル、
改めて、と思い返すに、

もしも、すぅめたること中元すず香が、
まるで絵に描いたような才女であったりしたら、
或いはそう、その才能を鼻にかけた高ビーであったとしたら、
果たして俺はここまですぅちゃんを愛すことができただろうか、と。

そう実は、すぅちゃんが歯の矯正をしてる、と聞いて、
ええええ、なんでえ、とは思った。

俺、好きだったんだよ、すぅちゃんのガチャ歯。

まあ確かにさ、アメリカの価値観で言えば、
まさに、ハリウッド・スマイルの象徴とは、
あのとってつけたような白い歯。

で、日本には良く居るガチャ歯は、
ここアメリカではともすると、貧困の象徴とも見られる訳で、
なので、こちらのティーンエイジャー、
判で押したようにブレイスをしていたり、なんてのもあるんだが、

だがだが、そう、俺はほら、こんな偏屈者だからさ。

人間の魅力って、実はその完璧性の中に、というよりは、
むしろ、あばたもえくぼ。

ったくどうしようもない奴なんだけどさ、
でも、そんなあの子の魅力を判ってやれるのは俺ひとり、そんな思い入れ度、
それこそが、人が人を思い切り好きになる、その要因ではないのだろうか、と。

そんな俺にとって、完璧をでっち上げてはそれを演技するってタイプの人があまり好きくなく、
あるいは、本人は力いっぱい完璧を演技しているつもりながら、
しかし、傍から見るとなんかどこも空きばかりってな、
俗に言う、天然系の方々、そこにこそ、俺の言うところの、好きにならずにいられない、
魅力というものが集約されている訳でさ。

なので、そう、俺は断じて言いたい。

俺がすぅをこれだけ好きになったのは、まさに、そのポンコツ性に、なのである。





そう、繰り返すが、俺の好みだ、ほっといてくれ、なのではあるのだが、
俺は、完璧な人間など信じないし、
もしそんな人が居たとしても、好きにはならなかったと思うんだよね。

或いはそう、恋に落ちるって、その完璧な外面の裏側にある、
そのポンコツ性を俺だけの秘密として胸に刻む、そこにこそロマンがある訳でさ。

という訳で、いまや手放しの賛美に溢れたすぅめたること、中元すず香嬢、ではあるのだが、

改めて言いたい。

この中元すず香を支えてきたものとは、
まさに、いま言われている国宝としてのすぅめたるなんかじゃ全然ない、筈。

どちらかと言えば、その真逆であったのではないか、と。

つまり、すぅめたるのあの、神懸るほどの凄まじさというのは、
つまりは、ステージを一歩降りた、中元すず香との間の、そのギャップの凄まじさ、なんじゃないのかな、と。

そう、天才とは大いなる欠落、俺はこの真理を疑う気はない。

なのでそう、あれだけのすぅめたるである。
すぅめたるがあれだけ凄い以上、その欠落たるや同じぐらいに凄まじいものがある筈。

中元すず香嬢が、自転車に乗れない、やら、靴を左右ちんばに履いてるやら、靴の紐が結べない、やら、
そんなポンコツ伝説が、俺はたまらなく好きである。
そう、そんなポンコツ伝説を知れば知るほど、ますますすぅちゃんが好きになる、
そういう天邪鬼であるところの俺としては、

まさしくこのすぅめたるの天才を支える欠落というのが、
実は、その劣等感、或いは、コンプレックスにあるのではないだろうか、と感じていた。

前にも書いたように、俺は、容姿的には、決してすぅめたるは好みのタイプではない。

俺の個人的な好み、その永遠のアイドルはと言えば、まさに峰不二子、
あるいは、武田久美子 じゃなかった、
理想的には、愛のむきだし 満島ひかり ・笑





まあいい、そう、個人的な好みだ。
そんなもの他人に話したってなにがどうなる訳でもない。

ただそう、言いたかったのは、すぅめたるという偶像を離れた中元すず香は、
すぅめたるに象徴されるあの完璧性とは、似ても似つかぬ人である筈で、
そして、すぅめたるの象徴しているその魅力の核がなにかと言えば、
まさに、プライド、ではないか、と思うのだが、
果たしてその論法から行けば、すぅめたるの体現するプライドとは、
まさに、中元すず香本人が持ち得なかったもの、その全てではないのか、と。

