Loading…

ハンドメイドのベビーメタル ~ 中元すず香が自身の詩を歌う時

Posted by 高見鈴虫 on 26.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
ははは、どうしたました?暇なんすか?

いやあまあそう、ガンズのサポート以来、
アップデイトがないですからね。

そうわかりますわかります、
つまりはベビメタ・ロス、というか、
まさにこれ、禁断症状、ってやつですよね。

ひめたんと水入らずに過ごされている筈のすぅちゃん、
もしかして、二人でお料理ばかりしていて、
或いはそう、久々の骨休め、
故郷の広島に返っては大好物のお好み焼き三昧。
レッチリのサポートの頃には、見違えるようなグラマー・バディ、
なんていう事態になっていないことを・・・
いや、そうれならそれで、わりと、なんというか・・ むふふふふ ❤

はい、育ち盛りですからね。
多感なお年頃です。

そしてそんな姫様を見守る爺やたちは、
そのご多感ぶりに日々、ハラハラどきどき、
ただ、それこそが、なによりの楽しみ、
という訳で、ますます成長を続けるベビーメタル、

果たして、次にお会いする頃には、
いったいどんなお姿になられているのか、
いまから、わくわくどきどきでごじゃります。



という訳で、毎回ながらしょうもない前フリでしたが、
で、今回のネタってやつなんですが、

そのネタの本題に入る前に、
その序章、というやつで、我が家の愚妻の暴言から始めさせて頂きます。

やっぱりさ、ONE OK ROCK の方が、すごいと思わない?

というかみさん。

だってさ、少なくとも ONE OK ROCK、その曲、ぜんぶ自分で作ってるんだよ。

そう、ONE OK ROCK、その殆どの作詞作曲は、
メンバーのボーカリストであるタカ、こと、森内貴寛氏が行っている、らしい。

つまり、ONE OK ROCK のうたこそは、真のメッセージ。
クリエイターとパフォーマーが一体化した、正真正銘の心の叫び、でしょ。

実は我が家の愚妻、
日本に帰国していた際、この年末に放映された、
「NHKドキュメント ONE OK ROCK 18祭(フェス)~1000人の奇跡 We are~」
なるものを鑑賞した際、
思わず、泣きじゃくってしまった、とのことで、

それ以来、なにかにつけて、ONE OKE ROCK、
すっかりワンオク信奉者になってしまったようなのである。








まあねえ、俺もまあ、嫌いではないけどさ、と言葉を濁しながら、
そう、なにより、この、18祭、
この、超絶的感動映像なんてものを見せられて、
ワンオクが嫌いな奴など、この世には存在しない、してはいけない。

とは思いながらも、
正直なところ、だからと言って、
そう、先日の駄文 「ロンドンは揺れていたか」、ではないが、
->そして少女は海を越えた BABYMETAL LIVE AT WEMBLEY ~ ベビーメタルが世界のBABYMETALになった時

その動作の一挙一動に耳を研ぎ澄まし目を皿のようにしてはモニターにへばりつき、、
時としてコマ送りに、静止画像を数百倍に拡大して、
そこまで掘り下げようとまでは、
なかなか思えない、というのはまあ当然と言えば当然のこと。

ただ、そんな俺に思い切り不満げなかみさん。
で、なにを血迷ったか、
だって、と、一言。

だって、ベビーメタルは、曲も歌詞も、自分で作っていないんでしょ?
だったら、ただ、他人に言われて、歌わされ、踊らされているだけ、なんじゃない?

