Loading…

奇跡の高音域 マキシム・ヴェンゲーロフと中元すず香 ~ ブラームスとFDTD その間にあるもの

Posted by 高見鈴虫 on 20.2017 BABYMETAL☆ベビーメタル   0 comments
あのさ、実は昨夜、ひょんなことからすごいもの観ちゃったんだよ。
いやあ、世の中にさ、天才、って、居るもんだよな、と。

ほら、普段から、ベビーメタルの中元すず香、
まさに、百年にひとり、千年にひとりの、天才の中の天才、とか、
そんな言葉を並べ立てては持て囃しながらも、
そうやって、天才という言葉を軽々しく使いすぎると、
ともすれば、ああ、またかよ、また伝説の天才の神様の、と、
はいはい判った判った、とまでに、
口に出せば出すほどに、ありがたみが失せていくってのも、
判らないではない。

という訳で、良く言うこの天才という褒め言葉。
でありながらも、いやあ、そう、この天才という奴、
確かにいる。やっぱり、本当に、確実に、存在する、と。



思い起こせば昨日の夕刻、
ダウンタウンでの野暮用を済ませては、
さあ、そろそろ帰って晩飯はなにを食おうか、
なんて思っていたところに、
かみさんから電話があった。

今晩のカーネギー・ホールのチケット貰ったんだけど、
これからなにか予定ある?

とかなんとか。

ヨガから帰って午後の散歩に出たリバーサイドパーク、
川辺のカフェの前でたまたま出くわした古き良き犬友達から、

ねえねえ、今夜のコンサート、
ずっと前から凄く楽しみにしていたんだけど、
これからどうしても抜けられない予定が入っちゃって、
わーん、超悲しい!

なんて話から、
そのカーネギーホールのチケットが二枚、
いきなり舞い込んできてしまったたた、と。

そう、ここニューヨーク、そういうことがある。
それもたまに、どころか、ちょくちょくと、ある。

あそこのご主人、またまた失業しては犬の散歩でぶらぶらしてばかり、
なんていう噂が広まっている関係から、
突如としてこんな美味しい話が
ひょっこりと転がり込んでくるというのも、
失業中の恩恵と言えないこともない。

という訳で、
そんなこんなでいきなり舞い込んできたそのカーネギーホールでの公演が、
いったいどんな演目であるのか、など、まったくなにも知らないまま、
8時だろ?8時までにカーネギーに行けばいんだな?
で、飯は?晩飯はどうするんだよ。

まあそう、何はともあれ、
誘われた船には一も二も無く飛び乗るのがニューヨーカーの流儀。
この殺人的なラッシュアワーに見舞われたブロードウエイ大通りの地獄の底を、
またいつものように神風チャリンコバイカー風情。
ひしめき合うタクシーとトラックとバスと、
そして帰宅途中に殺気立った人混みの狭間を、
罵声を響かせながら好き放題にかっ飛ばしては、
歩道も車道も蛇行も逆走も信号無視も何でもありの無法の限り。
そして辿り着いたカーネギー・ホール。
世界に誇る音楽の殿堂、とは言うものの、
普段から行き慣れたリンカーンセンターに比べると、
歴史的殿堂とは名ばかりで、いまやそれは立派な骨董品。

開演5分前になっても、ガラガラに空いた席で、
かみさんの用意してきた握り飯を頬張りながら、

で、なに、これからなにをやるわけなの?と。

まあそう、どうせ転がり込んできたタダ券だろ。
つまりはまあ、なんだかんだ言ってまた売れ残り。
誰かの誰かから回って来たシーズンチケットやらコーポレート・スポンサーのパー券がわりの、
つまりは不幸の手紙的押し付けられチケット。
まあそんなものだろうと思いながら、

え!? あ、そう言えば、
今日はヤンキーズのプレイオフ。
で、あの田中マー君が第一戦での雪辱を賭ける、
その大勝負の日、であったのではなかったのか。

くそお、こんな夜になにが悲しくてカーネギーホールだよ。
どうせだったら、なんで、ヤンキーズ・スタジアムのバックネット裏の特等席の、
なんて話は舞い込んで来ないのか。

とそんなことをボソリと口に出した途端、
またまたいきなり豹変こいたかみさんのご機嫌。
なによ今更そんなこと言われるぐらいなら、
最初からあんたなんかに言わないで、
さっさと他の人に声をかけてれば良かった、

