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哀愁のラヴァーボーイ ~ アッパーウエストサイドのちょっと洒落にならない朝の光景

Posted by 高見鈴虫 on 01.2017 犬の事情   0 comments
起き抜けのシャワーに濡れた髪をタオルで乾かしながら、

なんか、サリーが逝ってしまったこと、
実感が沸かなくてさ、と呟いた途端、
かみさんの顔つきが豹変していた。

なにを言ってるの?
あなたも自分でブッチの散歩させて見れば、
実感どころか、嫌というほど思い知らされるわよ。

そんな謎の言葉を叫びながら、バタンとドアを閉めたきり、
ベッドルームに閉じこもってしまったかみさん。

閉じられたドアの前で、ねえねえ、開けて開けて、とノックを繰り返すブッチが、

やれやれ、とへらへら笑いをしながら俺を振り返る。

あの、どうでも良いけど、俺、会社に行く時間なんだけど・・

だがしかし、かみさんは頑としてドアを開けてくれない。

まったくもう、この強情者が・・

ただそう、昨日も深夜までの残業明け、
このところ、またまた仕事を理由にすっかり犬の散歩を押しつけてしまっている今日このごろ、
連休前のこの間の抜けた金曜日ぐらい、たまには遅出をしても罰は当たるまい。

という訳で、今朝の散歩は急遽、俺が代行仕ることになったのだが、

喜び勇んだ我がブッチ君、アパートを出た途端、意気揚々と、
いつものセントラルパーク、とは逆の方向に勝手に歩き始める。

あれ?パークに行くんじゃなかったのか?芝生の丘でみんな待ってるぜ。

だがしかし、ブーくんは既に、全身から断固たる確信を込めたその足取り。

ああ多分、今日はまたドッグランに向かおうというのか。
だったらそう、そのまま川沿いのカフェで優雅にご朝食、なんていうのも悪くない、
と思いきや、リバーサイドへと向かう角のデリカテッセンに来たところで、
そんな俺の胸算用を嘲笑うかのように、くるりと右に折れては、
振り返りざまに、ニカっといつもの大笑いである。

