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世紀のテクニカル・ディフィカルティ ~ マライア・キャリーの大醜態を前にベビーメタル待望を確信する2017年

Posted by 高見鈴虫 on 08.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
ご存知の方も多いであろう。
或いはすでに過去のものとして忘れてしまっている頃でもあらふ。

があらためて、この年越しのニューヨーク、

新年2017年へのカウントダウンを直前に控えた、
ニューヨーク・タイムズスクエアでのその国民的一大ステージにおいて、
一世一代の恥、というよりは、ミュージシャンとして、
あるいは、パフォーマーとして、決してやってはいけない、
とんでもないご法度的ステージを繰り広げた、道化がいた。

言うまでもない。マライア・キャリーである。



Mariah Carey New Years Eve 2017 MELTDOWN







マライア・キャリー、46歳。
いわゆるひとつの、世界有数のスーパースター。

WIKIPEDIAによれは、

「彼女の持つ18曲の全米No.1シングルはビートルズに次いで歴代2位
女性アーティストとしては1位であり、
ソロ歌手としてはエルヴィス・プレスリーと並ぶ歴代1位である」

7オクターブの音域を持つ歌姫、奇跡のホイッスルボイス、
その魅惑の歌声に、彼女のヒット曲を記憶している方々も多い筈。

このマライア・キャリー、すでにそのキャリアは云十年に及ぶ。
名前の示す通り、ラテン系、つまりはマイナリティ。
ご多分に漏れず崩壊家庭の出身ながら、苦節ウン年を経て、
ついに掴んだ成功への緒。

と同時に、デビュー当時、彼女が某レコード会社エグゼクティブの愛人であった、やら、
そのあまりに露骨な、まさしく身体を張っての枕営業、その噂が絶えなかった。

当時から、ニューヨークの地下社会的コミュニティー、
つまりは売れないバンドマンの吹き溜まりの中にあっては、
今後のアーティストとして生きる覚悟を問うこととも言える、
このマライア・キャリーの枕営業伝説。
それを座右の銘にすべきか否か、
そんな戯言の隠れた象徴でもあったこのマライア・キャリーという人。

俺達はそんな雲の上の噂話に心底うんざりしながらも、
そこまでしなくては成功を勝ち得ることはできないのか、
あるいはそう、いま、俺達がそれをする気があるのか?
その覚悟のほど、ARE YOU READY?
つまりはぶっちゃけ、
こんなゲットーの地下室の秘密クラブなんてところにおいても、
まさかまさか迷い込んでくるかもしれないレコード会社の重役、
なんてのがいたとしたら、
いますぐにでもこの身体を投げ出して、
つまりは、現実的な話、
いきなりこの場でチャックを下ろし、
烏賊チーズ風味のイチモツを綺麗に舐め舐めしてあげたり、
あるいは、それこそ思い切りパンツまでおろして、
この縮こまった肛門に腐ったちんちんぶっ刺さされては痛い痛い、
そこまでしてでも、商業的な成功を得たいのか、どうなのか、
なんてことを話あっては、
俺は嫌だね、そんなの絶対に御免だ、から、
俺は行くぜ、こんな尻で良ければ、そんなものいくらでも使ってやるぜ、
なんていうツワモノも居たわけだが、
そんなしょうもない戯言に失笑を浮かべながら、
果たして、
成功を勝ち得るために、いったいどこまでの代償を払うべきなのか、
そう思った時、俺はいまでも、このマライア・キャリーの姿、
その見るからにちょっと足りなそうなあどけない風の表情が、
そしてあまりにも豊満すぎるその姿体が、目に浮かんで来たものである。

ただ俺がここで言いたかったのは、
そんな枕営業の是が非か、などではない。
そんなものはどこにだって、なんの業界にだってある。
商業活動の代償として、あるいはなにかにつけて、
そのもっともえげつなく、またもっとも露骨な「ホンネ」的な欲望、
自身の権力の象徴としてその本音的欲望を振り回す輩、
なんてのも言うなれば人間の本性。

