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ベビーメタルの桃太郎さん ~ BABYMETALの国際戦略に対する戯言的考察

Posted by 高見鈴虫 on 08.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
いやいや、失敬失敬。

そうだよな、確かに。
メタル嫌いを公言していたこの俺が、
今更、パンチラだ、ビニ本だ、
なんて御託を並べることからして笑止、
ではあるのだが、
そう、俺も最近、ちょっくらキャッチアップ。

ってか、ぶっちゃけ、てめえでドラムを叩かなくなってから、
わりとこう、リスナーとしてオーディエンスとしての無責任な立場から、
夢物語を語れるようになってきた、というのも、
まあそう、あのベビーメタルのニューヨーク公演、
あの青山英樹さんのプレイを前に、
ああ、これは、もう、一生逆立ちしても、かないまセブン、
そこまで完璧なまでの完敗を痛感してようやく、
やーめた、やめた、ベビーメタルを前にしたら、
こんな俺の糞ドラム、聴いてるだけでも耳が腐る、
と、そこまできれいさっぱりと諦める気になったのも、
そう、あのベビーメタル、そして、青山英樹さんのその実力が、
あまりにも飛び抜けていたから、に他らなず。

そこで当然聞かれるであろう、
え? でもさ、のお言葉。





え?でもさ、あんた、ニューヨークの人だろ?
だったら、青山さんよりももっともっと凄いドラマー、
いままでに、何人も、見てきた筈、じゃなかったのかよ。

まあそう、確かにそう。そうなんだよね、そう言われて見れば。





例えば、スティーヴ・ガッド。
ジャズから、ロックから、現在の音楽界の中で、
正真正銘、ナンバーワン。
なにが?ギャラの額が・笑

まあそう、俺らの世代で、
ちょっとまじめにドラマーとして食っていこうと考えた人、であれば、
このスティーヴ・ガッド、知らない人はいない筈。

で、その正当な後継者であるところの、デイヴ・ウェックル。
いまスティーヴ・ガッドの後釜として、
ジャズ界を含めて実力ナンバーワン、との呼び声も高く。

ただ、個人的には、ヴィニー・カリウタ。
そう、言わずとしれた鬼神フランク・ザッパの門下生。
ジャズ系、そしてテクニカルなロック系ではまさにダントツ。

あるいはそう、デニチェンこと、デニス・チェンバース。
もうこの人だけは、ステージの袖から、どころか、
思わずステージに駆け上がってはドラムの後ろから、
肩を抱いては背中を叩きながら、あんた、凄い!あんた最高!

そう、俺はこのように日本語の駄文などを綴ってはいるが、
正真正銘のニューヨーカーである。

つまりはリア充の人。
あるいは、伊達や酔狂に騙されず、
この目で見るまでは、御託や喧伝は一切信じない、
信じる前に、実物をこの目で実際に見ることのできる、
そういう機会に恵まれた、まさに耳年増も耳年増。

そういう人たちを、目の前、というよりは、
ドラムの音しか聞こえないぐらいに、まさにステージの袖、
というよりは、目の前、どころか、そのすぐ後ろ。
手を伸ばせば、どころか、ステック粕が顔に飛び散る、
ぐらいの近さで、目を皿のようにして、見続けてきたドラム界の巨人たち。

で、ちなみにそんな俺が、一番、もう心の底から、
この人こそは、ドラマーとしてナンバーワン、と言わしめたのが、
なにを隠そう・・・・

誰?

エルヴィン・ジョーンズ。

悪い。これだけはなにがあっても変わらない。

ロックだジャズだ、パンクだファンクだメタルだスラッシュだ、
そういうのをすべてかっ飛ばして、もう、ドラムという楽器を、
極めに極め、極めぬいた末に、これしかない、というドラム、
それしかできないことを、徹底的にやり続け、そして惜しくも天に召された、
この人こそはドラムという楽器に命を捧げた、
正真正銘のドラムの神様。

まあそう、ベビーメタル、やら、メタルやら、パンクやら、
そういういまふーな音楽しか知らないひとには、
まったくもってどうでも良いこと、ではあろうが。
覚えておいて欲しい、その名前だけでも。

嘗て、エルヴィン・ジョーンズというジャズドラマーがいた。

まさに、ドラムの魔神と言わしめた、天才の中の天才がいた、
そのことだけは、忘れないでいて欲しい。

とまあ、ここまで読んだだけで、
ダメだ、このおさん・・・ そうため息をついている人も多いであろう。

悪い、そう、嘗てはパンカーとして、この世で一番とんがった、
なんてのを気取っていたのもいまは昔。
そんな俺もいまやすっかり、グランピー・オールド・ファック。
ジャズだ?ファンクだ?エルヴィン・ジョーンズだ?
あのなあ、いったい何時の時代のことを言ってるわけかよ、と。

