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猛吹雪の午後の狐火妄想 ~ ベビーメタルとファ沈むの美学

Posted by 高見鈴虫 on 17.2017 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
この火曜日、三月を過ぎての猛吹雪に襲われたニューヨーク。

摩天楼のビル街を吹き荒れる猛吹雪の中、
蛻の殻となったブロードウエイ。
壮観である。
今日に限ってはほとんどの社員が自宅待機のリモート仕事、
いやあ困った困ったと言いながら、
誰も仕事などしていないことぐらい誰もがご承知の上。

そんな中、マンハッタンはアッパーウエストサイドという、
超高級な特権階級的居住区に暮らす恩恵か、
あなたのアパートからだった、
もしもの時には、歩いてでも来れますね?
いやあ、羨ましい羨ましい
なんて心にもないことを言われては、
ただひとり、無人のオフィスに出社を命じられた俺。

猛吹雪の中をへいへいの体で辿り着いたオフィス、
当然のことながら、もぬけの殻。
広大なフロアには誰一人として居やしない。

という訳で一日中、誰もいないオフィス。
沈黙の中、ふと目を上げると、
地上42階の窓一面に、
世界を覆い尽くした白い悪魔が、
渦を撒いてはうねりながら踊り狂う。

そんな世界の終わりのような風景を眺めながら、
思わず漏らす長い長い溜息。

普段は周りの雰囲気に押されるままに、
やれなんだかんだと走り回っている筈が、
いざたったひとり、改めて自分自身の仕事を見つめ直すと、
これも、これも、これも、これも、これも、
本当のことを言えば、取るに足らない、微小なもの、ばかり。
本当に必要なことは、と言えば。。
下手にそれが判ったつもりになっている分、
自身の嵌り込んだ状況の、
そのあまりにぶざまな空転の様に、
思わず、俺っていったい、なにをしている訳?

そう、俺にとっては、すべてのことが取るに足らないこと、なのだ。

例えこのまま世界が終わっても、
俺は別に、痛くも痒くもねえんだぜ、

そんな妙に投げやりにもハイパーな気分の中で、
あぁあ、やめた、やめた、バカバカしい、
と思わず本音を漏らしてしまう、
そんな間の抜けた猛吹雪の午後。。






普段から、自分なりには、まったくもって優等生、
虫も殺さぬステレオタイプ的ジャパニーズ・ビジネスマンを気取っているつもりの俺である。
どんな不当な扱いにも、不当を不当と知りながら、
しかし不平のひとつも漏らさずに、
担当者の気変わりでどうにでも転がる筈の微小な案件を、
その思いつきの言葉どうりに、ひとつひとつ嫌味なほどに、慇懃丁寧に埋めていく。

別にそんな仕事にやり甲斐を感じている訳でもない。
ただ、それが仕事、だからなのだ。
しかしながら、それを金のためにやっているか、というとそうでもない。
俺には残業代はつかない。
つかないことを承知で、毎日、日課のようにサー残を繰り返す。
果たしてその行動原理はなにか?
さあな、と、笑う。
それは多分、俺が、ニホンジン、とうよりは、昭和の男、だからなんだろ?

つまりは自己満足。
仕事に手を抜くことを、自分自身で許せない、それだけの話なのだ。

だから放っておいてくれ。

しかしながら、周囲はそんな俺を放っておいてはくれない。

あんたがそうやって働けば働くほどに、
俺たち全員が、そのパフォーマンスのレベルを、上げねばならなくなる。

俺はゴメンだ。ここ数年、給料だって上がっていない。
給料も上がらない会社で、なぜわざわざパフォーマンスを上げる必要がある?

実にもっともなご意見である。
そしてそのあまりにも陳腐な論法に、
現代のアメリカ、及び、資本主義社会全体の落ち込んだ、
その要因が隠れている、とさえ思い込んでしまう、
つまりはこの自分勝手な勤労精神を、
あろうことか美徳とさえ思い込んでしまう、
そんな、どうしようもないアフォである。

ただ、俺にはこの、みんなでサボれば怖くない的な、
一種、共産主義的な、つまりは、全体主義的な反能率主義的な、
ただ労働者間のチームワークにとっては一番大切なもの、
ぶっちゃけたところ、そのお役所イズムが、
どうしてもどうしても性に合わない、ようなのである。

予てより、こんな俺を、無作欲、と罵倒する、
そんな自称性技のウヨク的な幼気な方々からの、
叱咤激励を頂くたびに、思わず苦笑してしまったのは、
なにを隠そうこの俺自身が、そんな無作欲な人々、
ユニオン的共産主義な、反能率主義的反自由競争的な常識人から、
この、那智野郎、と罵倒される、そういう日々を送ってきた、その為である。

確かに、表向きには、つまりは、公的な部分では、
やれ、平和だ友愛だ、人類皆同等の権利の兄弟の、
などと歯の抜けたことを並べてはいるが、
それはぶっちゃけ、自分自身に対する戒め、あるいは、自浄行為。

そんな、理想主義的な優等生を気取っているこの俺が、
一皮むけば、つまりは、一步でも会社を離れれば、
駅の階段で立ち往生する、見るからに平和と友愛の塊の、
みるからにユニオン迎合的な保護生活予備軍的人々を、
デブ、どけ、と蹴散らし、
そのウスノロな動作に思わず感極まっては、
この穀潰しの臭え黒人、やら、
このウスラバカの赤首やろう、さっさとアイダホへ帰りやがれ、と、
好き勝手な罵倒、まあ日本語ではあるが、を繰り返している、
そんな暴虐無道の那智野郎、なのである。

そう、そんな俺がその胸の内を明かせば、
無能な馬鹿を、なんとかおだて上げては騙してすかして、
なんてことをする必要は、これっぽっちもない、と思っている。

俺にとっての真のチームワークとは、
まさにバンドマンのチームワークであり、
バンドマンのチームワークとはまさに、
各分野における徹底的なプロフェッショナルたちが、
各自の切磋琢磨、そのプライドのすべてを賭けて結集した、
まさに、先鋭主義的選民主義、の、その塊り。
そんなプライドの塊りたちの力を結集して、自身の限界の突破に挑む、
それを指して、チームワークというのであって、
無能なナマケモノが、誰かがなんとかしてくれる筈、とふんぞり返っているばかりの、
そんな輩が、同等な権利、あるいは、報酬を要求する、という行為こそが、
不平等に思えてならない。

そう、俺こそはまさに、そんな糞那智野郎、その塊り。

戦いの中にこそ憂いがある、
その美学を貫こうとする、その止むに止まれぬウォリアー・ジーン。
そうあろうと努力を重ねてきた、あるいは、洗脳されてきた、そんな男である。

俺にとって、その美醜、あるいは、ウヨクであろうがサヨクであろうが、
そんな政治的な信条など、二の次三の次。

要は結果、そう、結果こそがすべてなのだ。

ただ、言わせて頂ければ、そんな俺にとって、
こいつはできる、という輩は、決まって美しく、
そして、そんな有能な輩は、
ネトネト的、というよりはむしろ、不ァ沈む、のもつ合理性を、
必要悪として肯定せざるを得ないであろう、
という信条を隠している、という特徴を持っていると思う。

怠け者の怠け者による怠け者の為の世界。
まあ確かに、一日中葉っぱ吸っては、
マザー・アースの地球意志の、なんて戯言的な世界ってのも、
確かに、たまには必要ではあるのだろうが、
多分オレであれば、だったらより先鋭的な方法で、神様にタッチ。
つまりは、葉っぱよりはマジック・マッシュ、
マジック・マッシュよりはペヨーテ、そしてつまるところのLSD。
そして行き着く先は、ヘロイン・・・
そうと問屋が決まっているじゃねえか。