繰り返す。
すぅめたるの魅力のその核とは、中元すず香嬢の背負ってきた、
その劣等感の反面教師、その具現化ではないのか、と。

嘗て、どこかのインタビュー記事で、中元すず香嬢のお母様の談話にあった言葉、

すず香はブスで・・・

ブス?中元すず香がブス?・・・まさか・・

つまりそう、それは比較、によるものだろう、とすぐに察しがつく。

つまり、中元三姉妹、その三人の中で、のことであるのだろう。

そう、改めて言えば、その容姿だけ、を取ってみれば、
すず香嬢の姉であるところの、中元日芽香嬢、
これはもう、押しも押されもせぬ、誰がどうみても、美人、その典型。
まさに完璧な程の美貌であろうかと思う。

こんな凄まじいばかりの美人に比べられては、
どんな人でも、ブスになってしまうのであろうが、
そう、それこそが、中元すず香の背負った十字架。
つまり生まれからして、その比較される対象のレベルが高すぎたのである。

そう、中元すず香が生まれた家庭、
一番上のお姉さんはメディアに登場することはないらしいが、
噂では、一番上が一番綺麗、とのことで、
いやはや、上には上がいるものである。

すず香嬢自身、世間的に見れば、十分に美人の域に入る筈の自分が、
しかし、家庭内においてはまさにそんな化物クラスの美人姉妹に囲まれて、
くっそお、と思っていた、のは安易に想像がつく。

おまけにこのすず香嬢、
暇さえあれば歌ばかり歌っている、まさに歌馬鹿。
その代わりにと言っては何だが、
歌以外にはなにをやっても鈍臭く飽きっぽく、
ただ幸運にも末っ子であった関係から、
それを多めにみられては、猫可愛がり。

なあに、全てに完璧な人間などおりゃせんがよ。
足りない分は、そのほかの得意なことで埋め合わせすりゃええんじゃ、
と言われながらも、
そうして育つうちに、自分の足りない部分がよりクローズアップしてきては、
その埋め合わせがますます大変になってきている現実を知りながらも、
敢えて、その美貌においては、姉たちには逆立ちしても勝てない、
その現実を踏まえた上で、
足りないものを無理に補おうとしても限界がある、
その足りないものが大きければ多いほど、
より大きなもので埋め合わせをせねばならぬ、
その焦燥の中で、唯一の特技であった歌、
その歌の中に、全てのコンプレックスを注ぎ込んできた、
中元すず香嬢というのは、まさしく、そんな人であったのではなかったのか。

という訳で、敢えて言えば、
中元すず香嬢は、自転車に乗れない訳ではなく、敢えて乗らなかったのではないのか。
靴の紐を結ぶ練習をするよりは、その欠点を欠点として保持しながら、
或いはそんな欠点の全てを保留にし、キープしながら、
その欠点のすべてを歌への情熱に当てていった、そんな逆説。
つまりは、欠点が多ければ多いほど、それは歌の才能の証明でもある、
とそんな風にも考えていたのではないだろうか。

という訳で、中元すず香嬢にとって、歌とはまさに、この不条理な世界と自分と繋ぐ、
唯一の綱であった筈なのだ。

そしてそんな、大いなる欠落を欠落として許容しながら、
敢えて、その歌という能力を特化させていく道を選択させたご家族の明晰さ。
それはまさに、賭け、というものでもあったのだろうが、
その全てが、いまこうして昇華している訳で、
まさに、いやはやである。

そう、天才とはそうでなくてはいけない。
すぅめたるのその私生活、中元すず香としてのポンコツぶりが凄まじければ凄まじい程に、
その歌の才能に磨きがかかる、その明らかなる証明でもあるのだろう。

という訳で、俺は自転車も乗れるし靴の紐も結べるが、
そんなことよりもやはり、中元すず香嬢のような歌が歌えたほうがずっとずっと幸せであったと思うし、
そんな中元すず香が靴紐を結んでくれと言えば、俺は一生でも靴の紐を結んで行くと思う。

そう、自転車が乗れないからなんだ。
靴紐が結べないからといってだからなんなのだ。
そんなことができなかったとしても、自身の一つの才能を見つけ出し、
それに全てを注ぎ込んだ、そういう人間こそが、人類を進化を支えてきた、その原動力なのだ。

