Loading…

呪われたグラミー賞 ~ 神々に見捨てられた祭典

Posted by 高見鈴虫 on 13.2017 音楽ねた   0 comments
雨の日曜日である。
朝からみぞれ混じりの激しい雨が降り続く中を
野暮用で外出せねばならず、
帰って来たときには全身がびっしょびしょ。
改めて、ニューヨーカーはなぜ傘をささないのだろう。
筋金入りのニューヨーカーであるこの俺も、ご多分に漏れず傘が嫌いだ。
どんな雨の中でも、よほどのことが無い限り、
頭からフードを被っては濡れるに任せていることが多い。
そして雨の中、思い切り不機嫌な思いで信号を待ちながら、
両隣に、そして、交差点の向いに、
似たようなずぶ濡れの連中をみやっては、
こいつら、いったいどこまでニューヨーカー、
と思わず苦笑をしてしまう訳だ。

という訳で、帰ったときにはすっかり風邪をひいてしまった。
ひっきりなしにくしゃみを繰り返しながら、
手元のIPHONEで見るともなく、
ロバート秋山、なんてひとの、シチュエーションコメディをつらつらと。
笑うに笑えぬそのあまりのブラックさに、
ここまでした者しか許すことができない、
そんな俺自身の偏狭を思い知るばかり。

とそんな中、Sup!? のメッセージである。
これからそっち行くぜ、と言われながら、
いや、あの、俺、風邪気味なんだけど、
と返す間もなく、だったらこっちに来るか?

アメリカの2月、
スーパーボウルも終わったこのあまりにも鬱々とした空白の中、
このアメリカで最も陰鬱な筈の季節、
それに加えてこの氷雨に濡れそぼった二月の日曜日こそは、
言わずと知れたグラミー・ナイト、なのであった、と。

という訳で、
だったら、あたしひとりで行ってくるね、と出かけてしまった妻に取り残されるまま、
ソファにひとり頭から毛布をかぶり、
くしゃみと鼻水にこれでもかとSNIVELING:スニーヴリングしながら、
第59回グラミー賞、この(自称)音楽界最大の祭典に付き合わされることになった。

いや、そう、実は、
嘗て、音楽バカ、というよりは、少なくとも人生の10分の9、ぐらいは、
この音楽というものに捧げてきたつもりであったこの俺が、
ここ数年、このグラミー賞、ぐらいしか、最近の音楽、というものを聴くことがなくなっていた、
のである。

そう、俺は音楽に興味を失った。
それは、つまらない、やら、好きではない、という程度の問題ではない。
ぶっちゃけ、最近の音楽、そのどれを聞いていても、虫酸が走る、どころか、吐き気、
それはもう、強烈な拒絶反応の中で、ともするとヒキツケを起こしてしまうほどに、
俺はことに、この近年のTOP40的な音楽に、半ば恐慌状態の中を逃げ回る、
そんな日常を送っているのである。

そんな俺が、一年に一度、唯一、近年の音楽的動向をキャッチアップする、
ともすると、苦行にも似たこのグラミー・ナイト。
普段であれば、友人たちとくだらない冗談を飛ばしながら、
まあそう、俺達が歳をとったってことだろ、なんていう慰め合いの中で終わる筈、
そんなグラミー・ナイト。

今回に限って、俺はたった一人の部屋に取り残されたまま、
手元のIPHONEに次から次へと送られてくるTWITTER的メッセージに苦笑い、
時として辟易を続けながらも、このただでさえ苦行にも近いその茶番的祭典とやらに、
よりによってこれ以上なく不機嫌の状態で、付き合わされることになったのである。





という訳で、ここニューヨークにおいて、グラミーは8時から始まる。
それまでのレッドカーペットの狂騒劇。
それがあろうことか、どいつもこいつも全てが、
よりによってロバート秋山の演じる誰かさんに見えて来てしまったりもする。
そう、このアメリカはハリウッドのあまりにも仰々しくわざとらしく、
なにからなにまでがこってこての作り物、そんな胡散臭いでっち上げ感に溢れた、
このレッドカーペットという奴。
改めて、音楽ってこんなものだったっけ?と。
映画という虚像の中で行われるアカデミー賞であればいざ知らず、
音楽の祭典である筈のグラミーまでものが、ここまで、ハリウッド的にならざるを得ない、
その理由ってのはいったい何なんだろうか。

そんな今更ながらのちゃぶ台返し的な疑問を懐きながらも、
さあ、始まったグラミー賞。

いきなり、8時の時報と同時に登場したのが、まさにアデルである。

今回のグラミー賞、ゲバ評では、アデルか、あるいは、ビヨンセか、ということであるらしい。

アデルか、ビヨンセか?