だから今更、そんなおめでたい話をするのはやめにしよう。

とまあ、そんなことを嘯いている那智野郎達が、
いつしか、なんだかんだで自身の限界をもぶっちぎり、
ヘロインならぬ、モルヒネの甘い霧に包まれながら、
救急病棟のベッドの上で夢うつつ、なんて行く末さえも見えているこの現代。

そう、この昭和猛烈主義こそは諸刃の剣。

ただそう、俺にはどうしても、それを止めることができない。
歩みの遅いものに歩調を合わすことがどうしても我慢ならないのである。
そんな性分こそが、この俺の体たらく、
つまりはこの目の前の現実との隔たり、
その第一の原因であり、
ひょっとしたことで待ち受けている落とし穴。
これまで、これでもか、とばかりに足を取られ続けた、その、不愉快な罠。
それを見え透いた罠と知っていながら、
やれるもんならやってみろとばかりに、
みすみす自分から嵌りこんでしまう、
そんな馬鹿な七転八倒の、
その根源的な理由であることも気がついている。

そう、俺にだって判っている。
先を急ぐものには必ず落とし穴が待ち受けている。
歩みの鈍いものにもそれなりの落とし穴というものがあるのだろうが、
しかし、ここに来てその結果を見る限り、
悪戯に先走っては穴に落ち込み、
残念でした、振り出しに戻る、を繰り返し続けるこの俺的馬鹿に比べて、
確かに、その鈍い歩みの中で、実直に、辛辣に、慎重に落とし穴を避けながら、
一歩一歩を歩み続けた物静かなドン亀の方が、
一步も二歩も先を行っていた、という結果は、
素直に認めるべきなのである。



という訳でそう、
改めて、あの高度成長期の日本を熱病のように覆っていたあの根性主義。

それを未だに体現しては、そこかしこで落とし穴にはまっては振り出しに戻るを
繰り返しているこの腐れ那智野郎である俺にとって、
その昭和的な猛烈主義、その、最も大切なところが、
実は、なににもまして、弱者救済的一億層中流、
社会のボトルネックであるところの、最底層の押し上げにあった、
という事実を完全に忘却したまま、
たった一人、そんな遅れてきた昭和企業戦士的なやり方に固執し続ける、
そんな時代錯誤の、無作欲的な腐れ那智野郎。

つまりは、いまや日本の老害のその筆頭に挙げられるであろう、
高度成長期の日本を貫いていた猛烈な上昇志向。
そんな昭和根性主義の弊害が、今もなおそこかしこでくすぶり続けては、
数々の社会問題を引き起こしているのであろうが、

いまになって、そんな俺自身の無様を振り返りながら、
そもそも俺はそんな昭和の根性主義、
日夜の境なく、徹底的な仕事漬け。
家族もかみさんも友人もそして自分自身さえも放ったらかしては、
ただただ滅私奉公の中で、
心骨を削り続けることを要求される、
そんな昭和日本的精神論的なビジネス・モラル。
なによりも俺はそれが嫌で、日本という国を飛び出した、
その筈じゃなかったのか?

そう、嘗ての俺にとって、
そんな無意味な根性主義、
根拠のない精神論こそが、敵、
であった筈だ。

そんな俺が、なにが悲しくて、
自分自身があれだけ忌み嫌った、
そんな根性主義敵精神論の中で、
無様な空回りをしていなくてはならないのだ。

そして俺は、そんな強制力を失った現代社会の中で、
その口先とは裏腹にユニオン的共産主義的な甘えに浸って生きるネトネト風情と、
そして、愛と平和と平等をほざくこの糞那智野郎、
そのあまりに皮肉な逆説の中で、要らぬ軋轢にくすぶりながら、
いまだに無益な空転を繰り返すばかり。

という訳で、静まり返ったオフィスにひとり、
妙に手持ち無沙汰な宙ぶらりの気分のまま、
挙句の果てに猛吹雪の非常事態宣言化のニューヨーク、
身の危険も顧みず辿り着いた伽藍堂なオフィスで、
ひとり、これ以上無く憂鬱なため息をついている、のである。

という訳で、まったくもって、なにからなにまで、
真っ暗闇、どころか、真っ白けのけの吹雪のニューヨーク。

地上42階の窓から、そんな末世的な風景を眺めながら、
もっと降れ、もっと振り続け、
こんな世の中、すべてすべて、埋め尽くしてしまえ、
とほくそ笑んでいた、そんな自虐モードの午後、であった。



実は、そんな投げやりな気分になったのも、
元はと言えばこの降って湧いたような宙ぶらりんの時間。
メールを打っても電話をしてもテキマを送っても、
うんともすんとも言わぬ同僚たち。
そう、野暮は言いっこなし、そういうことだろ?
自宅勤務?笑わせると、そういうことなんだろ?

でそんな日に、わざわざ会社に呼び出されては、
そんな奴らの尻拭いの全てを押し付けられている、
このおめでたい糞那智野郎。

つまりこれも、自分勝手な点数稼ぎと、そういう訳なんだろ?

という訳で、なにからなにまでが徹底的にバカバカしくなった猛吹雪の午後。

生あくび半分、息抜きにちょっと覗いてみたニュース・サイト。

そう、普段から俺はあまりニュースをみない。見ないようにしている。

嘗てアメリカに来てから、日々新聞を読まない、
その習慣のない人々を見て、心底驚いたものだが、
今となっては、この地球上、毎日新聞を読む人間など、
希少価値の物好き扱い、ではないのだろうか。

そう、このインターネット時代の21世紀、
人々は勝手気ままに、
まとめサイトに並んだ妙にセンセーショナルな見出しから、
その、妙にセンセーショナルな杜撰な見出しに釣られた、
妙にセンセーショナルな記事しか読まなくなっている。

そう、自由選択の時代だ。

ニュースでさえも自由選択。
知りたくないこと、興味のない物事に、
わざわざ時間を割かねばならない理由もない。

そうやっていつしか、新聞を失った人々は、
自分の望むニュースしか読まなくなり、
そして、自分の望む情報だけで作られた世界観を、
社会の全体像、と思いこんでは、
それ以外の世界の人間を、
まるで、見出しに騙されて誘い込まれたステマサイトに対する嫌悪のように、
極端に疎ましく思うようにもなっていたのであろう。

新聞を読まなくなった人々はいつしか、
アド・センスの罠にはまり込んだまま、
インターネットが繰り返し勝手に表示する、
自身の興味のある事柄ばかりに囲まれるうちに、
そんな自分自身にとってもっとも都合の良い世界の中に、
監禁されて生きることを余儀なくされ、
そのアド・センス的な強制力の中で、
それこそが世界の絶対的なマジョリティである、
と信じ込まされてしまうのである。

そう、そんなこと、今更がたがた言うべき問題でもない。

アド・センス?
アルゴリズム?

結構なことじゃないか。

そう、俺の自宅のPCなど、ブラウザーを広げた途端に、
ベビーメタル関連のこと以外、何もでてこない。

そう、世界はベビーメタル。
それだけで十分。
それ以外になにが必要だ?

そんな狭視的世界を望んでいるのは、なにを隠そう俺自身。

そう、みんなそうやって生きれば良い。

そしてそんな罠の中で、ベビーメタルがいまにも、
レディガガも、アデルも、ビヨンセも凌ぐ世界一のスーパースター。
なにからなにまでダントツでナンバーワンの、スーパー美少女軍団。

そんな妄想を頑なに信じ込んで、生き続けるというのは、
別に悪いことでもなんでもないだろ?