それはつまり、そのコピーライト、つまりは印税の受取先、と、
そういうことが言いたい訳なのか?
いやはや、それに関しては拙者も実は並々ならぬ関心がごさってな、
そう、作詞作曲にクレジットされない限り、
ミュージシャンはただステージをその場限りの仕事としてこなすだけの短期派遣労働者。
売れない糞バンドであったころは、貧乏長屋の住民よろしく、
みなおしなべてド貧乏。和気あいあいと傷の舐めあいをしていれば良かったのだが、
ひとたび、なにかの間違えで売れてしまったりすると、
そこに明らかに、メンバー間の収入格差、という問題が絡んで来るわけで、
そう、つまりは最近一番ホットな格差問題である。

そうなんだよ、大抵のバンドが、その印税の絡みで揉め始めて、
とまたまた穿った深読み的妄想が暴走を始める訳だが、
どうやらかみさんの言うのはそいうことでもないらしい。

つまり、歌謡曲のアイドル歌手よりも、シンガーソングライターのほうが偉い。
何故かと言うと、アイドル歌手は事務所の操り人形に過ぎず、
そこを行くと、シンガーソングライターこそは、クリエイター。
その印税の額、ではなかった、
そう、つまりは、自分で作った曲を、自分の言葉で歌って踊って語りかけて。
事務所の操り人形に過ぎないアイドル:偶像的な歌手に比べ、
そんな自前的クリエイターは、アーティストとしての、格が違う筈である、
と、まあそういうことを言っているようでなのである。

と、そう言えば、と最近頂いたコメントの中で、

メタリカの歌う、魂の叫び、やら、
-> ベビーメタルの敗因 ~ メタリカとはいったいなんだったのか その蛇足的解釈
ガンズが体現した、無法者の中の無法者の美学、
-> さらばガンズ ~ ROCK IS NOT DEAD!WE ARE BABYMETAL!
それこそはまさに、気剣体一致、
つまりは、アーティストのその為人:ひととなり、
その生き様に裏打ちされたメッセージと思想とそのすべての体現こそが、
真のリアリティを生むのである、
それに引き換えベビーメタルは・・・

なんてところから、

いつか、すぅちゃんの作ったすぅちゃんの曲、
その一から十まですべてすぅちゃん、
すぅちゃんが自身の言葉で唄うすぅちゃん自身の心の歌、
その歌を、その姿を、待ち望むばかり、

とまあ、そんな魂の叫び、を熱く熱く語っておられる賢人の方々。

つまりそれこそは、この、ONE OK ROCK
この18フェスの感動的なステージのその真髄ともなる訳で、

ベビーメタルが自身の言葉で綴った自身の歌、
果たしてどういうことになるのか、
そんな想像を、巡らせて見なかった訳ではない。



とそんな時、この狐火的な思考の錯綜の中、
ふと思い浮かんだこと、

果たしてすぅめたるは、同年代の青少年少女たちに、
いったいどう思われているのだろう。

そう、このONE OK ROCKの18フェス、
その主役となった、まさに、すぅめたること中元すず香と、
同世代の人々。

果たして、ベビーメタルが、この18フェスに参加し、
同世代の若者たちとともに、
その、夢と希望と苦悩と焦燥とを、
分かち合うことができるのであろうか。

18歳、あるいは、19歳、
まさに、若き飢エイテルの悩み、ではないが、
青春という、なにもかもが揺れ動く、多感な季節である。

果たしていまどきの19歳が、いったいなにを考え、なにを求めているのか。
その本当の本当の魂の叫びを、
すぅめたるはその歌に、托したいとは思わないのであろうか。

そう、今となってはまさに前世紀の話、となってしまったが、
こんな爺やにも、確かに、18、19の頃、というのは確実に存在した。

そう、この世のどんな老醜にも、
人間とは思えないくそ爺いにも、妖怪のようなくそ糞ババにも、
青春というものは確実に存在した。
そして、それは何者にもまさに信じられないことではあろうが、
そんな若き日の記憶は、しかし確実に、その当人のうちに、
今なお存在し続けているのである。
-> 二十歳の頃 ~ 枯れ木も鶏ガラもシャンパンの泡に揺れ

