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ニューヨークの謎 ~ 地下鉄のスタバ族という蛮族たち

Posted by 高見鈴虫 on 27.2017 ニューヨーク徒然   0 comments
連休前の金曜日、
もうすでにほとんど大抵の人々はバケーションに出払っているのか、
と思いきや、朝の地下鉄が思いの他に混み合っていた。

やって来るどの電車も、乗客が乗り切れずにホームに取り残されたまま。
そうやって二本三本と列車を見送りながら、
しかしどの電車も、混み合っているのは出口付近だけ。
車窓から覗くその中は、混み合うどころか、新聞を広げる余裕さえ見える。
理由は判っている。
つまりは、出口付近に立つ乗客たちが、新らたに乗ってくる乗客たちに、
その場所を頑として譲らない為だ。

この街に着いて以来、久しく謎であった、このあまりの譲り合いの精神の欠如。
あれ、腹が立たないか?と聞いてみれば、
だって、と、答えた若い白人の女。
だって、場所を譲ったら負けだもの。
負け?ルーザー?どういう意味?
だから、他の乗客のために場所を譲ったら、それは、負け、なのよ。
勝ち負けの問題なのかな。それはただたんに、エチケットに欠ける、というだけの話じゃないのか?
いい?この街ではね、他人のために、自分が動かされる、という状況には、
なにがあっても、抗わなくっちゃいけないのよ。
そう、これは戦いなの。なにがあっても絶対に場所を譲っちゃだめなのよ。
でもさ、混んだ地下鉄だぜ。みんな似たような状況にいるんだ。
お互いに場所を譲り合って、みんなで乗れるようにした方が良いに決まってるじゃないか。
あなた、と、そのOL風の若い女は言ったものだ。
あなた、お人好しね。そんなことで大丈夫?そんな弱気じゃ、この街ではやっていけ無いわよ。
そういう君はこの街に来てどのくらい?
あたし?あたしはそろそろ二年になるわ。良くぞ頑張ったものよ。自分で自分を褒めてあげたい。
俺、こう言っちゃなんだけど、この街に来てもう20年になるけど、
朝の電車で新しい乗客を乗せないように頑張ることが、戦いだなんて思ったことないぜ。
あらまあ、そうなの?とちょっと皮肉げに、つまりは、ビッチな顔で、薄ら笑いを浮かべる女。
そんな風だから、いつまで経っても地下鉄になんか乗ってるんじゃない?とでも言いたそうである。
あたしの彼氏なんかね、毎朝リムジンが家の前まで迎えに来るのよ。そうなってこそ、本当のニューヨーカーでしょ?
とでも言いたそうである。
ただ、そう、彼女は知らないのである。
たとえリムジンであろうがタクシーであろうが、朝のブロードウエイのあの末期的渋滞を考えれば、
この街における唯一の公共交通手段は、地下鉄、それ以外にチョイスは無い筈なのだ。
ただ、そうか、そういうことか。
つまりこのニューヨークの地下鉄の謎、
入り口ばかりがぎゅうぎゅうで中はすっかすか、のこのミステリーは、
つまりは、入り口で頑張っている人々が、わざと新たな乗客を乗せないようにしているから、な訳であって、
その理由が、他人のためになにかをしてやったら、それだけで負け、と思っているからなのか。

図らずも、サンアントニオ・テキサス、なんてところからやってきた赤首のねえちゃんから、
長く謎であった、このニューヨークのミステリーの答えを教わるとは思わなかった。









という訳でそう、ここニューヨーク。
賑やかな大通りの華々しさと対比して、
このニューヨークと言う街の持つ、本当の意味での不条理さ、
その醜悪さの全てが、この地下鉄の中に凝縮されている、
と言っても過言ではない。

例え東京に何年暮らしていたとしても、
あの朝の殺人的なラッシュを経験しないことには、
そこに棲まう人々の本心には決して触れることができないように、
ここニューヨークにおいても、庶民の生活のその怨念の全ては、
この地下鉄の中にこそ見ることができる。

という訳で、この連休前の大混雑。
次から次へと、やってくる電車、そこに無理やり押し入ろうとしては、
思い切りの悪意とともに押し返され、
全てのドアで繰り返されるその押し問答のために、
ますます運行ダイヤが遅れていくこの悪循環。

その全てが、じつは、
人に場所を譲ったら負け、そんなささやかな悪意のなせる技。
そんなことは誰でも判っていながらも、
それがまったく改善される兆しの無いこと、
それこそが人間という生き物の持つ根源的な不条理さの、
なによりの現れなのである。

まあそう、連休前の金曜日である。
多少遅刻したとしても、事情を話せば、会社の連中も理解してくれる筈。
とは言うものの、
ほとんどのニューヨーカーがそうであるように、
俺は俺で、俺なりの俺だけの特別な事情とやらを抱えているのである。

この朝、11時から重要な会議がある。
様々な事情が重なって、現在担当を任されている案件、
その明雲を決める会議。
昨夜のうちに必要な資料は全て関係者に配布してある。
問題点の洗い出しから、リスク分析から、
進行次第では必要になってくるであろう根回しも、
味方、そして、敵の選定から、その対処法から、
そつ無く手を打ってきた、その筈である。

なのではあるが、問題は、そう、相手は人間である。

人間というこの厄介な代物。
まさになにからなにまでが予測不能の壊れたマシーン。

会議までに読んでおくように、と事前に手渡した資料に、
はいはい、と返事ばかりは勇ましく、
ただ実は誰も目を通していなかったり、
これはお前のためにやってやっているんだからな、と念を押した筈の
その当事者本人が、実はその事情がまったく理解できないまま、
馬耳東風でお客様面を決め込んでいたり、
下手をすればその場の感情次第で、
敵と味方を勘違いして妙な暴走を始めてみたり。

そう、このテクノロジー全盛の時代、人間こそはブラックホール。

すべてがすべて計算づくのこの世界の中にあって、
唯一、徹底的に予測不能な、この人間という厄介なディヴァイス。
極端に営利的でありながら合理的にはなりきれず、
言葉ばかりに頼っていながら、実はそこに論理性はかけらもなく、
常に冷徹さを要求しながら、その根拠はただの感情論。
そんな人間というディヴァイスの不条理性が、
この時代になってますます、世の汚点、とさえなりつつある。
そう、人間こそは未知数のの塊り、なのである。

という訳で、この人間という出来損ないのマシンを相手に、
日々悪戦苦闘の毎日。

ダメ押しとばかりに、今朝、会社に着いて朝一番、
改めて、資料のここと、ここと、ここ、だけは、目を通しておけ、
その、注意喚起のメールを配信し、
その直後にこれでもかとばかりに電話で追いかける、
そこまでやって初めて、この人間というディヴァイスを、
動かすことができるのだろう。

という訳で、この連休前の金曜日、
これからの朝の二時間こそががまさに、勝負、なのである。

ただしかし、
そんな事情を知ってから知らずか、
この次から次へとやってくる電車、
そのすべてが、新しい乗客お断り、の鮨詰め状態。

そうやって呆然としたまま電車をやり過ごすホームの人々を、
がら空きの電車の中から、ウィンク、
下手をすれば、舌を出しそうな面持ちで走り去っていく乗客たち。
連休前だというのにいったいどうしたというのだろう。
まあそう、理由はだいたい見当がつく。
つまりは、地下鉄公団社員の怠慢、
あるいは、またいつものようにどこかで車両故障、
果ては、この地下鉄公団の社員さえもが、
大挙として休暇を取ってしまったがために、
こいつらはこいつらで、人手が足りない、
そんな事態に陥っているのかもしれない。

そう所詮は人間のやることなのである。
そしてこの人間が介在すればするほど、
システムというものがますます壊れていくのである。

もう三十分もホームに取り残されたまま、
くそったれ、と舌打ちを繰り返すばかり。
しまったな、こんなことをしている場合じゃないのだが、
と、気ばかりが焦りながらも、
そしてまたやってくる地下鉄、
計算値と、実際の人員がまったく符号しないその現実の不合理性の中、
どのドアも人が溢れかえっていてはまた無益な押し問答の中で、
罵声や悲鳴さえも響き始めている。

ちょっとあなた、もっと、そこどきなさいってば。
見なさいよ、奥の方はガラガラじゃないの。

おい、押すなよ。もう無理だ。もうひとりだって乗れない。

だから、そこのあなた、あなたがもう一歩だけでも奥に入るだけで。

そう言っているそばからドアが勝手に閉まり始める。
その閉まりかけたドアを無理やり押し広げる乗客たち。
響き渡るブザー。 マルファンクショニング。
車内に流れるヒステリックな声。ドアを抑えないでください。
リトライ、リトライ、りトライ、マルファンクショニング。
そしてまた遅れる電車。

こいつら、と思わず。
こいつら、いつまでこんなガキじみた意地悪を繰り返してやがるのか。

そう、機械は人間の心は予測できない。
予め所定人員として計算された数値が、
まさか、出口に立ちふさがった人々が、
意地悪をして新しい乗客を載せようとしない、
など、どうやって予測が付くだろうか。

そしてそう、もう一つの計算違い。
つまりは、肥満である。
この数年、人類の肥満度のうなぎのぼり。
当初の予定された人間ひとり分の体積の標準値が、
この数年で無茶苦茶になってしまっている。

どんなに精密に計算にもとづいていたとしても、
まさか人類が、一瞬のうちに二倍三倍にまで膨れあがってしまう、など、
いったい、誰がどうやって予測できただろうか。

という訳で、出口付近に固まっている人々、
まさに、ドブ、デブ、デブ、ばかり、である。
これだけ太ってしまっては、ちょっとやそっとでは身動きができない、
それは安易に予想が付くのだが、
改めて、なぜこの人たちは、ここまで不用意に太りきってしまったのだろう。
ここまで太ってしまったら、もう通常の生活に支障を来すことになる、
そんなことがわからなかった訳ではあるまい。

という訳で、また新たなデブ、
ドアの半場にへばりついては、無理矢理に、
しかしどう考えてもあまりにも絶望的なトライを繰り返しながら、
傍から見ればそれがいかに不可能なことか、
誰でも判断がつくであろうことが、
そう、本人だけには判らない。
つまりはそう、デブというデブ、そのすべてが、
自己認識を完全に誤っている、その基本データの不一致。

ただそう、俺にとってはこの無様なデブこそがチャンスである。

そんなデブの肩先を、ちょんちょん、と突いてやる。
おい、あんたそれ、無理だよ、絶対、と、
これみよがしの悪意を込めては思い切り鼻で笑ってやる。
そのブヨブヨの肉を、千切って捨てて半分にしてみたらどうだ?

ドアに挟まれたままだったデブが、
我武者羅な突進を繰り返すたびに、
中の乗客からの露骨な舌打ちの集中砲火。

なにするんだよデブ、うぜえデブ、臭いデブ、
あんたじゃ無理だよ、だってそんなに無様に太り腐って。

という訳で、そんなデブの傷心、
その羞恥心につけこんでは、
腐ったデブ、早くどけ、とその間に、するりと滑り込んだ俺。
我ながら、このあまりにもスマートな、
そしてそれだからこそ悪意に満ち満ちたえげつなさ。
途端に響くデブの舌打ちを思わず鼻で笑いながら。
さあ、どうぞ、心置きなく出発進行です。

俺の前に立っていた黒人のおねえさんと、
どこぞの中米からのちんちくりんな女の子が二人。
その間に目ざとく身体を押し込みながら、
ただ、そう、そこは本場日本仕込みのテクニック、
デリケートな部分には身体が触れないように、
その間にさりげなくカバンを挟むエチケットも忘れない。

へへへ、してやったり、と、潜り込んだその僅かな隙間。
さあ、これで背後のドアが閉まってくれさえすれば、
とそんな時、一度閉まった筈のドアが再びガタガタと開閉を繰り返す。
またどこかの間抜けがドアに挟まっているか、
あるいは、その背中に背負ったドン亀のようなバックパックが、
挟まれているのに気づかないアホがいるのだろう。
とそんな時、一瞬のドアの戸惑い、その隙間から、
また一人、するりと入り込んできた曲者が一匹。

その男、ホームに居るときからちょっと気になっていた、
見るからにオネエの入った白人の若い男。

白いVネックのシャツの上から、派手なギンガムチェックのジャケットを羽織り、
七分丈のパンツに、素足に履いたローファー。
その、見るからに時代を間違えた業界ヲタク。
いかにも、どこかのテレビ局で見習いのADでもやっていいそうな、
まるで浮世離れしたその風情。

見ているだけで胸糞の悪いそんなヤッピー気取り、
周囲の不機嫌な人々を嘲笑うかのように、
スタバのアイスコーヒーを啜りながら、
いまにも口笛でも吹き始めそうである。

んだこいつ、どこのお上りの百姓だよ。

ただそう、ここニューヨーク。
人種のるつぼ、色々な奴がいるのは当然のこと。
気の合うやつもいれば目障りな奴も居るには居る。
見たくない奴は見なければ良い、ただそれだけの話だ。

とそんなことを思っていた目障りなヤッピー気取りが、
よりによって俺の背後から、きゃっ、あら、ごめんなさい、
とばかりに、無理矢理に身体をねじ込んで来ては、
いやん、このドア、意地悪、とは言いながら、
まさに確信犯的に無理矢理に強引に、
身体をねじ込んで来たのである。

なんだよこいつ、どこまでも邪魔くせえオカマ野郎。

思わずそのまま背中で押し返しやっても良かったのだが、
そう、俺は日本人なのである。
そういう時に、思わず、他人様のために場所を譲ってあげてしまうのである。

という訳で、どうにかこうにかドアが閉まり、ようやく走り始めた地下鉄。
これでまた不慮の事故でも起きない限りは、とりあえず9時半前には会社に着ける。
で、あれをやってこれをやって、そして、11時の天王山の会議。
いや、その前に、あれとこれとそれと、を確認しておかなくてはいけないな。
それに気づけただけでも、この遅刻は不幸中の幸い、という奴かも、

などと思っていた矢先、いきなり俺の眼前に、
にゅい、と差し出されたスタバのアイスコーヒー。

まだ飲みかけのその黒い液体が、
危うく被さった蓋の付近を、ゆさゆさと揺らめいているのが見える。

ふと見れば思ったように、あの、おかまのヤッピーである。

ふんふん、と鼻歌でも歌うかのように澄ました顔をしながらも、
その、危うい体勢のままでは、ちょっと電車が揺れたが最後、
その手に持ったスタバのコーヒーカップを、
乗客の頭の上からぶちまけることにもなりうる。

いったいこいつ、なにを考えていやがるのか。



改めて、この地下鉄のスタバ族、
混んだ地下鉄に珈琲を持って乗り込んでくる奴ら、
そいつらの気がしれない、と、
俺は久しくその思考回路に疑問を持っていた。

いったいどんな理由で、こんな混雑の中にスタバの珈琲を持ち込む理由があるのか。

予てから疑問を持ち続けていたこの地下鉄のスタバ、その謎。
あの珈琲が、混んだ地下鉄の中で溢れては、
他人にかかってしまったりしたら、いったいどうするつもりなのだろうか。
と同時に、
いや、多分それは、俺の思い違いだろう、とも思っていた。
つまり、スタバ嫌いの俺が知らないだけで、
最近になって開発されたスタバのカップ、いったいどんな仕掛けでか、
決して珈琲が溢れない、そんな細工がしてあるのかもしれない、
いやそうに違いない。
それでもなければ、あのスタバのカップ、
ちょっと揺れるだけのあの吸口の部分から、珈琲が飛び散る、
そんなことぐらい、どんな馬鹿でも判ることだろう。

ただ、そう、実はつい二週間ほど前のこと、
そんな俺の最新技術信仰が、実はただの買いかぶりであった
その事実をひょんなことから目撃することになった。



その若い女。
またまたこの朝の混み合った地下鉄の中で、
どでかいバックパックを担ぎながら、その片手にトートバッグ、
そしてもう片方の手に持つ、あのスタバのコーヒーカップ。

どこにも掴まるもののないまま、そんな状態で電車に乗っていれば、
十中八九、よろめいた拍子に珈琲をこぼすに決っている。

例えそのスタバの新規珈琲カップの技術がどれだけ優れていたとしても、
君子危うきに近寄らず。
その女の、見るからになにかにつけて思慮の足りなそうなその姿を認めた俺は、
さりげなくしかし確信犯的に、
その間に他の乗客を挟んでは早々と避難を完了していたのだが、
そして思った通りその女、
42丁目の駅、その直前でいきなり急停車をかけた電車、
そこで思わずよろめいては、
その珈琲カップの飲み口から、見事に黒褐色の液体を、
隣に立った女、つまりは、俺がさりげなく盾に使った中年の女に、
飛び散らせた、のである。

なんだよ、やっぱりそうか、と俺は思った。
あのスタバの珈琲カップ、やはり新規ディバイスでもなんでもなかった。
つまりは俺の嘗て知ったあの普通のスタバの紙コップ、そのもの、
ただ、そう、そうであれば、蓋が外れなくてよかったではないか。
もし蓋が外れていたとすれば、この中年女は頭から珈琲を浴び、
と同時に、その後ろに立つ俺も、被害を免れなかった筈だ。
であれば、これはこれで不幸中の幸い、と言えないこともないではないか。

という訳で、珈琲をかけられた中年女。
ちょっと、あんたなにするのよ、と、思い切りの怒鳴り声。

あーん、ごめんなさい、とわざとらしい泣き声をあげる女。
ただ、そう、これ、まさしく確信犯であろう。
どこの馬鹿が、ニューヨークのポンコツ地下鉄の中で、
手すりにもなににも捕まらずに珈琲など持っていれば、
なにかの拍子でそれは必ず溢れる。
溢れた時にはこの混雑の車内、
必ず、誰かにそれをぶっかけることになる、
そんなことはどんな知恵足らずでも判りきったことではないか。

あーん、ごめんなさい、本当にごめんなさい、
とわざとらしい甘えた声を出しながら、
しかし、そう、今回は相手が悪かった。
相手は同じご婦人、しかも、嘗ては自分自身も、そんなバカ娘のひとりとして、
それが若い女であればなにがあっても、
甘えた声さえ出せば大抵のことは許してもらえる、
そんな暴挙を繰り返してた、その嘗て経験者なのである。
そんな若い女の下心ぐらい、疾うの昔にすべてお見通しであろう。

バカ女、ダム・ビッチ!と舌打ちをする中年女。
これ、どうしてくれるのよ。あたしこれから仕事なのよ。
ねえ、どうする気よ。

ごめんなさーい、そんなつもりじゃなかったの。

そんなつもりがあったらそれこそ、告訴してやるわよ。
バカ女、ねえ、どうするのよ、どうしてくれるのよこれ。

とそんな時、再び、がたんと揺れた地下鉄。
ああ、ようやく動き出してくれた、と安堵のため息を漏らしながら、
このうるせえ女たち、早く次の駅で降りないものか、と思っていたその矢先、
バカ女、どうしてくれる、と繰り返していたその中年の女が、
やにわに、若い女から奪い取ったそのスタバの珈琲カップを、
よりによって、女めがけて、ほら、こうしてやるよ、と、
ぶっかけ返してたのである。

がしかし、そう、今回はその勢いが違った。
中年女の振り上げたそのスタバの珈琲カップ、
いきなり蓋がはじけ飛んで、その中の珈琲がそのまま、
若い女に、そして、当然のことながら周囲の乗客たちに向けて、
これでもか、とぶちまけられたのである。

きゃああ、と弾け散る女の悲鳴。
それと重なる周囲の乗客の罵声。
あっちっちっちち!
わあ、なにんすんだよ!
キチガイ女、なにやってるんだ!

バカ女、思い知ったか、自業自得だよ。

尚も響き渡る罵声の中、
混み合った車内にむんむんと広がる珈琲の香りに包まれたまま、
すかさず開いたドアから半ば強引に転がり出た中年女、
すたこらさっさと、雑踏の中に身を捩っては走り去っていく。

馬鹿野郎、と乗客たち。
さいてー、最悪、と飛び散った珈琲を新聞で拭いながら、
くそったれ、ついてねえな、と舌打ちを響かせては、
タイムズスクエアの雑踏に消えていく人々。

そんな中、身体中を珈琲色に染めた若い女。
ホームに転げ出るや、あらん限りの金切り声で、

ビッチ! ユー・ファッキン・アスホール!

そして何も知らずに乗り込んできた乗客たち。
なんかスタバ臭いな、と怪訝な顔をしながらも、
そして何事もなくドアが閉まり、
次は34丁目、とのアナウンスが流れて列車が走り始める。

という訳で、まったくどいつもこいつも、と苦笑い。
このニューヨークの地下鉄、
どいつもこいつも末期的な馬鹿ばかり。

ただ、俺がもしも珈琲をぶっかけられていたら、
思わず、そう、あの中年女がやったように、
それをぶっかけ返す、
ぐらいのことはしてしまったかもしれない。

そう、それぐらいなことをしなくては、あの馬鹿娘たちは、
自分たちのやっているそのさりげない暴挙の、
その意味するところにも気が付かないに違いない。

混んだ列車の中に珈琲を持ち込めば、それは溢れる。
溢れれば当然、他人にひっかかる。
ひっかけられた奴は当然怒る。

それがいかに些細なことであっても、
人混みにスタバの珈琲を持ち込むこと、
それは確実なる暴力、強いてはテロ行為である。

多分、俺もやられたら、やり返していたかもしれないな。

ただ、そんなことをやっていれば、
このスタバの珈琲はまさに凶器と早変わり。
ニューヨークの朝の地下鉄にすし詰めの乗客たちが、
互いが互いにスタバの珈琲をぶっかけ合う、
そんなご機嫌な修羅が展開されることにもなるのか。
シーサンパンナの水掛け祭り、ならぬ、
ニューヨークの地下鉄の珈琲ぶっかけ祭り。
そのスポンサーがスタバだったらますますグロいな、
と、そんなことを思っていたその時、
いきなり目の前に突き出された、またまたスタバの珈琲カップ。
見れば、そう、思った通り、若い女である。
ちょっと、そこどいて、とばかりに、強引に乗り込んで来ては、
無理矢理に身体をねじりながら、
そう、その武器とするのはスタバの珈琲カップ。
誰もがその不穏な珈琲カップから身を避けようと通路を開けながら、
スタバ片手のビッチはそうやって、
自身の最も快適な場所をちゃっかりと確保してしまうのである。



そう言えばさ、こないだ、凄いもの見ちゃったよ。

最近、若い女がよくスタバの珈琲持って地下鉄乗ってくるんだけどさ。
あれ溢れない方がおかしいと思っていたら、
案の定、中年の婆あにぶっかけて、
したらその婆ぁがさ、
いきなり若い女からその珈琲をむしり取って、
なんと、中の珈琲をぶっかけ返してさ。

じぇじぇじぇ~、と目を瞠る犬の散歩仲間たち。

珈琲をぶっかけ返した?それは凄いわね。

やけどしなかったの?かけられた人。

知ったことじゃないよ。
そもそも自分からあんな混んだ電車に珈琲を持って乗り込んできて、
なにかあったらそのぐらいのことになるって、
どんな馬鹿でも気づいているだろう。
だからやり返されて当然。いいざまだけどさ。
ただ、まわりでとばっちり食った奴らは目も当てられないよな。

で、あんたは大丈夫だったの?

俺はほら、リスクヘッジの人だから。
そういうことになるだろうと事前に察知して予め逃げておいたから。
やっぱさ、
スタバの珈琲、あれはもう、立派な凶器だよな。
でさ、よく判らないのは、そんなことになるって誰もが気づいていながら、
なんでよりによって、あんなものを持って、混んだ地下鉄に乗り込んでくるんだろうな、と。

と、それを聞いていたうちのかみさんが一言。

それ、確信犯よ、多分。

確信犯?つまり、人にぶっかける為に珈琲を持ち込んでる訳?

とそれを聞いたエレンさん。

なんか以前、うちで使ってた女の子、
ほんとうになにをやらせても頭のとろい、
まったく120%知恵足らずの馬鹿な女だったんだけどさ。
で、その子の付き合っていた彼氏っていうのが、
つまりはそれ、なのよ。
電車の中で、珈琲をかけちゃって、でお詫びしたいので、とかなんとか。

ね、とうちのかみさん。わざとよ、わざと。

つまりは、珈琲ひっかけて男をひっかける、その為のツール?

そう、凶器じゃなくて、兵器よ兵器。ウエポン、と笑うエレン。

ただ、あんたなんかが余計な口をはさむと、
露骨に迷惑そうな顔されるんじゃない?
なによ、邪魔しないでよ。
この珈琲、なにもあんたなんかの為に、持ってるわけじゃないのよ。
邪魔だからそこどきなさいよ、本当に頭からぶっかけるわよ、
とかなんとか。

そうか、そういうことか。
しかしながら、いったいどこまで馬鹿なのかなあの若い女たち。

必死なのよ、とかみさん。若い子はみんな必死なの。

そう、格好良い男をひっかけるためなら、なんでもやっちゃうのよ。

ただ、混んだ地下鉄に珈琲持ち込んで人に引っ掛けるような子、
男の人はそんな馬鹿な子を、まともに相手にするとは思えないんだけど。

だから、と俺。
だから、男だってそれぐらいでちょうど良いんだろ。
そんな馬鹿な女なんだから、なにを気兼ねすることもなく、
思う存分ぶっかけ返してやろうと、所詮はそのぐらいのところなんだろ。



という訳で、そう、俺はすでに判っている。
この、混み合った地下鉄にわざわざ珈琲を持ち込むバカ女たちのその下心。

ただ、と思わず振り返る、この遅れてきたお上りヤッピーのこの醜悪なおかま野郎。

いったいこいつは、なんの目的でこの殺人的に混み合った電車、
その乗客たちの頭の上に、このアイスコーヒーを翳していたりするのか、と。

でそう、若い女だったらいざしらず、こんなオカマ野郎に、なにを気兼ねすることもない。

という訳で、言ってやった。

おい、なに考えてるんだ馬鹿。その珈琲だよ、珈琲。
いまにも零れそうじゃねえか。早く床に置け、床に。

え?なに?なにか御用?と、トボけた表情のオカマ野郎。
こいつ、と思わず。
こいつもしかして、よりによって俺にぶっかけるつもりで、
このアイス珈琲を持ち込んできた、そんなつもりじゃねえだろうな。。。

そう、嘗て俺はゲイにもてた。
ほとんど大抵の日本人がそうであるように、
金髪グラマーな美女連中には鼻もひっかけられない日本男子は、
なぜか、あるいは、多分、だからこそ、
こんな見るからに誰にも相手にされないタイプの醜悪なオカマたちからは、
異様に纏わりつかれたりするのである。

こいつ、と思わず。
このオカマ野郎、悲しくなるぐらいにどうしよもなく関わり合いになりたくないタイプ。

あら?なにかお気に触ったの?とまるでとぼけたふりでそっぽを向きながら、
だがしかし、と俺はありったけの敵意を込めて繰り返す。

おい、馬鹿、その珈琲、
なんでそんなもの持ってこんな混んだ地下鉄に乗ってくるんだよ。
それが溢れたらどうするつもりだよ。お前には常識ってものがないのかよ。

知らないわよ、そんなこと、と薄笑いを浮かべるオカマ野郎。
大丈夫、溢れないわよ、絶対に。
だからわたしに、その臭い息を吐きかけないでよ、吐き気がするわ。

とそんな時、電車が揺れた。そして天井近くに翳されたアイス珈琲が、
いまにもいまにも、その真下に居る、俺の前に立つ黒人女の頭から降り注ぎそうである。

だから、その珈琲、どうにかしろよ。
俺にかけやがったただじゃおかねえぞ。この知恵足らずの・・・

とそんな時、やめなさいよ、と女の声。
いいじゃない、珈琲ぐらい。
誰だって、珈琲ぐらい飲みたいわよ。

ふと見ればその声の主、なんと、俺の前に立つ黒人の女である。

はあ?と思わず。
あんたなに考えてるか知らないけど、あんたの真上、その頭の上、
次に電車が揺れたら、その珈琲をぶっかけられるのはあんた自身なんだぜ。

あのねえ、と黒人の女。
連休前なのよ。みんなこの連休を楽しみにしていて、
今日一日ぐらいはポジティブに過ごしたいのよ。
迷惑よ、あなたのディプレッションを私に押し付けないでよ。

連休?ポジティブ?ディプレッション?
この馬鹿な黒人女、いったい自分がどんな状況にあって、
それでなにを言ってるか判ってるのか?

そうよ、とすかさず相打ちを打つオカマ野郎。
そうよ、なによ、人が折角、朝の珈琲を楽しみにしてたのに。
ムードがぶち壊しじゃないのよ。

ムードだかなんだか知らないが、
朝からそんなものぶっかけられたくないから言ってるんだよ。
ガタガタ言わないで、その珈琲、この黒人のねえちゃんにぶっかける前に、
早くどうにかしろよ、この馬鹿の・・・

だからやめなさいよ、と黒人の女。
迷惑よ、迷惑なのよ、あんたみたいな人。
他人のやることにいちいち文句言って。
あのねえ、
あんたみたいな人が、この世界に、不幸なタネをばらまいて行くのよ。
この、クソッタレの寅ンプ野郎。
あんたみたいな人がいるから世の中こんなになっちゃったんじゃないのよ。
迷惑なのよ、本当にわたし、あんたみたいな人、
珈琲ごときでガタガタ文句を言うような人が、大嫌いなのよ。

あのねえ、おねえさん、と思わず。
その壮絶な勘違いに唖然とした俺に向かって、
忌々しげに振り返った女が、あらん限りの憎しみを込めて、
FUCK YOU!と、浴びせかけた。

FUCK YOU!
あんたみたいな人は、ニューヨークに居るべきじゃないわ。
チャイナでもジャパンでも、さっさと帰ればいいのよ。
ここはね、ニューヨークはね、
あんたみたいな人は、ノット・ウエルカム、なのよ。
私たちは幸せに暮らしたいの。ポジティブに生きたいのよ。
そういう私達を邪魔しないでほしいのよ。
わかった?
判ったらお願いだから黙っていて。
私のこのポジティブな一日を台無しにしないで。

それ、俺に言ってる訳か?
あんた、なにかを、根本的に見誤っているとしか思えないのだが。

とそんな時、いきなり車内から、ねえ、ちょっと、と怒鳴り声が響く。

ねえ、あんた、その珈琲、気をつけてよ。
なに考えてるのよ、そんなもの持って電車に乗ってきて。
ほら、溢れてるじゃないのよ。ちょっと勘弁してよ。

そう、似たような事態が、別の場所でも巻き起こっているのである。

うるせえな、糞ババあ、と今度は男の声である。

アタシのポジティブな気分の邪魔をしないでよ。

先の黒人女の口調を真似た、
思い切りの皮肉を込めたその声に、車内に失笑が広がる。

その軽口に、これでもか、の説教口調で答える中年女。

あなたのその自分勝手なポジティブが、
私をネガティブにさせる不幸の元凶だとしたらどうなの?
言っとくけど、地下鉄に飲み物を持ち込むのは、
立派な法律違反なのよ。それを判ってるの?
その違法行為の珈琲を私にかけたりしたら、
それこそ、傷害行為で訴えられるのよ。
そのリスクを、あなた自分で理解してるの?

FUCK OFF!と若い女が叫ぶ。

この、グランピーな糞婆あ。
説教はもう沢山よ。早く死ねば良いんだわ。
私はただ、この不愉快な地下鉄を、なんとか優雅に過ごしたい、
ただそれだけだって言ってるのよ。

あんたがどう優雅に過ごそうが勝手だが、
その珈琲をぶっかけられる人の身にはなったことがあるのかね。
とちょっと落ち着いた感じの男の声が重なる。

なにをするのも勝手だが、人に迷惑がかからないこと、それが前提だよ。

どいつもこいつも、と、まだどこかから声がする。

どいつもこいつも、うるせえよ、黙ってろよ。
なんで朝からこんな不愉快な気分にさせられなくっちゃならないんだよ。

だったらIPHONEで音楽でも聞いてろよ、馬鹿。
うるせえのはお前だよ、間抜け野郎、
とまた新たな失笑が響く。

誰だ、いまいった野郎は。どいつだ、おい、こら。

そう、なにもかもが人の勝手である。
人の勝手なのだ。他人がなにをしようが知ったことではない。
嫌なものは見なければ良いのだ。
IPHONEのイヤパッドを耳に押し込んで、
見ない見ない、なにも見ない、聞かない聞かない、なにも聞かない。
ただ、そう、そうしているいまも、
どこでどんな形で、珈琲をぶっかけられることになるか、
それさえも知ったことではないのか。

あんただからね、と俺の前の黒人の女が言った。

あなたが始めたのよ、この不愉快な争い。
すべて、あんたが始めたんだからね。それを判ってるの?
この、金持ちヅラした糞寅ンプ野郎。
あんたみたいのが、意地汚くお金儲けの為に、
世界中に争いのタネを撒いて、
それでみんなが憎み合って怒鳴りあって、
この糞寅ンプ野郎。
このファシストの、この金の亡者の、クソッタレの糞野郎。
死ねばいい。
あんたみたいなのがみんな死ねばいいのよ。
この世のすべての悪徳が、あんたみたいなエゴイストのクソ野郎から始まってる。
とっとと、チャイナに帰りなよ。
お呼びじゃないのよ、このニューヨークに、あんたみたいな人は。

そして電車が停まった。
そして背後のドアが開き、これ以上なく棘のある邪険な態度で、
俺をホームの外に押し出したその黒人の若い女。
改めて見れば、その姿、黒人にしては顔立ちの揃った、ジムで鍛えているのだろう、
あの生活保護で暮らす豚のように太った黒人たちとは一線を画す、
その姿はまさに、戦う高意識のリッチ・ニグロ、その先鋭と言った感じである。

こんなことでもなければ、きっと気が合うタイプであっただろう、
そんな黒人の美少女が、
すれ違い様、俺の顔にこれでもかと顔を寄せて、
FUCK YOU!と罵声を叩きつける。

その後ろに続く乗客たちが、口々に、俺の顔に向けて、
FUCK YOU!
死ね、寅ンプ野郎!
エゴイスト!
アスホール!:ケツの穴野郎。
と、まさに、言いたい放題である。

いやはや、と思わず、苦笑いも出ないほどに、
この大いなる勘違い、あるいは、もしかしてそれが真相という奴なのか。

俺こそが、世界にネガティブなタネをばらまく、
不愉快な、不機嫌な、ノット・ウエルカムの、邪魔者野郎、なのか?

再び乗り込もうとしたところを、
次々とこれ以上ない邪険さで押し返されながら、
そしてようやく再び乗り込んだ電車。

さっきまでの騒動を知りもしない新たなる乗客たち。
その間から、ちょちょちょっと、そこすみません、と、
無理矢理に押し入ってきた若い女。
その手には、もちろん、スタバの珈琲カップ。

さすがにもう、文句を言う気にはなれなかった。



予てから、訳の分からない程にまで不愉快な人間たちに対し、
それから目を反らしては、知らないふりをする、よりはむしろ、
その意味不明な行動様式、その思考回路がいったいどうなっているのか、
その不愉快の原因、つまりは、バグをつきとめたい、
そんな、物好きな好奇心に、これまでどれほどの手痛い仕打ちを受けてきた、
のではあるが、

この朝から食らった憎悪の塊り、その原因がいったいどこにあるのか、
そしていま改めて、この摩訶不思議な人々。
他人の迷惑を一切考えず、混んだ地下鉄の中で、
これみよがしにスタバの珈琲カップを翳している人々、

こいつらは、いったい、なにを考えているのか。

罵声を浴びたそのショックというよりは、
あの不愉快な人々に対する憎しみや怒り、とはまた別に、
この地下鉄のスタバ族たちの、その真意がどうしても知りたくなる、
その謎解きに向けての好奇心ばかりが、
ぐるぐると暴走を始める連休前の金曜の朝。

そう、俺はなによりも、この謎が知りたい。
そして、その謎の根本に、いったいどんな理由が、
どんな闇が、真相が、つまりは、心のバグが、隠されているのか、
それが知りたい、知りたくて堪らない。

という訳で、
会社に着いてすぐに、とるものもとりあえず、
俺は隣のセクションに居るあの、見るからに我儘そうな、中国系の女、
この会社では珍しく20代の女である、と、ただそれだけで、
その醜悪な見かけと、そして、その醜悪な見た目を遥かに凌駕する、
その隠すに隠せない性格の悪さ、もなんのその、
なんやかんやと、そのあからさまな投げやりな態度も、
その浅知恵による失態も、
理由のない悪意に貫かれた紋切り調の投げやりも、
なんとなく多めに見られてここに至った、
そんな中国系の女の席に直行した訳である。

そう、この中国系の社員、
毎朝毎朝、決まって遅刻を繰り返すこの部署で唯一の若い女。
すでに業務の始まった社内、なんの悪ぶれる表情も見せずに、
あるいはその暴挙を、半ば、誇るような面持ちの、
そしてその手に、決まって握られているスタバの珈琲カップ。

さすがの遅刻常習者と言ってもすでに10時前、
誰に気兼ねすることもなく生欠伸をする彼女も、
この連休前とあって、いつになく和らいだ表情である。

おはよ、金曜日だね、と無難な挨拶。

やったわね、遂に連休だわ。あと一日、そう、あと2時間よ。

あと2時間?

決まってるじゃない、今日はもう半ドンよ。
12時になったらさっさと帰るわ。
連休前にこんな馬鹿な仕事、やってられるかっていうのよ。

という訳で、いつになく上機嫌な彼女に、
さりげなくインタビューを開始する。

ところで、そのスタバの珈琲、どこで買ってるの?

これ、ブルックリンだけど。

ブルックリン?

そう、わたしブルックリンに住んでるのよ。
なので、地下鉄に乗る前に、駅前のスタバでこれを買って。

でも、地下鉄混んでない?

まあ、そうね、電車によりけりだけど。
でもね、やっぱり途中から混みだすのよね。
うざったいたらないわよ。地下鉄。最低。大嫌い。

混んだ電車の中で、その珈琲どうしてるの?

これ?なにが?飲んでるわよ、普通に。
これ、ほら、トールを買っておくと、会社に持ってきても昼間では保つでしょ?
だからあの会社の糞不味い珈琲を飲まなくても済むのよ。

そういうことか。でも、邪魔にならない?その珈琲。混んだ地下鉄の中で。

邪魔に?ならないわよ。なんで?

零したりとか、隣の人にぶっかけちゃったりとかしないの?

ああ、前に自分にかけちゃったことあったけど。

それでも珈琲は貴重なんだね。

そりゃそうよ、会社の珈琲、最低だし。
それに、そう、あの臭い地下鉄。
この珈琲があると、あんまり気にしないでも済むし。

優雅に過ごせるんだね、あの糞地下鉄が。

そうよ。珈琲があるだけで違うわよ。あの地下鉄の苦痛度が。
あたしもう、このスタバの珈琲、完全に中毒でさ。
これがないと、もう普通に頭がまわらないのよ。
必携アイテムよね、これがないともう生きていけないってぐらいに。

地下鉄で人にかけちゃったこととか本当にないの?

まあないっていったら、ないわけじゃないけど、誰も気にしないでしょ?

気にしないかな?

気にしないわよ。珈琲ぐらい誰でも飲んでるしさ。

そういうものかな。でも珈琲かけられたら誰でもいい気はしないだろ?

でもさ、かけられるほうが間抜けって気がしない?
だってほら、あたし、珈琲持ってるんだからさ。
珈琲かけられたくなかったら、珈琲持った人の近くにわざわざ来なければ良いのよ。
そう思わない?
なにあなた、珈琲かけられちゃったの?そうでしょ、きっとそうよね。
それで朝から怒ってるの?
それはね、あなたが間抜け、なんじゃない?
地下鉄で珈琲かけられちゃった、なんて、それはあなたが間抜けよ。ははは、笑っちゃう。

やっぱそうかな。やっぱり珈琲はかけられた方が悪いんだ。

当然じゃない。それは間抜けよ。あんた気をつけた方が良いわよ。

混んだ地下鉄に珈琲持って乗ってくる奴には罪はないのかな?

罪?罪ってなによ。あんたなに言ってるの。
私はほらこれがなくっちゃ生きていけないんだからさ。
まさに生きるための必携アイテム、ライフラインなのよ。
だからなにがあっても、誰になにを言われても、
スタバの珈琲は絶対に辞めないわよ、当然じゃないの。



嘗て、超のつくぐらいの珈琲党であった俺は、
そんな事情から、スタバの珈琲など、飲む気がしなかった。
あんな、薬臭い珈琲、飲めたものじゃない。

そんな俺は、出勤前に淹れた珈琲を、
ステンレス製の特性ポットに詰めては会社に持っていっていたし、
あるいは、会社に珈琲ミルを持ち込んでは、
煎りたてしか販売しない専門店で買った厳選された珈琲豆を、
挽きたてそのままでフレンチサーバーで珈琲を点てていた。

そんな俺であるから、このスタバ族の方々、
珈琲なしには生きていけない、という気持ちも判らないではないし、
あるいはこんな俺も、たまに空いた電車に乗れば、
カバンのポットからしばしの珈琲タイム、
このニューヨークの醜悪を凝縮したその空間を、
一瞬のうちに楽園へと変える、そんな優雅さという奴も、
判らないではない。

のではあるが、

そう、それとこれ、
つまりは、そんな珈琲が、他人にぶっかかろうがなにしようが、知ったことではない、
あるいは、そんな珈琲をかけられる方がマヌケなのだ、
そんな論法に、安々とそうですか、と納得する訳にもいかない。

のではあるが、そう、奴らの考えも判らないではない、
その共感がなくては、なにも始まらない、のである。

そして俺は、この細やかな謎解きの為の、
その共感の緒を探るべく、記憶の底のまた底から、
嘗て知った、似たような事象、という奴を思い起こしてみる。

改めて、このスタバ族の方々のその摩訶不思議な行動様式、
他人がどうなろうが、例え珈琲をぶっかけようが、知ったことではない、
その一種、究極的なまでの投げやりの満ち満ちた世界を、
俺はあの、開放直後の虫国大陸で見た覚えがある。



嘗ての虫国、あの、怒涛の大陸。
数億に及ぶ全国民が総じてホームレスとどっこいだった、
あの、この世の果のその底の底のような末期的混沌の中にあって、
その粋たるものは、まさに、手鼻と、痰唾であった。

どこにいっても徹底的に人と人が犇めき合っていたあの虫国大陸。
そしてその人混みの中で、いつ誰からどこからどんな方角からも、
手鼻と、そして、痰唾が吐きかけられる、その攻撃から逃れることはできなかった。

嘗ての虫国人民は、例え、その目の前になにがあろうが、誰が居ようが、
そんなことにはまったくお構いなしに、痰唾を吐き、そして、手鼻を飛ばした。
カーっと、あの喉の奥を軽やかに震わせるあの独特の音が響くたびに、
その方向から飛び退く、そうしない限り、その痰唾は、思い切り背中に、
ズボンの裾に、ともすれば、その頭に、あるいは首筋に向けて、吐きかけられることになる。
いや、痰唾であればまだ良い。
痰唾であれば、少なくともそこに、かーっという、予兆を察知できる。
問題は手鼻である。
その一瞬の、フン、という気合もろとも発射されるあの手鼻という銃弾。
あれだけは、例えどれだけ注意をしていようとも、それを避けることは不可能であった。

虫国大陸のその隅々、ありとあらゆるところからこの痰唾、そして手鼻の銃弾が降り注いだ。

だがしかし、それは俺が日本人のツーリストだからといって、わざとその標的になっているのか、
というとどうもそうではない。
そう、他の虫国人たちも、押しなべて分け隔てなく、その不幸な弾丸を身体中に浴びていた、のである。

なぜなのだろう、と考えた。
なぜ彼らは、彼女たちは、痰唾、あるいは、手鼻を、他人にかけないように、
その細やかな気配りがないのであろうか。

その謎に挑むための、その第一歩的な検証として、
俺自身も、実際に、痰唾、そして、手鼻を、他の虫国人に吐きかけてみる、
そんな、実験を開始した訳だが、
その結果は当然のこととして、
突如の痰唾を浴びた俺がそうであったように、
そして、それが例え、見るからに未開人を絵に描いたような虫国人民であったとしても、
他人の痰唾、あるいは、手鼻を浴びて、良い気持ちがする人間など、いる訳がない。
つまりは、俺に痰唾、あるいは、手鼻をぶつけられた人々は、一様に、嫌な顔をした、のである。

ただ、俺はそこで、謝らなかった。
俺がそれをされた時に、おい、なにするんだ、と振り返ったその人々が、
なにを気にするわけでもなく、詫びるどころか、
時として、なんだよお前、文句でもあるのかよ、と逆に挑みかかってくる、
そんな態度を示されて来たた、そのままに、
俺は、人の背後から、その頭から、これでもかと痰唾を吐きかけながら、
振り返られるたびに、しらっとしてとぼけては、は?なにか?と、極めて無表情に、
時として、うるせえなあ、なんだってんだよ、とこれ見よがしに顎をしゃくってみせた。

その結果、そう、人々は、俺がやったのとまったく同じように、
ちぇっと舌打ちをしては、ったくしょうがねえな、と、諦めた、のである。

そんな鍛錬の甲斐があり、俺もついに虫国人民の心の真意に辿り着いた、そう感じたのは、
殺人的に混み合ったバスの中で、目の前の座った乗客の上から、
なんの躊躇もなく痰唾を吐き、手鼻をかみ、
下手をすればそれが、襟元から、あるいは、顔、あるいは、手に落ちたとして、
そんなもの、気にするほうが悪い、
あるいは、そんな俺の痰唾の当ってしまう、あんたがついていない、あるいはマヌケなのだ、
そんな末期的なまでの反社会性、あるいは、他人蔑視、
そう、その境地に達して初めて気がついたその真相。

この人達、この虫国人民という人たちが、
徹底的なまでに、他人がどうなろうが、知ったことではない、
そんな人々、なのである。

それは憎しみでもなく、ましてや、なにかに対する抗議でも、
あるいは、投げやり、つまりは社会性の放棄という訳でもない。

ただたんに、彼らには、他人に気を使う、そういう習慣がない、
あるいは、それを忘れてしまった、
あるいは、そう、それがつまりは真相なのだが、
それを、無理やり、忘れさせられてしまった、のである。

例をあげればキリがないが、
例えば世に聞こえたあのあのニーハオ・トイレ、
つまりは、便器さえも存在しない、ただの穴、
その穴の並んだ公衆トイレ、そのトイレの、穴の付近、どころか、
その通路から、なにから、まさに足の踏み場もないほどにひり捨てられた大便の山。
そのトイレの順番を待つこともなく、その場で尻を出してはしゃがみ込み、
人の眼前でぶりぶりと糞の山を築いては、それになんの気を止めることもなく、
そして驚くことにその尻さえも拭うことさえもせず、
ひったらひりっぱなしで、素知らぬ顔でその場を立ち去る、
そのあまりの、他人に対する無関心。

そして前述したあの手鼻痰唾。
目の前に誰がいようがなにがあろうが、
所構わず、なにを気にとめることもなく吐き出される、
痰唾そして手鼻の弾丸の雨あられ。

その後、世界の隅から隅まで、
時として、人間の暮らしの底の底のようなスラム街を渡り歩くことになったこの俺が、
しかし、その場所が例え、どれだけ悲惨な状況にあったとしても、
少なくともそこには、人と人の暮らす最低限の心のつながり、というもの、
あるいは、その最低限のマナー、
つまりは人と人の織りなす社会というものを維持するための、
その経験則の集大成、
つまりは、習慣、というものがあった、その筈である。

つまり、世界中のどの場所よりも、あの、人民虫国、
あの場所ほどに、人の心の荒みきった土地、というものを、
俺はその後も、世界のどこにも、見つけることができなかったのである。



そしていま、このニューヨークという街において、
混み合った地下鉄の中で、
誰にどう珈琲をぶっかけようが、知ったことではない、
そのあまりにも徹底した他人軽視、その姿に、
まさに、あの、人民虫国における、あの人間の底の底をついたような、
究極的な投げやり、その姿を見るような気がするのである。

確かにこのニューヨークという街、
他人のことを徹底的に気にかけない、
あるいは、ともすれば、他人を気にしたら負け、とさえ言われる、
それこそが、この乾ききった大都会の流儀、とされてきたのではあるが、

いやしかし、だからと言って、さすがに、他人の頭から珈琲をぶっかけても、
なんの気もせずに、ぶっかけられた方が悪い、と嘯く、
そんな、知恵足らずどころか、犬畜生にさえも劣るような、
そんな人々は、これまで見たことがなかった。

つまりは、いつの間にか、それはスタバの出現、
あの薬臭い珈琲の中毒性がそこまでに強烈なもの、
もしかしてそれに原因があるのか、
或いはそう、これが俺の予測なのだが、
このニューヨーカー、あるいは、このアメリカという国において、
その社会性の根本の根本たる、人と人との結びつき、
つまりは、他者に自身を投影するという、
その最低限の想像力が、枯渇してしまった、
あるいは、そう、嘗ての人民虫国における文化大革命のように、
それを、故意に、忘れさせれてしまった、
そんな事態が起こっていたのか、どうなのか。

こうしてこのニューヨークという街に暮らしながら、
普段からすでに見飽きたその情景、
そして最近富みに増え始めた、あの地下鉄のスタバ族、
そのささやかなる暴挙の中に、
俺は、嘗て知ったあのこの世の地獄の風景、
あの数億の人民の中に渦巻いていた、
あの、底知れぬほどの憎しみ、
その身の毛もよだつような様を、まざまざと垣間見る、
そんな気がしている、のである。

ただそう、俺は気がついている。
こんな地獄はいまに始まったことではない。
そしてこの地獄は、まだまだ、始まったばかり、なのである。

そしてただひとつ言えることは、
だからと言って、俺がみすみす、その殺伐の中に、
ひとり心を痛めては、その孤独感の中に、世を儚み、人を儚み、
そんな自閉の井戸の底に逃げ込むつもりはサラサラない。

それがいかにおとな気ない行為であったとしても、
俺は、珈琲をかけられれば、倍返しにしてかけ返す、そういう人間である。
あるいはそう、もしそうなのであれば、むしろ自ら率先して珈琲をかけられては、
毎度あり、とばかりに、クリーニング代および慰謝料を請求する、
そういうタイプの人間であり続けなければ、と思っている、そんな輩である。

地下鉄のスタバ族、面白いじゃないか。
その馬鹿さ加減を思い切りに倍返し、
あるいは、そう、せいぜい利用させて貰う、そのつもりでいるのである。

地下鉄のスタバ族、ウエルカムである。

どうぞ俺に珈琲をぶっかけてくれ、
その代わり、払うべき代償は、きっちりと払って貰おう。
それでこそニューヨーカー、その面目躍如、という奴じゃないのか。



なんてことを思っていた、金曜の朝。
しまった、あんなバカ娘と話しているうちに、
大切な会議の下準備に遅れるところであった。

で、そう、今日の天王山会議。

この日に備えて、俺は一つの新兵器の投入を考えていた。

予想では、たぶん、二時間を超える会議になる筈である。
あれだけ手回しはした、とは言っても、
その会議の内容、風向きによっては、まさに罵声の飛び交う、
そんな状況も考えられない訳ではない。

そして俺はその修羅な会議を、克明に記録する、その義務がある、
つまりは、会議の議事録を作成しなくてはいけないのである。

だがしかし、いくら仕事とは言っても、そんな罵倒合戦を、
誰も二度三度と聞き直す気にはならないだろう。

という訳で、そう、この時代、21世紀、
この末期的な殺伐を乗り切るには、新兵器、
つまりは新たなるテクノロジーを最大限に利用するに越したことはない。

馬鹿なことをバカなことと知りつつ、それを周到することを、修行と考えた、
そんな時代はすでに終わり、なのである。

新しいものが勝つ。そして新しいものは必ず優れている。
そしてそんな新しい武器を、使いこなす者のみが、
明日への切符を手にすることができるのである。

という訳で、この長丁場の会議を乗り切る為の21世紀の新テクノロジー、
つまりは、音声認識。

ここに来て、音声認識の技術の向上には目を瞠るものがある。
そう、グーグルから、アマゾンから、
ついこの間まで、おもちゃというよりは冗談のようなものに過ぎなかった、
この音声認識という技術が、あっという間に飛躍的な進歩を遂げているのである。

これまで、会議のたびに人知れず録音を録っては、
その後の数時間、あるいは、下手をすれば数日をかけて、
その内容を、文章として掘り起こしていた訳なのだが、
そんな馬鹿なことを、もういちいちやっていられるほど人類は暇ではないのである。

そう、音声認識の技術。
これを駆使しては、この俺の仕事において唯一の汚点であった英語のヒヤリング能力、
そのデメリットがすべてこの音声認識技術によって払拭されてしまうはずなのである。

という訳で、大枚を叩いて買ってしまった、IPHONEの音声認識アプリ。
試しに、同僚との会話で動作確認してみれば、
おおお、すごいすごい、ところどころに散らばる誤認識は、
多分、俺の、あるいは同僚の発音能力にこそ問題がある訳で、
ただ、このアプリが動作すれば、あの議事録作成の辛く不毛なテープ起こし、
その重荷から、九割り方は解放される、その筈。

これはもう、試してみるしかない。
そう、ここはアメリカなのだ、新しいもは必ず良い。
そしてそれに果敢に挑戦しては、一撃大逆転の大手抜きを画策する、
これこそが現代アメリカの美学、そのものではないか。

そう、チャレンジャーであらねばならない。
そしてそのチャレンジ精神kそが、このアメリカの美徳であった筈だ。

ただ、そんな俺に、日本人としての本能が警笛を鳴らす。

大切な会議、つまりは天王山だ。

であるならば、むしろ、今回は大事を取って、無駄を無駄と知りながら、
一番確実な方法を選択する、それが、日本のやり方、ではないのか?

だがしかし、そんな俺の胸中に、再びあの不愉快な罵声が響き渡る。

この不愉快な老いぼれやろう、早く地獄へ堕ちろ。
このクソ野郎、とっととチャイナへ帰りやがれ。

バカタレが、俺はお前がまだおむつの取れていない、そんな時からこの街に居るんだぜ。

日本の美徳も知っていれば、そして、アメリカの美徳だって十分に知っている、
そう、そんな俺こそは正真正銘の21世紀型のグローバル人間。

そしていま、このスピード社会、
それも、ついについに辿り着いた、この連休前の金曜日の朝である。

乗るか反るか、石橋を叩いて渡る古き良き日本式か、
あるいは、この21世紀型のアメリカの美学、チャレンジャー精神あるのみか?

そして俺は、そう、その理由はまあ、ただたんに、この三連休に仕事をしたくなかった、
それだけであったのだが、
賭けてみた、その、アメリカの美学、つまりはチャレンジャー精神の新規音声認識アプリ。

そしてその結果は・・・・



会議は予想通り、その初っ端から大激論。
俺の立てた筋書きなど、誰も気にも留めないように、
つまりは、誰も資料に目さえ通さぬまま、
誰も、俺の掲げたアジェンダもそして問題点も注意点も、
誰ひとりとしてなにも眼中になく、
ただただ、自分の敵の足をひっぱり、これでもかと蔑んでは、
その地位の失墜を狙う、そんな人間の底の底、
そんな、不毛な会議が二時間三時間。

一応念のため、手書きのメモだけは取っていたものの、
その内容のあまりの醜悪さ、
予想はしていたとは言っても、いやはや、まったく。

その頭にあるもの、まさに、ワレがワレがのミーニズムばかり。
会社の将来やら、健全なる発展やら、長期的展望やら将来性やら、
一昔前まではそれこそがノウハウとされたその知恵の集大成的が、
これほどまでにかなぐり捨てられてもよいものなのだろうか。

あのなあ、お前らそんなことばかり言っていて、
この先、つまりは来年の今頃、
果たしてその短絡のツケが、どんな事態を招いているのか、
そんなことぐらい、ちょっと考えれば子供でも判るようなことを、
敢えてすべて黙殺しては、耳障りばかりの良いご都合主義のオンパレード。

とりあえずは、この場、この瞬間に自分を格好良く見せる、
言いたいことを言いたいだけ言い尽くす、
そして綺麗サッパリと連休を迎える、
その為だけの、虚言の応酬。

今更ながら、アメリカ人、
お前ら、本当に、この先、なんてものを、徹底的に蔑み切った、
徹底的に短期的な収益ばかりを追い求める、
そのあまりにも、神をも恐れぬ短絡の様。

ただそう、根回しは済んでいる。
つまり、上層部には、多分そういうことになるだろうが、
まあそう、それそれ、これはこれ、
なので、その希望値的な結論に変更はなし、
ということで、
なんてところで、話は通してあったのである。

だったら何故に会議か、
あるいはそう、そんな会議において、なにゆえにわざわざ議事録が。
そう、誰でもそう思う。そして俺もそう思っていたからこその音声認識。
ぶっちゃけ俺は会議中、
俺のこれまでの下準備を、気苦労を、根回しを、
これでもか、とないがしろにしては踏みにじりやがって、
そんな恨みつらみを一切忘れては、
実は内心、ずっとほくそ笑んでいたのである。

お前ら、そんなこと言っちゃって、
誰がなにを言ったか、
この音声認識アプリが、しっかりと記録をしている、その筈。

その、出来上がりが、まさに楽しみで楽しみで。

という訳で、二時を過ぎては、ああ、腹減った、
もう連休前だし、そろそろさっさと帰ろうか、
と、妙にすっきりした風の人々。
馬鹿めが、俺の議事録が出来上がった暁には、
この中の何人が、後生ですから、この段落、すっかりしっかりデリートお願い、
と言ってくるその筈なのであるが・・・

誰もいなくなった会議室、
さああ、音声認識、21世紀の技術力、その魔法の箱の、
そのお手並みを拝見、と手に取ったIPHONE
その結果、はい、ご想像の通り、

なにも、まったく、なにも、録れていなかった、のであある。



いったいどうしたのか、この21世紀。
ただそう、ちょっとした予感はしていたのだ。
あの朝の地下鉄の中の罵声を浴びせられたあの時に、
今日は、逆を行け、その天命がひらめいていた、そのはずであったのに。

チャレンジャー精神だ?
アメリカの美徳だ?
笑わせて貰う。

そんなものは、ただの、戯言だ。

そう、俺はあくまでも日本人、徹底的に日本人であるべきなのだ。

つまりはそう、あの地下鉄のスタバ族、
吐きかけられた罵声のひとつひとつに回答を返そう。

アメリカ人、そんなことだから、こんなになっちまったんじゃねえのか?

他人に珈琲をぶっかける、そんな人間がまともな筈はねえじゃねえか。
それはな、知恵足らずっていうんだよ、知恵足らずってよ。

で、21世紀のテクノロジーというあまりにも甘い罠。

理由は判ってる。そう、すぐに気がついた。
ただ、今更それが判ってなんだというのだ。

バカバカしいと思わず。
アメリカの美徳だ?ふざけるな。
俺はそんなもの、これっぽっちも信じねえぞ。

という訳で、六時を過ぎてすでにも抜けの殻となった社内。
その中で、唯一いまだにデスク灯の点いているあの救い神。
会議中、一言も発言することもなく、
ただひたすらにメモを取り続けていた、あの20世紀の遺産、
その白髪の老人。

やあ、まだ居たのかい?俺ももうそろそろ帰るが。

そういう彼を押しとどめ、
実はあの、最新ディバイスとやらのマルファンクションに見舞われて、
と、いきなりの大爆笑。

なんでかな?

どれどれ、ああ、やっぱり、これだよこれ。

つまりさ、この音声認識、常時インターネットに接続しては、
その音声認識サーバで解決したデータをキャッシュしていく訳だろ?
つまり、なんらかの事情でその接続が切れたんだよ。
ほら、見ろよこれだよ、これ。
この電話。時間が、ほら、11時01分。
会議が始まった直後にかかってきたこの電話。
この電話によって、インターネット回線が一時的に電話回線に切り替わった、
それで、インターネット向けのが切れた、
それによって、音声認識サーバとの接続が切断され、
ただこのアプリ、接続確認やらリトライの機能とかついていないみたいだよね
だからさ。そう、アプリはずっと、バカの一つ覚えみたいに、
つながってるはずのサーバにデータを送り続け、
そして、接続の切れたサーバからの無回答を、
無回答、と繰り返していた、それだけの話。

ああやれやれ、と苦笑い。
なんかそう、そんなことになるような気がしてたんだよね。

機械は道具。道具である以上、与えられた仕事をただ繰り返すだけ。
そこに目的を設定することは土台無理なんだよ。
目的を理解できるのは人間だけだ。
機械は道具。そう、ただの、道具、言われたことをやっているだけ。
それだけの話なんだよ。

という訳で、心配するな、とその救いの神。

今日の会議だろ?俺がばっちりとメモを取っている。
そう、このノート、このシステム手帳にびっしりと書き込んである。
ので、まあ、そう、お前の言う、証拠、なんかにはならないが、
この週末、実は俺は仕事でな。
なので、その合間に、ちょこちょこっと書いて、送っておいてやるよ。

やっぱ手書きか?