そんな現代の巧妙な罠を、
罠を罠と知りながら逆利用しているつもりになっていた、
そんな俺であるのだが、

そう、この猛吹雪に監禁された一日。

普段、仕事中は決して見ることのないニュースまとめサイト、
なんてものを、ふとした拍子で広げてしまったのがまさに運の尽き。

普段から、世界はまさに、
ベビーメタル以外、なにも無し、
であった筈の俺的な世界の中で、

いきなり飛び込んで来た、この、
ベビーメタル以外の存在しない現実、という奴。


へえ、寅ンプ、まだ生きてるんじゃねえか、
といまさらおめでたいことに関心しながらも、
去年の大統領選挙戦の間、
テレビをつけたとたんにまるで、
毒ガスのように吐き散らされていた馬鹿げた暴言の数々が、
あろうことか、既に現実と化しているこの現代社会の摩訶不思議。
まさに、事実は小説より奇なり。
いったいどこの三文シナリオ作家が、
例えどんなにバカバカしいストーリーをでっち上げたとしても、
まさかまさか、これほどまでに子供じみた、馬鹿げたシナリオが、
まさか現実になる、なんてことは、考えもつかなかったに違いない。

という訳で、その人類最低最悪のシナリオ作家こそは、
言うまでもなく、
かのスティーブン・馬乗ん氏、である。

自分自身を称して、現代のダースベイダー。

議会制民主主義をぶちこわし、ウォール街をぶっ潰し、
皆の衆、審判の時は近い。
こんな糞のような世の中、
いちど徹底的にぶち壊して、
リセットしなくてはダメなのだ。
さあ、第四の節目に向けてレッツゴー。

まるで、酔っぱらいのホームレスの戯言、そのもの。
->地下鉄のゲバラ ~ 人類の99%が一斉にホームレスになったら

愚かなる羊たち。
最後の審判の日は近い!
そんな戯言がいつしかヤケ糞。
死ね死ね、この銭の亡者、欲の亡者ども、
その取り澄ました仏頂面で俺のことを小馬鹿にしやがって。
死ね死ね、みんな死ね、俺よりも幸せな奴らは全員死んでしまえ!
と本音の絶叫に変わる、
駅前の雑踏の中を、ダンボールのプラカードを掲げた、
あの狂人のホームレスの戯言。

そんな気の触れた酔っぱらいの戯言を、
そっくりそのまま信じ込んでしまうようなおめでたい人々が、
世の中にこれだけたくさんいる、という不思議。

つまりはそう、世界の人々が、いつしか、
あの酔っぱらいの狂人と同じぐらいにまで、
自暴自棄な状態に落ち込んでしまっていた、
というのが、その本当の理由なのであろうが。



ただ、俺、そう、この俺氏的には、
世界がどうなろうが知ったことではない訳で、
そう、俺にはベビーメタルが居てくれればそれでよい。

そんな戯言を、戯言と知りながら、
ともすると意地になって、我武者羅になってまで、
ベビーメタル以外のものは見ない、みないぞ!
と頑張ってきた訳なのだが、
悲しいことに、世の中はそんなご機嫌なベビーメタル・メイトな人々ばかり、
ではなかったのかもしれない。

そう、俺にベビーメタルがあるように、
あるいは、俺にはベビーメタル以外、なにもないように、
寅ンプ・メイトの人々にとっては、
まさに、寅ンプ、あるいは、馬乗ん以外にはなにもない、
そんな人々がいることは十分に予想が付くように、
そんな人々にとっては、ベビーメタルは愚か、
寅ンプ的世界、あるいは、馬乗ん的ダークサイドにいないものは、
死ね死ね、みんな死ね、の馬鹿なマイナリティ、としか思えないのであろう。

そう、つまりはこれはすべて、新聞を読まなくなった人々。
そのアド・センスのアルゴリズムの罠を罠とも気づけずに、
自分の興味のある世界を、興味のあった事柄の履歴に吊られて表示される、
その絶対的なまでの自分的狭視世界を、
世界のマジョリティと信じて疑わない人々。

それはまるで、雑踏の中を手元のIPHONEに没頭しながら歩く、
あの迷惑な人々。
そして多分、そのうちすぐに現れるであろう、
ヴァーチャル・リアリティのゴーグルをかぶったまま、
どけどけそこをどけ、と暴虐無道に暴れまわる、
そんな独尊的洒落者の狂人たち。

だがしかし、それを良いの悪いの言うことからしてお角違いだ。

なにより当の俺自身が、ベビーメタル以外のことなど、
見たくもねえし、知りたくもねえ、そう思って生きているんだから世話はない。

そしてそれが、罠だ、ということも、十分に知っていた筈、なのだ。



という訳で、新聞を読まなくなった人々が、
アド・センス的アルゴリズムの檻の中で、
自分の自分による自分的な世界を彷徨っていた、
その隙に、

おやおや、なんてこった、
これまた、どころか、本家アメリカの寅ンプ劇場など、
一億光年先までぶっ飛ばしてしまうようなご機嫌なネタ、
そんなものが、我が母国日本社会をにぎわせていたようだ。

という訳で、ちょっとした気の迷い、
自分の自分的な自分的絶対世界から、
ふと迷い出てしまったこの会社のPC的な、
また別の仮想的現実の中において、
ちょっと覗いてみた日本のニュース。

おいおいおい、なんだよこの、森朋ギャグ園、大盛況じゃねえか。

実は最初の最初にこのニュースを見知った時、
あらら、やっぱりな、とは思った。

つまりはこの森朋疑獄の渦中にあるこの可哀想な仔犬ちゃん、
そのせいやそいやの神輿の担ぎ手であったネトネト、その旗振りであった二本懐疑的人々、
その熱き熱き愛コク魂、
なんてのが実はぶっちゃけこういうことなんでしょ?
とは常々思ってきた、そのものが、
あっけらかん、と現実化して転がり出てしまった訳で、

だってさ、あのひと、
つまりはネトネトのアイドルの仔犬ちゃん
もう最初に見た時から、
いかにもそういうことになりそうな人だって、
思ってなかった?
俺は思っていた。
思っていたから、このひと、やばい、
と言っていた。
で思わず口を滑らす度に
うるせえこのザイニチブラク野郎が!
という大時代的な罵倒が羽虫にように舞い踊り。

で、まあ、そんな虫並知能を相手に気を向けるのも馬鹿馬鹿しく、
ああ、そう、それならそれでいいんじゃない?
あなたはあなたのアド・センスの中で生きなさい。
あなたの幸も不幸も、
俺にってはまったくこれっぽっちもなんの利益も生まないのだから。

ただ、そんな幼稚な投げやりには必ず罠が隠れている。

つまりは、自分が自分の好きなような仮想現実の中に埋没すればするほど、
その明き盲的社会の中で、もっともえげつなくもっとも欲深い現実的な人々から、
これ幸いとばかりに、いっせのせ、で、その頭にかぶったVRゴーグル以外のものを、
すべてすっからかんになるまでに、盗み取られることになる、と。

ドアの鍵をかけずにVRに嵌っていたら、
ふと気がつけば、アパートはすっからかんの蛻の殻。
おまけにふと見れば、テーブルの上には、
勝手に保証人にされた借用書の写しが山になっている、と。

まあそう、誰が悪いとは言わないけどさ。

ただ、俺的にはあのとっちゃん小僧の仔犬ちゃん、
多分、この本に書かれたことが、
わりと実物に近いのでは、
とは思っていたのだが、
-> あべさんDIE

ただ、それをいまさら良いの悪いの、
言うつもりはないよ、もちろん。
この本だって、友人が送ってきた書評を読んだだけで、
ああ、やっぱ。やっぱそういう人だったんだな、
と思っただけ。
そんなこと、最初から誰にでも判ってただろ?とは思いながら、
そんな思いが、改めて第三者によってクローズアップされる、というのは、
なんとなく、バカバカしいとは思いながらも、ちょっとしたこそばゆさがないわけでもなく。