そう。判っている。俺にだって判っている。

この時代、ジャズだ、ファンクだ、なんてことを言っていること自体、
テニスで言えば、俺はウッドのラケットしか使わない。
だから、やっぱり、フェデラよりもナダールよりも、
ボルグとジミー・コナーズとマッケンロー、俺はそれしか信じないぞ、
なんていう、そういう時代錯誤の困ったバンダナ乙、そのもの、なんだよね。

そう、俺にそう痛感させたのも、元はと言えばベビーメタル。

これまで、俗に言う今風のプレイ。
やれ、ツーバスだ、ゲートだトリガーだ、皿回しだ、
そんなことに、いちいち目くじら立てては言い訳めいた冷笑を繰り返して来た、
そんな俺が、
あの青山英樹の絶対的なまでの超絶プレイを前にしては、
つくづく、そんな戯言、
ただの負け犬にすぎない、そう思い知った、思い知らされた、
そう、ベビーメタルのあのステージは、そういう意味でも、
この俺の人生を、根本からきれいさっぱり覆した、覆してくれた、
そんな、人生の節目的なエポックだったのである。

と言うわけで、ドラマーとしての俺は終わった。
やっと、あの下手な横好きの七転八倒の無間地獄から、
開放された、そう思い切れた吹っ切れた、
あのベビーメタル。その青山英樹さんのドラム。

まあそう、前述のように、いまこうしてこんな臭い駄文を綴っていられるのも、
ぶっちゃけ、ドラムをやめたから、であるわけで、
そう、俺がドラマーであったとすれば、こんなタイプを打っている時間があったら、
せっせせっせと両手両足でRLRRLRLL LRLLRLRR。
その限りない繰り返しの中にいまだ埋没していた筈である。

なのでそう、そんな恒久的な練習地獄から解放されたこの出がらし的な黄桜の季節。

ただ、そんな黄桜の季節だからこそ、いまになってようやく、
自身を省みることなく、好き勝手に無責任放題に、
音楽というもの、そのものに、蓄膿プールサイド族的な、
臭いうんちくを並べられるようにもなってきたのか、と。

という訳で、またまたなにを言っているのか
訳の判らない紆余曲折の遠回りであるのだが、
そう、お気づきの方々もおられるであろう。

これからまたまた、ちょっと、問題発言、ではないが、
ちょっとまた、聞き捨てならねえ暴言を、ご用意している、その筈である。

で、おさん、相変わらずまだらっこしいな。
さっさと言えよ、その問題暴言ってやつをよ。

はいはい、そうですね。人生は短い。こんな言い訳三昧を並べながら、
長文を並べているうちにすっかり頭も真っ白けの斑禿げ。

そう、先を急ぎましょう。

とか言いながら、そう、その問題発言のその前に、

ところで、シェーン・ガラースって知ってる?



もう数年も前、つまりは、こないだのオリンピックのその前の、
もしかしたその前かも、ぐらいなのだが、
ここニューヨークで、B'Z ビーズが、ライブをやった、そのライブに、
こともあろうに、ステージ袖からご拝見させて頂く栄誉を得た。

またいつものやつで、こと日本の音楽シーンには、
特に、ザ・ベストテン、じゃなかった、
いまはミュージック・ステーションっていうのか、
まあそう、そういうお茶の間的テレビ系音楽番組、
なんてのに迎合、じゃなかった、ご出演されていたような人たちには、
これっぽっちの興味もなかった俺であったわけで、
つまりは、ぶっちゃ、このビーズ。
どこぞのつながりからまたまたタダ券が舞い込んできたってなことで、
んだよ、面倒くせえな、俺明日からまた出張なんだぜ、とは思いながらも、
まあそう、どうせご近所。サンダル履いて電車で一駅のところ、
まあ、物のついで、話のネタぐらいに、
ちょっくら顔を出してみるか、その日本の歌謡ロックっての、
ってな感じででかけたこの日本お茶の間歌謡ロック、
その、筆頭に上げられていたであろう、このB'Zというバンド。

で?どうだった?

はい、結論から先に言いましょう。
ぶっ飛んだ、まじで。

え?B’Zに?なんで?なにを?