なのでそう、げいのーかいの裏事情、
なんてことを聞いた途端に思い浮かべる、
この人間の本性的ホンネ世界でいうところの枕営業伝説。
俺はげいのーかい、なんて世界の常識は全然知らないし、
知らない以上は妙な偏見も多く
ー> いまさらながらキャンディーズの謎について考えてみた
そんな偏見の中で吐き散らした暴言を、
いまになって、ベビーメタル・メイトの方々から、
こってりとお叱りを受ける、なんていうのも、因果を感じない訳ではない。

そう、改めて言うまでもなく、
一度吐いた暴言は必ず、自分の身に降りかかってくる。
或いは一度晒したホンネ、つまりは人間の本性なんて奴は、
必ず必ず人々の記憶に刻まれる。
そうやって晒されたホンネ的な本性は、
それもそんな暴言を吐いたことさえすっかり忘れたころになってから、
その落とし前をきっちりと払わされることになるのである。
ただ、それは、暴言を吐くな、ということではない。
決してホンネを晒すことのない世界というのもつくづく味気ないものであろう。
ただ、そうやって晒されたホンネ的な暴言、
その落とし前は、しっかりつけさせられる、
それを前提に、覚悟を決めて、暴言を吐けよ、と、
老婆心ながらそう申し上げているのである。

誰に吐いた暴言でさえ、その暴言を吐いた、という事実は、
なによりも自分自身の中に記憶される。
あるいはそう、そういうホンネは、女性陣、
とくに、後々になって、あ、このこ、もしかして、
なんて気にさせられるかもしれないあの娘が、
その謎めいた微笑みの底で、実はしっかりと記憶している、
まさにそういうもの。
つまりは暴言を吐いた時点で、
自分自身がその暴言の手形を抱え込んでしまう、
ということなのだ。

いまや、独自の足を使った取材をすっかりと諦めては、
面倒な仕事はすべて下請けに丸投げ。
あるいは、ウェブ上の戯言漁りででっち上げた記事を、
楽して綺麗にカッコよく仕事をこなす、
そんな手抜きを、スマート・ジャーナリズム、などと称する
日本のマスメディア界にあって、
一般庶民の声、その本音、なんてところで必ず祭り上げられる、
あるいはそのでっちあげ記事の格好のダシに使われることも定例となった、
かの、日本国民の糞壺であるところの煮チャンネル。
ニューヨークの地下社会、あのおどろおどろしい落書きだらけのトンネルの中、
-> ニューヨークの地下帝国 ~ アンダーグラウンド・ギャラリー探検散歩記
あのおぞましき地下世界をも彷彿とさせる、
日本の、あの巨大匿名掲示板に蠢く罵詈雑言の使徒たち。

ホンネとタテマエが慣習化したこの日本社会の中で、
いまや強大なジャパニーズ・アンダーグラウンドともなった、
その本音だけの吐き溜めの糞壺。
そこで吐かれた暴言が、いまや、日本中を覆い尽くしては、
そこで吐きつくされた人格の底、という本音のホンネが、
しっかりグーグル・トランスレートにされては、
赤裸々なままに世界中にばら撒かれ。
いつしかその代償、つまりは、落とし前を、きっちりと要求される、
そんな日が近い、という事実に、
いったいどれだけの人々が気づいているのだろうか。

という訳で、またまた、脱線であった。

そう、この年末の、カウント・ダウンにおける、マライア・キャリーのしでかした、
抱腹絶倒、前代未聞の大醜態。

いまや、お決まりの、責任者出てこい、の、公的謝罪から、
そして人身御供的な解雇者、まで出る始末、
であるそうなのだが、
改めてこの、年末のカウント・ダウン、
まさに、一年の総決算を図る、そんな国民的なイベントにおいて、
この、マライア・キャリーのパフォーマンスを見せつけられたアメリカ人たちが、
いったい、何を思ったのか、どんな気分にさせられたのか。