ただ、なんとなく俺的は逆に、
いまとなっては ♪ やーだよやだよー♪
の大合唱に包まれるこの間の抜けたトッチャン小僧の、実は担がれた裸の王様であるところの渦中の御人が、
ちょっと、なんとなくも、憐れに思えては、
このひと、ずっとずっと、
どこぞの会社で万年係長とかをやりながら、
ウダツの上がらない人生を送っていたほうが、
ずっとずっと幸せだったのだろうな、
とも思うわけで、
果たして、こんな幼気な子犬ちゃんを、
ここまでに祀り上げてしまった、
そのオオカミくんたちとはいったいなんなのか?
そしてそれを、訳も判らず囃し立ててきた
このゾンビー達の餌はなんだったのか、

今になってそんな素朴な疑問が、
ふつふつと湧き上がってくるのである。




そう、俺はこんなウダツの上がらないドキュン上がりのアフォである。

そんな俺が、時の人的な雲の上の偶像に対して、良いの悪いの言う気は更々ない。

ただ、そう、俺は、なにごとにつけて等身大の人である。

偶像を必要以上に崇め奉ることもない代わりに、
街のホームレスにだって、必要とあれば道も譲るし、求められればコーヒー代ぐらいはおごる。

そう、俺は今なおドキュン上がりのチンピラである。
つまり、事の良し悪しは、俺が俺的な価値判断で勝手に決める、
そしてそれを、貫く、という、まったくもってどうしようもない馬鹿であるわけで、
と同時に、それが間違っていると分かれば、いとも簡単にその態度を急変、
頑なに言い張っていた意見とやらも、180度旋回させてしまう、
なんてことも、お構いなし、である。

そう、この俺の、生まれ持ってのおっちょこちょいの臍曲がり、
でありながら、この神をも恐れぬパラノイア的な優柔不断さ。

それこそが、俺がここまで生き延びれてこれたその秘訣、と思ってもいるのだが、

改めて、そんな、無作欲、扱いをされた、この糞那智野郎から、
心からの、質問を投げかけさせて頂く。

汝、ネトネトの皆様、
あるいは、そんなネトネト諸氏から、無作欲、と蔑まれる、
誇り高き建前を振りかざす、人権主義者の方々、

今だから、もう、こうなってしまった以上、
我らのアイドル、あるいは、天敵は、
幸か不幸か、その両足が、棺桶、ならぬ、塀の向こう。

それをすでに、終わったことの仮定の上で、

改めて、聞きたい。

皆様は何故に、不ァ沈むに魅せられたのか?

あるいは、なぜ 不ァ沈むが、嫌いなのか?



改めて、このニュースまとめサイトという霧の中、
久々に垣間見た、ベビーメタルのいない世界。

ぶっちゃけ、今更ながら、
なにゆえに世界、あるいは、
日本のこのマスメディアという媒体
何故にこれほどまでに、

こんな森朋だ寅ンプだなんていう
どうでも良い事ばかりに狂騒して、
この世で最も大切なこと、
人類最後の切り札たる、
我らがベビーメタルのことを
ここまで、無視、
あるいは、抹消しようと試みているのか。

つまりは、なにか?
金を払わない奴は全てが「悪」、とする、
その絶対的なまでの拝金主義が、
マスメディアの隅々まで、
徹底的に浸透し尽している、と、
そういう訳なのか。

或いはそう、我らがベビメタ・メイトの方々。
俺も含め、世界はもう、ベビーメタルだけ、
それ以外には要らない、
という方々が、
実は、世界の中ではぼっちもぼっち、
極微小な、少数派の中だけでの自画自賛的カルト世界、

でもなあ、そんな微小なカルトだけで、
東京ドームが二日連続で完売などするものだろうか?

だとすれば、東京ドームを二日間連日で完売する、というこのベビーメタルが、
日本中のマスメディアから、ここまで抹消されつくされている現実とは、
ぶっちゃけ、金を払わぬものはすべて「悪」、の商業主義に貫かれた、
つまりは、その極端なまでの拝金主義の元に完全なコントロールが行き届いている、
と、まあ、そういうことなわけか?と。

なんてことを考えれば考える程に、
この目の前に繰り広げられるベビーメタルのいない現実、
というものに、底知れぬ不信感、及び、不快感が込み上げてくる訳なのだが、

と同時に、この普段浸りきっている独善的なまでのベビメタ教条主義的世界と、
このベビーメタルが一切存在しない現実社会とのギャップ、
その苛立ち、そして、不信感、こそが、
なお一層、ベビーメタル教条主義的世界に埋没させる、
つまりは、追い込む、その原動力なのではないだろうか。

そう、自分自身の中のすべての疑問を、他者に投影してこそ、
始めてそこに、まあ、気持ちは判るじゃねえか、の極意に到れるのである。

そう、糞那智野郎であれ、腐れ無作欲の人権馬鹿にしたところで、
所詮は人間、つまるところ、その器自体は大して変わるものではない。
或いはあろうことか、そう、この俺を見よ。

そんな腐れ無作欲と、糞那智野郎、そのふたつの相容れぬ信条が、
同じ人間の中に共存しているのである。

つまりは、物は言い様、と言ってしまうと、
今更ながら、あの無作欲的な事なかれ主義的ユニオン野郎の顔がちらつく訳だが、
ぶっちゃけ、
本音の建前。
その二元的世界を、必要悪として認めてしまっている、ということからして、
キリスト教的教条主義、
つまりは、絶対善たる神への告解:コンフェッションを繰り返しながら、
その、本音と建前的二元論を罪悪とみなした、そのあまりにも傲慢な原理主義。

言ってみれば、八百万の神に象徴されるその神をも恐れぬ優柔不断さを建前とする我が日本民族が、
何故に、本音と建前のすべてを封じ込める原理主義的教条主義を突き進む、
そんな愚行を繰り返さねばならないのだろうか。

そして改めて聞きたい。

汝、不ァ沈むのどこが、それほどまでに魅力的なのか?



この猛吹雪に監禁されたままの誰もいないオフィスにおいて、
地上42階の窓より、音もなく雪の降り積もる銀世界を見下ろしながら、
この降って湧いたような投げやりな気分の中、
暇に任せて覗いたニュース・サイト、
そのインターネットの大海を彷徨えば彷徨うほどに、
まさに、キャビン・フィーバーとでも言うような、熱情が込み上げ来るのを感じていた。

ニュースは怒りに満ちている。

英国のブレキジットから始まり、そして寅ンプ・ショックから、
フランスで、オランダで、ハンガリーで、
そしてあろうことか、ドイツにおいても、
この得ない怒りが渦を巻いているようだ。

そしてわが祖国日本。

この無作欲の腐れ人権主義者が、と叫ぶ、ネトネトたち。
そんなネトネトな方々の、そのあまりにも狭視的独善性の中に、
ああ、こいつら、本当に騙されやすいんだな、
あるいは、自ら率先して騙されたがっている、そういう人たちの集まりなのだな、
とは思いながらも、

と同時に、その建前的信条とは裏腹に、
その実生活においては、やること成すこと、
極端なばかりの選民思想に貫かれた糞那智野郎にとっては、

みんなで怠ければ怖くない的なユニオン的共産主義的な思考に貫かれた、
この臆病な勤労者たちの、そのドン亀的な実直さこそが、社会的信用の第一条件。

つまりはこの現実の中の軋轢。

敗者の敗者による敗者のための、ネトネト的不ァ沈むと、
敗者を装いながら実は、現実世界では最も実直な強者であるところの無作欲的共存主義、
その、口ばかりの強行論と、そして、サイレント・マジョリティとしていまもしっかりと現実の社会を支えている、
そんな日和見的な人権主義者たち。

その逆説的現実の、そのあまりの皮肉を笑いながら、
今更になってもまだ燃え盛っているであろう、あのネトネトたちの怨念、
その熱情の様を思いつつ、

改めて聞こう。

友よ、仲間たち。我が同志、コンパニエロ、同胞たちよ、

俺達はなぜ、間違えてしまったのか?

