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またまた懲りずにテニスねた ~ 汚れた妖精 待つ力待てる力

Posted by 高見鈴虫 on 30.2017 テニスねた   0 comments
見上げる空を重い雨雲に覆われた火曜日。
朝の犬の散歩の最中、
ふと、USOPENに行こう、と思い立った。
そう、思い立ったが吉日、と言うではないか。
しかしながら、大抵の場合においてそれはまったく逆の意味。
ほとんどのケースが、思い至ったが凶日、
となることがままある訳で。

そう、見上げる空、これほどまでに雨雲が立ち込めている中で、
どこの馬鹿がテニスを見に行こう、などと思うことか。

ただ、そう、それこそが、チャンスなのである。
また例によってチケットを事前に購入していない身としては、
こんな雨になるであろう日、こそがチャンス到来、
なのではないのか。

だがしかし、ご存知の通り、この失業中の身である。
この明日をも知れぬような運命の中で、
呑気にテニス などを見ている場合なのだろうか、
とは思いながら、
そう思い立ったが、なのである。

犬の散歩から帰る道筋、
手元のIPHONEでつらつらとそのスケジュールを見てみれば、
本日、USOPEN開始から二日目、
日本勢の選手たちが一挙に登場する、まさにジャパン・デイ。
杉田祐一が、ダニエル太郎が、そしてあのナオミ・オーサカが、
一同に顔を揃えるその序盤戦なのである。

そう、これまで、USOPENと言えばこの序盤戦であった。
なぜかと言えばそう、日本選手たち、
大抵が、一回戦において全選手玉砕、となることがほとんどで、
見上げる空にテニスの殿堂:アーサー・アッシュ・スタジアム、
そのたもとに広がるナンバーコートと言われる番号付け、
パブリックの練習用コートとほとんど変わらぬ、
客席さえもないような、そんなコートにおいての第一回戦で、
藻屑と消え去る、その繰り返しであったのだ。

だがそう、あの錦織の活躍からこの方、
日本選手の活躍、まさに目覚ましいものがある。
だからこそ、この最初の登竜門であるとこの、
序盤戦のナンバーコートを勝ち抜くために、
是非とも応援に駆けつけたい、
そう、この日をコートに行かずして、
なにが日本のテニスファンか、と。

と、そんな毎年恒例となったおかしな狭義心に煽られては、
思わず乗ってしまった七番線。
窓から見上げる空は、まさにどんよりと曇り、
今にも雨が降ってきそうな、そんな景色である。

ああ、やれやれ、どうしてこんな日に、
こんな雨の中で、テニスなどできる訳もないではないか、
と思いながらも、
もしももしものラッキーチャンス、
そのもしもの可能性にかけては、一か八かでUSオープンの会場へ

と向かったわけなのだが、いやはや予想通り、
電車を降りて会場に向かう桟橋を歩く途中から、
無慈悲な雨がぽつりぽつりと降り出してきた。




というわけで、11時から予定されていた、
第一戦の杉田祐一の試合、
会場に着いたときには既に2セットを先取して、
このままいけば楽勝のモード、でありながら、
見上げる空から雨が、雨が、雨が、
その雨が、ついに降り出して来てしまったのである。

試合の一時停止の中、いまいましくも見上げる雨雲の中から、
ふと、止んだか、とはっとする度に、
再びぽつりぽつりと雨粒が落ち始めては、
待ちわびた観客席から、一斉にため息が漏れる、
その繰り返し。

手元のIPHONEの天気予報。
本降りは3時から、となっていた筈が、
いつの間にかそれが2時に、そして1時に、
と繰り上げられていく。

この雨、このいい加減な雨が、
この先いったいどうなるのか。
そう、2セットまではまさに杉田の圧勝である。
このまま、あと三十分でも雨がやんでくれれば、
その間に、軽く三セット目も押し込んで、
見事二回戦進出となる筈なのだが。

