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IPHONEを失った世界でIPHONEによって失ったものを想う

Posted by 高見鈴虫 on 16.2017 技術系   0 comments
先日、IPHONEのバッテリーが壊れて近所のアップルストアで修理を頼んだ際、
修理の終わるのを待つまでの間、そのあまりの心持たなさ、
その得も言えぬ不安感と居座りの悪さに、我ながら、ちょっと驚かされた。

改めてこのIPHONE。
電話からメールからチャットから、現代人のコミュニケーションのほとんど全てを司る現代の神器。
普段から時計を持たない俺は、このIPHONEがないと時間さえも判らず、
この現代社会において徹底的な疎外感を味合わされる、そんな感じがしたものだ。

このIPHONE、コミュニケーション・ツールとしては勿論、
こういった中途半端な時間の最良の友。
ゲームから始まり、音楽から、動画から、新聞記事漁りから、
そしてそれを支えるありとあらゆるツールとアプリの山。
生活の中で10秒でも20秒でも、
ちょっと空いた時間があると、ついついとIPHONEを覗き込む、
最早それが習慣になっているようである。
IPHONEがないと何一つとして何も、やることがない。
まさに人間としてのライフラインそのほとんどを、
このIPHONEというものに依存してしまっているこの現代社会。

というわけで、このIPHONEを失ったその時間。
そのあまりの空虚さ、宙ぶらりんさに呆然としながらも、
できることと言えば、犬と見つめ合うこと、ぐらいなものなのである。

というわけでこの現代の神器であるIPHONEの修理に終わるまでの小一時間の間、
近所の公園の芝生の上に座り込んでは為す術もなく、
この犬と、ずっとずっと見つめあって過ごしたわけなのだが、
そう、IPHONEが壊れて一番ご機嫌なのが、この犬、なのである。



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我が家の犬はどうもIPHONEが嫌いなようである。
俺たちがIPHONEを使い始めると、途端に隣りに擦り寄ってきては、
IPHONEいじる手を腕を盛んに邪魔してかかるのである。

なんだよ、なにか用があるのかよ、
と聞いても、ただヘラヘラと笑っているばかり。
で、またIPHONEに目を戻した途端に、ねえ、ねえ、ねえ。
これが永遠と繰り返される。

その理由はなにか、など、改めて言う必要もない。

犬は、あるいは子供は、見つめあっていたい、のである。
いつ何時でも、飼い主の、あるいは、親の気持ちが自分から削がれるのが、
不服なのである。

改めて犬を振り返る。
なあに?どうしたの?と聞いた時の、その嬉しそうな顔。

改めて、犬、あるいは人間にかかわらず、
幼児教育の基本の基本は、まさに、アイコンタクト、である。


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言葉を上手く操れない者たちにとって、
このアイコンタクトこそが、唯一絶対のコミュニケーション方法。
そしてその視線の中に、実に実に深い意味のあることを理解する、つまりは心の存在を認識する、
それこそがコミュニケーションの根幹である。
全てのコミュニケーション、そして教育は、このアイコンタクト、
視線と視線の繋がり合い、から始まるのである。

ただしかし、近年のこのテクノロジーの進歩である。
人間は既に、対面した直接的コミュニケーションは愚か、
電話でさえも疎ましく感じられる、そんな気のする今日この頃。

大抵のことは、メール、あるいは、テキマで済ませてしまうし、
あるいは、電話すればものの十秒で終わる筈のことを、
ちまちまとテキストを打っては、打ち損じに舌打ちを繰り返し、
なんてことさえもやっているようである。

ただしかし、そんな現代の神器の恩恵を受けられない犬、あるいは子供たちにとって、
アイコンタクトだけが唯一のコミュニケーション手段であることに変わりはない。
だがしかし、そんな幼気な視線を放っておいて、
テレビ、あるいはラップトップ、そしてこのIPHONEばかりを覗き込む親の姿が、
犬や子どもたちの目には、いったいどのように映っているのであろうか。

