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天に与えられしもの ~ 中元すず香、その天才の証明

Posted by 高見鈴虫 on 15.2017 ニューヨーク徒然   0 comments
「ニューヨークでセレブをどう見分けるか」

犬も歩けば、ではないが、
ここニューヨーク、
犬の散歩の途中にも、次から次へと、
セレブな方々とすれ違う。

だがしかし、ここニューヨークにおいては、
そこに暮らすニューヨーカーの流儀として、
そんなセレブたちに、いちいち目を止めたりはしない。

いや、目は止めている、止めているのであるが、
わざわざ振り返ったり、恥ずかしい嬌声を上げたり、
ましてやすかさずこっそりと写真に撮ったり、
なんてことをしているようでは、
まだまだニューヨーカーとしてはヒヨっこ、
という訳なのである。

ここニューヨークはセレブたちが普通人として暮らすことのできる唯一の街である。
この街にはパパラッチがいない。
もしそんなものが居たとしたら、街中の人間たち、
タクシー・ドライバーから、ピザのデリバリー・ボーイに至るまで、
あらん限りの侮蔑を集めては、徹底的な冷遇を受けることになるだろう。

そう、我々ニューヨーカーは、ニューヨーカーのプライドとして、
セレブの人々を敢えて放っておく、のである。

ニューヨークはそんな街なので、セレブの方々も安心してなのか、
そんなセレブな方々の日常生活が普通に垣間見える、ということにもなる。
馬鹿でかいサングラスの奥、寝起きの頭を掻きながらコーヒーを啜る姿やら、
川沿いのカフェのテーブルで、何気ない顔で新聞を広げているのが、
実は世界的ななんちゃら、であったり、
あるいは週末に友人と集う下町レストランで、
なんの気なく目ざわりなあの客、
いったい誰だと見れば、
もはや完全なる酩酊状態にある世界的な大女優であったり・笑

その筋では有名なジャパレスに働く友人などは、
それは店の規則として絶対に他言は厳禁、
と言い渡されていながら、
日本から来る芸能人が連日連夜目白押し。
名前を並べたらキリがない、と、
割りとうんざりした風に言ってのける、
そう、それこそが正しいニューヨーカーのあり方、なのである。

ただ、だからと言ってニューヨーカーが、
そんなセレブたちを、屁とも思わない、
そんな偏屈者の集まりか、というと実はそうでもない。

ニューヨーカーであれ誰であれ、華:ハナ、のある人、
そんな存在は見ていても嫌な気がする筈もない。
そして、セレブであれなんであれ、存在自体に華のある人、
というのは、確実に存在する。

その華、という奴。
ある人はそれをオーラ、と言い、
エーテル、という人もいるが、
つまりは形には見えないが確実に存在するなにか、
そう、華:ハナ、一種の目に見えぬ輝き、なのである。

以前にも綴った覚えもある、
そんなセレブたちを巡る数々のエピソード。

早朝のセントラルパーク、丘の向こうのその向こう、
まるで、米粒、のような距離からでも、
それが、いまを時めくジュリア・ロバーツであることが判った、
やら、
タイムズスクエアの雑踏の中、ひときわ目を惹くその容姿に、
道行くタクシーが次々と玉突き事故を起こした、
そんな逸話の残る、マドンナ、であったり、
はたまた、
テニスコートのプライベートレッスン、
目隠しフェンスの向こうにあっても、
そこに、ニコル・キッドマンがいる、と、知らしめた、
というぐらいにまで、スターのオーラというのは強烈、
あるいは、強烈であるべき、ものである。

では果たして、そのスターのオーラ、
その秘密がなんであるのか、

実は俺はそれを知っている。






このニューヨーク暮らしの恩恵、
というにはあまりにも仰々しいが、
幸か不幸か、あるいはそれは、
ニューヨーカーとしては当然のこととして、
その日常生活の様々な局面で、
世界的、というよりは歴史的なセレブたちと、
なんら分け隔てすることもなく、
ちょっと特別な仕事をしているらしき人、
ぐらいなところで、
何気ない顔をしては、普通にご近所付き合い、
まあそんなこと、ここニューヨークでは当然の話。

セレブであろうがなかろうが、
それが人間である限り、おならもすれば糞もひる。
普通に飯も食べれば、鼻くそだってほじるだろうし、
正体がなくなるまで酔っ払うことだって、時には必要だ。

俺にしたところで、
向かいの部屋に住んでいたドラ娘が、
いきなりタイムズスクエアの天空の巨大ディスプレイに、
あられもない下着姿でご登場、なんてことがあったり、
あるいは、
長年憧れていたアーティストに、友人宅のホームパーティでばったり、
やら、
それを言ってしまえば、このアパートのご近所にだって、
毎日テレビをつければ必ず登場する、
ちょっとしたグローバル級の有名人さんたち、なんていうのが、
ごまんと住んでいる訳で、
フロントのロビーで、エレベーターの中で、
犬の散歩の公園のベンチで、角のコーヒーショップのテーブルで、
ハローと挨拶、どころか、
互いにホームパーティに呼んで呼ばれては、
お醤油貸して、ついでにワサビも小皿も割り箸も、やら、
この週末にうちの猫に餌をやってくれないか、やらと、
そんな付き合いがあったりなかったりするこのニューヨーク・ライフという奴。
いや、まじで、
正直、そんなことを挙げ連ねたらキリがない、
ただ、しかし、俺もニューヨーカーの端くれとして、
そういう方々も大切な友人であるわけで、
お名前は出せない、は当然のこと、
特定もできない、させない、匂わせもしない、
ぐらいの分別は持っているつもりだ。

ただそう、肩書嫌いの俺が、
さりげなくも、知人の、友人の、とあげるエピソード、
その主人公が実は、あの、世界のなんちゃらさん、
と言った具合に、ちょっとした悪戯は忍ばしていたりもする訳で、
まあそう、それは知る人ぞ知る、というか、
判るひとには判る、秘密の暗号的メッセージ・笑

なのでそう、このニューヨークにおいて、
俺はそんなセレブさんたちも含め、
すべては同じニューヨーカー、
大切な大切な、運命共同体的パートナーとして、
それが何びとであろうとも、分け隔てなくおつきあいさせて頂く、
そんなエチケットはきっちりと守り続けているつもりだ。

ただ、と改めて思う、
こう言ってしまうと元も子もないが、
やはり、スターは違う。

あるいは、観客の前に立つ仕事において、
それなりの成功を収めるタイプの人々は、
その存在からして、やはり普通の人、
つまりは常人たちとは、ひと味もふた味も、違う。

ではいったいその違いとやらが、なんであるのか。

そう、スターは自然と人の目を惹く。
それがたとえ、どんな豆粒ぐらいの大きさであっても、
それがたとえ、どんな格好をしていたとしても、
スターという人々、
つまりは、人の注目を集めるという分野で一角の成功を収めた人、
であれば、
その人は確実に、オーラ、あるいはエーテルを持ち得ている。
その紛れもない事実。

ではいったい、そのセレブ、
あるいは、成功者の、華、オーラ、エーテルとは、いったいなんなのか。

えーい、まだらっこしいやつめ、
こいつまた無駄に文章長引かせやがって!

そう、その通り、そろそろかみさんがテニスから帰ってくる。
で、今日もこれからちょっと「知人たち」、に会わねばならない。

なので、そろそろ結論を急ぐ。

さて、では、そのスターのオーラ、
豆粒ほどの大きさでも、万人に、美しい!と思わせる、
その不思議な不思議な魅力、その秘密とは、いつたい、なんなのか。

いや、それはね、とまたまた俺の妄想を挙げ連ねても食傷気味であろう。

という訳で、聴いてみた、その道のプロ、という人に。



「スターのオーラのその正体」

は?なにそれ、スターのオーラの、その正体?

長年に渡って辣腕編集者、そして毒舌自慢の批評家として、
これまで数多のセレブ・スターたちとのインタビューを発表してきた、
と同時に、ここアッパーウエストにおいて、
これほど馬鹿な犬がいるものか、とさえ言わしめた、
あの超絶なまでにお天道さまなゴールデン・レトリーバー、
その飼い主でもあるところの糞ばばあ、ならぬ、エレインさん。

で、なに? アーティスト?つまりはステージ・パフォーマー?
その成功の秘訣?

成功は、まあ運よね、といきなりしょうもないことを言う。

ただ、そうね、努力して報われる人と報われない人ってのもいるのは確か。

で、その報われるひと、それもすっごく報われるひとの条件?

と言いながら、手元のIPHONE。

そういえばこれ、この間のパーティの写真なんだけど。

ロシアからやってきた名門クラッシック・バレエ団と、
そして米国を代表するコリオグラファー率いる前衛舞踏劇団、
その記念すべきジョイント・イヴェントにおける集合写真。

さあ、言ってみて、この中でプリンシパルを飾れるひと、何人いると思う?