その双方ともに徹底的にどうでも良い俺。

で、その二大巨塔のひとりである、アデル。
つまりは、もう、この時点で既に、栄冠はアデルの元に、と決まっているようなものではないか。

そっか、アデルという人はそんなに凄い人、である訳なのか、とは思いながら、

その華麗なる幕開けを飾る筈の、つまりは現代音楽界の名実共の女王である筈、そのアデル。

その世界一の歌声に、思わず・・・・ 絶句、してしまった。

んだよこれ。

わたしの記憶が正しければ、このアデル嬢、その醜悪な見栄えとは相対して、
その歌唱力、その美声からパワフルな歌いまわしから、と、
現代の歌姫、真の実力派、である筈。

と同時に、なにからなにまで、まっくろけ、
コクジンのコクジンによるコクジンの為の、そんな米国音楽界の中にあって、
唯一の白人、つまりは、普通人並のIQの人間でも楽しめる筈の、
言うなれば、白人ミュージシャンの最後の牙城であるべき筈の人、であった、筈、筈、筈。

そんなアデルの、そのオープニングのパフォーマンス。

思わず、ひでええ、と、絶句、そして、失笑どころか、
まさに、全身に冷や汗が滲むほどに、これ、なにか、徹底的におかしい。
そう、その姿、まさに、先日のアクセル・ローズの、あの歌唱方法、そのもの、なのである。
声質は良い。声質は良いのだが、なによりも、その肺活量が決定的に足らない。
つまり、声を伸ばせない。低音が支えられない。つまり、歌になっていないのである。

ただ、IPHONEに踊る脳天気な人々からのメッセージ。

WE LUV ADELE
SOUNDS SO GREAT

思わず妻の携帯を鳴らしては、お前らバカか、と怒鳴ってしまった。

これ、完全になにかおかしい。
この人、アデルって人、歌手と言うよりは、ぜんぜん練習していない。
ってか、もしかしメンタルやられてないか?と。

まあ確かに、喉の手術を受けてから、嘗ての勢いは無い、ってのは判るのだが、
いやいや、そんな次元じゃない。
これ、徹底的におかしい。なにもかもがまったくもって全ておかしい。

つまり、と、我が妻。
普段の恨みのすべてを込めたかのように言い放ったその一言。

つまり、すぅちゃん、ベビーメタルに比べては、
アデルでさえもが下手くそに聴こえる、と、
それが言いたいわけ?

ぎゃははは、と笑う人々。
多分、電話の前で、ハイファイブでもやっているのだろう。

バカヤロウ、切るぞ、俺、具合悪いんだよ、と電話をぶち切りながら、
がしかし、そう、実は、それ、洒落でも冗談でもない、というか。
実はこの俺自身が、それを思わなかった訳ではない。

そう、今回のグラミー、
実は俺がちょっとひとりでじっくりと観てみたい、と思っていたその理由というのも、
言うまでもない、
つまりは、我らがベビーメタルが、もしもこのグラミーに登場していたら、
いったいどういうことになっていたのか、そのシミュレーション、
と同時に、
ベビーメタルを知って以来、この俺に訪れた変化、
その変化がいったいなんであるのか、
今回のこのグラミー賞の中に、見つけ出すことができるか、と、
考えていなかった訳ではない。

つまりはそう、ベビーメタル対アメリカ音楽界の全て、という奴。

という訳で、テレビを前に、パーティと繋がったIPHONE。
そこで行われるツイッター的なメッセージのやりとりの中、
次から次へと登場する、
まったくもって、なんじゃこれ、的なアーティストたち。