親の視線に触れることなく育てられた子どもたちが、
そのコミュニケーションの原則を学ぶことなくして、
どのようにして他者とのコミュニケーションを図ろうとするのだろうか、
と考えると、ちょっと空恐ろしくも思えて来たりもする。


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因みに、犬との世界においては、
世のバカ犬とされる問題犬のその殆どが、飼い主とのアイコンタクトができていない。
吠える、喧嘩をする、言うことを聞かない。
他者との間にシンパシーを感じることができず、
自分の要求を上手く通すことさえもできないが故に、
時としてその行動が、あまりにも直接的なものとなってしまう。
そんなバカ犬の殆どが、アイコンタクトが取れていない、そこにこそ問題がある。
そして、そんな犬の飼い主の殆どが、
そのアイコンタクトの重要さに気づいていない、のである。
そして親とアイコンタクトの取れないままに成長した子どもたちが、
そんなバカ犬たちと同じ症例の中にはまり込むのでは、
そんな不安かにわかに胸を過ぎったりもする。

近年のこのテクノロジーの急速な発展の中、このIPHONEという神器の出現により、
人間のコミュニケーションと、そして、ライフスタイルそのものに劇的な変化を遂げる中、
テクノロジーの及ぼす生活スタイルの変化につれて、子どもたちの人格形成にも、
このテクノロジーの変遷が色濃く影を落とすことになることは止む終えない。
テレビという娯楽のなかった時代、親たちはその殆どの時間をただただ子供たちの顔を見つめて過ごす、
そんなことで長い時間を費やしてきたことだろう。
テレビから、コンピューター、そしてゲームがインターネットが人間の浮いた時間を食いつぶす中で、
そんな親たちも、ただただ子供と見つめ合う以外にはやることもなかったその時間を、
より有効に使えるようにもなったのだろうが、果たしてそれによって失ったものとはなんなのか、
と同時に、近年のこのあまりにも殺伐としたご時世、
その根源が、実は、ただたんに、心の狭さ、によるもの、と思っている俺としては、
実はその、心の狭さの起因が、コミュニケーションの希薄さに原因があり、
そんな希薄なコミュニケーションしか持ち得ないその理由が、実は実は、
この親とのアイコンタクトの時間、その欠乏によるものなのではないのか、
なんてことを考えてもみたりした。


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そしていま、このIPHONEの時代である。
我が家のバカ犬のこのしつこいばかりの、ねえねえねえ、こっちむいて攻撃。
その執拗な攻勢に晒されながら、
IPHONEが登場する前に生まれた子供と、そしてIPHONEが登場してから生まれた子供の、
その視線力、あるいはコミュニケーション能力そのものに相当な違いが出てくるのではないかと確信しているのである。

という訳で、テクノロジーがどれだけ進歩を遂げようとも、
コミュニケーションの基本は、まずはそのアイコンタクトなのである。
そして、このIPHONEという便利な便利な現代の神器が、
果たしてそのギャップをどのようにして埋めてくれるのか、
あるいは人類は、すでにアイコンタクトというコミュニケーション方法を、
放棄しよう、というのであろうか。

なんてことを思いながら、そういえば最近、かみさんと視線を合わせていないな、とも思う。
わざわざ言葉に出す、どころか、視線なんて合わせなくても、
言いたいことぐらい判るだろうが、ということでもあるのだが、
あるいは下手に目が合った途端、
こちらの胸のうちのすべてを一瞬のうちに悟られてしまうのではないか、なんて、
もしかしてそれを恐れて、敢えて視線が合うのを避けているのでは、
なんてことさえも思えて来たり。
そうそんな時、IPHONEは、その無益な衝突を避ける意味でも、
最高の武器、であったりもするのである。

そうやって、テクノロジーが人間を、そして犬をも、変えていく、のでああある。



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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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