その脱力のほど、と言ったら、
まさに、そう、このゆく年2016年へのホンネの本音、その具現化。
本音で語る男・ドナルド・トランプの大統領当選を筆頭にした、
この2016年をまさに象徴するかのような、
そのあまりにも赤裸々かつ、赤裸々であるほどに、
ともすれば地団駄を踏みたくなるほどにまで不愉快な出来事のオンパレード。
と同時に、
そんな「本音」とやらに引きずられたアメリカを待ち受けている、
その「ホンネ」的世界の露呈、
あるいは、落とし前をつけさせられる事になるであろう、
くる年2017年のその誠に持ってどうしようもない屈辱的世界、
そんな暗い未来を暗示する、
まったくもってどうしようもないイヴェントであった、と。

という訳で、改めて、このマライア・キャリーの大晦日のパフォーマンス。

そこでいったい、なにがあったのか、
そして、あらためてこの前代未聞の醜態の中に、
いったい何を見るのか、それを反面教師として使わせて頂かない手はない。

ぶっちゃけそう、イヤモニが、聞こえなかった、という話らしい。

で、スーパースターのご多分に漏れず、サウンド・チェックにおいて、
マライア自身は参加して居なかった、
つまりは、裏方に、それを任せていた、押し付けていた、らしい。

全てが全て、その手抜き、
それを多忙、やら、プライドやらにすり替えた、
そのあまりにも言い訳的な、慢心、の成せる技、なのであろうが、

そもそも、このマライア・キャリー、
まさに、ビートルズとも並ぶスーパースターである。
これまで幾多のステージにおいて、土壇場になっての機材故障、
そんなものは、ザラ、であった筈、
あるいは、必ず起きる、と言っても過言ではない。
そんなことをまさか知らない訳ではあるまい。

そんな土壇場のステージを、
これまで幾万と来なしてきたであろう筈のこの世界の歌姫が、
あろうことかそのステージ、まさに全米ネットの幾百万の観衆の前で、
いきなり放り出されたこの崖っぷち、
その土壇場において繰り広げたあの醜態の様。

酔っ払っていたのかな、とも思う

そのあまりにも重そうな豚のような肢体。
この氷点下の寒空の下で、まさに素っ裸、というまでの肌を晒したその姿。
そんな一種、自棄糞なまでに捨て身の歌姫、であった筈が、
何事もないかのように踊り続けるバックダンサーたち、
その誰一人からもなんのケアーもないままに、
たったひとりでステージの上に取り残されては、
まさに迷子の子豚ちゃん、まさしく孤立無援状態。

その焦燥と、そして投げやりの中で、
為す術もなく苦笑いさえ浮かべながら、
そして遂には、リップシンク、つまりは、口パクの皿回しさえもがバレばれ、
ここまで来たらすでになにをやっても後の祭り。

そしてあろうことかこの世界の歌姫、
その世紀のステージ半ばにおいて、
その国民的な大仕事を、放り投げてしまった、のである。

このあまりの投げやり。
このあまりの自暴自棄。
このあまりの、神をも恐れぬ、そのすさまじいまでの慢心。

そう、前述のように、間違いは起こる。起こりうる。
そしてここアメリカにおいて、そんなトラブル、
つまりは、テクニカル・ディフィカルティという奴、
それはまさに日常茶飯事。
それが、実に、実に、異様に多い、のである。

果たして、それがなぜ起きるのか、
ぶっちゃけそれは、想像力の無さ。
もしもそんなことが起こったら、それを前提として、
事前にありとあらゆる状況を想定しては、確認に確認を繰り返す、
そうあって然るべきものである筈のその「仕事」において、
ありとあらゆる面において、そのしち面倒くさい事前確認作業を怠る、
その手抜き、その慢心、その、所謂ひとつのプロフェッショナル意識の欠如。
よもや、知恵遅れ、さえとも思わせるような、そんな人々が、
現場の、そして、社会の、その隅から隅まで、ありとあらゆるところで、
徹底的に手を抜いた仕事を積み重ねているからである。