そしていま、今となっては遠い遠い記憶となっている筈の、
そんな若き日々の甘い思い出が、
実はこの21世紀、
YOUTUBEなんてものでちょちょいと検索をかけたとたん、
いきなりその生々しいばかりのあの怒涛の日々、
赤裸々なまでに眼前に晒されてしまったりもするのである。





そう、あの青春の日々、
遠い思い出、やら、甘い記憶、
ああ、若い頃は良かったよな、
なんていう、いかにも親父的な戯言とははまさに程遠い、
日々怒涛の七転八倒を繰り返す、
そんな悶絶に悶絶を重ねる日々であった、
というのが紛れもない真実。

少なくとも俺が19歳の頃、
頭の中はしたいやりたい、そればかり、
というのが実は嘘、ではないのだが、
やはりそう、将来への不安から始まり、
そして目の前に立ちはだかる社会、
つまりは大人の世界に対する反抗心、
と同時に、不安と恐れと焦燥の中に身を捩る、
そんな思いがあったりなかったり。

そんな困惑と苛立ちと衝動と、
そして抑えるに抑えきれない性的欲求。
そんなものの狭間で、
日々、どころか、時間刻みで、
善と悪が、明と暗が、躁と鬱が揺れ動く、
そんな多感な日々、であった筈だ。

そしていま、そんな19歳、
まさに、青春の真っ只中にあるすぅめたること、中元すず香は、
あるいは、ユイは最愛は、いったいなにを思って、
あのベビーメタルのステージに立っているのであろうか。

そして、そんな同時代的な思いを共有するであろう、
同世代の青少年たちは、
自らの抱えたその悶絶的な葛藤の中で、
いったいベビーメタルに、何を見ているのであろうか。







少なくとも19歳の俺にとっては、
テクニックやら、美声、やら、権威やら、名声やら、
そんなことよりも、
おぱいの大きさやらおしりの形、そんなものでさえもなく、
そういった意味では、青少年、
身体的な魅力よりはやはり顔立ち、あるいは眼差し、
そしてなによりも性格、というよりは、
ぶっちゃけ、その血の滲むような葛藤を心情を、
共有できるか否か、
そんな運命共同体的、ソウルメイト的、
まさに、魂の友。

そんな張り裂けるほどに切実な青春の苦悩の中にあって、
我らがヒーローに求めるものは、
そう、ぶっちゃけ、この魂の叫び、その代弁者。
つまりは、安全地帯よりも、サザンオールスターズよりも、
マドンナよりも、マイケル・ジャクソンよりも、
アナーキーの仲野茂であり町田町蔵であり、
シド・ヴィシャスであり、ジョー・ストラマーであり、
そして、矢沢永吉であり萩原健一であった。

そしてそれがあるものたちには、
尾崎豊でありX-JAPANであり、
そして少女たちは、浜崎あゆみになにかを見て取った。

そんな多感な青少年たちにとって、
果たしてこのベビーメタル。

その前人未到の海外制覇の偉業に対して、
憧れこそできるものの、
だがしかし、そこに果たして、
共感やら、親近感やら、あるいは同時代性やら、
そういうメッセージは一切含まれていない筈。

言ってみれば、そんな戯れ会い的なシンパシーを一切排除した、
遠い遠い、遠すぎる象徴的存在に過ぎないのではないだろうか。

それこそが、ベビーメタルのライブに、
そんな同時代的傷の舐め会いとはいっさい無縁な、
まさに完璧なまでに完成され尽くした芸術品。

そしてそのあまりの高尚さこそが、
世の同時代性からは一切無縁にまでなった、
俺のような老醜極まった爺どもばかりが押し寄せる、
その結果なのではないのだろうか。

だがそう、そこに、アイドルと、シンガーソングライターの違いある。
つまりベビーメタルは、アイドル、偶像、なのである。

人々の作り上げた憧憬という幻想の中、
好いた惚れたの生々しき肉欲的悶絶や、
あるいは、若き悩みに打ち震える魂の叫び的な、
いわゆる同世代的な共時性から遠く離れた、
まさに神懸った象徴となることを運命づけられた、
偶像:アイドル、つまりは、幻想、あるいは、虚像、に過ぎない。