だがしかし、まさか、この雨による中断の中、
或いは、日をあらためて持ち越された試合の中で、
いったいなにが起こるか、誰にも判らない。

そんな不確実性の中で、せめてあと三〇分、と願いを込めながら、
止む訳でもなく、降る訳でもないその曖昧な雨脚の中で、
長い長いため息を繰り返すばかり。

果たしてこんな時、プレーヤーたちはいったい何を考えているのだろう。
普通に考えれば、こんな状態は、あまりの苛立ちに、
いてもたってもいられないであろうに。
ただ見れば、杉田は落ち着いている。
肩から羽織ったバスタオルの中で、
空を見上げるでもなく、地面を向かって舌打ちをするでもなく、
次第に冷えていっているであろう筋肉の変化を自覚しながらも、
ただじっと、ひたすらに、沈黙を守り続けている。

そんな杉田の姿を見ながら、改めて、すごい精神力だなと思う。

俺なんか、朝の地下鉄がちょっと遅れただけでも、
苛立ちに思わずブチ切れては、ゴミ箱を蹴飛ばしそうになるというのに。

そう、人間の強さとは、
直面にした危機、目前の敵に立ち向かう、
その攻撃性にばかり目が行きがちだが、
この、無慈悲な雨の中での保留状態、
この極限の苛立ちを前に、
そんな不確実性の中でただ待ち続ける、
その強靭な忍耐力。

もしかしたら人間の強さは、攻撃性や筋力や図体のでかさ、などではなく、
つまりはこの、不確実性を前にした忍耐力、つまりはその精神性にこそ、図られるものなのではないだろうか、とそんな気がしてくるのである。

そういえば、と妻から聞いたこんなエピソードを思い出す。

沢登りの最中に滑落に見舞われた老人が、
その後、水と僅かな食料だけを頼りに、
一週間を生き延びた後に無事に救出された、
というニュースである。

そのニュース、
驚くべきことに、その遭難者である老人は、
水という必要最低限のライフラインを確保した時点で、
その後はただじっと動かず、
ただひたすらに、救援隊の到着を待っていた、
という話である。

そう、不慮の事態に襲われた時には、
無駄なあがきこそが、致命傷になりうる。

なるべく自身の体力を温存するために、
極力無益な行動は避け、
ただただその場を動かずに居ること、
それこそが極意である筈、なのだが、

そう、この、ただただ待ち続けるという状態、
簡単そうでありながら、早々と真似できることではない。

大抵の場合、遭難者は駆られる不安に苛まれながら、
パニック状態の中で冷静な判断力を失い、
闇雲にぐるぐると同じところを回り続けては、
いつしか精も根も尽き果てる、
それこそが遭難のパターンである、と聞いている。

ただ待つ、待ち続ける、という状態の中で、
どれだけ精神の平静を保っていられるか、
それこそが、遭難時の唯一の鍵となるのだ、と。

そしてこの老人、まさにその鉄則通りに、
慌てず騒がず、その一週間という時を耐え抜いては、
無事に救出の日を見た訳なのだが、
改めて、この老人、
この待ち続けるしかなかった一週間の間、
いったいどんな精神状態で、
いったいなにを考えて、
その長い長い孤独を耐え抜いていたのであろうか。

考えれば考える程に、とてつもなくも強靭な精神力である。

そう、改めて、人間にとって、待つということは、
最も残忍な拷問に等しい。

日一日と経つ中で、真綿で首を絞められるように消耗する体力。
最後の最後になった時の、自力での救出への扉が刻一刻と閉ざされていく、その消耗戦の中で、
救援の望みだけを頼りに、その長い時間を耐えて耐えて耐え続ける

通常であれば、人間はその不確実性の中の不安に、
耐え切れないであろう。
その不確実性の不安から逃れる為に、
人類はありとあらゆるリスクヘッジを講じるのである。
まさにこの、不確実性の中の、
その身を引き絞る不安に耐え続けることこそが、
人類がその精神力、と試される究極の試練、なのである。

そう、待つこと、待つことに耐える力、
それこそが、精神力、と言われるものなのだ。

そういえば、青年期に愛読した覚えのある本多勝一は、
雪山で猛吹雪に巻き込まれは、
雪洞の中でのビバークを余儀なくされた際、
その明日をも知れぬ、どころか、
刻一刻と生命の危険にさらされての極限状態の中で、
こともあろうに、その雪洞の中、
黙々とドストエフスキーの文庫本を読み耽っていたそうである。
猛吹雪のビバークの中でドフトエフスキー?