そしてこの2016年の大晦日、
新年へのカウント・ダウンを控えたその一大ステージで、
そんな投げやりな仕事の餌食となった世紀の大スター・マライア・キャリー。

そしてそんな彼女の取った行動、改めて見返して欲しい。

そのステージ初っ端のその堂々たる歌いっぷり、
それが、いきなり、当惑に変わり、それが驚愕に、
それが、必死の誤魔化に、それが開き直りに、
それが、羞恥から、自棄を起こして、そして、諦めに。
そして、それが怒りから、投げやりを経て、

その間に巻き起こったこと、と言えば、
その初っ端からのあの堂々とした歌いっぷりから、
そして奇跡とまで言われた、七オクターブの美声、
その全てが、リップシンク、つまりは口パク、つまりは嘘、まやかし・・・
そんなドツボの中で、為す術もなく、
そして身体中からこれ見よがしの苛立ちと、
そして自暴自棄を滲ませたマライア・キャリー。

声を失った人々の前に、これでもかの自嘲と、
そして、やってられないわ、と舌打ちを残して消えた、
この世紀のスーパースター。

この史上最大のテクニカル・ディフィカルティ、
まさに全米を話題彷彿、というか、抱腹絶倒、というか、
いや、ただもう、このアメリカの人々、
これぐらいのことでは食いついてさえこない。
つまりはそんな茶番にはすでに慣れっこも慣れっこ。

全てがまやかし、すべてがリップシンク、
そして全てのすべてに、手抜きで浅知恵で投げやりで自暴自棄で、
そんな姿をこれでもかと晒しつくしたアメリカという国。

そしてこのマライア・キャリーのこの大醜態ステージ、
これまでのアメリカの掲げて来たその大見得が、
まさに化けの皮が剥がれては、
徹底的な恥さらしの後に、
自棄糞な舌打ちを残してステージそのものを放り投げてしまう、
そんな姿がまさに、見え見え、というか、
そう、そんな初夢を見たアメリカ人、多かったのではないのか。



改めて言う。

このマライア・キャリーの姿、
これが例えばビヨンセであっても、あるいは、ジェニファー・ロペスであっても、
あるいは、リアーナであっても、取った行動は同じであっただろう。

つまりはそう、この高度管理社会においては、
全てがすべて、人のせい、なのである。

それはテクニカル・ディフィカルティ、つまりわたしのせいではない。
その何かにつけて他人任せの分業的意識が、
そこに明らかな被害者意識を生む。

わたしにこんな恥をかかせやがって!
挙句の果てに、
これは誰かの陰謀だ、なんていう疑心暗鬼にまで陥り。

そこでお決まりの責任追及、
そこでお決まりの公的謝罪、
そしてお決まりの人身御供的な公開処刑。

その不様なヒステリーと、悪意と、意地悪とイジメと責任のなすり合い、
つまりはババ抜き、その押し付け合いがまさに社会のありとあらゆるころで慣習化した
この現代社会という魔窟。

エンターテイメント界は言うに及ばず、
巷の社会面を日々次々と飾る、そんなスキャンダルとそして謝罪と断罪、その連鎖。

改めて言わせて貰えば、そんなおざなりなことを繰り返しても、
ここまで堕落してしまった社会である。
社会の隅々まで、その責任転嫁のシステムが蔓延するこの社会。
しいてはそう、全てにおいて、言い逃れ、あるいは、言い訳を前提として成り立っている、
そんなことさえ思わせる、この高度管理社会である。