とまあそういつもの奴で、コンサートが始まる頃になっても、
肘掛けひとつ挟んでは冷戦体制。
くそったれ、ああ、ヤンキーズ観たかったなあ、と。

でそう、実はさ、またいきなり話変わるけど
野球観てるんだよね、もう何年ぶりか、ぐらいに。

そのきっかけというのが、
まあそう、言わせて貰えばアレック・ロドリゲス、
あのクソ野郎が、ようやくようやく、ヤンキーズからお払い箱になってくれた、と。

そう、このアレック・ロドリゲス、
天才だ天才だ、と言われながら、
やっていること、と言えば、
なにからなにまでが俺の俺による俺のため。
俺さえ良ければあとは知った事かの、
徹底的なまでの俺様野球。

こんな腐れジャンキー野郎が幅をきかせているチームなんかが、
勝てる訳がない、勝ってはいけない、そんなチームに勝たせたくない。

と、そんな末期癌患者状態であったヤンキーズが、
このアレック・ロドリゲスが去った途端、
スター選手がひとりもいないその出がらしの選手たち、
ああもうヤンキーズは暫くダメだろうな
そんな大方の予想を覆して、
その出がらし集団がいきなり一致団結しては全員野球。
怪我に泣き続けたマー君の根性の復帰劇から、
そして、アーロン・ジャッジなんていう巨大新星の出現。
そう、今年のヤンキーズはおもしろい。
これでこそ、野球だ、と、そう言わしめる、そのチームワークの素晴らしさ、その野武士根性の気迫に満ち満ちている。

という訳で、そのヤンキーズのプレイオフ。
しかも、先発はあのマー君だぜ。
俺もニューヨーカーの端くれならば、
今日という日だけはヤンキーズを応援しない手はないぜ、と。

ああ、それなのにそれなのに、
なんだよこのクラッシック、という奴。
演目は、前半がバルトークのコンチェルト・フォー・オーケストラ、
で後半にブラームスはお好き?
まあどうでもいいけど、
ああ、なにが悲しくてこんな夜に・・・
なんてことを考えているうちに、
うつらうつらと眠くなって来て・・

という訳で、ざわめきの中でふと目が覚めれば、
え?終わっちゃったの?と思えば、ああ、インターミッションか。

ただ、さっきまでの比べていきなり人が増えたと言うか、いつの間にやら超満員。
だがしかし、と改めて。
こんな夜、このヤンキーズの大一番のその夜に、
この人々は、こんなところで、いったい全体なにをしている訳か、と。

そんな不思議な思いに駆られながら、
まあそう、ニューヨークだろ。
誰もが誰も、俺の俺による俺のためだけの人生を貫く街だ。
そう、俺は野球なんて死んでもみねえぞ、
なんていう奴が、居たとしても不思議ではない訳で。

という訳で、インターミッションの間も、
ああ、ケツが痛え。
メトロポリタン・オペラに比べて、なにからなにまで骨董品のこの音楽の殿堂。
こんな硬い椅子じゃあ、おちおちと居眠りもできやしねえ、と生あくび。

まったくよお、なにが悲しくてこんな夜に・・

ただ、そう、不思議なことに、会場はまさに満席状態。

世の中にこれだけたくさんのクラッシック音楽マニアなんてのが存在している、
というだけでも不思議なものなのだが、
まさにこの前世紀、下手をすれば、前前世紀の歴史的遺産の骨董品的音楽。
熱狂も躍動も疾走感も、ともすればキャッチーな耳に残るフレーズさえもないままに、
風がそよぎ波のが揺蕩うような、そののっぺりとした旋律ばかりが永遠と続く、まさに大時代的な時間感覚。

まあ確かに、レコードもラジオもテレビもなく、
つまりは、エルヴィスもビートルズもストーンズも、
ガンズもメタリカも、ベビーメタルもなかった時代、
こんな音楽でさえもが、人々の唯一の娯楽であったのは判るのだが、
だがしかし、改めてこの二一世紀という時代に、
わざわざこんな時代錯誤的な楽曲のために、
一時間も二時間も、こんな硬い椅子の中に閉じ込められていなくてはいけない、
そんな必要がどこにあるのか、と。

あのなあ、爺さん婆さんも、そこの太った婆あも、
ナードなマザコン・ゲイの兄ちゃんも、
頼むから騙されたと思って、
ベビーメタルを聴いてみてくれ。

そんなことを思いながらも、果たしてこの会場を埋め尽くしたクラッシック・マニアの人々。
しかもこのヤンキーズのプレイオフの正念場であるこの大切な夜に、
誰からも忘れられたこの時代の溺れ谷のような場所に犇めく紳士淑女達。

正直に言って、あんたたちは、この時代のなんたるか、
この激動のパラダイム・シフトの中の、
この刺激の、快楽の、享楽の、その何一つとしてなにも、
判っていないのではないのか?

