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ついてないニューヨーカー ~ 溺れる者は路傍の石にも齧りつく

Posted by 高見鈴虫 on 25.2017 ニューヨーク徒然   0 comments
世の中にはついていない人というのがいるものである。

いきなり仕事をクビになっては、
あの土砂降りの中に放り出されて以来、
どういう訳か、それはまさに、気味が悪い程に、
悪い事ばかりが、次から次へと。

あの夜、家に着いた途端に、トイレの電気が切れた。
流しが詰まり、風呂のお湯がでなくなり、
そして翌朝見れば、IPHONEが死んでいた。

出かけようと思えばお気に入りのジーンズの尻が破け、
自転車に乗ればいきなりブレーキワイヤーがプツンと切れる。

そしてここに来て、
それはまさに不運の締めくくり、とでも言うように、
どうしたことか、前歯が、前歯が、前歯が、
痛くて痛くて痛くて、眠れなくなり、
なにくそ、と頑張るうちに、
いつの間にか、顔の半分、
それはもう、顔の輪郭そのものが歪む程に、
腫れ上がっていた、のである。


嘗ての恩師からの言葉のように、

人間、歯が痛くて死ぬやつはいないし、
犬のうんこを踏んで死ぬやつも、
あるいは、財布を落として死ぬやつも、いない。

ただ、歯が痛い時に犬のウンコを踏み、
おまけに財布を落としたら、
そんな時、人間はわりと簡単に、ポキリ、と折れてしまう、
そんなものなのだ。
人間、ついていない時はある。
そんな時は、悪戯に騒がず、
宝くじでも買って、悪い風が過ぎ去るのを、
気長に待つべきなのだ。

そう、ついていない時というのは、確かにある。
そしてそんな輩に限って、尚更に悪いことは重なる。

そしていま、この腫れ上がっては歪み切った顔を眺めながら、
いやはや、とまさに、ここまで来たら苦笑いしか出ず、
と顔を歪めた途端に、痛てってっててって・・・

果たして、こんな歪んだ顔をした求職者を、
わざわざ雇い入れる企業があるだろうか。
あるいは、前歯の抜けたキャンディデートを前に、
面接官はいったい、なにを、思うのだろうか。

そう言えば友人から聞いた、
美貌のドッグウォーカーの話。
元々はバリバリの金融系セールス・ウーマンだった彼女。
仕事をレイオフされたその夜に、
事もあろうに前歯がポキリと折れた。
治しようにも保険は無く金も無く、
なにより、前歯がないのでは仕事の面接にさえ行けない。
ただ仕事をしないとその治療費もでない訳で、
とりあえず前歯がなくてもできる仕事、という訳で、ドッグウォーカーを続けている、とのこと。

いやはや、ついていない人ってのはいるものだよな。
で、ドッグウォーカーってのは、そういう人たちのための仕事、
と思っていたんだがな。

という訳で、この見事に腫れあがった前歯。
原因は判っている。
予てから昼夜を問わず噛み続けているこのニコチンガム。
これが為に、知らず知らずのうちに、
これでもかと歯を酷使していたに違いない。
それがよりによって、いきなり前歯が、ポキリ、ではないが、
そう、縦に亀裂が入っては、根本まで、裂けてしまったようなのである。

ご承知のように、アメリカの医療システムは酷い。

国民健康保険のないこの国においては、
仕事がないと、つまりは、雇用主が保険に加入してくれていないと、
まともな医療が受けられない。
或いは、そんな保険の無い患者を前に、
足元を見透かした医者は、その懐具合を探りながら、
時として、これでもかと、法外な治療費を請求してくるのである。

ヨーロッパからの旅行者が、
急に煩った盲腸の手術に云千万円を請求された、
なんて笑うに笑えない話があったが、
そう、その状態が、冗談ではなく、
まじめのまじめにこのアメリカの現実なのである。

それに加えてアメリカの歯医者、である。
世界において正直者の政治家を探し出すことが、
ほとんど不可能なように、
このアメリカにおける歯医者、
嘘つきの業突く張りの守銭奴の筋金入りのサディストのスケベ野郎ども。
歯痛に呻く患者を前に、
身の毛もよだつ金属音を上げるドリルを片手に薄ら笑いを浮かべながら、
で、おたく、いくらだったら出せるんだね、
金がない?ってことは、麻酔もなしに、この奥歯の奥の奥、
その剥き出しの神経を、このドリルの先で、ちょいちょいちょい、と、
それでも構わない、ということなんですかね?
そう、アメリカの歯医者、そんな奴ばかり、とは言わないが、
まあやっていること、と言えば、そんな感じだろ、
と言うのがここアメリカに於ける歯医者さんの一般的なイメージという奴。

いや、大丈夫、
すべてこちらでやっておきますから、
なにもご心配には及びません。
と、いかにも親切そうに笑うのは、
その取ってつけたような笑顔の代償として、
それこそ目玉の飛び出るような請求が、
保険会社に回さている、ということなのだ、
どうせそう、歯医者なんてのはそんな奴ら、そうに決まっているじゃないか。

という訳で、よりによってこんな時に、の、この前歯。

考えうる限り、これほどまでに茶番的状況というのも思いつかない。

ただ、この腫れをどうにかする為に、
この前歯をひと思いにペンチで引っこ抜いてしまったとしても、
そこにぽっかりと開くことになるその空間を、
いったい、どうしろというのか。
そう考えれば考えるほどに、
とりあえず、仕事が見つかるまでの間は、
このグラグラの前歯をそのまま温存し、
それまでの間、なんとかこの腫れだけは、
リステリンで消毒を繰り返しながら、
氷で冷やして、あるいは冷蔵庫に頭を突っ込み、
とそうやって耐えるしかない訳か。

そう思っては、耐えに耐えて、を繰り返しているのだが、
飯は食えない、夜は眠れない、
おまけにこの、休むことなく襲ってくるこの歯痛という奴。
この歯痛に耐えながら、履歴書を書き換え、書類を揃え、
そして、海千山千のヘッドハンター達とタフな交渉を続ける、
というのは、まさに、三重苦四十苦。

これも神の与えた試練なのか。
俺はこの茶番的試練の中で、
なにかを試されている、というのか。

という訳で、眠るに眠れない夜更けの街を犬の散歩に彷徨しながら、
ああ、この糞前歯、このままひと思いにひっこ抜いてしまいたい、
あるいはできる事なら、あの路傍の石に齧りついては、
なんていう衝動にうち震える、そんな不穏な摩天楼の底の底。

丸めた背中を夜風に撫でられながら、
ニューヨークはいつしか、秋の気配、なのである。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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