挙句の果ての公開処刑、あるいは、訴訟問題やらに発展するであろう、
そんなドタバタの中で、改めて、そんなことをいくら繰り返しても、
その元凶を断つことは不可能に等しい。

そして結果として歴史に刻まれるものはと言えば、
その一番の当事者であるマライア・キャリー自身の、
その地位の失墜、これはだけはなんとしても、避けられないのである。

そう、全てはそこに集約されるのだ。

つまりはそう、一番の当事者である筈のマライア・キャリー自身が、
その事前のサウンド・チェックをうっちゃったこと、
そして、このステージに酔っ払って登場したこと、
そして、そう、そのステージにおいてさえ、
思わず、まさに、本音、の姿をさらけ出してしまったこと、
そう、全ての間違いがそこに、
ぶっちゃけ、マライア・キャリー自身、
その当事者意識の欠如にあったのだ、
と俺は断言してしまっても良いと思う。

そして言うまでもなく、
こんなマライア・キャリーの姿、
ここアメリカでは、そして多分、ここアメリカを問わず、
ありとあらゆるところで、その大小を問わず、
このテクニカル・ディフィカルティ、
こんな醜態が、そして、お決まりの投げやりなブチ切れ、
そんな様を、見せつけられている筈である。

改めて、自戒の念も含めて、
果たして、あの場において、
マライア・キャリーはどうするべきだったのか、
と同時に、果たして俺自身、
来週に控えたプレゼンの席において、
こんなテクニカル・ディフィカルティが起こった時、
果たしてどう対処したら良いのだろうか。

そんな時、俺が必ず思い浮かべるのは、
まさにあの、スティーブ・ジョブス。

その鳴り物入りの新製品紹介のプレゼンにおいて、
いざという時になってその自慢のディバイスが動かない、
なんていう、恥の局地、にある筈の、
普通であったら、すっかりとパニックに陥っては、
おい、馬鹿、責任者出てこい、とヒステリックに怒鳴りたくもなるであろう、
その突然のアクシデントの中で、
あの普段と変わらぬ飄々とした態度のままで、
まあそう、こういうこともあるさ、と、何食わぬ顔で世間話なんてものを続けながら、
そう、誰も気付かないであろうが、誰もが知っているあのスティーブ・ジョブスの姿。
その、あまりにも凄まじいまでの肝っ玉ぶり。
そしてスティーブ・ジョブスの中にあったその肝っ玉、
それを支えるものは、まさにあの筋金入りの親分気質、
つまりは、全てが全て自己責任、
なにがあろうと、全てがスティーブ・ジョブス自身が責任を負う、
良い意味でも悪い意味でも、スティーブ・ジョブスを支えたものとは、
徹底的に他人を宛てにしない、
その凄まじいまでの当事者意識、ではなかったのか。

と同時、そう、待たせたたね、
まさに、そう、我らがベビーメタル・中元すず香嬢。

ありとあらゆる状況下において、いついかなる時にも、
あの決して微動だにせぬ辛辣な態度。

そして改めて、もしもあの大晦日の大ステージ、
ベビーメタルが、もしかしたら出演するはずであったのに、
なんていう、そんな思いを込めながら、
もしも、あのステージで、
ベビーメタルが未曽有のテクニカル・ディフィカルティに襲われたら、
そんな場面を想像しながら、
果たしてすぅめたるは、そして、ユイは最愛は、
そんな絶体絶命にどう対処しただろうか。

中元すず香嬢は嘗て、ステージにおいて、
あるべきはずのマイクが手元にない!
というその絶体絶命の危機の中で、
あろうことか、何食わぬ顔で、歌なしで踊り続けていた、
そのあまりにも自信に満ちた姿、
強烈なまでに気合の篭ったその踊りの中で、
ほとんど全ての人々が、それを演出、と信じて疑わなかった、
そんなエピソードが語られている。

