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旅の原風景

Posted by 高見鈴虫 on 07.2017 旅の言葉   0 comments
嘗ては、一生を旅の中で暮らしたい、
そう思っていた俺である。

毎朝、違う部屋で目を覚ましては、
旅から旅へ、
見知らぬ街と、見知らぬ人々の間で、
勝手気ままに、誰一人にも、
構うこともなく、構われることもなく。

そんな殺伐とした、
投げやりな気楽さの中で、
旅の乾きを、憂いを、、
そのセンチメンタルに、
思い切り包まれて暮らしたい、
そんなことを思っていた、
その筈だったこの俺が、
なんの因果か旅の途中、
こんなニューヨークなんて辺鄙なところに沈没こいては、
早25年。

このニューヨークという仮りそめの場所、
世界中からの人種の坩堝と言われるケイオスの底で、
どこへいっても人人人、ばかり。
その雑踏の中で揉まれ揉まれて、
いつしか擦り切れるに擦り切れ果てながら、
とりあえずはこのルーティーン、
その最低ラインにしがみつくだけで精一杯。
そればかりが目的化してしまったこの旅の途中。

旅という非日常が、すっかりとただの日常化してしまった中、
いつしか、そんな自分の中に溜まった澱に、
手を取られ足をすくわれ、
世俗の毒にまみれにまみれては身動きも取れず。

ああ、旅に出たい。
5分でも良いから此処よりも別の場所、
とは普段からの口癖ながら、
とまあそんなこんなで、
ここ数年、出張以外にはろくに街を離れたことがない。

人は水。
サラサラと流れ続けるうちにはその自浄の効果を期待できるものの、
一度、流れを止めた途端、
いつしかドロドロと淀み始めた汚水が身体の隅々に滞りはじめ、
手が足が錆びついてはにっちもさっちも行かなくなってしまう、
そういう生き物、であるらしい。

ああ、旅に出たい、旅に出なくては、と思いながら、
その熱情に、焦燥に、
思わず、すべてをかなぐり捨てては、
犬の散歩から帰ったのち、
サンダル一丁つっかけたまま、
ふっと姿をくらまして、
などと思っていたその矢先、
いきなり、ほれ、と頂いたこの映像。。。









これ、香港?
香港だよな、まさしく・・
まさかこれ、九龍城!?・・・
なんていきなりのタイムスリップ。

凄い!美しい!素晴らしい!

これぞ、旅情だ。
あるいは、香港の原風景。。

いやあ、まじで、ちょっと感動した。
無茶苦茶かっこ良いです!
まじで、目が覚めました。

と言うか、
このファースト・シーン
この限りなく透明に近いブルー、
これこそはまさに旅の情景。

初めて降り立ったあの香港の街、
あの街の情景が、あのなにもかもが汗ばんだ、
むっと膨らむ油煙の熱気に噎ぶ、
極彩色のネオンの洞窟。
その匂いそのものが胸いっぱいに広がって、
ああ、夢は枯野を、この摩天楼のコンクリート・ジャングルを、
駆け抜ける、駆け巡る。。。。


としたところ、
なに、これ、メキシコ?グアダラハラ?
グアテマラ?アンティグア?
と思いきや、
おお、懐かしい、
シンガポール!リトル・インディア?おおおおっ!




ああ、アジアだよな、まさに、アジア、そのものじゃねえかよ・・・

ああ、アジア行きたい、ってか、アジアに帰りたい。まじで、泣きたくなるぐらいに。

そうなんだよ、俺さ、実はアメリカに来てから、
その何かにつけて一直線に角ばった、鯱張った、
その独善と短絡、その絶対善的二元論の中で、
あのアジアの混沌、
なにもかもが曲がりくねった、あの曖昧な、
あの濡れそぼった、あの、植物の息吹そのままの、
あの八百万の神々の息づく混沌の底、
あのアジアのドブの底に、
ずっとずっと、帰りたい、と、
ずっとずっと、思い続けて、いたんだけどさ。