そこに居並ぶ舞踏の達人たち。
その世界トップクラスと、
そして、そこに半歩、あるいは、数インチ及ばないにすぎない、
そんな、まさに、世界の頂点ぎりぎりの方々。
それのどれもこれもが、夢のように、というよりは、
まさに常人を逸してバケモノ的なまでに美しい、
のではあるが、
いざこうして、世界最高峰的な超人絶品なる人々、ばかりが並んでしまうと、
その超絶絶品的ななかにも、やはり、甲乙ってものが出てくるのだなあ、というのも世の習い。
そのどれもこれも、超絶的美貌という意味から言えばどんぐりの背比べ、
いや、あの、俺、どれでもいいし、などとどうしようもないことを言いながら、
いざ、それを、伸ばして縮めて拡大の限りを尽くしながら、

はてさて、そのトップを取れる人の秘密、その違いとはいったいなんなのか?

ステージ・パフォーマーの、成功の法則?

それはまあ、運:ラック、あるいは、才能、努力、もあるけれど、
それをすべてひっくるめた上の、必要最低限の条件?

う~ん、まあそれは、ぶっちゃけ、バランスよね、と。

バランス?

そう、まあ端的に言って、手足の長さ。そして首。
あるいは、

あるいは?

そう、あるいは、顔の大きさ、というか、ぶっちゃけ、頭の大きさよね、

と言ったあとに、ふと目をそらして、そして、なんとも意味ありげな流し目、
そして、あろうことか、もうがまんできない、という風に、クククク、と笑い初めて。

なんだよ、どういう意味だよ。

そう、つまりね、さっきの質問、と気を取り直して、

この世にはね、絶対比率ってのがあるのよ、なににでも。

その絶対比率、パフォーマーで言えば、
その広大なステージにたったひとりで立っても、
その世界の中心として絶対的な視点を集め、
強いてはその場の空気を完全に掌握出来る人、
っていうのは、必ず、その絶対比率において、
完璧なるバランスを保っているひと。
それがまあ、第一条件。

絶対比率。。

そう、少なくとも、足の短すぎる人、首のない人、
そして、頭のでかすぎるひと・・・
ああ、ごめんなさい、そんなつもりじゃないの、
決してそんなつもりじゃないんだけど、
なんだけど、ごめんなさい、ぷぷぷぷ・・・・

あのね、正直言って、
いや、そう悪い意味じゃないのよ、
決して悪い意味じゃないんだけど、
だってほら、あなた、いまは頭使う仕事してるんでしょ?
だったらそう、仕方がないわよね、職業病って奴?
ただ、あの、そう、そう言えば、ずっと思ってたんだけど、
あなたほど、頭の大きいひとって、あんまり見たこと無いなって、
実はずっと思ってたんだけどさ。

頭が大きい?だれが?おれが?
いったいなんなんだよ、この糞ババあ・・・

でもさあ、でも、あなたほらドラマーだったんでしょ?
だったらいいじゃない、後ろの方でずっと椅子に座ってるわけだしさ、
だから気にしちゃだめよ。
そう、ステージ・パフォーマー、
つまりは、プリマドンナ的な価値基準で言えば、って話だからね。
だから気にしないで。
だってあなたまさか、バレエをやろうなんて、
思ったことなんてなかったでしょ?だったら良いのよ。

いったいなんのことか、とは思ったが、
まあよい、そんなことはどうでもよい。
そう俺が知りたいのは、俺自身のことなんかではない。

で、そう、スターになる秘訣、
その素質の才能の、その最低条件は、と言えば。

そうね、手足が長くて首が長くて、そして、頭、つまりは顔が小さいこと。
その絶対比率。
それ以外のことはね、実はどうにでもなるのよ、お金さえあればね。
つまりは、その気になれば、いくらでもどうにもいじれるの。

ただそう、この絶対比率だけは、まさに神様の贈り物。

でもさ、この写真の人たち、そういう意味で言えば、
どのひとも、凄まじく手足が長くて、そんでそんで、
どれもこれも、ろくろ首みたいに首が長くて、
そんでそんで、どいつもこいつもバケモノみたいに頭が小さい。

それはそうよもちろん。
つまりはもう、生まれたときから選別が始まってるのよ。
チビのバスケット・ボール選手がいないように、
ブスで手足の短いバレリーナもいない、当然と言えば当然の話。

まあそう、そういうことか。実に判りやすい表現だ。

でね、そう、実はそれだけじゃダメよね。
そう、手足が長いだけ、なんて人たちは、
行くところに行けばそれこそ、
きゅうりかじゃがいもかってぐらいまで、
そこいら中にゴロゴロしてたりもする。

つまりはそれプラス・アルファー、つまりは、努力ってこと?

努力?鍛錬?
そんなこと誰だってしてるわよ。
努力なんてしていて当然。当たり前じゃない。
それを云々言うことからしてぜんぜんナンセンス。
って言うか、
改めてそんなこと言われた日には、
無駄な努力のやり過ぎで逆に身体にガタが来ていたり、とか、
そっちの方を心配しちゃうわよね。

だったら、なに?その、もう一つの秘訣。

魂、よね。お酒:SPIRITSじゃないわよ、
SPIRIT、そう、精神、あるいは、魂、そして、霊魂。
ガッツ、や、ソウル、とはまた違うなにか。
そう言った意味では、そう、やっぱり、SPIRIT:魂、なのよね。
そう、SPIRIT、持ったひとがいるのよ。
もうそれは、霊的な、超自然的なって意味も含めた上での、
そう、魂、スピリット。

もうそういう人は、出会っただけで、判る。
あるいはもう、子供のとき、赤ちゃんの時から判るわ。
まずは、その目つきが違う。顔つきからして違う。
そう、なにもかもが違う子、なのよ。
身体中の至るところから、そのスピリットを発散しているひとっていうのが、
いるのよ、この世には、まさに、本当に、いるのよね。

凄いな、ただ、なんか気味悪いよね。

そう、普通の人はそう思う。
だからね、そこに運が必要なのよ。
そういう子は往々にして、BULLY:いぢめの対象になりやすいの。
だから親が早くそれを見い出さないと、
まわりの子どもたちに潰されてしまう、
で、それを憎んで、わざと隠そうとしたり、あるいは、それを悪用したり。

だからね、そう、運。運、なのよ。
黄金対比のバランスのよい四肢と、そして、スピリットを合わせ持って、
そして、それを守り続けられる環境にあった人、
そういう全てに恵まれた人っていうのが、本当にいるのよこの世には。

早期英才教育か。
なんか、最近よく聞く人で、そういう人がいたような・・・

こう言っちゃうと、そう、あんまり大きい声では言えないけどさ、
そう、ナチ扱いされたりするからね、あの口うるさいジューの人たちには、
ただ、そう、それなのよ、結局。
いい? これは私の持論だからね、あまりに真に受けないでね。
私から言わせると、つまりは、芸術至上主義的な観念から言えば、
この世をダメにしたのは、人道主義なのよ。
そう、人間ってね、平等でも何でもないの。
生まれたときから、それを持っている子、持っていない子っていうのは、
人種としてぜんぜん違うのよ。
ただ、それを見抜けない大馬鹿連中が、
豚も真珠も十把一からげにしては、
どうでもよいことばかりを強要する、
そう、民主主義やら、人道主義やら、その教育システムが、
じゃがいもとルビーを一緒くたにしちゃって、そして全てが泥だらけ。
ねえ、そんなこと、あなたが一番良く判ってるんじゃない?
前を歩いてるひとを、邪魔だ邪魔だどけどけって蹴飛ばして歩いててさ。
バカが邪魔だ、バカが邪魔だって、そればっかり言って育った、
そう、あんただってそういう人だったんでしょ?
そういう子は、早いうちに芽を摘む、じゃないけど、ははは、それは冗談よ、
そう、なるべく早いうちにね、その才能を見い出して、
そして、なるべく早いうちに、それは矯正ではないにしても、
その各自の才能を、それぞれに、分類していくべき、なのよ。
さもないとそういう子は、二通り、よね。
自閉症の檻の中に引き篭もってしまうか、
あるいは、それを逆手にとって徹底的に悪い方向にひた走る。
そう、それはすべて画一教育のせい。
つまりは民主主義やら、人道主義やら、そういう、糞くだらない、Oops、
まあそう、豚も真珠も、ルビーもじゃがいもも、見分けのつかない、
どうしようもない教育者達のせい。

あるいはそう、そんな中途半魔なものであるなら、
教育なんてむしろなにもしないほうが良いのよ。
押し付けさえしなければ、伸びる子は勝手に伸びる。
大人はただ、ドアを開けていれば良いのよ。
で、子供がなにがしたい、って言って来たら、
はいどうぞ、ってすぐにそれを渡せるように。
ただただ、天啓に従って生きる、そういうものよ。
で、伸びない子は? 別に無理伸ばさなくったって良いじゃない?
土台無理なんだから。

そう、才能ってあるのよ、人間にはそれぞれ。
そして、器っていうものがあるのよ、各個人、別々にね。
そして、運、そう、運なのよね、結局。

そしてね、この人間の歴史、
この文明ってものからして、その天才たちの奇跡の産物なのよ。

例えばこの犬たち、
こいつらにたとえ何世紀の年月が与えられようとも、
文明、なんてものを作れなかっただろうし、作る必要もなかった。
そう、犬は犬で完璧、そこで充足できるからね。
ただそう、そんな犬並みの人間たちってのが、世の中のほとんどなのよ。
つまり何世紀経っても、自力ではなにもなし得ない人々。
そんな犬並みの人に、わざわざ人権を与えたり、
平等な権利とか、
ましてや、そんな犬並みの人達に合わせた教育システム?
そんなもののおかげて、いったいどれだけの才能が潰えていってしまったことか。
それは犯罪よ、まさに、神への冒涜。

ねえ、わたしってやっぱり、ナチ入ってるのかな。
これ秘密よ、絶対に。
なに言われるかわかんないからね、あの口うるさい・・・



「才能とはなにか?」

という訳で、そう、才能ってやつ。
良く言うじゃね、才能がある、とか、ない、とかさ、
そう、日常においてもすっごく気楽に使っている
この才能って言葉。

俺もバンドマンとか演ってた時は、
それこそ、耳タコどころか、それこそ口癖とまでに、
才能、才能、才能って、
なにかにつけて繰り返していたと思う。

ではその才能ってやつ、いったいなんなんだろうな。

ただ、そんな疑問に対して、またイディオクラシー的に、
馬鹿でも判るように、これが才能です、なんて風に、
それを可視化できるところにまで落とし込んでしまうと、
やたらと嘘くさく薄っぺらにも思えてきてしまう訳で、

なのでそう、果たしてこの才能というもの、
なあ、いったいなんだと思う?