はい、B'Zのドラマー。シェーン・ガラースさん。





改めて、このB'zのドラマー、シェーン・ガラースさんのプレイ。

これこそまさに、アメリカン馬鹿ロック、その真髄的なまでの超大乗りビート。
身体の髄の髄まで、あの、4分音符の大乗り横乗りがどっしりと根を下ろした、
まさに、アメリカン馬鹿ロック、その典型的真骨頂的なドラム。
それが、なんと、日本のお茶の間歌謡曲バンドに?ありえねえ~、と。






でまあ、このシェーン・ガラースさん。
過去にはマイケル・シェンカーとかと一緒にやられていた、らしい、
そういう実力派でもあった訳だが、
いやいや、正直、こういう人が、日本のバンドの、お茶の間に登場していた、
なんてことに、今更ながら、時代の流れ、
日本も変わったのだなあ、と痛感せざるを得なかった。

え?なにが?この人のなにがそこまで凄い訳?

今となっては、そうおっしゃられる方も多いで、あろうが、
今更ながら嘗ての日本。
断じて言うが、嘗ての日本、それも、あの茶番的なまでにお茶の間的な、
そんな中高音以外の音は出しちゃダメ、ぜったい、的な、日本の音楽界。
ぶっちゃけ、その中枢にどっかりと腐ったドヤ顔を晒してふんぞり返っていた、
あの、山派、と言われる楽器屋さんのミュージック・スクール。
その山派けーれつ、の人以外、日本においては音楽で飯を食うことが、
非常に非常に非常に難しかった、そんなあまりにも鎖国的な状況が、
実は長く長く長く続いていた、のであるのだが。

で、その山派けーれつの音楽学校で教えられていたこと。
つまりは、音。その原理主義的なまでの譜面史上主義。
オンで取ったメトロノームに、寸分も違わずに音を合わせること、
そればかりを強要されては、スティック幅は5センチ未満。
肩も腕も肘も、極力動かさず。
ハイハットも踏まず、フットペダルの踵も上げず、
まさに機械。ロボットのように正確に正確に正確に、
きっちりすっきり無駄音一切ない、そういうクリアな音色を心がける、こと。
いったいどこの馬鹿がなにを考えてそんなことをほざいていたのか。
ここニューヨークに初めてやってきた時、
そこで目にした、まさに、本物の本物の方々。
なにからなにまでが、そんな山派的な音楽理論から、
真っ向から覆す、この神をも恐れぬ、グルーヴ至上主義。
そんな山派的音楽理論の、
その理想形であった筈のステーヴ・ガッド御大のその口から、
クリックを聴いてからスネアを落とせ、なんていう極意を承わるに当たって、
日本の音楽が、長きに渡っていつまでたっても、
まったく世界に相手からは鼻もひっかけられなかったその理由というのが、
実に実に、このあまりにも島国的に頭ばかりでっかちな、
鎖国的妄想的原理主義。
つまりは、実際に実物を見ることなく、
その偶像と直接膝を接して語り合うことのないままに、
多分そう、きっとそう、そうに決まってる的な、
独善的妄想を暴走させた末の大間違え。
その結果であるところの、
あの、ちょこまかと忙しないばかりで、
裏乗りも横乗りもどころか、グルーヴの欠片もない、
リズム音痴極まれりの、まさに茶番的なまでに機械的な、村祭り音頭的な、
あの、どうしようもない日本のビート。

俺にとって、日本とはそういう国、であった。
そしてそんな日本のビートとあまりにも反りが合わず、
ともするとあのリズムを聞いているだけでイライラして発狂寸前、
そんな理由から辿り着いたここニューヨーク。
この街に足を踏み入れた途端、まさに身体中が溶けてしまうほどの、
異様なほどの心地よさ。
つまりはそう、俺にとってこの街の水、つまりは、ビートがあっていた、のである。

という訳で、そんなニューヨークの水にどっぷりと浸かっていたこの俺が、
ああ、日本の歌謡界の糞バンド?
またあの、ちまちまちょこちょこと小賢しいばかりの、
あのいまにも前のめりにつっかかってしまいそうな、
見た目の小物の上辺ばかりの、
いざとなったら短小包茎早いばかりですぐ終わっちゃう、
そんな妄想系頭ばかりでっかちの童貞早漏系の、
そんなビートにまた付き合わされるのか、と、
正直、鬱々とした気持ちではあった訳なのだが、