え!?で、なに、これ、吉祥寺じゃないの?
ええ、吉祥寺、サンロード?笑
おいおい、俺は昔、ここに、住んでいたぞ、と。
ただ・・ 改めて見るこの嘗ての故郷、
まるでこれ、別世界だな、今更ながら・・・





でもさ、まじで、東京、人が減ったな、というか、
見れば見るほど、すっかすか、と言うかなんというか。
確かに街は整然とこ綺麗にはなったんだけど、
その分、あまりにも人の息吹が払拭され過ぎて、
それはまるで消毒したばかりのサナトリウムの、
誰も来ないバースディ・パーティ。
少なくとも嘗て知った東京で、
これほどまでに人の姿の見えないところなんて、
どこにもなかった、そんな気もするんだけどさ。

で、改めて、東京に感じた、
この違和感っていったいなんなんだろう、と。

前に出張で行った、というか帰ったのが、4年前なのかな?
あの時に感じた、まさに東京の、あのひっそりと静まり返った、時間の消えた光景。
まるでどこもかしこもモデルルームのような、
清潔な清潔なだけの街の中で、
そして込み上げて来る、
あの息の詰まりそうな閉塞感。

あの嘗ての故郷に帰り着きながら、
どういうわけがずっとずっと感じていた、
あの、得も言えぬ、寂寥感。
あの、空虚さって、
あの得言えぬ嘘臭さって、
いったいなんだったのだろう、と。

正直にいって、俺は、あの東京という街に再び帰り着いて、
そこに、まさしく、抜け殻を観たような気がしていたのだ。
このあまりにも綺麗に綺麗に磨き上げられすぎて、
誰もが手を触れることさえ許されなくなってしまった、
よそ行きの服を着て上辺ばかりを取り澄ました、
そんな他人の顔をした東京を前に、
あれほどの寂しさを、
あれほどの虚しさを、
あれほどの悲しみを、
疎外を、隔絶を、失意を、喪失を、断絶を、
感じたことは、なかった。

ただ、そんな想いの、その理由が、いまだによく判らない。





次に日本に帰ったら、
できればなるべく、東京には居たくないな、
とは思っていながら、
結局は、東京に舞い戻ってきてしまう、
そういうものなんじゃないのかな、
とも思っているのだが。

そう、東京一は世界一、
例えなにがあっても、どれだけ時が流れようとも、
東京一は世界一なんだよ。
そして東京だけが、俺の帰る場所に違いない、その筈なのに・・

そう、それこそが東京なのだ。
東京の美学、
それこそはまさに、センチメンタル・シティ・ロマンス。
長い長い旅路の果てに帰り着いた、東京において感じた、
あの絶望的なまでの空虚と寂寥、
その身を引き絞らんばかりの愛惜と渇望の、
その見果てぬ片思い、
このセンチメンタルこそが、
東京の魅力、なんぢゃね?

そう言えば先日、パーティの帰りに
アフガニスタン人の友人の車で送って貰った際、
この街に何年住んだところで、どうしてもどうしても、
自分の国のことばかりが気になってしまう、
そんな暮らしをして早25年、
なんて話をしていて、
でも、お前の国、もう徹底的に帰れないじゃねえか、と言えば、
だからさ、と。
だから、もう、帰りたくて帰りたくて、でも帰れない、帰れないんだよな。

なんて話をしながら、その車に乗っていた、ジャマイカ人と、
そして、ベネズエラ人が、揃いも揃って、深い深い溜息。

お前らもそう?やっぱり自分の国のことばかりを考えてしまう?
なんて聞けば、当然じゃねえか、と。

そう、ニューヨーカーって、
或いは都会そのものが、
結局は流れ者たちの吹き溜まり。

で、そんな流人同志が、
それぞれの故郷を思っては、
深夜の高速をひた走りながら、
ふと、長い長い溜息を漏らしてしまったりもする、
都会とはつまりは、
そんな空間であったりもする。

そして旅人たちは、
その独り取り残された雑踏に迷いに迷っては、
深夜の迷宮を彷徨った後、
ふと見上げた夜明けの空、
あの透明な青紫の薄闇に包まれて、
そこに一瞬の至福を、
ささやかなる救いを、
見出すのでああある。

ただ、
正直なところ、今になっても、
日本にはあまり帰りたくない・笑

あの夜明けの新宿、
あの殺伐として冴え渡った、
あのグロテスクなまでに清廉な姿。
心が荒めば荒むほどに、
その夜明けの情景が、痛いほどに身に沁みる、
そんな魔窟の底の慈愛の情に
縋り着くように生きていた俺としては、
だからこそ、もうあの世界は、
あまりにもあまりにも、
辛すぎる、切なすぎる。

だからそう、
もし帰れるとしたら、
バンコックの、あのワット・アルンに向かう船着き場の安食堂であったり、
あるいは、カトマンズのダルバール広場の階段の上であったり、
あるいは、香港のラッキーゲスト・ハウスの屋上の腐ったサマーチェアであったり、
ポカラのダムサイドの丘の上のテーブルであったり、
カルカッタはサダール・ストリートの路端であったり、
ペシャワールはカイバルロッジのテラスであったり、
イスタンブールのガラタ橋下のハムシ屋の屋台であったり、

あるいはそう、

深夜の辻堂海岸のあの濡れた砂の上であったり、
新宿副都心、NSビルの時計の下であったり、
果ては、
夜明けの歌舞伎町、あの限りなく透明に近いブルー、
そして、吉祥寺 いせや の窓辺から見下ろした、
ほろ酔い気分の昭和の街並みであったり。

と、当然のことながら、
俺が嘗て観たあの風景は、
すでにこの世には存在しない。

そう、俺達はみんな知っているのだ。
帰りたいのは、場所、ではない。
あの、時間、つまりは、あの時代、なのだ、と。
そしてそれは、当然のことながら、
例え何があったにしても、
もう二度と、取り戻すことはできない・笑

過去を取り戻すことはできない。
つまりは、いまを生きる、生ききる以外には、
どこにも帰る場所など、ありはしないのであある。
つまりは結局のところ、前進あるのみってやつか、
ああやれやれ。





見上げる空に摩天楼。
この百億ドルの星屑の渓谷。
このあまりにも見飽きた絶景の底で、
ふとここが、まるで嘗て観た香港であるかのようなそんな気もしたのだが、
俺はもちろん、21歳ではなく、
そんな風景を見ても、最早、ワクワクドキドキどころか、
不穏な予感など、これっぽっちも感じない、
そんなしょうもない、
ただのおさんになり果てていた訳である。

だからもう、過去は振り返らない。
前進あるのみ。新しい旅を続けよう。

ならば、まずは手始めに、
この日常における非日常性、その視点の転換。
つまりはちょっとした不条理の遠回り。
いつもと違う道を通って、
家路を辿ってみる、
そこでふと迷い込んだ、
見知らぬ店の見知らぬ窓際の席に陣取って、
そこから眺めるいつもの街の風景。
そのちょっと違った街並みに、
ともすれば一瞬のデジャヴ、
現実のベールの向こう、
その薄皮のペロリと剥がれた風景が
垣間見えるかもしれない、
センチメンタル・シティ・ロマンス。

都会が最も都会らしく見える、
その情景って奴を。


改めて冒頭のMV、
MONDO GROSSOの ラビリンス、
まさにそんな、望郷の香港、幻の九龍城、
その溢れるばかりのセンチメンタリズム、
未だ見ぬ世界への憧憬と、不安と、切なさと、
そして仄かな、出会いへの予感。
そんな都市の魅力を凝縮した絶品、
と感じ入りました。

実は、満島ひかりさん、
此処だけの話、本当の本当に大好き!
なのだけど、
あわよくば我らがすぅめたる、
その姿によるニューヨーク版、
なんてものを、創ってくれないかな、
なんて甘いことを、考えて見たり。

こばたん、
次回のベビメタのMVは、
ニューヨークでロケ、なんて如何でしょう?




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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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