データーシートの他者との比較によって、
あなたは平均値に比べて、これだけ勝っています、
という差異の部分が、才能なのか?
あるいは、
何時間やり続けても、まったく苦に思わない、という根気、
というよりは偏執性も、才能のとても大切なファクターだろうし、
と同時に、
この才能に潜む罠、つまりは、
あの怒涛の中国旅行中に知り合った、あの、黒い男。
ー>広州 ~ 黒い男
広州から香港へと向かうオールナイト・フェリーの中で、
実にさり気なく口に出したあの秀悦な才能論。

生まれ持った才能、苦労もなしにいつのまにか備わっていた才能ってのは、
やはりどういう訳だか人にはあまり尊敬されないタイプのものが多い。
あるいはその、才能のありがたさに、気づかぬうちに
それに胡座をかいてしまうものだから、
天性の才能のある奴に限ってその道では大成できない。
つまり、大切なのは努力。
努力して勝ち得たものってのがやはり一番尊い、
それを忘れてはいけない。

そう、良く言うあれ、
天才とは、1%の才能と、そして、99%の努力。
その、99%の努力を、継続できるかできないか、
というところに、真価がある、と。

またどこで聞いたか忘れてしまったのだが、こんな言葉もある。

天から授かった才能は、神様が与えてくれた特別な能力。
ただ、その神様から授かった能力を、お金のために使っては邪道というもの。
なので、人間はふたつの仕事を持つべき。

一つは、苦労して努力して習得した能力で、お金を稼ぐ。
そして、もう一つ、神様から授かった贈り物を使って、世のため人のために尽力する。

という訳で、
こんな俺に備わった才能、
神様からの授かりものってのがあるとすれば、
それはまさにしくドッグ・トレーナー。
だがしかし、なのでやはりこの犬磁石であるところのドッグ・トレーナーの才能、
よほどのことが無い限りは、それを経済活動に役立てようとは敢えてしていない訳だが、
悲しいことに、あれだけ努力に努力を重ねた、
ドラムやらテニスやら、あるいはクソ仕事・笑、
そしてもしかするとこの糞ブログ、なんてものにしても、
好き、だからと言って、才能がある、とは限らない、というこの皮肉。
その逆説的意味を十分に理解した上で、
才能、というもの、その使い道を、改めて考えてみた方がよい、
それこそが幸せな人生を送るための一つの条件である、と。



「サウス・ブロンクスの乞食画家」

なんてことを考えていたとき、
ふと、あの人物の存在を思い出した。

嘗て、辣腕アートディレクターとして勇名を馳せた某氏。

今となっては、見るもおぞましいホームレス画家。
サウス・ブロンクスののスラム街、そのショットガンギャラリーの一室で、
朝夕、スープキッチンの配給の列に並びながら、
その廃ビルの壁一面に、意味不明な呪文にも似た、
壁画を掻き続けるこの謎の怪人。

知る人ぞ知る、知らない人は誰も知らない孤高の天才画家である某氏。

末期的なスラム街の廃ビルの一室、
懐中電灯、あるいは、灯したろうそくの灯りに照らし出された、
その見るもおぞましい呪術的空間を彷徨いながら、
すべての芸術はブードゥに至る、その真理を貫き続ける、
この怪人老人ホームレス画家。

そんな彼が、お土産で持ち込んだかみさんの手料理、
それに、どこで拾ってきたのかのラム酒で乾杯をした途端、
まるで堰を切ったように、本音の本音を語り始める。

あのな、民主主義だか社会主義だか、
ヒトラーだかスターリンだかマルクス・レーニンだか知ったことじゃねえが、
そもそも、人間はすべて平等である、
なんてことからしてすべての間違いなんだよ。

人間が平等である筈ねえじゃねえか。
そうである必要も、必然もない。
そんなことは誰にでも判りきったことだ。

人間はそれぞれちがう。
その個性から、天啓から、才能から、
すべて、人間は違うんだ。

そう、人間は違う。
持っている奴は、なにもしないでもそれを持っている。
そして、持ってない奴はなにをやっても、ダメ、
そんなこと当然のことだ。

才能はある。そして、天啓ってものもある。
神から与えられた運命、その役割ってものが、
人間はそれぞれ違うんだよ。

いいか、俺はなによりも、おせっかいが大嫌いなんだが、
そう、この手料理のお礼に、お前にも判るよに説明してやるよ。

俺が嘗て、コマーシャル・アートの鬼才、とかなんとか言われて、
ブイブイ言わせていた頃・・・・



このいけすかない乞食画家、
彼の氏が、辣腕アートディレクターとして有名を馳せた頃、

フェラーリは趣味じゃなかったが、年代物のVWのポンコツワゴン車に、
それこそ、家一軒でも買えそうな金を注ぎ込んだり、
世界中からのありとあらゆる人種の女を並べては、
その裸体にボディーペインティング。
もちろんその気になれば好き放題にチンポコも突っ込んで、
あるいは、天井にも届きそうなぐらいに巨大な、
まさに、オブジェとも言えそうな、
巨大な巨大過ぎるまでのコケインのピラミッド、

世界中のありとあらゆる酒とありとあらゆるドラッグ、
ありとあらゆる女と男と牛と豚と山羊と鶏と、
そう、やってやってやりまくって・・・

で、そんな彼の元に、
毎日、引きも切らずに押し寄せる、
美大を出たてのアシスタント志望者、
なんてのに対して、
彼はこんな意地悪な面接問題を用意していたという。

シャッフルされたカラーカード。
その幾万のカラー・カード使って、そのグラデーション・チャートを、
自力で組み上げる能力。

どうだ、簡単だろ?そう、そんな簡単なことでありながら、
それができない奴ってのいうのが居るんだよ、まじで。
聾がわざわざ音楽家を目指す必要もないように、
色盲がわざわざアートを選ばなくてはいけない道理もない。

なのでそう、絶対音感、というか、絶対色感、
その基本の基本の基本。

じゃ、これ、やっといて、できたら呼んでね、
と面接室にひとり残したままの放置プレー。
まあそう、それだけで、大抵のことは判る、
のだそうである。

で、まあそこで、あんたは天才ではない、と言ってやる俺って、凄く親切だろ?
とかなんとか。

それに腹を立てて帰る奴もいる。
てめえになにが判る。俺は俺なりの方法で、俺の天性の才を、開花してみせる。
ただ、そういう奴、馬鹿だよな、と思う。
思うけどさ、まあ馬鹿だから、放っておいたがね。
で、そう、そう言われても帰らない奴もいる。
泣きながら縋ってくる奴。
頼みます。お願いします。私はなにがあってもアートをやりたいのです。
そういう奴には言ってやるさ。
あんたは天才じゃない、それが判っていても、
このくそくだらねえ、とはさすがに言わなかったが、
このコマーシャル・アートなんてものを続けたいのか?
改めて言ってやるが、どれだけ苦労しても、
あんたはろくなものにはなれないぜ。
それでも良いのか?
それが判っていながらも敢えて、コマーシャル・アートをやりたいと、
そう言っている訳か?と。
もちろん、と答えた奴には言ってやったよ。
おめでとう、あんたは合格です、と。
あんたは天才ではない。
ただ、秀才になることはできる。
つまり、努力をして、天才の能力に近づくことは十分に可能だ。
俺がそれを教えてやるよって。
という訳で、毎日やらせたよ、そのグラデーション・カラーチャート・笑
なんといっても基本のキホンだからな。
飯食ってるときも、寝ても覚めても。
そうやって凡人でも鍛えられていく。それこそが、奴隷の才、なんだよ。
天才?最初から出来る奴は大抵が物にならずに辞めて行ったね。
そういう奴は俺も含めて、はなからコマーシャルを舐めていたからな。
コマーシャル・アートで残れるのは、自分に才能がない、と知っている奴、それだけだ。
そういう人間は、努力に努力を重ねて、自身の奴隷としての能力を磨き上げていく。
そしてそういう奴隷たちが、業界そのものを引っ張っていくことになる。

ただ、と彼は続ける。
ただ、そういう奴では、俺には勝てない。
所詮は奴隷だからな、
そう、奴らは愚能な奴隷に過ぎないんだからさ。
天才である俺は物心ついた時には、そのぐらいのことを当然のようにできた。
できないやつの方がどうかしていると思っていた。

そして、改めて繰り返すけどさ、
人間の才能ってさ、もう生まれた時に決っているんだよ。
要はそれを、どうやって育むか。
で、あの、画一教育って奴。
大抵の奴が、あの糞くだらない刑務所か精神病棟か、
なんていうクソ溜まりの中でちーちーぱっぱを無理強いして、
そんなことをやらされていたら、
ものに成らないどころか、
そのずっとずっと前に、片っ端から潰されていってしまう。
なにに?
そう、あの人道主義、人間皆平等ですってあれだよ。
人間が平等?そんな訳ねえじゃねえか、
そんなこと、誰にだって判りきったことじゃねえか。
人間が皆平等、そんなことになったら、
人類はこんな文明は作り得なかった。当然のことだろ。

そう、この文明とやらを作ったのは、
そんな十把一からげの凡人たち、なんかではない。

天才なんだよ、天才。
数世紀ごとに、突然変異的に現れる天才。
そういう天啓を受けた天才が、
その才能を誰にも邪魔されない幸運の中で育まれて、
思い切りその才能を開花させた、その状況が揃って初めて、
人間は、つまりは、文明は、進歩を続けることができたんだよ。

俺はそれに気づいた。
いや、気づいていたんだ、ずっとずっと前から。
ただ、俺には運がなかった。
つまり、邪魔されたのさ、この糞みたいな、民主主義と、
このクソみたいな人道主義ってやつにさ。



ああ、まったく最低だ、
なんでよりによって、
こんな最低な人物のことばかりを思い出すのだろうか。

そう、外は雨、雨の土曜日、だからだろうか。

あるいは、そう、先日からのあの、箸にも棒にもかからない、
あのなんとも、不毛な駄文。

AKB欄外の女たち、
あのドキュメンタリーを見た衝撃、
->いまになって気がついた、ドルヲタというこの甘く危険な誘惑

そしてその衝撃の中に、確実に忍び込まされていた、
まさに、腸が煮え繰り返る、どころか、
内蔵そのものを吐き出したくなる程の、強烈な不快感、
その元の素

あのお涙頂戴的な、島田さんがんばれ、なんてことを言ってしまった、
その後になって、その不快感ばかりが増殖に増殖を重ね、
それはまるで、悪い風邪を引いた、どころか、
なんかたちの悪い悪霊にでも取り憑かれたかのような、
そんな薄気味悪い不快感にうなされていたような気分。

AKBは高校野球だ?
日本人のすべてが、そんなキャバクラ的村祭りに自身を投影しているだ?
勝者も敗者もない、だ?

そしてその結果が、これか?

で改めて聞きたい、で、その結果であるこんなものに、
いったい、なんの意味が、あるんだ?

あの総選挙の映像、それは俺に明らかに奴隷市場を思わせた。

そしてその愚劣な村祭り的な奴隷市場に、
人生を賭けて一喜一憂する、なんていうどうしようもない烏合の衆に、
確実に明らかに、胃袋そのものを吐き出してしまいたくなるほどの、
徹底的な不快感を覚えていた、
そのあまりの不快さが、逆にこれ面白えじゃねえかよ、とさえ思わされた、
それがあの、駄文の結果、だったんじゃなかったのか?

改めて、俺が人間に求めているものはこんなものじゃない。
そう、こんなものであってはいけない。いけないんだ。

そして頂いた、数々のコメント。

どれもこれも、WELCOME、
あなたも遂に、アイドル商法の毒牙にはまりましたね。

そのすべてが、確かに、ありがたい、ありがたくはあるが、
ものの本質を見失っていた。読み違えていた。

俺の言いたかったことはそんなことじゃない。
俺は、癒やしも、ほっこりも、
安いキャバ嬢の媚びへつらいも、
必要としてはいない。

そしていったいどうしてなのだ、
この堪らないほどの不快感の、
その理由ってやつは・・

そんな俺自身の疑問を、ひとつのコメントが端的に捉えていた。

甘ったれるのもいい加減にしろ。
ベビーメタル・メイトとして、恥を知れ、恥を!



「ニューヨークの神様」

改めて、ニューヨークは霊的な街である。

あるいはそもそも人生そのもの、
人間の出会い、あるいは、生きる、ということ自体が、
霊的であって然るべきものなのだ。

旅に出た途端、これまで思いもよらなかった人々との出会い。
あの日常生活の中で、どれだけ不毛な人間関係を続けていても、
決して出会うことのなかった筈の、そんな不思議な出会いが、
次から次へと訪れては、
その、赤い糸でつながっているとしか思えない運命的な出会いの中で、
そして旅人は、出会いに導かれるまま、
つまりは、天啓の命じられるままに、己の宿命の道を辿り始める。

そしてここニューヨーク。
この街こそはまさに、俺自身のその宿命、
導かれるままに辿り着いた、その場所であった筈だ。

ニューヨーク、
そこにごった返す人々、その一人ひとりの抱える
ありとあらゆるオーラが、これでもかと錯綜する中、
おかしな偶然に偶然が重なっては妙な具合に絡み合って、
その転がり具合によっては、時として運命的なまでに、
突拍子もない現実がひょっこりと目の前に転がり出る。

昔、高校の教師に、こんなことを言われた。

歯が痛くて自殺をする人間はいないし、
犬のうんこを踏んづけて死にたくなる奴もいない。
ただ、かみさんと喧嘩をした朝、
歯が痛い上に犬のうんこを踏んづけた、
とそんな偶然がたび重なった時、
ふと人間は、魔に呼ばれてしまう、
それは偶然の産物、ではあるものの、
あるものはそこに、何らかの意味、
つまりは、運命、あるいは宿命、
なんてものさえもこじつけてみたくなったりもするものなのか。

そう言った意味で言えば、
ここニューヨークは、まさにそんな偶然のびっくり箱。
ともすればちょっと運命論的とさえ思える、
その皮肉な、時として信じられないほどの幸運、あるいは不運、
そんなペーソスが数限りなく綴れ織られた、
この大都会というカレイドスコープ。

ニューヨーク。

この街の神様、この世界で最も邪悪で蓮っ葉な、
意地悪で悪戯好きな洒落者の天使。
その気まぐれにこれでもか人生を弄ばれている、
そんな感覚に気付かされる、
そうニューヨークはそういった意味でも、
まさに霊的なまでに、ドラマチックな街、なのである。

そしてこの街に暮らしながら、
そんなニューヨークの神様の息吹を感じる時、
改めて、俺はこの街に愛されている、
そんな確信めいたものを、感じてしまったりもする、のであるが、
当然の事ながら時として、それが逆に転がってしまう、
そんな運命の悪戯も、例を挙げたらきりがない

という訳で、実はまたまた、この週末に訪れた、
そんなニューヨークの神様のでっちあげた、ちょっとしたドラマ。

そう、あれは、知人の娘がODで死んだ、
そんなこれ以上無いほどに気の滅入る出来事、
そんな知らせを受けた後のこと、

ふと開いたYOUTUBEのページに載っていた、
あの、ドキュメンタリー、
ザ・ノンフィクション 「AKB48と日本人 「圏外」の少女たち」

あのドキュメンタリーを眺めながら、
俺はもしかすると、あの志半ばで消えた、
不運な少女の魂を思っていたのかもしれない。

と、そんな時、友人からふとメッセージがあった。

ボクシングを観に行かないか?

ボクシング?ボクシングってなんのことだよ。

ばか、ボクシングだよ、ボクシング。
カーンって鳴ったらぶん殴り合う、ボクシング。
お前だって嫌いな訳じゃないだろ。



「ボクシング世界チャンピオンとの出会い」

友人の友人の、そのまた友人から回り回ってきた、
そのボクシング・世界タイトルマッチのタダ券。

ティーンエイジャーのODだ、AKBのアイドルだ、
とやっていたとたんに、ボクシングだ?
いったいなんのことだよそれ、
とそのあまりにも調子外れなこの誘いに思わず絶句。

ただ、そう、俺はそういう誘いを決して断らない。
それが、妙であればあるほど、
俺はそこになにかを感じる、期待する。

うっしゃ、行ってやろうか、そのボクシングってやつ。

とは言ってはみたものの、
お調子込んでいたのは最初だけ、
いざとなってそのボクシング・タイトルマッチ、
余り物の余り物が回り回ってきたタダ券というだけあって、
会場に着いた途端、俺はその不用意な決断を、
ほとほと後悔することになった。

改めてこのボクシングという奴、その会場、その観客たち、
まさに、世の中のクズの中のクズのような連中ばかりが集まった、
社会の泥底、そのもの。
まるで狂犬のような面構えに、これ以上なく肩を怒らせては、
この世のすべてに挑みかかる、まさに野獣の殺気を漲らせた男たち。
ただ、俺的に言わせてもらえば、
このまるでゲトーを絵に描いたような人々、
先祖返り的なまでに、この世で一番気の置けない奴らではあったのだが。
ただ、そんな甘く懐かしき危険な香り、
ああ拳だけですべての決着がついていた、
そんな単純な時代が懐かしい。
俺自身、すっかりと封印しては闇に葬ったその筈であったあの過去を、
いきなり目の前に叩きつけられるような、
そんな気がしたものだ。

改めてボクシング、この世界最古の原初的スポーツ。
その原理はまさにただひとつ。
男同士が殴り合い、強い奴が勝つ。勝った奴が偉い。
その拳だけが物を言う世界。
そして、才能に恵まれなかった者は、
たとえどれだけ努力をしようとも、
決して這い上がることのできない、
そんな究極の実力世界。

ただ、才能だけではダメだ。
そう、才能と、そして努力、
そしてちょっとした、戦略、
そして、運。
その運の風向き次第では、
選手たちの運命、
その情熱が、才能が、努力が、執念が、
一瞬のうちに脆くも翻ってしまう、
その残酷なまでの明雲の様。

その残酷さこそが、
このボクシングというドラマのすべて。

先を急ごう。

この売れ残りのタイトルマッチ、
その前座に並んだすべてがすべて、
これ以上なく退屈な試合であった。

どれもこれも、そのランキングを見るまでもなく、
その力の差は歴然。
端から出来レースの八百長です、と言っているだけ。

勝つべきものが勝つ、その繰り返し。
つまりは、そういうことなのだろう、
勝負事にリスクヘッジを持ち込んだ、
そんな茶番の舞台裏、
それが安易に想像がついてしまう、
そんな露骨な出来レース、そればかり。

と、その中でももっともクソのような試合。
女子ボクシング?なんだよそれは。

まあそう、それは余興の中の余興、前座の中の前座。

まさに、小人のプロレスを思わせるほどにまで痛ましい、
そんな見世物的な出し物、にしか思えなかった。

リングに相対した女性ボクサーたち、
なんじゃこりゃ・・
木こりのように無様なまでに筋肉の盛り上がった
その見るからの醜女と、
そして、少女のように華奢な体系をした、
ピンクのトランクの女の子。

これではただの見世物ではないか。

こいつら、拳闘を、戦いを、舐めているんじゃねえのか?



嘗て俺には女ボクサーの友人がいた。
俺の通っていたジムにおいて、毎日毎日、
まるで憑かれたようにサンドバッグを叩き続ける、
そんな女がいた。

改めて聞いてみた。
なぜあなたは、女でありながら、ボクシングなんかやりたがるのだ?

女は答えた。
レイプされたのよ。

レイプ?

そう、力づくで、殴られて、蹴られて、そして無茶苦茶にレイプされたの。

タオルで汗を拭いながら、そんなことをさらっと言ってしまうこの女。

死のうと思ったのよ。もう生きていけないって。
ただ、死ぬに死ねなかったの。
あまりにも悔しくて悔しくて、夜も眠れなくてね。
目を瞑ると思い出すのよ、あの男たちの卑屈な笑い声が。
そして私は枕を叩き始めたの。死ね、死ね、死ねって。
枕が床になって壁になって、それがそう、こうしてサンドバッグになって、
いまも思い出すわ、あいつらの顔。あのゲスな顔、あのケダモノども。
そして、決して忘れないわ。
いつか、叩き込んでやるのよ、この左フックを、右ストレートを。

狂っている、と思った。
狂っていると思いながら、もちろんそんな彼女が嫌いになれる訳がない。

判るさ、俺にだって、と俺は答えた。
俺も一度、殴り殺されそうになったことがある。
中米を旅行中に強盗に会って、
そこで十人以上から、徹底的なまでに滅茶苦茶の滅多打ちにされた。
生きて帰れたのが本当に不思議なぐらいだ。
俺はあのまま痛ぶり殺されて然るべきものだったんだ。
いまでも思い出すぜ、あいつらの顔。

殺してやりたいでしょ?と女は不敵に笑った。

いや、まあ、そう、罪を憎んで人を憎まず、
なんて言葉を吐きそうになって、
そして、思いとどまった。そう、それは、嘘だ。
-> 「疵 キズ」

ああ、と俺は答えた。思うね、殺してやりたいって。

GUNじゃだめよね。

ああ、鉄砲で射ったのでは面白味がなさすぎる。

やっぱり拳よね。

ああ、拳だ。この拳が砕けるまで、滅多打ちにしてやりたい。

コンパニエロ、とその女は言った。

私たちは同志よ。そう、同じ傷を背負って生きる同志。

ただ、と俺は聞いてみた。

果たしてそれで、勝負に勝てるかい?

勝負?つまり試合ってこと? と女は聞いた。
ボクシングの試合?

そう、その試合に出たことある?

ああ、ははは、と女は笑った。

負けたわ、と女は言った。
憎んでもいない人、殴ったりできないもの。

ははは、と俺も笑った。
そして、俺達は、同志ではなく、友達になった。

そう、憎しみでは試合には勝てない。
試合に勝つには、もっともっと違うものが必要なのだ。
それを素直に認められるファイターこそが、真のボクサーなのである。



女子ボクシング、
世界タイトルマッチ、という銘打ちだったのだが、
所詮は女ボクシング、そんなものなのだろう。

余興の余興、前座の前座、小人のプロレス、そのもの。
つまりは見世物、その程度の扱い。
二人のボクサーがリングの上に姿を表した途端、
観客たちから一斉に笑い声が上がった。

その挑戦者、
それはボクサーというよりはまさにレスラー。
図体ばかりはでかいものの、
そのまるく張り出した腹から、両腕に両肩に、
見かけばかりに盛り上がったその筋肉。
その見るからに邪魔そうなグローブさえなければ、
力自慢の木こりのおばさん、と言った風情で、
およそボクシングというイメージからはほど遠い。

それに引き換えチャンピオンと紹介されたその選手。
遠目に見ても明らかに華奢な体つき。
筋肉どころか贅肉のひとかけらもないほどに痩せこけ、
そして、まるでハロウィンのコスチュームパーティのような、
そのピンク色のウエア。
まるで、小学生のお遊戯、
あるいは、試合を間違えたチアリーダーのようではないか。

ともすれば、試合前のリングを埋めた男たち、
コミッショナーから、無駄に巨漢のレフリー、
そして、リングアナウンサーの間に隠れて、
すっかり姿の見えなくなってしまうその少女のようなチャンピオン。
その前で、紹介を受けては、これ見よがしに、
すでに勝ち誇ったかのように両腕をあげる、その不敵な挑戦者。
その姿、ボクシングというよりはレスラー、そのもの。
拳闘というよりは、見世物、そのもの。

そして改めてこのあまりの体格差。
女のボクシングには体重別の階級分けがないのか?
これではまるで、異種格闘技、ではないか・・・
これでなにかあったら、いったいどうするつもりなのだ?・・

だがしかし、そんな疑念が、
試合が開始された途端、一瞬に掻き消えた。

ゴングと同時に飛び出した挑戦者、
でかい図体にものを言わせては、
気負いばかりで畳み掛ける攻撃を繰り返すのだが、
だがそのすべてのパンチはもう少しのところで空を切り、
怒りに任せては押しくら饅頭、
見苦しいクリンチでコーナーに押し詰めてみても、
ここぞ、という時になって、
まるでするりとうなぎが滑るように、まんまと逃げられてしまう。

その見るからに小柄なそのチャンピオン、
ともすれば、大人と子供、ぐらいの体格差がありながら、
右へ左へ、前に後ろに、細かいステップを刻みながら、
まるで踊りのステップでも踏むように、
軽やかな身のこなしでリングの隅から隅まで、
所狭しと逃げ回ってばかりいる。

当初は、そんなドタバタコンビの追跡劇を、
ヤンヤヤンヤの声援で囃し立てていた観客たちも、
そのともすると、あまりにも一辺倒なパターン。

早く殴り合え、どちらでも良いから、早く殴り合いを、そして血を見せてくれ!

力の強き者がすべてを制す、そんな単純な美学の中で、
この見るからに獰猛そうな筋肉女が追い回す、
この鶏ガラのようにやせ細ったお嬢ちゃん。
ただ、健闘むなしく、ついには捕まって滅多打ちの憂き目。
血みどろの中で凄惨な処刑の光景を晒すのか。
そんな可逆的趣味のカタルシスを求めていた、
不埒な観客たちの中からも、
二ラウンド目が終わった頃には
すでに落胆のため息さえも漏れ始めていた。

挑戦者のパンチは当たらなかった。
力任せに腕を振り回すたびに、
そのパンチは魔法のように空を切り、
その途端に、電光石火のような細やかなパンチが、
頬に鼻にテンプルに、そしてボディに、
タラタラと流れるようにヒットを繰り返す。

挑戦者は焦り始めていた。
この小癪な小娘、
私のこの必殺パンチが一発でも当たれば、
骨が砕け肉が飛び、一撃で天国に送ってやれるのに。
ただ、その一発のパンチが、どうしてもどうしても当たらない。

遂には足を絡ませては膝をつき、
スリップダウンを奪われた挑戦者。
まさに怒り心頭、顔どころか身体中を赤く染めて、
その姿はまさに、怒り狂う猛牛そのもの。
そして屠殺目的の闘牛場に迷い込んだこの幼気な少女闘牛士。
挑戦者の力任せの大ぶりのパンチをぶん回るたびに、
オーレ、オーレの声さえが上がり始め、
やじに煽られては我武者羅な攻勢に出るものの、
その表情には明らかなスタミナ切れの兆候が滲み始めていた。

バランスだな、と後ろの席の老人、
常連らしきボクシング通の老人がそう呟く。
見事なバランスだ。
この女ボクサー、このねえちゃん、
格闘家というよりは、まるでバレリーナのようじゃないか。

そして三ラウンドのゴングを待つこともなく、挑戦者は呆気なく力尽きた。
その大袈裟なまでに大ぶりのパンチの狭間で、
不用意に喰らい続けていたあの蚊の刺すような細やかなパンチ。
ただそれが積りに積もっては、じりじりと身体中の筋肉を締め付けていく。
そして、慢心の力を込めて放った右フックが虚しく宙を切り、
そのままよろついて背中に背負ったロープ。
もはや、ディフェンスのグローブが持ち上がらない程に疲れ切り、
いまにもマウスピースを吐き出しそうなほどに肩で息を繰り返す。

擦り寄った、レフリーが、問いただす。
まだやる気はあるのか? 戦う気力は、あるのか?


改めて、ボクサーに必要な条件とはなにか。
その一撃必殺の強烈なパンチ力。
黄金の左フック。必殺のカミソリアッパー。鉄をも砕く必殺ストレート。
素人の皆さんはそんなところにしか目が行かないだろう。
ただ、試しに、一ラウンド、たった三分間だけでも、
死にもの狂いで敵を追い回して見れば良い。
一撃必殺のノックアウト・パンチ、
そんなものばかりを振り回し続けた果てに、
ラウンド終了のゴングを待たぬうちから、
息も絶え絶え、目がかすみ、吐き気さえもがこみ上げて来て。
とそんな時、これまで防戦一方だった相手選手の目が、不気味に光るのである。
スタミナの切れたボクサー。
それはこの世で最も凄惨な、蛇の生殺し、まさに生贄そのものである。
打たれに打たれ続けながら、どうしても足が動かない、腕が上がらない。
その状態になって初めて、戦いの本質、その真意、
そして敗北の意味するものを、嫌というほどに噛みしめる事になる。


残り三十秒、レフリーに促されるまま、
形ばかりのファイティング・ポーズを取らされたその巨漢の挑戦者。
満を期して攻勢にでたチャンピオンが、
まるで鎌首をもたげたキングコブラそのものの動きで、
動きのとまった木偶人形と化したその挑戦者の目前に、
ついついとにじり寄った途端、
ひとつふたつ、鮮やかなクリーンヒットがスパン!スパン!
会場中に響き渡った、その時点で、いきなりのゴング。
あっさりとTKOが宣言され、
そして、驚きのどよめきの中、精根尽き果てた挑戦者が、
がっくりとうなだれては、セコンドの椅子の中に崩れ落ちた。

なんだよこれ、まるで茶番劇そのものじゃないか。
そう言って笑いながらも、このあまりにも出来過ぎた奇跡の光景に、
素直に拍手を送る観客たち。

仰々しいアナウンスの中で、
チャンピオンと呼ぶにはあまりにも貧弱な体系をしたその少女には、
ちょっとサイズが大きすぎる、その黄金のチャンピオン・ベルト、
そして、一時に響き渡る一部熱狂的なファンのあげる歓声の中、
そこかしこで打ち振られる旗、旗、旗。

PUERTO RICO! VIVA PUERTO RICO!

そんな俄な熱狂の中で、背後の老人がふと席を立った。

天才だな、と一言。
天才?
そう、天才。あの娘、まさに天才の中の天才だ。
この娘の試合を見てしまうと、男のボクシングなんて、
まったくおかしくて見てられなくなってしまう。
いやはや、まったく・・・



老人の言葉通り、そしてその次の試合も、
そしてその次も次も、まるで気の抜けたビールのように、
なにも見るべきものがなく、
そして、俺は、退屈仕切っては、生あくびを繰り返し、
そしてビールばかりを飲んでは居眠りを繰り返している友人をおいて、
ふらりと会場の探索へと乗り出した。

改めてこのボクシング会場。
まさに社会の底辺をうろつくクズの中のクズばかり。
あるいはそう、このボクシングの試合、というものそのものが、
人々をそんな裏ぶれた気分にさせるのかもしれない。
強いものが勝つ、その野獣にも似た二元論。
その殺伐が、男たちを野生に戻してしまうのだろう。
そして当然なことながら、俺はそういう雰囲気が嫌いではない。

どこに行っても付きまとう、酒と、小便と、そして、葉っぱの匂い。
その饐えた悪臭に辟易しながらも、
それはまさに、あの嘗て親しんだスラムの匂い、そのもの。
ただ、と思わず、呟く。
拳がものを言った時代、そんな時代もすでに終わり、
そしてこの21世紀、すべてがすべて雁字搦めの管理社会。
もはや、強いものの勝つ、そんな単純な勝者のロマンは、
すでにこんな裏ぶれた場所にしか残されてはいないのだろう。
そんな時代の狭間に置き去りにされた、
古き良き野獣じみた酔っぱらいの間を彷徨いながら、
思わずこみ上げてくる郷愁の中、
その前時代的なまでに露骨な凶暴性を漂わせた野獣たちの姿、
ちょっとした快感さえ覚えていた、その時、
その視界にいきなり、とんでもないものを見た、そんな気がした。

雑踏の中に垣間見たその女、
まさに、少女というぐらいに小柄な、
見るからに華奢な身体をした美女。

狭い通路にごった返す男たち。
試合に退屈しては泥酔の果てに彷徨いでてきた、
そんな野獣じみた男たちの犇めき合う雑踏の向こう、
そんな風景に徹底的なまでに似合わないその少女の姿、
まるではにかむような笑顔を浮かべながら、
しかしそんな野獣たちの間を、軽々とした身さばきで、
まるで水を得た魚のような自然さで歩いて来る。

なんだこの姉ちゃんは・・
まるで、掃き溜めに鶴、 泥中の真珠、そのもの。

その美女、たぶんラテン系、
スレンダーな身体にこれでもかとしなやかに伸びる長い手足。
その可憐なプロポーションと同時に、
遠巻きに見ても、その存在自体が例えようもなく美しく輝いている。

男たちの間に見え隠れするそんな少女の姿から目が離せぬまま、
そしてその宿命の美女は、まるでなにかの目的があるかのような確かな歩調で、
そして、おまたせ、という風に、俺の前で歩を止めた。

目があって、そしてその絶世の美女は、
まるで少女のような仕草でにこりと笑った。
その笑顔、まさに、宿命的なまでに完璧な笑顔。

やあ、HOLA COMO ESTA?
片言のスペイン語での挨拶を終えたのち、
待ってたよ、かわいこちゃん、退屈な試合だろ?
ねえ、外に踊りに行かないか?

改めて、目の前に立つこの美女、
この世界の殺伐を絵に描いたような野獣たちの群れる雑踏の中、
その姿はまさに掃溜めの真珠、思った通り、まさに絶世の美女。
少女のように見えたその理由は、
まさにその磨き抜かれたスレンダーなプロポーション。
小麦色の肌、長い手足、細く尖った肩と、
そしていかにも運動神経の良さそうな、
そのきりっと引き締まったお尻。
柔らかく波打つ黒髪の中から、
その好奇心でクリクリと輝くつぶらな瞳が、
まるで別の生き物のように強烈な光を讃えている。
その姿、まるで天使。ラテンの女神、そのものではないか。
これはこれは、これこそが天啓と言うやつか。

いきなり降って湧いたこの絶世の美女との出会い、
ここで行かねば一生の不覚とばかりに、
ねえ、ボニータ、まじで、踊りに行かない?
ああ神様、君は俺の生涯に出会った中で一番の、
なんてことをぶち上げそうになった、そのとき、

ふとその面影の中、
目に眩いほどの微笑みの中から、
流れた髪をかきあげたその瞬間・・・
あれ、俺、この人をどこかで見かけたことがある・・

記憶の片鱗が激しいアラートを鳴らした。

俺はこの人を知っている。
どこかで会った、それもつい最近。

ふと、首から下げたタグに目が入った。
関係者?
君がボクシング関係者、なの?

とそんな時、いつの間にかまわりを囲み始めていた男たちの中から、
よろめきながら歩み出た酔っぱらいの男がひとり、
いきなり彼女の前に跪いて大きく両腕を広げた。

おめでとう、アマンダ、最高の試合だった、
と男はスペイン語でそう言って、そして厳かに彼女を抱きすくめた。

君は、俺達プエルトリコ人、そのすべての、誇りだ。

ありがとう、と少女のはにかみのまま、しかし毅然としてそう答える。

VIVA PUERTO RICO! プエルトリコ万歳!

そしていきなりの自撮り写真、いや、おい、あんた撮ってくれ、
とIPHONEを押し付けられ、はい、チーズ、
とやりながら、ここに来て、ようやく、気がついたのである。

この美女、天使のような笑顔を振りまくこの可憐なボニータ、
このひとこそが、まさに、あのボクシング世界チャンピオン、
ついさっき、あのスポットライトに照らされたリングの上で、
チャンピオンベルトを空に掲げた、
あの無敵の女ボクサー、その人であったのだ。

えええ、と思わず声を上げてしまった。

あんた、もしかして、あの・・・

ははは、と女神は笑った。なによ、気が付かなかったの?

えええ、あんた、まじで、あの、あの、ボクシング世界チャンピオンの・・?
OMG、カランバ!なんてこった、
ビ、ビ、ビールを、セルベッサを、奢らせてくれ!

改めて、握手をしてもらった。

その手、そのか細い手。
すんなりと伸びた指と、
そしてちょっと力を入れれば、そのまま握りつぶせてしまいそうな、
その華奢で滑らかで、そして堪らなくすべすべとした手。

信じられない、この拳が、ボクシング世界チャンピオンのその拳?

綺麗だ、と思わず呟いた。あなたは、本当の本当に綺麗だ。

そして、改めてその顔、
にこやかに微笑むそのラテンの女神の必殺のスマイル。

ねえ、その顔、なんでそんなに綺麗なの?
試合の直後だって言うのに、
まったくどこにも、傷どころか、腫れさえも見えないじゃないか。

はは、と女神は笑った。
この私が顔にパンチを貰うなんて、
絶対にあり得ないわ。
そう言いながら、ふと足をとめて振り返り、
やにわにその華奢な両手の拳を、顎の前にかざして見せる。

殴ってみて、絶対に当たらないわよ、賭けてもいいわ。

その小さな拳、まるで、猫のようなその華奢な拳。
改めて、そうやって無邪気に笑うこのあまりにも可憐な世界チャンピオン。
世にある、ボクシングというものの、その美学の正反対になるであろう、
いまにも折れそうな華奢な身体と、そして香り立つような長い髪を揺らめかした、
その可憐を絵に描いたような美女。

ねえ、と俺は改めて呆れ返って呟いた。

ねえ、あなた見たいな綺麗なひとが、
どうしてよりによって、ボクシングなんてものをやってみようと思ったの?

まさか、レイプされた、なんてこと、だけは言って欲しくはなかったのだが、

呼ばれたのよ、と女神はあっけらかんとそう答えた。

呼ばれたの。ほら、あの、と上を指差す。
あのひとから、汝ボクサーたらん、って。

つまり?

わたしはボクサーだったの。
生まれたときから、ボクサーになるために、その為に生を受けたのよ。
それに従っただけ、

天啓?

そう、天に呼ばれたの、それだけ。

ふと背後から巨大な影に、振り返れば、その筋骨隆々を絵に描いたような巨大な男。
その黒ずくめのスポーツウエアがいまにもはち切れそうな程に、
ボクサーというよりは、レスラーに限りなく近い、そんな巨漢の大男。

なんだ、こんなところに居たのか、と男が女神の肩に手をかけ、
そしてその可憐な世界チャンピオンの身体が、巨漢の腕の中にすっぽりと収まった。

あんたか、こんな美少女にボクシングなんてやらせたのは。

はは、と男は笑った。

誰もやらせてなんかないさ。
ボクシングをやってくれって頼んだわけでも、
ましてや世界チャンピオンになれなんて、
そんなこと思ったことさえない。

いかにも、これまでの数々のインタビューで同じ答えを返してきたのだろう、
そんなセリフをすらすらと答えた。

こいつは、チャンピオンになるべくしてなった、それだけさ。
そういう星の下に生まれた、ただそれだけの話。

呼ばれたのよ、と女神は繰り返した。
このひとじゃない、そう、あのひと、と天を指差す。
私は生まれたときからボクシング・チャンピオンだったの。
ただそれだけの話。

改めて、握手を交わし、そして軽いハグの時に、
その信じられないぐらい柔らかい唇が、
耳の上で、ちゅっと音を立てた。

今度踊りに行こう、まじで、と俺は笑った。

彼女が踊るのはリングの上だけさ、と巨漢のコーチが答える。

嘘よ、今日だけは、そう、今夜だけは、リングには上がらないわ、そういう約束でしょ?

ねえ、踊りに行かない?と女神は少女の甘えた声で巨漢のコーチを見上げた。
今夜だけ、今夜だけだから、踊りたいわ、リングの上じゃなくて、ほんとうのステージで。



どうしてなんだろう、そう、それはなんの脈絡もない、
ただのくだらない逸話が重なっただけの話だ。

不運な少女たちが二十歳で、あるいは、一六歳で命を落とし、
そして、AKBの不遇な少女たちに、心からの声援を送った後、
そしていきなり呼び出された雨上がりの午後、
ボクシングの試合、なんていう、その野獣の巣窟のような吹き溜まりの廊下で、
いきなり出くわしたこの世界で一番可憐なボクシング世界チャンピオン。

呼ばれたのよ、その言葉を聞いた時、俺の脳裏に浮かんだのは、
他でもない、あのベビーメタル、中元すず香の姿だったのだ。

一体、こんな可憐な美女に、どこの誰が、
ボクシングをやらせようなんて、馬鹿なことを考えたのか。

そして、そう、我らが中元すず香、
こんな可憐を絵に描いたような少女が、
まさか十一万人の観客を熱狂の坩堝に叩き込み、
かかってこいや、の絶叫を響かせる、
そんなことが、いったい誰に想像ができただろうか。

このあまりのギャップ、そして、このあまりの必然。

呼ばれたのよ、そう答えた、あの無敵の世界チャンピオンの、
あの屈託のない笑顔の中に、
俺はこれまで感じてきたわだかまりのすべてが、すっきりと洗い流されては、
するすると糸を紡ぎ始めた、そんな気がしたのだ。

繋がったよ、ニューヨークの神様、そういうことか。

群衆の中に紛れながら、超然と浮き上がるセレブの姿と、
そしてあの辣腕編集者の言葉、
この世には、SPIRIT、持ったひとがいるのよ。
天からすべてを授かった、そんな天才の中の天才という逸材が。
そして、あの、基地外画家の罵詈雑言。
人間が平等だなんてクソみたいな奴らが諸悪の根源なのだ。

その全てが、ともすると、この21世紀的な常識においては、
暴言の中の暴言である筈の、ナチオタ的な言葉が、

そして、そう、あのAKBのドキュメンタリーに感じた、
あの底知れぬまでの不快感、

その全てが、一瞬のうちに、綺麗さっぱり洗い流され、
そして、一条の光が、まっすぐに天に向けて伸びていく
そんな光景が目に浮かんだのである。

DIVINE、そういうことか。

まさに、生まれ変わった気分だ。



改めて言わなければならない。

それはとても残酷なことかもしれず、
また、この21世紀の文明を支える、ほとんどすべての人々に対する、
これ以上ない冒涜にあたるかもしれない。

ただ、そう、今日、この時点で、俺の受けたDIVINE、

AKBの圏外の少女たちや、
それを追いかける中年男たち、
そんな人々に感じた一厘のシンパシー、
その気迷いを、一挙に弾き飛ばした、
このニューヨークの神様からの強烈な一撃。

思い出せ、と、ニューヨークの女神の声がする。

思い出せ、あなたにベビーメタルを引き合わせたその訳を。
思い出せ、あなたを導いた、あの数々の人々、その訳を。
そして思い出せ、この稀代まれな出会い、世界ボクシング・チャンピオンとの、
この出会いの意味を。

そう、それこそが、真理なのだ。

そしてその真理の中にひらめいた、一つの残酷な真実。

天才は確実に存在し、
そして、運がなかった、ということ自体が、
天才ではなかった、その明らかな証明、
そして、そう、その境遇をどれだけ恨んでも、憎しみでは試合には勝てない。

その残酷な真理を、改めて、自分に問うべきなのだ。

ただ大丈夫、と俺は自身に答える。
まだ死ぬまで、30年もあるのだ、

いまからだって決して遅くはない、そう信じている。

という訳で、残りの人生の最初の一日が。
ただ、俺はその最初の一日を前に、確実に、俄な焦りを、感じていた。
もたもたしてる、場合じゃねえな、確かに。




:終章或いは超蛇足的後記  

「改めて天才とはいったいなんなのか」

改めて、天才の条件とはなんだろう、と考える。

そして、ここに登場した、数々の暴言。
その呪詛にも似た、暴言の数々こそは、
芸術至上主義、
芸術は世のすべての規定から概念からを、
超越する権利を有する、
それを固く信じる者たちの、マニフェストである。

そう、もちろん俺も、そんな芸術至上主義者、そのひとり、であった。

芸術とは、人智の限界を越えた、この世でもっとも神聖なものであり、
そこには、浮世の様々な由無し事、
社会規約から、常識からから、法律から、
そんな打算に打算を重ねたような戯言が、
入り込む余地はまったくなく、
そんな打算に、迎合する必要も、必然もない。

そう、この打算、
世の愚衆の象徴であり目的であるところの、この打算という奴。
そして、そんな愚衆に対し、より一層の打算を強いる、
この限りなく迎合型の、大衆演芸、という奴。
その打算の範囲、つまりは、人気、あるいは売上というものを、
拡大しようとすればするほどに、必然的にそれは、
より低いところへと向かわざるを得ず。

先に上げた、あの数々の芸術至上主義者からの暴言は、
世の芸が、すべてこの、大衆芸能、その強欲という毒液に、
汚染されつくされ、すっかり巻き取られてしまったことに対する、
怨念の言葉、なのである。

そんな時代があまりにも長く長く続いて来たいま、
この、芸術家たちの罵倒こそが、
ともすれば、それが激しければ激しいほどに、
真の芸術への憧憬、あるいは、その証明、
とさえも思われるようにさえなっている。

そう、俺もそのひとり。
俺の音楽が判らないのは、判らない大衆に、
それを理解する能力がないからだ、と本気でそう思っていた。

だって違うだろ、これ。
この、青山さんのドラムと、そしてこれ、このひと、
まったく違うじゃないか。なぜ判らないんだ。
おまえらの耳は、節穴、なんじゃないのか?