あのなあ、と思わず。

あのなあ、これは、いったい、なんなんだよ、と。

今更言いたくはないが、なにからなにまでが、すべてすべて、焼き直し。

そのコピーやらオマージュ、というなら判るが、これ、ただの、コピペ、
あるいは、質の悪い模造品じゃねえか。

改めて、このアメリカ音楽界、いったいどうなってしまったのか、と。

何故にここまで、クオリティが劣化せねばならぬのか、その必然がどうしても理解できない。

そう、これではまるで、童謡ではないか。

改めて、と嘗て思っていたその理由とやらを蒸し返す。

つまりは、ラジオを通じて世界を席捲したエルヴィスが、ビートルズが、そしてストーンズが、
MTVというケーブル・テレビ網の登場の中で、マイケルがマドンナが、ガンズがニルヴァナが、
一挙に音楽界そのもののマーケットを押し広げていった訳なのだが、
その拡大しすぎたマーケットが、同時に、音楽など無くても死なないタイプの、
つまりは一般人というレベルに迎合していく中、それがいつしか、ヒップホップの登場と伴に、
黒人のマーケットに標的を合わせては一挙に茶番化、
あるいは、石器時代への退行を始め、
そしていま、IPHONEの登場と伴に、まさに音楽はグローバルを相手にし始めた訳で、
つまりは、音楽通、どころか、ドレミファソ、その基礎の基礎的なところまでレベルを押し下げては、
これまで音楽などなんにも知らなかったレベルの方々向けにマーケットが拡大されていった、その過程。

つまり、そのメロディーの陳腐化は、幼稚園生でも判る程度の、
まさに、童謡的な基本音のリフレイン。

幼稚園生にジャズが理解できないように、小学生にワーグナーが判らないように、
そんな幼稚なレベルの人々に迎合した、
まさに、唖然とするばかりの音楽の劣化、
つまりは童謡化、つまりは石器時代

への退行。

だがしかし、と思わず。

だがしかし、だからと言って、これほどまでに劣化をさせる必要がどこにあるのか、と。

という訳で、最近ちょっと気にかかったコメントの一つ。

つまりはそう、音楽界はビビっているのではないか、と。

つまりはそう、それは日本でも起こっていること。

ヤフー掲示板ではないが、あの、想像力の欠片も見えないような、文切り長調の正論の数々。
そのあまりにもシャローな、直情的な、つまりは、幼稚な、戯言的極論。
ともすれば、中傷、あるいは、揚げ足とりにも思えるほどの、そのあまりにも浅はかな、正論的非難の数々。

そう、選挙の前、なんてときになって、俺のこの糞ブログにさえも押し寄せてきた、
あの、誹謗中傷的な、つまりは、ネトウヨ的な、脊髄反射的な幼稚な正論の津波。

マスゴミ界が盛んに扇ぎ立てる、あの、炎上、という現象のことである。

そう、日本と同様、ここアメリカでも、そんな、幼稚な正論による、炎上を、
すべての人々が、社会現象、と認知している訳で、
それは、音楽界においても同様。

つまり、音楽界は、そんな、炎上に、びびっては、迎合をしてしまっている、というのである。

IPHONEの時代を象徴する、この、SNS という新しいコミュニケーションの革新。

実は、この糞ブログが、ベビーメタルの一言を綴ることによって俄な注目を浴びることになった頃、
そのいきなり押し寄せてきたコメントの数々に心底驚愕し、そして一喜一憂を繰り返していた頃、
心ある賢者からのメッセージ、
寄せられたコメントに返答してはいけない。
ましてや、そのコメントを公開してはいけない。
寄せられたコメントにコメントが応答し、いつしかそれは、
コメントによるコメントの泥仕合の場へと変わり、
そして、いつしか、これでもか、とあなたを傷つける誹謗中傷の中で、
あなたのブログは閉鎖に追い込まれることになる。