これはしかし、助かっていたから笑い話になる話であって、
もしも、通常の人間であれば、
テント一枚を通して吹き荒れるその凄まじいばかりの暴風雪の中、
常時、身体中を冷気に苛まれながら、凍傷への不安と、既に底をついた食料と、
或いはたったいまこの瞬間にでも襲ってくるかもしれない雪崩の恐怖。
そんな極限と直面した状態で、
いったいどうやって文庫本などというものに何日間も没頭していられるだろうか。

そう、これこそが山男の肝っ玉、その美学の真髄。
その山男の魂こそが、この本多勝一という未曾有の頑固オヤジ、その鋼のような意志力の拠り所ではなかったのか。

右翼だ左翼だ、なんてちゃちな視点ではなく、
まさに、そう、そんな絶体絶命の中で、
長編の文学作品に読みふける、
その凄まじいばかりの精神力、
果たしていたずらに彼を批判する者達のなかに
そこまでの意志力を持つものが、
一体どれほど存在すると言うのか。

そう、遭難したときにはガタガタ動いてはいけない。
ガタガタと動くことこそが弱さなのである。
危機に瀕した時には何もせずにじっとしていること、
それこそが、人間の精神力を試す、その究極の試練なのであろう。

と、そんなことをつらつらと考えながら、
見上げる空からの雨脚がますます激しくなりそうだ。

この雨の中の忍耐力、それこそが試合で勝ち抜く鍵となる。

嘗て、テニス界の雄であった、ピート・サンプラスとアンドレ・アガシ。
その、テニス界の真の王者を決する準決勝が、
やはり雨でサスペンド、となった時、
その不安な待ち時間の間、
始終イライラとロッカールームを歩き回るアンドレ・アガシとは対象的に、
かのピート・サンプラスは、その時ちょうどテレビで放映されていたNBA、
そのマイケル・ジョーダンの姿に見とれていた、という。

なあ、アンドレ、なんで俺たちって、
この人みたいに自由自在に動き回れないのかな?

俺たちって、それはバスケットとテニス、その競技の違いだろ?

いや、そうなんだけどさ、俺、やっぱり、このバスケットの動き、
凄く魅力的だと思うんだよな。

そんな脳天気なおしゃべりに付き合わされては、
始終苛立ちを抑えることのできなかったアンドレ・アガシが、
その後、雨が上がって続行された試合において、
始終、自由奔放に動き回るサンプラスのフットワークに翻弄されては、
その結果はまさに、サンプラスの圧勝であった。

いやあ、正直、あの時は思い知ったよ。
この男、ピート・サンプラスには逆立ちしても勝てないってね。

そう、この待ち時間、この不確実性の中での忍耐時間を、
いったいどのように過ごすか、それこそが、人間としての器が、如実に露呈する、その瞬間なのであろう。

この不安な待ち時間の中、
ある選手は、突如として襲いかかってきたプレッシャーに押し潰されては、
あるいは、その焦燥の中で、すっかりと体力を消耗し、
あるいは、余計な戦略ばかりに埋没しては肝心な集中力を忘れ去り、
あるいは、緊張からの疲れからついついうつらうつら。はっと気がついた時にはすっかりと筋肉が弛緩してしまっていたり。

この運命のいたずら。
不慮な待ち時間に翻弄されるままに、
それまでのゲームががらりと劇的なまでの展開を見せる、
そんな残酷なドラマをこれまで数々見てきたような覚えがある。

そう、体力、と同時に、選手たちを支えるもう一つの力。
それは、忍耐力、つまりは、精神力。
雨の中で、待つしかない時には、ただ待つこと、なのである。
待つしかないときには持ち続けること、
その待つ、という状態に集中するべきなのである。

果たしてこの、二人の若い選手たち、
降り出した雨の中で、ただただ待ち続けるこの選手たちが、
果たしてこの時間で、いったいなにを、見つめていたのだろうか?

ただその姿を見る限り、
その実力でも、そしてその精神力でも、
杉田の方が一枚も二枚も上、と見てとれた。

杉田祐一、この170センチにようやく届いたこの短躯の選手、
ただその唯一絶対の武器は、精神力。

日本のテニス選手たち、
この杉田祐一の姿から学ぶものはとてつもなく大きい、
そう確信した雨の空、なのである。



と、そんなことをつらつらと考えながら、
不穏な待ち時間の中、暇を持て余した観客たち、
そこで始まるおしゃべりのその話題は、
もっぱら昨夜行われた、ナイト・ゲームのその第一戦、
言わずと知れたマリア・シャラポワ、その復帰第一戦のことである。

そうマリア・シャラポワ、
遡ること2年前、あの世界を駆け巡ったステロイド疑惑。
あのステロイド騒動の中で、
ついには試合への出場権を剥奪され、
行く行くは選手生命さえも危ぶまれて来た、
このテニス界きってのスーパースター。

そのマリア・シャラポワが、
ついについに、この1年半にわたる長き長き沈黙を破って、
このUSOPENの舞台に返り咲いた、
その復帰第一戦。

ただしかし、その対戦相手は、シモナ・ハレプ。
今大会での第二シード選手、つまりは堂々の優勝候補、
その筆頭である。

復帰第一戦からいきなり優勝候補の筆頭とのガチンコ勝負。
それも、大会第二日目のファースト・ラウンド:第一回戦においてである。

改めてこのマリア・シャラポワを襲ったステロイド疑惑。

これまでの女子テニス界、その人気のすべてを担っていた、
このあまりにも巨大な広告塔であったマリア・シャラポワ。

テニスのことなどまったく知らない人々であっても、
このマリア・シャラポワの名前だけは、知らないものはいない筈だ。
つまりは、テニス界の偉大なるアイコン:象徴であった筈のこのマリア・シャラポワ、
その当人の関与したと言われるステロイド疑惑。
その衝撃が、テニス界にとってどれほど甚大なものであったのか。
あるいは、彼女の出身国であるロシア、
あるいは、女子スポーツ界のすべてに、
とてつもないほどの汚名となったであろう
このマリア・シャラポワの醜聞に対して、
USTA:全米テニス協会の解答が、
この未曽有のデスマッチであった訳だ。

嘗ての女王であったマリア・シャラポワが、
その復帰戦において、ファースト・ラウンドで脆くもノックアウトされた、
もしもそんなことが起これば、
それこそはつまり、このマリア・シャラポワという華麗なるアイコンの一巻の終わり、
その惨めなる終局を意味していたのである。

という訳で、このマリア・シャラポワの復帰第一戦。
一年半の永きに渡る沈黙を破って出現したその姿。

まさに、嘗てのマリア・シャラポワ、あの、ロシアの妖精の姿、そのもの。

世界中のモデルというモデルが、
このマリア・シャラポワの前にしては一挙に色を失う、
まさに、人類という種のその美の究極形とまで言われた、
この、美貌のテニス選手。

その姿、テニス・ウエアというよりは、
ナイト・ドレスをも思わせる、
黒地にスパンコール入りの、
これ以上なくタイトなワンピース。

そのスタイル、まさに、マリア・シャラポワ、そのもの。
少なくともこんなウエア、この人にしか着れない、
まさに、これこそが、マリア・シャラポワ、その姿なのである。

そして改めて、久々に見るその姿。
十頭身と思えるほどの、そのあまりにも見事なプロポーション。
人類としてこれだけ美しいスタイルの人間はいないであろう、
それを確信させるその堂々たる姿。

ただしかし、そう、良い意味でも悪い意味でも、
マリア・シャラポワ、そのあまりにもずば抜けたその美貌。

そして今回のこのスキャンダルの元となったのも、
このマリア・シャラポワの存在が眩しければ眩しいほどに、
その醜聞の闇の部分がこれでもかと強調されることになる、
その残酷な相乗効果。

第一回戦とは言うものの、まさに会場中を埋め尽くした満員の観客。

その前に姿を表したこの可憐な、可憐過ぎる、テニスの妖精、そして女王。

ただ、その姿をひと目見た人々が、
二年余を費やしたこのスキャンダル地獄の中で、
いったいこのマリア・シャラポワという人が、
その地獄をどのように過ごしてきたのか、
一瞥の元に理解した筈である。

その見事過ぎるほどの痩身が、
いまは尚一層に研ぎ澄まされ、
その身体、まさに、鍛え抜かれたしなやかな鋼鉄。

そのフットワークは愚か、その体つきをみただけで、
このマリア・シャラポワ、これまで以上になおいっそうアップグレードされた、
まさに、戦士、美貌の女戦士、そのもの。