そう、中元すず香とは、まさにそういう人なのである。

あの東京ドームのステージで、
最後の最後にすってんころりんと尻もちをついた、そんな時にさえ、
きゃははは、と笑いながら、ねえ、ゆい、最愛、あんたたちも気をつけなね、
と手を差し伸べていた、あのすぅめたるの姿。

そう、すぅめたるは例えステージの上で転んだとしても、
なに喰わぬ顔をして、転んだままで歌を歌い続けていた筈である。

そしてもしも、このベビーメタルのステージにおいて、
まさか、イヤモニが聞こえない、なんて時になったとしても・・・・
そう、前例があったではないか、
あの、ソニスフィア、その一世一代のステージにおいて、
最愛のイヤモニが聞こえなかった、あの時、果たしてベビーメタルはどうしたのか?
そう、一瞬の戸惑いの中、そこで交わされた一瞬の視線の後に、
最愛は何食わぬ顔で、ステージを続けたのである。

賭けてもよい、もしもあの大晦日のステージで、ベビーメタルのイヤモニが、
あるいは、それを上回るテクニカル・ディフィカルティに襲われたら、

いや、ベビーメタル、このベビーメタルにだけ限って言えば、
そんなものは大した問題ではない、筈なのである。

例えイヤモニが聞こえなくても、
すぅめたるは歌い始め、そして歌い続けた筈である。
すぅめたるが歌い始めたとき、ユイは最愛は、
その踊りを、あの神がかりのシンクロダンスを、
何食わぬ顔どころか、
この逆境を跳ね返すべく、二倍三倍のパワーを込めて踊り続けた筈である。
それはもしかすると、アカペラで歌うベビーメタル。
それはそれで、まさに、天地を揺るがす凄まじいステージになったのでは、
と確信する訳だ。

そして改めて、このベビーメタルという人々の強さ。
このベビーメタルというティーン・エイジャーのダンスユニット、
その人達に対する世界中からのあまりある尊敬と畏敬の念が、
果たしてどこから生まれてくるのか。

まさにそう、こんな時、そんな時、
いやいや、ベビーメタルであれば大丈夫。
全てのことを、絶対の絶対に倍返しにしてくれる筈、
そのゆるぎのない確信なのだ。

あの嵐の中で、集中豪雨の中で、気の遠くなるような酷暑の中で、
そして、お決まりのテクニカル・ディフィカルティの中でステージが半減されてしまった、
そんな危機的な状況の中でも、
ご存知、ベビーメタルは、その集中力を一切途切れさせること無く、
いついかなるときもどんな状況においても、
フルパワーの超絶なステージを繰り広げては完遂し、
それをまさに、倍返しにしてやり遂げて来たベビーメタル。

その凄まじいまでの当事者意識。
そしてそれを支えるのは、まさに日々の鍛錬を礎とした、
鋼鉄のようなプロ根性、であろう。

という訳で、あらためて、このマライア・キャリーの醜態の様を見ながら、
その自暴自棄な本音的な態度の露呈の中に見る、
アメリカという国のそのあまりにも不様な慢心ぶり、

とそして、今後、正真正銘の倍返しを前にした、この日本という国の、
そのお手本というものが、まさに、ベビーメタル、
その姿の中に、集約されている、と考える訳である。

という訳で、いつもながらも、強引なこじつけではあったのだが、

世のすべては、ベビーメタルに帰する、そんな日常を送る俺にとって、
生活のすべてにおいて、ベビーメタルを模範とするべし、
その真意に変わりはない。

という訳で、このマライア・キャリーの醜態を見るまでもなく、
アメリカという国はすでに底も底。

動いているのは雲の上の資本ばかりで、
その根底を支えるはずの人々が、まさにもうヤケクソも自棄糞、
そこにはプライドはおろか、プロフェッショナル意識の欠片もない、
そんな投げやりな空気が満ち満ちている。

