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中元すず香 その女優性の真髄 ~ 成り切り力という神憑り的才能について

Posted by 高見鈴虫 on 01.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
はいはい、そうそう、ちょっと遅れてしまいましたが、
我らがベビーメタル、
大阪での小箱連戦も、最高のステージでした、
で終了を見たようで、なによりです。

ご存知のようにここニューヨーク、
ここのところずっと、ベビーメタル様からがご敬遠されているようで、
まさにこのベビメタ・ロス、いやはや、そこまで意地悪しなくても、
とは思いながらも、
そう、この、貸しは、いつかきっと、
あのマジソン・スクエア・ガーデンの単独公演、
その晴れ舞台が待っているためであろうと、
確信する長文乙でございます。

という訳で、また例によって、妄想の暴走と、相成る訳ですが、

その前に、そう、ちょっとしたお礼、なんてものを述べさせて頂ければ、と。

実は先日、ちょこっと駄文を綴った、シング・ストリート、面白かったよん、
なんてのに、ああ、あの監督さん、ジョン・カーニー、
その前作もオススメですよ、との、コメントをいただくにあたり、
早速借りて見たDVD、原題:BEGIN AGAIN 邦題は、はじまりのうた。





いやあ、この映画、刺さりました・笑
思い切りぶっ刺さっちゃって、思わず、三回も観てしまいました・笑


でまあ、言いたいことは山ほど、まさに、山のようにありながら、
いまだにその甘く切ない余韻に浸りきったまま、言葉にすることができず。

まさに、音楽映画の金字塔、と勝手に言わせて貰う訳ですが、
果たして、俺、こんな映画を何故に見逃していたのか、
その不思議の方が尚更衝撃が大きくて、
つまりはそう、仕事ばっかりしてて、
世の中のすべてが目に入って居なかった、
そんな明き盲状態にあったってことなんだよね。

という訳で、そう、改めて、言いたいことは山ほどあれど、

いやあ、そう、その一番言いたかったことってのは、つまりは、
現代の音楽業界のあり方の、心の歌の、やら、
そんなことも確かにそうなのですが、

はい、一番言いたかったこと、
俺は、キーラ・ナイトレイが、とても好きだ、と。




という訳でキーラ・ナイトレイ、
今をときめく銀幕の大女優さん、である訳なのだが、
ただ、俺、何かにつけて詰めの甘い俺としては、
好きだと言いながら、キーラ・ナイトレイの代表作であるであろう、
パイレーツ・オブ・カリビアン、全然観ていないの・笑

ってか、俺的には、キーラ・ナイトレイ、
この「はじまりのうた」だけで十分じゃね?と。
あるいは、「ベッカムに恋して」、とか・笑
そう、キャメロン・ディアスは、「メリーに首ったけ」、だけで十分。
そして、そう、このキーラ・ナイトレイを彷彿とさせる自然体女優、
ウィノナ・ライダーも、「リアリティ・バイツ」、だけで十分。

そうなんだよ、なんかさ、
この「はじまりのうた」のキーラ・ナイトレイを観ながら、
なんとなく、このウィノア・ライダーって女優さんのことが、
どうしても思い出されて、

で、このウィノア・ライダーと、そしてキーラ・ナイトレイの魅力、
その共通点っていったいなんなんだろう、ってずっと思ってたんだけどさ、

で、そう、それってつまりは、自然体、ってこと、なんじゃないの、と。

で、そう、実はここからそろそろ本題に入っていく訳だが、

実は実は、そう我が愛しの中元すず香女史、

実はさ、彼女のあの歌の才能があまりにもとてつもないものがあって、
というのはもちろんのことではあるのだが、
実は俺、この中元すず香嬢、その魅力の才能の、その根源って、
実は、女優力なんじゃないのかなって
ずっと思ってたんだよね。

ええ、でも、メタルのアイドルと、そして女優って、全然違くね?
というお言葉が殺到するのは判っていながら、

では改めて、このベビーメタルにおけるすず香嬢、
その凄さの真髄とはなんなのか、と言えば、
そう、改めてその美声の歌唱力の、と並べればきりがないんだけど、
なによりも俺の言うこの中元すず香の特異性とは、
まさにその、表現力。