俺がすぅめたるを愛するのはまさにそういう認識があってのことである。
と同時に、そんな人でもなかったら、あれほどの歌は歌えないだろう、と思ってもいる。

天才とは大いなる欠落なのだ。
と同時に、大いなる欠落を抱えている人がいるとすれば、
その人の中に、大いなる才能を見出してやることこそが、
まわりを埋めた俺たち凡人の使命ではないのか。

という訳で、すず香嬢のポンコツ伝説。
なあに、心配することなどなにもない。
世界中にこれほどの感動を与えたすぅめたるである。
例えこの先、すず香嬢の将来になにがあったとしても、
世界中のメイトたちが、その生命に変えても、
そんなすず香嬢を守り続けていく筈である。

そういう人をなんと言えばいいのだろう。

つまりは、人類の財産。
人間国宝とは、まさに中元すず香嬢のような人に与えるべき言葉なのだろう。

すず香さん、後のことはずべて俺達が引き受けた。
だからもう、なにも気にしなくていいから、歌だけを歌っていてくれ。
素敵な歌で、俺達を、そして人類を、救う、
あなたにはそれができる。あなたにしかそれはできない。

そう、中元すず香嬢こそは、その為に選ばれた人間なのだ。

天才とはまさしく、中元すず香嬢に与えられた呼称。

俺達がすぅめたるの歌にこれほどまでに突き動かされるのは、
まさしく、神の選んだ天才、その奇跡を目の当たりにするからなのである。



で、まあ、そんな百年にひとり、千年にひとりのほんま者の天才を前にしてきた、
水野ゆい、そして、菊池最愛、という二人。

彼女たちは幼き頃から、そのすず香嬢の天才ぶりを目の当たりにしながら、
ただそう、前述の通り、人間は比較である。

すず香嬢の歌の才に目を見張りながら、
ではわたしならなにができるのか、その才能を探り続けることになった、
そんな幸か不幸か、な巻き込まれた人々。

正直な話、俺はユイ、そして、最愛が、
すぅほどまでの超絶的な天才である、とは思わない。
だがしかし、その中元すず香との比較において、
中元すず香嬢にはないなにか、
それを自分の中に見出そうと躍起になり、
そしてその見出した才能を、まさに努力力によって中元すず香と同レベルまで押し上げようと、
日々切磋琢磨を続けてきた、まさに、苦労人、なのではないだろうか。

前述した通り、俺はユイちゃんこそは、まさに美人の典型、
中元すず香嬢の存在さえなければ、今頃はふたりとも、
押しも押されもせぬアイドルとして、テレビを独占していただろう、
とも思うのだが、そう、幸か不幸か、彼女たちの姉にあたる、すず香嬢は、
まさに前代未聞の天才の中の天才。
そんな天才と共に育ちながら、いつの間にかそのすさまじい才能を追えば追うほどに、
世間的なレベルを完全にぶっちぎってしまった、まさにそんなところではなかったのか。

と同時に、そう、ユイはまさに、典型的な美人である。
幼い頃から、美人道、その宿命を信じて疑わなかった人。
ただ、その美人道のその定石的な王道学から、
敢えて一番よりは二番を選ぶ狡猾さがあったのではないだろうか。

ただユイにも劣等感がなかった訳ではない。
それは可愛すぎてついつい目立ってしまう。
二番になろうとすればするほど逆に目立ってしまい、
うそのギャップが鼻に付くとされたりもしたのだろうか。

ユイもやはり、その社会との不条理なギャップの中で、
より自身をその才能の中に追い込んでいく道を選んだのだろう。

ユイのあのキレキレダンス、あの凄まじいばかりの気迫の中には、
まさに、このダンスを最後の手がかりとして世界に立ち向かう、
その、鬼気迫るほどの切迫性、その土壇場の底力にこそ、
ベビーメタルの感動があるのである。

と同時に、そのユイの姿こそが、歌のすぅめたる、そして踊りのユイメタル、
その二枚看板を背負って立つ、輝きが際立つ訳である。

と、その点 最愛はよくしたもので、
この最愛こそは、ベビーメタルの人間性、そのもの、である。

機を見るに敏なる三河商人の血筋そのもの、
頭の回転がべらぼうに早く、バランス感覚に富み、
口が効き、人の心を素早く察しては、
その場その場の状況に応じて、ここぞというところに的確な手を繰り出す、
まさに、ベビーメタルの知恵袋である。