嘗て、ジャパニーズの伝統芸能であるところの、薪能を堪能した友人の一人が言ったものだ。

あなたは、日本人でありながら、能の魅力が判らないの?
ああ、それは何たる損失か。
あなたはあなたの生まれた国の伝統の、芸術の、歴史の文化の素晴らしさが、まるっきりなにも判っていないのね。
それは、まさに、恥すべきことなのよ、それが自分でもわかっているの?

とかなんとか言われて、俺は思わず言ってしまったものだ。

能だかなんだか知らないが、
だったら例えば、能とローリング・ストーンズが、
同じステージで対バンを組んだとしたら、
いったいどっちが面白いと思うんだ?

幽玄の、幻影の、秘すれば花なり、の、なんてのと、
ばーろー、ぶっ飛ばそうぜ、セックス・ドラッグス・ロックンロール!

ローリング・ストーンズよりも能の方が素晴らしい、
なんて奴がいたとしたら、
そいつはただのひねくれ者か、あるいは、ゲイの知恵遅れのパープリンだぜ。

そう、二一世紀のこの時代、
セックス・ドラッグス・ロックンロールも、
アイドルとメタルのラブラブ超絶ベビーメタルからも、
そんな時代の進歩からは一切目を瞑り耳を塞いでは井戸の底、
能だか、クラッシクだか、観阿弥世阿弥だかバルトークだか、
そんな前世紀の、前前前前世紀の、歴史的骨董品の、
そんなものにしがみついている奴ら。
なにがなんだか、さっぱり判らねえし、
判る気も無ければ知ったことじゃねえ。

ああ、出来ることなら、この場所のこのステージに、
あの中元すず香が忽然と姿を現しては、

幾千もの、夜を越えて、アカツキだぁぁぁ!

とやったとしたら、したら、したらしたら・・・

クラッシック?知ったことじゃねえよ。

ストーンズよりもガンズよりも、能の幽玄の美、なんて奴を、
俺が心底糞バカにするのと同じように、
この時代に、ベビーメタルも知らずに、やっぱりバルトークよね、
なんていう輩、俺は徹底的なまでに、見下して見下して見下し切るぜ。

とそんなことを思いながら、インターミッションの間、
辺りを埋め尽くしたこの醜悪な死に損ないのクラッシックマニアたち。
くそったれ、これはまさに、時間のムダだ、人生の浪費だ、
俺はこんな奴らと、一分一秒たりとも一緒に居たくない、
などと思いながら、
くそ、かみさんどこに行った。トイレに行くと席を立ってから、
いつまで立っても戻っては来ない。

おーい、もう帰りたい、先に帰るぜ、のテキストメッセージにも、
なんの返信も寄越さねえで。

とかなんとか言っているうちに、いつしかまたまた眠くなってきて・・・



そう、俺、寝てたんだよね。
確かに俺、寝ていた。
寝ていた、その筈なんだけどさ。

その音が、耳に飛び込んで来た途端、
いきなり、そう、いきなり、それはまさに電流が走るように、
思わず、飛び起きた。

な、な、なんだよ、この音・・・・






それは、まさに、バイオリンの音色、であった。

そう、バイオリン。バイオリンだろ?
知ってるさ、バイオリン。
ってか、もうここ二時間近く、そんなバイオリンの音、
もう嫌というぐらいに聴き続けている、その筈、だったんだけどさ。

いや、そう、この聴こえてきたバイオリン、
その音が、全然違うんだよね。

いやそう、寝ぼけた頭に、いきなり鼓膜を破るような大音響、
なんてのじゃぜんぜん無くて、

その調べ、それはまるでナイーブに、いまにも消え入りそうなぐらい、
ともすれば、伴奏のオーケストラの中に完全に埋没している、
その筈のバイオリンの音が、どういう訳だが、それは魔法のように、
くっきりはっきり、そればかりが、ビンビンと聞こえてくる。

なんだよ、この、バイオリンの音。

今更ながら、俺ほら、根っからのロック小僧だしさ。
それもよりによって、パンクロック、
そんな中でも、一番音楽性、なんてところから遠い筈の、
ぱー・かす・ちょん、つまりは、ドラム、なんてのをぶっ叩いていた、
そんな輩である訳で、
で、当然のことながら、バイオリン?なんだよそれ、と。