それが理解されない時、技の道を極めようとするものたちは、
その魂の叫びが冷笑の中に掻き消えた時、
深い深い落胆と絶望、そして、俄な嫌世感さえも感じはじめるのだ。

そう、この世におけるまつろわぬ芸術至上主義たち、
四畳半の、あるいは、自室の中だけの天才、
そんな自称天才たち、
そして、判る人には判る的な、夜更けの地下室の、
その密室の中だけで行われる、まさにカルト的な、
判かる人だけの熱狂の渦。

ただ、そう、人々は知っている。

一度、そのドアを開けた途端、
世間の風の、その世知辛さ、という奴。

そして、再び、芸術至上主義者がうそぶくのである。

判らない奴が悪いのだ。そして、天は、神様は、
俺のこの才能を、判ってくれている筈、なのだが・・・

日本のロックという、まさに、その密室の吹き溜まり的な世界の中で、
そして、ボクシング。世の中から爪弾きにされた、アウトローのアウトローによる、
アウトローの仁義、それだけが支配するあの野獣的な世界。
そんな中で、最低最悪の余興、としか受け取らることのない、
この女子ボクシングというあまりにもマイナーな世界。

たかがロック、
そして、たかがた、ボクシング。

そして、場末のステージの上、スポットライトの光の輪から離れた時、
ヒーローたちは、再び、打算と強欲だけがルールとされる、
その人の世、というものに埋没していくものなのか。

そう、俺達は、そんな呪詛をこれでもかと吐き散らしながら、
ともすれば、その怨念を、その憤怒と、そのやるせなさを、
戦いの糧としては、より一層にコアな人間たちのインナーサークルの中に立て篭もる、
そんな悪循環を繰り返してきたのである。

そしていま、突如として目の前に転がりでた、この眩いばかりの閃光。

呼ばれたのよ、とあっけらかん答える、あの少女のような、純真無垢な、
あの女神の姿。

そして、我らがすぅめたる、中元すず香嬢、
あのまさに天使のような、純潔の極みの如き、凛としてまっすぐな姿。

この、まさに、正真正銘なまでの、天才、と称される人々。

そこには、怨念も、呪詛も、憤怒も、
打算も強欲も、そんなものは何一つとして、影も形も見えない。

果たしてこの、まさに、本物の中の本物である天才たちと、
そして、これまでの、あの幾多の暴言にある芸術至上主義者たち、
その潰え去った天才たちとの、その違いとはなんなのか?

俺が、この不出世のボクシング世界チャンピオン、
これまでの百戦錬磨の戦いの中で、
一度たりとも、その顔に、まともなパンチを許したことのない、
まさに、天才の中の天才であるこの無敗の世界チャンピオン。

そのあまりにも燦然とした、
そして可憐を絵に描いたような麗しき姿を前にして、
俺はそこに、まさしく、あのすぅめたる、中元すず香と同じ、
輝き、つまりはオーラを、見たのである。

それこそがまさに、真の天才と、
そして、潰え去って行った、不遇の才人たちとの、
慄然とした「差」、なのである。

ではその、真の天才たちに共通する、
輝きの正体とは、いったいなんなのか。

愛だろ、ぶっちゃけ。

愛、そう、真の天才とは、愛を体現するもの、なのである。

考えても見ろ、
天才とは、天から与えられし才を持つもの、
つまりは、神に愛されたものを指す言葉であり、
そして、そんな天才たちは、当然のことながら、
自身が神に愛されていることを自覚して初めての天才。

そして、自身が神に愛されることを知る天才たちは、
そんな神を、そして、神に愛される自分自身を、
そして、そんな神の細胞のひとつひとつである、
この世の人間のそのひとりひとり、
あるいは、この世にある、生きとし生けるもの、そのすべて、
時として、その敵となる者さえもを、
愛して愛して愛しぬく、その絶対的なまでに大きな大きな愛。

世のすべてを、愛して止まない、
それこそが、真の天才の、唯一絶対の条件、なのだ。

天才を評する皮肉な編集者が、
世界を罵倒しつづけるスラム街のホームレス画家が、
芸術至上主義の残骸の中にのたうつ、
数多の自称天才たちが、
結局は真の天才足り得なかったその理由とは、
まさしく、それ、愛の欠如、に他ならない。

そしてそれに気づけ無いものは、
たとえどれだけ技巧に優れていたとしても、
たとえどれだけ努力を費やしたとしても、
真の天才には近づくことさえできはしまい。

そしてその不遇の底にのたうちながら、
その怨念に満ちた労苦の結晶を持って、
己の天才を、証明しようとどれだけ躍起になあろうとも、
そのドグマの底から這い出ることはできないに違いない。

己の天才を証明せしめんとする行為、そのものが、
あの衆愚たち、
打算と強欲、虚栄と嫉妬に満ち満ちた、
あの地獄の餓鬼たちとの愚かなる迎合に他ならない。

神から与えられし、呼ばれたる者は、
そもそも、己の天才性などを、
証明する必要さえもないのだから。

それに気づかないうちは、
たとえどれだけの辛酸を重ねても、
決して真の天才には至れない、
その残酷な事実。

愛を見失ったところに、人類の迷走が始まるのである。
それこそが、神の定めた試練、そう確信して止まない。

そしていま、われが眼前に巨大な閃光を持って立ち上がる、
この美の戦士たち。
そんな、大きな愛に包まれた天才たち、
己の愛に、微塵の曇りも揺らぎも見せることのない、
その真の天才たちが、
その、凄まじいばかりの愛のオーラの中に、
群衆たちを包み込み、そして洗い流していく。

真の天才の使命とはなにか?

愛無き者に愛を与えてこその天才。
天才の真価とは、まさにそこにこそある、のだから。

この打算のみの支配する世界に蔓延する
怨念や呪詛や憤怒、
それに対抗できるのは、
より邪悪な、怨念や呪詛や憤怒、ではない筈だ。

その悪のスパイラルを止めることのできるのは、
愛無き者に愛を与えることのできる天才、
その真価を知りえた、
真の天才、それ以外にはない。

この世に在る、生きとし生けるもの、そのすべて、
この世界というもの、そのものすべて、
時としてその敵となる者さえもを、
その巨大な愛のオーラの中に包みこめる、
その絶対的なまでに大きな大きな愛のちから。

では、その愛のちから、とはいったいなんなのか?

それは憐憫に満ちみちた母性愛か?
それは包容力に満ちた父性愛か?
あるいは、自画自賛の中で腐敗臭を立ち上らせる自己愛なのか?

ニューヨークの女神に導かれた、
無敵のボクシングチャンピオンが、
そして、中元すず香が体現する、
その大きな愛とはなんなのか。

それは、人間の、尊厳、である。

そのプライドに満ちた、凛として冴え渡った姿、
それこそが、愚衆たちを蘇らせる、あの一条の光り、
その魔法の閃光の、その正体なのだ。

愚衆たちの、その心の底に僅かに残った尊厳、
そのプライドを蘇生せしめる力、
それこそが、真の天才、その力の、証。

俺はベビーメタルを、中元すず香を知って、
ようやく、それに気づいた。

それこそが、中元すず香は天才である、
そう言って憚らない、その理由、なのである。

ベビーメタル、そして、中元すず香

それと同時に、我らがベビーメタル・メイト、

人間の美しさ、その真髄、
凛として揺るぎのない、その尊厳に貫かれた美、
その人間の美の真理に気がついた、
そう、我らベビーメタル・メイト、そう俺達のことさ。

この怨念や呪詛や憤怒に満ち満ちたドグマ、
憎悪の泥沼にのたうつ、阿鼻叫喚の無間地獄の底に、
一条の光を放てるのは、
人類の尊厳を蘇らせるべく、その美の結晶に覚醒を見た、
そう、あなた、しかいない。

ベビーメタル、中元すず香、
そして、そんなベビーメタルに導かれて、
人間の美の尊厳、その愛の力に覚醒した者たち、
我らがベビーメタル・メイトたちよ。

いま、世界が、俺達の力を、必要としている。

凛として生きよう、たとえなにがあろうとも。
そして戦おう、美と愛の力を信じて。

大丈夫、心配いらない。
俺達は、神に愛されている、
そしてベビーメタルがついている。

見ろよ、ベビーメタルを、
見ろよ、中元すず香の、ユイの、最愛の、あの姿を。
人間は美しい。美しくあるべきもの、なのだ。
ベビーメタルは、それを確信させてくれるじゃないか。

愛よ、地球を救え。ベビーメタル・メイトとともに。






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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