そんな末期的な英国病の中にあって、
このベビーメタルという人たちが、どれだけ目に眩しく映るのか、
想像してみて欲しい。

このホンネで語る暴言王・ドナルド・トランプを大統領に迎えるにあたり、
喜んでいるのは、まさに池沼クラスの赤首ゾンビーな連中か、
あるいは、短期的な収益ばかりに猛進しては、
その後のこと、子どもたちの未来、なんてものにはこれっぽっちの関心も示さない、
そんな単細胞なピラニアのような連中ばかりである。

いまや、アメリカ中のほとんどの人々が、その社会に希望を失ってしまった。
あるいは、これまでアメリカという国を支えてきたその根本的な理念そのものに、
心の底から絶望し、そして辟易してしまっている。

そしてまさに、そんな世のすべてに辟易としていた俺を救い出してくれたのが、
まさに、我らがベビーメタル、その辛辣かつ全てにおいて徹底的に真摯である、
あの、揺るぎなき純潔さ、その潔癖さ。

世の中の失ってしまったものの全てが、このベビーメタルに集約されている、
そう思っているのは、俺だけではない筈だ。

という訳で、この2017年、俺は確信を込めて、
世界中の人々が、まさにこのベビーメタルを待ち望んでいる、と言い切りたい。

ましてや子供を抱えたアメリカ人家庭。

あの暴言王のドナルド・トランプを、アメリカ国民の見本として讃えたいか?
あるいはこのマライア・キャリーの姿を、世紀の歌姫として憧れたいか?

まさかまさか、である。
まさにその逆。
その大統領の姿を、あるいは憧れのスターを前に、
思わず子供に目かくしをしたくなる、そんな輩ばかりではないか。

そう、世界はすでに徹底的なまでに、
その憧れを、その尊厳を失ってしまったのだ。

それを埋めてくれるのは、まさに、ベビーメタルしかない。

俺はそう思っているのである。

世界の待ち望むベビーメタル。

世界が再び、愛を希望を、そして、尊厳を取り戻すには、
まさにベビーメタルの力が必要なのだ。

と同時に、このベビーメタルの姿を前に、世界というものが失ってしまった、
その損失のあまりの大きさに唖然とするばかり。

という訳で、新年早々、投げやりな嫌世感に満ち満ちたこのアメリカ。

列車事故から空港でのガンの乱射から、そのなにからなにまで、
まさにヤケクソ、まさに自暴自棄。
日々の地下鉄の中にあってさえ、押すんじゃねえ、触るんじゃねえ、
このやろう、ぶっ殺されたいか、
そんな投げやりな陰鬱なヒステリーが満ち満ちている、
そんな中で、たったひとり、意気揚々とアゴを上げては、
この糞デブ共、道を開けろ、ベビーメタル様のお通りだ、と闊歩している俺。

世の中でなにが起ころうが知ったことではない。
そう、俺にはベビーメタルがいる。

2017年の新年を控えたこの大晦日のマライア・キャリーの大醜態を前に、
信じられるものはベビーメタルだけ。

その志を新たにした幕開けであった、と。

という訳で、蛇足ながら、
アメリカ、もうダメかも知れねえな、と思っている。
少なくとも俺はもうこの国に夢も希望も憧れさえも感じることはできない。
だからと言って、そしてそんなアメリカを、事情もよく知らずに盲従しては、
安易なお友達外交なんてもので、隷属する以外に術のない、
そんな国に帰る気もサラサラないのだが。

そう、世界のどこにあろうと、俺は俺。そして俺はベビーメタルを聴いているのだ。

2017年の始動の中で、俺は徹底的に俺自身以外は信じないぞ、
あるいはそう、気分はもうベビーメタルだ。

世界中のアウェイのステージを倍返しにしてきた、
あのパワーを、心意気を、絶対に忘れたりはしない、
そう心に刻み込む日々なのである。

そしてそんなベビーメタルが、まさにそんな絶望した世界の人々に、
希望の光を灯す日を、待ち望むばかりである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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