ただ、俺の時代的な価値観で言えば、
アニメやアイドル、つまりは空想的偶像が、
餓鬼、つまりは、小学生レベルのおままごと的な絵空事であり、
中学から高校へと、その憧憬の対象がより身近になるに連れ、
その願望はより現実的なものとして、
その妄想ばかりであった羨望は、
いつしか実質的な方法論と代わり、
明星は平凡パンチへ、グラビアはビニ本へ、そして表は裏へ、
そんな大人的な段階を経る中、
ついには空想から憧憬へ、
そして膨らみきった妄想を経てたどり着いたそのあまりにも生々しい現実を前に、
いつしかあの幼少期の絵空事、
アニメやアイドルという幼気なる空想、
そのあまりにも表層的な偶像の存在は、
いつしか幼稚な空想の戯言的なところで、
排除されていった筈なのである。

その大人的成長の過程、
つまりは、より現実的な欲望の具現化を、
しかし敢えて拒否し、
群像の中にただひたすら虚像性ばかりを追い求める、
このアイドル願望という一種屈折した幼児性的な美学。

近年のアイドル文化に象徴される、
その徹底した妄想美の象徴とされるこのアイドル・オタクと言われる人々、
その象徴的対象としてのアイドル、その進化系であるところのベビーメタル。

そんなドルオタのとっちゃん小僧、
あるいは、いにしえのロック親父、たちから、
手放しの絶賛を浴び続けるこのベビーメタルが、
果たして、その自身の言葉を以って、
同時代的な一体感の中で、その魂の叫びを上げた時、

その詩がいったいどんなものになるのか、
果たして果たして、それはもしかして、

アモーレ、あるいは、シンコペーション、
あるいは、もしかして、こんな曲・・





18歳の揺れ動く青春のそのあまりにも赤裸々な姿を前に、
これでもか、と自身を曝け出しては、
情け容赦無いまでに己の魂のメッセージをぶつけた、
このONE OKE ROCK、
そのあまりにも感動的なステージを前に、

思い切りのドヤ顔を見せつけるかみさん。

つまりはベビーメタルは、ドルオタ親父のアイドルであって、
しかし、クリエイターでもアーティストでも、
ましてや、魂の代弁者でさえない。

つまりは、アイドル、偶像であり虚像であり妄想の具現化であり、
それは他人の目の中で踊らされる操り人形に過ぎず。

そんな短絡的な芸術論を振り回す愚妻にほとほと辟易しながら、

いやでもさ、と、大人の一言。

俺はほら、ドラマーだったからさ。
曲も作らなければ、その歌詞にだって、
時としてまったく同調できないことも多くてさ。

とそう言えば、とまたまた問わず語りのおっさん談義。



ぶっちゃけ、そう、あれはまさく、19歳の夏、
ちょっとしたことで、トラを頼まれたバンド、
いま東京で一番危険な奴ら、
なんていうキャッチフレーズのパンク・バンド。
で、どうすれば、と問えば、いきなり、
まあ、適当にツーバスでドカドカやってくれれば、と。
え?パンクにツーバス?なんで?
という俺に、
ゴタゴタ御託は良いんだよ。
トラはトラらしく言われた通りやってれば、
とその訳の判らない要求のまま、
言われたとおりに1-2-3-4で適当にツーバスでドカドカ、
と、やったその帰り道、
つまりは深夜の新宿、裏通り、
いきなり行く手に立ちふさがったヘルメットに手ぬぐいマスクの集団
その不穏な一団に、矢庭に取り囲まれては、
手に手にかざした鉄パイプ、ならぬ、角材で、
あわや袋叩きのその一步手前。

傷害者問題?無楽解放の?革命的?過激派? 
なんだそれ?