そう、どれだけの美声であっても、どれだけの歌唱力であっても、
ここまでにやたらめったら心にぶっ刺さる、そんな歌を歌えるのは、
なによりもその、表現力に凄まじいものがある、という事実を踏まえた上で、

ではその表現力とはなにか、と言えば、
まさにその、思い入れ力というか、
ぶっちゃけ、成り切り力、なのではないか、と。

そう、普段の中元すず香嬢が、
実はあのベビーメタルのステージにおける、
あの凄まじいまでの姿とは、似ても似つかない、
ポンコツぶりばかり指摘される、まさにすっとぼけた天然系の女の子、
であるらしい。

その天然性の天然性が、いったいどこに根ざしているのかと言えば、
まさにそれ、集中力と、そして、その成り切り性にある訳で、
ぶっちゃけ、そう、あのベビーメタルのステージにおけるすぅめたるは、
あのステージに上がる前の中元すず香嬢が、
あるいは、あの黒装束に着替えてはポニーテールに結い上げたその途端、
まったくの別人に成り代わってしまう、
つまりはそう、まさにそれ、憑依と言われるほどまでに、
そのすぅめたるとしてのキャラクターに、なりきってしまっている、
という訳で、
で、そう、あのすぅめたるの凄まじいまでの表現力とは、
つまりはこの、ステージ上でのキャラに完全になりきる、成り切り尽くす、
その成り切り力なのではないのか、と思っていたのである。

で、その表現力の源たる成り切り力とは、
つまりはそう、まさに、女は女優よ、であるところの、
その、演技性=女優性、なのである。

とまあ、そんなことを常々思っていたのであるが、
実は嘗て、実にひょんなことから、
日本を代表する「大女優」さん、
なんてのにご遭遇申し上げたことがある訳なだけどさ。



でこの大女優さん、その名を、薬師丸ひろ子、という。

とある集まりの席上で、ふと見れば、ええええ!
あの人、もしかして、あの、薬師丸ひろ子さん!?

改めてこの薬師丸ひろ子さん、
普通人としてお忍びのニューヨークご滞在ということであったらしいが、
その姿、遠目に観てもまさに、目が潰れそうなほど、
というよりはむしろ、その存在を前にして、
身体中が溶け出してしまいそうな程に、
まったくもって、そう、あの薬師丸ひろ子さん、
そのまんま、そのものの存在。

そう、日本人であれば、薬師丸ひろ子、知らない人はいないであろう。

特にそう、俺達の年代にあっては、この薬師丸ひろ子、
そののめり込み具合は別にしても、この薬師丸ひろ子という存在が、
青春の中の1ページに、刻まれていない人はいない、その筈だ。

そこまで、まさに、国民的と言われるまでのこの大女優さん。
思わず制止の声をぶっちぎっては、
恥も外聞もかなぐり捨てて駆け寄っては、
あの、俺、俺、俺、本当の本当の本当の本当に大ファンでした、
と、一世一代の大告白、なんてしてしまった覚えがあるのだが、
そんな俺を前に、この大女優さん、
ああ、ありがとうございます、と穏やかに笑うその表情が、
まさに、あの、姿、まさにあの姿、そ・の・も・の!
そう、俺が嘗て見とれた、あの銀幕の上に浮かんだあの姿と、
まったくもって、なにもかもが、そのまんま、のそのまんま。

で、思わず、ああ、この薬師丸ひろ子さん、という方、
あのスクリーンにおいて、
彼女は実は、演技なんてしていなかったんだな、と。

つまりは彼女のこの、存在そのもの、
まさに、生の、気の、その姿そのものが、
ここまで鮮烈かつ魅力的であったが為に、
そこにはもはや、演技なんてものをする、
その必要もなかったのではないか、と。

そう、改めて俺、演劇論ってのにはまったくのずぶの素人でありながら、

この自然体の美学、と言うか、演じながらにして演じず、
しかし、演じずしてその存在自体が、女優、なのである。

その不思議、その奇跡を、まさに目の当たりにした、のでありました、と。






で、そして、そう、改めてこの薬師丸ひろ子さん、
語り始めればキリがないぐらいまにで、
まさに、少年期から通して、
あまりにもこっ恥ずかしすぎて決して人前では口にはできなかった、
のではあるが、
その、テレビでグラビアでそして銀幕のスクリーンで、
そのお姿を見るたびに、
これほどまでに可憐で愛らしい生き物が、
この世に居るものなのか、と絶句を繰り返していた、
そんな存在でもあった訳で、
で、改めて、この薬師丸ひろ子という方が、
演技ではなく、存在そのものがそのまんまの薬師丸ひろ子さんであり、
しかし、その存在そのものが、
演技というよりは、そのドラマの核であった、という、
まさに類まれな、天然記念物的な大女優さん。