そして撃ち放ったファースト・サーブ、
そのフォア・ハンドも、そしてバック・ハンドも、
その力の限りに打ち付ける究極のパワーヒッターぶり、
そのなにもかもが、まさに、あの、マリア・シャラポワ、そのもの。

というわけでこの試合、ご覧になった方々はいらっしゃっただろうか。

その復帰第一戦でいきなりぶち当たった優勝候補の筆頭に対し、
ギリギリまでのフルセットの試合の後、
ついにマリア・シャラポワが、劇的な勝利を飾ったのである。

そしてその勝利の瞬間、マリア・シャラポワは、
まさに、テニスコートに崩れ落ちるように両膝をつき、
両手で顔を覆いながら、まさに、身体中を引き絞るように、
啜り泣いたのである。

その姿、あの17歳でウィンブルドンのチャンピオンとなった、
あの時の姿を彷彿とさせる、まさに、女王のリボーン:再生誕、その瞬間、
でありながら、その姿には、
嘗ての華麗な妖精、というよりはむしろ、
その後の云十年に及ぶキャリアの中で、
遂には醜聞に塗れ、
ここまで愛し続けたテニス界からの追放を余儀なくされながら、
まさに不死鳥のように舞い戻ってきた、
まさに、テニスの女王、その汚れた英雄のその姿。

だがしかし、第一回戦を勝ったそのコートにおいて、
涙にくれるこの汚れた妖精の姿を前に、
満場を埋め尽くした観客席は、
まさに総立ちのスタンディング・オベーション。
このマリア・シャラポワとともに涙にくれながら、
この年老いた妖精のその復帰を、
心の底から、歓迎したのである。

涙に声をつまらせながら、解説のクリス・エバートが叫んでいた。

テニス界は、世界は、マリアシャラポワを必要としている。
見てください、この彼女の姿。
これほどまでに観客たちを感動させられることのできるのは、
このマリア・シャラポワ、彼女しかいない!

そう、マリア・シャラポワは特別なのだ。
例えなにがあったとしても、このマリア・シャラポワこそが、
女子テニスの美学、その偉大なる象徴なのだ。

という訳で、この復帰第一戦、
そのあまりにも劇的な死闘を目の当たりにしながら、
俺は改めて、このマリア・シャラポワという人、その存在に対する疑問を改にしていた。

なぜ、これほどまでに美しい人が、わざわざテニスなど続ける必要があるのか。
その美貌、その可憐さ、その、存在そのものが、まさに、華、スター性に満ち溢れている。
これほどまでに世界中に名を馳せたスポーツ選手が他にいるだろうか。
このマリア・シャラポワという人類のアイコンが、
しかし、これほどまでに、テニスという競技にしがみつく、その必要などどこにもないではないか。
金だってもう腐るほどあるに違いない。
その名声、知名度だけでも地球規模である。
そう、この地球上において、マリア・シャラポワの名前を知らない者はいない筈だ。
であればこそ、テニスなどに拘らず、もっともっと別なことで、尚一層の富と名声を勝ち得る、
そんな道だって、いくらでもある筈なのに。

そう、あの、ステロイド疑惑のときにも、ほとんどすべての人々がそう思った筈だ。
大丈夫よ、この人であれば、たとえテニスなど辞めてしまっても、いくらでもどうにでもなる筈。

そんなマリア・シャラポワが、そしてこうして再びUSOPENのセンターコートに姿を表した時、
そんな俄な疑念のすべてが、一瞬のうちに吹き飛ばされたのである。

そう、マリア・シャラポワは、テニスを辞めてはいなかった。
あるいは、そうまでしてでも、このテニスというスポーツに執着し続けていた。

そう、あのステロイド疑惑における記者会見において、彼女自らが語ったその言葉。

私はテニスを愛しています。
私にとって、テニスは人生のすべてなんです。
例えなにがあっても、テニスは辞めることはできません。

そう、まさに、あの言葉の通り、
マリア・シャラポワにとって、
最も大切なものは、
富でも、名声でも、美貌でもなく、
まさに、テニス、
そう、このテニスというスポーツに対する愛、
それ以外には、なにひとつとしてなにもない。
そう、まさに、この、マリア・シャラポワという人、
テニスに生まれ、そしてテニスに死ぬことを覚悟した、
まさに、テニスの修験者、テニスの聖人であり、
そしてそう、テニスの殉教者、そのもの。

そう、俺は知っていた。
これまで、マリア・シャラポワのデビュー当時、どころか、
彼女と共に、ニック・ボラテリのテニススクールでコートを共にした、
そんな人々からの数限りない逸話の中で、

あのひと、マリア・シャラポワってね、
もう、テニス以外、なにも知らない、なにもできない、
まさに、テニス馬鹿の中のテニス馬鹿、
あのひとからテニスを取ったら、なにひとつとしてなにも残らない、
それぐらいなまでに、徹底的なテニス馬鹿なのよ。

そしてあの、ステロイド疑惑からの、この二年余りに渡った永き永き沈黙の中で、
果たしてこのマリア・シャラポワが、いったいなにをしていたのか、
なにを考え、何を思い、そして、なにに向かっていたのか。

その答えのすべてが、この復帰第一戦、
この第一試合の中に、集約されていた、のである。

その姿、まさに全身研ぎ澄まされるように鍛え上げられたその姿。

そうマリア・シャラポワは、その永き幽閉状態の中、
この先どうなるかなにひとつとして判らない、
試合出場停止どころか、
選手生命を抹消されかねない、
そんな時においても、
日々、全くたゆむことなく、
厳しい厳しい、プロフェッショナルとしてのトレーニングを黙々と続けていたのである。

そうそれこそが、マリアシャラポワなのだ。

その聞きしに勝る、徹底的なほどのテニス馬鹿ぶり。
今や齢三十歳にして、通常であれば、すでにとっくに引退を考えて然るべき、
その年令に達っしながらも、
嘗て妖精と謳われた美貌は衰え、
下手をすればこの先、
ますます老醜を晒すことにもなり得る、
その状態にありながら、
だがしかし、マリア・シャラポワにはテニスしかない。
そこには一切のブレも迷いもない。
そのあまりなまでのテニス極道ぶり。
その心意気、その悲劇的なまでのテニスに対する愛。

そう、あの復帰第一戦において、満場を埋め尽くした人々が見たのは、
まさにこの、マリア・シャラポワというひとりの人間の、
その、成長と、没落とそして再生、
その中に貫かれた、
このあまりにも不器用とまで言えるほどの、
究極的なまでのテニス極道ぶり、

人々はそこに、まさに、テニスの殉教者の姿を見たのである。

そして改めていう。

テニスというスポーツが、何故にこれほどまでの人々を魅了するのか。
そして、このテニスというスポーツに、いったい何故に、これほどまでの人々が、
その人生を狂わされてきたか。

そのすべての答えが、このマリア・シャラポワの姿にあった。

そう、その極道性、この、求道性こそが、テニスの美学のすべて。

そしてこのマリア・シャラポワが、その生き様、その存在のすべてを持って、
このテニスの美学を、体現せしめた、のである。




いや正直のところ、女子のテニスには全く興味を失って久しい。

マリア・シャラポワから、そして、ウィリアムス・シスターズ、と言う巨星を前に、
女子テニス界、その後も雨後の竹の子のように現れた選手たちも、
だがしかし、このマリア・シャラポワと、そしてセリナ・ウィリアムス、
その存在が、その強烈さが、
あまりにもずば抜けていたが為に、
その後の選手は所詮は無きに等しいほどの存在しか示すことができなかった。

そんな斜陽と化した女子テニス界の、
そのとどめを刺したのが、
かのマリア・シャラポワのステロイド疑惑でもあった訳なのだが。

そして改めて、嘗てのマリア・シャラポワ、
そのプレイそのものは決して好きではなかった。
その馬鹿の一つ覚えのようなパワーヒットの一点張り。
あのポーポーうるさい気合の掛け声も、
その取ってつけたような美貌ぶりも、
その何もかもが、なんとなく食傷気味、
と感じてはいたのだが、
改めて、このステロイド疑惑から立ち直ってきたこの汚れた女王の姿に、思わず感涙にむせいでしまった。
そう、つまりは、このマリア・シャラポワ、
その存在、というよりは、
その生き様そのものが、
全世界に確かな感動を与えたのである。