あるいは、そう、ネトネト諸氏、
口ではそのあまりにもセンセーショナルな強硬論を唱えながら、
しかし現実には、無作欲的事なかれ主義の中で、
みんなで怠ければ怖くない的な共産主義的信条に生きる、
そういう現実主義的なちゃっかり屋さん、であったりもした訳か?



そう、とどのつまり、俺の間違えはぶっちゃけここ、にある。

日本的建前論の二重構造の中で、

口ではネトネト、外では無作欲、的な、迎合主義的現実主義と、
外では糞那智、内には無作欲の、夢想主義。

本音のネトネト的な人間蔑視、その冷笑をひた隠しながら、
はいはい、みんなで怠ければ怖いものないですよね、と日和見的に同調を繰り返す、
そんな現実主義者こそが、社会のマジョリティ。

それが逆転した姿こそが、
本音を晒すステージを生業とすることを目指したK1的パンクロッカーと、
虚実を虚実と知ってそれを演技するプロレス的なメタルヘッドとの差。

たしかにな、気質世界において、メタル上がりはちょくちょく目にはするが、
パンカー上がりの社会的成功者など、グレッグぐらいなもの、だしな。

つまりはそういうこと?とは思いながらも、
それが判っていながら、どうしてもそれを改めることができない、
その自戒の念こそが、俺が未だに自身を、パンカー崩れ、と自称する、
その自嘲的理由でもあるのだが、

うーん、と思わず。

そろそろ、それが、洒落にならなくなってきた、
この猛吹雪の中のキャビン・フィーバーの底で、
そんな現実認識に、心の底からぞっとさせられる、
そんな予感がむくむく、と湧き上がって来たのである。

この盛朋疑獄。

先に上げたように、このマスメディアという機構、
我らがベビーメタル現象をここまで封じ込め続ける、
徹底的にコントロールが行き届いた、
まさに、嘘で嘘を固めた仮想現実的な虚像的現実の喧伝媒体である。

そう、このマスメディアが、
その雇い主たるお客様は神様ですにとっての、
不都合な現実をわざわざ喧伝する筈がない、のである。

その不信の極にある穿った考えから、

つまりは、この盛朋疑獄。
どこぞの、神様のお告げに基づき、
そのマスメディアの亡者たちに向けて、
GO AHEAD の サインが出された、
つまりは、出来レースも出来レース。

嘗てのロッキード事件、
あの、目白の闇将軍の名を轟かせていた田中角栄を引きずり下ろした、
あの、大茶番。
当時の熱狂を虚ろに記憶している者として、
あの、降って湧いたような反角の熱狂的嵐。

いまから思えば、
あの証言を行ったのが、ロッキード社、という、
まさにアメリカの軍産複合体の権化、
のような会社であることからとっても、
こうしてマスメディアを好き放題に熱狂させる全能の神が、
実は、つまりはそんなところに鎮座まします方々、
というのもピピン、と気が付かなければそれこそ、アフォ、なわけだが、
当時の記憶をたどればたどるほどに、
それが、どこぞの意地悪な神々の罠である、
ということに、気づいていた人は、いなかった、のではないだろうか。

そんな記憶の森を彷徨いながら、
改めてこの、降って湧いたような盛朋疑獄。

改めて、これぐらいのこと、など、いくらでもやっているだろう、ことは、
誰もが薄々感づいていて然るべきもので、
そして、これまで、あの可哀想な子犬ちゃんを、
ここまでおだてあげては、高々と木のてっぺんにまでお仕上げた人々の、
その行動原理というものが、実に実に、こんなところである筈なんだよな、ぶっちゃけ、
ということぐらいは誰もが察しがついたんだろ?

賭けても良いが、こんなことぐらい、掘れば掘るほどに出てくる筈、なのである、
なんてことを言ってる側から、あれれ、二つ目、かよ、と。
ってことはもう、これまだまだ際限無くでてくるんじゃない?
つまりいたいけな仔犬ちゃん、
その器違いの大口の代償に、
オオカミ君たちからは、
カモられるだけカモられてた、と、
実はそういう訳なんだろ?

という訳で、
このネトネトのアイドルさん。
既に、全身火だるま、どころか、
驕れる者久しからず、その摂理どうりに、
つい先日までの、あの神どころか、
天道様の挿げ替えさえも画策したこの性技のヒーローが、
あろうことか、日本史上始めて、
現職の総理大臣が実刑判決、
どころか、
あろうことか、
不仲の極みにある細君まで引きずり込んで、
夫婦揃って、塀の中へ、塀の中へ、
行ってみたいと思いませんか?ふふふ~ ♪
そんな窮地に立たされているわけである、
って事なのだろうが、
馬鹿馬鹿、俺はもうそんなちゃちな出来レースには騙されねえぞ、と。

この降って湧いたようなマスメディアの大フィーバーの中、
つまりはこれも何処かの誰かのシナリオ通り。

つまりは、この降って湧いたような子犬下ろしの熱狂の中、
下手をすれば、より強烈なまでに、神様の従順な申しべであるところの、
ぶっちゃけ、その紐付きの糞ばばあなるものが、
まさか日本の実権を握ってしまう、
つまりは、神様がちょっと、手綱を締め直しただけなんです、的な、
そんな茶番的な結末の中で一件落着を見るのか、

或いは、

これはあまりにもグロテスク、
考えるだけでもぞっとする最低最悪のシナリオ。
下手をすればこれは、この世で最もおぞましき、
地獄の底への真っ逆さまの、
そんな結果を引き起こすことにもなりうる、諸刃の剣。

つまりは、誤解を恐れず、
俺の本音の本音をぶちまけさせて頂くならば、
この盛朋学苑騒動のその最も最悪な事態として、
これだけの醜聞を撒き散らしながらしかし、
現実はなにも変わらない。
つまりは、お咎めなし。
ごめん、で、済んだので、もう、司法も警察もいりません、的な、
その考えうる限り、最も茶番的な結末。

結果、日本の民主主義は完全にその息の音を止められ、
司法も検察も、ただの腰巾着。

八億が八十億になり、八百億が八千億になり、
ついには、八兆八千億円のエキゾチック・ジャパ~ン。

誰がどう考えても徹底的になにもかもが矛盾した
最低最悪のダークサイド的なシナリオの中で、
年金から血税から、下手をすればその生命までもが、
血の一滴もでないほどにまで、
あるいは、まさに血で血を洗う修羅の巷、
まるでサトウキビのように、全身からその精という精のすべてを搾り取られては、
産廃扱いとして投棄される、
そんな茶番的悪夢の管理社会が、待ち受けているのか。

さあ、どちらが良いですか?
と言われた時、果たして、どちらを選ぶべきなのか?

いま、この子犬下ろしの腐れフィーバーの中で、
果たしてどれだけのメディアが、
その後のシナリオについて、
なにを考えているのだろうか・・



三時を過ぎて、いまだ吹雪は弱まりを見せるどころか、
この世の終わりとばかりに荒れ狂い続けている。

そして改めて眺めるこのニュース・まとめサイト。

これまでの不勉強、ベビーメタル以外、新聞もニュースも一切みない、
そんな生活のギャップを埋めるべく、こうして、
俺の俺による俺の趣味的な記事ばかりを読み進める内に、

ああなんということか、これもアド・センスのアルゴリズムの、
つまりは、俺の趣味によって導かれた宿命的などん詰まり的現実。

英国のブレキジットから始まり、そして寅ンプ・ショックから、
フランスで、オランダで、ハンガリーで、そしてあろうことか、ドイツにおいてさえも、
まるで、猛吹雪が荒れ狂うように、怒りが渦を巻いているようだ。

そして、音もなく雪が降り積もっては、舗道を、車道を、
そして路肩に停められた車も、自転車も、
そして人々の姿さえも包み込んでしまうように、
世界中を、不ァ沈む、という大吹雪が、覆い尽くしつつある。

今更ながら、俺はこの、世界を覆い尽くす不ァ沈むという風潮に、
良いも悪いもいうつもりはない。

ただ、ひとつ言えることは、俺は実は、不ァ沈む、
あるいは、ぶっちゃけ、那智ズム、その、ファッション、が、
実は実は、好きで好きで堪らなかったことがあった。

そう、俺はパンカーであった。

パンカーの美学とは、まさに、まつろわぬ馬鹿、であるわけなのだが、
と同時に、その見た目的なファッション、
あの、黒革のライダースの革ジャンに、鎖をぶら下げたり鋲を打ったり、
鋼鉄入りのワークブーツから、毒々しいまでのTシャツまで。

そのすべてが、実はこの那智酢。
世界の不ァ沈むのその象徴的な人々の、そのファッション・センスを母体としていた。

改めて、俺は那智酢のファッションが好きであった。
その、絶妙な襟のフォルム。その研ぎ澄まされたシェイプ。
そのあまりにも絶対的なフォーム。
自虐的なまでのストイシズムに貫かれた、誰をも寄せ付けぬその攻撃性。

そう、那智酢のファッションこそは、パンカーの、そして男の中の男のファッション。

そう信じて止まなかった、あるいは、それはもう美意識というよりは本能的なものとして、
俺はこの那智酢のファッションを愛した。そこに絶対を見ていた。

そんな俺であるから、実は実は、
その、建前的、公的な戯言の、その裏返しとして、
そんな俺の本性は、まさに、不ァ沈む、つまりは、那智酢。
あの美学に、魅せられないわけにはいかない。

そして、ああ、これを言って良いのか悪いのか。

いや、これだけは言ってはいけない、とは思いながら、

そう、この世のどこに、ここまでこんな駄文を読み続ける者が居るものか。

なので言ってしまう。

俺の愛するベビーメタル。

その理由の一つに、この俺の、隠すに隠せない、パンカー的な美意識、
つまりは、那智酢にその絶対を見る、ぶっちゃけ、不ァ沈むの美学、そのものを、
感じないわけにはいかない、のである。

あのスーメタルのあの、きついきつい眼差しから、
あの、ネオ・ゴシックを彷彿とさせる禁欲的な、
そして、戦闘服さえも思わせるあの攻撃的なファッション。
あのストイシズムに貫かれた切実なる歌声と、
完璧なまでに研ぎ澄まされる研ぎ澄まされた鋭角的なビート。
あのベビーメタルの扇情的サウンドの中には、

確実に、確実に、世界の終末に向けて突き進む
刹那の美学が垣間見えるのである。

がしかし、そう、我々は既に、那智酢の失敗を学んでいるのである。

あの、那智酢の振りかざした究極的なまでの独善性こそは、
破滅を破滅と知って突き進む、ともすれば、自暴的なまでの退廃をも思わせる訳で、

ベビーメタルの中には、硬と柔が、コワイとカワイイが、ともすれば、生と死が、
まさに、表裏一体となって、凝縮されているのである。

その鋭角さ、こそがベビーメタルの魅力であり、その究極性こそが、
まさに、不ァ沈むの美学を思わせる、その理由なのである。

何度も言うように、俺はフォークソングが嫌いだ。

アメリカのフォークソング、
ボブ・ディランから始まる、あの、ホーボー。
全米を無賃乗車、あるいは、ヒッチハイクを繰り返しては、
根無し草のようにさすらい続けるあの放蕩詩人たちには、
これ以上ないほどの共感を覚えるのではあるが、

日本のフォークソング、
あの、いかにも軟弱そうな運動神経の欠片もなさそうな男が、
弱い男のその弱さにすがる以外に方法はない、
その母性本能だけをコマセに撒き散らしながら、
化粧けのない、つまりは、ブスをぶすとして許容してくれる男を、
優しい人、と言い換える、そんな無作欲的共産主義的、
みんなでブスなら怖くない的な、そんな人々を、人間とは思わない、
そう、ブスとヘタレに人権は要らねえ、なんてったってお前らは人間じゃねえんだから、
そんなことを嘯いていた、そんな記憶があったりなかったり。

そして、この俺、口では愛だ平和だ、と戯言を並べながら、
だがしかし、未だにタンスの奥の、バリバリのライダースの革ジャン、
襟を立てればまるで鷲が翼を広げたような、吸血鬼ドラキュラのマントさえも思わせる、
そんな徹底的なまでに、一種滑稽なほどにまで、攻撃的なそのスタイル、
そんな古き良き那智酢おたく的パンカーの忘れな草を捨てるに捨てられない俺にとって、

このベビーメタルの格好良さこそは、
そんなパンカー的那智おた的美学のその究極形。
そしてそんなベビーメタルのやり過ぎ、とも言えるほどの攻撃性こそは、
洗いざらしのペアルックのTシャツに、着古したベルボトムのジーンズ、
なんてのに象徴される、そんな腐れ無作欲的な、
民青的へたれ糞ブス的な馴れ合い的人権主義者的美学とは、
真っ向からぶつかり合う、まさに、対極の対極。

その象徴であろう、FIJI ROCK FES なんてところに持ってきて、
いきなりこの、まさに、那智酢の美学をも思わせる、
ベビーメタルのこの徹底的なまでの鋭角性を前に、
もしかしたらあの、古き良き民青的など百姓的ヘタレとブスの村祭り的人々は、
そんなベビーメタルの姿に、まさに、不ァ沈むの影、
強いては、那智ズムへの憧憬の、その真髄を垣間見た、のかも知れない。



そしてこの世界規模で巻き起こる俄な不ァ沈む・ムーブメントである。
いまや世界中が、この新興ウヨク、短絡的且つ孤立主義的な、
反知性的なカタルシスの中に沸き返っているようにも思える。

そしてそんな不ァ沈むの嵐は、
こうして地上42階の窓から眺めるこの猛吹雪にも似て、
もう誰にも止めることのできない、必然的且つ宿命的な、
そんなムーブメントにも思えて来たりもするのである。

子犬が倒れるにしろ倒れないにしろ、日本は結局ろくな方向には向かわず、
寅ンプが撃たれるにしろ撃たれないにしろ、アメリカは結局、ろくな方向には向かわない。

そう、既に堰は切られたのである。

理性と知性と民主主義的な理想論、
そんな戯言的建前的綺麗事の中で、
これでもか、と溜まりに溜まっていたストレスが、
いまや、インターネット時代の本音、という正論に姿を変えては、
怒涛となって世界を飲み込んでいく。

この溢れんばかりの悪意。
この匂い立つまでの悪徳。

そしてついには、地球そのものを何度も粉々にできるほどのスーパーパワーを持つ、
世界一の軍事大国であるアメリカ、
その中枢に、自らをダークベイダーと呼ぶ茶番的なまでの悪者ぶりっこが、
世界をリセットする、とその破壊と崩壊をぶち巻いては鎮座ましましているのである。

それを炉助の陰謀だ、時代の宿命だ、
あるいは、本当の本当に、神の望んだことであるのか。

その抑えるに抑えられない、
いまや、大津波のように人類を押し流そうとするこの不ァ沈むという潮流。

その時代の流れにいったいどんな態度で望むべきなのか。

そしてそんな世界的な不ァ沈むへの潮流の中で、
もしかしたらもしかして、我らがベビーメタル。

望むにしろ望まないにしろ、もしかしたら本当に、
そんな世界規模の不ァ沈む的ムーブメントの波にさらいあげられては、
不ァ沈むのアイドル。
或いは、それこそ、ブリキの太鼓に描かれたベブラ率いる小人楽団、
その歌姫ロスヴィータとしての、すぅメタル、そんな姿が、
実に実に、格好良くも思えてきてしまう、そんな危険な妄想を拭い切れない、
そんな猛吹雪の午後。

そう、この俄な不ァ沈むのムーブメント、
これに乗らない手はないぜ、そんな安易な迎合主義さえも感じさせる、
まさに自虐のドツボに陥ったたったひとりの猛吹雪のオフィス。

その地獄のような様を地上42階の窓から達観しながら、
不ァ沈むってのも、それほど悪いものじゃねえのかもしれないな、
或いはそう、こんな人類にはお似合いの結末という奴。

ベビーメタルが世界中のファ死すトたちのアイドル?
それならそれで、格好良いじゃねえか。
そんなことさえも思ったりする猛吹雪の午後。

そんな最低最悪の戯言に、眉をひそめる常識人的無作欲な方々。

改めて聞きたい。

この期に及んで、なぜ、不ァ沈むが、嫌いなのですか?





改めて俺は、無作欲でもなければ、那智おたでもない。
或いはそう、俺はもうそんなことにさえも加わることのできない、
つまりは、ニホンジンどころか、なんでもない人、なわけである。

ただそう、こうして日本を離れて既に四半世紀近くが経ちながら、
あるいはそこまで離れきったからこそ、
日本という国がよりあからさまに見えてきてしまう、というのは短絡だろうか?

そしてそんな短絡的浦島太郎的な視点からすると、
この日本を渦巻く、反核的ぶさよくな方々とそして、
子犬いがいは人に非ずを、鵜欲、と大間違えした、
ファ死すトにもなりきれない農村迎合的へっぽこウヨク。

そのどちらの言い分も、判らないわけではない、
あるいは、そのどちらもを、俺の中に共有している、と自覚さえする、
そんな多重人格者を自覚する俺である。

不ァ沈むは嫌いだが那智酢のファッションは好きだ。
あるいは、民性には虫酸が走ったが、
ボブ・ディランもニール・ヤングも大好きであった。

そんな倒錯的な、矛盾だらけの美学の狭間で、
そんな俺が、最も忌み嫌うもの、こそが、自由の阻害である。

そう、俺が、無作欲でも、那智おたにもなりきれない俺が、
なにを信条に生きているか、と言えば、ひとえに、俺は俺。
そしてそんな俺が最も嫌悪するのが、大衆迎合、
つまりは、集団主義、あるいは、馴れ合いの村祭り性、
つまりは、村落共同体的なものが、死ぬほど嫌いなのである。

そして俺は、こうして世界のメルティングポットからわが祖国を顧みながら、
そこにあまりにも深く根ざした、村落共同体的村祭り意識、
馬鹿兎よにかぎらず、無作欲にかぎらず、良い意味でも悪い意味でも、
その安易な迎合性ばかりが目につくのである。

そう、良い意味でも悪い意味でも、
日本社会のその甘えの根源とは、農村的迎合主義、
その打算的な村祭りてき共同体意識。

その惰性的な集団思考が、無作欲はおろか、
かのネトネト的な人々にさえ、べったりと張り付いたまま離れない。

そして、旅にでることのできないフォークソング愛好家と、
そして、不ァ沈むにさえなりきれない甘えた鵜欲、というのが出来上がる訳なのだが、

と同時に、そんな村祭り的村落共同体的な、
ネトネト的無作欲的な迎合性の中から、
何故にこのベビーメタルだけが海外での成功を勝ち得たのか。

それこそはまさに、この唯我独尊とも言える、絶対的なまでの孤高主義。

良い意味でも悪い意味でも、
いかにも日本的な村落共同体的な馴れ合いを一切排除した、
その独自性、というよりは、その独尊性にあるのではないだろうか。

そしてそのベビーメタルの独尊性こそが、
ネトネトそして無作欲という村落共同体的馴れ合い世界に生きる人々にとっては、
孤高の那智酢的美学を思わる、その理由なのではないだろうか。

と同時に、このベビーメタルの一種那智酢的、不ァ沈む的な美学に貫かれた少女たちが、
だがしかし、その戦いを、聖戦と呼ばずに、レジスタンスと、呼ぶ、
その秘密が隠されているのではないだろうか。



改めて、独断と偏見から言わせて貰う。

ベビーメタルの戦いは、レジスタンスにして聖戦に非ず。

ベビーメタルの掲げるTHE ONE とは、
あるいは、その目標とするところの世界征服は、
那智酢の掲げた聖戦、
つまりは、エスノセントリズムを信条とした民族浄化:エスニック・クレンジング
ではなく、
地球の全民族共存の中における、THE ONE なのである。

ただ、その美学の中枢にあるのは、
日本における村落共同体的馴れ合い迎合主義とは真っ向から対立する、
自我独尊的な、唯一絶対のTHE ONE であり、
そのTHE ONE の御神体そのものが、
日々の鍛錬の中に切磋琢磨を繰り返し、磨きに磨き上げた、
絶対美少女的三姫、その三姫を一つとしての、THE ONE。

そう、ベビーメタルの戦いとは、レジスタンス、
つまりは、抵抗であり、そして、反逆、なのだ。

それはもしかしたら、メタルという絶滅種の復活を賭けたレジスタンス、
あるいは、大手広告代理店に牛耳られたマスメディア、
その絶対権力の象徴であるところの、
いかにもてきとーにでっち上げられたジャリタレ、ならぬアイドル:偶像、
その、偶像に対して敢然と戦いを挑んだ、その反逆性であるのか。
或いは、もしかして、那智酢という現代のタブーの中のタブー、
その美学を敢えて翳しながら、
世界の金融界を牛耳る一つ目財閥に対する戦いなのか、
あるいはそう、世界をひとつに、
どころか、世界をたったひとりの我が物にしようと試みながら、
結局は世界でひとりぼっちに取り残される、そんな自国優先的保護主義の至る先、
その象徴である不ァ沈む・ムーブメントに対する、地球民族共存的なTHE ONE、であろうのか。

ベビーメタルのその戦いの行き着く先は誰にも判らない。

そしてそんなベビーメタルの戦いを導くものは、
もしかすると、貴方自身、その願望であったりもするのかもしれない。



という訳で、この最低最悪の一日。

バカヤロウ、こんな世界、すべてぶっ壊してしまえ。

暇に任せて開いたニュース・サイト、その毒気にやられては、
いつしか、世界の毒ガス・ダースベイダー:馬乗んの悪夢とシンクロすることにもなったのだが、

そうこうするうちに、さあ、そろそろいい加減にばっくれるか、

そう思った頃には、いつしか小ぶりになり、そしてあろうことか、青空さえも浮かべ始めた空。

なんだよ、なにが非常事態宣言の史上初の大雪だよ。

蓋を開けてみれば、なんてことはない、
たったの15センチにも満たない、ただのニワカ雪、そんな程度じゃないか。

という訳で、こんな世界、すべて雪に埋もれてしまえ、

そんな悪意の願いが、一步外に出た途端、あっけらかんとばかりに、ぺろりと剥がれ落ちては、
なんだよ、この雪、ぜんぜん大したことなかったな、と拍子抜けも良いところである。

つまりはそう、またまた、オーバーラン、つまりは、過剰反応という奴か。

という訳で、改めて見上げるニューヨーク。
白銀に包まれた、車の影の失せた無人の街の、
その大通りの真ん中に立って、バカヤロウ、と一言。

不ァ沈むだ?世界の終わりだ?第四の節目だ?