で、女優と言えば、恥ずかしながら、
俺は、満島ひかりさんの大ファンであったりもする訳で、
幸いにもいまだお会いしたことはないのではあるが、
この満島ひかりさん、
あの、「愛のむきだし」の姿を目の当たりにした瞬間、
ああ、この人しかない、と思い込んでしまった、
そこまで思い込ませてしまった、まさに、そう、女優魂の権化、と。






で改めてこの満島ひかりさん。
その凄さ、というのは、つまりは、表現力、
で、その表現力の原動力となるのは、
まさに、脚本の読み込み力、つまりは、役への成り切り力。
ではありながら、満島さんが演ずれば、それがどんな役であっても、
それはしっかり、満島ひかりさん、な訳であって、
それはまさに、この満島ひかりという人物が、
パラレルワールドにおいて、色々な運命をお辿りになられた、
その軌跡、とも取れる、という訳で、
改めてこの満島ひかりという女優のその存在自体に満ち満ちた、
そのあまりの存在感、そして、その熱い熱い視線に篭められた表現力、
ただそう、断じて言えるのは、満島ひかりさん、その存在自体は、
演技、というよりはまさに、自然体。

そう、満島ひかり、そして、あの薬師丸ひろ子、
役柄から、シチュエーションからは様々なれど、
役を演じる女優、である、その以前の段階で、
その存在自体は、満島、あるいは、薬師丸、という、
極自然体な存在がまずそこにあり、
その中から、それぞれのシチュエーションによって、
その役割に変化がある、とまあそんな風に思えるのである、と。

これは演技論的には実はとても失礼なことを言っているのかも知れないが、
そう、俺にとっては、やはり、薬師丸ひろ子さんがどんな役を演じても、
それはやっぱり薬師丸ひろ子さん以外の何物でもなく、
そして、満島ひかりさん、あの超絶的な思い入れ演技の中で、
実に様々な役を演じていらっしゃるのであろうが、
だがしかし、それがどんな役であっても、それはまさに、満島ひかり、そのもの、と。

で、改めて繰り返せば、そんな存在自体があまりにも強烈な大女優さん、
その大女優さんの持つ、この、存在自体に満ち満ちた、
その驚くばかりの自然体、その美学、という訳で、

改めて、俺のこの大好きな女優さんたち、
薬師丸ひろ子さん、満島ひかりさん、
そして、ウィノア・ライダー、
あるいはそう、この、キーラ・ナイトレイ、
その共通点こそは、成り切り力と、
そして、女優、それ以前における、
まさに、極自然体のその姿、
それこそが、その魅力の源泉なのでは、と。

でそう、誤解を恐れずに言わせて頂ければ、
薬師丸ひろ子さん、満島ひかりさん、
あるいは、キーラも、そしてウィノアも、
その表層的な美しさだけがその魅力であるか、
と言われれば、え?と、言葉が詰まる。

そう、見た目の美しさ、という意味であれば、
実はもっともっと、美しい人、というのは存在する筈である。

ただそう、それこそが、美人女優と、そして、大女優の違い、なのである。

大女優とは、まさに、その内面、
つまりは、心、あるいは、魂、それを含めた上で、
あるいはそう、かの、薬師丸ひろ子さんのように、
隠しようにも隠しきれない、その存在自体の例えようもない美しさ、
その美学があって初めて、女優足り得る、と。

という訳で、そろそろ本題である。

嘗ての薬師丸ひろ子さんとの会話の中で、
実は、歌を勉強していまして、とおっしゃられていた。

歌を?
とその途端、思わず、あの、セーラー服と機関銃から、
あるいはそう、ちょっと大人の探偵物語!
なんてものをご披露しそうになったのだが、





そう、薬師丸さん、本気の本気、まじめの真面目に、
歌の勉強をされているそうなのである。

歌を?