そう、ギターなら判る。あと、ベースとか、
そして、ピアノなんてのも、言ってみれば打楽器の一種。
だがしかし、バイオリン?いったいなんだよそれ、と。

そう、言わせて貰えば俺はバイオリンについてなにも知らない。
知らなすぎる、というぐらいまでに、徹底的にまったくなにも、知らない訳だ。

ただそう、嘗てヒッピー時代の貧乏旅行の途中、
ルーマニアの片田舎で出くわした嵐の夜、
乗っていた長距離バスに乗り込んできたジプシー楽団の一団。

その連中が、ずぶ濡れの身体のままどやどやと乗り込んできた途端、
通路から空いた席からと、とりあえずの場所に身を落ち着けた途端、
車内に散りじりになった楽団員の全員が、
まるで申し合わせたようにやにわに取り出したバイオリン。
バスの乗車代、とばかりに、一二三も無しにいきなり始まったバイオリン狂騒曲。







嵐の夜、雷鳴の轟く中、深夜の田舎道をひた走るポンコツバスの中、
弾け飛ぶように転がり回るように繰り広げられるこのバイオリンの洪水。
そのうちにご愛嬌とばかりに、背中で弾く、頭の上で弾く、足で弾く、逆立ちして弾く。そのうち悪ノリとばかりに、各乗客のその肩で、頭で、そして顎の下にバイオリンを宛てがっては、いまにも弦という弦のすべてが弾け飛ぶような、
まさに、超絶なバイオリンの洪水。
それはもう、音楽というよりはサーカス、つまりは曲芸に限りなく近く、
ただ、俺は見ていた、そう、そのあまりの超絶的なテクニック。
上手い、こいつら、上手い、凄まじく上手い。
まさにそれ、二十人のステファン・グラッペリか、ジミー・ペイジか、と。
そう、このバイオリンという楽器が、この土地の人達にどれだけ馴染みの深いものであるのか。それはもう、楽器が身体の一部、というよりは、
手であり足であり、あるいはそう、
口から舌から声帯から、
まさに、語るように、歌うように、泣くように怒鳴るように、
このバイオリンという楽器そのものが、
それはもう言葉に代わるコミュニケーションのすべて。

で、その理由はと言えば、
幼い少女の背中に背負われた赤ん坊、
まだ言葉もろくに話せないような乳飲み子の手には、
まるでおもちゃのような小さな小さなバイオリン。
おいおい、ガラガラの代わりに、バイオリンかよ・・

そう、この人たち、見るからにただの浮浪者、
あるいは酔っ払ったチンピラの一団、でありながら、
あるいはだからこそ、もう生まれてからこの方、
ずっとずっと音楽、その中で、そればかりで過ごして来た、
そして死ぬまでそうやって過ごしていくであろう、
まさに音楽の申し子たち。

すごいなこいつら・・ あまりにも凄すぎるな。

そう、俺はあの時、痛烈に思っていたのである。
アフリカの人々がドラムを民族の宝とするように、
このバイオリンという楽器、
これこそはヨーロッパの民衆の魂:たましいなのだ、と。

そしてこの、いま、世界に名だたる音楽の殿堂、
カーネギーホール、
その眼前のステージの上で繰り広げられている、
このあまりにも壮絶なバイオリンの調べ。

ただ、言わせて貰えば、このバイオリン、その音色。
嘗て聴いたあのジプシー楽団の酔狂とは、
あまりにも違う、違いすぎる、この澄み切った高音域。

それはまさに、悲しきかな、大衆芸能と、そして芸術の、
あまりにも大きな度量の差、楽器の差、というやつなのだろうか。

あるいはそう、いまこうして、交響楽団の音の洪水の中にあっても、
まるで魔法のように、一際響き渡るそのバイオリンの音色。

そのあまりにも細く、か弱く、あまりにもナイーブな音でありながら、
そのかすかな旋律が、まるで魔法のように際立っては、
鼓膜どころか、脳髄どころか、
血を骨を、その内臓のひとつひとつを震わせては沸き立たせては、
まさに身体中がびりびりと感電するような、
そんな凄まじいばかりの吸引力を持って、
全身を縛り上げて行くのである。

なんだよ、なんだ、なんだ、なんなんだよこの音は。

それはまさに殺人超音波。
あるいは、そう、操り人形を躍らせる、その目に見えない糸が、
観衆達のすべてに絡みついては縛り上げていく。
それはまさに、催眠術、あるいはそう、魔術。
これこそが、音楽の魔術、その真髄ではないか。