むむむ、この笑い、絶対になにかあるぞ、と過ぎった嫌な予感。










まるで旗でもおっ立てるように、ピンと空に向かって突き上げた白い尻尾を掲げながら、
さあ、こっちだ、はい、こちらに、と信号を渡り、工事現場の脇を抜け、

とここまで来たところで、いや、まさか、とその嫌な予感、
一歩一歩と歩を進めるごとに、みるみると現実味を帯び始める。

で、この角を、まさかお前、また右に曲がるつもりではないだろうな、
と思ったとおり、はい、着きました、とちゃっかりと座り込んだ、その見慣れたアパートの前。

ああ、なんてこった。
その嫌な予感という奴が、こうもあからさまな的中を見るとは。

そのアパートの前、それこそはまさに、サリーの住んでいたアパート、その場所。

朝の出勤途中の人々に、いちいちありったけの笑顔を振りまきながら、

まだ来ない、まだ出てこない、と、いつまでもいつまでも座り込んだまま。

おい、と呼ぶと振り返る。

なに?と、小首をかしげては満面に笑みを讃えて、

へっへっへ、とこれ以上なく得意そうなその表情。

こいつ、もしかしたら、朝の散歩に出かけるサリーを待ち伏せしては、

じゃじゃーん、サプラ~イズ! へへへ、会いたくて、迎えに来ちゃったよーん、

なんて、そんなことを考えているのではないだろうか。

なあ、ブッチ、と小さく呼びかける。

なあブッチ、あのな・

相変わらずの満面の笑顔で振り返るブッチ。

なになに?ねえ、まだかな、サリーの朝の散歩の時間、もうそろそろだと思うんだけど。

なあ、ブッチ、あのな・・

そう言いかけた途端、思わず熱いものがこみ上げて来て、

おい、ブッチ、もう行こうぜ、と綱を引いた途端、その顔つきが豹変した。

嫌だ、僕はここに残る。

その頑なな顔つき。ああ、また始まった、この強情者め。

そう、根っからのハード・ノーズなオーストラリアン・キャトル・ドッグ。
その強情な気質は、血統からしてお墨付き。

普段からして、こうと決めたらガンとして動かず。

押しても引いてもオヤツで釣っても、叫んでも怒鳴っても
一度言い出したら梃子でも動かない、そんなこいつの性格は知り尽くしている。

ただな、ブッチ、あのな、だから・・

とそんな時、アパートから足早に出てきたご婦人から、

あら、ブッチじゃない、なになに、このハンサム・ボーイ、
朝も早くから、ガールフレンドのお出迎え?
頑張ってね、と投げキッスなどされて、
そして歩き始めたとたん、パタリと立ち停まった。

ブッチくん、確かサリーは・・

だから、ブッチ、おい、もう、行こうぜ、と綱を引く俺に、

いやだ、行かない、僕はここで、サリーを、サリーを・

歩道の真ん中で振り返ったままのご婦人がそんなブッチをじっと見つめながら、
その完璧なまでの朝のお化粧の仮面が、みるみると崩れ始めては、

ブッチ君、サリーは、サリーはね、と言いかけたまま、わなわなと震えては声にもならず。

そしてまた次の住人、そしてまた次の・・

あらブッチ君、おはよう、とその姿を見て取るや、

おいおい、ブッチ君、お前、そういうことなのか?・・

こみ上げてくる涙を隠しながら、足早に歩み去っていく人々、
或いは、そんなブッチの姿を目にした途端に、凍りついたように動けなくなってしまう人々。

やれやれ、いったいどうしたことか、と顔を出したドアマン。

ああ、やっぱりそうか、ブッチ君、また来ちゃったんだな、だから・・

また?またって、どういう意味?

ああ、だから、ここのところ毎朝なんだよ。奥さんもほとほと参っちゃっていてさ。

毎朝?・・

そう、俺ももう、毎朝、こんなブッチの姿を見せつけられて、
と言いながら、無骨を絵に描いたようなそのドアマンの瞳が、
みるみると潤み始めている。

あのな、ブッチ、サリーはな、もう居ないんだよ。
一足早く、虹の回廊を渡っていってしまったんだよ。

そんなドアマンとは既に顔見知りなのか、
くしゃくしゃと頭を撫でられながら、
そんなドアマンの頬を伝う涙を舐めては、
へっへっへ、しょっぱいしょっぱいと、無邪気に尻尾を振るばかり。

俺も辛くてな、とドアマン。

あのサリーには、本当にこれでもか、と厄介をかけられたものだが、
いざこうしていなくなってみると、もう、なんというか、
胸にぽっかり穴が開いちまったようで、
生きる張りあいさえもなくしまったみたいな、そんな気がしてさ。。

ジェニーは?と聞いてみる。

ああ、ジェニーはここのところずっと、イーストサイドのお母さんのところに行ったきりだよな。
ここのところずっと辛そうだったしな。
まあ一人で部屋に篭っていられるよりは、その方がずっと安心なんだがね。

やはりそうか。どうりでいつ見ても部屋に灯りが点いていない筈だ。

という訳で、困ったのはこの強情者の馬鹿犬である。

毎朝毎朝、こんな姿を見せられた日には、ご近所の方々だって堪らないだろう。

という訳で仕方がない、とばかりにいつもの手。

えいやあ、とその白い身体を抱えあげよう、とした途端、

ブッチが、突如、ぐるる、と唸っては身を翻らせた。

なんだ?ブッチが俺に唸った?