事実、そんなコメントの炎上の中で、ブログの閉鎖を余儀なくされた方からの、
心からのメッセージであった訳なのだが、

そう、まさしくそれは、故意に炎上を目的としての何者かの画策。

そして俺はその炎上目的のコメントの中に、
明らかに広域宗教団体、あるいは、悪意に貫かれた政治団体の臭いを、
確実に嗅ぎ取っていたのである。

そう、改めて、心あるコメントをお寄せいただいている皆様。

もっと謙虚に生きてください、ではないが、
まさに人生の軸がぶれるほどの衝撃的なお言葉も含め、
実に実に、学ばさせて頂けることも多く、と同時に、この人、まさか、神通力、
よもや俺の心の奥底のすべてを見通したような、
そんな恐ろしいまでに的を得たお言葉、
なんてのを頂く中で、
良い意味でも悪い意味でも、このインターネットというコミュニケーション革命の、
その凄み、というか、そのあまりの面白さ、
そうして知り合うことの出来た名も知らぬ魂の友の方々の存在も含め、
遅ればせながら、そのありがたみと同時に、その怖さを、
心底、痛感させて頂いている次第なのである。

ただ、そう、そんなインターネットというコミュニケーション革命、
良い意味でも悪い意味でも、
まさに、海を越え山を越え、国境も言語も人種も宗教も越えた人類が、
一挙に同時的に繋がってしまった、という訳で、
古くはアメリカ・オンラインから、ナップスターから、あめぞう掲示板から、2チャンネルが分離し、
フェイスブックからツイッターから、そして、このクラウド的な世界、
そんなインターネットの歴史を身を以って経験してきた俺としては、
ある意味、予想通り、というか、と同時に、ある意味、なぜこんなことに、と唖然とさせられる、
一種、人間の業、あるいは、その底を垣間見せられるような、
そんな錯綜の中でいまも生き続けている、その激動は、十分に理解しているつもりではある。

という訳で、そう、このグラミー賞における音楽界の劣化。

嘗て、ベビーメタルの出演したミュージック・ステーションへの寸評を綴った糞駄文
ー>籠の鳥のBABYMETAL ~ 狐火地獄の中で敢えて地雷を踏む

その暴言を綴った途端、まさに、雨あられのように降り注いだ、あの、強烈な憎悪に溢れた毒矢の数々。

ふざけるな、なにさまのつもりだ、死ね、ぶっ殺す!

見も知らぬ赤の他人、は愚か、どこの誰とも知らぬ人々からの、そのあまりにも強烈な悪意の塊。

つまりはそう、全世界が、そんな無責任な激情、あるいは、確実にある種の目的を持った悪意の元に、
そんな炎上に恐れ慄いては、その炎上のリスクをいかにして回避するか、そんな方向に、動かざるを得ない、
そういう時代が、まさにいま、巻き起こっているということなのだろう。

改めて言えば、見ず知らずの人々にいきなりそういう悪意をぶつけることは、普通の人間のやることではない。

つまりは、そういう悪意をぶつけることに、なんらかの必然性、つまりは、ケツ持ち、を確信している、
ぶっちゃけ、そう、なんらかの団体から、その団体からの使命を元に行われる、この組織的な炎上活動、
これは明らかに、世論操作を目的とした洗脳行為に他ならないのではあるが、
悲しいかな、そう、世界はその洗脳の強要的な組織的炎上活動に、迎合をしてしまっているのである。

その結果が、つまりは、世界的なネトウヨ化、ブレキジット、あるいはこのトランプ・ショックを例に出すまでもなく、
世界はいま、まさに、直情的な脊髄反射的脳停止状態の中での、炎上的世論操作の中に踊らされるばかり。

そしてこのグラミー賞、
音楽という、一種、自由思想の土壇場であるべきはずのこの祭典において、
俺はそこに明らかに、そんな思想操作に迎合をせざるを得ない、
その現代の宿命という奴を、感じ取っていたのである。



という訳で、その次から次へと繰り返されるそのあまりにもチンプなちーちーぱっぱ的愚曲の数々。
改めて、人類はなにゆえにここまでバカになってしまったのか。

このあまりにも劣悪な模造品的な愚作の山。
人類はまったく進歩していない、どころか、アイデアの枯渇に枯渇を続けては、
煮詰まりに煮詰まりきった末に、一挙に退行を繰り返した結果の、
これぞまさに、IDIOCRACY、そのものではないか。

という訳で、そんなグラミー賞、その茶番的な愚曲に心底辟易しながら、
改めて、そう、これは、言ってはいけない、これだけは言いたくはないのだが、

そう、俺のこの極限までの不機嫌、その原因となるこの魂の叫び。

なぜ、グラミーは、ベビーメタルを出さないんだ!

と思わず、手に持ったスティックを、壁の巨大モニターに向けて投げつける、
そんな衝動を抑えるのに、どれだけ苦労したことか。

ああ、こんなもの見せられるぐらいなら、さっさとチャンネルを変えては、
またいつものように、あのベビーメタルの麗しき世界に立ち返りたい。
そう、俺はもう、このアメリカなんてものには、まったく、なにも期待などしていない。

この国は終わった。もうなにひとつとして、なにも残ってはいない。

ポップがヒップホップに迎合し、
ヒップホップはそのすべての毒を抜かれてはポップスに迎合し、
ロックがカントリーに迎合し、カントリーはその全てをちーちーぱっぱの模造品として捏造を繰り返す。

大量消費を宿命としたここアメリカのあまりの保守性。
その底の浅さ、その知的レベルの低さ、つまりはそう、全てに全て、迎合をせざるを得ない、
その宿命的な白痴主義。

そしてこのトランプ時代の悪夢を前に、世界の全てがそんな、石器時代の中に退行の坂を転がり落ちていく。

ただそう、俺はもう、そんな愚痴は言う気はない。
そう、俺は既に、脱出口を見出しているのである。

そう、ベビーメタル。

俺のこの、心の底からの落胆、その全てをかけて、ベビーメタルという存在に、人類の救済を見ているのである。

という訳で、あぁあ、バカバカしい、とひとこと。

このバカなアメリカ人、まったくも、付き合ってられねえ、というか、もうそんな気もさらさらねえよ。

バカはバカで、つまりは、IDIOCRACYはIDIOCRACYの中で、
永遠と同じところをぐるぐる回っては退行を繰り返していれば良い。

俺は勝手にベビーメタル。そう、俺はベビーメタルだけでもう十分だ。
後はなにがどうなろうと、知ったことでもねえ。

ただ、そんなことを思いながらも、俺はしかし、この糞グラミーから目を離すことができなかった。

ただそう、俺はあのオープニングを飾ったアデルのパフォーマンス、
その中に潜んでいた、悪夢とも取れるその狂気の影を思い出しながら、
このグラミー賞、絶対になにかあるぞ、そんな不穏な確信を抱いていたのである。

このあまりにも茶番的なグラミー賞。
人類の退化をこれでもかと見せつけられるこの祭典の中、
そう、事実は小説よりも奇なり、
その予めの策略の全てを凌駕するアクシデントが、
必ずや待ち構えている筈、なのである。



という訳で、本来的にはまさに、世界中を魅了する音楽の祭典、
の筈が、胃が捻くれそうなほどの苛立ちと同時に、
まさに背筋を鳥肌が走り抜けるような不吉な予感、
そんな思いを懐きながら、見つめ続けたこのグラミー賞、
ではあったのだが、
その不吉な予感が、ビヨンセの登場とともに、一挙に吹き飛ばされた。

ビヨンセ、
良い意味でも悪い意味でも、
現代の茶番的な悪夢の音楽界の中にあって、
名実ともに、その真の女王として君臨するこのビヨンセの登場の中、
その、クレオパトラ、というよりは、インドのタントラ的なLSDトリップさえも想像させる、
その夢と現実が錯綜した映像的世界の中での幽玄的パフォーマンス。

これ、まさに、イリュージョン、つまりは、幻想だろう、と。





俺は実は、今後のベビーメタルの展開において、
初音ミクとの共存、的な戯言を並べていた覚えがあるのだが、
それこそはまさに、この、映像的技術を駆使しての、ベビーメタルという存在のフォノグラム化、
つまりは、ステージの上のベビーメタルが、巨大スクリーンは愚か、
まさに、3D、あるいは、ヴァーチャル・リアリティー的に、
会場中を所狭しと飛び回り、踊りまわり、そんなベビーメタルの姿が、
まさに、目の前、手を伸ばせば、どころか、鼻と鼻が擦れ合うほどにまで、
いきなり目の前に登場しては、そのまさしく仮想的映像的の中で、縦横無尽に暴れまわる、
そんな新境地を、想像していた訳であるのだが、
そう、このコンピューターグラフィックの映像と完全に一体化したステージ構成、
それこそはまさに、マニュピレーターとの完全融合を成し遂げたベビーメタルが、
次のステップとして進むべき道、そのもの。

このビヨンセのステージ、というよりは、そのフォノグラム的な映像の中に、
その確かな手応えを確信するにいたり、
うっし、ベビーメタル、こんなビヨンセの子供だまし的な紙芝居など屁でもない。
日本の先端技術の粋を結集しては、ベビーメタルのステージがテクノロジーの最前線と化す、
そんな熱き思いに、俄な興奮を覚えていた訳であるのだが・・

そんな思いが、いきなり、水疱と化した、まさに、ミュージシャンとしての、悪夢。

アデルの二度目のステージにおいて、思わず、唖然、どころか、
完全に脳みそがうねうねから、真っ白けになるほどの、
とてつもない、大醜態になった、あの、やり直し、の珍事。

これ、音程:チューニング、どころか、リズムから、なにから、
なにもかもが、てんでんバラバラ。

思わず、糠味噌が腐る、ではないが、んだよこれ、と大爆笑は愚か、
まさしく、身も凍りつくような、悪夢、そのもの。







ああ、この人、絶対音感ないんだね、とか、
喉の手術からこの方、ろくに練習もできねえんだろうな、やら、
これ、まじで、ちゃんとリハやったのかよ、とか、
そんな諸々な、情け容赦のない正論、
そんなものを吐き散らすまでもなく、
これ・・・ あんまりにも、酷すぎる、いくらなんでも、アデル、可哀想過ぎる・・・

で、あろうことか、いきなり歌を中断したアデル、

え?やり直し?・・・・

そんなまさに、小学生のピアノの発表会のような珍事が、
まさに、世界の音楽の祭典のその場で・・

という訳で、スニーヴェリングどころか、
泣きながら歌い終えたアデル。

多分、ステージに立っているだけでもやっとだったのではないだろうか・

ただ、しかし,悪夢はそれだけでは終わらなかった。

この、糞のようなエレベーターミュージックの山、
唯一の救いは、テクノロジーの醸し出す、CG的なフォノグラム?
おいおいおい・・・
と、そんな中、突如として火の出るように鳴り響いたロック・サウンド。

出た、メタリカ!

そのメタリカが、なんとなんと、いきなり、レディー・ガガとの夢の競演である。

前述したが、レディー・ガガ、元々は、メタル・オタク、であり、
そして、ポール・ダンサー、つまりは、トップレス嬢をなりわいにしていた、
そんな強烈なロック馬鹿である。

その面目躍如。

先週のあのスーパーボウルでの神がかりなパフォーマンスの直後に、
なんとなんと、我らがメタリカと、その超絶のステージでまた新たな神降ろしか。

そのまさに火の出るような、強烈なロックサウンド、思わず、来た~!と絶叫を上げてしまった訳なのだが、

おい!おいおい!おいおいおい!

なんと我らが鬼神・ジェームスの声、それを拾うはずのマイクが、入っていない、じゃないか!

えええ~、思わず、膝の力が抜けては床にひれ伏しそうな、そんなもう、まさに踏んだり蹴ったりのグラミー賞。





レディー・ガガの機転から、マイクをシェアして、と苦肉の策の中でステージを終えた訳だが、
そのパフォーマンスの後、これ見よがしにマイクスタンドを蹴倒すジェームス。
そして、ギターをアンプに叩きつけ、そのまま、アンプそのものを担ぎ上げては客席に放り投げ、

となる前に、ゴリ押し的に幕が閉じられてしまった訳で・・・

これ、偶然、としたらあまりにも、不運すぎる。
だがしかし、これをわざと、としたら、あまりにも悪意過ぎる、

まさにこのグラミー賞、呪われた、というにはあまりにも呪われた、
まさに、神々に見捨てられた祭典、そのもの。

悪い予感が的中してしまった、しかも、俺が最も期待していたその唯一の救済となるべくその舞台において・・

ただ、そんな大醜態を晒した筈のアデルが、賞という賞を独占、となったこのグラミー賞。

なにかがおかしい。なにかが、徹底的におかしい。おかしすぎる。

どんな馬鹿でも、そのぐらい気がついたであろうこのグラミー賞。

ただ、唯一の救いとしては、言わずと知れたブルーノ・マーズ。

ジャームス・ブラウンと、マイケル・ジャクソン、そしてそして、プリンス!

その全てを集約したような、まさに、天才の中の天才の中の天才の中の天才。

グラミー賞直前の60ミニッツの中での独占インタビューに登場したこのブルーノ・マーズ、

プエルトリカンの父と、そして、フィリピン人の母を持ってハワイで生まれ育ち。
幼き頃から、ハワイのホテルで毎夜毎夜行われる観光客相手のショーに出演しては、
ドラムからギターから、歌から踊りからの全てを一流プロ並みにこなす、
まさにそう、天才の中の天才。

そこにまさに、あのプリンスの面影を観るわけで、そのブルーノ・マーズの繰り広げたステージ、
そのパフォーマンスのあまりの素晴らしさ。

そんなブルーノ・マーズが、よりによって、プリンスのトリビュート、
あの、紫のラメラメの衣装に身を包み、
そして、多分、プリンス自身が使っていたあのプリンス印の特製ギターで、
かの THE TIMEのメンバーを率いては、LET'S GO CRAZY!





この、呪われたグラミー賞、その抱腹絶倒さえもできない、
このあまりにも醜悪な祭典の中で、唯一、その尊厳の全てを発露した、
この、あまりにも壮絶なステージ。

ブルーノ・マーズか。やっぱりな、と思わず。

嘗てのあの、スーパーボウルでの、とんでもないステージから始まり、
もう、この人しか、いないっしょ、とは誰もが思っているであろうこのブルーノ・マーズ。

まさに、このあまりにも呪われきったアメリカの音楽界を、倒壊から救うべく降り立ったまさに音楽の神の申し子。

思わず、大歓声、どころか、ああ、良かった、本当にこの人がいてくれてよかった、と、
まさに、このブルーノ・マーズに、救世主の姿を見たのは、グラミー関係者だけではないだろう。

で、敗因?

決まってるだろ、

音楽界の真の実力者、

つまりは、ベビーメタルを出演させない、ことに対する愚、

そして、今年、どころか、ここ数十年の中では、まさに珠玉の名盤であった筈の、

RIHANNA の ANTI。

->リアーナ ~ 不穏な春を妖艶な狂気に包まれて

これが徹底的に無視された、その結果、では無かったのかな?

その理由?
それはつまり、このグラミーの選考員の目が節穴だから?
いや、それだけとは限らない。

つまりは全てが出来レース。

つまりは、そう、音楽は既に、その息の音を止められようとしている訳なのだろう。

そして音楽の死んだ世界。
音楽が消えたら、灯りを消すんだ、ではないが、
そう、それは嘗て綴ったこの糞駄文、それが予感していたもの、

-> アメリカをアメリカたらしめているもの ~ バルベイドス移民のリアーナがアメリカを歌う意味

音楽の潰えた世界、それはまさに、人類の理知の死、をも、意味している、というのは考えすぎだろうか。




という訳で、結論。

ベビーメタル、今回のグラミー、でなくて正解。

出ていたら、メタリカどころか、まさに、すぅちゃんのマイクを切られていた、なんて、
そんなことになったであろうことは必至。

改めて、この間のマライア・キャリーではないけれど、
このテクニカル・ディフィカルティ、

あまりにも、あまりにも、呪われすぎている、どころか、

どう考えても、??? と懐疑的にならざるを得ない、そんな気がしている今日このごろ。

アメリカ、本当に大丈夫か?

心底そんな不安に駆られる、音楽の祭典、であった、と。

改めて、ベビーメタルはそんな世界へと戦いを挑もうとしているのか、
と、あまりにも絶望的なまでに、ちょっと暗澹とした気分にもさせられる訳で、

或いは、もう、アメリカ、良くねえか?と言うか、こんなアメリカなど、もう相手にしなくても良いのでは?

とは思いながらも、そう、世界征服の野望である。

まさに、生半可ではない多難の道であることだけは、確かなようだ。


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム