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ベビーメタル天童説 その狐火的試論 

Posted by 高見鈴虫 on 19.2017 日々之戯言(ヒビノタワゴト)   0 comments
ああ、ははは、
いやあ、違う違う、やってないやってないって。

いやあ、さっすがってか、いきなり来たな、おいおいおい・笑

へえええ、正直ちょっと驚いた。
日本にでもいるんだね、そういうの一撃で判っちゃう人。

つまり、草とか、苔とか、
そういうものが、もう日本も世界標準レベルってなぐらいにまで、
わりと一般化して来ているってことなんだよな。
はいはい。

へえ、ニホンジン、ちょっとは大人になったじゃないか!
ならば、話は早い。
ならば、だったら、そろそろと粛々と、
本気というか、本音で、まっとうな大人の話、って奴を、
始めようじゃねえか。






* 以下、ちょっと大人のはなしだよーん。 閲読は自己責任でよろしこちょんまげ。





でまあ、最初に断っておくが、と、改めて繰り返せば、
俺はもうそういうのやってない。
ぜんぜん、これっぽっちも。

昔やりすぎた、ってのは認めるが、
そう、懲りた、というか、底が見えた。
つまりは、まあ、どんな方法を使ってみても、
俺なんか所詮こんな程度。
あるいは、どんな魔法を使ったとしても、
何事かを極めるために必要なことは、
神憑りに非ず。
直感的衝動でも天と地を体感した無敵感覚、でもなく、
地道な努力、それ以外にはありませんぜ、
という、まあ言ってみれば当然の回答に行き着いた訳で。

ただ、そんな戒め的境地、
というか、まあ、見極めがつくまでの間の、
あのロング・アンド・ワインディング・ロード、
その紆余曲折の間に培われた失敗の数々ってのが、
まあ今になってみれば、馬鹿に馬鹿を重ねた甘い思い出、
っていうふうに達観さえ出来てしまう、

と同時に、ああ、こう言ってしまうとまた人格を疑われそうではあるが、
気に入らない音や言をどうしてもシャットアウトすることができなかったり、
あるいはそこに、見たくもないものが透けて見えてしまう、
そんなつもりになってしまったり、なんていう副作用も、
あの時代を経て培われてしまったものであるのかないのか。

でまあ、そんな表裏一体化するこの世界の狭間を垣間見た、
そんなつもりになっていた時代もある俺にとって、

まあ言ってみれば、世界なんて、あるいはそこに暮らす人なんて、
アッパーか、ダウナー、でしょ?それだけなんじゃない?、なんていう極論。

それはなんというか、エスか、エムか、なんてのと似て、
まあそう、個人的な趣味、というよりは、タイプ。

つまり、だからと言ってなんなの?少なくともそれを、
他人に強要する意味も価値も権利もないんじゃない?

なんていう、ちょっとした達観、言うなれば諦めの境地、
なんてものを感じていた頃もあったかなかったか。

ただまあ、そう、おっさるとおり、
これはま個人的な趣向ではあるのだけれど、
確かに、あのキマった状態で聴いた音楽、
その天国的なダウナー系ミュージックの、
その必然性に基かれた宿命的サウンド、
あの、究極性だけは忘れに忘れられず、
音楽の良し悪しを感じ取る際の、
その感性の重要な基準になっていることだけは否めない。

そう、以前友人にも言われたことがあったのだが、

おまえの音楽的センスってか、価値観ってか、
それってつくづく、アレ。
ぶっちゃけ、らいって聴いて良くない曲は受け入れない、
それだけの話なんだな。

つまり、キマった時に良く聴こえる℃ラッグ・ミュージック、
そんなタイプの音楽ばかりを、良い、と決めつけている、
そういうことな訳か。

そんな筈あるか、あるのか?ないのか?
とは思いながら、そう言われて見れば、
そう言えないこともなくはなく笑

ただ、俺の持論から言えば、
優れた音楽、ジャンルを問わず方法論を問わず、
その一種極めた音楽というのは、必然的に、そんな超深層心理的な次元における、
その意識の根幹をも揺れ動かす超自然的なパワーを持ちうる訳で、
で、そのレベルにまで達し得た音楽こそが、
まさに、音楽の極限、と、
まあそう、申し上げているだけの話・・・



でまあ、ご指摘頂いたように、
そう、ダウナー的音楽と、
そしてアッパー的音楽は、
違う。

で、ぶっちゃけ、ステレオタイプ的な範疇で言えば、
ベビーメタルはテンション系音楽、
つまりは、究極のアッパー系。
それも、どどどど級の、
超極限的テンション・ミュージック。

で、先に上げた、あの、安息のカフェテリア、
あそこで流れていたのは、おっさるとおりのおさるさん、
まさに、ダウナーのダウナーなダウナー的カフェミュージック、
それに包まれた午後の日だまり。

で先の話。
優れた音楽、ジャンルを問わず方法論を問わず、
とは言うものの、
その根本にある、民族性、という奴。

世界各国を、そんな視点からも考察し続けてきた俺的には、
世界津々浦々、各国の、そのご当地で愛された嗜好品と、
その伝統的音楽、てものは、実に実に密接にリンクしていたりもする訳で。

例えば、インド音楽のあの、
うねうねといまにも船酔いしそうなあのシタールの調べ。
シラフで聴いて、んだこれ、糞だな、と投げ出すのは言わば当然。
でありながら、
そう、そこには秘密の鍵が隠されている訳で、
んだこれ、糞だな、と短絡し独断風を吹かせていた訳知り顔のヒョーロンカ面が、
一度、その鍵、であるところの、ふと回ってきたその臭いタバコを吸い込んだとたん、

おおおおおっ!判った!となる訳で。

そう、この、おおおおっ!判った、の瞬間こそが、
音楽の、あるいは、学びの、醍醐味でもある訳なのだが、
そのまさに、インスピレーション、という奴。
つまりは天啓という奴。
まさに、知覚の扉の開かれた瞬間。

世界津々浦々に存在する、
ありとあらゆる伝統文化・民衆芸能は、
実は、要らぬ政治的関与、
その強制的n洗練浄化が行われなければ、
そのすり替え誤魔化し捻じ曲げが行われない、
気の気の気のところ、
その原形とは、まさしく呪術。
つまりは神降ろしの祈祷、
或いは精霊との対話、
そして本気で本気の悪霊退散!
その神懸かり的神降ろしの儀式において、
祝詞に乗せられた、歌、そして舞踏、
そしてその呪術的道具として使われる、
この、嗜好品、とは、切っても切れない必需品。

まさに、呪術の呪文と歌と踊りが、
ラリラリへべれけの超自然的トランスパーティー、
その相乗効果のためのモーターとして使われてきたのが、まさに人類の定番、であったりもする訳で。

で、その中には、必ず、必ず、
神に捧げる魂の祈りの中で、
鍛え上げ続けられた伝統芸能、
だがそこに、
いきなり一発輝いたインスピレーション、
それによって爆発的に広がり続けるイマジネーションの嵐。
この天啓的インスピレーションによって開かれた
その知覚の扉こそは天国に通じる階段、
であるわけで、
世界津々浦々、時代の風雪に耐え続けた芸能の中には、必ず、必ず、この呪術性と同時にそこで用いられたモーターとの必然的宿命的相関性、
そして知覚の扉をこじ開けた、神懸かり的インスピレーション、その魔性が眠っているのである。







その典型は、例えばあの、インドネシア。
ジャワ島からバリ島へと旅をした際、
底に流れていたガムラン、という音楽。

ジャワ島のあの、風の流れるような涼やかなゆったりとした流れ、
まさに優雅な王宮文化の究極でもあるわけなのだが、
そこから、バリ島に渡った途端、
いきなり弾け散るような十六ビートの壮絶なテンション的リズム。
ケチャケチャケチャの壮絶な連呼の中に、
これこそまさに、草から、茸へと移行した、
そのパラノイア的な異次元ワープ、その、明確な体現が転がりでる訳である。

同じように、日本という国の中でも、実は実は。

昔の記事に上げた、あの、ジャパニーズ・バンブー・フルート、
あの尺八の音色と、草、との関係、あれにはもう、切るに切れない間柄。
一聴して退屈な、あの、鬱蒼とした竹林に風のそよぐような、
そんな平和な山間の響きが、
ひとたび、あの、青々しい香りの中に包まれた途端、
いきなり、ぐーんと持っていかれる天上の果て。
その身体が天地を揺すように揺れ動いては、
天上に開いた穴に引きずりこまれては身体中が溶け出してしまう、
というぐらいに、
強烈な吸引力を持ってはまるで竹の調べに縛られたまま、
操り人形にされたかのように突き動かされる、
そんな究極的な℃ラッグ・ミュージック、であったりもする訳で。

という訳で、ぶっちゃけ、この℃ラッグと音楽との絡み、
それを、もっとも正直にぶちまけていった、
言わば、究極的な℃ラッグ・ミュージックの先駆者、
と考えるのが、なにを隠そう、ザ・ビートルズ。








いまや、ニューファミリー的、
平和でリッチで理知的な、そんな平和のシンボル、
とされているかもかもなこのビートルズという一見して優しいバンド。

ただ、このビートルズこそが、
実は、音と、℃ラッグ、その連鎖性を追い求めた、
そんな深層心理実験的なバンドであった、という事実をご存知か?

初期のビートルズが、酒、的な、
ハイパーバカ騒ぎ的、アルコールの酔客を相手にした、
ロックンロールという音楽体系から、
リボルバーという革命的な一撃によって、
いきなり、草的次元へのマジカル・ミステリー・ツアーが始まり
Lucy inthe Sky with Diamondで、無限の彼方。
ホワイト・アルバムという錯乱を経て、
アビィ・ロードでの飽和を迎え、そして、ついにはLET IT BE、となる訳なのだが。
その、ロング・アンド・ワインディング・ロードの果てに空中分裂。
ジョンはニューヨークで政治運動に、ポールはマリア様にすがり、
リンゴはわけも判らずオタオタするうちに、そして、ジョージはインドへと旅立った、と。

という訳で、勝手に断言させて頂ければ、

ビートルズのかもしだすあのいかにもなぬーふぁみりー的イメージ。
ミンセイのペアルックなニューミュージックファン、みたいなヘタレのガキが、
僕、やっぱり、ビートルズだと思うんだよね、などと、
あらまあ、貴方という人は、洋楽にも造詣が深くいらっしゃいますのね、

なんていう腐った会話に思わず水をぶっかけては、
あのなあ、ビートルズってのは実は、きゅーきょくの℃ラッグ・ミュージックだった、
それを判って、んなことを囀っているわけかい、と。
草も食わずしてビートルズを騙るなかれ。
ロックを、舐めるな、と・笑

そう、その後、いまに至ってもそこかしこに存在する、
ビートルズの呪縛の中にいきる音楽家たちの撒き散らす、
ビートルズモドキの音楽。
その根本的な違い、というのも、実にそう、隣から回ってくるあの臭いタバコ、
あれ紫の煙と、リンクするかしないか。

その妖しい価値基準こそが、
その絶対的な相違点、
つまりは飛ぶか、飛ばないか、
なのであったかなかったか。

という訳で、ここまでの話がちゃんと理解できた大人の諸君、

そろそろ本題である。

ビートルズがダウナーであり、ジミヘンははまさに、その極み。
インド音楽やジャワのガムランが草であれば、バリ島はまさにおばけキノコ。
ジャズの究極が屁ロインであり、演歌が焼酎であり、ブルースはバーボン、

であるとすれば、果たして我らがベビーメタル。

果たして、ベビーメタルと絡み合う、その、究極のなんちゃら、とはいったい何か。

さあ、ご意見頂戴、ちょーだい!







おいおいおい、いったい何だよ、この話。

カタギの俺にはいったいぜんたい、なんのことか、さつぱり、判らない。

そう、判らないでも良い。いや、判らない方が無難であろう。

ただそう、こんなツアーの狭間の空き時間でもなければ、
こんな戯言、始めることもなかろう。

なので、暇つぶし、という程度で、読み流してくれい。

でそう、改めて、ご質問頂いた、
いままで、一番凄かったトリップ音楽?

そう、これ、実は、後に改めて書き上げようとは思った、
その激しいネタバレ、ということになるが、
まあそう、前宣伝だ、えいやーとー!

それはまさしく、バリ島。
それもクタやらサヌールやら、あんなところでは、ない。
ウブドゥから更に山間を分け入った、
あの霧に包まれた廃墟の寺院で行われた、
神降ろし的雨乞いの儀式。

俺はあの夜、明らかにその眼前に、
八百万の精霊たち。
悪魔と天使の舞い踊る、
まさに、生と死、正気と狂気、
地獄と天国の渾然一体とする究極のブードゥー。

つまりはすべての音楽はブードゥーに通じる、
つまりは、音楽は神降ろしのためにあり、

その究極系を、垣間見た、ことがあったかなかったか。



改めて、詳細はまたの機会に譲るとして、

このバリ島における、魔法キノコと、あのガムラン。
サンヒャン・ドゥダリから、レゴンから、バロンの登場を見る、
古代のラーマヤナの時代の、あの神々の神殿の世界に、
もろにおもいきり異次元ワープ、それを目的としていた訳で、

で実は、前々から、ちょくちょくと、実は実にそれとなく、
そのあたりのところを匂わせていたつもりではあるのだが、

このバリ島の伝統芸能であるところの、憑依舞踊サンヒャン・ドゥダリ。

因みにWIKI的に言えば、

サンヒャン・ドゥダリ(Sanghyang Dedari)とは、
バリ島で見られる憑依舞踊であり、
元来は、流行病や凶作を追い払うための儀礼舞踊であり、
初潮前の少女が踊り子になる。
今日のケチャの原型でもある。

俺があの時、ひょんなことから体験することになった、
このバリ島の山村でおこなわれた、本気で本物の、
宗教儀式としての呪術的なドゥダリ、
そこで体験した脅威の恐怖の驚愕の、
あの百鬼夜行のトランス・ライブ、
その思い切り、モロな原型的な、トランス状態における神降ろし、

その凄まじいまでの光景と、まったく同じものを、
実は、あの、ニューヨークにおける、
ベビーメタルの公演に、見いだしていた、のである。







いやあ、ははは、これを言ってしまうと、
まさに、元も子もない、訳ではあるのだが、
はい、ぶっちゃけ、俺のこの、ベビーメタル天童説、

皆様からもご注釈頂いた、
ベビーメタルは神楽であり、
ヤマタノオロチであり、
龍神の使いであり、
そして、神の申し子である、
ってな、一見しておかしな論法に
実は激しく賛同申し上げる、
そに根拠と言うのが、
実はこの、バリ島における究極のトランス体験、
その、まったくもって、そのもののトランス空間を、
このベビーメタルのライブに見出した!
というのが、その理由なのである。

で、改めて、この憑依舞踏と、
そして、そこでモーターとして使われる、
その土地独自の、
神との対話に用いるためのその呪術的道具。

改めて、ベビーメタルと同質のトランス状態を創出した、
あの、バリ島における伝統的なモーターとは、
まさに、魔法キノコ。

Lucy in the Sky with Diamondと同様の効果をもたらすと言われる、
トリプタミン・アルカロイド、

あの、七色の虹に包まれた鏡の間。
あの、停めるに止められないジェットコースターの錯乱状態とは、
まさにあの、魔法キノコのトランスに間違いはなく。

で、おかしなことに、
このバリ絵に代表される摩訶不思議なほどに強烈な伝統芸術、
あれとまったく同じものを、実はメキシコはアステカ文明の中にも見出してしまう訳で、
で、アステカ文明の持ち得たあの、得も言えぬ恐怖と暗黒の生贄文化。
あの元になっていたのが、まさに、この、魔法のキノコ、ならぬ、
ペヨーテ、と言われる、おばけサボテン、であったりもしたわけで。

幸か不幸か、このアステカ文明の資料はまったく残されていないのであるが、
あの、死者の仮面、やら、生贄のうんちゃら、やら、
天国と地獄、善と悪、聖と魔が渾然一体となったあの魔術的な世界観。
あれこそはまさに、バリ島で垣間見たあのトランス・ダンス、
あの究極系が、絶対君主とリンクしてしまった結果の地獄絵図的な恐怖政治。

政と宗が入り乱れ、互いが互いを利用し尽し食い合った末の魔術・呪術国家。
その無残な残骸の跡、ではなかったのか。







という訳で、相変わらず行きつ戻りつの狐火的駄文の羅列である訳なのだが、

果たして、このベビーメタルにおける、究極の友、とはいったいなにか。

いや、あの、そういう話題やめません?という懸命な諸氏。

確かにそう、憂鬱な月曜日を前にしてのこの反動的なカウンターパンチ、
この、壮絶なる、逃避パワーのその迸る姿、ではあるのだが、

あえていう、ロックと言わず、音楽、と言わず、
あるいはエンターテイメント、そのもの、その発祥こそが、
まさにこの、神懸かりの神降ろし的儀式。
でその呪術的道具として使用される、
現代で言われるところの℃ラッグ。
この間には、まさに、切っても切れぬほどに
密接に関わりがある、
ってのは、紛れもない事実。

で、そう、そういう極論から言えば、
結局つまるところ、この世の中、
特に人の世など、アッパーかダウナー。

だって見てみろよ。

鵜欲、と言われる人々、あの言動からなにから、
さぶ、と言われる、ぶっちゃけたところろのスピード、
つまりは、メタ・アンフェタミン。
あの冴え渡ったラリパッパてき元気一発的な、
直感と衝動がいきなりの直接行動にリンクする、
そんなエキセントリックなサブ中的世界観を暴走させているだけの話。

で、砂欲と言われている人々のあの、
けんか、やめませんか、めんどくさくなくなくなくないですか?
というあの、だらだらとした様子こそはまさに、ダウナー。

つまりはそう、鵜欲砂欲日光欲?
ただのさぶ中と屁ロ中、
その世界観の違い、それだけだったりとか、
しませんか?と。

でまあこの時代、
まさに、スピード・ボールのカクテルの時代、
ぶっちゃ、いかにもダウナーな、
お外にでるのも面倒くさい、
ってなタイプの絵に描いたようなダウナーっこが、
いきなりさぶぶちこんで元気いっぱいでキーボードの前、
あるいは、見るからにヤバそうな日常性酔っぱらいのチンピラ風情が、
その紫の甘い霧の中で、
いやあ、僕達
もっと愛し合ったほうがよくないっすか?
邪魔するならぶっ殺しますよ、
と暴走するなんとか隊、ともなる訳で、

まあまあ、だんなたち、ぼっちゃんじょうちゃん
そんなところで、赤勝て白勝て、やってる場合じゃなくないですか?
だってあんたら、ただの、アッパーとダウナーと、
その個人的嗜好と社会性を、ごっちゃにしているだけ、とか、思いません?

自身とは相容れない嗜好を持った人々も合わせての社会、色々な人がいて、
だから世の中おもしれえんだよ、と、
そう言う心の余裕、思い出しません?

でまあ、そんな暴言的極論を並べ上げながら、
そう、もうそういうことは良いんだよ。

そう、つまりはまあ、ベビーメタル。

ぶっちゃけたところ、
こちらで、メタル、と言えばまさに、クラック。
あるいは、メス。
つまりはそう、さぶと同じアッパー系。

あの強烈なまでの興奮剤の一撃で、いきなり死人が踊り出す、
となる訳なのだが、切れた途端にゾンビー化してしまうこのチープな天国煙。
それを際限なく繰り返すところにその魔性が潜んでいる訳で。

で、まあ、そのクラックヘッド御用達のこのメタルという音楽。
である訳なのだが、ぶっちゃけ、それだけであったら、
俺はなにも、このベビーメタルに惹きつけられたりはしなかった。

ベビーメタルはそこに、こともあろうに、まさにスピード・ボール。
苔インと屁ロインを混ぜ合わせたかのような、
究極のアッパーと同時に、究極のダウナーの要素、
ぶっちゃけそれは、あの、地平線に広がる夕日、
あるいは、銀河系の星屑たちをも思わせる、
悠久の大海にみちた、マニュピレーターの音色。

そして、そこに、Lucy in the Sky with Diamondの、
魔法キノコ的なトランス状態の憑依舞踏が加わる訳で、

言ってみればこれ、もう、まさに、危ない℃ラッグのてんこ盛り状態。

なのでこのベビーメタルという偶像を、

さぶ的な直感衝動的鵜欲的な美学を見出す人と、
愛と平和の可愛さの中でラブラブ的悠久を思う砂欲的な人、
それが混在する、というのも然るべきものであり、
その相容れぬふたつの美学の間で、その観点に相違がでるというのも、
当然な話。

でありながら、
俺的には、そう、この俺的、極個人的な見解、
あるいは嗜好から言わせて貰えば、

俺はベビーメタルに、あのバリ島での憑依舞踏の真髄を見た、
と直感した訳で、つまりはそう、魔法キノコ、
あの、善と悪、聖と魔、正気と狂気の渾然一体と化した、
つまりは、自然神、その、具現化した姿。
その魔術性、的なものを見てしまった訳で、

果たしてこのベビーメタル、

まさに、人類の深層心理のその根源をも揺れ動かす、
まさに、魔術的な憑依舞踏の神降ろし状態。

そんなキワモノのキワモノ的なパフォーマンスを、
国境を越え、海を越え、山を越え、
まさに、これでもか、とばかりにぶち撒いている訳で、

いやはや、まさに、これはこれは。

で、こんな神降ろし的な、究極のキワモノ的なパフォーマンス、

まさかそんなもの、午後の木漏れ日に溢れた週末のカフェテリア、
なんてところで、ぶちまけて、良い訳が、ねえじゃねえか、と。

という訳で、そう、ベビーメタルはそういう音楽ではない。

つまりは、すたーばくすでかかっているような、
あーゆー、カフェ、的な音楽とは根本的に異なる、と。

そして改めて、経験則的に私論を続けさせて頂ければ、
ベビーメタルの美学は、酒でも、草でも、苔でも、屁でも、ない。

強いて言えば、それは、まさに、地上最強の魔法のキノコ。

やった人なら判るだろう。

そう、ベビーメタルは、魔法キノコ、
それから導き出される、あの、地球意志と一体になった異次元空間。
あの魔術的トランス世界の申し子、なのである。

という訳で、いやはや、なんとも妙な結論に至ってしまった訳ではあるが、

これでお答えになりましたでしょうか?



で、まあ、そういった事情から、
俺は暫く、つまりは、このカタギの暮らしを続けないと生活ができない、
ってな関係から、そのなんとも面白そうな実験とやらを、
実施することが、できない、この体たらく。

なので、人生諦めた暇な御人。

できるなら、試してみてくれ。

ありとあらゆる、その、なんというか、モーターを用いて、
果たして、ベビーメタルというあの超絶な媒体が、
いったい、なににどう作用するのか、
その実施の、フィールド・ワークの、その体験的実験結果、
ぜひともこつそり、教えて欲しい・笑



で、まあ、いま考えているちょっとしたテーマなのだが、
自分で忘れないようにいまのうち書いておく・笑

前回、あの最低最悪の狐火、
あの中にちょっと匂わせた、
ベビーメタルとファシズムの美学、
そのあまりにも絶妙なパーフェクトマイッチングマチコ先生。

で、それをかっ飛ばしていきなし結論にいってしまうと、

世界は今、オカルトに向かってんじゃね?と。

政教分離原則のたがが外れると、その先にあるのは、魔術的神頼み的、
まさに、オカルト世界、そのもの。

そうなんだよ、あのアステカ文明、
あるいは、ジャン・クロード・デュヴァリエ・笑
で、そう、そういえば、我が国でも・・・言わねえ言わねえ、余計なことは言わない。

ただ、で、その血に塗らえたオカルト的恐怖の大魔王の専制君主、
その、守り神にあたるのが、ベビーメタル=ベブラの小人の楽団、
そのものじゃねえか、と気づいた時、
それ、あまりにもグロテスク、そして、あまりにも、格好良さげ。

なんて危ないことを感じつつ、いやなや、この反知性主義の行き着く先、
つまり、これからのトレンドはオカルト、だな、と。

ただ、俺自身、極個人的には、そういうオカルト的なもの、いっさい信じてない。

すべての謎を、しゅーきょーというか、ちょーじょーげんしょー、というか、
そんなオカルトの箱に放り込んでゾンビー化を始めたこの世界。
そのソンビー的な魔術的政治の中から、いったいどうやってレジスタンスするべきなのか。

それに伸るか反るか、ってなところを、ちょっと今週は考えてみようかな、とかとか。

で、どうおもう?

ファシズム、やっぱ魅力的でしょ?

で、そういうひと、オカルト、大好きでしょ?・笑

で、ベビーメタルが、そんな魔術的なまでのカタルシスの守り神となった姿、

うへえ、これ、思い切り、格好良すぎ、と思わね?

いやあ、悪い夢を見そうだ・やめとこう。

という訳で、この週末、事情があって、最低最悪のどつぼの底から、例の安息の地。

そう、たまにはカフェミュージック、
息抜きも必要だぜ、と思い知った、
春の木漏れ日の日曜日であつた。

おしまい


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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