という訳で気乗りしないママに出かけたB’Z。

まさに開けてびっくりシェーン・ガラース。

いかにも日本のお茶の間的な歌謡フォークのその上から、
なんの躊躇も考えもなく、いきなりぶちかますこの鬼のような馬鹿ロック・ビート。

おいおいおい、と。
思わず、おいおいおい、このカナダ人の唐変木。
いつたい、なにを考えているのか、と。



B'zといういかにも日本のお茶の間的歌謡曲ロック・バンド、
そのドラマーであるシェーン・ガラースは、紛れもないロックであった。

それも、あまりにも手付かずの、情け容赦の一切ない、
つまりはまったく頭を使っていない、これっぽっちも空気を読んでいない、
まさに、血、その、蛮族の煮えたぎる血、それそのままをあっけらかんとぶちまけた、
そんな、大陸的大乗り、の、ぶっちゃけ、あまりの大味的な、大雑把な、
つまりは、馬鹿ロック、それまったくそのもの。

いやあ、驚いた、あれにはまったく驚いた、

とそんなことを日本の悪友に漏らしたとたん、

ははっは、馬鹿ロックかよ、と大笑い。

つまり、それだろ、と。

ロックってさ、馬鹿の馬鹿により馬鹿の為の音楽。
で、日本人ってさ、ロックやるにはあまりにも頭良すぎ、ってか、
小賢し過ぎる、というか。

つまり?

つまりそう、日本人にロックって、基本的に合わないんだよね、ぶっちゃ。

だがしかし、そういう俺たちだって立派な純血日本人、である筈なのだがだがだが。

まあそう、言ってみれば、無いものねだり。
だってさあ、餓鬼のころから、塾だお稽古ごとだ受験勉強だで、
一日中机にしがみついてはちまちまと四択問題ばかりを解かされていた、
そんなことやってる人たち、土台、ロックなんて、無理なんだよ、と。

だがよ、そんなことを言ってしまったら、
あの塾だお稽古ごとだ受験勉強だでちまちまと
朝から晩まで四択問題ばかりを解かされていた俺たちが、
できることと言ったら、この世で最も従順な奴隷、それだけじゃねえか、と。

つまり日本って奴隷工場であった訳なんだよな。

で、ロックってさ、その奴隷からの解放。
ぶっちゃけ、発散というか、暴動な訳だろ?
餓鬼の頃から、しーっ!静かにしなさい、
まわりに迷惑でしょ、良い子におとなしくしてなさい、
ばかり言われて育った、
脳ある鷹は爪を隠して、闘争も祝祭も躍動も爆発も、恥ずかしからやめなさい。
いまだに、ちょっと声をあげようものなら、いきなり炎上ネタで袋叩き。
そんな、とんとんとんからりんの四人組のような雁字搦めの束縛的密告社会の中で、
そこまでガチガチに飼いならされざるを得なかった、
それ以外なにひとつとして許されなかった人々に、
土台、ロックなんて、無理無理。
正直、そんなロックという音楽に、拘ればこだわるほどに、
挫折感に苛まれる、そんな気がしてならないんだよな・・・

そう、ご指摘頂いたように、ロックとは本来、
蛮族による蛮族のための祝祭的爆発のための音楽。

つまりは、静かにしなさい、ご近所に迷惑で、周りの空気を読みながら、
無難にそつなくおとなしく、そればかりを強要され続けた、優等奴隷量産工場、
そんなところで純粋培養され続けた壊れたロボット君たちには、
このロックという音楽、
似ても似つかない、そんなタイプの音楽、
というよりは、文化、であった訳なんだろ?と。

それを思い切り思い知らされたのが、まさにこのB’Zのシェーン・ガラース。

血なんだよ、つまりは。
それは、テクニックとか、努力とか、熱意とか、そんなものよりも先に、
そう、血、その、民族の血、そのものなんだよ。

だからさ、と悪友、
ロックはバイキングの、ジャズは土人の、そのものであるのならば、
日本人による日本の音楽?ぶっちゃけそれ、歌謡曲、それで、良くねえ?
無理することねえんだよ。
ストーンズだ、ゼッペリンだ、ピストルズだ、ジューダスだ、なんて寝言言ってないで、
俺達は素直にその血筋、演歌と歌謡曲と、
ちゃかちゃかと忙しないだけの短小包茎童貞早漏的な糞ビートを、
我慢して聞いていればそれでよかったんだよ。



ごめん。
ただ、それこそが俺の、あるいは、俺達の世代の、
正直な気持ちであった。

で、前述したように、そう、B'Z。
あの、大乗り横乗りのバイキング・ビート。
あの北米大陸的馬鹿ロックの、その真髄のようなドラマーが、
これでもか、とお茶の間を揺るがせる、
それをあたりまえのこととして観聴きして育った世代が、