はい、とはにかみながら笑う薬師丸さん、
下手の横好きなんですけど、と笑いながらも、
歌、好きなんです、歌うことが、凄く。
そのお言葉、まさに真剣そのもの、

で改めて、なにを驚いたかと言って、
この薬師丸ひろ子さん、そのお声。
そう、まあ当然と言えば当然なのだが、
そのお声、まさに、嘗て恋い焦がれた、
あの薬師丸ひろ子のお声、そのもの、なのである。

そう、声というのは、年齢とともに、それほどまでに変化をしないものだ。

確かに声量やら声域やらと言うと色々あるのだろうが、
その声質、というのは、割りと一生、同じものであるらしい。

で、改めてこの薬師丸ひろ子さん、そのお声、
まさに、そう、聞いているだけで身体中が溶け出してしまいそうな、
見事なほどの美声、なのである。

改めて、嘗ては音楽家を目指したこともあった俺である。
そんな俺的な独自の価値判断の中で、
それが例え、どれほどの美貌の持ち主であっても、
あるいはどれほどの爆乳、あるいは脚線美、であったとしても、
こと、声、そう、その声が好きになれない女性とは、
最終的には上手くいかなかった。

そして改めて、この薬師丸さん、
なにが好きかと言われて、俺的には、そのお声、
そのお声だけは、もう誰にもどうやっても真似出来ない、
まさにそのお人柄のすべてがにじみだすような、
これほどまでに甘く、包容力に満ちた声というのを、
聞いたことがない、というぐらいの美声の中の美声なのである。

そう、俺の愛する大女優に共通するもの、
それこそはまさに、その、美声。
そしてその声こそが、持って生まれた極自然体、
その魅力の迸る、まさに、魂の美の源泉、なのである。

という訳で、この世紀の美声を持った薬師丸ひろ子さん、
そう言えば、と。
そう言えば、満島ひかりさんも、嘗ては歌手であった、と聴く。

そう、大女優に共通すること、まさに、歌、なのである。

つまりは、女優の能力と、歌手としての才能、
割りと、どこかで、重要な共通点がある、その筈、なのである。

と、ようやくここまで辿り着いて、
冒頭に上げた映画、はじまりのうた。

この映画において、なんとあの、キーラ・ナイトレイが、
フォークギターを抱えて堂々の、歌手としての役柄を歌手として演じている。

で、その歌が、実は、とてもとても、凄い!というぐらいに、魅力的なのである。

ただそう、声量だ、声域だ、発声法だ、というと、また色々と難しくなるのだろうが、
少なくともこのキーラ・ナイトレイ、その歌声、
特筆するべきはその、声質、である。





そう、俺は実は、好みのボーカリストの選定基準において、
声量や、声域はもちろんなのだが、なによりも、この声質、
この、声質、至上主義、という、引くに引けない価値基準というものがあって、
ぶっちゃけ、ヘタウマ系の、声質一発的な、個性派シンガー、
その隠れマニア、であったりもするのであるが、
で、そんな声質一発的なマニア的な観点から言って、
このキーラ・ナイトレイ、まじで、いつもお側におきたい、
そんな熱い思いが込み上げてくるほどの、超絶的な美声、なのである。

へえ、と思わず。
へえ、やっぱり、天は二物を与えずってのは、嘘ばっかり、
と言うか、
つまりはそれ、歌の上手さ、つまりは声質、それと、女優、というのは、
切っても切れないぐらいに、密接な関わり合いのあるものなのだ、と。





という訳で、改めて核心に触れていこう。

この大女優と言われる人々の持つ、その圧倒的なまでの存在美、
そして、声質一発的個性派シンガーたちのその魅力の源泉は、
つまりは、自然体であること、なのではないだろうか。

ただ、そう、自然体だからと言って、なにもしないから自然体なりうる、
というのとは訳が違うのである。

そう、自然体を自然体として存在させるには、
その自然体の本体であるところの、自分自身、
その自分自身がいったいなにであるのか、
その自分自身を見つめる過程というのが不可避なのである。

そう、薬師丸ひろ子、そして、満島ひかり、
そして、キーラ・ナイトレイからが誇る、
そのあまりにも魅力的な自然体の美学。

それはまさに、自分というものを見つめに見つめ、
これ以上ない、これ以上にはなり切れない、
その、ぎりぎりなまでの自分自身というところに到達し得た、
その極意なのではないのかと。

つまりはそう、あのヘタウマ系のシンガーたち、
これしかできないけれど、これができるのは私だけ、
その、思い切りの開き直りこそが、
自分という存在をこれ以上無く輝かせる、その極意なのである。

では、と改めて言わせていただく、
では、我らが世紀の歌姫すぅめたるは、
果たして、その自然体としての中元すず香としての、
表現を成し得ているのであろうか?

そう、嘗て触れた、あの命題、
ハンドメイドのベビーメタル ~ 中元すず香が自身の詩を歌う時

果たして、このすぅメタルが、ベビーメタルとしての仮面を脱ぎ去り、
自然体の中元すず香として、自身の歌と自身の生ギター、
あるいは、生ピアノで、自身の歌を歌う時、
果たしてそれは、どんなものになるのだろうか。

と同時に、この中元すず香が、ベビーメタルではないまた別の顔、
あの銀幕のスクリーンの上に、女優中元すず香としての存在を示した時、

そしてもしもそこに、ベビーメタルにおいて見せた、
あの驚異的、どころか、憑依的なまでの表現力、
あの神憑り的なまでの、成り切り力を発揮しつくした時、
それはまさに、かの薬師丸ひろ子と満島ひかりと、
キーラ・ナイトレイとナタリー・ポートマンとウィノア・ライダーをあわせたような、
超絶的自然体的演技派女優として、
とてつもないほどの破壊力を持って、
観る人のすべてを魅了し尽くすのではないか、と思っているのだが、
如何であろうか。



という訳で、ご推薦頂いたこの映画、
BIGIN AGAIN 邦題:はじまりのうた。

まさにニューヨーク、その魅力が満載の映画である。

思わずそのスクリーンの中に、普段から見慣れた街角の光景、
思わず、テレビと、そして、窓の外を、見間違えてしまう、
そんな奇妙な錯覚に囚われながらも、
そしてそこに描かれた、一種テレビドラマ的なまでに判りやすい設定、
でありながら、そう、そんな単純明快なストーリーであるからこそ、
キーラ・ナイトレイを始めとする役者陣、まさに、いきいきと、
まるで真のニューヨーカーたちに当てつけるまでに、迫真の演技、その綴織り。

とそんな映画を追いながら、
もしも我らが中元すず香が、このニューヨークにお忍びのご滞在中、
もしかしてこんなドラマが、あったりなかったり、なんてことがあったら、
とそんな妄想に浮かれながら、
改めてこの、キーラ・ナイトレイの姿、

ゲットー街の摩天楼の狭間、その、ゴミだらけの路地裏に、
生ギターを抱えて、自身の歌を熱唱する中元すず香嬢の姿。

あまりにも、あまりにも、あまりにも魅力的。

そして普段見慣れた、あの黒装束のすぅメタルの姿を離れて、
全くの別人として、極自然体の中元すず香、
あの、ポンコツで天然で、そしてまさに蕩けるような甘い笑顔を持った、
あの、19歳のお姉さん、その存在そのもので、
このニューヨークという街に溶け込んでいるその姿を思いながら、
そんな中元すず香のニューヨーク街頭ゲリラ・ライブ、
そんな光景に出会えたとしたら・・

この見飽きた街、殺伐とした雑踏が、荒れ果てた摩天楼の狭間が、
一瞬のうちにその姿を変える、そんな奇跡が巻き起こる、
そんな気がしてならないのである。

そして、中元すず香嬢、
ベビーメタルは言うに及ばず、
あの美貌、あの存在感、
そしてあの、神憑り的なまでの表現力:成り切り力、
まさにその表現手段、その、可能性は無限大、であろう。

今後、末永いご活躍をご期待する傍ら、
生きた英会話のご習得は勿論のこと、
ダンス、そして、演劇学、あるいは、演出学、
そして、ギター、あるいはピアノ等々、
ジャンルに拘らず、幅広いご経験を積んでいって頂ければ、
と望む限りである。

いつか、それはもしかすると、何十年後、
なんてことになるかもしれないが、
大女優となった中元すず香が、
その極自然体なお姿で、
世界中の映画ファンを虜にする、
そんな奇跡が巻き起こることを確信する
長文乙、なのでありました。






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プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾年月。
世界放浪の果てにいまは紐育在住。
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

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