え、だったらおたらくら、
族の集会でも筋者のカチコミでもまやくそーさかん、
でも無かったの?
なあんだ、と思わず笑ってしまった訳だが、
よくよく聞いてみれば、その東京で一番危険なバンド、
その危険さ、ってのが、ツーバスで適当にドカドカ、なんてものにある筈もなく、
ぶっちゃけ、ドラムの位置からは、
いったいなにを言ってるのかさっぱり判らなかったボーカリスト、
あの絶叫に次ぐ絶叫の中の歌詞の中で、、

劣勢遺伝子たる障害者と劣等民族たる不楽民の、
その一挙根絶を歌うエスニック・クレンジング?
つまりは、あいつら、ナチオタ、だったの?
そう言えば、ステージ前に、これ着て、と渡されたステージ衣装、
あれ、確か、赤地に白黒の、鉤十字、
おっ!シド・ヴィシャス、と勝手に喜んでいたのだが、
つまりはそういうこと?
へえ、知らなかった、と。
そう言えば、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルのと、
そんなようなこと、言っていたようななかったような。
と言うわけでいきなりの大爆笑。
ナチオタ?馬鹿馬鹿しすぎる。

でも、ほら、俺、トラのドラマー、
つまりは、ミュージシャン。
つまりは、ただの、楽器職人。
ナチオタであろうが、過激派であろうが、
ハーケンクロイツであろうが、鎌槌の赤旗であろうが、
ジークハイル・ヴィクトリアであろうがインターナショナルであろうが、
君が代であろうが東方紅であろうが、
渡された譜面どおりに、
あるいは、言われれば言われたとおりに、
ツーバスでドカドカ、あるいは、レガートをチンチキ。

イデオロギー?ポリシー?レーゾンデートル?
知ったことじゃねえよ、勘弁してくれよ、と。
それって音楽用語じゃねえだろ?

まあそんなことがあったりなかったした、
あのいにしえの青春時代って奴で・・・

で、なにが言いたいわけ?と呆れ顔のかみさん。

え?なにが?

だから、その過激派とか、ナチオタとかと、
ONE OK ROCKと、ベビーメタル、なんの関係があるの?

え? ワンオク? ベビメタ?なんのこと?



そう、改めて、ミュージシャンはミュージシャン、
ぶっちゃけ、楽器職人、つまりは、テクニシャン、技術者、である訳で、
その看板の色が青かろうが赤かろうが白かろうが黒かろうが、、
言われたことを言われたように、あるいはそこに書かれた取説、
設計図たる、楽譜を元に、要求された演奏を要求されたように奏でる、
それを生業とする特殊技能者である。

あるときは弱者根絶を叫ぶパンクバンドで、
その次の日には、愛と平和を歌うシンガーソングライターのバックで、
言われたとおりに言われた音を奏でる、そんな人々。

ただその演奏技術、
その、音色と、ビートと、その表現力の中に、
魂を注入しては、その、愛や平和や情熱や、時として民族浄化・笑
その、雇い主たるフロント・マンの意向に則った形で、
その表現するものをありのままに、時として、必要以上なまでに表現しつくす、
そう、ミュージシャンとは、あるいは、技術者とは、そういう人種を言うのである。

そしてそんな楽器職人たるミュージシャンの中にも、
熾烈な過当競争、つまりはクオリティとの終わりなき戦いがある訳で、
ロック・ドラマーはより強く、より速く、より正確に、より激しくグルーヴィーに、
その表現力の中で凌ぎを削り、
そして、ボーカリストは、その与えられた楽曲、
その歌声から、音色から、を以って、
その歌詞の中に込められた物語的世界を、
余すところなく魂を込めて表現する、
それを天職とするパフォーマーなのである。

だったら、なにかよ、クラッシクの人々、
マリア・カラスも、プラシード・ドミンゴも、パバロッティも、
ただ、他人の作った曲を歌わされていただけ、の、操り人形と、
そういう訳なのかよ。

ベビーメタルはアイドルであって、オペラじゃないでしょ?