あるいは、

静かにしなさい、ご近所に迷惑で、
と鼻歌さえも歌えなかった囚われの悪ガキたちが、
夜な夜なにカラオケボックスで絶叫を響かせて、

そんな末期的キャビン・フィーバーの中で、
いつしか培われたこの新たなる日本のビート。

嘗ては、アイドル=馬鹿、あるいは、
事務所の言いなりの、奴隷の、ホステスの枕営業の、
そんな可哀想なお人形さん、あるいはダッチ・アイドル。
下手をすれば公然わいせつ的幼児売春行為にも抵触する、
まさにそんな可哀想な籠の鳥であった筈の、
げーのーかいの闇社会の象徴的徒花であった筈のアイドルたちが、
いつしか、養成所、なんてところで、
教養からお作法から、徹底的な情操教育を施した、
まさに、アイドル・虎の穴、のようなところから、
まさかまさか、世界の音楽界を揺るがすような、
超人的天才少女を排出するようなことが起こりうるなど、
あの頃の日本しか知らなかった俺には、
まさに、想像さえもできなかった、
青天の霹靂、であったのであある。



とまあ、そういうわけで、
ようやくようやく、ベビーメタルにたどり着いた訳なのだが、

ぶっちゃけベビーメタル、
この、アイドルとメタル、その融合系、でありながら、
そのメンバーたち。その関係者たちのすべてが、
日本人の日本人による日本人の、
そんな日本人的な技術と細かい気配りと、
ともすれば偏執狂的なまでに拘りに拘った、
まさに技の美、その真髄、である訳なのだが、

そう、これまでのベビーメタルはそうであった。

そしてそれは、これまでのところは成功している、その筈、である。

ただ、正直なところ、そう、さあ、始まったぞ、と、
またまた根拠のない妄想的な暴言が飛び出す訳なのだが、

で、そう、いきなりなんだけど、伊達公子さん、ご存知?



俺、伊達さん、ほんと好きでさ。

あの、凛として冴え渡ったお姿。
伊達政宗の血を引かれる、まさにサムライの魂、そのもの。

まさに日本人の美の真髄を体現した伊達公子さん。

あの、まるで巨人のような蛮族たちを前に、
柔よく剛を制す。
相手の力を利用しては、そのライジングを持って瞬時に叩き返す、
あの必殺鋭角バックハンド。
あれこそはまさに、日本の美、その叡智と美学の体現であった訳なのだが、

実はそう、この伊達公子さん、ニューヨークにおいでの際には、
必ずその雄姿を拝みに出かけているうちに、
なんだかんだでこの海外遠征の気の緩みか、
俺のような酔狂な追いかけおじさんに、
あら、日本の人?どーもどーも、から、
ねえ、ちょっと、そこのボール取ってくれない?やら、
暑いわよねえ、見てる方も大変でしょ?こっちの日陰に座ってれば?
なんてお言葉さえもかけて頂ける、
そんな栄誉を授かったりもしたのであるが、

そう、伊達さん、あるいは、海外遠征にでた日本人の方々、
蛮族の蛮族による蛮族の土壇場的なせめぎ合いの中で、
孤軍奮闘するのはテニス界も音楽界もビジネス界も同じ。
そんな迷い子的な日本人達が、ともすれば肩を寄せ合うように、
海外という荒波の中を渡って行ったのであるが。

そうそう言った意味で、伊達公子さんこそは、
日本人が日本人としてそのあまりにも日本的な体躯と、
そしてそれまであのパワー至上主義の蛮族達が思いも寄らなかった、
その叡智と技の結集において、史上初めて世界のテニスファンたちをぶっ飛ばした、
そんな英雄の中の英雄、であった訳なのだが。

と同時に、そんな伊達公子さん。

見れば見るほど、その関係者の方々は、
日本人の日本人による日本人の方々、ばかり。
まさに、日本テニス界の象徴的な存在、であった訳なのだが、
海外蛮族たちの犇めき合うその土壇場的な群衆の中で、
このあまりにもジャッピーな日本人的な集団。
コーチからスパーリング・パートナーから、そしてその観客まで、
なにからなにまで徹底的にニホンジン。

そしてそんな蛮族たちの中のニホンジン。
今更ながらそのあまりの閉鎖ぶり、自閉ぶり。

そのあまりのか細さ、そのあまりの頼りなさ、そのあまりの切実さに、
頑張れ日本、的な、シンパシーを感じながらも、
それと同時に、え?なんで?とは、思わないでもなかった。



そう、え?なんで?なんだよね、ぶっちゃけ。
なんでそこまで、日本人であることに拘るの?と。
そう、この長きに渡る流民生活の仇か恩恵か、
俺の周りは既にガイジン、ばかり。
ひとえにアメリカ人といっても実は色々居るわけで、
アイリッシュからイタリアンからラテン系からコクジンから、
そして俺達と見た目はまったく変わらないアジア系まで、
そんな人種の坩堝のアメリカという国。
そんな人種のサラダボールの中で揉まれも稀ながら、
人種とか国籍とか、そんなステレオタイプ、笑わせる。
なに人であろうが、何色をしてようが、
気の合うやつはいる、気の合わない奴もいる。

そんな全人種的な人々と、
日夜全人種混合草テニスなんてのをやっていた手前、
そんな中で見るこのチーム伊達、
そのあまりのジャッピーさに、今更ながら、
日本という国の、良い意味でも悪い意味でも、
その、悲しいぐらいの結束の強さを顧みながら、
なんとなそこに、ちょっとした違和感、
あるいは、越えるに越えられない、限界、のようなものを、
感じていなかったか、と言えば嘘になる。



そんな俺の違和感に、見事なぐらいに完璧な回答を与えてくれたのが、
なにを隠そうあの杉山愛さん。

この杉山さんのことはこれまで度々書いてきたので、
興味のある方がもし居るとすれば、
こちら
ー>杉山愛さんの本当の凄さって皆さんご存知ですか

改めてこの杉山愛さん、テニスにかぎらず、
海外を相手にするニホンジンの国際関係論、
そのひとつの回答である、と断言させて頂くわけだが、
->ブルーなジャパンはいまこそ杉山愛さん魂に学べ

そして、いまや世界のテニス界のアイコンとなった錦織選手。

ただ、そんな錦織選手を産んだのは、なにを隠そう、
我らが、松岡修造大先生。

自ら初めて海外のテニス界という土壇場の中で孤軍奮闘、
悪戦苦闘七転八倒を繰り返した、
その貴重な貴重な経験を、
日本人選手の育成という天命に邁進された、
あのお姿、その生き様。
錦織圭こそは、そんな松岡さんの執念の賜物、
であったりもする訳で。
-> 人種差別だ?そんなものは、あ・た・り・ま・え だ、と。

で?
なんで、ベビーメタルの話からいきなりまたテニス、
なんてことになるのかなこのおさんは。
いつたい、なんだよ、なにが言いたいんだよ。

と、そう、そうだよな、たしかに。

ただそう、俺はどうしても、この海外流民の我が身の経験を思い返しながら、

ニホンジンが世界を相手に戦う、その真髄が、
実は、このテニス界、
徹底的に孤軍奮闘が前提の個人主義的なスポーツであるテニス界において、
孤立無援の土壇場的ガチンコを続けるこのニホンジン選手たち、
そのあまりにも痛々しくも晴れ晴れしい、
あの、壮絶な程にニホンジンであり続けるあの姿。

ニホンジンにとって世界とはなにか、その真髄、その極意が、
このテニス界のニホンジン選手たちの姿に集約されていると思っている訳で、

そして、いま、ニホンジンとして初めて、
世界を相手に戦いを挑むベビーメタル。

その方法論を、そして、戦略を考える上で、
このテニス界の偉人たちの礎に学ぶものは多い、その筈。



という訳で、ここまで来て、ようやく、本心から言わせていただきましょう。

あの2016年のヨーロッパ・ツアーの中で、ちょくちょくとアップロードされていた、
あの、トレイラー・バスに乗り込んだ、チーム・ベビーメタルな人々。

あの、あまりにもニホンジンのニホンジン的な、ニホンジン世界。
まさに日本の縮図そのものを、大事に大事に金魚鉢に密封しては、
そろりそろりと持ち運ぶような、そのあまりにも日本人然としたジャッピー世界に、
どことなく、嘗て見た風景。

つまりは、あの、伊達公子さん、と、彼女を筆頭とした、
日本テニス界の人々の、あの純和風寄り合い所帯的風景。

伊達さんであれば判る。
伊達さんであれば判るのだが、
それ以外の日本選手たち、
これから世界を相手に戦いを挑む、そんな戦士たちが、
なぜ、ここまで、日本人の日本人による日本人的な寄り合い所帯に、
密封され、束縛されねばならないのか。

せめてヒッティング・パートナーぐらい、
これからの対戦相手になるであろう、
海外からのパワープレイヤーたちと積極的に交流しないでは、
わざわざ海外遠征にでた意味がない。
そしてそんな純和風的自閉の違和感の中で、
あの、蛮族たちの観客に囲まれたコートの上、
ひたすらに日本人が日本人として自閉した末に、
ともすればすっかり萎縮してしまう、
そんな原因にもならないのか、と。