思わず身を乗り出しては、ステージの上に目を凝らす。

指揮者の隣りに立った、そのバイオリニスト。
見れば無様に太った中年男である。
そのどこにでも居そうな、あまりにもありふれた風体。
クラッシクの音楽家というよりは、そのあたりの屋台でベーグルでも売っていそうな、
そんなありきたりの風采の上がらないメタボな中年のおっさんである。

ただ、その手に持ったバイオリンという楽器。
そう、このあまにもぱっとしない中年男に握られたバイオリン、
そこから流れ出る旋律が、まさに、会場中のすべての観客を、
完全なまでに掌握仕切っているこの不思議。

その音色は、まさに、箱、つまりは、バイオリンのボディそのものが、
これでもかと共鳴する、まさに、その、木の音、なのである。

これこそはまさに、楽器が、その楽器そのものが、
命を吹き込まれては、歌いに歌いまくる、その状態であろう。

そしてその演奏者、
その無様な中年太りの垢抜けないおさん、
その太った身体を、踊らせるように、絞り上げるように、
だがしかし、その音色、その音色聴いているのは、
耳でもなければ鼓膜でもなく、
あるいはよく言われるように、その顎当てを通しての共鳴でもない。
その中年男は、その太った身体、そのものを持って、
旋律と完全に共振しては、その全身の皮膚から、神経から、
血と骨と、肉と内臓と、その身体のすべてを持って、
音と一体化、していたのである。

確かに、過去にもそんな光景を見たことがある。

そう、あのジプシー・ギターの巨匠、
ことギターという楽器を操る演奏者として、
これまでにも、そしてこの先にも、これ以上の人はもう出現しないであろう、
まさに、ギターの打ち止めを宣言した、
パコ・デ・ルシアという、天才の中の天才。

旋律など奏でるまでもなく、
ステージの上にその姿を現した途端、
そして、気まぐれに爪弾いたその一音が響いた途端、
その場の空気、その場の人々のすべて、
その世界を、宇宙そのものを、完全に包み込んでしまった、
あの、まさに、魔法を観るような劇的な瞬間。

そしてこのステージの上のバイオリニスト。

その姿、まさに、あのパコ・デ・ルシアと同一の、
真の天才のみの持つ、この世のものとは到底信じがたいほどの、
圧倒的なまでの存在感を持って、世界を、宇宙そのものを、
完全なまでに支配していたのである。

その天才の名を、マキシム・ヴェンゲーロフ と言う、らしい。

その耳慣れない名前を繰り返しながら、
それはまさに、あのパコ・デ・ルシアをはじめて体感した、
あの、テキサスの灼熱の午後。
フリーコンサートに押し寄せては悪酔いの果てに、
普段からの鬱憤が暴発寸前であったあの不穏な大群衆を、
その一音だけで、完璧に沈黙させた、あの音楽の魔神。
あのパコ・デ・ルシアと同質の物、その再来の姿を、
俺はいまこうして、目撃していたのである。








聞けば、このマキシム・ヴェンゲーロフという人、
その世界では非常に非常に有名な人。
まさに、バイオリン界においては、
100年にひとりの天才、と、
どこかの誰かさんと同じ冠の元に、
神格化されている存在であるらしい。
つまりはこの壮大なカーネギーホールにおいて、
その名を知らなかったのは、まさに俺一人。

ああ、この夜、ヤンキーズの正念場の一大勝負の行われているその夜に、
敢えてこのカーネギーホールに集った人々、
その殆どが、この未曾有の天才バイオリニスト、
マキシム・ヴェンゲーロフ
その姿を拝みに集まっていた、それが理由、
であったそうなのだ。

なあんだ、そういうことであったのか、
と今更ながら驚愕を繰り返しながら、
そして、拍手喝采どころか怒涛のような歓声の鳴り止まぬ中、
かの、マキシム・ヴェンゲーロフ、
控えめに、それはまるで、
シャイな子供がおじおじと母親のお尻の影から顔を覗かせるようにして、
はにかんだお辞儀を繰り返しながら、

ならば、とばかりに弾き始めたアンコール。

その天の果てから舞い降りてきたような高音が、
その旋律のすべてが見えない糸となって、
身体中の毛穴という毛穴から血管を通っては身体中に染み込んで・・
いやはや、とてつもないぐらいの天国体験。

そして最後の一音が吸い込まれてから訪れた、
まるであの、深い深い穴の底、その底の底にまで落ちていくような、
あの深い深い静寂の中、
観客は息を殺したまま、その最後の最後の一音の、
その余韻の最後の一滴までをも舐め尽くすかのように、
まさに凍りついたような静寂に張りつめたまま、、
そこにまさに、時間の止まる瞬間の中にあった、のでああある。



という訳で、改めて、天才は存在する。

そう、パコ・デ・ルシアが、ジョン・マクラフリンが、
あるいは、我らが中元すず香が、
そして、この、マキシム・ヴェンゲーロフが、

その姿がステージの上に現出したとたん、
世界の、宇宙の、空気そのものが、
完全に別の次元へと吸い込まれてしまう、
その劇的なまでの転換を現出せしめる、
まさに神、そのもの、のような存在。

そう、やはり天才は存在する。
そして、我ら凡人たちにとって、
その天才たちの偉業、その神憑りの異次元世界を体験できることが、
どれだけ素晴らしいことであるのか、
そう、天才は、我ら凡人の生きる喜びのすべてを一瞬のうちに現出できる、
そんな能力を確実に持っている人たちなのである。
そんな瞬間を目の当たりにすることこそが、
その瞬間を天才達と共有することこそが、
この世の至福、生きる目的のすべてと確信せしめる、
それこそが、音楽の、芸術の、つまりは、人生の喜びのすべて。

ちゃりんこかっ飛ばして転がり込んだ、
そんな不謹慎な乱入者風情が、
居眠りの途中に完全にぶっ飛ばされた、
そんな経験ができるのも、ここニューヨークという街の魔力であろう。

いやはや、またまた、ちょっとあまりにも壮絶な経験をさせて貰いました、と。

という訳で、このマキシム・ヴェンゲーロフという人、
もし知らない人がいれば、って、知らなかったのは俺だけ、
らしいのだが、まさに、必見必聴の人、である。

まあそう、この嘘ばかりの世の中、
過大宣伝と、でっちあげの天才ばかりに溢れかえる、
この、商業主義的B級芸能の洪水の中にあって、
この真の天才の中の天才の存在だけは、
世の低俗の毒に、決して穢してはならない、と、
まあ、そんな妙な使命感みたいなものを、
感じていた秋の夜。



という訳で転がり出たマンハッタンの街並み。
この地獄の鍋の中の雑踏の中を、
まさに魂抜けの放心状態で彷徨いながら、
ふと、通りかかった酔っぱらいの集団が、
夜目にもはっきりとわかる赤ら顔を光らせながら、
だみ声を張り上げて歌うのは、まさにニューヨークのテーマソング、
ニューヨーク・ニューヨーク!

え?ってことは、ヤンキーズ、勝ったのか?
と振り返った途端、その汗みどろヨダレまみれの一団から、
いきなりの強烈なハグ攻勢。

マーサーヒーロー・ターナーカー!

いまや、ここニューヨークで最も有名になった日本人である、
この、田中マー君の名前を連呼しながら、
次から次へと壮絶なまでの抱擁を繰り返しながら、
そうか、マー君、やったのか、と思わず涙うるうる、である。

ニューヨーカーのプライドと、日本人のプライドが、
ここで、THE ONE 一つになった、その瞬間。

マーサーヒーロー・ターナーカー!

まさに田中マー君こそは、今宵のニューヨークの、その象徴、なのであった。

ああ、ニューヨークだよな、と。
あの魔術的なまでのバイオリンの調べと、
そして、街中の酔っぱらいたちが声をあわせて歌うニューヨーク・ニューヨーク、
そして、終わることのないマーサーヒーロー・ターナーカー!のシュプレヒコールの中で、
このあまりの世界観のギャップ、
だがしかし、それこそがニューヨーク。
まったくもって、可笑しな街だぜ、と苦笑いを浮かべながら、
だがしかし、理由はともあれ、街中が祝祭に溢れかえるこの秋の夜。
やっぱり、なにがあっても、この街は離れられねえなと見上げる摩天楼の空。

いやはや、久々に、そしてまたまた、
いかにもニューヨークらしい体験をさせて貰いました、と、
ご報告まで。



というわけで、またまた例によって蛇足なのだがだが、

そう、最近はもう、なにがあっても、
ちょっとでも心にひっかかることがあると、
すぐに、中元すず香嬢の姿を思い浮かべてしまうこの俺。

でそう、今回のこのバイオリンの鬼才・マキシム・ヴェンゲーロフ、
この超絶的な演奏に震撼させられながら、
そのバイオリン、特に身体中に突き刺さった、
あまりにも繊細なまでの、高音の響き。