だったら、美空ひばりは、北島三郎はどうなんだ?
山口百恵よりもユーミンのほうが偉大だ、と、そういうことなわけか?

だったら、と、かみさんがひとこと。

宇多田ヒカルは?

ウタダ・ヒカル・・?

そう、実は、我らが暮らすこのニューヨークのアパート、
そのメンテナンス・ガイ、つまりは、ゴミ出しやら表通りの掃除やらをやってくれる、
あの黒人系ラテン男のエルナンド、
あの見るからにナイーヴさのひとかけらもない、
一見して人間というよりはずっとずっとゴリラに近い、
そんな巨漢の黒人が、
実は実は、ヒカル・ウタダの大ファン。





うちのカミさんを見かけるたびに矢庭にホースをマイク代わりに、

Come back, baby, come back to me

と歌い始めては、犬に吠えられる、そんな不穏な黒人なのである。

そっか、ウタダかあ・・



いや、そう、ただ、と俺は、またまたドラマーのドラマー的、
つまりは、決してフロントに出ることのない、
ステージの上での唯一の裏方さんであるところの、
ドラマー的な見解から、ではあるが、
そんな俺でも、そう、曲、を作ろうとしたこともあったかなかったか、
ただ、そんなドラマーの作った曲、
はっきりって、自分で言うのもなんだが、
大傑作、どころか、いざ音をつく始めると、
やはりどうしても、素人臭くって聞けたもんじゃねえ、と。

そう、餅は餅屋。
ドラマーである俺でも、それなりに他の楽器は弾けたつもり、
ではありながら、
ギターはスリーコードがやっと、ピアノもネコ踏んじゃった。
そんなところを行ったり来たり。

ただ、そこはドラマーである。
チョップ・スティックであろうが、オープンGであろうが、
その正確無比なリズムとグルーヴはお手の物である。
のであるが、やはりそれは演奏技術、であって、
クリエイティヴィティという見地からは、程遠いものがある。

そう言えば、先日のあのメタリカ談義、
あのド下手の糞ドラマーであるラーズ・ウルリッヒが、
何故に、メタリカなどという超絶テクニカルなバンドに迷い込んでいるのか、
その素朴な問いから浮かび上がってきた、
この、コンセプター、あるいは、クリエイターとしてのラーズの影響力。

そう、筋金入りのドラム職人を目指した俺には、
そういう視点がすっぽりと抜け落ちているのであるが、
しかし、そんな一種、不器用な頑固一徹生音至上主義の俺だから言える、
餅は餅屋、その、聖域における尊厳、その美学、を忘れた訳ではない。

そして改めて、このベビーメタル。

アイドルの、メタルの、融合の、と言われながら、
それはまさに、歌と、ダンスと、そして、スタジオ系ミュージシャン、
そのそれぞれの分野における技の美、その究極を追求した、
まさに、極限的プロフェッショナルの、技術屋集団である。

と同時に、その影の立役者たちたるや、
業界の中でもトップの中のトップ、
マニピュレータの宇佐美氏を始め、
コリオグラファーのMIKIKO氏から、
そして、ゆよゆっぺから、上田剛士から、
そしてそして、NORiMETALこと、のりぞー氏、
まさに、業界の中でも鬼神の中の鬼神と謳われた、
逸材の中の逸材、その集大成なのである。

そう、ベビーメタルの看板娘たる三姫、
確かにベビーメタルは、その三姫の存在にその魅力のほとんどすべてを依存している、
のではあるが、
あの、空前絶後なまでに超絶的なクオリティを創出しらしめているものとは、
まさにこの、職人の中の職人の技を極めた、
チーム・ベビーメタル、その各自の才能と技術力とプライドを集結させた、
まさに、統合的芸術、なのである。

そんな統合的な集団力に支えられたベビーメタル、
あの、超絶的なクオリティの高さこそが、
そんなチーム力の結集の結晶であるところの、
あの前人未到の壮絶なクオリティを現出するのである。