正真正銘の天才であるすぅと、
そして、ダンスの鬼と化したユイ、
その間において、目敏く立ち回っては、危ういバランスを保ちながら、
全てをコントロールしていく、まさに縁の下の力持ち。

すぅめたるが神輿であるとすれば、それを担ぐのがユイ、
そして、最愛はその上で大団扇を扇ぎながら、
やれ、あっちだこっちだ、と仕切りに徹するまさに鎹。

そうやってこの三人を並べてみると、
先々、一番幸せになりそうなのはまさしくこの最愛な訳で、
もしもこの先、ベビーメタルが危機的な状況に追い込まれた時、
下手をすれば美味しいところはすべてこの最愛がかっさらって、
なんてことにも成りうる、最愛こそはまさにちゃっかりもののやり手婆あ、
あるいはそう、ベビーメタルの広告塔として、
この先のベビーメタルそのものを牽引していくことになるのでは、と思っている。

と同時に、この先、ユイ、そして最愛、その美貌にますます磨きがかかっていく筈である。

そのうちすぅめたるはすっかり歌のお姉さん化してしまい、
その脚光そのものをユイの美貌が独占してはグラビアを賑わし、
そして、最愛が、MCから、インタビューから、司会進行、金集めから、人脈整理まで、
ベビーメタルの顔として一手に引き受ける、そんなバランスが築かれて行きそうな気がしている。

いずれにしろそう、あまりにも大きな才能と、それと同時に大いなる欠落を抱えた、
このすぅめたる、そして、ユイメタル、その二人を陰で操る最愛めたるという仕切りの天才、
いやはやまさに、鉄壁のトライアングル。
このユイ、そして、最愛の発言力が増せば増すほど、ベビーメタルがますますおもしろくなる、
それを期待せずにはいられない、まさに、この先、どこまで走るのかベビーメタル。

この三人が三人ともに、世界の人類を代表するアイコン足り得る日が目に待ち望むばかりである。



という訳で、最後に、改めてこの、すぅめたる、そして、ユイめたる、という二人。
共に抱えたその一種切羽詰まった切実さ。
その切実さとは、まさに、コンプレックスに裏打ちされた、
ともすれば逆境の中でぎりぎりの戦いを続けてきた、アンダードッグのスピリッツである。

そう、俺たち日本人は、実はこのアンダードッグ性にこそその国民性の源泉があったのではなかったのか。

義経への判官贔屓から始まって、赤穂浪士から、そして、新撰組、
あるいは、敗戦国日本の焼け野原から奇跡の復興を遂げたど根性国民、
その根本にあるのはまさに、アンダードッグ精神。
逆境の中を戦って戦って戦い抜いて勝ち抜いて来た、その不屈のネバーギブアップ魂である。

その、追われる者よりは、いつも追うものとしてがむしゃらな前進を続けてきた日本という国。

近年はあのお坊ちゃま首相の戯言の中で、気味の悪い自画自賛を繰り返しているようだが、
そういう姿は本来の日本文化の王道からは外れる、と思っている。

能ある鷹が爪を隠すのは、まずは、自身が能がある、という確信に裏打ちされてのこと。
そんな日本人が、似合わぬ大口を叩いては自画自賛を繰り返すのは、
それを繰り返せざるを得ない、その苦境の裏返し、
つまりはぶっちゃけ、能ある鷹の、能、そのものに疑念を持ち始めた、
その弱さの露呈なのではないだろうか、と思っている。

日本人はすごかった?そんなこと当たり前じゃねえか。
わざわざそんなこと口にだすことじゃねえだろう、というのが正直なところではあるのだが、
と同時に、近年のその妙な自画自賛モード、
その中に、不穏なペテンの陰、或いは、血筋、なんてものを持ち出しては、
自分勝手な既得権益の独占ばかりに奔走する、日本人らしからぬ、その美意識の真理たる潔さに欠ける、
そんな疚しさの現れのような気がしてならない。

とそんな中、この彗星のように現れたベビーメタル。

黙して語らず、ただ、目はそして、その歌は、口ほどに物を言う。
大口も慢心も、ましてや、血筋やら、後ろ盾、なんてことを一切おくびにも出さず、
その真心の全ては、ステージの上でのパフォーマンスにぶち込んだ、
まさに本番勝負、真心の、魂の、その発露たる、ベビーメタルの姿。