そんな軽はずみな暴言を吐きたくなる、
そんなちょっと異質な歪みのようなものが、
この、日本テニス界の寄り合い所帯、と、
そして、あの、ヨーロッパ・ツアー中のベビーメタル・トレイラーの姿に、
見てしまったような気がしたのか、しなかったのか。

ただそう、いまのうちは、あるいは、
それがまさに、すぅメタルという天才を抱えていたからこそ、
実現し得たこのベビーメタル・タイフーン。

ただそう、その成功の、その第一の原因は、
まさに、このすぅメタル、中元すず香という超天才、
その力量、それひとつに依存していた、というのが真相であろう、と思う。

つまりはそう、伊達公子、
あるいは、中元すず香であったからこそ成し得たこの奇跡。

ただ、その奇跡は、個人の力量に依存するものであって、
つまりこの方法では、後続の育成は望めず、
そして、ああ、これを言って良いのか悪いのか、

このままひとりの天才に依存するだけでは、
その後の展開が必ず、行き詰まる、
それこそが、ベビーメタルの限界、その打ち止めにもなりうる、と。



と、そんな妙な戯言的な暴言。

その理由というのも、果たして、この先、
ベビーメタルは世界を埋め尽くした蛮族にどう立ち向かって行くのか。

そう、改めて、テニスというスポーツが、
白人の白人による白人のため、を前提としていたように、
ロックという音楽も、元はといえば、蛮族的白人の土壇場。

このまま、日本人の日本人によるをいくら続けていても、
果たして、物珍しさ、以外にはなにも見つけることのできない、
馬鹿ロック的な蛮族を相手にして、
どれだけの展開が望めるのだろうか、
そんなちょっとした疑問を感じなかったわけでもない。

という訳で、前回のあのなんの脈絡もない糞駄文、
->地獄のカウボーイとベービーメローの一騎打ち? これまじYAVAくね?

歴代の名ロック・ドラマーに必ず名を連ねる、
このヴィニー・ポールのあまりの超絶的プレイを前に、
にわかに感じた、ベビーメタル危うし、のそのびびり。

あの徹底的にイケてない、思いつきで書きなぐったあの糞駄文、
たぶん、読んでくださった方のほとんどが、なにを言っているのか判らなかっただろうが、
ごめんなさい、ただ、そう、気づかれる方はいた。確かにいた。
そんなまさに、神通力というぐらいにまで凄まじい洞察力を持った方々に、
そのお礼と言う意味で書き綴ってきたこの糞長文。

そろそろ結論と参りたい。

そう、ここまで来ても、これを言うのは、もしかしたら、
非常にリスキーであったり、
あるいは、あまりにも浅知恵の戯言、と罵られることも承知である。

そして俺はこれを書くことが、実に実に、とても辛い。悲しい、のではあるが、

そう、これも一種の過渡期、であろう。

そう、いまもなお、成長期にあるベビーメタルである。

毎日が挑戦、トライ・アンド・エラーの繰り返しである筈だ。

そう、失敗をしない人間はいない。それはただ、挑戦をしていない人間というだけ。
つまりは、挑戦とは、失敗を前提としているのであるのだからして・・

んだよ、なにが言いってんだよ、はい、判った、分かりました、そう言われるのなら、白状しよう。

神バンドに、海外組の編入を、検討するべきである。

敢えて言わせて頂ければ、時期はもう、そういう次元に差し掛かっていると思う。

積極的なジョイント的共演、そのジャムセッションから始まり、
そして、対バンとしての、名うてのプレーヤーたちとの共演。

その刺激と、摩擦と軋轢の中から、日本人の日本人による日本人のための、
その、轍の中から、少しずつ少しずつ、脱却を目指すべきである。

ぶっちゃけ、俺は、そう、これだけ神バンドを愛しているこの俺が、
しかし、敢えて、神バンドに、世界の伝説的プレーヤ、

例えばそう、あの、パンチラのビニ本であるところの、パンテラの、ヴィニー・ポール。
それを言ってしまえば、例えば、スティーヴ・ヴァイのギターとか、
あるいは、女性ベーシストの花形、タル・ウィルケンフェルド、
あるいは、ちょっと本気で気になるSLIPKNOTとのジョイント・ライブ、