そう、それこそがベビーメタルの特殊性、
それに気づけないものが、
シンガーソングライターの、クリエイターの、アーティストの、
などという、前時代的なおめでたい戯言を抜かすのである。

つまりは我が家の愚妻に代表される、
ある種のイニシエの昭和的価値観の人々にとっては、
ベビーメタルのアイドル的な操り人形性、
つまりは、作曲者作詞者、
プロの中のプロであるコンセプター集団に導かれ、
それぞれの楽器の中の頂点の頂点たる演奏者に支えられた、
この空前絶後のパフォーマーである、すぅめたる、ユイメタル、最愛メタル、
これを、ただの操り人形、というのは、
言ってみればこの世に存在するほとんどすべての総合的芸術を、
ハンドメイドじゃないから本物ではない、と切り捨ててしまう「愚」を意味する訳であって、
これまで、そんな一種長閑な手作り的な素人臭さを売り物にしていた音楽に対し、
ベビーメタルはその超絶なまでのプロ意識に貫かれた技術力の結集を以って、
これまでのすべての音楽を完全に凌駕した、
このベビーメタル現象とは、つまりはインテグレーション、
その統合的美学の賜物、なのである。



改めて、これを言って良いのか悪いのか、
これまで度々に渡ってお送り頂いた、神バンドの皆様の、
その、コンサート、というよりは、ジャムセッションの風景。

それは、ベビーメタルのステージにおける、
あの鬼気迫るほどの緊張感の中のステージ、
あの白塗りの鬼神と化した姿が信じられないほどに、
まさに和気あいあいと、楽器を奏でること自体を心底楽しんでいる、
そんな長閑な、温かみに満ちている。

これ、コンサートというよりは、まさに、スタジオ談義、
つまりはジャムセッション。

練習の合間にちょっと一息。
流れる汗を拭きながら、ビールを開け、タバコを咥えては、
ああ、腹減った、
そう言えばさ、あの娘、いまなにしてんの?
ああ、あれか、あれ、実はさ、
なんていう、まさに午後の日だまりの中にいるような、
この世で最も幸せなひととき。

思わず、あの、バンドマンのバンドマンによるバンドマンだけの憩いのひととき、
いまだに鳴り止まぬ耳鳴りの中で、
いまも身体中に満ち満ちているさっきまでのあの超絶なビートの躍動を残した、
あの、あまりにも満ち足りた一時。

あの和んだスタジオでの幸せなひとときを彷彿とさせる、
まさに、そんな和気藹々のステージであったか、と。

ただそう、ベビーメタルのパフォーマンスは、
まさに、そんな馴れ合い的、和気藹々的なものとは対極を成すステージ。

すべてがすべて、極限の緊張の中に貫かれた、
プロフェッショナル的プライドの総結集。
テンションの中にテンションを重ねては、一瞬の迷いが生命の危機に直結する、
まさに、自殺バイクで疾走するあのぎりぎりの綱渡り的超絶なスピード感、

そしてその極限的なステージこそが、
俺がベビーメタルに求めているパフォーマンスであり、
よって、この神バンドのあまりにも和気藹々とした和み的親和性が、
一種、異様に間延びしたものと思えてしまう、
そこに明らかなまでの違和感を感じながら、
改めて、あの三姫、あの存在のあまりの大きさを再確認してしまった、
そんな気がしたかしなかったか。



という訳で、え?いったいなんの話だったっけ?

そう、そう、そうだった、つまりは、自作自演の手作りベビーメタルっていう奴?