その一種、謙虚過ぎるほどの立ち振舞から、そのあまりにも限られた露出から、
全てはステージを見て判断して欲しい、というまでの、その辛辣なまでの現場主義。

その真摯さこそが、まさに日本人の持ってきた、黙して語らず、行動あるのみの美学、そのもの。
その一種古風なまでの生真面目さ、それこそが、ベビーメタルに対する揺るぎない信頼を築き上げて来た訳で、

近年のこの降って湧いたような、なにかにつけて大口、
つまりは宣伝至上主義の自己賛美社会への大いなるしっぺ返し。

ベビーメタルの持つ、この清廉さ、その潔癖性こそが、
ベビーメタルがこれほどまでに愛されるその理由ではないのか、と思うわけだ。

日本人、大口も、自画自賛の自己賛美も、似合わないぜ。

わざわざ口で言わなくったって、実力で示せば良いのだ。

つまりは、勝負に勝てば良いのである。
或いは、無駄口を叩いている暇があったら、まずは勝負に勝つこと、それを最優先にするべきなのだ。

そんな意味でも、虚像を虚像として喧伝によって膨らませては、上げ底のペテンばかりに狂騒したこの数十年、
その愚かさをそろそろ本気で考え直す時期が来ているのではないだろうか。

黙して語らず、実力で勝負。

ベビーメタルが体現したその日本の美学、
そんな生真面目な日本人が、再び日本の原動力となることを望むばかりである。

日本人には大口は似合わない。

いつにかなる時にも、謙虚と生真面目さを見失わず、
逆境に耐えながら、爪を隠しながら、自身の秘めたる爪を研ぎ澄ます、
そんな狡猾な勝負師であることこそが、日本人の日本人たるものなのだ。

そう、良い意味でも悪い意味でも、俺たち日本人はそういう人たち。
つまりは、アンダードッグなのだ。

それを忘れた時に、うっかり吐いた大口に、いきなり足元を攫われることになるんだぜ、と。

と、そんなことを思いながら、ふと、コバさん、つまりはそういうことなのか?と思いついた。

そう、なんだよ、東京ドームの成功から、本来であればもうちょっとぐらい天狗になっても良かった筈のベビーメタル。

それがいきなり、また、海外巡業の前座興行に逆戻りの、レッチリの英国アリーナ・ツアー。

しかも、巨大モニターも特殊演出もなく、まさにないないづくしのベビーメタル。

その一種、全てを剥ぎ取られた裸一貫ので本番勝負のその姿、
まさに、アンダードッグの姿、そのものであった訳だが、

つまりはそういうこと?

つまり、初心を忘れずのベビーメタル。

すぅはポンコツで、ユイは登校拒否。
アイドルくずれのメタルくずれ。
まがいものの、作り物の、と散々の罵倒を受けながら、
その全てを、ステージの上、その本番勝負の現場一発で倍返しにしてきたベビーメタル。

つまりは、アンダードッグの美学そのもの。

打たれ打たれて滅多打ちに合いながら、最後の最後、奇跡のクロスカウンターで勝利を握る、
まさに、あしたのジョーの美学、そのものではないか。

そう、日本人って結局そうだろ?そうじゃなかったのか?

逆境を跳ね返せるのは、大口三昧のの腐った自己陶酔でも、
自己喧伝に自らが率先して騙される、似非自己催眠術でもなんでもない。

耐えて耐えて耐え抜いて、最後の最後に渾身の一撃で倍返しを試みる、そのアンダードッグ魂。

日本人が見失っていたのは、まさにそれ、なんじゃねえのか、

初心に帰れ、日本人!

逆境の男、コバさんの、そんな内なる声が聞こえて来そうな気がする、不穏な師走の空である。

大丈夫、なにがあっても、俺達にはベビーメタルが居る。

ベビーメタルが居る限り、俺達は敗けない、そう信じさせてくれるベビーメタル。

という訳で、またまた訳の分からない長文になりましたが、

初心に帰って、今年こそは倍返しだぜ、の一言。

炎の中を走れ、ベビーメタル!

これしきの事で、俺達は負けねえ、そのベビーメタル魂、忘れないぜ!

改めて、ことよろのご挨拶とさせて頂ききます。









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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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