そう、この高音。
あまりにもナイーブで、あまりにも繊細で、
あまりにも、か細く、がしかし、その澄み切った旋律には、
まさに、とてつもないぐらいのパワーが息づいて居たわけで、
そう、改めて、音楽のパワーってさ、
実は、その音量でも、音圧でも、
表面上の激しさでも、荒さでも迫力でも、ないのではないのか、
なんてことを考えていた。

で、そう、このマキシム・ヴェンゲーロフ、
なにが凄いってその音の吸引力、
フォルテではまさにのけぞるほどにぶっ飛ばされ、
そして、ピアニシモではまさに吸い込まれるように身体が前かがみ、
それはもう、音楽に踊らされるというよりは、
つまりは、そう、音が歌っているというか、楽器が鳴っているというか、
その音、その音色そのものに、凄まじいばかりの説得力があるんだよね。

で、何故にいま再びそんなことを繰り返しているのか、と言えば、
実は、頂いた数々のコメントの中で、ちょっと気になった一文。

その方の言わせるところ、最近の中元すず香嬢の、劣化に、心を痛めている、と。

劣化?すぅちゃんが劣化している、と?

まさか・・・

確かに、あの幼き頃のすぅちゃんの姿、
まさに、神憑りの神童少女、そのもの。

あの衝撃的な姿と比べ、
いまや、押しも押されもせぬスーパースターとなったすぅちゃん、

あの少女時代の、クリスタル・クリアな声域から、
いまはそれに比べて、一回りも二回りも成長しては、
そこにパワーが、そして、本当の意味での説得力が漲り初めた、
まさにその成長の過程の、その過渡期にある訳で、
つまりはベビーメタルは最新こそが最高、
その伝説的な記録を、いまも着実に更新中、
その筈であるのに・・

と言う訳で、そんなすぅちゃんを、劣化、と見誤る、
このヒトの着眼点とはいったいどこにあるのか。

その不思議な謎掛けの中にあって、

もしかして、この方、クラッシック畑の人?

つまりは、エディット・ピアフよりはマリア・カラス、
ジョン・レノンよりは、ルチアーノ・パヴァロッティ、
トム・ウエイツよりも、クリストファー・クロス、
リアーナよりは、スーザン・ボイル、
そんな価値観を持ちな、そんなご趣味の方であるのかな、と。

通常であれば、そんな戯言、まさに笑止、とばかりに、
すぐに忘れてしまう、その筈、ではあるのだが・・

そう、たしかに、すぅちゃんの歌唱方法、変わりつつある。

特にここのところ、つまりは、武道館公演から、
世界武者修行の旅に出て、そして世界の「ロック」野郎たち、
その土壇場の正念場でのガチンコを繰り返す中で、
それまでの、正統派的声楽的なボイス・トレーニングから、
より、実質的現実的な、
つまりは、コンサートにおいてどれだけ観客を熱狂させるか、
その扇動的な歌唱方法の習得に尽力されていると、
そのようにお見受けしていた、のではあるが、

ただそう、その反動として、多少の音のずれ、
あるいは、声の裏返りから、
そして、幾万の観衆の歓声に敗けない、
その「声量」のパワーを増すための、
筋トレ、的なトレーニングを続ける中で、

確かに、あの幼き天才少女の頃の、
ロック歌手、といよりは、ウィーン少年合唱団のような、
あの、澄み切ったクリスタル・ボイス的な透明感は、
失いつつあるのかな、という気がしないでもなく。

その修練、その更なるアップグレードを、
弊害として、認識しているこの御仁。

そうか、そういう見方も、たしかにあるのかな、とは思いながら、

と、そんな中で、いきなり遭遇したこの、バイオリンという、
言うなれば、パワー系ロックから、最もかけ離れた楽器。

そのあまりにも繊細な音色の中で、
だがしかし、その音量に関わらず、
とてつもないパワーと、そして、吸引力を現出せしめた、
この、正真正銘の魔術師・マキシム・ヴェンゲーロフという存在。

その魅力の真髄は、ともすれば、いまベビーメタルの中元すず香が、
向かおうとしている方向の、その真逆に当たるのかもしれないのだが、
だがだがだが、
確かに、そう、いますず香嬢が、躍起になって取り組んでいる、
この、声量と、そして、パワー、重視の歌唱方法ではあるのだが、