そう、中元すず香嬢が、すぅめたるであるステージを離れ、
一人の歌手として、あるいは人間として、自身の言葉で自身の世界を歌う、

果たしてそんな情景を思い描きながら、

ただ、それは、多分、ベビーメタル、というよりは、
むしろ、あの白塗りを落とした神バンドの和気あいあいのステージ、

つまりは、そう、ベビーメタルとは一味も二味も違う、
どころか、
まさに、対極に位置する、
そういうものになる筈、
なのである。

その姿に、ともすれば、ベビーメタル的世界とのあまりのギャップに困惑しては、

なあんだ、すぅめたるだって、
実は普通のひとなんじゃないか、
なんていう、間の抜けた感想を漏らす、
そういうひとも多々出現するのでは、
とも思っているのではあるが。

そしてそんなギャップの中に改めて、
このベビーメタルという存在のそのあまりの特異性、
その特異性が果たしてなんであるのか、
それを再確認することにもなりそうである。

そう、ベビーメタルはチーム・ベビーメタルの力をすべて結集して始めてベビーメタル足りうる。
そしてそんなチーム・ベビーメタルの面々が、
ひとたびベビーメタルを離れた時、
改めて、その姿、
普段のベビーメタルとの間のギャップに唖然としながらも、
それはそれとして、別物として楽しめる、
それだけは、確かである筈だ。

なのでそう、ベビーメタルはチームあってのベビーメタル。
つまりは、ベビーメタルの美学とはインテグレーション、
分業化された極限的プロフェッショナリズムの
その統合性の中にある、
それを忘れてはいけないのである。




という訳で、またまた長い長い戯言であった。

で、はい、最後の最後に、
またまたまた、要らぬ蛇足ながら、
俺の個人的な趣味的な見解を吐露させて頂ければ、

すぅメタルではなく、中元すず香、としての、その奇跡の歌声。

その歌声だけでも、まさに人間国宝的芸術品に値する、
と断言して憚らない俺としては、

まさか、そんな中元すず香が、
ビヨンセを、あるいは、アデルを、レディ・ガガを、
あるいはなにを間違えたか、ひめたんの代役とばかりに、
乃木坂46に奇跡の飛び入り出演、
なんていうのは流石にないにしても、

例えば、そう、生ギター一本で福原希己江、
あるいは、青い海を背景に夏川りみ、
あるいは下手をすれば、
あの、仕事帰りのすけべ中年管理職のカラオケ三昧、
その体現であるところの稲垣潤一御大と、
日本の古き良き歌謡曲をリバイバル・デュエット!

もしももしもそんな光景が見られたとしたら、
それはそれで、すっげええ面白い、
そう思えるぐらいの、心の余裕は保っているつもりである。

できればそう、すぅめたる、ならぬ、中元すず香嬢、
あの奇跡の美声を人類のためにもっともっと有効利用、
みんなの歌から始まって、ボサノバからジャズからR&Bから、
そしてできることなら、
これまで日本のお茶の間を支えてきた、
あの日本の歌謡曲、その珠玉の名曲の数々、

稲垣潤一御大ではないが、
まさにあの、涙なみだの昭和歌謡ヒットパレードなんてのを、
あの奇跡の美声で歌い上げてくれたりなんかしたら、
爺やはまさに、あまりの嬉しさに卒倒昇天をかます、
そんな醜態を晒してしまうことは必至である。

という訳で、
どこぞの気狂いドキュンが、
ひめたんとすぅちゃんの憩いのひととき、
そのカラオケボックのドアに張り付いては、盗撮映像!、ならぬ、
ひめたん、すぅちゃんのカラオケ海賊音源!
なんてのを、闇値で販売、なんてことが起こったとしたら・・・

許せない、ゆるせない、絶対に許せない、
とは思いながら、いやあ、それがいくらであっても、
買ってしまうだろうな、などと思ったりもしている今日このごろ。

という訳で、またまた相変わらずの、
知性の欠片もない狐火的駄文の羅列、
失礼仕った、とお詫びを申し上げながら、
改めて、これまで頂いておりました、
ベビメタ愛に貫かれた暖かい温かいコメントに向けての、
ささやかなご回答、とさせていただければ幸いにて存じます。






  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム