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日曜の午後の隠れ場所 ~ ニューヨークに安息のカフェテリアを求めて

Posted by 高見鈴虫 on 19.2017 ニューヨーク徒然   0 comments
ここニューヨーク・アッパーウエストサイドは、
古くからのユダヤ系居住区である。
最近では高級の頭に超の並ぶ、
特権階級的裕福層御用達の地区
となってしまったが、
このエリアに古くから暮らすユダヤ系の住民たちにとっては、
このアッパーウエストサイドをいまもユダヤ系住民のゲトー、
つまりは下町長屋的なイメージで捉えているようでもあり、
世界のサラダボウル、二四時間眠らない街ニューヨークの中でも、
このアッパーウエストサイドの地区だけは、
日々忙しさますばかりの現代社会の中にあって、
どこか一種超然とした時代の溺れ谷、
古き良きヨーロッパの裏通りに隠された中庭の午後の日だまり、
そんなひっそりとした長閑さが、どこかに残っている、
そんな地域でもある。



三月を半ばを過ぎて、ようやく冬将軍が撤退を始めた日曜日、
久々に見る青空の下、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びながら、
いまだ残雪の積もる舗道に足元を取られつつ、
そしていつものように、
勝手にユダヤ飯屋と命名した、
地中海カフェへと足を運ぶ。

駅前からのヴェルディ広場の裏手、
アムステルダム通りを奥に入った戦前からの雑居ビル群、
そこから覗く半地下への階段。
その一種、隠れ家的なカフェこそが、
最近の週末の昼食時の定番となった、
お気に入りのユダヤ飯屋である。

ひよこ豆をペイスト状にしたハマスから始まり、
キノアとパセリのたっぷりとはいったタブーリ・サラダ。
ババガニーシュと呼ばれる茄子のディップに、
網焼きのアンティチョークに、
そしてこの店の定番となるタヒーニ・ソースをかけた揚げたてのファラフェル。
それを熱々のピタパンで頂く。

この地区に越して来たばかりのころは、
近所にろくなレストランがない、
つまりは、まともなアジア系のレストランのない事に、
始終不満ばかりを漏らしていたものだが、
郷に入っては郷に従え。
ユダヤ人居住区ではユダヤ飯屋。
そうして行き着いたのが、
この隠れ家的な秘密の地中海カフェ。

手作りのイスラエル家庭料理が驚くほどの良心的値段で施される、
このベジタリアン・カフェ。
嘗て彷徨ったミドルイーストへの郷愁も手伝って、
最近では週末のたびに、
この隠れ家的なイズラエル料理屋、
犬の散歩明けの寝ぼけた頭を掻きながら、
或いは、久々に連絡の来た友人たちと連れ立って、
週末の午後の間の抜けたひと時を過ごすのが定番となっている。









この人種のサラダボールであるところのニューヨーク、
それこそ星の数ほどに世界中からのご当地グルメ・レストランという奴が、
軒を連ねているのであるが、
その中でも、毎週足を運びたくなるような場所というのは、
早々と巡り会えるものでもない。

まずは料理、そして値段。
生まれつきの重度の汗疹、21世紀的に言えばアトピー症であるこの俺は、
こと、MSG、つまりは味の素に代表される化学調味料入りの料理を食べると、
たちどころに背中、あるいは、頭が、痒くて堪らなくなる。
そんな宿命的な厄介を抱え込んでしまっている関係から、
どれだけ評判の名物のミシュランの星がいくつの、
と言われたとしても、
どうしてもこの身体が受け付けない、
という個人的事情による独自の価値基準が生まれてしまう訳で、
つまりは俺は表向きの宣伝に騙されない、
あるいは、世間一般の常識とは相容れない、
そんな特殊な事情を抱えている関係から、
俺の俺的な価値基準、というのがとても大切になってくるのではあるが、
このニューヨークの、星の数ほどあるレストランの中から、
そんな俺が、自分的事情の中から、厳選に厳選を重ねる中で、
そして忘れてはならない、唯一絶対なまでに大切な条件。

音楽。

そう、俺はこの音楽
その場所で流れている音楽、というのにうるさい。

うるさい、というよりは、まさに病的、と言われるがごとく、
店でかかっている音楽、というものに拘りがある。

ガールフレンドとの大切なデートの際に、
おすすめ星10この、激安激ウマレストランなんてのに足を運びながら、
そこでかかっていた音楽、その好き嫌い、というよりは、
耐えられない、というのが正直なところなのだが、
そのアトピー的な要因と相成って、この店でかかっている音楽の良し悪しから、
席についた途端に、ごめん、ここ出よう、となってしまったり、
或いは、その楽しい会話のひと時がいきなり一転豹変を遂げて、
店中に響き渡る声で、あの、この糞みたいなBGM、どうにかしてくれませんかね、
と不機嫌な罵声を響かせる、そんな暴虐無道の輩、なのである。

そう、音楽、俺的に言えば、これだけは、引くに引けない、
まさに、化学調味料へのアレルギーと同レベルの、死活問題的な超重要ポイント、
となる訳で、

いきなり態度を豹変させた俺の突如の激高の中、
いまにもテーブルを蹴り飛ばしそうな勢いの俺を前に、
ねえ、どうしたの?私なにか、悪いこと言った?と涙ぐむ女の子。
あるいは、なによいきなり、わたしのどこが不満だっていうの?
この人、最低、と席を立ってしまう子から、
そして、このかみさんはもう慣れたもので、
それとなく、トイレに行くを装っては、
店のご主人に、すみません、この音楽、もう少しだけでも、
まともな音楽に、OoPS、少なくとも音量を下げて貰えませんか?
なんてことをお願いしてくれる、まあそんなところがあうん狛犬でもあるのだが、
これまでの経験から、放っておけば本当にテーブルを転がす、
あるいはウエイターの胸ぐらをつかむ、
なんてことが実際に本当に起こりうることを知っている、
そんな経験則から、下手をすれば、そっとチップを握らせてでも、
このずっと来たかったお勧めレストランを、
たかがBGMの良し悪しなどで無碍にされてなるものか、
そんなかみさんの執念さえも感じさせる、のではあるが、
本当の話、俺はこの、BGMが気に入らない、という理由で、
席を立ってしまう、ということを、これまでに数限りなく繰り返して来た。

改めて言わせて貰えば、俺にとってその環境における音楽、
それはまさに、食におけるアレルギーと同じように、
まさに死活問題となる重要なファクターである。

その味や評判は差し置いても、
そこに流れていた音楽が気に触った、
あるいは俺的に言えば、
それは、好き嫌い、という次元よりは、
むしろ耐えられるかどうか、
この殺人超音波の中でどうやって正気を保つか、
という瀬戸際的問題、である訳なのだが、
音楽というものにそれほどセンシティブにならずに済む人々、
それは食のアレルギーと無縁の人々と同じように、
ある種の音楽に拒絶反応を感じない人々にとっては、
店で流れているBGMなど、まさに些細なこと、
二次的三次的な、とるに足らないこと、であるのだろうが、
そう、改めてこの俺的には、まさに病的なまでに、
この店におけるBGMこそは死活問題。
下手をすればその拒絶反応から、大喧嘩。
転がりようによってはそのまま、時としてあわや警察沙汰、
なんてものに発展したりもする、
そんな常時起爆剤を抱えたような崖っぷちの人生を生きるこの俺にとっては、
このニューヨーク星の数ほどあるレストランの中でも、
そんなカタワ的パラノイア的奇人変人が、許容できる場所というのが、
早々と見つかるものではない、というのもご納得頂けると思う。



という訳で、前述したこの、ユダヤ飯屋。

喧騒に包まれた駅前からのヴェルディ広場から、
残雪の積もるアムステルダム通りを奥に入ったところにある、
ポリバケツの並ぶ地下へと続く階段。
その奥にある看板もなにもない曇りガラスの奥。

その昼尚薄暗いこじんまりとした店内で、
よお、といつもの面々があごをしゃくってみせる。

この店、いついかなる時にも常時混んでいる。
創業五十年というから相当なものではある。
壁にはこれまでにこの店を訪れたそうそうたる奇人変人たちの名前、
ジョン・レノンから始まり、ルー・リードからイギー・ポップから、
アンディ・ウォーホールからキース・ヘリングから、
バーンスタインからヴォネガットからコーエン・ブラザースから。
そんな人々の名前が、実にさり気なくそこかしこに刻み込まれた、
そんな隠れ家的な場所。

ものの本ではこの場所は知る人ぞ知る的に有名であった筈で、
俺もここニューヨークを訪れた直後に、
ボブ・ディランの行きつけだった店があるらしい、
などと誘われては、ものは試しにと覗いた記憶があるのだが、
その頃はまだ免疫ができていなかったイスラエル料理、
そのすべてに強烈に幅をきかせたパセリを中心としたミドルイースタンの香料に、
連れの人々の好みが合わなかった、という理由からか、
それほどの印象を残した覚えもないのではあるが、

最近になってふと足を踏み入れたその店、
入った途端に、ああ、帰って来たぞ、とそんな気持ちになった。







帰ってきたな。
そう、ニューヨーク。
俺がニューヨークに始めて足を踏み入れた時、
その時にも、深夜になって覗き込んだ角のカフェテラスで、
確かにこんな曲を聞いたような気がする。
そのニューヨークで始めて聴いたサウンドに包まれるまま、
俺はいつしかこの街に四半世紀、足止めを食らうことになったのだが。

そしていま、数々の紆余曲折の中、
ついには、人類史上最低最悪の暴言王が世界の実権を握るに辺り、
もうそろそろこのニューヨーク、ヤサ替えを考える頃か、
とそんな黄昏時を感じないでもなかったのであるが、
そんな俺に、またまたニューヨークの神様からの、
実にさり気なくも強烈な贈り物。

これ、この音楽。。

なに、またBGMが気に入らないの?だったら他の店に行く?

半ばうんざりとした顔でドアに向けて回れ右をしたかみさんを引き止めて、

いや、ここに居る。この店、多分、あたりだ。

こんな音楽のかかっている店、
多分、料理もおいしいに決っている。

まずは、コーヒーを頼む。

ここニューヨークに置いては、
例えどんなに有名なレストランであっても、
このコーヒーの味にこそ、店で働く人々のその心意気が滲み出して来るもの。

つまりは、コーヒーの美味しくない店は、必ず、まずい。
あるいは、そこで働く従業員は、その店を愛してはいない。
愛の無い従業員に支えられた店は、いずれはどこかにガタが来る。
あるいはなにかを隠している。

そして音楽である。

店で流れている音楽のセンス。
そして、コーヒー。その香りに包まれて、
このカフェという環境自体が、なにか特別なベールに包まれて、
異次元的な空間を創出する。
これぞ、ニューヨークにおけるカフェの美学、そのもの。

で?どうなの?そのコーヒー、気に入ったの?

というかみさんの怪訝な表情を受け流したまま、
髭面に長髪の若者が持ってきたメニューに目を通してみる。

マサバチャ?シャクシュカ?ファバ?ラバニ?

なにがなんだかさっぱりわけが判らねえな。

とは言いながら、普段であれば、
そんな不親切なメニューを見た途端に、機嫌の悪くなる俺が、
大丈夫、と一言。

大丈夫、このコーヒーと、この音楽、
こんな店で出される料理、なにを頼んでもまずい訳がない。

という訳で、だったらあれ、と右隣のテーブルを指差すかみさん。

あのフライパンの上に目玉焼きとほうれん草の乗った、あの鉄板焼きみたいなの。
で、あんたは?だったら、あれ、と左隣のテーブルを指差す。

そんなかみさんに、当たり!これ、最高に美味しいわよ、激しくお勧め!
と途端にお喋りを始める常連さんたち。
このお店、もう二十年も来てるけど、なにを頼んでも本当に美味しいわよ。
で、なにがお勧め?
なんでも。なにを頼んでも絶対に美味しいは。ただわたしのフェイバリットは、というと・・

途端にそんな、ユダヤゲットー的な下町談義に巻き込まれたかみさんを放っておいたまま、
そう、この音楽。このBGM。

なんだってこんな地中海レストラン、
この不愉快な冬の木枯らしの中で、
よりによってレゲエ、なんて音楽がかっているのか。

ただこれ、レゲエの定番と化したボブ・マーリィでもない。
そう、それがありふれたボブ・マーリィであったら、
俺は多分、この店にこだわることもなかった筈だ。





狭いテーブルの間で身を捩るウエイターの一人を呼び止める。

この曲、なに?

さあ、と笑うウエイター、ノセ、とスペイン語で答える。

ラテン系?なんでイスラエル・レストランに、ラテン系のウエイターがいるのだ?

ただそのスムーズな動きそのものが、この真冬に聞くレゲエの、
そのまったりとしたモードに完全にシンクロしている。

という訳で、この木枯らしに覆われた冬枯れの大都会で、
あまりのも気持ちの良いカリブ海のレゲエ、その絶妙のミスマッチ。

思わず取り出したIPHONEで、シャザム、と立ち上げた頃には、
すでに、終奏を終えた絶妙のレゲエは、そのリフレインをフェーズアウト。

あらら、行っちまった、と思った矢先、
なんだこれ。

ば、ば、ば、バックマン・ターナー・オーヴァードライヴ?





おいおい、なんだってこの21世紀、
この真冬の冬枯れの日曜日、ユダヤ人ゲトーの地下室のカフェテリアで、
レゲエから、そして、こんなバックマン・ターナー・オーヴァードライヴなんていう、
この時代、世界の誰一人として忘れさっているだろう筈の、
そんなイニシエの忘却のメロディが流れていなくてはならないのだ。

そうこうするうちに届けられた料理。

料理の紹介から召し上がれともなんの挨拶もなく、
ただテーブルの上にほらよ、と投げ出されたその皿。

流れる音楽に意識を取られたまま、ふと口に運んだそのハマス。

美味い・・・ 凄まじく、美味い・・・

これまで、ハマスと言えば、
その辺りのユダヤ系スーパーで買ったパック詰めのものばかりであったのだが、
この、見るからに手作りの家庭料理風のハマス。
なにからなにまでまったく違う。

うまいな、これ、と思わずかみさんの顔。

おお、美味しい、と目を輝かせるかみさんに、
それとなく様子を伺っていたテーブルの常連さんたちが、
満面に満足そうな笑みを浮かべては頷きを繰り返す。

どう?美味しいでしょ?このお店のハマス、まさに世界最高。

そして流れ始めた曲。JAZZ...

いきなり転がりでたジャズ。

誰、これ・・ CHICK COREA? いや。。

ああ、 AVISHAI COHENか。。 す、す、すごい選曲だ。





いきなり目の前に転がりでた地中海のあのインクを流しこんだような碧い碧い海の色。

誰だよこれ、この、BGMの選曲者。。

まるで綴織りのように流れ続ける、このあまりにもあまりにも、
この冬枯れのニューヨークの、
このヒップホップとテクノのパッチワーク的二十一世紀の音楽トレンドから、
決定的なばかりのミスマッチした選曲。
ただそこに流れているもの。

つまりは、潤い、つまりは、憂い。つまりは、そう、叙情性なわけだろ。

究極にセンチメンタルな音。

日本人の音楽感に必要不可欠な、そして多分、世界中の音楽愛好家、
そんな人々にとって、最も大切な、この、環境に溶け込んだ空気のような音楽。

日本には日本の、そしてインドにはインドの、そして、イズラエルにはイズラエルの叙情性があり、
そしてそんなピュアな叙情性を刻み込むことに成功した音楽。

これは国籍を越え、人種を越え、民族を越え、全人類的な原風景にもリンクする、
不滅の名曲として、こんなへそ曲がりの音楽愛好家、
音楽の好き嫌い、どころか、許せる許せない、
つまりはそこに、アレルギーの発作さえも見てしまう、
そんな病的なまでの音楽マニアの胸に深く刻み込まれることになる。

そしてそんな病的な音楽愛好家にとってのそんな音楽の流れている場所。

まさに、帰ってきた、あるいは、ついに辿り着いた場所、でもあった訳だ。







という訳で、このニューヨークにおける究極の安息のカフェを求めて辿り着いた、
この、ユダヤ飯屋。

人種と問わず民族を問わず言語を問わず、そしてジャンルを問わず、
良いものは良い。

その恐ろしいまで、最早魔法とも言えるほどに耳障りの良い音楽。

その絶妙の選曲と相成って、このユダヤ飯屋、

ようやく訪れた週末、人生の中でまた辿り着くことのできたそのひと時の平穏を過ごす為の、
まさに、シェルター的場所。安息のカフェテリア、となった。

訪れるたびにその選曲が変わる。

ある時はレゲエ、ある時はジャズ、そしてある時はテクノ、であり、
ある時はよりによってメタル、あるいは、パンク、であったりもしたのだが、

どうしてだろう、例えそれがどんなジャンルの音楽であったとしても、

一度そのカフェに足を踏み入れた途端、
たちまち反応を始めた俺の身体がみるみるとそのBGMとの融合を始める。

その脳みその溶け出してしまいそうなほどに、まさに魔術的なまでに心地よい音楽。

それはまさに、午後の日だまりにつつまれた地下室のゲットー・カフェのテーブルで、
どこの国のものとも判らない、名も知らぬ料理に舌鼓をうちながら、
この超絶なまでの無国籍性の中にで、すべてのしがらみから解放された、
まさに、俺の俺による俺だけのための、そんなひと時。





という訳で、そんなご機嫌な日曜日の午後の隠れ家。
いつしか顔見知りになっていた、その店のスタッフから、そして云十年来の常連たち。

当然のことながら、思った通り、
蓋を明けてみればどれもこれも強烈な、
そして一種病的なまでの音楽マニア、
であったことは言うまでもない。

その強烈なまでの雑食性。
人種を越え、言語を越え、宗教を越え、時代を飛び越えて、
その間で絶え間ないすったもんだ行きつ戻りつを繰り返しながら、
そこに探し続ける、新たなる時代、その必然性、あるいは宿命性。

イスラエル人のレゲエ・マニア、
オランダ人のヒップホップ・フリーク、
ラテン系のメタル・ヘッド、
ハーレム黒人の、尺八演奏家。

まったく訳が判らない。
ただそう、それこそがニューヨークの醍醐味。

ベルベット・アンダーグラウンドと、ピーター・トッシュと、
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと、ヴェルディと、
レディ・ガガとミッシェル・ポルナレフの間にあるものを探し続ける、
この病的なまでの音の探求者、あるいは神経症患者たち。

そんな人々との、束の間の会話の中で、
で、ニホンジン、あんたのお勧めはなんなんだ?

前にご好評頂いた裸のラリーズに次なるもの、
もちろん、ベビーメタルである。

ただ、とふと考える。

果たしてベビーメタル、この店で、BGM としてかけるには、
果たしてどうしたものなのだろうか。

そう考えた時、ふとそこに、ベビーメタルの特異性、
というものが浮かび上がってくる訳で。

という訳で今回、非常に不本意ながらも、

これ、頼むから、家で、ひとりで、聴いてみてくれ

と、その秘密のリンク・アドレスをお渡ししつつ、

そこにある、ベビーメタルの特異性についての考察、
お渡ししたリンク、ベビーメタル・LIVE IN WEMBLEYの秘蔵CD音源、
その感想も合わせつつ、
改めて、次回への宿題、とさせもらうつもりだ



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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