と同時に、その声量はどうあれ、あるいは、その激しさはどうあれ、
音の説得力、そのパワーそのものは、
実はそういうものには左右されない、
あるいは、デスボイスよりはむしろ、
こんな、ナイーブな高音域の方が、
逆に、先鋭的なパワーを産み出すことができる、
そういう別の側面もあるのでは、と。

という訳で、まさにベビーメタルの真逆ともなりうる、
この、バイオリン・コンチェルトの、あまりの鮮烈さ。

できれば、機会があれば、ご参考頂きたいな、と思った次第。

つまりはそう、たしかに、ロックの中のロック的なパワー至上主義、
というのも魅力的ではあるのだが、
中元すず香嬢が、生まれ持った、
あの、ダイヤモンドの煌めきを秘めたクリスタル・ボイスの声質、
あれだけは、やはり、どうしても、大切にして頂きたいと、
そういうワガママなことを思っていたりもしたのである。

という訳で、中元すず香さん、
シーアの、あの、変幻自在の七色の歌唱方法も魅力的であれば、
この、マキシム・ヴェンゲーロフのバイオリンに秘めた、
超音波的なまでの高音域の破壊力、
それを、同時に、併せ持っていただきたい、
そんなわがまま放題な暴言を、敢えて、吐かせて頂ければ、と思う。

つまりはそう、ぶっちゃけた話、
俺はこのマキシム・ヴェンゲーロフのバイオリンの音色の中に、
実は、ベビーメタルのハリウッド・パラディアム
そこでの唯一のお披露目となったFDTD、
あの奇跡のような歌声を思い返していた、のである、と。






と、そんな他愛もない蛇足を綴りながら、

改めて、まあ、そのご趣味、というか、願望は、
それぞれの方がお持ちなのではあろうが、

そんな願いを込められる、この中元すず香という逸材の中の逸材。

改めて、歌手:ボーカルが、詩を謳う、という表現手段である、と同時に、
その、声帯を、楽器として用いる、そこまでの歌唱力を、才能を持ち得たヒトって、
少なくとも日本人ではこの方が初めてなんじゃないのかな、と。

そう、以前の駄文の焼き直しにもなるが、

海外のロック歌手と、日本の歌手との、あまりにも大きな差は、

つまりはそう、あの、レッド・ツェッペリンのロバート・プラント、

歌手が、語り、から、その声帯を、声質を、その総体であるところの歌唱力を、
楽器の域にまで高めることに成功した、この超絶なアップグレード。

そして改めて、すべてのミュージシャンの認めるこの真理、

世にあるありとあらゆる楽器とくらべても、

優れた女性ボーカル、この声帯に勝る、楽器は存在しない、と。

そういった意味でも、この中元すず香嬢の声帯、という楽器。

まさに、マキシム・ヴェンゲーロフのあの演奏、

楽器そのものが、まさに、鳴りまくっていた、
あの奇跡のような、音色。

中元すず香であれば、マキシム・ヴェンゲーロフのバイオリンに勝ることができる、

その可能性を、たしかに、たしかに、感じたのである。


という訳で、もうあまりに眠くてなにを書いているか判らなくなってきたが、

そう、凄いものを観たら、美味しいものを食べたら、
つまりは、新しい経験のすべてを、恋する人に伝えたい、

まあそれだけの話なのだが。

という訳で、ベビーメタルとクラッシック、なんのこっちゃ、と思うなかれ。

騙されたと思って、パコ・デ・ルシア、そして、
この新たに発見した、マキシム・ヴェンゲーロフと、
そして我らがすぅめたる:中元すず香を、
同一線上で、聴き比べて欲しい。

きっと、なにかが、それはもしかしたら、
ハード・メタル路線をひた走るベビーメタルの中元すず香が、
ひょっとして忘れかけているかもしれない、
パフォーマーというよりは、純粋な意味での音楽家、としての一面を、
思い出させてくれるきっかけになるかもしれない、と。

という訳で、相変わらずの誤字脱字、散漫な文章であった。

読み返す前に、ひとまず寝ることとします。

ではでは。


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:高見鈴虫
日本を出でること幾歳月
世界放浪の果てにいまは紐育在住
人種の坩堝で鬩ぎ合う
紐育流民たちの日常を徒然なく綴る
戯言満載のキレギレ散文集

*お断り 
このブログ記事はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係ありません藁

©終末を疾うに過ぎて...
無断丸々転載・そのまま転写はご勘弁ちょんまげ

月別アーカイブ

検索フォーム