そう、俺がいったいこのマリア・シャラポワの何にそれほどまでに感動したのか、
俺がマリアシャラポワの姿に涙したその理由である。

彼女は言ったこの1年半に渡って、
生きる上でのすべてを失って、
人生のすべてをかけてきたテニスそのものを剥奪されながら、
彼女はしかし、信じ続けたのである。

来る日も来る日も、
この先もうテニスコートに戻れる、
その保証もないままに、
彼女はこの一年半の間、ひたすらに闇雲に、
地獄のような猛特訓を続けていた、のである。

それはまさに、救援隊の到着を信じながら、
水とチョコレートだけで一週間を耐え抜いた、
あの、老人の遭難者、その精神力を彷彿とさせる、
あまりにも凄まじいばかりの執念である。

あるいは、吹雪の中で命の危険にさらされながら、
黙々とドフトエフスキーを読み耽っていた、
その強靭な精神力にも匹敵する、
まさに、求道者としての極道性。

だがしかし、改めて、それが一年半である。

一年半もの間、この不確実な不安の中に晒されながら、
彼女はいったい、なにを信じ、なにを支えに、
この、特訓を続けてきたのであろうか。

そしてこの復帰第一戦を見事に飾ったこのマリア・シャラポワの姿、

そう、このマリア・シャラポワの姿こそが、
いま現在の俺に対する、一つの解答、なのである。

そして俺は改めて自分自身に問う。

俺はそこまで、自分自身を信じることができるか。
そこまで、神を信じることができるか。
そして俺はそこまで、人生のすべてをかけて、愛するものがあるだろうか。

そう思ったとき、
改めて、このマリアシャラポワの過ごした1年半という時間、
その重さが、ズシンと俺の背中に、のしかかってきたのである。

マリアシャラポワ、心から復帰おめでとう。

あなたのその姿、その涙の意味するものを、
世界中のテニスファンは、一生忘れないであろう。

そう、マリア・シャラポワ、
17歳にしてウィンブルドンの女王に輝いたこの未曾有の天才選手が、
数々の栄光と挫折の後に、
スキャンダルの醜聞から返り咲いたいま、
マリア・シャラポワはその、生き様そのもので、
テニスの歴史にまた新たな感動の1ページを刻んだのである。

そして、そんなマリア・シャラポワの姿を前に、
世界中のテニスファンが、心をひとつにしたに違いない。

テニスって素晴らしい。

そう、マリア・シャラポワが、世界に対して示したかったことは、
まさに、その一言、なのである。



と言う訳で、雨に祟られては、
外の試合はすべて翌日への延期が宣言され、
ただそう、俺的には、今日はもうひとつ、とてもとても大切な試合が待っている。

そう、あのテニスの殿堂、今や屋根がついて全天候型となった、
アーサー・アッシュ・スタジアムにおいて、
日本の期待の新星、ナオミ・オオサカ、その試合が始まろうとしているのである。

前回の記事でもご紹介したこのナオミ・オオサカ、
日本人とハイチ人のハーフ、でありながらその身長180センチ。
ファーストサーブは100マイルを優に超え、
まさにテニス界のすべての期待を集める期待の新星、その19歳なのである。

そのナオミ・オオサカが、
なんと今大会においてディフェンディング・チャンピオン、
優勝候補の一鶴となる、ケルバーとぶち当たるその第一戦。

という訳でこのナオミ・オオサカ、
アーサー・アッシュ・スタジアムという世界一巨大会場において、
その姿、登場したときからまさに、堂々たるもの。
どう考えても、19歳の新鋭には見れない、信じられない。

で、その瞬間、会場を埋めたすべての人々が、あれ?と声を上げた。

あれ、セリナ?セリナが帰ってきた?

そう、改めてこのナオミ・オオサカ、
今なお不動のチャンピオンとして君臨するあのセリナ・ウィリアムスに、
なにからなにまでが、そっくり、なのである。

そんなナオミ・オオサカを女王セリナ・ウィリアムスの正当な後継者として確信した解説のクリス・エバート、
だがしかし、それだからこそ、そのコメントはまさに激烈であった。

まだまだよ、ナオミ、まだまだ積極性が足りない。
確かにサーブも速い。そしてグラウンド・ストロークの安定性、まさに見事な才能だ。
ただ、そう、やはりセリナにはまだまだ及ばない。
もっと積極的に、もっとアグレッシブに、もっともっと攻め込んで、さあ、前に出て、さあ、そこだ、待っちゃだめ!恐れちゃだめ、ウィナー!ウィナーを狙うのよ!