それを言ってしまえば、あのガンズのスラッシュから、アクセルから、
そして、メタリカ、との、本気で本気の共演、ガチンコの共作。

これまで、最初から最後まで徹底的に計算しつくされた、
言ってみれば、ロック・コンサートというよりは、レビューに近い、
そんな、お決まりのステージを極めに極めてきたベビーメタルが、
そこに、新たなメンバーを加えることにより、より大きなテンションと、
そして、ベビーメタルのライブにはありえてはいけなかった、サプライズ、
その、土壇場的な番狂わせの中で、どれだけの緊張と大化けを演出できるのか、

その試行を始める、そんな時期に来ているのでは、と思っているのだがどうだろうか。

ただそれは、あの、ロブ・ハルフォードの宴会座興的な場当たり的な共演やら、
あるいは、お誕生日おめでとうの、サプライズ共演、のようなもの、
であっても十分おもしろそうだが、

そう、できればそれから一っ歩二歩、十歩百歩。

海外の本場の本ちゃんのレジェンド達を神バンドのいち員として、
あのベビーメタルのガチガチの本気ステージに加えることで、
そこに新たな新境地、その可能性と、同時に、
神バンドのメンバーたちに代表される、
日本のミュージシャンたちの本気で本気の海外交流が、
このベビーメタルと、そして、白塗りの神バンドを媒体として始まっていく、
そういうドラマに期待しない訳にはいかない。

人種と、そして、越えるに越えられない言語のコミュニケーションの壁、
敢えてその軋轢の中から、新たなるTHE ONE を模索する、
そんなベビーメタルに、ちょっと期待しないではいられない。

これまで、ベビーメタルとは、日本の美なり、と謳って来たのだが、
そう、日本の美こそは、リメイクの美。

そして、そう、このグローバリゼーションの21世紀。
そして、目指すは世界征服である。

ベビーメタルのその圧倒的なパワーの中で征服せしめた人々を、
奴隷ならぬ、強力なパートナーとして引き入れていく、
引き入れながら、しかしベビーメタルの真髄は揺るがない。
ベビーメタルにはその力がある。
そのパワーが、エナジーが、そして、強力な磁力がある。

そのバックに白塗りに固めた、ロック界のレジェンドたちを引き連れた、
そんな、世界のロック界の選りすぐりの頂点達を配下にしたベビーメタル。

そんな姿を、想像しない訳にはいかない。

日本テニス界の悲願であった松岡修造・伊達公子の時代から、
そして、世界のプレヤーたちとの交流・パートナーシップとして、
ウィンブルドンの王冠を勝ち得た杉山愛。
そんな偉人たちの礎の上に、
早くから才能を見出されては、単身アメリカに渡り、
そこで世界最先端の教育を施された錦織圭が、
いまや世界テニス界のアイコンと成り得たいま、

チーム・ベビーメタル、
その日本人しかいない金魚鉢の中から解き放たれ、
世界の人々を、世界の凄腕のミュージシャンたちを、
愛とパワーと、そしてその強力な磁力で惹きつけて離さない、
そんな新しい時代こそが、東京ドームという頂点を極めて収束したチャプター・ツーに続く、
ベビーメタルの新たなページになるのでは、と思っている今日このごろ。

世界征服とは、世界をかたっぱしからミサイルで叩き潰す、なんてことではない。

世界共存、その象徴として、世界の頂点と成り得た伝説的凄腕ミュージシャンたちと、
互角に、そして、配下に引き連れては、世界行脚を続ける、
それこそはまさに、桃太郎さん。

ベビーメタルの桃太郎さん。そのラブラブ・スマイルのきび団子を武器に、
世界中のミュージシャンたちを吸引していく、そんな壮大なドラマが、
いま始まろうとしている、そんな予感がしているのである。

まずはレッチリ、そして、コーン。
そして、ああ、これを期待せずには居られない、
あの、ヴィニー・ポールが、まじめのまじめ、本気パワー炸裂でぶっ叩くベビーメタル。

見たい、見てみたい、レジェンドたちの奏でるベビーメタル。

その壮大な世界征服に向けた第一歩が、いままさに、切って落とされようとしている、
そんな予感がしているのである。

いやはや、今回ばかりはさすがの俺も
ちょっとあまりにも浅はかな大暴言であったかな、と思ってはいる。

ご意見があれば、ご容赦、などせずに、好き放題に罵倒して欲しい。

ベビーメタルは純和風で行くべきなのか、あるいは、
その国際戦略におけるリスク、そのシュミレーション、率直なご意見を賜りたい。

それはもしかしたら、最悪の場合、
今後の日本の、というよりは、日本人の、命運を占うことになるかもしれない、
そんな気がしているのである。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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