なにを寝言を言ってやがるんだよ、この、炉助の犬野郎が。
どうせあの酔っぱらい、寅ンプの弾除け、どころか、
そのうちきっと、ロリコン疑惑、世界最低最悪のペド男、
そんな醜聞に塗れきっては抹殺されることになる、それを確信している。

そして改めて言おう、

人はなぜ不ァ沈むに魅せられるのか?

それはつまり、キャビン・フィーバー。

ぶっちゃけ、自閉した結果、出口を失った自意識が、無様な腐敗を始めた、
それだけの話だろう。

そしてそんな自閉症的な不ァ沈むの潮流。

改めて言わせて貰えば、俺に構うな。

そんな馬鹿ども、俺には一切関係ないから、と。

そう、俺は実は、無作欲でも、糞那智でも、なんでもない。
いや、それでさえ、ない。

俺は俺。それ以上でも以下でもない。

俺が俺である以上、良いも悪いも俺が決める。
その土壇場的な極道性だけは、死んでも手放さないつもりだ。

そう、俺は日本人でも無ければ、アメリカ人でもない。
会社員でもなければ、ホームレスでもない。
俺が俺である限り、どこに行ってもなにをやっても、俺は所詮はこの俺。

ニューヨークがやばくなれば、ハワイにでもカナダにでも、
あるいは、メキシコにでも、パナマにでも、ブラジルでも、
あるいはバリ島でも、セイシェルでも、マダガスカルでも、沖縄でも、
行けば行ったでそれなりに幸せに暮らせる自信はあるし、
幸か不幸か、そんな世界中の楽園に、
こんな俺を快く迎えてくれるであろう、
嘗ての戦友たちのツテを残しているつもりだ。

そう、この世の不幸は、土地に縛られることによって発するのだ。

そして俺は、土地になど、民族になど、神にも信条にも、
そして自分自身にさえ、縛られたりはしない。

そう俺は俺、であると同時に、所詮の、俺、なのである。



嘗て、世界中を彷徨っていたヒッピー時代、

なにがどう考えても、何ゆえにこんな土地に、
わざわざしがみついて暮らさねばならないのか、
その必然性がまったく思いつかない、
そんな僻地の僻地、過酷な環境にただただ耐え忍んで暮らす、
そんな人々の不思議を垣間見てきた覚えがある。

こんなところで、一生を砂だらけになって暮らすよりは、
さっさと、あのバスに乗って、あるいは、ヒッチハイクなりなんなりで、
もっともっと条件の良い場所に移り住めば良いではないか。

通り過ぎる長距離バスの車窓から、
この海もなく川もなく、一日中砂嵐の吹き荒れる枯れ果てた土地で、
全身を疥癬に蝕まれては、日々、盗賊の襲撃に怯えて暮らす、
そんな老婆の姿を眺めながら、果たしてこの人々が、
この土地にしがみついて暮らすその理由はなんなのか、
その答えを探るべく、すみません、ここで降ります、降りてみます、
と衝動的にバスを降りてしまったことがあったのだが、

当然のことながら小一時間も経たぬ内に、
俺はその気まぐれを、心の底から後悔させられることになった。

そう、人が土地に縛られることに、理由も必然も存在しない。

選択の自由どころか、理由も必然も、これっぽっちも考えぬまま、
ただただ、生きるというのはそういうこと、と信じ込んで、あるいはそれしか知らずに、
そんな地獄の果てのような場所で、耐えに耐え、耐え忍んで暮らす、
そんな人々と共に砂嵐に煽られながら、

人間の悲しさ、愛おしさ、その強さに、心の底から感動しました、
なんていう、ちゃちな気分などこれっぽちもなく、
俺はただ、それを、無知の成せる馬鹿、と決めつけた。

老婆と共に、街道沿いの岩陰に身を止せながら、
そんな突如の異邦人の来訪を聞き知った村の子供達にこれでもかとおもちゃにされながら、
この子たちに、この土地で我慢して幸せに暮せ、ということが、果たして正義なのか。
あるいは、この子たちに、選択の自由、という思いもしなかった可能性に気付かせてしまうことが、
まさに、新たな地獄を呼び込む、悪魔の誘いであったのか。

半日近くをそんな街道沿いの岩陰で過ごした後、
ようやく通りかかった馬車の荷台の上、馬糞だらけの藁に塗れながら、
ようやくと村、というよりは、とりあえずは屋根のある程度の掘っ立て小屋の並ぶ集落に辿り着き、
そんなこの世の果てのような酒場のテーブルで、
そんな土地に暮らす人々と通じぬ会話の中で笑顔だけを頼りに、
一晩中に渡ってバックギャモンを繰り返していたわけなのだが。

改めて俺は、そんな土地を巡りながら、俺はこうはならねえぞ、と思い続けていた。

俺はこんな惨めな土地に、しがみついて縛られて暮らす、そんな愚だけは絶対に犯さない。

人間が土地に縛られ続ける理由など、あるいは、我慢して忍耐して、耐え忍んで生きねばいけない、
そんな理由など、なにひとつとしてない。

俺は一生、場所には捕らわれない、そういう生き方をしよう、と心に決めながらも、
しかし、その選択によって、いったいなにを失うことになるのか、
その代償の大きさについて、考えるにはまだ若すぎた、馬鹿すぎた、のではるのだが、
改めて、こうして、国を捨て、なにもかもを捨て去って、俺は俺、になってしまった俺、

果たして、後悔しているか?

答えは、NO である。

俺は土地を捨て、国を捨て良かった、と思っている。
それは正しい選択であった、と。

そう、俺は、あの砂嵐に包まれた村々を見ながら、
そこで出会った人々の素朴な笑顔に心の底から感動した、
そんなタイプの人間ではなかった、だけの話だ。

そんな人間であるからこそ、すべての忍耐すべての我慢に、中指を突き立てて、
そして俺は、俺でしかない微小な俺、として、
今尚、世界の片隅を塵のように漂い続けている。

という訳で、この、那智豚的、無作欲的、でさえもない、
自由奔放というよりは、徹底的な流民的、つまりは、無産階級的な立ち位置から、
社会の底辺から世界を見下す、その、暴虐無道の無手勝流的自分論のエゴイスト、
であることを、改めてご確認頂いた上で、

世界中のファ死す斗に向けて心の底からのファック・ユー、

この雪開けの青空に向けて、思い切りの両手を掲げては、二本の中指。

この俺の俺による俺の為だけのレジスタンス。

一生続けさせて貰うつもりだ。

そしてそんな絶望的な孤軍奮闘のそのテーマ曲、

ベビーメタル以外には、考えつかない。

唯一独尊の孤高のアイドルとして、世界を相手にたったひとりの戦いを挑むベビーメタル。

こんな俺が信じられるのは、ベビーメタル、だけだ。

すべてのファシストにくそったれ。
すべての迎合主義的村落共同体的な馴れ合い集団に、おつかさーん。
盛朋だ、ばーか、そこで一生臭い芝居を打ってろ。
そして寅ンプ、そして馬乗ん。知った事か、馬鹿。デブ共、腐れ死ね。

世界がどうなろうと、俺はベビーメタルと共にある。

そんな俺は、絶対に負けない。

降り積もった雪を蹴りちらしながら、
改めて、高々と掲げた二本の中指を、フォックスサインに変える、そんな俺、なのである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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