そう、猛犬の中の猛犬、と言われながらしかし、この駄犬。
世界でなにが起ころうとも、しかし、飼い主に対してだけは、
例えそれがどれほど理不尽なことであったとしても、
決して牙を向く素振りさえも見せなかった、この筋金入りのワンオーナードッグ。

そのブッチが、俺に・・

あまりのことに狼狽えながら、
しかしブッチ、その頑なな態度はますます硬化するばかり。

ごめんなさい、本当にごめんなさい、
ただ、僕は、例えなにがあっても、この場所を、離れるわけにはいかないんだ。

そのあまりにも一途な眼差しと見つめ合いながら、

あのなあ、お前、どこまで馬鹿なんだよ。
いくら待ってたって、サリーはもう出てこないんだよ。
サリーは死んだんだ。いくら待っていても、もう帰って来ないんだよ。
だから、だから・・

と、思わず、なんとしたことか、俺のこの視界までもが、みるみると曇り初めて。

あんたの奥さんも、毎朝ここで泣いているんだよ。

ただね、そんな奥さんの涙を見ると、ほら、見てご覧、
と、俺の瞳に光った星を見てとったブッチ。

いきなり崩れ落ちるように、がっくりと肩を落としては、
渋々と、本当に渋々と、それはまるで、死ぬ直前のサリーが見せたような、
あの、なんとも覚束ない足取り、そのままに、
一歩一歩、と家路へと向かい始める。

その豹変の様のあまりの残酷さに狼狽えながら、思わず鳴らすかみさんの携帯。

そういうこと?

そう、判った?そういうこと、なのよ。

毎朝?

朝だけじゃないわよ。午後も、そして夜も。

まったく困ったもんだな。

だから言ったでしょ?
ブッチは判ってなんかいないのよ。
犬には「死」なんてものは理解できっこないのよ。
毎朝毎朝、そこでそうやって頑張られて、私だってもう、あまりに辛すぎて・・






という訳で、朝も早くから、心の底からの深い深いため息である。

これまでの長い人生、数限りないほどに、
やるせない状況という奴に付き合わされてきたつもりではあったのだが、
いやはや、これには参った。
正直ちょっと、これには、まったくもって、ちょっと本気で参りきった。

という訳で、ふと、これは潮時なのであろうか、と思っていた。

犬の都合でこのアッパーウエストサイドにやって来たのが7年前。
やって来た途端に喧嘩三昧の鼻つまみ。
そんなブッチが、初めて出会った運命の人、魂の友。

そのサリーへの追慕、その傷心に打ちひしがれながら、
尚の事、この街に暮らし続けることは、
ブッチにとっても、そして多分、俺達、
その為に、バカ高い家賃を払わされている人間様にとっても、
決して良いこととは思えない、そんな気がしていたのだ。

犬の都合でこの街にやって来て、そしてまた、犬の都合で引っ越しか。

ただ、今更ながらこのニューヨークという街、
天井知らずの狂乱地下による家賃の高騰で、
普通の人間、つまりは、1%の超大富豪以外の、
99%の貧民達にとっては、なにがどうあっても、
まともな暮らしを続けることなど不可能であることは、
誰の目にも明らか。

確かに治安こそ良くなったものの、
アートも、音楽も、そして街自体を活性化させていた、
すべてのエネルギーというエネルギーが、
この、すべてが金かねカネ、の仁義なき戦いの中で、
いつのまにか綺麗さっぱりと、洗い流されてしまっていた。

そして、世界のショーウィンドウというだけの存在になってしまったこのニューヨークという街。
そんなショーウィンドウの中で、見世物として暮らすセレブな物好きは別として、
そんな狂乱地価の街で、朝から晩まで働き続けて、
しかしなおも青色吐息の貧乏暮し。
老後の貯金どころか、日々赤字を計上しては貯金を切り崩すだけの毎日。
そんな俺にとっても、そうまでしてまでこの街にしがみつく、その必然性とやらも、
今となってはすっかりと見失っている、そんなことにも疾うの昔に気がついていた筈だ。

潮時なのかな。つまりはそういうことなのか?

改めて立ち寄ったドッグランのベンチで、呆然と見上げるこの摩天楼の街。

俺はいったい、こんなところでなにをしているのだろう、
これ以上なく不機嫌な犬の肩を抱きながら、
改めて、途方に暮れるままの、夏の朝、なのであった。






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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