そう、このあまりにも激烈なクリス・エバートのコメント、
そのすべてが、まさに、このナオミ・オオサカを、セリナの後継者、
つまりは、今後の女子テニス界を背負って立つ、
新たな女王、そこへ上りつめる為の、心からの助言、なのである。

つまりはこのクリス・エバートが、
そして、セリナ・ウィリアムスが、
そして、ヴィーナス・ウィリアムスが、
このナオミ・オオサカを、
新たな女王となるべく宿命を負った者、
それを当然視している、ということなのだ。

そしていま、このあまりにも圧倒的なまでのストレート勝ち。

ただその勝利の瞬間、あれ、この19歳、ノーシードのぽっと出の筈の新人選手が、
ディフェンディングチャンピオンを相手に徹底的なまでに圧勝した、と言うのに、
このあまりにも冷静な態度はいったいなんなのか?

つまりは、勝って当然、ということなのか。
つまりはそう、彼女は既に、その標的を、現女王であるセリナ・ウィリアムス、
あるいは、復帰第一戦を飾って返り咲いた、あの嘗ての女王・マリア・シャラポワ、
そんな巨人たちに向けられている、ということなのか。

その後のインタビューにおいて、
いやあ、ははは、緊張しましたよ、
と笑ってはいたが、
いやいや、実際に試合を観る限り、
そんな動揺は微塵も見られなかった。

つまりはこのナオミ・オオサカ、
まさに、グランド・スラムを狙っている。
本気の本気で、グランド・スラムにロックオンしている、のである。

これは大物だ、と確信した。
この小娘、絶対に化けるぞ!

それを確信しながら、
そう言えば、こんなとてつもない、
まさに時代そのものを覆す、
そんな化け物クラスの女の子、
どこかで見たことあるぜ、と思っていた。

そう、あの、べビーメタルの中元すず香。

あの中元すず香が、武道館で、ソニスフィアで、
そして、ウェンブリー・アリーナで、そして東京ドームで見せたとてつもないスケールの存在感。

そう、俺はあれと同じものを、
このナオミ・オオサカに見たのである。

日本という国が、ここまで瀕死のどん底に追い込まれたその時に、
奇しくも、この二人の天使が、まさに救世主のように、世界の檜舞台に踊り出た、その不思議、その奇跡。

いやはや、この世の中、ほんとうに何があるか判らない、とは思いながら、

ベビーメタルの中元すず香、
そして、女子テニス界の新星、ナオミ・オオサカ

この二人が、ゆくゆくは世界をひっくり返す、
そんな大活躍をしてくれる日を、
確信する俺なのである。

という訳で、

おいおい、なんで、ベビーメタルとテニス、
あるいは、音楽とテニス、なんてものが関係あるんだよ、と。

そう、言わせて貰えば、音楽とテニス、そう、似ている。
その類似性がなにかと言えば、
つまりはその、極道的なまでの求道性、
なのではなかろうか。

やればやるほど、深い入りし、
深入りすればするほどに、新たな発見に至る、
そう、音楽は、テニスはそういうもの、なのである。

これまで、集団思考だけが頼りであった日本という文化の中から、
事なかれ主義と減点法の中で雁字搦めの窒息状態であったこの死後硬直的瀕死の老人国家の中から、
ここに来ていきなり、その求道性の極みである、音楽、そして、テニスの中に、
世界に燦然と輝く輝く、日本人プレイヤーが出現した、その不思議。

つまり、そう、それこそが、啓示、なのであろう、と思っている。

このグローバリゼーションという世界規模の荒波、その壮大なパラダイム・シフトの中で、
「個」としての日本人の能力が、いきなり頭角を現してきた、
その事実を前に、俺たち日本人は改めて、我々日本人、
その美学が、能力が、その真髄が、いったいどこにあるのか、
今一度、自身に問い直す必要があるのではないか、
と思っているが、如何であろうか。


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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

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無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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