そう、最終的に、一番原始的な方法が一番信用ができる。
つまりは、目的を理解した人間が自ら手を下す。
そうあって然るべきものだろ。
なかなか道具までにはその目的を理解させることは困難だからな。
そしてそう、そうやって、
一番確実な方法で、目的を見失わなかった者が報われる。
世の中は、そういうことになっているのさ。

だが、何度も言うがこの時代、そうそうとそういう無駄な苦労が・・・

だからそう、覚えておけよ。
効率ばかりを追い求めた道具、そんな道具に振り回されては、
なにもかもを任せきってしまった者、
つまりは、心を忘れたシステムは、
いざというときにすべてを失うんだよ。
今回のこれが良い例だろ。
世の中、早々と調子の良いことばかりじゃない。
そうであってはいけないんだ。
それを忘れるな、と。
良い教訓になったじゃないか。

まさに糞ったれだな。俺の一番キライな展開となったが。

時代遅れと言うやつか?なんとでも言ってくれ。
ただそう、人間の記憶力、そして想像力、これだけは忘れてはいけないんだぜ。
それが人間が人間として存在できる、唯一の証なんだからな。

という訳で、思い余って聞いた見た。

ねえ、そう言えばさ、常々から不思議に思っていたんだが、
混んだ地下鉄の中にスタバの珈琲持ち込んで来る奴、
あんたどう思う?

え?といきなり目を見張ったその白髪の老人。

なんで君がそれを・・・

え?あんたが?あなたももしかしてスタバ族?
あんたも地下鉄で珈琲飲んでるの?

いやあ、そう、最近その、まあ、悪いとは判っていながら、ね。

おいおい。

まあ零さないように気をつけては居るけどな。

ただこの間、こんなことがあったんだ。
俺が手に持った珈琲を持て余していた時、
前に座ったご婦人が、
それ、もし良かったら、お持ちしましょうかって。

え?

そうなんだよ、そのご婦人が、お持ちします。
私の上に零されちゃたまらないから、って。

ああ、そういうこと?

そう、それで、お言葉に甘えて、そのご婦人に珈琲を持っていて貰っただ。

助けあい?

そうだよな、その助けあいだろ。

つまり、そう。

そう、さっきのお前の話で、ただひとつ欠けていたこと。
その珈琲、私が持っていてあげましょうか、その助け合いの心、
つまり、お前の言っていた殺伐のその原因とは、
なんてことはない、
人と人との触れ合い、それだけ、なんじゃないのか?

目からウロコ、であった。

そう、あの珈琲が邪魔であったら、
悪戯に罵倒するのではなく、
不自由なら俺が持っていてあげましょうか?
その一言で、すべてが変わっていた、そのはずだ。

なあ、心配するな、人間まだまだ捨てたものじゃない。
そう思わせてくれることも、きっと、きっと、この世にはまだまだ残っている。
それでそう、そう言えばその音声認識アプリとやら、
俺にも教えてくれ。どうだ、今度から二人でそれを使ってみよう。

ただそれ、あんたがよく言う、進化じゃなくて、退化、なんじゃないのか?

あのな、前に言ったろ、
ネアンデルタール人と、クロマニヨン人、そして人間、ホモ・サピエンス、
いったい、なにが進化したのだと思う?

つまり、

そう、身体のでかいネアンデルタール人よりも、
戦闘力に優れたクロマニヨン人よりも、人間が生き残ったその理由。

コミュニケーション能力。

そう、コミュニケーションだ。その伝達力。
そしてそのコミュニケーションによって培われた知恵の伝授。
その蓄積と、その伝達能力こそが、人間を進化させてきた唯一の真相なんだよ。
要はコミュニケーションなんだ。
人間はね、心というものを、初めて、互いに伝えあい、共有することのできる、
唯一の生物、なんだよ。
そう、コミュニケーションこそが、人を人として成り立たせる唯一の証。
その人、つまりは、コミュニケーションこそが、
人と人の織りなす社会、ソサエティというものの基本の中の基本、なんだ。

ただ、そんな人による人の為の社会が、なぜここのところ、
ずっと退化を繰り返しているのか。
その理由はね、人がコミュニケーション能力を、
ただの道具として蔑んでしまったこと、じゃないのかな?
コミュニケーションとは、本来、心と心を通じ合わせるべきものであった筈が、
その道具性、その利便性ばかりに猛進した挙句、
強いてはそのコミュニケーションを操作し、捻じ曲げ、
自分勝手に操作しようとすればするほど、
人の心との間に、ギャップが生まれる。
そのギャップによって、道具としてのコミュニケーションが空洞化してしまう。

いいか、自由とはなにか?コミュニケーションだよ。
幸せとはなにか?コミュニケーション、だろ?
人と人とは、社会とは、そのすべてが、コミュニケーション、なんだよ。
つまりは人だ。
人こそは神からコミュニケーションという力を授かった、
それの意味することはなにか。
そう、人間こそは、心というものを、具現化できる、その能力を授かった唯一の生き物なんだぜ。
それを忘れた時に、社会は乱れる。
そしてコミュニケーションを社会に奪われた人間は、ただのコミュニケーションに使役される道具。
目的を知らず、ただ、道具として同じ動作を繰り返す、木偶の坊に変わり果てる。
道具が人間ではないように、心を失った人間、
つまりは、目的を失った人間はすでに人間ではなくなってしまう。

今日お前の身に起こったことは、すべてがそれ、それに尽きるんじゃないのかな?

おやおや、だな。

コミュニケーション。それこそが、人類の進化、そのものなんだぜ。
さあ、連休だ。
この3日姦の休みの中で、すっかりとリフレッシュして、
そして、心を、取り戻してくれよ。



という訳で、すべてのドタバタの終わったその帰り道。
地下鉄の中に倒れ込んでは深い深い溜息。

そんな俺の向かいに座る見るからに疲れ切った労務者風の黒人の男。
ようやくネクタイをずらした俺と、目と目を合わせて、そして思い切りの苦笑い。

あんたも大変そうだな。

なに、金曜日だ。

ああ、そう、金曜日だったよな。

そう言って頷きあった途端、開いたドアからどっと乗り込んできた人々。
世界はすでにすっかりと連休モードの中に突入していたという訳か。

コミュニケーション、と言ったあの言葉の本当に意味。

そう、それはつまりは、愛、なんだろう。

コミュニケーション=心=愛、
それこそが人間が人間として生きる唯一の道なのか。

愛を忘れた人間は、ただの道具に過ぎない。
目的を失った道具が、道具として同じ動作を繰り返すばかり。

そう、俺はいつの間にか、悪しきコミュニケーションの、その道具とされていたのか。

馬鹿野郎、と思わず。そんな簡単なことを、忘れていたなんて。

と、そう思った途端、世界がどっと、胸の中に押し寄せてきた。

ニューヨーク・シティ、俺の街だ。
そしてまだ俺は、この街を愛している。
たとえなにがあっても、例えいま、頭から珈琲をぶっかけられたとしても、
笑いながら、馬鹿野郎、と言ってやれる筈、その筈だ。

そう、コミュニケーションを、失わない限り、人間は最後には許しあえる、
それこそが、人間に備わった、最大の武器、ではなかったのか。

世のすべての悪徳に立ち向かう方法、
他人に珈琲をぶっかけることを屁とも思わない、
そんなささやかな悪意の集積も、
そこにコミュニケーション、心、がつながっただけで、
すべてはドラスティックに変わる筈だ。

この殺伐の中で最も必要なことは、
道具と化した人々を罵倒することでも、
ぶっかけられた珈琲を珈琲をぶっかけ返すことでも、
ない。

世の悪徳に立ち向かう唯一の方法は、
コミュニケーション、心と心の結びあい、
その心の存在を、呼び覚ますこと、ではないのか。

世のすべての間違いはそこから始まっている。
道具たちよ、コミュニケーションを取り戻せ。
そして、心を蘇らせてくれ。

この不機嫌な争いごとに満ちた密室が、
あなたの珈琲をお持ちしましょう、その一言で、
すべてが変わる筈だ。

その奇跡を、信じよう。






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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